第五章 和解なんて、絶対にありえません


 季節は流れ、アルダンテが薔薇庭園に来てから半年が過ぎようとしていた。

 相も変わらず、いばら邸にクザンの訪問はほとんどなかったが、一度だけ。

 青薔薇姫ネモフィラを土下座させた翌日に手紙が届いた。

 内容は『褒美を取らす。好きなものでも買うがよい』である。

 手紙には大きな紫色の宝石が同封されており、それには王家の刻印が入っていた。

「まさかあのクザンが私に一等級の宝石を贈ってくるなんてね」

 いばら邸の居間でソファに腰掛けていたアルダンテは、指でつまんだ宝石を陽の光に透かす。

 床に浮かんだ影にはしっかりと王家の刻印が映し出されていた。

(ネモフィラからアルラウネを救ったお礼、ということなんでしょうけど)

 アルダンテとしてはただ一刻も早くネモフィラに謝罪させたかっただけで、アルラウネを救うつもりなどまったくなかった。

 よってそのことでクザンに感謝されるいわれもないし、今更変に馴れ合われても気持ち悪いだけである。

「まあ、そのおかげで不正の証拠がまたひとつ手に入ったと思えば、悪いことでもないわよね」

 王家の宝飾品である一等級の宝石は、国王陛下以外は王族ひとりにつきひとつしか持つことを許されていない。

 そのため自分が気に入った女に片っ端から宝石をあげたり、売り払って金にしているらしいクザンは、もし国王の耳に入ればそれだけで罰せられるほどの罪を犯していることになる。

(国王陛下がご健在だったなら、今頃廃嫡にされているのではないかしら。あの馬鹿王子)

 王宮内でまことしやかに流れている噂では、国王の容態は以前にも増して日に日に悪化しているらしい。

 なんでも最早意識がある時の方が少なく、起き上がることすらままならないとのことだった。

「……あまりのんびりしている時間はなさそうね」

 国王が崩御すればすぐにでもクザンは戴冠し、王位を継ぐ。

 そうなれば、王位を脅かす可能性がある第二王子のフレンはなにかしらの理由をつけて処刑されてしまうだろう。

 協力者のアルダンテとしては、報酬をもらう前にフレンが殺されてしまっては元も子もないので、それだけは避けたいところだった。

(なんとかクザンが戴冠する前に、アルラウネから決定的な不正の証拠を引き出して、衆目に晒さないといけない――のだけれど)

 アルダンテはもう何か月も前から薔薇庭園でアルラウネの姿を見ていなかった。

 セランに聞いてもなにをしているのか、どこに行っているのかも不明で、それがまたアルダンテにとってはなんとも不気味に見える。

「ここでじっとしていても埒が明かないわ」

 アルダンテは立ち上がると、外に出るために支度を始めた。

(外に出れば薔薇姫の誰かと会えるかもしれない。見つけたら圧をかけて情報を吐かせましょう)

 外出用のワンピースに着替えたアルダンテは、玄関から外に出る。

 すると丁度情報収集から帰ってきたらしいメイド服姿のセランと遭遇した。

「あれ、お出かけですか?」

「ええ。庭園の中を少し回ってみようと思って」

「だったら私もお供させてくださいな。丁度暇になったところですし」

「いいわよ。一緒に行きましょうか」

 ふたりで横並びになりながら、いばら邸を出る。

 アルダンテは庭園の中央を走る道まで歩いて行き、分かれ道の前で立ち止まった。

「まずは黄薔薇邸に行こうと思うの」

「距離は近いですけど、なにしに行かれるのですか? もしかして殴りこみ?」

(フレン様はこの子にいつもどんな教育をしているわけ?)

 首を傾げているセランにアルダンテは呆れながら言った。

「話を聞きに行くだけよ。私、物理的な暴力は苦手なの」

「そうだったんですね。意外です。いつもあんな重そうな扇子を軽々と扱っているから、てっきり私はそっちも行けるのかと思ってました」

 他愛のない話をしながらしばらく歩くと、黄薔薇邸の前にたどり着いた。しかし――。

「人の気配がないわね」

 アルダンテは首を傾げた。

 黄薔薇邸の周囲には明かりひとつついておらず、中にも人の気配がまったく感じられない。

「一月くらい前に一度この周辺でそれらしき女は見かけたのだけれど」

 久しぶりにアルダンテが見たマーガレットは、以前とは比べ物にならないほどに地味なドレスを着ていた。

 これでもかとギラギラに身につけていた装飾品も首飾りひとつだけになっていて、表情もまるで別人のように暗かった。

「随分と大人しくなっていたのよね。見た目も言動も」

「それはそうですよ。なにせ財務大臣だったお父様に課せられた賠償金が原因で、今や大富豪だったソーン家は一転して借金まみれって噂ですからね。落ち込みもするってものです。」

