第六章 淑女の笑みは三度までよ
突然発表された戴冠式の知らせは王宮に衝撃をもたらした。
いくら病で倒れているとはいえ、国王が存命中に本人の許可なく勝手に王子が王位を継承するなど前代未聞だったからである。
これには元よりクザン派だった貴族達もさすがに難色を示した。
だが数日が経った後、その意見はすべて覆ることになる。
(お父様の策略ね。弱みを握って脅したに違いないわ。ということはもう、王宮から反対の声があがることはないとみていいわね)
アルダンテの予想通り、マクシムスの策略によって本来クザンをよく思っていない貴族達からも反対の声は一切あがらなかった。
これにより、王宮での戴冠式の決行は確実なものとなる。
また、アルラウネの結婚式についても戴冠式と同時に準備が進められているが、こちらに関しては最早、発表をせずとも王宮内外でふたりが結婚をするのは周知の事実となっていた。
それもそのはず、薔薇庭園にクザンとアルラウネがほとんどいなかったのは、ふたりが夫婦となる既成事実を作るために、随所に根回しを行っていたからだった。
国内の各地をふたりで旅行し、時には国民からの好感度を上げるために街に降りて配給を行い、パーティーに他国から王族を招いて周知する。
これにより結婚について貴族から不平の声は一切なく、概ね好意的に受け入れられていた。
高い金を使ってわざわざ婚約者候補を住まわせていた薔薇庭園とはなんだったのかと呆れるアルダンテだったが、クザンの性格を考えれば簡単に答えが分かった。
本命はアルラウネだが、財務大臣や宰相の
「浅はかというかなんというか。でもそのおかげで弱みを握れたのだから、馬鹿王子には感謝しなければいけないわね」
いばら邸の居間のソファでティーカップを傾けるアルダンテ。
そんなアルダンテを見て、対面のソファに腰掛けているフレンは、心労のためか疲れが見える顔で言った。
「よくそんなに余裕ぶっていられるね。俺はもうあと三日で戴冠式だと思うと気が気ではないよ」
「軽さが取り柄の貴方が落ち込むなんてらしくないわよ。三日後には次期国王になるのだからもっとドンと構えていなさいな」
「戴冠式当日に勝負を決めなきゃいけないっていうのも、胃痛の原因のひとつなんだけどね。本当はそうなる前に兄上には王位を諦めてもらうつもりだったからさ」
ソファにもたれかかりながら、フレンが遠い目をしてつぶやく。
「……それに頼みの綱だったヴェヒターとバシウスの手をこの土壇場で借りれないとなったら、落ち込みもするよ」
車輪が外れたことで馬車が横転した事故により、同じ車両に乗っていたヴェヒターとバシウスは全治三か月程度の怪我を負った。
それがマクシムスの仕業だということが伝わったふたりは、つい一週間ほど前に協力できないことを手紙で伝えてきた。
「今の俺達には兄上を追い込む決め手がない。あのふたりが持っていた証拠品がクザンを追い込む一番の武器だったからね」
元財務大臣だったヴェヒターからは、表沙汰にできない国庫からクザンへの金の流れをまとめた裏帳簿。また、王家の宝物庫から取り出した宝飾品の取引を示す契約書等。
宰相だったバシウスからは、クザンのために捻じ曲げたあまりにも理不尽な人事の異動を示す書類に、法に触れた行いを取り消す免状の控え等。
それらのほとんどは言い逃れが出来ないほどの物的証拠であるため、もし大衆の前に晒されれば、糾弾されることは必至の対クザンの切り札となるものだった。
「ハッキリ言ってこのまま戴冠式に乗り込んでも兄上や君の父上に勝てる見込みはないよ。どうしたものかな……」
ため息をつき、フレンは机に突っ伏す。
そんなフレンを見て、アルダンテは優しく目を細めた。
「フレン様は、最初会った時と比べると大分印象が変わったわね」
「……年上のくせに子供っぽいって?」
「それは初めから思ってたけれど」
