第一章 誰が貴方に謝罪などするものですか


「アルダンテ! アルダンテはどこ!」

 昼時の暖かな日差しが差し込む屋敷の中に、ヒステリックな女の金切り声が響き渡った。

 質素なカーキ色のワンピースを着て、雑巾を片手に居間の窓を拭いていたアルダンテは、自分を呼ぶ声の方に視線を向ける。

(あんなに声を荒げて。またお父様とけんでもしたのかしら)

 アルダンテは最後の窓を拭き終えると、その場に待機して声の主がやって来るのを待つことにした。

 やがてドン、ドンと。

 上の階から自分の不機嫌さを周囲にまき散らすかのようなわざとらしい足音が聞こえてきた。

 足音の主は居間のドアを勢いよく開くと、部屋の中央で待機していたアルダンテに向かって大声で叫ぶ。

「このノロマ! いつまで一階の掃除をしているのよ! 日中までに二階を含めた屋敷中の掃除を終わらせておけと言ったでしょう!」

 そこにはいかにも貴族らしい豪奢なドレスを纏った、金髪の中年女性――バーバラ・エクリュールが、眉間にしわを寄せて怒りの表情で立っていた。

「申し訳ございません、お母様。すぐに二階を掃除しに参ります」

「お待ちなさい!」

 バーバラはアルダンテの横を通り過ぎて窓際に近づくと、注意深く窓枠を見つめてから端の方を人さし指でなぞる。

 そしてわずかに指先についた汚れをアルダンテに見せつけて言った。

「まだ汚れが残っているじゃない! 早く終わらせたいからって適当に済ませられると思ったら大間違いよ! やり直しなさい!」

「……はい。仰せのままに、お母様」

 内心ではうんざりしながらも表情に出さずにそう答える。

 そんなアルダンテを見てバーバラはフンと鼻を鳴らした。

「まったく本当に使えない子ね。掃除のひとつも満足にできないなんて。娘がこの調子なら、母親もさぞ出来の悪い女だったのでしょうね!」

 バーバラは現在、屋敷の主であるエクリュール伯爵の夫人という立場にあるが、アルダンテと血のつながりはない。

 現在十八歳であるアルダンテが二歳の時、彼女の母親は病で亡くなった。

 バーバラはその後、アルダンテの父マクシムスが後妻としてめとった他家の貴族の女である。

 嫉妬深かったバーバラは、家に飾られた絵画に描かれている、マクシムスの前妻の肖像画を見る度に怒りを募らせ、アルダンテをいじめていた。

 理由はアルダンテの赤紫色の髪色や紫色の瞳。

 そしてなにより顔立ちが、マクシムスに愛されていた前妻にそっくりだったからだ。

 侍女の仕事である掃除をアルダンテにわざとやらせているのも、嫌がらせの一環である。

 そんなバーバラに対して、気が強かった幼い頃のアルダンテは反抗的な態度を取っていたが――

「……申し訳ございません」

 とある理由により、三年前の十五歳の時からバーバラの理不尽な命令にも従順に従うことにしていた。少なくとも、表面上は。

 それをいいことにバーバラの嫌がらせは日に日に激しく、陰湿になっている。

「日が落ちるまでにはほこりひとつ残すことなく屋敷中を完璧に掃除しておきなさい。それまで食事は抜きにしますからね。いいわね?」

「承知いたしました」

 チッ、と舌打ちをしてバーバラが居間から出て行った。

 バーバラの後ろ姿を見送った後、アルダンテは窓際の棚に置いてあったハタキを手に取る。

「……仕方ないわ。これは自由を得るためにお父様と交わした契約の代償なのだから」

 そうつぶやくアルダンテの表情は暗い。

 なぜなら彼女は今日、この屋敷で自分が受ける理不尽な扱いが、これで終わりではないことを知っていたからだ。

「でも、それもあと少しの辛抱よ」

 首を左右に振って気を取り直したアルダンテは、一度終えた窓枠の埃取りを言いつけ通りに再び始めるのだった。


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「こんなところにいたのね。探したわよ、お姉様」

 昼が過ぎ、ようやく一階の掃除をすべて終えた頃。

 アルダンテは廊下の途中で小柄な少女に声をかけられた。

「……なんの用でしょうか? 掃除の途中なのだけれど」

 窓から差し込む日によって白く透き通って見える白金の髪。

 裾や袖のところどころにレースがあしらわれた、見るからに高価な純白のワンピースを着た彼女の名前は、アルラウネ・エクリュール。

 父マクシムスとバーバラの間に生まれた子供である彼女の年齢は、今年で十五歳。

 アルダンテの義妹にあたる存在である。

「なあに、その格好。みっともない。まるで召し使いね」

 アルラウネは口元に手を当てると、意地が悪い笑みを浮かべてそう言った。

 朝から掃除に掛かり切りだったアルダンテのワンピースは、すすや埃によってところどころが黒く汚れている。

 アルラウネはそんな惨めな義姉の有様を指して嘲笑を浮かべたのだろう。

 だが、そもそもそれを差し引いても、元より平民のように質素なアルダンテの服と上質なアルラウネの服では、主と召し使いほどの差があった。

「やめてよね。仮にもお姉様はエクリュール家の長女なんだから。そんなみすぼらしい姿で外を歩かれたら義妹の私の評判にまで傷がついてしまうじゃない」

 数か月前に社交界デビューを果たしたばかりにも関わらず、アルラウネはそのれんな容姿と立ち振る舞いから、すでに国中の有力な貴族から求婚が殺到するほどの人気を博していた。

 そんな彼女を父マクシムスも義母バーバラも自慢の娘として、高価な服や宝飾品をこれでもかと与えて、ちょうよ花よと可愛がっている。

 家族に対する親愛の情などとうに存在しないアルダンテには、両親に愛されているアルラウネをうらやましく思う気持ちは一切なかった。

 無関心だったといってもいい。

 だが顔を合わせる度に自分を見下してくる、彼女のめた態度に関しては当然不快に思ってはいた。

 本来なら調子に乗ったその顔に平手打ちのひとつでもお見舞いして、しっかりとしつけをしてやりたいところだったが――

「あ、そういえばお姉様は社交界を出入り禁止になって以来、お父様の言いつけでこのお屋敷から出れないんだっけ。じゃあお姉様のせいで私が恥をかく心配はなさそうね。よかった」