 マーガレットの父親である財務大臣は、国庫の横領や、王家の宝飾品の横流し、また勝手に税金を引き上げて懐に入れたりと、とにかく金に関するあらゆる罪を犯していて、それらはすべてクザンの資金源にもなっていた。

 フレンによっていくつかの罪を裁かれた今は、職もクビになり、利用価値がなくなったため、クザンとは完全に縁が切れたとアルダンテは聞いている。

 金銭面での融通を利かせる代わりに、次期王妃となるクザンの婚約者候補、黄薔薇姫として薔薇庭園に住んでいたマーガレットも、家の没落と共に相手にされなくなっていったのは当然の結果だった。

(むしろ今まで薔薇庭園を追い出されなかったのが不思議なくらいだったものね)

 追い出されたのか、それとも自ら出て行ったのか。

 どちらにしろ、もう誰も訪れないここに来る意味はないだろうとアルダンテは結論づけた。

「これ以上ここにいても時間の無駄ね。行きましょう」

「はーい。あ、そうそう」

 セランが嬉しそうにパチパチと拍手をする。

「財務大臣が解雇されて税金が見直された影響で、最近は明日の食事にありつけないような国民はほとんどいなくなったそうですよ。貴族と癒着をせずに重い税を掛けられていた商人達も、大手を振って商売ができると喜んでいるそうです。お手柄ですね」

「そう。それはよかったわね」

「素っ気ないですねえ。アルダンテ様の働きのおかげで人々がたくさん救われたっていうのに」

「救ったのはすべてフレン様だもの。私はただやられたことをやり返しているだけよ」

 そう言って踵を返したアルダンテは、次に青薔薇邸の方に足を向けた。

「次は青薔薇邸ですか。飽きないですね、アルダンテ様も」

「今月はまだ一度も行ってないわ。お茶会がなかったからね」

 土下座の一件から一か月ほど経った後。

 薔薇庭園の道を歩いていたアルダンテは偶然ネモフィラと遭遇した。

 ネモフィラはいつぞやの復讐だとばかりに食ってかかってきたが、またもやアルダンテに容赦なく詰められて泣かされている。

 それ以来、会う度にふたりは口喧嘩をしていて、それでは物足りないとばかりにネモフィラは月に一回ほど、お茶会を開いてはアルダンテを招待していた。

 もちろん、お互いに仲良くする気などはなく、お茶会とは名ばかりの見下し合いであり、ただの喧嘩である。

「よくもまあ、あんな差別意識の塊の方と交流を持とうと思いますね」

「何度か話してみて分かったのだけれど、あの人、根は面倒見のいい真面目な人なのよね。ただ親の誤った教育のせいで、あんな性根の腐り切ったクズになってしまっただけで。ね、哀れでしょう? 人間ああなったらおしまいね」

 そんな話をしている内に、ふたりは青薔薇邸の前にたどり着いた。

 しかし、ここでも――。

「……ここ、青薔薇邸があった場所よね?」

「そのはずですよ」

 青薔薇邸があったその場所は見事に更地となっていた。

「前にお茶会で来たのが大体三週間前だから、その間に撤去したってことかしら。随分と急ね」

「建物ごと消すなんてもったいないことしますよね。クザン様の指示でしょうか。それとも宰相様の指示でしょうか」

「さあ。あのふたり、大分険悪な仲みたいだし、どっちがやってもおかしくはないと思うけれど」

 順調に見えたアルダンテとフレンの計画だったが、実は宰相の罪を告発することに関しては失敗に終わっている。

 国王に次ぐ国の最高権力者である宰相は、クザンに取り入るために、彼が起こした法に触れるようなあらゆる罪を揉み消し、また強引に人事や行事に介入してクザンが気持ちよく日々を過ごせるように便宜を図っていた。

