第二章 よろしくお願いしますわね、共犯者さん
夜会から一か月後。
いつものように朝からエクリュール邸の掃除をしていたアルダンテは、バーバラに居間に呼び出された。
居間に入ると、部屋の中央の椅子にバーバラがひとりだけ腰掛けている。
その表情はいつになく機嫌がよさそうでうっすらと笑みすら浮かべていた。
(あの日からずっと怒鳴り散らしていたのに、どういう心境の変化かしら)
夜会からロディと共に帰宅し、事情を聞いたバーバラは案の定、顔を真っ赤にして烈火のごとく怒り狂った。
アルダンテの言い分に聞く耳を持たず、すぐさま家から追い出すべきだと主張するバーバラ。
しかしマクシムスはなぜかアルダンテを叱責することはしなかった。
彼はロディとの婚約破棄についてだけ言及し、正式な手続きをするために時間がほしいとだけ言って、その場を収めた。
当然納得できないバーバラだったが、マクシムスに逆らえるはずもなく。
その日からアルダンテへのいびりはますます苛烈になった。
それ故に、この日バーバラに呼び出されたのも、また理不尽な文句や指示を出してくるに違いないと思っていたところにこの反応である。
怪訝に思いながらもアルダンテはバーバラに尋ねた。
「なんの御用でしょうか。まだ掃除の途中ですが」
「掃除なんてもうしなくていいわ。そんなことよりも早く着替えて支度をなさい」
「支度? どこかに出かけるのでしょうか?」
聞き返すアルダンテにバーバラはニヤリと悪意のある笑みを浮かべた。
「決まっているでしょう? この家を出て行く支度よ!」
その言葉を聞いた瞬間、アルダンテは動揺しつつも納得している自分がいることに気がついた。
(いずれこの時が来るとは思っていたけれど、思ったより早かった……いえ、遅かったのかしら)
「……お父様はなんと言っているのですか」
「期待しても無駄よ。お前をこの家から追放することを決めたのはあの人なのですからね」
そうでしょうね、とアルダンテは目を閉じる。
夜会から帰ってきた時にマクシムスが処分を下さなかった以上、バーバラが独断で勝手に自分を追い出すわけにはいかない。
それが覆ったということは、マクシムスも同意しているということだ。
なぜ一か月の期間が空いたのかは気になるところではあるが、家から追い出されることが確定した以上、そのことを知ることもできなければ、知る意味もないだろう。
「はあ、清々した。アルラウネがクザン様の婚約者候補として王宮に召し上げられてから、私の悩みの種はどうやってお前をこの家から追い出すかということだけでしたからね」
三週間前。
王室から手紙が届き、アルラウネはクザンの婚約者候補として王宮内にある屋敷で暮らすこととなった。
それ以来、以前にも増してバーバラからのいびりが激しくなっていたのは、アルダンテが自分から家を出て行くことを期待してのことだったのだろう。
(陰湿なやり方だこと。まあそんな嫌がらせも二度とされないと思えば、追い出されるのも悪くないかもしれないわね)
アルダンテが目を開くと、バーバラは口端を歪めてニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた。
「出て行きたくないのならこの場で土下座でもしてみたらどう? 私の気が変わるかもしれないわよ」
(心にもないことを)
万が一バーバラが擁護してくれたとしてもマクシムスが決めた以上、自分が追放されることは絶対だった。
それが分かっているアルダンテは、無表情のままお辞儀をする。
「土下座はいたしませんし、この家に未練は一切ございません。今までお世話になりました」
「……なんですって?」
予想外の答えだったのか、バーバラが不快げに顔を歪める。
その直後、居間のドアをノックする音と共に侍女の声が聞こえてきた。
「失礼いたします。奥様。王宮からアルダンテ様に迎えの馬車が来ております」
「……王宮から?」
アルダンテが眉をひそめると、バーバラがハッと思い出したかのようにまた勝ち誇った顔になる。
「喜びなさい。お前はこれから王宮にあるクザン様の私邸で奴隷のように扱き使われるそうよ。ここにいた方が幸せだと思えるほどにね」
(夜会以来なにも言ってこないと思っていたけれど、私に反抗されたことをずっと根に持っていたのね。小さい男)