 アルラウネの言う通り、三年前のとある出来事から社交界を出入り禁止にされたことで家の評判を落としたアルダンテは、自分とは真逆で人気者の義妹に対して強く出られない状況にあった。

「用がないなら行きますわ。まだ二階の掃除が残っていますので」

「そんなに邪険にしないでよ。せっかく可愛い妹が可哀想なお姉様に素敵なプレゼントをしてあげようっていうのに」

 そう言ってアルラウネはアルダンテの手を取ると、透明に透き通った白い宝石が中央に収まった首飾りを握らせる。

「……どういうつもりかしら?」

「それね、ロディ様から頂いたの。でもいらないからお姉様に差し上げるわ」

 その名を聞いた途端、アルダンテは眉をしかめて無表情を保っていた顔を険しくした。

 ロディ・バラクはバラク伯爵家の子息で政略結婚によって結ばれたアルダンテの婚約者である。

 アルダンテに会うために頻繁に屋敷を訪れる彼とアルラウネは当然面識があった。

 そして婚約者の妹に装飾品の贈り物をすること自体は特別不思議なことではない。

 それなのにアルダンテが顔をしかめた原因は、アルダンテとロディの関係性にあった。

「確かお姉様、ロディ様に一度も贈り物を頂いたことがなかったのでしょう? よかったじゃない。私のお下がりでも、ロディ様からの気持ちがこもっていることには変わりはないし。あはっ」

 婚約者になってからの三年間、アルダンテに対してロディは、一度も贈り物はおろか、愛の言葉をささやいたことすらなかった。

 アルダンテとしてはただの政略結婚で、共にいることは義務でしかないロディに、恋人同士の甘い関係を期待したことなど一度もない。

 ロディにとってもそれは同じだっただろう。

 しかし、婚約を結んだ者同士、最低限の礼儀は互いに払ってしかるべきだとアルダンテは考えていたし、それ故にロディの機嫌を損ねるような振る舞いは決してしなかった。

 それなのにロディが、あろうことか自分と仲の悪い義妹に、内緒であんなにも立派な首飾りを贈っていただなんて。

 婚約者に対する礼を失したその行いはとても看過できるものではなかった。

「この首飾り……いつロディにもらったのですか?」

「一か月前にお姉様とお父様に大事な話があるって言ってここに来た時があったでしょう? その時頂いたのよ。愛の言葉と一緒にね」

 信じられない、とアルダンテはあきれて言葉を失った。

 一か月前、ロディはアルダンテとの正式な結婚をする日程の相談にこの屋敷を訪れている。

 そんな話をしに来た傍らで実はアルラウネと逢い引きし、あろうことか愛を囁き首飾りを贈っていただなんて。

「ロディ様、誠実そうに見えるのは見た目だけね。二十五歳にもなって十も年下の婚約者の妹に言い寄ってくるだなんて、本当に気持ち悪い方。それに――」

 アルラウネがアルダンテの手に握られた首飾りの宝石を指さす。

「その首飾りに埋め込まれている宝石。ロディ様は君のためにこの国で最高の宝石を用意した、なんて言っていたけれど――ほら」

 ぼうぜんとしているアルダンテの手から首飾りを奪い取ったアルラウネは、それを窓から差す光にかざした。

「宝石なんかに縁がないお姉様は知らないだろうけど、この国で作られた最高品質の一等級の宝石は太陽の光で透かすと国の紋章が影になって浮かび上がるの。それがない時点でこれは二等級以下の量産品。そんなまがい物で喜ぶ女は二流以下もいいところよね」