 ネモフィラの口から宰相の不正疑惑の言質を取ったフレンは、財務大臣の時のように証拠や証人を集めにかかった。

 しかし、宰相は証拠となるようなものはあらかじめ完璧に握り潰していて、証人には金を掴ませたり、権力をチラつかせて硬く口止めをしていたため、告発に至ることができなかったのである。

 これにはフレンもどうしたものかと頭を抱えたが、罪こそ裁けなかったものの、目的だったクザンと宰相の分断は無事うまく行った。

 なぜそうなったのかと言えば――。

「クザン様、お気に入りの白薔薇姫様をネモフィラ様がいじめたと知って、とんでもなく怒っていたらしいですね」

 土下座の一件で、あの場にいた民衆から王宮に苦情が入り、ネモフィラがアルラウネを害そうとしていたことがクザンの耳に入ったのだ。

 それ以来、クザンは青薔薇邸に一度も足を運ばず、ネモフィラの父親であった宰相との仲も悪くなり、次第に疎遠になっていったという。

 そのため、クザンと宰相のどちらが「もう青薔薇邸など必要ない!」と言って、更地にしたのかはまったく見当がつかなかった。

「次会った時はもう二度と口答えできないように、徹底的に言葉で打ち負かしてあげようと思っていたのに」

「残念でしたね。私はいつかふたりが本気で殺し合いを始めるのではないかと気が気ではなかったので、これはこれでよかったなって思ってます」

 青薔薇邸が立っていたであろう場所をしばらく眺めていたアルダンテは、気持ちに整理がついたのか再び歩き始める。

 その背後でセランが「それとこれは独り言なのですが」とつぶやいた。

「クザン様と宰相様が不仲になった途端、最近頻発していた各所での不当な人事の移動や解雇がほとんどなくなったそうですよ。これには被害にあっていた貴族だけでなく、本意ではなく民衆を弾圧させられていた兵士達もとても感謝しているそうです。ふたりの仲を裂いてくれた誰かさんに」

「そう。今まで余程愚かな人事が行われていたのね。あるべき形に戻ってよかったじゃない」

「他人事なんですから、もう」

 早足で隣に並んだセランが、頬を膨らませてジト目でアルダンテを見た。

 それでも素知らぬ顔で前を行くアルダンテに、セランは「分かりましたよ、もう言いません」と諦めたようにつぶやく。

 それからセランは気を取り直したかのように言った。

「白薔薇邸にも行かれますか?」

「いえ、いいわ。どうせ今日もあの子はいないでしょうし……それはそうとセラン」

 立ち止まり問いかけると、セランが首を傾げる。

「はい、なんでしょう」

「貴方、黄薔薇邸と青薔薇邸がこうなっていることを知っていたわね?」

 目を丸くして驚いた後、セランはこくりと頷いた。

「まあ、一応薔薇庭園の情報収集がお仕事なので」

「ふぅん、そう。知っていて私になにも言わなかったの。へえ、そう?」

 ジト目で腕を組むアルダンテに、セランは苦笑する。

「そんな顔をしないでください。別に隠すつもりはなかったんです。アルダンテ様の性格的に、話しても結局ご自分の目で確かめると言うと思ったので」

「よく分かっているじゃない、私のこと。まあいいわ。貴方のことは信用しているから。不問に付してあげます」

「あはは。ありがとうございます」

 そのまましばらく庭園内を歩き回ったアルダンテは、頃合いを見計らっていばら邸に帰った。

 時間的には夕方前だろうか。

 陽が落ち始めた頃、いばら邸に帰ってきたアルダンテが玄関のドアを開けると、侍女が慌ただしい様子で出迎えに来た。

「どうかした?」

「あの、フレン様と一緒に男性のお客様がいらっしゃっていまして」

(あの王子……一応ここは男子禁制ではなかったかしら)

 緊張した侍女の様子を不審に思ったアルダンテは、早足で客間に移動する。

 ドアを開けると部屋の中央のソファにフレンが座っていた。

 そしてその対面のソファには、ふたりの中年に差し掛かろうという年齢の男が横並びに座っている。

(誰……?)

 状況が掴めないアルダンテは眉をひそめながらも、とりあえずフレンの隣に座った。

 ふたりの男は席に着いたアルダンテを睨みつけるようにじっと見ている。

 視線で威圧するかのようなふたりの態度にアルダンテは居心地の悪さを感じた。

「……こちらの方々はどなたでしょうか」

 アルダンテの問いに、フレンは「ああ、そっか」とつぶやく。

「君、会ったことなかったのか。じゃあ紹介するね。こちら、左の方が元財務大臣のヴェヒター・ソーン様。右の方が現宰相のバシウス・アングスト様だよ」

(……は?)