「うわ、それ結構傷つくんだけど。一応俺二十歳なのにさあ……というか、いつの間にか俺に対して敬語じゃなくなってたよね、アルダンテは」
「使わなくてもいいかと思って」
「君は本当に思ったことをズバズバ言うね。悪い女だ」
「よく言われるわ」
机に突っ伏したまま動かないフレンの頭に、アルダンテは手を伸ばす。
そのままサラサラの金髪に指を通すとピクッとフレンの身体が震えた。
「やる気、出してくださいな」
「……もう少しそうしてくれたら、出るかも。やる気」
(困った王子様ね。犬みたい)
フレンの髪を優しく
「……本気なの?」
「なにが?」
「この件が終わったら、ふたりで旅に出るという話」
フレンがばね仕掛けのように勢いよく起き上がる。
真剣な目をしたフレンは、驚いた顔をしているアルダンテの手を取った。
「本気って言ったら、一緒に来てくれる?」
「……私は」
アルダンテはフレンの目をまっすぐ見つめ返す。
そして少し間を置いた後、口を開き言葉を紡ごうとして――。
「――最高級の宝石をくれるっていうから、実家からわざわざ三日も掛けて来てやったのに、こんなものを見せるために私を呼んだってわけ? ふざけないでよね」
「――三日後には大罪人になるかもしれないというのに婚前交渉に及ぼうとしているなんて、いいご身分ですわね? これだから品性の欠落した下賤な出の者達は」
いつの間にか部屋にいたふたりの女の声によって中断された。
ふたりを見たフレンはアルダンテの手を握っていることも忘れて、目を見開いて驚く。
「君達は……どうしてここに?」
そこにいたのは黄薔薇姫、マーガレット・ソーンと青薔薇姫、ネモフィラ・アングストのふたりだった。
アルダンテはふたりを見てニヤリと口端を吊り上げる。
「そんな大きな口を私に叩いていいのかしら。貴女達の進退は私が握っているということを忘れてない?」
「うっ……」
ふたりが苦々しい顔をして黙り込んだ。
それを見たフレンは、大体のあらましを悟って苦笑いをする。
「薔薇姫ふたりに言うことを聞かせるなんて、一体どんな弱みを握ったんだか」
フレンの言葉通りすっかり大人しくなったふたりを見て、アルダンテは満足気に頷いた。
「――これでようやく役者が揃ったわね」
その言葉に、薔薇姫ふたりは困惑した表情で顔を見合わせる。
そんなふたりにアルダンテは満を持して自信満々の表情で告げた。
「待っていたわよ悪女達。悪いけど、貴女達にはもう一華咲かせてもらうわ。薔薇姫の名に相応しい最高の舞台でね」
------
戴冠式当日の夕方。
アルダンテはいばら邸の大きな鏡で自分の姿を確認する。
纏うのは実家から唯一持ってきた、母の形見でもある深紅のドレスだった。
「戴冠式と結婚式みたいなおめでたい日にはどう考えても合わないけど――」
右手の薬指にはフレンからもらった赤い宝石付きの指輪。
首元にはセランがマーガレットから奪った琥珀色の首飾りが掛けられていた。
「そのドレス、赤紫色の君の髪にはよく似合うね」
部屋の入口に立っていたフレンが声を掛けてくる。
「ありがとう。フレン様も素敵よ」
この日のフレンはアルダンテに合わせたかのように、式典用の赤紫色の燕尾服に黒いシャツを着ていた。
初めて見る服装だったが、長身でスタイルのいいフレンにはよく似合っている。
(主役よりも目立つ気満々じゃない)
「相変わらずチャラいわね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
ヘラッと笑った後、フレンはアルダンテの足元にひざまずいた。
アルダンテに手を差し伸べたフレンは、もう片方の手を胸元に当てて、芝居がかった素振りで口を開く。
「さあ行きましょうか、お姫様。俺達が主役のパーティー会場へ」
アルダンテはその手を取ると、微笑んで答えた。
「――ええ、行きましょう。思い上がった脇役達を叩き潰しに」
