第三章 とってもお似合いよ?
ギシ、とベッドが
続いてサラサラとした
(ここは、どこ……?)
聞こえてきた音と背中に感じた感触で、アルダンテは自分がベッドの上に仰向けに寝かされていることが分かった。
(私、睡眠薬で眠らされて……いけない、目を覚まさなくては)
曖昧な意識の中、薄っすらと
ぼんやりとした視界に映るのは、シャツをはだけた男の姿だった。
「誰……?」
くすんだ茶髪に鶯色の瞳。
自分に覆いかぶさっている男のその容貌に、アルダンテは見覚えがあった。
(この男は……クザン……!?)
なにをされているのか分からず、困惑するアルダンテを見てクザンがニヤリと笑う。
クザンは未だ意識が覚束ないアルダンテの胸元に手を伸ばすと、おもむろにブラウスのボタンを外そうとした。
そこでようやくアルダンテは自分が今、目の前の男に襲われているのだと気がつき、寝ぼけていた意識を叩き起こす。
「――それ以上私に触れようとしたら舌を噛んで死にます」
アルダンテの口から発せられた冷たい声に、クザンの手がピタリと止まった。
「なんだ、起きたのか。もう少し眠っていれば私の女にしてやったものを」
フン、と面白くなさそうに鼻を鳴らすクザンを、アルダンテは睨みつける。
「眠らせている間に女を襲うなんて、随分と卑劣な真似をなさるのね? 恥を知りなさい」
その言葉にクザンは一瞬眉を吊り上げて怒りを露にしかけたが、すぐに余裕を取り戻した。
「いくら強がろうがこの薔薇庭園に来た時点でお前は私の所有物だ。見よ、私に組み敷かれた今の状況を」
クザンがアルダンテの顎を掴んで顔を近づける。
嗜虐的な笑みを浮かべたその顔は醜く歪んでいた。
「お前など私が望めば好きな時にいつでも抱けるのだ。情婦も同然よ! ふははっ!」
「っ!」
クザンの手によってベッドに突き飛ばされたアルダンテが苦痛に顔を歪める。
このまま襲われるかと思い、抵抗するために拳を握り締めたアルダンテだったが――。
「――クザン様」
コンコンという控えめなノックの音に遅れて、使用人の声が部屋に響いてきた。
「財務大臣のヴェヒター様から取り急ぎお話したいことがあるとのことですが」
「……チッ。いいところで邪魔をしおって」
身を起こしたクザンは、不愉快そうに舌打ちをするとアルダンテに背を向けてベッドから立ち上がった。
そのまま部屋を出て行こうとするクザンを見て、アルダンテは警戒しつつ未だ力の入らない震える指で緩んだ服の襟を正す。
「――感謝するのだな」
クザンがドアに手をかけた状態でアルダンテを振り返った。
不機嫌な表情をしたクザンは、ベッドにいるアルダンテを指さして口を開く。
「お前が白薔薇の姉だったことを。本来は奴隷として扱われるはずだったお前を私の婚約者候補にしてやったのも、すべて心優しいアルラウネが泣きながら姉を許してくれと歎願した結果だ」
(アルラウネが私を助けた……?)