アルダンテは小さくため息をついて言った。
「そろそろ行ってもよろしいですか?」
「っ!」
それでも動じないアルダンテの様子を見て、バーバラの顔が怒りの朱に染まる。
「さっさと支度をしてきなさい! お前の顔など二度と見たくないわ!」
バーバラが立ち上がり指でドアを指し示した。
アルダンテは最後に小さく会釈をして、バーバラに背を向けてドアに向かう。
「部屋から持って行っていいのはお前の私物だけよ! この家の物は一切持って行かせませんからね!」
廊下に出てドアを閉める。
その直後、背後の居間からガシャンと
「いい気味」
苛立って暴れているバーバラを想像すると、少しだけ憂鬱な気分が晴れたアルダンテだった。
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唯一の私服である白いブラウスと黒いフレアスカートに着替えたアルダンテは、数少ない私物を旅行用の手提げバッグに詰めて屋敷を出た。
外には王家の紋章が入った一台の馬車が止まっている。
アルダンテが馬車に近づくと、外で待っていた御者が搭乗口のドアを開けた。
御者に会釈をしてから馬車に乗り込み、中の窓から屋敷を見上げる。
見送りは誰もいなかった。
屋敷の中にアルダンテと仲がよかった人間は誰もいなかったので当然である。
「さようなら」
十八年間過ごした家に告げた別れは、驚くほど乾いていて簡素だった。
「……もうよろしいですか?」
「はい」
御者の問いかけに答えると、馬車はゆっくりと動き出した。
屋敷の二階の窓から、マクシムスが馬車を見下ろしているのが見えたが、アルダンテはすぐに視線を切る。
自分がエクリュール家から追放された以上、最早そこにいるのは父でもなんでもない赤の他人。
元からマクシムスの威圧的な言動や視線が大嫌いだったアルダンテにとって、家から解放された今、それはもう一秒足りとも視界に収めたくないものだった。
(王宮までなにもなければ大体二日の道のり――その間に今後の身の振り方を考えないとね)
このままクザンの私邸に向かえば、バーバラの言葉通りエクリュール家にいた時の方がマシと思えるような目に遭う可能性は高い。
そんなことになるくらいならば、途中で馬車から逃げ出して平民として生きた方がマシだとアルダンテは思っていた。
(少ないとはいえ、私物を売れば当面の生活費くらいにはなるでしょう。そのお金が尽きる前にどこかで雇ってもらえればいいのだけれど)
幸い家事や炊事、掃除等の下働きの類は三年間みっちりと家で覚えさせられてきた。
扱き使われるのも慣れているアルダンテにとって、平民として働くのは苦ではない。
貴族としての誇りなど最早、家を追い出された時点でとうになかった。
「あとは出たとこ勝負かしら」
持ち出した旅行用のバッグを見る。
(お父様……マクシムスに対抗する手段として一応持ってきた〝アレ〟。平民として生きるなら使うことはなさそうね)
フッと息を吐いて、座席の背もたれに寄りかかり目を閉じる。
家での連日の労働で心身共に疲れていて、夜もろくに眠れていなかったアルダンテは、そのまますぐに深い眠りに落ちた。
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「変な髪の色!」
声の方をアルダンテが振り向く。
どこかのパーティー会場と思われるその場所には、七歳ほどの貴族の男の子が立っていた。
彼は明らかに悪意のある笑みを浮かべてアルダンテを見ていた。
(ああ、これは夢だわ。だってこれは幼い頃の私の記憶そのものだもの)
幼い頃からアルダンテは、髪の色のことでよく周囲から奇異の目で見られていた。
赤紫色の髪はカーディス王国の人間の特徴ではなく、長い間戦争をしていた隣国の人間の特徴だからだ。
今は国交が回復しているとはいえ、カーディス王国の一部の人間……特に爵位の高い貴族達の間では未だに敵対的な意識が残っている。
故にその教育を受けた貴族の子供達もまた、赤紫色の髪をした人間に対して悪意をぶつけることに疑問を持っていなかった。
(お父様は私に、髪の色のことで周りになにかを言われても無視しろ。余計な問題は起こすなと言った。だから私はその通りにしていたけれど――)