手を繋ぎ、ふたりは部屋を出て行く。
「……ああ、そうだったわ。これも忘れないようにしないとね」
エクリュール邸を出る時に持ってきた、大きな旅行バッグを手に。
戴冠式の会場は
アルダンテとフレンが広間に近い王宮の玄関に着いた時には、すでに参加者のほとんどが会場内に入っていたようで、警備兵以外の人は誰もいなかった。
「……遅れて来たから当たり前だけどさ」
頬を掻きながらフレンがつぶやく。
アルダンテはフレンの手を強く握った。
「必要な寄り道をしていたし仕方ないわ。それに主役は遅れてやって来るというもの。その方が目立つし、丁度いいじゃない」
ふたりは玄関を抜けると廊下をまっすぐ歩いて行く。
そして広間に入る大きな扉の前に立った。
フレンは扉の取手に手を掛けると、アルダンテを一瞥してヘラッと笑う。
「さて、脇役共を舞台から引きずり降ろしてやりますか」
バタン、と勢いよく扉が開いた。
その先の広間ではすでに戴冠式が行われている最中だったらしい。
会場を見渡す限りの貴族の男女が、おそらくクザンがいるであろう広間の奥を見ていた。
「遅れてごめん、兄上! 不肖の弟がお祝いしに来たよ!」
フレンが叫ぶと、会場中の貴族達がアルダンテ達の方に振り向く。
彼らは皆、遅れてやってきたふたりのことを眉をひそめて怪訝な目で見た。
「兄上って、もしかしてあの方は第二王子のフレン様?」
「遅れてやってきたのにあの態度は一体なんだ!」
「隣にいる女は誰?」
「なんだあの血のように赤いドレスは。こんなおめでたい日になんて不吉な」
ざわつく会場の様子を見渡してから、アルダンテは一歩前に足を踏み出す。
カツン、カツン。ヒールが床を踏みしめる度に、長い赤紫色の髪が揺れた。
それを見ていた貴族のひとりが、アルダンテが何者かに気づいて声をあげる。
「赤紫色の髪に、悪女のような見た目……まさかあの女は」
アルダンテとフレンの行く道を妨げないように、貴族達は自然と左右に避けていった。
そして人波の奥の開けた場所。
広間の中央に、一組の男女が立っていた。
男――クザン・カーディスは青の燕尾服に白いシャツを。
女――アルラウネ・エクリュールは白のドレスに、一等級の青い宝石がついた首飾りや指輪を身に着けていた。
彼らと
「ごきげんよう、クザン様――さあ、不吉を届けにきたわよ」
クザンはふたりを見下すように笑って言った。
「遅かったな、愚弟。そしていばら姫。すでに戴冠の儀は終わってしまったぞ?」
クザンに続くように、隣に立っていたアルラウネが首を傾げてわざとらしく言う。
「おふたりとも、今更なにをしにここに来られたの? もしかして、この後行われる私達ふたりの結婚式をお祝いに?」
(安い煽りね。そんなものに今更乗せられるものですか)
アルダンテは手を口に当ててわざとらしく困った顔をして見せる。
「まあ、本当に? でもおかしいわね。どこにも新しい国王陛下が見当たらないけれど」
「なに……?」
ピクリ、とクザンが眉を吊り上げた。
アルダンテは右に左にと周囲を見渡して、眉尻を下げて悲しそうに言う。
「どこにいるのかしら。ねえ、貴方達。ちょっと教えてくれない? 新しい王国の偉大なる太陽に挨拶がしたいから。それとも、もう夜だからお隠れになられてしまったのかしら?」
「新しい国王はこの私、クザン・カーディスだ!」
そう言ってクザンは王冠を自分の頭に被せた。
それを見たアルダンテは口元に手を当てて「まあ!」と大げさに驚いた顔をする。
「そこにいらっしゃったのね。見た目も雰囲気もあまりにも凡庸すぎて――ああ、失礼。つい本音が。国王陛下だとは気づきませんでしたわ。この身の不敬をお許しくださいませ、えっと……クザン、陛下……?」
「こ、の……アマぁ……! どこまでも人を小馬鹿にしおって……!」