薔薇庭園に行くためにエクリュール邸を出て行く時、アルラウネは憎しみを込めた目でアルダンテを睨んでいた。
そんな目をした人間が、善意でアルダンテを救うはずがない。
(……あり得ない。絶対になにかを企んでいるに決まっているわ。それに――)
「私を婚約者候補にした意味が分かりません。私は貴方のことが嫌いですし、貴方も私のことがお嫌いでしょう?」
アルダンテの問いに、クザンはニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
「お前が
バタン、とドアを閉めてクザンが部屋から出て行った。
「……なんて悪趣味な男。最低な気分だわ」
服を脱がされそうになった時のことを思い出すと背筋が悪寒でぶるりと震える。
そこで薬が抜けたのかようやく身体が満足に動くようになったことに気がついたアルダンテは、ベッドから立ち上がった。
(寝る前と同じ屋敷かしら。客間から部屋を移動しただけ……だと思うけど。さすがに外に出たら私も起きるでしょうし)
部屋を見渡せばそこは寝室だった。
窓の外から漏れてくる日差しは、まだ昼過ぎの暖かなものである。
(とりあえずは難を逃れたけれど、あの男……クザンは必ずまた私を襲いに来るでしょうね)
「その前に自分がすべきことをやってここから脱出しないと」
丁度いいことに、アルダンテが今いる屋敷の目の前は黄薔薇姫マーガレット・ソーンが住まう黄薔薇邸だった。
(さて、どうやってあの娘に私の恐ろしさを分からせてあげようかしら)
夜会で会った時、アルダンテはマーガレットとは初対面だったにも関わらず一方的に敵意を向けられている。
その状態から仲を深めて親の弱みを引き出すなどはっきり言って至難の業だった。
だがアルダンテは最初からマーガレットと友人になろうなどとは考えていない。
むしろその逆だった。
「夜会での借りは返させてもらうわよ。散々人前で馬鹿にしてくれたお礼をね」
まずは受けた屈辱をやり返す。
その上でクザンの弱みも手に入れる。
それがフレンに任せろといったアルダンテのやり方だった。
「――いばら姫様。いらっしゃいますか」
ドアの外から侍女らしき女の声がする。
衣服を整えてからアルダンテはドアを開いた。
ドアの前に立っていたのは、睡眠薬を盛った侍女である。
彼女はアルダンテを見ると一瞬、薄っすらと蔑むように笑った。
「黄薔薇邸から迎えの侍女が来ておりますが、いかがなさいますか」
(まるで図ったかのようなタイミングね。ここに私がいることはもう知られているみたい。でも、こちらとしても好都合だわ)
「今行くわ。それと――」
アルダンテは目を細めると低い声で威圧するように言った。
「その名前で私のことを呼んだ人間は、すべて〝敵〟とみなしているのだけれど――貴女はその覚悟があるのかしら?」
侍女の首筋を手で掴む。
このまま首を絞められるとでも思ったのか、侍女は怯えた表情で恐る恐る口を開いた。
「そ、それは……存じ上げておりませんでした……」
「そう。では今後気をつけてね」
首筋から手を離し、微笑みながら侍女とすれ違う。
背後で侍女が尻もちをつく音がしたが、アルダンテは気にも留めずそのまま廊下を歩いて行った。
「……私も甘いわね。二度と薄ら笑いができないように、痛い目に遭わせてあげればよかったかしら」
客間に入ると、そこには黄薔薇邸の侍女と思われる金髪の娘が立っていた。
(まあいいわ。メインディッシュはこれからだものね)
「――黄薔薇姫様がお屋敷でお待ちです。どうぞこちらへ」
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一目見た時から察していたことではあった。
だが黄薔薇邸の中に入ったアルダンテは、改めて自分の認識が正しかったことを確信した。
(夜会で着ていたドレスや身に着けていた宝飾品を見た時からそうではないかと思っていたけれど)
屋敷の玄関から廊下の床は大理石。
壁にはずらりと絵画が並び、額縁はすべて金で作られていた。