悪意を向けられているとはいえ、まだアルダンテが子供だった頃は受ける嫌がらせといえば、せいぜいが悪口を言われる程度だった。
しかしアルダンテが成長するにつれて、嫌がらせは日に日に悪化していった。
(そう、あれは確か十四歳になって社交界デビューをした夜会でのことだったわね)
「あら、ごめんあそばせ」
会場の広間を歩いていたアルダンテは、突然横からワインを掛けられた。
着ていた白いドレスに赤紫色の染みが広がっていく。
声の方に振り向くと、そこには見ず知らずの青いドレスを着た金髪の令嬢が立っていた。
(さすがに驚いたわ。まさか初対面の相手にそんな直接的な悪意をぶつけられるだなんて思ってもいなかったから。たぶん、私が今までどんな悪口を言われても黙って受け入れていたから、なにをしても大丈夫だと勘違いしてしまったのでしょうね)
ワイングラスを片手に持った彼女は、ニヤニヤと悪意を持った笑みを浮かべている。
「手が滑っちゃった。でもよかったじゃない。そのドレス、髪と同じ色に染まったわよ? 貴女が大好きな赤紫色に。あははっ!」
金髪の令嬢は高笑いをしながらアルダンテに背を向けた。
(その後ろ姿を見て、私はワインを掛けられた時よりもっと驚いたわ。だってそうでしょう? どうしてこの方は、見ず知らずの他人にこれだけのことをしておいて――)
アルダンテは前を歩いて行く令嬢の背に早足で追いつくと、彼女の長いドレスのスカートの裾を踏みつけた。
「きゃあ!?」
つんのめった令嬢はそのまま前に向かって倒れこむ。
(――なにもやり返されないと思ったのかしら)
「い、痛い……だ、誰よ私のドレスを踏みつけたのは!」
床にぶつけた顔を押さえて、半泣きになった令嬢が身を起こす。
アルダンテは床に座り込んでいる令嬢を、上から見下ろしながら言った。
「あら、ごめんあそばせ」
そして片手に持っていたワインの瓶を、令嬢の頭の上で逆さに持ち替える。
「いやっ!? なにをするの! やめなさい!」
頭からワインを
「手が滑ってしまったわ。でも残念ね。その金髪、私が大好きなワインと同じ色に染めてあげようと思ったのだけれど、一本では足りないみたい」
しゃがみ込み、令嬢の口元を手で無理やり掴む。
口ごもる令嬢に、アルダンテは自分の顔を近づけると口端を歪めて笑った。
「……もう一本頭から被せてあげれば綺麗に染まるかしら。ねえ、試してみてもいい?」
「ひ、ひいっ!?」
その事件からアルダンテはその赤紫色の髪色と共に、悪女として社交界で名が知れ渡ることになった。
(ふざけた話よね。私はただやられたからやり返しただけなのに)
嫌がらせをされたら二度と歯向かわせないように、徹底的にやり返す。
それを繰り返していく内に、いばら姫と呼ばれるようになったアルダンテが、王宮から直々に命令を受けて、社交界を追放されたのはそれから一年後のことだった。
(追放されてからの三年間、ただひたすらに親の言うことを守って大人しく生きてきたけれど、これからはもう一切我慢しないわ。だって私はもう家を追い出されたし貴族でもない。迷惑をかける人も果たすべき責務もないんだから)
だから覚えておきなさい、とアルダンテは覚めようとする夢の中で口を動かす。
「――これから私に害をなそうとする者には、倍にしてやり返してやりますわ。徹底的に、容赦なく、悪女らしくね」
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ガタンと強く車体が揺れる。
馬車が停車した衝撃でアルダンテは目を覚ました。
「おはよう、眠り姫。ぐっすり眠っていたね。余程疲れていたようだ」
寝ぼけ眼で
「……どうして貴方が馬車に乗っているのですか。フレン様」
怪訝な顔をしてそう尋ねるアルダンテに、第二王子フレン・カーディスはヘラッと軽薄な笑みを浮かべた。
「前に言っただろう? またすぐに会うことになるって」
「質問の答えになっていませんが」
嘆息しながら窓の外を見る。
出発した時は昼前だったが、もうすっかり陽は落ちていた。
(どこでこの方が乗ってきたのかは分からないけれど、まだエクリュール家の領地からそう遠くは離れていないはず。私のことを待ち伏せしていた……?)