 フン、と鼻を鳴らしてアルラウネは首飾りを再びアルダンテの手に握らせた。

「まあこの国で一等級の宝石をプレゼントできる人なんて王室に連なる方ぐらいのものだろうから期待なんてしてなかったけれど」

 肩をすくめた彼女はアルダンテに背を向ける。

 そして顔だけ振り向くと、見下したような目をして言った。

「それ。私はいらないけれど、お姉様にはお似合いでしょう? 二流以下の婚約者同士、末永くお幸せにね。あははっ!」

 高笑いをしながら廊下を歩いていくアルラウネが視界から消えた後。

 アルダンテはため息をつきながら、首飾りを握り締めた。

 こんなもの、今すぐに窓から投げ捨ててしまおうか。

「……いえ。まだ本当のことと決まったわけではないわ」

 アルラウネが私をからかうために口から出まかせをいっている可能性もあった。

 投げ捨てるのはロディ本人に本当にアルラウネに首飾りを贈ったのかを確認してからでも遅くはない。

 気を取り直したアルダンテは掃除を再開するために、二階に向かおうとして――

「……あれは」

 窓から見える外の庭に見覚えのあるひとりの男の姿が見えた。

 くりいろの髪をして仕立てのいいスーツを着た若い貴族の男――ロディである。

「確認、するべきなのでしょうね」

 きびすを返したアルダンテは、ロディを出迎えるために屋敷の玄関に向かう。

 すると、そこにはすでに入口のドアを開けて屋敷の中に入ってきていたロディが、いつも通りの笑顔で立っていた。

「ごきげんよう、アルダンテ。珍しいですね、普段外にほとんど出ない貴女あなたと玄関で顔を合わせるなんて――うん?」

 ロディはアルダンテの服に気がつくと、少し困ったように眉根を寄せる。

「まるで召し使いのような格好だ。屋敷の掃除でもしていたのですか?」

 アルダンテの目の前まで歩み寄ってきたロディは、服についていた汚れを優しく手で払った。

「家の役に立とうとするお気持ちは立派です。でもそういったことは侍女に任せて、貴女はもっと貴族のご令嬢らしく、優雅に振る舞ってもよいのではありませんか?」

 そう言って優しくほほみかけてくるロディの表情は、心からアルダンテのことを思いやっているように見える。

 今までのアルダンテであれば、そんなロディのことを疑う気持ちなどじんもなかっただろう。

 しかしアルラウネの話を聞いた今となっては、彼の表情や言葉のすべてが怪しく見えて仕方がなかった。

「ごきげんようロディ様。突然いらっしゃるだなんて、一体どうされたのですか?」

「近くを通る予定があったので、せっかくですしエクリュール家の方々にご挨拶をと思いまして」

 そう言った後、不意にロディは視線を泳がせると、そわそわと落ち着かない素振りをしながら口を開く。

「ところでアルラウネ……妹君の姿が見えませんが、今日はお出かけでもされているのですか?」

「アルラウネになにか御用でも?」

 平然とした素振りを装って聞き返すと、ロディは慌てた様子で早口に答えた。

「いえ! 特別用があったわけではないのですが……その、僕のことについてなにか話していませんでしたか?」

「特になにも聞いておりませんが」

「そうですか……」

 肩を落としあからさまに落胆するロディに、アルダンテは呆れた表情で小さく嘆息する。

 目は口ほどに物を言うという言葉があるが、この様子ではほとんど自分が黒だと言っているようなものだ。

 アルダンテはスカートのポケットにしまっていた首飾りを握り締めると、意を決して口を開く。ロディの浮気を問い詰めるために。

「ロディ様。貴方はアルラウネに――」

 しかしその言葉が最後まで発せられることはなかった。

 ロディの背後でガチャリ、と音を立てて。

 入口のドアが外側に向かって開いたからだ。

 そこには長い白髪を後ろで結わえた長身の男が立っている。

 人のよさそうな温和な顔立ちをして、仕立てのいい高級感のある黒いスーツを着たその男の名はマクシムス・エクリュール。

 アルダンテの父にしてエクリュール伯爵家の当主である。

「お帰りなさいませ、お父様」

「…………」

 会釈をするアルダンテをマクシムスは無言のままいちべつする。

 その目は自らの娘に対するものとは思えないほどに冷たく鋭かった。

(私はお父様の敵、みたいなものだものね)

 マクシムスがちょうあいしていたアルダンテの母はアルダンテを産んだことをきっかけに体調を崩し、そのまま病に伏せって亡くなっている。

 マクシムスからすればアルダンテさえ生まれてこなければ最愛の妻を失うことはなかったのだ。

 たとえ実の娘とはいえ、アルダンテが憎まれるのも無理からぬことだったといえるだろう。

(それにこの人は元から自分以外の誰も信用なんてしていない。私以外に対しても、表向きは普通に接していても目の奥は決して笑っていないもの)

 幼い頃、アルダンテがマクシムスの書斎に誤って入ってしまった時に、机の上で見つけた書類――そこにはエクリュール家と親交がある貴族達の詳細な情報が記されていた。

 中には彼らの不正が記されたものも。

 それを見た幼いアルダンテは、いかにマクシムスが他人を信用していないかを知り、自分の親ながら得体の知れない不気味さを感じたのだった。

「来ていたのかね、ロディ君」

 マクシムスはロディに視線を移すと、穏やかな声音で言った。

「我が家になにか御用かな?」

「いえ。近くに来たから寄っただけで特にこれといった用は――」

「ならばお引き取り願おう。これから家族だけで折り入った話があるのでね」

「えっ?」

 普段はまるで実の父子のように親交があるマクシムスに、有無を言わさずに帰れと言われるなど思ってもいなかったのだろう。

 ロディは口を開けたまま呆然としていた。

 そんな彼の横をマクシムスは気にかける素振りもなく通り過ぎていく。

 それを見てアルダンテは父の身に。あるいはエクリュール家に。

 なにか重大なことが起こったことを察した。

(いつもは外面のいいお父様が、取り繕う余裕をなくしている。確か五日前から王都に行かれていたはずだけれど、一体なにがあったの?)

「……なにをしている」

 アルダンテが思案にふけっていると、不意に廊下を歩いていたマクシムスが振り返った。

 その視線はロディではなく、アルダンテの方を向いている。

「お前も来なさい。家族で話があると言っただろう」

 それだけ言うと、マクシムスは返事も聞かずに居間の方に歩いて行った。

「仰せの通りに」

 ロディにアルラウネとの関係を問い質したい気持ちはあったが、エクリュール家において当主であるマクシムスの言うことは絶対。

 たとえそれが三年もの間、屋敷の敷地内から一歩も外に出るなという命令であったとしても、アルダンテは従わなければならなかった。

 なぜなら――。

(約束だもの。仕方ないわ)

 アルダンテはマクシムスとある約束を交わしている。

 四年間、口答えせずに大人しく家族の言うことに従い、なにも問題を起こさないこと。

 それを守れたなら謹慎を解除して、その後は常識の範囲内であれば好きに振る舞うことを許すというものだった。

 普段は口答えを許さず、厳しく罰することを是とするマクシムスだったが、ただ罰を与えただけでは気が強いアルダンテを従順にさせることは無理だと思ったのだろう。

 わざわざ契約の書面まで用意されて目の前にチラつかされたその褒美に、アルダンテはまんまと飛びついた――フリをした。

(自由を与えるなんて口実で四年間も厳しい教育を施して、もう二度と逆らう気を起こさせないようにするつもりだったのでしょうけど――そんなことでこの私を手懐けられると思ったら大間違いよ)

 アルダンテはその約束をのみ、三年が過ぎた今、約束の期間は残り半年と迫っていた。

(今更どんなにお父様にぞんざいに扱われようがどうってことはないわ。あとたった半年我慢すればいいだけだもの。たとえ家族だったとしても、貴族が書面で交わした約束は絶対。破ることは許されないのだから)

 さっさと歩いて行くマクシムスの背中を、アルダンテは早足でついていく。

 その途中、アルダンテは呆然としているロディにすれ違い様に声を掛けた。

「ロディ様」

 不意にアルダンテが、手に持った首飾りをロディに向かって放り投げる。

 ハッと正気に戻ったロディは反射的にそれを受け取りながら、眉をしかめて口を開いた。

「危ないじゃないですか。突然物を投げるなんて――えっ!?

 受け取った物がアルラウネに贈った首飾りだと気づいたロディが、目を見開いて驚きの表情を浮かべる。

 とても演技とは思えないその反応からアルダンテは、ロディが自分にバレないようにアルラウネに口止めをして首飾りを贈ったであろうことを察した。

(まさかバラされた上に、私づてに贈り物を突き返されるなんて思ってもいなかったでしょうね)

「アルラウネと貴方がどういった関係なのかはまた次の機会に、ゆっくりと聞かせて頂きますわ。それではロディ様、ごきげんよう」

「な、なぜ君がこれを……ち、違うんだ! これを贈ったのは別に深い意味があったわけじゃなくて――」

 慌てた様子で言い訳を垂れ流すロディに背を向けると、アルダンテはその場を後にする。

「惨めな方……でも」

 浮気をするロディを強く叱責できず、別れることすら自分の意思では決められない。

 父親に逆らえず、家族の言いなりでしかない今の弱い立場の自分も、他人から見たらきっと惨めな人間に見えるのだろうと。

 アルダンテはひとり、乾いた自嘲の笑みを浮かべるのだった。


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 れいな服に着替えてから居間に行くと、そこにはすでに家族がせいぞろいしていた。