 表面上は平静を保ちながらも、内心ではさすがのアルダンテも動揺した。

 国のトップであり、敵側の主要人物であるふたりが、今目の前に座っている。

(一体どういうことになったらこんな状況を作り出せるのよ)

 フレンを横目で見ながら、アルダンテは視線で圧をかけた。

 さっさとこの状況を説明しろ、と言わんばかりに。

 フレンは苦笑しながら「そうだね」と前置きしてから言った。

「ほら、彼ら最近兄上と仲違いしただろ? だから今度は俺の方につくことにしたんだってさ」

「……あちらがダメなら次はこちらとは、また随分と調子のいい話ね」

 アルダンテの言葉に細身でいかめしい顔をした宰相がピクッと眉を吊り上げる。

「政治のことをなにも分からぬ女風情が余計な口を叩くでないわ。背負うべき覚悟も責任もなく、ただ子を産むことしか能のない女は黙っておれ」

「大層なことをおっしゃっていますけど、それでやっていたことが愚かで子供のような王子の尻ぬぐいばかりとは、背負うべき覚悟や責任が聞いて呆れますわね」

「なんだと?」

「――はいストップ」

 フレンの声に宰相とアルダンテが口をつぐむ。

 ふたりが黙ったのを見ると、フレンはため息をつき宰相に向かって言った。

「バシウス。俺につくというのならまず協力者である彼女に対する態度を改めてくれ。これからは同じ陣営になってクザンと戦う仲間なのだからね」

「それはかなわぬ相談ですな、フレン様。その女は我が娘ネモフィラを大衆の前でコケにした憎んでも憎み切れぬ相手。目の前にいるだけではらわたが煮えくり返る思いだというのに、馴れ合うなど冗談ではない」

 宰相は腕を組み顔を背けると、フンと不機嫌そうに鼻を鳴らした。

(こんな人でなしの親でも、娘のことは大事なのね。我が家の親よりもよっぽどまともじゃない)

 険悪な場の空気にフレンはやれやれと肩をすくめる。

 そんな中、宰相の隣に座っていた肥満体型の男――元財務大臣のヴェヒターが慌てた様子で言った。

「ま、まあまあ皆さん。落ち着きましょう。ほら、お茶でも飲んで。ね? ね?」

 ヴェヒターが宰相にティーカップを差し出す。

 宰相はヴェヒターを睨みつけると、苛立った様子で口を開いた。

「なにが落ち着きましょうだ、国賊のクズめ。クザン様に媚びを売るための多少の裏金は見過ごしてやっていたが、あろうことか民から徴収した税金を懐に収め、王家の宝飾品を売り渡すなど言語道断だ。今回の一件が片付いたら真っ先に貴様を叩き潰してやる。覚悟しておくがいい」

「そ、そんな!? ただの出来心だったんです! 妻も娘も実家に帰ってしまって残ったのは借金だけなんですよ!? もう勘弁してくださいよ!」

 涙目になって宰相にすがりつくヴェヒターを宰相が鬱陶しそうに振り払う。

(娘のマーガレットと違って随分気が弱そうね。悪事を働いてしまったのも本当にただの出来心だったのかも……だとしても、同情の余地はないけれど)

「なんとも先行きが不安な仲間達が集まったものだね。兄上は水面下で戴冠の準備を始めているという噂もあるし、人生とは中々思うようには行かないものだ」

 フレンがため息をついた。

 それを見てアルダンテは、テーブルに置かれたティーカップを口に運びながらつぶやく。

「そう悲観的になることもないわよ」

 その場の全員がアルダンテを怪訝な顔で見た。

 アルダンテはティーカップを一口すすってから目を閉じる。

「私も含めてここにいる全員は、利害が一致しているから手を組んでいる間柄。馴れ合わなくても目的が同じなら協力はできるでしょう。違いますか?」

 その言葉に全員が目を見合わせて無言の肯定を示した。

「――と、話の落としどころとしてはこんなものでよろしいのではないかしら」

 そう言ってアルダンテがティーカップをテーブルに戻す。

 フレンはパン、と手を叩くと、宰相とヴェヒターに向かって言った。

「それじゃあ今日の顔合わせはこれで解散かな。次に集まる時は各自証拠を持ち寄って詳しい話を詰めていこうか」

 頷いた宰相はソファから立ち上がると、アルダンテを見下ろす。

「……フレン様と常に一緒にいるようだが、この一件が終わった後に間違っても婚約者として取り入ろうなどと思い上がるでないぞ。王家に嫁ぎ、王妃となるのは我が娘ネモフィラなのだからな」