棚の上には一目で高価と分かる壺が置かれている。
(黄薔薇姫というより成金姫ね、これは)
財務大臣の娘であるマーガレットは、金に物を言わせて常日頃から衣服や宝飾品で過剰なほどに豪奢に自分を飾り立てていた。
そのまばゆく煌びやかな姿から彼女は社交界で黄金の薔薇姫と呼ばれるようになり、それが黄薔薇姫の由来となっている。
「こちらです」
廊下を歩いていた侍女がドアの前で立ち止まった。
絵画や壺を観察していたアルダンテは、少し遅れて侍女の後ろに追いつく。
侍女はドアをノックしてから部屋に向かって声を掛けた。
「黄薔薇姫様。アルダンテ様がお越しになられました」
そのまま少し待っていたが返事はない。
侍女は慌てた様子でもう一度声を掛けようとしたが――。
「――あーん、もう! なんでそこで大きい数字が来るのよ! 馬鹿!」
それを遮るように、部屋の中からマーガレットと思しき甲高い声が聞こえてきた。
「いるみたいだけど」
呆れた様子でアルダンテが声を掛けると、侍女は眉根を寄せて困った表情になる。
「おそらく賭け事をしているのかと……あの、黄薔薇姫様。アルダンテ様が――」
「うるさいわね! 今いいところなのよ! アルダンテだかなんだか知らないけど、そこらで適当に待たせておきなさい!」
どうしていいか分からずにきょろきょろと目を泳がせる侍女。
(人を呼んでおきながらこの仕打ち……まったくふざけた娘ね)
「
「えっ、あの!?」
制止しようとする侍女を押しのけて、アルダンテはドアを開けた。
居間と思しきそこは見渡せるほどに広く、そしてやはりというべきかそこかしこに壺や絵画といった、いかにも高価な調度品が置かれていた。
部屋の中央にはテーブルが置かれていて、その周囲を囲うように四人のドレスを纏った令嬢が椅子に座っている。
彼女達は突然部屋に入ってきたアルダンテを気にも留めずに、テーブルの上に置かれたなにかに熱中しているようだった。
怪訝に思ってアルダンテがテーブルの方に近づいて行くと、黄色のドレスを着た令嬢――マーガレットが突然両手を上げて悲鳴をあげた。
「今度は下!? なんなのよ、もう! ついてないにもほどがあるわ!」
「うふふ! 今日は私のひとり勝ちですわね、マーガレット様! これで新作のドレスが買い放題ですわ」
「残念! 今日はツキに見放されているようですわね、マーガレット様!」
テーブルを見ると、そこにはトランプのカードが置かれていた。
その周りには大量の金貨が積まれている。
「次は絶対勝つんだから! 明日またやりましょう! ね!?」
「いいですわよ。でも大丈夫ですの? 今月はもう大分負けが込んでいるのでは」
「私を誰だと思っているわけ? 財務大臣の娘よ! お金なんてお父様にお願いすればいくらでももらえるんだから!」
「きゃー! さすが黄薔薇姫様! 私達もあやかりたいですわあ」
(まさか本当に賭け事をやっているなんてね。まったくいいご身分だこと)
呆れた顔でアルダンテが様子を見ていると、背後の存在に気がついたマーガレットが、椅子に座ったまま振り返った。
その顔にはニヤニヤと人を小馬鹿にするような笑みが張りついている。
「クザン様は優しく抱いてくれた? ああ、待って。その欲求不満そうな顔を見たらすぐ分かるわ。お手つきすらしてもらえなかったのでしょう? 残念だったわねえ?」
(……馬鹿? なにを言ってるのこの娘は。まさか私が望んでクザンの婚約者になりに来たとでも思っているの?)
まるで見当違いの邪推をしてくるマーガレットに、アルダンテは
そんなアルダンテの反応を見て、痛いところを突いたとでも勘違いしたのか、彼女は口に手を当てて「あはっ!」と
「夜会であれだけクザン様に嫌われたアンタがどんな手を使って薔薇庭園に入り込んだかは知らないけど、ざまあないわね! 所詮アンタは〝いばら姫〟。白馬の王子様に相手にされるわけがないのよ! ほら、これを見なさい!」
マーガレットが左手をかざす。
彼女の薬指には大きな琥珀色の宝石がはめ込まれた指輪がはまっていた。