「疑う気持ちは分かるよ。安心して。ちゃんと今から説明するから。だけどその前にこれだけは信じてほしい」
アルダンテの手を取り、薄ら笑いをやめたフレンは真剣な顔で言った。
「俺は君の味方だよ。アルダンテ」
フレンの
(ヘラヘラばかりしていると思っていたけれど、そんな顔もできるのね。だからと言って信用したわけではないけれど)
アルダンテは居住まいを正して言った。
「家を追い出された今の私はただの平民です。それどころかこれからクザン様の下で奴隷のように扱き使われる身。そんな私の味方になることが貴方になんの得があるのか分かりませんが――」
「すまなかった」
突然頭を下げるフレンにアルダンテは眉をひそめて困惑する。
「……なんのおつもりですか?」
「兄上が君にしたすべてのことにだよ。王族を代表して俺が謝罪する」
フレンのその言葉と態度に、アルダンテは少なからず驚きを覚えた。
アルダンテが知る限りカーディス王国の貴族といえば、善政を敷いていた国王以外のほとんどの人間――それも、身分が高ければ高いほどに独善的で他人を顧みない人間ばかりだった。
フレンに関しても誰かを虐げたような噂こそ聞かなかったものの、素行に関してはいい噂を聞いたことがない。
それが実際は、今は平民となった自分に対しても、真摯な態度で頭を下げることができる人間だったなんて。
(噂とはあてにならないものね。まあ、軟派なところは噂通りだけれど)
未だにフレンに握られている両手を見ながら「はぁ」とため息をつく。
「クザン様がしたことでフレン様が責任を感じられる必要はなにもありませんわ。貴方の厳しいお立場は存じておりますので」
第二王子とはいえ、身分の低い妾の子だったフレンにはなんの権力もない。
それでも国王が健在だった頃は重臣達も王族のフレンに敬意を払っていた。
しかし国王が倒れた今、フレンに味方する者は誰もいない。
クザンの媚び売りに執心している王宮の重臣達は、王位継承権の第二位であり邪魔者であるフレンをこぞって排除しようと考えていることだろう。
「そうなんだよね。実はもうすぐ俺、兄上に殺されそうな感じで困ってたんだ」
言葉の重さとは裏腹になんでもない様子でヘラッとフレンが笑う。
緊張感のないその態度に呆れたアルダンテは、握られていたフレンの手をパッと離した。
「その割には大分のんきに見えますけれど」
「そう見える? 一応こう見えても、水面下では色々手回ししてるんだけどね――王位継承権第一位の兄上を追い落として、王位をこの手にするためにさ」
「……っ!」
明確なクザンへの敵対宣言に、アルダンテが思わず目を見開く。
走行中ならまだしも、停車している今、会話は御者に丸聞こえだった。
「……今のお言葉、冗談では済まされませんわよ」
「大丈夫大丈夫。この馬車の御者は、兄上の配下に潜り込ませている数少ない俺の部下だからね。じゃなきゃさすがに堂々とこんな話はしないさ」
「それならばいいのですが」
安堵のため息をつくアルダンテに、フレンは目を細めて微笑む。
「心配してくれたの? 俺のこと」
(絵に描いたような軽薄な言動。この方、やはり好きになれませんわ)
「貴方の心配? まさか」
アルダンテはフッと馬鹿にするような笑みを浮かべて言った。
「勘違いしないでくださいな。私がしたのは自分の心配ですわ。貴方が目の敵にされるのは構いませんが、一緒にいたせいで私まで王位を巡る争いに巻き込まれてはたまったものではありませんので」
「はは。いいね。家を追い出されて落ち込んでるかなって思ってたけど、調子出てきたんじゃない?」
