(なぜこの人が……フレン・カーディスがここにいるの?)

 フレン・カーディス――カーディス王国の第二王子。

 国王のめかけの子である彼は、クザンとは腹違いの兄弟にあたる。

 王子とは思えないほどに適当な性格でほうとうへきがある彼は、丁度アルダンテが社交界から追放された三年前に、いい加減な彼に激怒した国王によって留学という名目で他国に追い出されていた。

(国王陛下がご病気なのをいいことにコソコソと国に帰ってきた、というところかしら。兄弟揃ってまったく仕方のない人達だわ)

 そんなフレンの登場に不愉快そうな顔でなにかを言いたげにしていたクザンだったが、彼の言葉通り構わないと決めたのか、再びアルダンテに視線を戻す。

 クザンは再び剣先をアルダンテに突きつけると、歪んだ笑みを浮かべて口を開こうとして――。

「フレン様、お会いできて光栄ですわ!」

「私ずっとフレン様をお慕いしておりましたの!」

「ありがとう。君達みたいな可愛らしい子達にそう言ってもらえて嬉しいよ」

 すぐ近くから届いてくるフレンと令嬢達の会話を聞いて、手に持っていたサーベルを床に叩きつけた。

 クザンはぐるんと怒りの形相をフレンに向ける。

 そしてツカツカと大股開きで彼に歩み寄ると、胸倉をつかんで叫んだ。

「フレン! お前は一体ここでなにをしている!? 誰がここに入ってくることを許可した!?

「なにって、兄上が夜会で美味うまい酒を振る舞っていると聞いたから飲みに来たんだけど。それに許可もなにも、同じ王族である以上この城は俺の家でもあるし出入りは自由だろう?」

 緊張感のないとぼけた顔で首を傾げるフレン。

 クザンはこめかみに血管を浮かべると、胸倉に掴んだ手でフレンを突き飛ばした。

「次期国王である私の婚約者を決める夜会だ! お前のような半端者が足を踏み入れていい場所ではない! さっさとこの場から失せろ!」

「おっとっと……そうなのかい? てっきり俺は――」

 よろめきながらも態勢を立て直したフレンは、アルダンテに視線を移す。

 それから地面に転がったサーベルを見てから言った。

「――公開処刑でもしているのかと思ったよ。どうしたんだい私闘禁止の王宮内で剣を抜くだなんて。穏やかじゃないね」

「フン。この女が私を侮辱したから罰を与えようとしていただけだ」

「ふうん。罰ね」

 フレンが顎に手を当てて少し考える素振りをする。

 それから「うん」とひとつ頷くと、クザンに向き直ってヘラッと軽薄な笑みを浮かべた。

「まあ淑女に優しく紳士な兄上のことだ、まさか本気で切ろうなんて思っていないよね?」

「私は本気だ! 私の言うことを聞かない者は女子供だろうと容赦は――」

「そりゃそうか。次期国王にもなろうかという兄上ほどの人が、口喧嘩でカッとなったくらいでかよわい女性を剣で切っただなんて、そんな噂が王宮に広まったら器が知れるというものだしね」

 フレンの言葉にクザンがハッと目を見開く。

 自分がしていたことが自らの首を絞めていることに気がついたのだろう。

 クザンはチッと舌打ちをすると、バツが悪そうにフレンから視線をそらした。

「……当たり前だ。本気でやる気ならもうとっくに切っている」

「よかったよかった。それでさ、兄上――」

 フレンがおもむろにアルダンテに歩み寄る。

 怪訝な顔をするアルダンテを見てフレンは微笑むと、クザンに向かって言った。

「――この子、俺にくれないかな。一目惚れをしたんだ」

「……は?」

 その場の全員が一斉に口をポカンと開けて困惑をあらわにした。

(この方は一体なにを言っているの?)