「これがなにか分かる? クザン様から頂いた婚約指輪よ! 王家ゆかりの方しか取引が許されていない一等級の宝石がつけられた超高級品! アンタには決して手が届かない物よ!」
窓から差し込んだ光を受けて、指輪の宝石が鈍く光る。
(あら……? これって――)
指輪を見ていぶかしむように目を細めるアルダンテに、マーガレットは勝ち誇ったかのように言った。
「これがクザン様に愛された私と、有象無象の女のひとりのアンタとの絶望的なまでの格差ってわけ! アンタがつけてるいかにも安っぽい指輪と見比べて、どう? 落ち込んじゃった? ご愁傷様ね! おーっほっほっほっ!」
椅子から立ち上がって高笑いするマーガレット。
そんな彼女をアルダンテは冷めた目で見ながら口を開いた。
「……勝手に盛り上がっているところ悪いけれど、そろそろ私をここに呼び出した理由を聞かせてくれないかしら?」
ひとしきり笑った後、マーガレットは「ふぅ」と一息つく。
そして顎をしゃくりながら偉そうにアルダンテを見ると、やれやれと呆れたように肩をすくめた。
「まったく貧乏人はせっかちね。嫌だわ、育ちが悪いって。ねえ皆さん?」
マーガレットに話を振られた周りの令嬢達がくすくすと馬鹿にしたように笑う。
「用がないなら失礼させていただくわ」
立ち去ろうと背中を向けるアルダンテに、マーガレットは言った。
「――私と組みなさい、アルダンテ」
眉をひそめて振り返る。
マーガレットは腕を組み、自信に満ち溢れた顔でアルダンテを見ていた。
まるで断られることなど想定していないと言わんばかりの表情で。
「認めるのは癪だけれど、はっきり言って今一番王妃に近いのはアンタの妹のアルラウネよ。実際、クザン様は薔薇庭園に来るとまず真っ先に白薔薇邸に行かれるもの」
「妹の弱みでも教えろと?」
マーガレットが頷き、アルダンテに向かって指をさす。
「話が早いじゃない。もうアンタはクザン様の伴侶になることはないんだから、私が王妃になるために協力しなさい。いいわね?」
(なにもよくないわよ。どれだけ甘やかされて育てられたらこんな傲慢で自己中心的な人格ができあがるのかしら。親の顔が見てみたいわ)
鼻白むアルダンテにマーガレットはなにを勘違いしたのか、呆れたような顔をして「この守銭奴が」とつぶやいた。
「はいはい、分かったわよ。もし協力するのなら、ここを出てもしばらく暮らしていけるぐらいの金品を恵んであげる。ろくなドレスひとつ持っていないアンタみたいな貧乏貴族の女にとっては、悪い話ではないでしょう?」
アルダンテの着ている私服を見て、マーガレットが口端を歪めて笑う。
どこまでも人を馬鹿にしたその態度に、アルダンテは思わず口元を手で覆った。
「――ああ、もう」
(そろそろ我慢の限界。だってこんなに偉そうな態度を取っておきながらこの娘――ふふっ)
「……ちょっと。アンタなに笑ってんのよ」
マーガレットが眉をひそめて不機嫌な表情になる。
手のひらで隠れたアルダンテの口元は、ニヤニヤと悪意の満ちた笑みを浮かべていた。
「頭のおかしい人と組む気はないわよ」
「ああ、ごめんなさい。だって――あまりにも貴女が滑稽だったものだから、つい我慢ができなくて」
「誰が滑稽ですって!? 見下してんじゃないわよ! 負け犬のくせに!」
マーガレットは怒りに顔を歪めながら、すぐ傍にあった、先ほど賭け事をしていたテーブルを手のひらでバン! と叩く。
「きゃっ!?」
座っていた令嬢達が悲鳴をあげるが、マーガレットは気にもせずにアルダンテを睨みつけていた。
そんな彼女に対してアルダンテは、薄っすらと笑いを浮かべながら口を開く。
「確か協力した見返りは金品でくれるのだったわね?」
「はあ? なによ、結局金目当てなんじゃない。貧乏根性丸出しね。それで? なにが欲しいのよ。金貨? 宝石?」
マーガレットが再び勝ち誇ったかのように見下してきた。
対してアルダンテは、頬に手を当てて困ったように首を傾げる。
