加護、という言葉はもちろん聞いたことがある。神様が気まぐれに、人や物に与える恩恵のことだ。

だが、そんな加護を今、目の前にいる魔獣が自分に与えた、と言った事実に、理解が追い付かず、軽いパニックになるシエラ。

「このままでは、トーカスの元にシエラを連れていけぬからな」

「トーカスの……元……?」

そんなパニックも、一瞬で吹き飛ぶようなことを、さらにコーカスが口にした。顔を引きつらせながら、恐る恐るシエラが聞くと、コーカスは気にする様子もなく、行くぞ、と言ってすたすたと歩きだした。

「あ、ちょ、待ってください!」

コーカスの言葉の意味をそのまま受け取るのであれば、ここはもう、ゴブリンの集落目前ということになる。そしてそれが正しければ、こんなところにシエラ一人取り残されては、冒険者ではない一受付嬢の自分など、すぐに殺されてしまう。いや、殺されたほうがましだったと思うような状況になる可能性すらあることをすぐに悟り、シエラは慌てて、コーカスの後を追った。


少し歩いていくと、ツンと鼻を刺すような臭いが漂い始めた。うん? とシエラは少し眉を顰めながらも、さらにコーカスの後をついて行くと、だんだんとその臭いは酷くなっていった。

「うぅ……やっぱり、すごい数がいたみたいですね」

臭いの正体はすぐにわかった。シエラは鼻をつまみながら、コーカスの傍を離れないよう、ぴったりとくっついて歩く。そこら中にゴブリンの死体が転がっており、血の臭いが充満している。鼻をつまんだ程度で、その臭いはもちろん止められないが、つまんでいないよりはまし、と、さっきからぎゅっと必死で鼻をつまみ続けているシエラは、必死でこみ上げる吐き気と戦っていた。周囲の死体は原形をとどめていないものも少なくない。正直、一瞬でも気を抜けば、軽く一吐きできるレベルであった。

「ふむ、中々の数がいたようだな。トーカスの敵ではないだろうが、これはこれで、よい訓練になっただろう」

そんなシエラとは裏腹に、嬉しそうに頷きながら歩くコーカス。シエラはそうですか、とため息をついた。

「ところで、なんで私までここに連れてこられたんでしょうか?」

置いてきてくれれば、今頃、ジェルマに連絡をして、ゲートで街に戻っていたのに、と思ったところで、ふと、ジェルマに連絡を入れていないことに気づいた。

「やっば! すいません、ちょっとだけ、上司に連絡を入れさせてください!」

シエラは立ち止まり、持っていたマジックバッグをごそごそと漁る。急に立ち止まったシエラの方を向いた瞬間、コーカスのトサカが金色に変わる。

「伏せろ!」

「ぎゃぶ!!

コーカスは叫ぶと同時に、シエラを自身の右翼で地面に叩きつけた。

死んだ、と思えるほどの衝撃が体に走った気がしたが、顔面を強打したものの、怪我はないようで、どこからも血などは出ておらず、軽くこけた時くらいの痛みがあるだけだった。

「ケケー!!

コーカスの叫び声に、思わず伏せたまま両耳をふさぐ。

すると、自身の上を何かが飛んでいった。

「え?」

顔を上げると、ドカっという音とともに、こん棒のようなものが少し先の地面に落ちたのが見えた。顔をそのまま後ろに向けると、そこには石化したゴブリンが三体ほどあった。

「まさか……」

ちらりとコーカスを見ると、コーカスはふむ、と周囲を見回し、警戒を解く。トサカの色が、金色から赤色に戻った。

「討ち漏らしか、あるいは別の所から戻ってきた奴らか。なんにせよ、もう、周囲にはおらぬようだから大丈夫だ」

コーカスの言葉に、シエラは身震いした。

「あ、ありがとうございました……」

コーカスがいなければ、たぶん、あのこん棒はシエラを直撃していただろう。それを想像して、シエラは少し恐ろしくなった。

「ふむ、加護のおかげで、怪我はなさそうだな。力加減がわからんからな。うっかりでシエラをつぶしてしまったら元も子もない」

「うっかりで殺そうとしないでください」

思わずポロリと口をついて出た言葉に、コーカスが気を悪くしたらマズい! と、嘘です、ごめんなさい、とぺこぺこと頭を下げながらすぐに謝った。

「……というか、加護って普通に与えられる物なんですか?」

そもそも、加護というものは神様に与えられるもので、欲しいからといってもらえるような代物ではない、というのが一般認識だった。シエラが疑問を口にすると、トーカスは首を傾げながら答える。