突き放すような態度にすら愉快げに笑うフレンに、釈然としないものを感じてアルダンテは口を引き結ぶ。
しかしこれ以上フレンのペースに合わせていたら余計に気疲れをすると思い、それ以上の憎まれ口は止めた。
「さっさと本題に入ってくださいな。今や平民となった私にわざわざこうして秘密裏に会いにきた理由はなんですか?」
アルダンテの問いに、フレンは「それなんだけどさ」とつぶやくと、今までと一転して歯切れが悪そうな様子で口を開く。
「君はこれから王宮にある〝
「は?」
初めて聞く話にアルダンテは眉をひそめた。
(薔薇庭園? それに私がクザンの婚約者候補とはどういうこと? あんなに反抗的な態度を取ったのに……奴隷として扱き使われるのではなかったの?)
困惑するアルダンテにフレンは意を決したように口を開く。
「そこで兄上を失脚させるための弱みを握ってきてほしいんだ――婚約者候補として集まった他の薔薇姫達を利用してね」
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エクリュール邸を出発して二日後の朝。
アルダンテを乗せた馬車は王宮の敷地内の一角、〝薔薇庭園〟に到着した。
鉄の塀で囲まれたその庭園は、小さな街がひとつ入ってしまいそうなほどに敷地が広く、緑の葉と色とりどりの薔薇が咲き誇る様は見る者を魅了する。
(綺麗……ここが建てられた目的さえ知らなければ、この素晴らしい庭園を素直な気持ちで楽しめたでしょうに)
しばらく庭園を眺めていると、門が開いて中からメイド服を来た侍女が現れた。
「お待ちしておりました、アルダンテ様。クザン様がお待ちです。こちらへどうぞ」
侍女に案内されて門の中に入る。
庭園の入口には葉とツタが巻きついた、人が優に通れる大きさの薔薇のアーチが掛けられていた。
アーチの先は
小径を進んで行くと、道が開けて広間になっており、その中心には大きな噴水が立っていた。
周囲を見渡すと、東と西、それと中央の奥の方に、それぞれ爵位の高い大貴族が住むような、大きく豪華な屋敷が立っているのが見える。
「東が青薔薇姫様の住まう青薔薇邸。西が黄薔薇姫様の住まう黄薔薇邸。そして中央の奥に見えますのが白薔薇姫様の住まう白薔薇邸となっております」
侍女はアルダンテに説明をすると、西に向かって舗装された道を歩き始めた。
その後ろをついて行きながら、アルダンテは侍女に尋ねる。
「私はどこへ案内されるのですか?」
「薔薇姫様方のお屋敷の裏手にはクザン様が立ち寄られた際に、ひとりでお考え事をするために使う離れの屋敷が建てられております」
黄薔薇邸のすぐ近くまで着くと、侍女は舗装された大きな道から外れて、屋敷の横を通るひとり分の幅しかない小さな脇道に入って行った。
「今クザン様は黄薔薇邸に立ち寄られているので、アルダンテ様がお着きになられた際は、その離れのお屋敷でお待ち頂くようにとの指示を受けておりました。なにかご心配なことでもありましたか?」
「いえ、なんでもありませんわ」
そのまま黄薔薇邸の裏手に出ると、侍女の言葉通り、ツタと薔薇で外観を飾った美しい屋敷が立っている。
それは立ち寄った際の休憩所程度を目的として作られたにしては、薔薇姫の屋敷と比べてもまるで遜色はないほどに、豪華な造りとなっていた。
(一体この薔薇庭園を作るのにどれだけのお金を使ったのかしら。国庫から出したのでしょうけど、無駄遣いにもほどがあるわね)
「それでは中にご案内いたします」