「ああ、でもどうしようかしら。教えたところで、ねえ?」
「なによ! さっきから態度がデカいわよアンタ! 思わせぶりなことを言って、本当は白薔薇の弱みを持ってないんじゃ――」
「だって――貴女ってそんなにお金を持っていそうに見えないじゃない?」
アルダンテのその言葉に、マーガレットは固まった。
「は……はあ!? アンタの目は腐ってんの!? この私のどこを見てそんなことを言ってるのよ! 財務大臣の娘よ私は!」
マーガレットは両手を広げると、今までにないほどに必死な形相で叫ぶ。
「ドレスも! 首飾りも! 指輪も! この屋敷に置いてあるすべての物が! アンタみたいな貧乏貴族の女じゃ一生かかっても手にできないくらいの最上級品よ!」
「そうなの? でも不思議ね。だったらどうして、ここにあるのは偽物ばかりなのかしら」
「……は?」
目を大きく見開いたまま、マーガレットが固まった。
「廊下を歩いている途中、ずっと気になっていたのよね。飾ってある絵画。あれは名画を模写しただけの安物よ? 置いてある壺も本物に似せて作られただけの
「嘘を言わないで! なんでアンタにそんなことが分かるのよ! あれは本物よ! だってこの屋敷の物は全部、クザン様が用意してくれたものなのよ!? ねえ、みんなもこの女になにか言ってやって――」
マーガレットがテーブルにいる令嬢達に顔を向ける。
すると令嬢達は明らかに慌てた様子でマーガレットから視線をそらした。
それを見た彼女は呆然とした表情でつぶやく。
「え……? 本当に、偽物なの……?」
「そ、そんなわけないですわ! 本物ですわよ、きっと!」
「え、ええ! そうですわ! まさかクザン様が愛するマーガレット様に偽物を贈るだなんてそんな……ねえ!?」
令嬢達のその反応からアルダンテはすぐに察した。
彼女達は屋敷の物が偽物だと知っていたのに、あえてマーガレットに教えていなかったのだと。
(そういえば先ほどは賭け事でマーガレットをカモにしていたわね。まったく立派なご友人をお持ちだこと)
友人達の反応を見て
「こ、これを見なさいよ!」
マーガレットが左手の甲をアルダンテの顔に近づける。
「教養のないアンタは知らないかもしれないけど、一等級の宝石には王家の刻印が入ってるのよ! ほら!」
薬指にはまった指輪の琥珀色の宝石には、王家の刻印が刻んであった。
「屋敷の物はなにかの手違いで偽物だったのかもしれないけれど、この印が入っている物は間違いなく本物よ! ああ、そうだわ。以前にクザン様からもらったこの首飾りにも、同じ一等級の宝石が――」
しかしそれを見たアルダンテは――。
「――くふっ」
ついに堪えきれなくなって噴き出した。
「だからなにがおかしいのよお!?」
半ば半狂乱になりながら涙目で絶叫するマーガレットを前に、アルダンテは自らの懐に手を伸ばした。
そしてそこに忍ばせていた扇子を取り出してパン! と勢いよく開く。
大きな音にマーガレットがビクッと、身体を震わせた。
「おかしいったらないわよ。ほら、貸してごらんなさい」
「あっ!? なにすんのよ泥棒!」
アルダンテがマーガレットの手から指輪を取り上げる。
慌てて取り返そうと伸ばしてくるマーガレットの手を避けながら、アルダンテは窓から差してくる陽の光に指輪をかざした。
「本物の一等級の宝石はね。陽の光にかざすと、王家の刻印――つまり国の紋章が影になって浮かび上がるのよ」
琥珀色の宝石は陽の光を浴びると鈍く光るだけで、なんの影も落とさない。
「こんな風にね」
次にアルダンテは自分の右手の薬指につけた赤い宝石のついた指輪を光にかざした。すると――。
「嘘よ……なんで私が偽物しか持っていないのに……アンタなんかが……アンタなんかが本物を持っているのよ……!」
マーガレットが地面に膝をつく。
彼女は床に浮かび上がった刻印を、両手の爪でギリギリと掻きむしった。
そこにその影が存在していることを、決して許さないとばかりに。
「――ねえ」
居ても立っても居られず、アルダンテは身をかがめてマーガレットと視線を合わせた。