 テーブルを挟んで置かれたふたつのソファにはバーバラとアルラウネ。

 その対面にはマクシムスが座っている。

「私の隣に座りなさい」

 マクシムスに促されてソファに腰掛ける。

 対面ではバーバラとアルラウネがあからさまに不愉快な表情をしていた。

「ちょっとお父様! なぜお姉様がここに同席しているの? 今からするのは家族での話し合いでしょう?」

「そうよ! 私はこの娘を家族とは思っていませんからね! ほら、さっさと部屋から出て行きなさい!」

 怒り出すふたりを前にマクシムスは普段と変わらない穏やかな声音で言った。

「アルダンテにも関係のある話だ。問題はない」

「でも!」

「……私に口答えする気か?」

「……っ」

 穏やかな表情のまま低い声で放たれた威圧に、アルラウネは怯えた顔でビクッと身体からだを震わせる。

(変ね。いつもはアルラウネにだけは甘いお父様が、こんな威圧的な言い方をするだなんて)

 続いてマクシムスはすぐさまバーバラにも視線を動かして、くぎを刺すように言った。

「お前も黙って話を聞きなさい。いいね?」

「……分かりましたわ」

 恨めしそうにアルダンテをにらみつけながらバーバラが口を閉じる。

 そうして全員が押し黙ったのを確認すると、マクシムスは静かに口を開いた。

「一週間後。王宮で夜会が行われる」

 王宮――エクリュール家が忠誠を誓うカーディス王国の国王、カーディス八世が住まう宮殿である。

 現在カーディス王は王妃を病で亡くしてからすぐに、同じ病で床に伏せており、その容態は日に日に悪くなる一方だと噂されていた。

 そんな時に王が眠る王宮で、貴族達が一夜の社交に戯れる夜会を開くなど不敬にもほどがあるが、それを唯一可能としている人間がこの国にひとりだけいる。

「夜会の主催者は……クザン様だ」

 カーディス王国の第一王子クザン・カーディス。

 亡き王妃と国王の間に生まれた王子であり、次期国王になることがほぼ確実と言われている男。

 クザンは国王が病に伏せてからというもの、すでに自分が国王になったかのように我が物顔で横暴な政治を行っていた。

 そんな彼に対して貴族の一部はかんげんするどころか、びを売り、取り入ろうとしている。

 マクシムスもその内のひとりだった。

「クザン様はおっしゃられた。夜会に招待された令嬢の中から婚約者を誰にするか決めると」

 クザンはよわい二十一歳でありながらも、未だ決まった婚約者がいない。

 しかし最近になって、クザンが婚約者になりうる令嬢を探しているという噂が、貴族の間でまことしやかに流れ始める。

 その噂を裏づける理由も、最早時間の問題と言われるクザンの王位継承に向けて、有力な貴族の娘と婚約を結ぶことにより、権力をより強固にするためだと言われれば誰しもが納得した。

 そしてクザンが積極的に婚約者探しを始めると、野心で目がくらんだ貴族達は自分の家から将来の王妃を輩出する千載一遇の機会だと、こぞって娘を差し出し始める。

 そんな中での今回の夜会である。

 この機を野心家のマクシムスが見逃すわけがなかった。

「そして我が家にもその夜会の招待状が届いた。つまり……分かっているね、アルラウネ」

「ご安心を、お父様。クザン様の婚約者の座は必ずや私が射止めて見せますわ」

 自信に満ちあふれた顔でアルラウネが答える。

 それに続いてバーバラが立ち上がり、アルラウネの両肩に手を置いて嬉しそうに言った。

「そうよアルラウネ! 社交界で〝白薔薇ばら姫〟と賞賛されている貴女なら、絶対に王子様の婚約者になれるわ! 私の自慢の娘ですもの!」

 満更でもなさそうに微笑むアルラウネ。

 そんな義母と義妹の姿をアルダンテは冷めた表情で見ていた。

 どうして私はここに呼ばれているのだろうと。

 今の話を自分が聞く必要がどこにあったというのか。

 問いかけるようにマクシムスに視線を向けた。

 すると彼はアルダンテの方を見て、穏やかな表情で口を開く。

「お前も王宮にふさわしいドレスを準備しておきなさい。くれぐれもそのようなみすぼらしい格好を社交の場でさらさないように」

「……え?」

 アルダンテの口から驚きのあまり声が漏れる。

(クザン様の夜会に招待された……? 社交界を追放された、私が?)

 アルダンテが困惑していると、対面に座っていたふたりが怒りの表情で声を荒げた。

「お父様! 今のはどういうこと!? お姉様も夜会に呼ばれたの!?

「断って貴方! こんな娘を王宮に行かせたら今度はどんな問題を引き起こすか分かったものではないわ!」

 怒りが収まらないのかさらに言葉を重ねようとするふたりを前に、マクシムスはゆっくりとソファから立ち上がる。

「……っ」

「あ、貴方……」

 バーバラとアルラウネは口をつぐまざるを得なかった。

 頭上から見下ろしているマクシムスの顔が、穏やかな顔から無表情に変わっていたからである。

 この家の者ならば誰しもが知っていた。

 それがマクシムスの怒りの表情だということを。

「夜会に招待されたのはアルラウネとアルダンテのふたりだ。ふたりとも、エクリュール家の名に恥じぬ振る舞いをしてきなさい」

 そう言ってマクシムスはソファから立ち上がると、振り返りもせずに居間から出て行く。

 マクシムスがいなくなった後、アルラウネは怒りに震えながら立ち上がった。

「自分が選ばれたなんて思わないことね! お姉様なんて私のついでにお情けで呼ばれただけに違いないんだから!」

「アルラウネ! 待ちなさい、アルラウネ!」

 不機嫌さを全面に押し出しながら早足で部屋を出て行くアルラウネ。

 その後を追うために、バーバラはソファを立ち上がろうとして――

「――アルダンテ!」

 アルダンテに向かって振り返ると、パン! とほおを平手で打った。

「王宮に招待されたからといってここでのお前の立場は変わりませんからね! さっさと掃除に戻りなさい!」

 言うだけ言うとバーバラもすぐに部屋から出て行った。

 ひとり残されたアルダンテは、打たれて痛む頬を手で押さえる。

 そしてボソリと、誰にも聞こえないような小声でつぶやいた。

「貴女達に言われずとも、夜会に出たところで今の私の状況が変わるなんて期待していないわ。それに――」

(第一王子クザン……私を招待してなんのつもりかは知らないけれど)