クザンが怒りのあまり顔を真っ赤にして拳を握り締めた。
一部始終を見ていた周囲の貴族からはクスクスと小さな笑い声が漏れる。
それがさらにクザンの怒りを逆撫でした。
「今笑った者は誰だ! 不敬罪で打ち首にしてくれる! 出て来い!」
広間に響き渡る怒鳴り声に、周囲はすぐに静けさを取り戻した。
それを見ていたフレンは横目でアルダンテを見ながらグッと親指を立てる。
(ここで笑いが起こるということは、やはりクザンの戴冠は性急がすぎたわね。どれだけの人数かは分からないけれど、新しい王の誕生を正当なものだと思わず、クザンを嘲笑するような者がいる。となれば――)
アルダンテがフレンに目配せをする。
フレンは頷くと、一歩足を前に踏み出した。
「あのさ、兄上。やっぱりおかしいよ。父上が病で倒れていることをいいことに勝手に王位を継ぐなんてさ」
「は? お前、今更なにを――」
「――皆にも問いたい!」
顔をしかめるクザンに背を向けて、フレンが周囲の貴族を振り返る。
「皆は本当に兄上が正当な王にふさわしいと思っているのか!? 父上がお倒れになって、兄上が次期国王として横暴に振る舞うようになってから、この国は変わった!」
両手を広げたフレンが、真剣な表情で必死に声を張りあげた。
「正しき者は評価されず! 民は重税で苦しみ! 兄上に媚びを売る一部の悪徳貴族だけが甘い汁を吸う腐った国になってしまった! 貴族や貴族に賄賂を贈る商人と平民の貧富の差は広がり続け、最早いつ暴動が起こってもおかしくない! このままでは近い内に確実に国は滅びてしまうぞ! それでもいいのか!?」
静かに話を聞いていた貴族達は三者三様の反応を見せる。
ある者は、その通りだと頷き。
ある者は、それのなにが悪いと鼻で笑う。
また罪悪感を持ちながらも、時流に身を任せて富を享受していた者は、痛いところを突かれたと苦し気な表情をした。
もう一押しだと感じたのか、フレンはさらに声を張りあげようとして――。
「――根も葉もない嘘を吹聴するのはやめてくださる? フレン様」
クザンの隣で状況を見守っていたアルラウネが待ったをかけた。
「私、悲しいですわ」
ポロリと、アルラウネの目から涙が零れ落ちる。
(ウソ泣きでしょ。芸が細かいわね)
「なぜそんなことを言いますの? クザン様がそのような悪行をなさった証拠でもあるのかしら?」
その言葉に三者三様の反応だった貴族達も揃って頷いた。
「確かにクザン様には悪い噂が尽きないが、実際の話、確たる証拠がなければただの噂話にすぎん」
「ああ。逆に貧しい平民達に配給をして回っているという噂もある」
「それに今は不当な人事もなくなり、税金も大分緩和されたという話じゃないか。暴動なんてもう起こらないだろう」
周囲の反応にアルラウネは笑みを深くする。
「皆さまもこうおっしゃっておりますが、そこまで自信を持っておっしゃるというのならあるのでしょうか? 証拠が。それも身元が確かな、皆さまが納得できるような証人付きで。でなければ私、納得できませんわ。ねえ、皆さまもそう思いますでしょう?」
アルラウネの扇動に、貴族達も「そうだそうだ」と頷いて肯定の意を示す。
それを見てやれやれと肩をすくめるフレンに、アルラウネは勝ち誇った笑みを浮かべていた。
(もう勝った気でいるわね。ヴェヒターもバシウスも脅されてここに来ないことは分かっているから、そう思うのも無理はないけど)
「仕方ないね。そこまでいうのであれば、証人に証拠を持ってきてもらおう」
「……なんですって?」
アルラウネの表情が曇る。
その直後、貴族達の中からふたりのドレスを纏った令嬢が歩み出てきた。
それを見てアルラウネが分かりやすく顔を歪めて狼狽する。
「な、なんで貴女達がここに出てくるのよ……!?」
「私だって出てきたくなんかなかったわよ! よりにもよって、自分の家の恥をさらすためにこんな大衆の前に!」