「そんなに落ち込まないで。さあ、立って。貴女は王国一美しい薔薇のお姫様でしょう?」
「な、慰めなんていらないわよ馬鹿……」
優しく微笑みながらアルダンテがマーガレットに手を差し伸べる。
「……私、アンタのことを誤解していたわ」
マーガレットが恐る恐る、アルダンテの手を取ろうと左手を伸ばしてきた。
「アンタって本当は悪女なんかじゃなくて、とても優しい――」
「――この偽物の宝石を使った指輪」
その手を掴み、アルダンテはマーガレットの薬指に琥珀色の指輪をゆっくりと通していく。
「丁度色も濁った汚い黄色だし、黄薔薇姫の貴女にぴったりじゃない。クザン様も粋な計らいをするわね。二等級以下のクズ石を使っているのも、二流以下の貴女にはとってもお似合いよ?」
「あ、あ……」
絶望した顔で自分の指にするすると通っていく指輪を凝視するマーガレット。
そんなマーガレットを満足気に見た後、アルダンテは彼女の耳元に顔を近づけて囁いた。
「――ほらね。とっても惨めなお姫様の出来上がり」
その言葉がトドメとなって、完全にマーガレットの心は砕け散った。
「嘘よ! こんなの嘘よおおお! うわあああ!」
首飾りを放り投げ、床に突っ伏して泣き出すマーガレットを見て、アルダンテは立ち上がる。
「身のほどを思い知ったかしら? やられたら倍にしてやり返すのが私の流儀よ。努々覚えておきなさい」
優雅に扇子を仰ぎながら、足元にひれ伏すマーガレットに言い放つ。
マーガレットは最早聞いているのかいないのか、ずっと床を叩きながら泣き喚いていた。
「マーガレット様!」
友人の哀れな姿を見かねたのか、令嬢達が椅子から立ち上がってマーガレットに駆け寄る。
彼女達は身をかがめてマーガレットの身体を支えるようにしながら口々に言った。
「大丈夫ですわよ、マーガレット様! 調度品ならお父様に本物を買ってもらえばいいではないですか!」
「そうですわ! マーガレット様も言っていたではありませんか! お金なんて税金を増やせばいくらでも領民から徴収できるって!」
「それに他の薔薇姫様がクザン様からもらっていた一等級の宝石つきの宝飾品も、実は偽物なのではないですか?」
「そうよね、王族の人だってひとり一個しか持っていないような代々王家に伝わる宝飾品だもの、きっと偽物に違いないわ!」
(聞くに堪えないわね)
うんざりしたアルダンテは彼女達をその場に残して部屋を出た。
部屋のドアの前には、アルダンテをここまで案内した金髪の侍女が笑顔で待っていた。
「しばらくは出てこないと思うわよ」
侍女に声を掛けてから廊下を歩き、玄関から外に出る。
風になびく髪を押さえながら、アルダンテは次の行き先を思案した。
(フレン様はクザンの私用の屋敷もあるようなことを言っていたけれど、どこにあるのかしら)
「マーガレットに聞いておけばよかったわね」
「――それは無理だと思いますよ。あれだけコテンパンにしちゃった後じゃね」
突然背後から掛けられた高い声に振り向く。
するとそこには先ほど別れたばかりの金髪の侍女が立っていた。
「……まだついてきていたの?」
侍女の妙に馴れ馴れしい言葉遣いを不審に思いながらもそう尋ねると、彼女はアルダンテの傍まで歩いてくる。
そして目の前で立ち止まると背中で両手を組み、上目遣いでアルダンテを見上げながら言った。
「へえ。あに様の思い人ってこういう感じの人なんですね。確かに今までにいなかったタイプ」
しげしげと観察するように自分を見てくる侍女に、アルダンテは眉をひそめる。
(誰……? あに様ということは、誰かの妹かしら。でも侍女をやっているような子に心当たりなんて――あっ)
「もしかして貴女、フレン様の――」
「しーっ」
言いかけたアルダンテの口に、侍女が人さし指を押しつける。
「……それは内緒なんだから言っちゃダメですよ?」
予想が当たったアルダンテは侍女の注意を聞いて口を閉じた。
(薔薇庭園に潜入している部下がいると言っていたけど、この娘がそうみたいね)