侍女に案内されるままに屋敷の中に入る。
玄関を抜けて、埃ひとつなく磨かれた廊下を歩いた先にあるドアの奥には、客間が広がっていた。
豪華な調度品がそこかしこに置かれた部屋の中央には、大きなソファとテーブルが置かれている。
「クザン様がご到着されるまで、しばしの間こちらでごゆるりとお過ごしくださいませ」
「分かりました」
恭しくお辞儀をして去っていく侍女を見送った後、アルダンテはソファに腰を下ろした。
「……丁重に扱われすぎて、逆に不気味だわ」
緩みそうになる緊張の糸を引き締める。
アルダンテにとってここは、エクリュール邸以上に気が休まらない場所だ。
決して油断することはできない。
(私がここに来た目的は薔薇姫達から情報を引き出し、クザンの弱みを握ること。逆に弱みを見せるようなことがないようにしなければね)
――時は遡ること二日前。
馬車の中でフレンから、薔薇庭園でクザンの弱みを握ってきてほしいと言われたアルダンテは即座にこう答えた。
「お断りいたします」
当然である。このまま薔薇庭園とやらに向かえば、自分のことを逆恨みしているクザンになにをされるか分かったものではない。
「そもそもなぜ私が婚約者候補なのですか。意味が分かりません。私はあの方に憎まれているはず。それは他でもない貴方も知っていることでしょう?」
フレンは頷くと「いいかい」と前置いてから説明を始めた。
「薔薇庭園はこの国で最も美しいと言われる薔薇姫達を婚約者として囲うために、兄上が以前から作らせていた場所――まあほとんど後宮みたいなものなんだけれど」
(薔薇姫達を囲っているということは、アルラウネも今はそこに住んでいるのね)
「君が選ばれた理由は……俺にもよく分からない。でも薔薇姫を全員集めるのであれば、いばら姫と呼ばれていた君も手中に収めたいと思ったのではないかな?」
釈然としない答えにアルダンテは眉をひそめる。
「でも安心して。俺が薔薇庭園に送り込んだ侍女からの情報によると、君をいたぶるつもりはもうなくなったみたいだ。むしろ他の薔薇姫と同じように、婚約者として囲うと公言しているらしい。だから身の安全は一応保障できる。確実ではないけどね」
(……気持ち悪い。本当になにを考えているのかしら)
不快な表情を隠さないアルダンテの顔を見て、フレンは苦笑しつつも話を続けた。
「それで本題なんだけど――兄上ははっきり言って馬鹿で隙だらけだ」
それに関してはアルダンテは疑問を挟む余地すらなかった。
傲岸不遜で私欲を満たすことしか考えていない、気品も品性も感じられない立ち振る舞いの数々には、思わず言葉を失った。
(あれが次期国王になるなんて考えたら、この国の未来は真っ暗ね。王族の教育係は一体なにをしていたのかしら)
「ああ見えて昔はまともだった時期もあったんだけどね。信じられないだろうけど。まあ、その話はいいや」
苦笑してからフレンは咳払いすると、再びアルダンテの目を見て話し始める。
「正直馬鹿な兄上だけなら、時間をかければ取って変わることぐらいわけがなかった。だけど兄上を担ぎ上げている重臣達が
アルダンテも噂は耳にしていたが、実際王族であるフレンから聞くとやはり落胆を禁じ得ない。
国を支えて正しい方向に導く役割を持った重臣達が、愚かな王子を祭り上げて媚び売りに専念している現状は、あまりに酷いものだった。
「特に薔薇姫の親達は財務大臣や宰相を努めていてカーディス王国の心臓といってもいい。兄上を今の地位から引きずり下ろすためには、ここをなんとしてでも切り離したい」