「さあ? そんなことは知らん。与えられるから与えただけだからな。我等は子が産まれたら、すぐに親が子に加護を与えているからな。……まぁ、正直、人間に加護を与えたのは初めてだから、効果や持続時間はよくわからん。とりあえず、よっぽどの攻撃を受けない限りは、即死はしないだろうし、少なくとも今晩くらいはもつだろう。まぁ念のため、できる限りの危機は排除してやる」

「……その言葉、信じてますからね」

なんかちょっと適当だな、と思いつつも、まだ死にたくはないので、コーカスの最後の言葉を信じて、護ってもらう、と心に誓うシエラ。

「行くぞ」

「はい」

歩き出したコーカスについて、シエラは一緒にまた歩き出した。

ジェルマに連絡をしなければ、という重大なことを思い出したのを、再び忘れて。


コーカスに時々出会うゴブリンを石化してもらい、それをシエラがどんどん倒して壊しながらしばらく歩いたところで、ふと、何か異様な気配を感じ、シエラはコーカスを見た。

「気づいたか?」

「はい。これ……もしかして」

シエラが聞くと、コーカスは頷いた。

「トーカスに追いついたようだな」

ゆっくりと周囲に気を付けながらさらに先に進むと、少しひらけた場所に出た。そしてそこには漆黒のコッカトリス、トーカスと、成人男性と同じくらいの身長のホブゴブリンと思しきゴブリン複数体、後ろから遠距離攻撃を仕掛けているゴブリンメイジが数体いた。

「あの……トーカス様、大丈夫ですか?」

気づかれないよう、木陰に潜みつつ、小さな声でシエラは少し不安に思い聞いた。トーカスはコッカトリスとはいえ、まだ産まれて間もない。ゴブリンとは言え、上位種もいて、数も圧倒的に向こうの方が多い。

「我の息子だ。心配はいらん。ほれ」

トーカスの方を見ると、ちょうど、右翼をシュッと横薙ぎすると同時に、前に出ていたホブゴブリンの首が、胴体から離れたところだった。

「え……? ま、まさか、風魔法!?

驚きのあまり、思わずコーカスを見る。

「厳密には違うな。我らの風切り羽は少々特殊でな。ああやって、真空の刃を飛ばすことができる。まぁ、産まれてまだ間もないトーカスが、あれを使えるようになっているのは才能だな。さすが、我が息子」

満足げに頷くコーカスに、シエラは心の中で親馬鹿炸裂! と突っ込みつつ、トーカスに視線を戻す。

「ほれ、決着がつきそうだ」

前衛であったホブゴブリンが死に、トーカスはゴブリンメイジに向かって一鳴きする。ゴブリンメイジはそれに対し、防御結界を展開した。と同時に、ドカドカっと矢がトーカスのいた場所に突き刺さる。ゴブリンアーチャーもいたのか、とシエラは驚くも、すでにそこにトーカスの姿はない。

「ぎえぇぇぇぇー!!

少し離れた場所から、バキバキっと木が折れるような音と共に、大きな悲鳴が上がる。声のした方を見ると、木の上からゴブリンが落ちていくのが見えた。あれがたぶん、さっき弓で攻撃をしていたゴブリンアーチャーだろう。矢の飛んできた方向から、ゴブリンアーチャーの場所を察したと思われるトーカスが、避けると同時に、真空の刃を飛ばして攻撃し、それが当たり、そこにいたゴブリンアーチャーはその刃によって切り刻まれたのだ。

「ケー!!!!

「げぎゃ!!