 アルダンテとフレンの関係は、王宮や夜会で遠くから互いのことを見たことがあった程度で、会話をしたこともなければ、目を合わせるのすら今この時が初めてだった。

 これが一般的な貴族令嬢ならば、まるで絵本の中の出来事のような王子様からの告白に「運命だ」と恋に落ちることもあるかもしれない。

 だが幼少期から人間の負の部分ばかりを見て育ってきたアルダンテにとって、得体の知れない第二王子からの突然の告白は、なにか裏があるとしか思えなかった。

「……冗談はよせ。その女が誰か知っているのか?」

 クザンが眉をひそめてそう言うとフレンは首を傾げて答えた。

「兄上も知ってのとおり、俺は留学から帰ってきたばかりでね。今の社交界には疎いんだ。ねえ、君はそんなに名が知れた子なのかな?」

 フレンの質問になんと返せばいいか分からないアルダンテは黙り込む。

(留学していたから私が追放されたことに関しては知らなかったとしても、その前から私に関する悪評は社交界に流れていたはずよね? わざと私のことを知らないふりをしているのかしら。それは一体なぜ?)

 そうしていると、アルダンテとフレンのかみ合わない様子を観察していたクザンが突然笑い声をあげた。

「――ふははは!」

 心底おかしくて仕方ないという風に笑った後、クザンは見下すような顔でふたりを見て口を開く。

「そういえばお前にもまだ婚約者がいなかったな! いいだろう、そいつはくれてやる!」

 まるで自分を所有物かのように扱う、見下したクザンの物言いにアルダンテはふざけるなと抗議しようとした。

 しかしそれを見越したのか、フレンがアルダンテの手を取る。

 そして耳元で小さな声で囁いた。

「……落ち着いて。これ以上はどう見ても分が悪いよ」

 先ほどまでの軽薄な様子とはまるで違う真剣な表情をしているフレンに、アルダンテは口から出かけていたクザンへの罵詈ばりぞうごんをのみ込む。

 フレンの言う通りだ。

 あまりに理不尽なことを要求されたせいで、ついカッとなって本音が出てしまったが、今この場で彼を叩きのめしたところで、捕らえられておしまいだろう。

「じゃ、行こうか」

 フレンに手を引かれてアルダンテはその場を後にする。

 周囲の令嬢達はそんなふたりの姿を面白がるような好奇の視線で見ていた。

 広間の出口に向かう途中、クザンが笑いながら叫ぶ。

「追放された愚か者同士、お似合いのふたりだな! おい、お前達! 全員拍手で送ってやれ! 負け犬ふたりの門出を盛大に祝おうではないか! ふははは!」

 パチパチと拍手が響く中、ふたりはドアを開けて広間を出た。

 そのまましばらく王宮の廊下を歩くと、外に繋がる広い玄関の前にたどり着く。

 フレンは周囲を見渡し人気がないことを確認すると、アルダンテを振り返った。

「余計な事をしたかな?」

 その言葉を聞いて、アルダンテはフレンが自分をあの場から逃がすために、わざと告白をしてクザンの気をそらしたのだと気がついた。

「……いえ。危ういところを救っていただき感謝致します。フレン様」

 あのまま自分の感情のおもむくままに暴走すれば、相手が相手なだけに三年前以上に面倒なことになっていたかもしれない。

 そうなれば、後々に罰を下された時に家を追い出される程度では済まなかった可能性もあった。

(この方にもなにか思惑があったのかもしれないけれど、助けてもらった事実には感謝すべき……よね?)