「ご心配なさらずとも、その気は一切ありませんので」

 チッと舌打ちをしながら宰相が部屋を出て行った。

 ヴェヒターは宰相の足音が完全に聞こえなくなったのを確認すると、フレン様に身を寄せて囁いた。

「……フレン様が王位を継がれた暁には是非、私をそのお手元で働かせてください。金の管理は得意ですので」

「考えておくよ」

 苦笑するフレンにヴェヒターはニヤリと笑みを浮かべると、先ほどまでの卑屈な態度が嘘のように軽やかに部屋を出て行く。

「なんて図太い神経をしているのかしら。小心者に見せかけていたのは演技だったのね」

「そりゃそうさ。彼が小心者ならもっとバレないようにちまちまと金を使ったはずだ。湯水のように国庫の金を使うなんて、大胆な馬鹿にしかできないよ」

 そう言った後、フレンは少し考えるような素振りをしてから、隣に座っているアルダンテの方に向き直った。

「君になにも相談せずに決めてしまったけど、よかったかなこれで」

「いいも悪いもないわ。それが最善手だと思ったのならそうするべきよ」

「いや、そうじゃなくて……正統な王になろうとしている俺が、あんな不正に手を染めていた官僚達と協力しても怒らないのかい?」

 申し訳なさそうに聞いて来るフレンに、アルダンテは首を傾げる。

「なぜ私が怒らないといけないの? 前も言ったけれど、私にとってはこの国のことなんてどうでもいいの。悪人が支配しようが、善人が統治しようがね」

 扇子を開いてパタパタと仰ぎながら、アルダンテはフレンに告げた。

「私はただ、やられたらやり返すだけ。私に危害を加えた者を徹底的に容赦なく打ちのめす。そのために私はここにいるのよ。後は報酬のためってのもあるけれど。他のことは知ったことではないわ」

 唖然としていたフレンだったが、不意にフッと顔をほころばせて笑う。

「そういえば君はそうだったね。性根はとことんねじ曲がっているのに、絶対に折れない強い意思を持っている……そんなとびっきりの悪女の君に、俺は惹かれたんだってことを今思い出したよ」

「馬鹿にしているのかしら?」

「いいや、褒めてるんだよ」

 ヘラッといつもの軽薄な笑みを浮かべるフレンに、アルダンテも口元を緩めた。

(この笑顔……最初は苦手だったのに、いつの間にか嫌いじゃなくなってる。フレンはただの軽薄なだけの男じゃないと知ったからかしら)

 フレンはソファから立ち上がると「よし」と気合を入れ直す。

「ちょっと遠くまで出かけてくるよ。二週間くらいかな。少し長くなるけど、もしうまくいったらきっと驚くと思うから、楽しみにしててね」

 フレンがなんのことを言っているのか分からなかったが、とりあえずアルダンテは手を振って見送ることにした。

「行ってらっしゃい。大丈夫だとは思うけど、色々と気をつけなさい」

「不吉なことを言うなあ。気をつけてって暗殺とかそういうの?」

「それもあるけど、事故とかよ。万が一があるでしょう」

「それもそうか。うん、気をつけるよ。それじゃまたね、アルダンテ」

 そう言って、フレンは部屋から出て行こうとして――アルダンテに向かって振り返った。

「あのさ――」

 珍しく言いよどむフレンにアルダンテは首を傾げる。

「なに?」

「……この件が終わったら、俺と一緒に旅に出ない?」

(……なにを言っているの、この人)

 眉をひそめるアルダンテに、フレンは返事を聞くのを恐れるように慌てて叫んだ。

「やっぱり忘れて! それじゃ!」

 バタンと勢いよくドアを閉めて、フレンが走り去っていく。

「……なんだったのかしら」

(冗談? それにしてはいつになく取り乱していたけれど)