黙ったまま頷くアルダンテに、侍女は「いい子ですね」と言って柔らかい笑みを浮かべると、スカートの裾をつまみ会釈をする。
「僕……じゃなかった。私、セランって言います。これからアルダンテ様が滞在されるお屋敷までご案内いたしますね」
セランがパチリとウインクした。
先ほどまでの緊迫した雰囲気とは真逆の軽い雰囲気に、アルダンテは気が抜けてため息をつく。
(フレン様に少し似ているわね。もしかして妹君なのかしら。だとすれば王女様……? でもそんな方がいるなんてお話は聞いたことがないけれど)
「どうしたんですか? 先に行っちゃいますよ?」
「いえ、なんでもないわ。案内よろしくね、セラン」
セランの背中を追うように、舗装された道を歩く。
(フレン様の部下で先ほどの私とマーガレットとのやり取りをすべて部屋の外で聞いていたということは、最後に取り巻きが言っていた財務大臣とクザンの不正の告白も耳に入っているということよね)
税金を不正に多く徴収して娘に与えているという財務大臣。
王家の宝飾品を勝手に薔薇姫に与えているというクザン。
どちらも本当の話なのかは裏を取ってみないと分からなかったが、もし真実ならばこれはクザンの権力基盤を揺るがす弱みのひとつとなる。
(私はただ個人的にマーガレットに仕返しをしただけだけれど、図らずも不正の手がかりを掴めてよかったわ。後はフレン様に丸投げしておきましょう)
そんなことを思案しながらしばらく歩いていると、不意にセランが振り返った。
「そういえば聞きたいことがあったんですけど」
「なにかしら」
「屋敷にあった絵画や壺が偽物だってどうして分かったんです? 余程そういうのに詳しい目が利く人じゃないと分からないと思うんですけど。あの場にいた商家のお嬢様達なら話は別ですが」
なるほど、とアルダンテは今更ながら納得した。
商家の娘なら確かに調度品の真偽を見定めることもできるだろうと。
「真偽なんて分かってないわよ」
「へ?」
「あれはハッタリよ」
アルダンテの言葉にセランが目を丸くする。
「偽物だと分かったのは指輪だけ。他は適当よ」
「えー! 本物だったらどうするつもりだったんですか!?」
「さあ。でも偽物の確率の方が高いと私は思ったわ」
「どうして!?」
身を乗り出してくるセランに、アルダンテはフッと笑いながら言った。
「一番印象に残る指輪に偽物を贈るような人間が、他のどうでもいい置物に本物を贈るわけがないじゃない?」
アルダンテからしても、あの場面でのあの発言は正直賭けだった。
だがアルダンテはマーガレットに負ける場面などまったく想像していなかった。
なぜならすぐ直前に、周りにいた令嬢の口からアルダンテはとある言葉を聞いていたからである。
(マーガレットはツキに見放されているってね)
「なーんだ。じゃあこれも偽物ですか」
「貴女、それって……」
セランが懐から琥珀色の宝石が随所に散りばめられた首飾りを取り出した。
(確かマーガレットが言っていたわね。クザンから首飾りももらっていたって)
「いつの間に取ってきたのよ。いくら悪人の物とはいえ、泥棒はダメよ。返してきなさい」
「王家の宝飾品だと思ったから取り返してきたつもりだったんですけどね。仕方ない、後でこっそり返しておきますよ。あーあ、本物ならなあ……って、あれ?」
首飾りを陽にかざしていたセランが固まる。
目の前に映ったその光景にアルダンテもまさかと、驚いた。
「……危なかったわ。これを先に出せば追い詰められていたのは私だった。あの子、本当にツイてなかったわね」
「他の物は全部偽物だったのに逆にどうしてこれだけ? もうわけが分かりませんよ」
(クザンも最初はマーガレットをちゃんと愛していたのかもしれないわね。途中からあまりのわがままさに愛想を尽かして、適当な物を与えていたとか……そんなところかしら)
セランの足元の地面には、指輪が浴びた陽の光によって王家の紋章が影となって浮かび上がっている。
それは空にかかった雲のせいで、すぐに大きな影にのみ込まれて見えなくなった。