エピローグ
戴冠式の騒動から二週間が経った。
あの後、新たに国王代理として名乗りを上げたフレンの手により、クザンとその周りの貴族達の間で行われた不正は徹底的に洗い出された。
その結果、クザンとアルラウネ。さらにマクシムスと宰相バシウス。
それと新たに横領が発覚した元財務大臣のヴェヒターらは、裁判に掛けられることになり、今は監獄でその時を待っていた。
(死刑にはならないでしょうけど、もう一生会うことはないでしょうね)
告発を申し出たマーガレットとネモフィラは免罪されたが、家の没落は確実なため、ふたりで貴族をやめて商売を始めるとアルダンテに語っていた。
世間知らずの元貴族のご令嬢の商売など、どうせろくなものにならないとアルダンテは思ったが、結局特に忠告せずに生暖かい目で見送っている。
(だって別に友達ってわけでもないし。むしろどちらかといえば敵よね?)
バーバラとロディは特に罪を犯したわけではないので、それぞれの家に戻って行ったと聞いたが、最早彼らに興味がないアルダンテにとってはどうでもいいことだった。
「……半年と一月。長いようで短かったわね」
雲ひとつない晴天の朝。
薔薇庭園にやってきた時と同じ白いブラウスと青いスカートを着たアルダンテは、いばら邸の前で太陽に手をかざし、目を細めた。
「作られた目的は最低な薔薇庭園だったけれど、住み心地も景観も……うん、悪くなかったわね」
クザンの婚約者候補を囲うために作られた薔薇庭園は閉鎖となった。
そこに住んでいた薔薇姫と呼ばれる可憐な令嬢達の実家が、すべて余すことなく没落したという凄まじい逸話は、今や王宮の語り草となっているとかいないとか。
「……私は関係ないわよね。悪人達が勝手に没落しただけだし。なんなら私の実家も没落しているし」
なんだか居心地が悪くなったアルダンテは、旅行バッグを抱えてこそこそと薔薇庭園を後にした。
(入口に迎えの馬車が来るって言っていたわね。フレンに協力した報酬はそこでもらえるのかしら)
果たして、薔薇庭園の外の入口には一台の馬車が停車している。
早足で馬車に歩み寄ったアルダンテは、開いていた客席に飛び乗った。
「あら」
対面には帽子を深く被ったひとりの男が乗っている。
(相席なんて聞いていないけど……もしかして乗る馬車を間違えたのかしら)
そんなことを考えている間に、バタンと客席のドアが閉まって馬車が動き出した。
「あの、これって隣国行きの馬車であってます?」
対面の男に尋ねるも、帽子を深く被った彼はなにも答えない。
不審に思ったアルダンテは立ち上がり、御者に向かって声をあげた。
「あの! これって隣国行きの馬車ですか!」
しかし、スピードを上げ始めた馬車の走行音は非常にうるさく、アルダンテの声は御者に届いていないようだった。
アルダンテが椅子に座り、どうしたものかと考えていると――。
「――やっとふたりきりになれましたね」
対面の男が低くじっとりとした声でしゃべった。
聞き覚えのある声にアルダンテは眉をひそめる。
「もしかして貴方……ロディ?」
男は被っていた帽子を取って素顔を見せる。
そこにはやつれてすっかり頬がこけたロディの顔があった。
「やあアルダンテ。僕に会えなくて寂しかったですか?」
「いいえ、まったく」
即座に答えるアルダンテにロディは笑った。
「強がらなくていいんですよ。本当は寂しいんですよね。分かっていますから。貴女が私に会いたがっていると思って、わざわざ実家のつてを使ってここまで入り込んだのですから、感謝してくださいね」
「どうしたのロディ。どこかで頭でも打った?」
本気で心配になるアルダンテにロディは突然真顔になる。
「それはこちらのセリフですよ。なんですかその口の利き方は。淑女らしく、男にはちゃんと敬語を使ってください。エクリュール家にいた時はずっとそうしていたでしょう?」
鼻白むアルダンテに、ロディは「やれやれ」とため息をついた。
「しっかりしてください。貴女は僕の婚約者なんですから。でも大丈夫。これからもう一度しっかりと、僕が貴女を、僕の婚約者にふさわしいように、立派な淑女として、教育して差し上げ、あげますからね!?」
突然叫びだして身を乗り出してくるロディに、アルダンテは嫌な顔をしてドアの方に距離を取る。
(明らかに様子がおかしいわ。変な薬でもやっているのかしら)
「どうして逃げるんだい? そんなに僕のことが嫌い?」
「好きでも嫌いでもないわ。今だから言うけれど……私、貴方にはまったく興味がなかったの」
(でも親が決めたから従っていた。あの頃の私にはエクリュールの家しかなかったし、貴族としての勤めをまっとうすることがすべてと教わっていたから)
「そしてそれはこれからも同じ。その上、家を追放されて家名もない平民の私には、もう婚約者なんて縛りはなくなったわ」
ロディの目をまっすぐ見つめて、アルダンテはその別れの言葉を告げた。
「だからさようならよ、ロディ。それに貴方は貴族なんだから、ちゃんと家柄に合う女と婚約をしないと――」
「なんで僕を拒否するんだよ! 我慢してやってるのはこっちなんだぞ!」
突然ロディが喚き立てる。
あまりの声の大きさにアルダンテは耳をふさいだ。
(なんだっていうのよ、もう)
「本当は僕だってなあ! お前みたいな愛想のない女なんかより、可愛らしいアルラウネの方がよかったんだ! でもアルラウネはクザン様と結婚するって言うから、仕方なくお前と婚約したんだぞ! 責任を取れ! このクソ女が!」
ロディが叫びながらアルダンテに飛び掛かる。
アルダンテはなんとか避けようと身をよじるが、狭い車内では満足に動けるはずもなかった。
「捕まえたぞ……へへ……」
(性格変わりすぎよ、この男。気持ち悪いヤツ……!)