「今更王位がいらないなんて言ったら、今までやってきたことはなんだったのよ。冗談も休み休みにしてほしいわ」

 ひとりになったアルダンテは、ソファに横になり目を閉じる。

「……そういえば、最近こうしてゆっくり休む暇もなかったわね」

 エクリュール家を追い出されてから、今日に至るまで、時間はあっても心が休まる時はほとんどなかった。

 今やクザンがアルダンテに付けた監視役である侍女や執事はほとんどが排除され、フレンの手の者が身の回りの世話をしているが、それが可能になったのもつい一か月ほど前のことである。

(少し眠りましょう。今すぐに事態が急転するわけでもあるまいし。ちょっとくらいいいわよね……)

 そんなことを考えている内に、アルダンテはいつしか眠りに落ちた。


「―――ンテ! アルダンテ!」

 頭上から降ってくるフレンの大声に寝ぼけ眼を開く。

 目元を擦りながらソファから身を起こすと、焦った顔のフレンがすぐ傍に立っていた。

「フレン……? 遠出したのではなかったの?」

「途中でセランから知らせを聞いて戻ってきたんだ。いいかい、落ち着いて聞いてくれ」

 フレンの口から出た次の言葉に、アルダンテは一気に眠気が覚める。

「宰相とヴェヒターの乗っていた馬車が事故を起こして横転した。ふたりは重傷を負って王宮の医師が今必死で治療に当たっている」

「事故、ですって?」

 フレンとの別れ際、アルダンテは冗談も含めて事故と言った。

 だがこのタイミングでの事故は、明らかに作為的なものを感じずにはいられない。

(無職のヴェヒターはともかくとして、現宰相であるバシウスに手を出すなんて、ただの小者の仕業とは思えない。誰がこんなことを――)

 その時、客間のドアが静かに開いた。

 アルダンテとフレンが振り向くと、そこに立っていたのは――

「……お父様」

 長い白髪を後ろで結わえた長身の男――アルダンテの父、マクシムスだった。

 そしてその背後にはアルラウネが、表向きの顔ではなく本性を表した意地の悪い笑みを浮かべて立っている。

「なぜふたりがここに……?」

 困惑しながら問うアルダンテに、マクシムスは首を横に振る。

「――お前には失望したよ、アルダンテ」

「……は?」

 呆然とするアルダンテに、マクシムスはため息をついた。

「ここにお前を送り出したのは、家にいても問題ばかり起こすお前がクザン様の鬱憤を晴らす玩具として、せめて少しでも我が家の役に立つと思ったからだ。ところがなんだね、この有様は」

 マクシムスがフレンに視線を向け、再び首を横に振る。

「あろうことかお前はクザン様に気に入られるどころか、血筋の卑賎な第二王子と共謀して王位のさんだつを企てている。エクリュール家の恥さらしめ。死んで詫びてくれないかね?」

(ふ――ざけるんじゃないわよ! 誰のせいで、この……っ!)

 頭に血が上り叫びかけたアルダンテは、拳を思い切り血がにじむほどに握り締めることで、かろうじて自制した。

 明らかにマクシムスは自分を怒らせようとしてわざと挑発的な言葉を使っている。

 そうやってマクシムスが対面の相手から情報を引き出すやり方を、アルダンテは昔から見てきた。

(落ち着くのよ。余計なことを話せばお父様の思う壺だわ)

 アルダンテが黙り込むと、マクシムスはすぐさまフレンに向き直って会釈をする。

「お初にお目にかかる。マクシムス・エクリュールと申します」

「……どうも。散々馬鹿にされた後に普通に挨拶されると、なんだか対応に困るね」

 マクシムスは顔を上げると、フレンに冷たいまなしを向けて言った。

「愚かなことをしましたな。欲を出さずに今まで通りに適当に生きていれば、出るくいを打たれることもなかった」

「気が早いね。まだ打たれると決まったわけではないよ」

「私が打つ、と言っているのだよ。エクリュール家の当主である、この私が」

 その言葉にフレンが眉をひそめる。

「エクリュール家がどうしたんだい? 悪いが貴方の家の名はふたりの娘が薔薇姫になっているということで初めて知ったんだ。でも今の話しぶりだと、貴方にはただの伯爵家の当主以上のなにかが、あると言っているように聞こえるけれど」

 アルラウネが「あはっ」と笑い声をあげた。

「本当になにも知らないのね。お父様は全部知っているのよ。貴方達がどんなことをしていて、どんな人間を使っていて、どんなことを企んでいるのかをね。例えば――」

 口元を手で押さえて笑いをこらえながら、アルラウネはフレンを馬鹿にするように囁く。

「――貴方達の協力者が今どんな馬車に乗っていて、誰を御者にしていて、どんな道を通るかもお見通しなのよ? だったら簡単よねえ? 馬車やその道に細工をすることくらい」

「なっ……!?