また別の方から、トーカスの鳴き声とゴブリンと思しき叫び声が聞こえる。視線をそちらに移すと、そこには、石化したゴブリンメイジの姿と、トーカスの脚で頭をぐしゃりとつぶされたゴブリンメイジ、そして、頭が胴体から離れて落ちるゴブリンメイジの姿があった。

「す、すごい……」

第一ギルドに所属している冒険者たちに、これだけのことができる人はいるだろうか、そんなことを考えていると、トーカスは空を向き、これまでで一番大きく、高く鳴いた。

「ケーーーーーーー!」

「っ……!」

思わず耳をふさぐ。

それと同時に稲妻が走り、ドカドカドカ! という轟音がとどろく。

「ほう……!」

「うそ……」

雷の落ちた辺りに生えていた木が、バキバキと音を立てて、燃えながら倒れる。そして、それと一緒に、近くにあった消し炭になった何かが、どさっと地面に崩れ落ちていった。

コーカスはトーカスの力に目を輝かせ、シエラは絶対に敵に回してはいけない魔獣が誕生していることに、言葉を失った。


「トーカス」

周囲にいたゴブリンアーチャーも一掃したことを確認したコーカスは、木陰から出て、トーカスに声をかけた。

「父上」

声の方に向き、小さく頭を下げ、トーカスがコーカスに返事をする。

「え!? トーカス様も喋れるの!?

今までずっと、コケコケ鳴いていたところしか見ていなかったシエラは、驚いて思わず思っていたことが声に出た。

「む? シエラか。今、猛烈に腹が減っている、マイスを寄越せ」

ととと、っとシエラの方に駆け寄ってくると、すりすりと体をシエラにすりつけてくる。その様子は、さっきまであの強烈な戦闘を繰り広げていた魔獣には全く見えなかった。

「わ、わかりました。ちょっと待ってくださいね」

はっと我に返ったシエラは、慌ててバッグからマイスを取り出し、トーカスに渡す。

「一本では足らぬ。もっと寄越せ」

目にもとまらぬ速さでマイスをついばんでいくトーカス。シエラは慌てて、マイスを追加で取り出して渡した。

「む、我にも寄越すがいい」

それを見たコーカスも、シエラにマイスを要求してくる。ホントにこれがあれをやった魔獣なのか……? と若干自分の見たものが信じられなくなりつつも、はいはい、とシエラは二匹の前にマイスをドン、と置いた。

「それにしても……トーカス様、喋れるんですね」

特殊個体と思われるコーカスの子供だから、やはりトーカスも特殊個体だったのか、と思い、小さく呟くシエラに、コーカスはいや、と首を振った。

「森で別れる前までは、喋れなかったぞ?」

「え?」

元々喋れなかったのがこの短期間で喋れるようになったってこと? と、思わずシエラはトーカスを見る。トーカスは、マイスをある程度食べて少し満足したからなのか、彼女の視線に気づくと、せわしなく動かしていた嘴を止めて答えた。

「ゴブリン共を大量に倒したからか、意思疎通のスキルが上がったようだ」

「え? 意思疎通?」

聞いたことのないスキルに、シエラが首をかしげると、コーカスが今度は割って入ってきた。

「なんだ、知らないのか? このスキルは少しレベルが上がると、他種族とも意思疎通会話ができるもので、中々に便利だぞ? ちなみに、シエラが我らと会話ができているのも、我らのスキルレベルが、人種族と会話ができるレベルに達しているからだろう」

「な、何それ。そんな便利スキルあるなんて……し、知らなかった……」

魔物や魔獣が連携をとることができたり、時々人の言葉を話すものがいるのか等については、何かしら理由があるといわれてきていたが、研究者たちの間でもはっきりとしたことはわかっておらず、長い間、大きな謎の一つとなっていた。

「もしかして、私たちも意思疎通のスキルを手に入れれば、他の魔獣たちとも会話ができるようになるんですか?」

もしそうなら、これはすごい発見じゃないか! と思わず興奮して問いかける。

「知らん」

「え?」

即答するコーカス。

「我らはレベルが上がれば他種族とも会話ができるようにはなるが、人間どもがそのスキルを持ち、レベルが上がったところでどうなるかなぞ、知るわけがないだろう。そもそも、自分達以外でスキルがどう発現するのかなんぞ、興味ないわ」

「……デスヨネー」

コーカスにバッサリと切って捨てられたシエラは、がっくりと項垂れた。

(それにしても、この調子なら、ホントに集落くらいどうにかなりそうだなぁ)

さらにマイスを寄越せと言われたが、残念ながらマイスはもう品切れだった為、とりあえず一緒に買ってきていた他の豆類を出してあげたところ、二匹は物凄い勢いでそれらを食べていたので、凄い食欲だな、と思いながら彼らを見つめていた。

「あっちはどのくらい人が集まったんだろ……って、あぁ!?