そこまで言い切ってからフレンは椅子に背を預けると、肩をすくめてうんざりした素振りを見せた。
「とまあ、やることは分かっているんだけど、それが中々うまく行ってないんだな。奴ら
「だから情報を引き出せない重臣よりも、脇が甘そうな彼らの娘達を利用して弱みを握ろうというわけですか」
「そういうこと。薔薇庭園って男子禁制だからさ。入り込めるのは兄上に選ばれた美しいご令嬢だけなんだよね。まあそれでも入れる手段がないってわけじゃないけどさ」
最後の手段があるということだけ少し引っかかったものの、フレンの企みを大体把握したアルダンテは、目を閉じて考える。
この企みに、自分は乗るべきか否かを。
(リスクが大きすぎるわ。クザンは私をいたぶる気はない、ということだけれど、それも今後の展開次第ではどう転ぶか分からない。普通に考えたら断るべき話。だけど――)
「……お話は分かりました。ですがやはり私が貴方に手を貸す理由が見当たりません」
「困ったな。夜会で助けてあげた恩を返すっていうのはどうだい?」
「それとこれとは話が別です。ですが、そうですわね――相応の見返りを頂けるなら、協力することもやぶさかではありません」
(メリットがあるなら、やる価値はあるわ。準備してきたとはいえ、このまま平民になって生きていくのは私にとってはいばらの道でしょう。ですがもしフレン様の企みが成功すれば、協力した私の報酬は望むがまま。それに――)
アルダンテは足を組んで座りなおすと、人さし指を立てた。
「ひとつ。貴方が企みを成功させた暁には、私が一生暮らしていけるだけの金銭を用意すること。ふたつ。私はもう二度と貴族社会とは関わりたくないので、報酬を頂いた後は消息を追わないこと」
(――薔薇姫の方々には夜会で散々馬鹿にされたわね。その仕返しがまだ済んでいなかったわ)
アルダンテはニヤリと口端を歪めると、悪意のこもった笑みを浮かべて口を開く。
「最後の三つめ。手段は私に一任すること。これを守っていただけるのであれば、貴方が王位を奪うために協力を惜しまないことをここに誓いましょう」
(やられたらやり返す。容赦なく徹底的に、倍返しにして差し上げましょう。それが私の――〝いばら姫〟と呼ばれた悪女の流儀よ)
「悪い顔をするなあ。でも――いいね。やっぱり大好きだよ、君のその笑顔」
フレンはフッと愉快気に笑った後「ああ、そうだ」と言って、アルダンテに向かって手を差し伸べた。
「右手を出して」
「嫌ですわ。すぐ握ろうとするので」
「握らない握らない。ほら、早くして?」
渋々アルダンテが右手を出す。
するとフレンはおもむろに取り出した指輪を、アルダンテの右手の薬指にはめた。
「報酬の前払い。それ、俺の宝物なんだ。大事にしてね」
赤い宝石に王家の刻印が入ったその指輪は、アルダンテの指にあつらえたかのようにピッタリとはまった。
(綺麗……あっ)
思わず見入ってしまったことを恥じるようにアルダンテは咳払いをする。
「……まあ、もらえるものならばもらっておきますが」
「そうそう。もらっときなって。俺が女の子に贈り物をするなんて初めてなんだから」
「嘘よ。いつも嬉しそうな顔をしてご令嬢達に囲まれているではないですか」
「嘘じゃないさ。こう見えて
今までの軽い雰囲気が嘘だったかのように、フレンは真剣な顔をしてアルダンテに向き直る。
「カーディス王国第二王子、フレン・カーディスがここに誓おう。この企みがうまくいって俺が王位に就いた暁には、君が望むままの報酬を約束する――と、これでいいかな?」