 フレンが目を見開いて驚きを露にした。

(……そういうこと。だから家にはあんなに――)

 マクシムスは目を閉じて天を仰ぐ。

「エクリュール家は代々王家に仕え、王宮の諜報と謀略を一手に担ってきたいわばカーディス王国の暗部。今代の王は清廉故に私を重用することはなかったが、クザン様は違った。少々頼ってくるのが遅くはあったがね」

 目を開いたマクシムスがフレンを見て口を開いた。

「あの方が王になれば、アルラウネは王妃となる。そうなれば長年影に甘んじてきた我が家の名もついに表舞台に知れ渡ろう」

「……地位や名誉が目的、というわけかな?」

 フレンの言葉にマクシムスは「いいや」と即答する。

「そんなものはどうでもいい。私はね、見せてやりたいだけなのだよ」

 マクシムスは顔を両手で覆うと、口端を吊り上げて邪悪な笑みを浮かべた。

「今まで散々汚れ仕事を押しつけておきながら! 代が変わった途端に用済みだ、などとふざけたことを言う今の国王に! 自分が日陰に追いやった者のせいで、国が崩壊していく無残な様をね! はははは!」

 狂ったように笑うマクシムスを見て、フレンは言葉を失う。

 ひとしきり笑った後、マクシムスはピタリと真顔に戻って口を開いた。

「フレン王子。今手を引くのであれば、命だけは助けて差し上げよう。アルダンテ、お前もだ」

 アルダンテに向き直ったマクシムスは、目を糸にして穏やかに微笑む。

「家にいる時は気がつかなかったが、どうやらお前には私と同じように人間の感情を意のままに掻き乱し、行動を誘導する能力があるようだ」

(否定はしないわ。実際に私は今まで、マクシムスの話術を真似て薔薇姫達がボロを出すように言葉巧みに誘導してきた。それがたとえ憎い親の特技だったとしても、有効に使えるものは使っていくのが私のやり方だから)

「私の元に帰ってくるのであれば、今までのことは水に流そう。〝いばら姫〟などと呼ばれて馬鹿にされているお前では、ここにいてもこれ以上クザン様に好かれることもあるまい。どうだ、考え直す気はあるかね?」

「お断りよ」

 考えるまでもなく、アルダンテは即座にそう答えた。

「お父様の目的が利害を無視した王家への復讐であるように、私の目的もそういったことはどうでもいいのよ。私はね――」

 アルダンテは笑顔で左手を広げると、親指から一本ずつ指を倒していく。

「マクシムス、アルラウネ、クザン、それとバーバラにロディ。私に害を与えたこの五人をどうしても地に這いつくばらせたいの。私が味わった以上の屈辱を味わわせてあげたいのよ。だから和解なんて、絶対にありえません」

 五本の指を倒し切ったアルダンテの顔は、口端を吊り上げた完全に悪女の笑みとなっていた。

「――潰しあいましょう? どちらかが破滅するまで。容赦なく。徹底的に」

 マクシムスはしばらく無言でアルダンテを睨みつけていたが、フンと鼻を鳴らすとその場に背を向けた。

「一生後悔するがいい。育ての親である私を敵に回したことをな」

「そちらこそ後悔するがいいわ。私を〝いばら姫〟と呼んだことをね」

 マクシムスが部屋から出て行くと、その場に残っていたアルラウネが「あーあ」と声を上げた。

「馬鹿なお姉様。助かる最後のチャンスだったのに」

「助かろうだなんて最初から思っていないわ。言ったでしょう。どちらかが破滅するまで潰し合うって。貴女達家族をめちゃくちゃにできるなら、私は悪魔にでも魂を売り渡すし、どんな非道だって喜んでやってやるわ」