シエラは連絡を入れようと思って結局入れていないことを思い出し、慌てて通信用魔道具をマジックバッグから取り出した。

「…………と、いうわけで、現在、私はゴブリンの集落の近くにきています」

食事を終えて歩き始めたコーカスとトーカスの後ろについて歩きながら、シエラはすっかり忘れていたジェルマへ連絡をしていた。

『と、いうわけで、じゃないだろうが! とにかく、そんなのんきな報告ができるってことは、無事なんだな?』

先行するトーカスがケー! と鳴くと、ゴトゴト、と音を立てて石化したゴブリン達が地面に落ちていく。

「……そうですね、コーカス様とトーカス様のおかげで、生きてます」

体は無事だが、周りのゴブリンの死体や、この強行軍のせいで、ストレスは半端ないのだけれど、と思いつつ、シエラは報告する。

「コーカス様、この後はどうするんですか?」

トーカスの体もよく見ると一回り以上大きくなっていて、今回の狩りでかなり成長されているのだろうと推測するシエラ。正直なところ、先ほどの戦いっぷりを見た後となると、このまま、ゴブリンの集落をつぶしきってもらいたい、というところが本音だが、もしかしたら、彼らはすでに満足しているかもしれない。

「まぁ、十分な成果は得られたしな。我等はもうどうでもよいのだが……シエラ、お前はそうではないのだろう?」

コーカスに言われて、シエラは思わず図星を突かれた、という表情になった。

「……マイス次第では、考えても良いかと思います。それに、せっかくここまで来たのだし、このまま俺の糧にして、どこまでいけるかを知りたい、という気持ちもあります」

トーカスがコーカスに言う。

「あのー……先ほども申し上げましたけど、もう、手持ちがないので、時間をいただかないと行けないですけど……」

今すぐに寄越せって言われたら困る! と、慌ててシエラが再度伝えると、コーカスは少し思案したのち、トーカスがよければ、我はかまわない、とコーカスが答えた。

「ジェルマさん。聞こえてたと思うんですが、このままトーカス様に討伐していただけることになったので、とりあえず、集められるだけのマイスを、朝一で用意しておいてもらえますか?」

『集められるだけだと?』

怪訝そうに答えるジェルマに、シエラは、はい、と答える。

「マイスは、討伐の報酬として、トーカス様たちにお渡しするので、できるだけたくさんかき集めておいてください。めっちゃ食べますので。ほんとに、想像を絶するくらい、食べますので。なんなら買い占めるくらいの勢いでもいいかと思います。あ、ゴブリンの死体の片付けもありますから、すでに受付が完了している冒険者の派遣はそのまま行ってください。新規の募集については、もうストップしてもらっていいと思います」

集めてもらったマイスの量が足りない、なんてことになったらとんでもないことになる、とシエラはジェルマに念を押す。

『……わかった。その代わり、また報告ができるようになったら、忘れずに連絡しろ。いいな?』

ジェルマの言葉に、何とかこれで乗り切れそうだ、とシエラはホッと胸を撫でおろした。

「はい。あ、それと、これ、危険手当って」

『時間だ、切るわ』

「あ、ちょっと! もしもし! もしもーし!? ……もう、手当の一つくらい出してくれたっていいじゃない!」

そう言えば、と思ってついでに聞こうとしたが、あっさりと切られてしまったので、何の声も聞こえなくなった通信魔石を、バッグの中に放り込んだ。

「ほんとに、まったくもう! これだから、ギルドはブラックだって言われて、職員の数も増えないのよ!」

ぷりぷりと怒りながら文句を言うシエラ。

すると、急にふっと体が浮遊感に襲われる。

「え!? ちょ、なにー!!!!