「――王宮にいる腐った貴族共のおもちゃにされるなんて、死んでもお断りよ」


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 一週間後。日が落ちて、夜のとばりが降りる頃。

 王宮の広間では第一王子クザン主催の夜会が開かれていた。

 シャンデリアに照らされた広間には、大勢の年若い貴族の令嬢達が集まり、異様な雰囲気になっている。

 家の威信をかけた豪奢なドレスや宝飾品で着飾った彼女達は、主催であるクザンの登場を、期待と緊張の入り交じった表情で、今か今かと待ち焦がれていた。

 そんな中、アルダンテはひとり、人気のない広間の隅で壁に寄りかかるように立っている。

 アルダンテが纏う深紅のドレス――それは家で迫害されているため、まともな服を持っていない彼女が唯一持っている、夜会用のドレスだった。

 アルダンテの亡き母親が残した唯一の形見であるそれは、まるで血に染められたかのような鮮やかな赤色をしていたため、壁際を通りかかる令嬢達は皆、アルダンテを見かける度に眉をしかめていた。

 しかし当の本人はまるで気にした素振りもなく、澄ました顔をしている。

(ずっと家でお母様と妹の嫌がらせに耐えてきたのだもの。たとえ三年前のような仕打ちにあったとしても、今ならきっと我慢してみせるわ)

 今ここで問題を起こすようなことがあれば、父は容赦なく自分を家から追い出して修道院送りにでもしてしまうだろう。

 伯爵令嬢という肩書や金に執着はないけれど、三年前に社交界を追放になった時のように、腐った馬鹿な貴族達のせいで自分だけが割を食うのは、アルダンテにとっては無性に腹立たしいことだった。

 それに三年間家族の嫌がらせに耐えてきた自分の努力もすべて無駄になってしまう。

(そうなるぐらいだったら、一時の屈辱を受けるなんてどうということはないわ。王宮に私が呼ばれたのも、妹が言う通りおそらくついでだろうから、もうここに来ることもそうそうないだろうし)

 とにかくこのまま壁の花になって今夜をやり過ごせればそれでいい。

 今のアルダンテの心にあるのは、ただそれだけだった。

 そんな風に思いながら、無為に時間を過ごしていると――

「…………?」

 アルダンテの方に向かって、きらびやかな令嬢の集団が歩いてきた。

 目の前で立ち止まった彼女達は、アルダンテを見て見下したように笑う。

「見てあの血のように真っ赤なドレス。気味が悪いわ」

「それに愛想のかけらもないあの顔。見るだけで嫌な気分になるわねまったく」

「どうせ数埋めで呼ばれた家格の低い田舎貴族の娘でしょう?」

「あれと一緒にされるなんて、私達の株まで下がるじゃない。さっさとここから出て行ってくれないかしら」

 その言動からアルダンテは、彼女達がまだ社交界に入ってきたばかりの年若い十四、五歳の娘達だと察した。

(……私のことを知らないのね。もし知っていたらこんなふざけた態度を取るはずがないもの)

 ため息をついたアルダンテは、令嬢達と関わらないようにするためその場から離れようとする。

 すると、令嬢達の中心にいたひとりの娘が甲高い声を張りあげて言った。

「――逃げるんじゃないわよ、アルダンテ・エクリュール!」

 歳は大体アルラウネと同じくらいだろうか。

 小さな宝石をふんだんに散りばめた、過剰に豪華な黄色のドレスを纏った、蜂蜜色の金髪をしたその令嬢は、アルダンテを見ると目を細めた。

 足元から頭まで、じっくりと値踏みするかのように。

「ふぅん。噂には聞いていたけれど、見るからに悪女って感じね。そのなりでよくこの場に招待されたものだわ。色物枠ってとこかしら」

 金髪の令嬢の言葉に、周りの令嬢達が顔を見合わせる。

「エクリュール……?」

「マーガレット様。この女があの〝白薔薇〟ですか?」

「でも全然白くないわよ? それに白薔薇の名前は確かアルラウネだったような」

 金髪の令嬢――マーガレットは、意地が悪そうな笑みを浮かべながら、困惑している令嬢達に言った。

「アルラウネは妹の方。この女は白薔薇の姉のアルダンテ。陰湿な方法で周りの令嬢や令息達に嫌がらせばかりをしていたせいで、三年前に社交界から追放されたとんでもない悪女よ」

「まあ、なんて恐ろしい!」

「道理でいかにも悪女らしい顔をしているわけですわ!」

 令嬢達の好き勝手な言葉に対してアルダンテは弁解しようとして、やめた。

 なにを言ったところで、最初からこちらを馬鹿にする意図がある相手には無駄だと思ったからだ。

 しかしマーガレットはアルダンテの無言を無視されていると思ったらしい。

「無視してんじゃないわよ! 妹がクザン様のお気に入りだからって、手を出せないとでも思っているの!? エクリュールなんて田舎貴族の娘、私にかかれば今この場で人前に出れないようにすることだって――」

「――まあ、下々のお猿さん達は野蛮ですこと」

 マーガレットの声に割り込むように聞こえてきた高圧的な女の声。

 そこには鮮やかな青いドレスを身に纏った青髪の令嬢が立っていた。

 マーガレットは青髪の令嬢の方を見ると、苛立たし気に口を開く。

「誰が下々の猿ですって? 訂正しなさいよネモフィラ!」

 青髪の令嬢――ネモフィラは、首を横に振って肩をすくめながら言った。

「あんな方々と一緒にいたら私達の品位まで疑われてしまいますわ。ねえ、〝白の薔薇姫さん〟?」

 ネモフィラがアルダンテ達の奥に向けて問いかける。

 薔薇姫――カーディス王国の社交界で特に美しいと言われる令嬢達に付けられた二つ名である。

 その中でも白の薔薇姫は最もじゅんすいな乙女に冠せられる名前だった。

(会場にいるはずなのに見かけないと思っていたけれど、ようやくおでましね)