「そっか。ならよかった」

 へらっと、軽薄な笑みを浮かべるフレン。

(この笑顔、やっぱり苦手だわ)

 感謝の気持ちはあるが、やはりフレンの見るからに軽く軟派な雰囲気は好きになれそうにないアルダンテだった。

(もう手を引く必要はないのにずっと握っているし……女たらしね)

「なぜ私を助けてくれたのですか?」

 握られていた手を解きながらアルダンテが尋ねると、フレンは少し残念そうにしながら口を開く。

「それはね――」

「――アルダンテ!」

 廊下の奥から聞こえてきた声にアルダンテが振り返る。

 ふたりが今しがた歩いてきた広間の方から、アルダンテの婚約者であるロディが険しい表情で走ってきた。

(ロディ……もしかして広間にいたのかしら。他家の令嬢以外誰もいなかった気がするのだけれど)

 ロディの表情からして先ほどの騒ぎを見られていたことは確実だろうと察したアルダンテがため息をつく。

 それを見たフレンは苦笑しながら言った。

「大変そうだね。俺はおいとました方がよさそうだ」

「お待ちください。まだ助けてくださった理由を聞いていませ――」

 不意に、アルダンテの口の前でフレンが人さし指を立てる。

 口ごもるアルダンテにフレンはウインクした。

「大丈夫。またすぐに会うことになるよ。バイバイ」

 そう言って、フレンはロディとすれ違うように廊下を歩いて去って行った。

 すれ違い様、ロディはフレンの方を一瞥したが、急いでいたせいか呼び止めずにそのままアルダンテの前まで走ってくる。

「なんてことをしてくれたんですか君は!」

 ロディが怒りの形相でアルダンテの手を掴んだ。

 有無を言わさずに玄関のドアに向かって行くロディに、アルダンテはどうしたものかと声をかける。

「ロディ様、お待ちください。私の話を――」

「話は馬車の中で聞きます!」

 ロディに引っ張られるままにドアから外に出た。

 夜の闇の中、街灯の明かりが灯る庭園には数十台もの馬車が止まっている。

 ロディはその中から自分が乗ってきたとおぼしき馬車にアルダンテを引っ張りこんだ。

 対面に座ったロディは腕を組み、責めるような表情でアルダンテを見る。

「性懲りもなくまた夜会で問題を起こしましたね。貴女を信頼して王宮に送り出したマクシムス様や婚約者である僕に対して、どう申し開きをするつもりですか?」

 別に貴方に送り出された覚えはないのだけれど、と思いながらもアルダンテは頭を下げた。

「騒ぎになったことは申し訳なく思います。ですが私は理不尽なクザン様の命令から、自分の名誉を守っただけです。なにも後ろめたいことはしていません」

「言い訳はいい!」

 苛立ったロディがドン! と馬車のドアを叩いた。

(自分が浮気をしていたことを棚に上げてよくもまあ、このような態度を取れるものね)

 ロディの態度に腹は立つが、自分に非があるのは確かだとアルダンテは思う。

 フレンのおかげでうまく切り抜けられたとはいえ、夜会でクザンに逆らい一触即発の事態を引き起こしたことには変わりなかった。

 もしこれが父マクシムスの耳に入ったなら、今度はどんな処分を下されるか。

 少なくとも三年間、約束を守るために従順に振る舞ってきた自分の努力はすべて無に帰したことだろう。

(土下座一回を拒否しただけで三年分の積み重ねが帳消しだなんて、高くついたものねまったく)

 憂鬱になってため息をつくアルダンテを見て、ロディは馬鹿にされたと感じたのかさらに強い語勢で言った。

「しかも今回めた相手は次期国王になられる第一王子のクザン様ときた! 三年も謹慎していたというのになにも学んでいないのですか貴女は!? 失望しましたよ!」

 馬車の中にロディの怒りの声が響く。

 黙り込むアルダンテ。それから少しの間、無言の時が流れて。

 ひとしきり怒りを発散させて落ち着いたのか、ロディは肩を落としながら「はぁ」とため息をついた。

「もうこれ以上、いつ問題を起こすか分からない悪女のおもりをさせられるのはうんざりです。悪いけど――」

 ロディはうつむいていた顔を上げると、アルダンテを見ながら口を開く。

「――君との婚約は破棄させてもらう。これからエクリュール家に行って、今日のことも含めてすべてご家族に話させてもらうから、そのつもりでいてください」