次の瞬間、視界が急上昇する。シエラの服をつまみ持ち上げたコーカスが、そのまま上に飛んだのだ。

そしてそれと同時に、周囲にあった木々がバキバキ、と音を立てて倒れていく。

「ぎゃー!!!」

数秒、空中にとどまっていたかと思うと、今度は急速落下が始まり、涙目になって叫ぶシエラ。

「ふむ、この辺りはもう、あらかた片付いたようだな」

地面に再び降り立ったコーカスは、あたりを見回して呟いた。

襲撃に気づき、集まってきていたゴブリン達をちまちまと倒すのが面倒になったトーカスが、風切り羽で真空の刃を三百六十度全方向へと飛ばしたのだ。そして、コーカスはそれに気づいたので、シエラが切り刻まれないよう、彼女を持ち上げてジャンプして避難した、というわけだった。

木々はバラバラになって崩れ落ち、絶命し、真っ二つになったゴブリン達の死体も、そこら中に転がっていた。シエラは、それに巻き込まれはしなかったが、自分もたぶん、いつか死ぬな、と、本日何度目かわからない死を覚悟したのだった。


それからしばらく歩いていくが、先ほどまでとはうってかわって、急にゴブリン達の襲撃がなくなっていた。周囲をトーカスが一掃したからかと思っていたが、攻撃範囲を超えてからも一向に襲撃される気配がないことに、シエラは違和感を覚えた。

「……なんだか、静かになりましたね」

シエラは、何とも言えない不安感を覚えたため、立ち止まり、少し意識を集中して、索敵スキルを発動してみることにした。

「これ、は……」

そこから少し先に進んだ先に、大量の反応があることに気づいた。周囲はすでに暗くなっていて気づいていなかったのだが、よく目を凝らして、その反応のあたりを見ると、うっすらと、何か建物のようなものがチラリと見えた。

「うそ……まさか、砦まで造ってるなんて」

今度は、その砦に集中して、もう一度索敵スキルを発動する。幸い、人と思しき反応は、そこからは感じられなかったので、小さく、良かった、と呟く。

ゴブリン達はよく、人里から、女性や子供を攫って行く。それは、ゴブリン達の繁殖のためであったり、狩りの練習のためであったり、また、ただの娯楽のためであったり。理由は様々であるといわれているが、とにかく、そうしたことを未然に防ぐために、ゴブリンの目撃情報があれば、討伐依頼は即座に出されていた。そのため、当然、ゴブリンの数が増えれば目撃情報も増えるので、その分、討伐依頼の数も自然と増える。

(最近、ゴブリン討伐依頼が特に増えているという傾向はなかった。……だから、ここまでの集落ができていることに、気づくことができなかったのか)

人と思しき反応がない、というのも、特に緊急でゴブリン退治や救助依頼が発生していなかったことからも、当然と言えば当然の結果だった。

(でも、もし、ここに、人の反応があったとしたら)

そんな想像をして、シエラはひゅっと喉が鳴った。今自分が一緒にいるのは冒険者ではなく、魔獣だ。あの中に、人の反応があったとしても、果たして彼らにその救出を受け入れてもらえただろうか?

マイスで上手く交渉ができるかもしれない。

だが、単純に彼らは、ゴブリンを狩りに来ているだけなのだ。それも、シエラがお願いしたとはいえ、彼らにとっても、狩りの練習ができ、さらに食料となる野菜がもらえるから、というだけの理由で、だ。依頼を受けている、という体をギルドとしてはとってはいるが、彼らにしてみれば、それはただ、利害が一致しているからに過ぎない。となると、そんな彼らが、果たして人を救出することを了承してくれるだろうか?

そして、シエラはただの受付嬢だ。戦闘能力なんて一般人に毛が生えたようなもの。自分でなんとか救出など、命を捨てる覚悟であったとしても、確実に無理であることは、考えなくてもわかっていた。

(……まぁ、一緒にいるのが冒険者ひとだったとしても。きっと、この数じゃどうあがいても救出はできなかっただろうな……)

最悪の状況で判断を強いられることにならなかっただけでも良かった、と、シエラは思った。正直、自分がその判断を下すことができたかどうか、そしてその判断を受け入れられたかどうか。

フルフルと頭を振って、今はそんな、たらればを想像することに、何の意味もない、とシエラは思考を切り替える。

「反応の数からして、今までとほぼ変わらない数がいるようですね」

シエラが言うと、ほう、と小さくコーカスが感嘆の声を漏らした。

「なかなかの索敵能力だな。人にしては鋭いのではないのか?」

言われて、シエラは苦笑した。

「一応、レベルだけは高いんです。冒険者ではないので、常時展開とか、何か他に行動しながら、とか、そういうのは無理なんですが、集中すれば、ある程度のことは把握できます。とはいえ、ま、凡人に毛が生えた程度ですよ」