 ネモフィラが声をかけた方にアルダンテが視線を向けると、そこには純白のドレスを纏うアルラウネが立っていた。

「ネモフィラ様、そのようなひどい言葉をかけてはいけませんわ」

 アルラウネが微笑む。

 それはまるで悪意という言葉を知らない、天使のような可憐な微笑みだった。

「私達は皆、栄えある王家主催の夜会に招待された由緒正しき家柄の娘同士。お互いに敬意を持って接するべきです。ねえ、皆さま?」

 アルラウネの問いかけに、周囲でアルダンテ達を遠巻きに見ていた他の令嬢達は、両手を胸の前で組み、心酔しきった様子で口を開く。

「ああ、今日もお美しいわ。〝純白の薔薇〟アルラウネ様……」

「ええ。まるで地上に舞い降りた天使のよう……」

「あの可憐な容姿に純粋無垢なお人柄……伯爵家の娘でありながらクザン様のお気に入りというのも納得ね……」

「あの方と並んだら私達がクザン様の婚約者に選ばれる可能性なんて無きに等しいわ……」

 その様を見たアルダンテは思わず眉をしかめた。

(白薔薇様、ね。大した演技だこと)

 社交界を追放されていたアルダンテは、今年デビューしたばかりのアルラウネとは社交の場で顔を合わせたことがない。

 故に家以外での彼女の顔を見るのはこれが初めてだった。

(あの子の性悪な本性を知ったら、周りの方々は一体どう思うのかしら。まあ、この様子では私が言ったところで誰ひとり信じはしないでしょうけど)

 なにはともあれ、アルダンテは注目の的が自分からアルラウネに移ったことにあんしていた。

 そんな中、未だ怒りが収まらないのか、マーガレットが今度はアルラウネに向かって叫ぶ。

「お高く止まってるんじゃないわよ! 由緒正しき家柄ですって? いくらクザン様に気に入られているからって、伯爵家の娘ごときの貴女が侯爵家の娘でお父様が財務大臣の私と対等に口を利くなんて百年早いわ!」

 マーガレットの言葉に、ネモフィラがククッと口元を歪めて馬鹿にしたように笑った。

「あら、立場で発言が優先されるのなら公爵家の娘でお父様は宰相の私以外は全員黙ってもらうことになるけれど?」

「あ、アンタには言ってないでしょ! 私はこの身のほど知らずの女に言ってるのよ!」

 言い合いを始めるふたりをしりに、アルダンテはその場から離れようとする。

 ふと視線を感じて振り返ると、アルラウネがじっとアルダンテのことを見ていた。

 穏やかに微笑んでいるように見えるが、その目はまったく笑っていない。

 さっさと消えろ。そう言わんばかりに。

(できるものならそうしているわ。私だって好きでこの場所に来たわけじゃないのだから)

 王家からの直々の招待をもらっておきながら、無断でこの場から立ち去れば後ほどどんな言いがかりをつけられるか分かったものではない。

 アルダンテは、厄介ごとに巻き込まれないように、人目につかない広間の隅の方へと移動することにした。

 しかし、令嬢達から背を向けたその時。

 離れた広間の入口の方から、衛兵の声が聞こえてきた。

「――第一王子クザン・カーディス様、ご入来!」

 賑やかだった広間が一斉に静まり返る。

 そこら中で談笑していた令嬢達が入口の方に向いて、スカートの裾をつまんだ。

 そして全員が一様に身をかがめて会釈をする。

 その様からは、幼少期から身体に染みつくまで厳しく淑女としての教育を受けたことが見て取れた。

 アルダンテも令嬢達に倣って会釈をすると、入口のドアが開いて外からひとりの男が広間に入ってくる。

 派手な白の燕尾服を纏った男、クザンは広間に入ってくるなり、つまらなそうな顔でつぶやいた。

「――芋臭い」

 耳を疑うような言葉に、会釈をしていた令嬢達が顔をしかめる。

 クザンはため息をつくと、羽虫でも払うかのようにシッシッと手を払った。

「この国で一番の女を集めよと言ったのになんだこの有様は。芋女ばかりがんくび揃えて集まりおって。興ががれたわ」

 あまりに尊大なその態度を見て、アルダンテはなるほどとうなずく。

 クザンの評判の悪さは聞いていた。

 国王である親の七光りを盾に好き放題をしている問題児だと。

「まあよい。芋の中にもひとつくらいは味見に足る果実が実っているかもしれぬ。おい女達。私に愛でられたいのであれば、媚びへつらって笑顔のひとつでも見せてみろ。うまくできた女は婚約者になれずとも、愛人のひとりとして飼ってやるかもしれぬぞ」

(これは噂以上の馬鹿息子ね)

 ここにいるのは先ほどの会釈ひとつを取ってみても、全員が高度な淑女としての教育を受けた貴族令嬢であることは間違いない。

 当然、そういった教育を施せる彼女達の家格も高いだろう。

 そんな家柄の娘を馬鹿にして、高位の貴族達を敵に回していいことなどなにもない。将来国王になるというのであればなおさらだ。

(なにを考えて……いえ、なにも考えていないのでしょうね)

 呆れるアルダンテを後目に、クザンは令嬢達の反応を見てつまらなそうに鼻を鳴らす。

「言われたことすら満足にできんか。見た目も悪ければ頭の回転も悪い馬鹿な女達め。もうよい。おい」

 クザンの後ろから執事服を着た従者と思しき男が現れた。

 彼は令嬢達を見渡すと大きな声で叫ぶ。

「エクリュール家! アングスト家! ソーン家! それぞれの家の娘は今すぐにクザン様の目の前に並ぶように!」

 呼び出しの声を聞いて、マーガレットとネモフィラ。

 そしてアルラウネがクザンの下に歩いて行く。

(エクリュール家……ということは、私も行かないといけないのかしら)

 クザンの振る舞いを見た後では、この先ろくなことが起こらないというのは予想できていたアルダンテだったが、家の名前を名指しされたとあっては行かないわけにはいかなかった。

 遅れてついて行くアルダンテの前で、三人が示し合わせたかのようにクザンの前で会釈をする。

 背中しか見えないアルダンテからは三人の表情こそ見えなかったが、それはクザンを納得させるに足るものだったのだろう。

 彼は満足気に頷いて言った。

「この三人を見ろ。容姿といい、立ち振る舞いといい、申し分ない。さすがは私が直々に呼んだ〝薔薇姫〟達だ」

 社交界に疎いアルダンテはアルラウネが白薔薇姫と呼ばれていることは知っていたが、先ほど出会った他のふたりも薔薇姫と呼ばれていたことは初めて知った。

「クザン様、お久しゅうございますわ! 私、〝黄薔薇姫〟マーガレットは貴方様と再びお会いできる日々を今か今かと指折り数えてお待ちしておりました!」

「ごきげんよう、クザン様。〝青薔薇姫〟ネモフィラはいつでも貴方のお傍におりますわ。お望みであればそう、いつまででも」

 マーガレットとネモフィラがクザンの両脇に寄り添い、媚びるように腕を絡める。

(公衆の面前で恥ずかし気もなくべたべたと……)