「イカれてるわね。家を追い出されてから本当に見たまんまの悪女になってしまったのかしら。可哀想に」

 眉根を寄せてわざとらしく悲し気な表情を作りながら、アルラウネは部屋の出口に向かっていく。

「――ああ、そうそう。もうほとんど詰んでる貴方達ふたりにサービスでいいことを教えてあげる」

 スカートをくるりと翻して振り返ったアルラウネが、ニタァと悪意のある笑みを浮かべて言った。

「今から二週間後に王宮でクザン様の戴冠式をするの。それと同時に私との結婚式も行う予定よ」

 アルラウネがゆっくりとアルダンテに歩み寄る。

「私がなぜクザン様の奴隷になるはずだったお姉様を助けたか不思議に思っていたでしょう? それはね――」

 近づいてくるアルラウネにアルダンテが怪訝な顔をした。

 そんなアルダンテの耳元でアルラウネが囁く。

「――結婚式の舞台で王妃となった私に敗北し、惨めに這いつくばるお姉様の姿をこの目で見届けるためよ」

「……なにを言っているの、貴女は」

「お姉様って潰されても動く虫みたいにしぶといでしょう? 三年間、お母様と一緒にどれだけいじめても平気な顔をしていたんだもの。たとえクザン様に奴隷のように扱き使われても全然こたえなかったと思うのよね。でも――」

 クスクスと人を小馬鹿にするような含み笑いを零しながらアルラウネは口を開いた。

「――同じ婚約者候補っていう立場にした上で、私に立ち向かってくるお姉様に、どうあっても勝てないという事実を徹底的に分からせてあげたら……きっと見たこともないくらいに悔しい顔を見せてくれるんじゃないかって思ったの。ね、自尊心が高いお姉様には一番効果がありそうな手でしょう?」

「……理解できないわ。そんなことのためにわざわざ嫌っていた私を助けるなんて。一体貴女になんの得があるのよ」

 眉をひそめて問うアルダンテに、アルラウネは一転して真顔になる。

「私は生まれた時からなんでも自分の望みは叶えてきたわ。欲しいものはなんでも手に入れて、気に食わない人間はどんな手を使ってでも叩き潰してきた。でもたったひとつだけ、思い通りにならなかったことがあるの」

 アルラウネはアルダンテに背を向けると、今度は振り返ることなくドアに向かって行った。

「それは生まれた時からずっと傍にいて、散々いじめてきたムカつく姉の心を折れなかったことよ。それだけが唯一の心残りだったの。でもそれもあと二週間の辛抱よ。ああ、今からその時が待ち遠しいわ!」

 黙って聞いていたフレンが、理解できないと言わんばかりに険しい表情になる。

「歪んでいるよ君。あの親にしてこの子ありだね」

 アルラウネはフレンの言葉を無視してドアの取っ手に手を掛けると、顔だけ振り向いて言った。

「お姉様も私との因縁に決着をつけたいのでしょう? だったら結婚式には絶対来てね。負け犬のフレン様も是非ご一緒にどうぞ。それじゃあ、またね」



 アルラウネが満足そうな表情を浮かべて部屋から出て行く。

 室内が静かになるとフレンは肩を落とし、おもむろにソファに深く腰掛けた。

「とんでもないことを考えたものだ。父上がまだご存命なのに戴冠式をするだなんて。そんな暴挙、許されると思っているのか?」

 取り乱しこそしていないものの予想外の出来事に相当疲弊したのか、フレンは疲れ切った様子でつぶやく。

「しかも二週間後だなんて……あまりにも時間がなさすぎる。一体どうしたら――」

「――上等じゃない」

 不意にアルダンテがパン! と扇子を広げた。

(後悔させてあげるわ、お父様。私を利用するためにここに送り込んだことを)

「今まで隠れていた黒幕を表舞台に引きずり出したのよ? むしろ好都合だわ。これで誰を敵にすればいいかハッキリした。後は分からせるだけよ」

(後悔させてあげるわ、アルラウネ。調子に乗って私を助けた上に、絶好の復讐の機会を与えてしまったことを)

 片方の手を腰に当てて扇子を優雅に仰ぎながら、アルダンテは笑った。

 その表情を見て、フレンは「うわあ」と嬉しそうに声をあげる。

「その顔を見るために君と手を組んだのを今思い出したよ。そうだね。ここまで来たらもう後戻りなんてできない。やれるだけやるしかないか」

 ヘラッと笑うフレンに、アルダンテは頷いて答えた。

「味わわせてあげるのよ。自分達が地に頭をつけるなんて少しも考えていない、思い上がった愚かな方々の口に――土下座をして食らう敗北という名の土の味をね」