両手首を捕まれ、車内の床に押しつけられたアルダンテは、ロディにのしかかられて完全に身動きが取れなくなる。
「お前は愛想のない女だけど、身体だけはいいものを持ってるって昔から思ってたんだ。でも婚約者だっていうのに婚前交渉どころか一度も手すら握らせなかったよな? ふざけやがって! どうせあの頃から僕のことを見下して笑っていたんだろう! 人を舐めるのも大概にしろよ!」
ロディが片手を離して平手を振りかぶる。
頬を叩かれると思ったアルダンテは歯を食いしばってそれに耐えようとした。その直後――。
「――おいおい、淑女に向かって暴力を振るおうとするなんて、男として最低だな君」
「だ、誰だ!?」
不意に窓の方から聞こえてきた声に、何事かとロディが顔を向ける。
次の瞬間。ドアの窓がバリンと割れて、外から二本の足が車内に突っ込んできた。
「げふっ!?」
顔面をしたたかに蹴られたロディがくぐもったうめき声をあげながら、その場に仰向けで倒れこむ。
アルダンテは泡を吹いて失神しているロディの身体を押しのけると、身を起こして蹴り足が入ってきた窓の方を見た。
「……なにしているのよ貴方」
窓から足だけ飛び出してきていたフレンが、丁度腰の部分で窓につっかえて上半身が外に取り残されていた。
「――いやあ、君が乗っているって知って馬で並走してたら、中で襲われているのが見えたからさ。格好つけて飛び乗ったらあの始末さ」
馬車を降りたアルダンテは、フレンが乗ってきたという馬に乗っていた。
前面にはアルダンテが、その後ろにフレンを乗せた馬は、ゆっくりカッポカッポと王都に続く人通りのない車道を走っている。
「格好つけすぎよ。それで死んだらどうするのよまったく」
「好きな女の前で格好つけて死ねるなんて、男として本望だと思わない?」
「全然。まったく、思わないわね」
「君ならそう言うと思った。相変わらず冷たいなあ」
アルダンテが背後を振り向くと、フレンがヘラッと笑っていた。
「こんなところで油を売っていていいのかしら。王位を継ぐんだからこれから大変でしょう」
「ああそれね。実は俺、王位を継がないことになったんだ」
「……はい?」
眉をひそめるアルダンテに、フレンはクスッと
「俺がつい一週間くらい前に隣国から連れてきた、凄腕の医者が父上の病を治しちゃってね。もう今までの死人みたいだった顔色が嘘みたいにすっかり元気になって毎日怒鳴ってるよ。私が倒れている間に貴様ら重臣共はなにをしていたんだ! ってさ」
(……そういえば、戴冠式の前に二週間ぐらい出かけてくるって言ってたことがあったわね。それってその医者を呼びに行こうとしてたってことかしら)
考え込むアルダンテの頭に、おもむろにフレンが顎を乗せる。
「……ちょっと。重いのだけれど」
「今、俺以外の男のこと考えてなかった?」
「馬鹿。お医者さまのことよ。でもよかったわね、陛下が元気になられて」
なにを一丁前に嫉妬しているんだか、とアルダンテは苦笑する。
「でもこれで国王陛下も安泰ね。もしこれからなにかあったとしても愚か者のクザンではなく、比較的マシな第二王子の貴方が国を継ぐことになるんだし」
「あ、酷いなあ、その言い方。俺にもいっぱいいいところあるでしょ?」
「顔、とか……?」
「性格は?」
「うーん」
「酷くない!? 鬼! 悪女!」
後ろでフレンが
「そういえばこの馬、どこに向かってるの?」
「どこがいい? 好きなところに連れてってあげる。そこで一緒に住もう?」
「ダメよ。貴方は王子様なんだから。それに私は平民だし釣り合わないわ」
「いやいや俺も平民だって。王位継承権はもう放棄してきたし」
アルダンテは顔だけ振り返り、半目になってフレンを見る。
「……さっきも言っていたけれど、本気なの、それ」
「本気だよ。でも心配しないで。ちゃんと兄上よりも俺よりも出来のいい天才の第三王子が王位を継承するからさ」
「第三王子? そんな人がいたなんて初耳だけど」
「いやいや、君はもう何回も会ってるよ。というか、俺より会った回数多いんじゃないかな」
「記憶にないわ。一体誰のことを――」
その時、アルダンテの脳裏にひとりの金髪の侍女がよみがえった。