 確かに容姿や立ち振る舞いだけを見れば、目の前にいる三人は誰が見てもその美しさに見惚みとれることだろう。

 だが先ほどまでの彼女達の罵りあいを見ていたアルダンテには、それがただ外側を取り繕っただけのハリボテの美しさだとしか思えなかった。

(あれが薔薇のように美しい姫だなんて、聞いて呆れるわね)

 唯一、意外なのは真っ先にふたりに対抗心を燃やしそうなアルラウネが、その場に留まっていることだった。

 微笑みをたたえたその表情には余裕すら感じられる。

 アルダンテがげんに思っていると、クザンがアルラウネの方を向いた。

 その表情は他のふたりに向けていた物とはまったく別の、心の底から嬉しそうな笑顔だった。

「おお、我が愛しの白薔薇よ!」

 腕に抱きついていたふたりを押しのけ、クザンがアルラウネの元へ歩いて行く。

 不満そうな顔をするふたりを後目に、クザンはアルラウネの肩に手を置いて言った。

「なんと愛らしく可憐な娘よ。我が婚約者にはやはりお前のような男を立てて一歩後ろを歩くようなけなな女がふさわしい」

 クザンの言葉にアルラウネははにかんだようなあどけない笑顔を浮かべる。

「ふふ。いけませんわ、クザン様。私だけを贔屓ひいきされては他の方々に悪いです」

「なにを言う。お前さえいれば他の女などいてもいなくても――」

 言いかけたクザンが言葉を止めた。

 アルラウネの背後で、ふたりのやり取りを冷めた目で見ていたアルダンテは、クザンの視線が自分に向いていることに気がつく。

 クザンはアルダンテを睨みつけながら言った。

「なんだお前は」

 面倒な男に目を付けられた。

 そう思いながら、アルダンテは落ち着いた所作で会釈をする。

「お初にお目にかかります。私、エクリュール家の――」

「私は薔薇姫達をここにと言ったのだ。お前のように男を喜ばせる笑顔のひとつもできぬ不愛想な女など呼んでいない。不愉快だ。今すぐにこの場から消え失せろ」

 いくら身分の差があるとはいえ、無礼がすぎるクザンの物言いに対して、アルダンテは顔をしかめそうになった。

(いえ、主催のクザンが帰れと言っているのだから、そのまま帰ればいいじゃない。そうすればこの居心地が悪い場所から大手を振って帰れるわ)

「承知致しました。それでは失礼致します」

 再び会釈をしてからクザンに背を向ける。

 アルダンテはようやくこの夜会という名の茶番から解放されることに安堵した。

 しかし――

「――クザン様、姉のご無礼をお許しください。姉のアルダンテはここ三年ほど、社交界を追放されていたもので、久しぶりの夜会とクザン様を目の前にしたことで緊張していたのですわ」

「姉のアルダンテ、だと?」

 アルラウネの言葉にクザンが眉をひそめる。

 余計なことを。内心で舌打ちしながら、アルダンテはそのまま広間を出て行こうとして――。

「待て。誰の許しを得てここから出て行こうとしている」

 クザンの制止の声に引き止められた。

(さっき貴方自身が出て行けと言ったじゃない)

 うんざりしながらもアルダンテは無表情でクザンに向かって振り返った。

 クザンはアルダンテの目の前まで近づくと、目を細めて値踏みするように全身を見る。

「ほう。お前があのアルダンテ・エクリュールか」

「……そうですが、なにか?」

「訂正しよう。確かにお前は私が呼んだ。なにしろお前もかつては薔薇姫のひとりとして名が挙がっていたらしいからな。どんな顔をしているのか一度は見ておきたいと思っていたのだ」

 ニヤリと、クザンが笑った。

「そうだ、確か薔薇は薔薇でも〝いばら〟姫などと呼ばれていたらしいな?」

 その言葉を聞いた瞬間、アルダンテは背中に隠していた拳を強く握り締める。

 それは社交界を追放される以前、アルダンテを馬鹿にするために薔薇姫になぞらえて誰かが付けた蔑称だった。

(……よりにもよって、ずっと忘れようとしていたその名で私を呼ぶのですね)

「その口から出る言葉はすべてが毒。振る舞う所作はするどいとげとなって、触れるものすべてを傷つける。そうしてついたあだ名が〝いばら姫〟。なるほど、確かにその名が示す通りに反抗的な面をしているわ」

 顔を歪めてぎゃくてきな笑みを浮かべるクザンに、アルダンテはうつむきながら答える。

「……私をご覧になって気はお済みになられましたか? 満足していただけたなら、早々に退出させていただきたいのですが」

「ああいいぞ。だがその前に――」

 クザンが自分の足元の地面を指さした。

「――土下座せよ」

「……は?」

 アルダンテは顔を上げると、クザンは当然だと言わんばかりに言った。

「なにをほうけた顔をしている。当たり前であろう? 私は悪女と呼ばれたいばら姫がいかなるものか見たくてここに呼んだのだぞ」

 クザンはため息をつくと、呆れたように肩をすくめる。

「それだというのにお前は私になにを言われようが言い返しもせず、じっとうつむくばかりだ。その上、この私の期待を裏切っておきながら、謝罪のひとつもせずにこの場を去るだと? そのようなことが許されるわけがあるまい」

 理不尽なクザンの言い分にアルダンテはふつふつと、心の奥底から怒りが湧き上がってくるのを感じた。

(……どうして私がこんな目に遭わなければいけないのよ)

 それは社交界を追放された三年前から今に至るまでずっと。

 心の奥底にしまい込み、我慢していた感情だった。

(ずっとずっと我慢してきた。家族にいじめられても。見知らぬ誰かに馬鹿にされても。かつてそうしていたように、この私に手を出したことを一生後悔するくらいにたたきのめしてやりたい気持ちを、必死に押さえてきた)

「もう一度言うぞ――土下座をして私に詫びろ」

(それはいずれ自由に振る舞ってもおとがめを受けなくなるという父の言葉を信じて、渋々、仕方なくやっていたことだった。でもこの場で土下座をさせられて屈辱を味わわされるくらいなら、もう我慢なんてしてやらない)

 ギリ、と歯をみしめる。

(出てってやるわよあんな家。そもそもやられたらやり返すなんて当たり前のことでしょう? それを言うに事欠いて〝いばら姫〟ですって? 上等じゃない。なってやるわよ、貴方達のお望み通りのとびきりの悪女にね)

 顔を上げるとクザンが怒りに顔を歪めて何事かを喚き立てていた。

 今までのアルダンテならば、なにも口答えせずにただ言われるがままになっていたことだろう。そう、今までは。

「私が、ですか?」

 とぼけたようなアルダンテの態度に、クザンはさらに怒って声を荒げた。

 それは年頃の貴族の令嬢ならば、臆して思わず泣き出してしまうような剣幕だったかもしれない。

 だがアルダンテはそんなクザンに対して一歩も退くことなく、まっすぐ視線を交差させながら言った。

「恐れながらクザン様に申し上げます」

 アルダンテが扇子を開いて口元を隠す。

「なぜ私が初対面の貴方に対して、粗相をしたわけでもないのに謝罪をしなければなりませんの? 意味が分かりませんわ。というわけで――」

 口角を吊り上げ、口端をニィと横に引いたその表情は、笑みというにはあまりに禍々しく、悪辣で――。

「――答えは〝否〟ですわ。誰が貴方に謝罪などするものですか」

 それはまさしく、悪女の笑みだった。

 人が変わったかのようにじょうぜつにしゃべりだしたアルダンテを見て、周囲の令嬢達が困惑する。

 散々外面を取り繕っていたアルラウネですら、怪訝な顔を隠せずにいた。

 そんな中、クザンはついに怒りが頂点に達したのか、顔を真っ赤にしてアルダンテに指を突きつける。

「お、お前……! 誰に向かってそのような無礼な口を利いている! 私は次期国王だぞ! 私に対しての無礼は国に対する反逆と同義で――」

「――ふふっ」

 口元に手を当てて笑うアルダンテに、クザンが目を見開いて叫んだ。

「なにがおかしい!」

「だっておかしいじゃない。なぜクザン様は自分が女に愛されて当然だと思っていらっしゃるの?」

「……は?」

 間の抜けた声をあげながらクザンが呆然とする。

 アルダンテは扇子を仰ぎながら馬鹿にしたような半笑いの顔で告げた。

「確かにクザン様は第一王子で次期国王になられるお方――ですがそれだけでしょう?」

「お、お前はなにを言っている!?

 困惑するクザンから令嬢達に視線を移す。

 状況が理解できずに混乱している彼女達を前に、アルダンテはゆっくりと扇子を仰ぎながら口を開いた。

「次期国王の妻となるということは、行く行くは次期王妃。肩書がなにより大事なここにいる皆様方にはさぞやおモテになられることでしょう。ですが――」

 アルダンテがパチンと、扇子を閉じる。

 そして閉じた扇子の先端をクザンに向けた。

「そういったことに興味がない女にとって貴方は、権威を笠に着て、威張り散らすだけのつまらない男、ということですわ。お分かり?」

「つまらない、だと? この私が?」

 怒りにわなわなと身体を震わせるクザン。

 それを見たアルダンテは肩を落とし「はぁ」と深いため息をついた。

「そんなつまらない貴方に美貌も知性も兼ね備えたこの私が、土下座をして媚びへつらう? なぜ? どうして? 冗談も休み休みにしてくださいませんか? えっと……次期国王様、だったかしら」

「こ、の……っ! 無礼者がぁ!」

 ついにげきこうしたクザンが腰に差していたサーベルの柄に手を掛け、さやから引き抜く。

 ヒィン、と鞘から刃が引き抜かれる冷たい澄んだ音が鳴り、瞬きの間に刃先がアルダンテに突きつけられた。

「きゃあああ!?

 驚いた令嬢達は一斉に悲鳴をあげて、蜘蛛くもの子を散らすようにクザンの周囲から退避する。

(王宮の広間で抜剣するなんて、本当に愚かな王子)

 自分の顔のすぐ前にある刃を見ても、アルダンテは微塵の恐怖も感じていなかった。

 それどころか、もしこの刃が自分の肌を少しでも傷つけようものならば、倍にしてやり返してやろうとすら思っている。

 目前の女がそんなことを思っているなど露知らず、クザンは勝ち誇った顔で言った。

「私を本気にさせたな! もう土下座などでは収まらぬぞ! お前は今日から奴隷だ! 毎日き使って生まれてきたことを後悔させてやる!」

 貴族の家に生まれた育ちのいい娘ならば、恐怖に涙してしまうようなその言葉にアルダンテは――

(毎日奴隷のように扱き使われることなんて、私にとっては日常茶飯事よ……!)

「権威やどうかつが通用しない女には暴力で言うことを聞かせようというわけですか。まあ素敵な王子様ですこと」

「このっ……! 言わせておけば……!」

 クザンが剣先をアルダンテの首筋に近づける。

 いよいよ明確な殺意を感じたアルダンテはそれを回避するため、握り締めた扇子を振り上げて――

 ガシャン! と、どこからかガラスが割れる音が響いてきた。

 突然の出来事に全員が動きを止めて音の方に視線を向ける。

 アルダンテや令嬢達から離れた丸テーブル――そこには、白いドレスシャツの上に着崩した黒の礼服を纏う金髪の男がいた。

 中性的な美しい顔立ちをしたその男の手にはワイングラスが握られている。

 そしてその足元には砕け散ったワインの瓶が転がっていた。

「――いやあ、参った参った。酔っているからかつい手元が滑ってしまった」

 首元を押さえながら男が独り言のようにつぶやく。

 床に広がるワインを見つめる男の表情は、ひつぎに入った親友のなきがらを見送るかのような哀切に満ちていた。

「もったいないなあ。まだ少ししか飲んでなかったのに……って、うん?」

 視線を感じたのか男が周囲の様子を見る。

 やがて彼の目はアルダンテに剣を突きつけるクザンの姿を視界に捉えた。

 そこでようやく事態を察したのか、男はひとつ頷くと、笑顔で口を開く。

「なにやら取り込み中だったみたいだね。俺には構わず、おふたりは続きをどうぞ」

 その男が何者か知っていたアルダンテは、相変わらずの彼の軽薄な態度に顔をしかめた。