(ジェルマさんなら、このくらい、常時展開で街全域余裕で索敵できるはずだし、私のこれなんて、たかが知れてるしね)

なんてことを思いながら答える。

「ふむ、人の索敵能力も、存外侮れんな」

コーカスの言葉に、シエラはそうですか? と首を傾げた。

「まぁ、何にせよ、雑魚がいくら集まろうと、あの程度、さして問題もないが……散らばられると面倒だな」

砦がはっきりと目視できるところまで来たところで、トーカスは足を止め、砦の方を向いて言う。

「いっそ、砦ごとつぶしてしまうか」

「え?」

急に何を言い出すのかと、シエラがトーカスの方を見ると、すでにトサカの色が金色に変わっていた。

「な、なにを……?」

「シエラ、こっちにきておれ」

コーカスに服の裾をつままれ、そのまま少し離れた場所に移動させられる。

「砦ごとって……ま、まさか……」

金色に変わったトサカがバチバチっと音を立てて放電し始めた。

砦の外に、大きな魔力を感じたからか、索敵していた砦内の反応が動き始める。

だが、その反応が大きく動き始めるよりも前に、パチパチ、と、肌にかすかな静電気が走るのを感じ、気づけばシエラの髪の毛もふわふわと逆立ち始めていた。

「ふむ、時間がかかってはいるが、中々だな。雷との相性は悪くないようだ」

嬉しそうに呟くコーカス。シエラは、これから何が起こるのか、なんとなく想像はついた。だが、本当にそんなことが起こるのか、起こせるのか、と、緊張と興奮に、心臓がバクバクと大きく音をたて、どんどんとその鼓動が速くなっていくのを感じていた。

「唸れ、いかずち

トーカスの言葉とともに、一瞬、あたりがまるで昼間のような明るさを取り戻す。その直後、特大の雷が、轟音と共に砦に落ちた。砦は瞬く間に崩れ落ちてゆき、そして、雷によって火の手が上がる。砦は一瞬にして、火の海と化した。

「こ、こんなことって……」

災害級の事象が目の前で起き、シエラは唖然とする。

だが。

「……真打ち登場だな」

トーカスは大きく雄叫びを上げると、力強く地面を蹴り上げ、砦へと猛スピードでかけていった。

「え?」

砦の方を見ると、そこには、崩れた砦から、トーカスの倍はあるのではないかという巨体の持ち主が、瓦礫を吹き飛ばし、現れた。

「ぐがあぁぁぁぁぁぁ!!!!

大きく叫ぶそれは、猛スピードで突っ込んできたトーカスの脚をつかみ上げ、そのままトーカスを地面へと叩きつけた。

「トーカス様!!

叫ぶシエラに、コーカスは心配いらん、と、肩に翼を置いてきた。

「大丈夫だ。トーカスは我の息子だ。心配はいらん」

え、なに、その理由、と思わず力が抜ける。

「ほれ、見ろ」

くいっと嘴で促され、シエラは砦の方へと視線を戻す。

すると、地面に叩きつけられていたはずのトーカスが、上空から思いきり突っ込んでいく姿が見えた。

「ゴブリンキングだな。正直、半信半疑ではあったが、確かにいたな、褒めてやろう。良かったな、なかなかレア者だ、滅多にお目にかかれるものではないぞ」

うきうきと楽しそうなコーカスの言葉に、シエラはごくりと唾をのんだ。

(……危なかった。今集まってる冒険者じゃ、太刀打ちできない。どころか、簡単に全滅してた)

ゴブリンキング。その目撃情報は近年上がってきていない。というのも、ゴブリンキングを見つけたら、ゴブリンが一万はいると思え、と昔から言われているため、ゴブリンキングが現れない為にも、各ギルドでは、ゴブリン退治の依頼を、常に出し続けている。

ちなみに、ギルドでは、ゴブリンキングの推奨討伐ランクは最低でもAランクとされており、集落の規模次第では、Sランク、場合によっては、国の騎士団の派遣要請も視野に入れる必要がある、とされている。

シエラが視線をトーカスに戻すと、そこには楽しそうに、甲高い声でコケー! と鳴きながら、キングと対等にやりあっている姿があった。

「あ、あはは……私たちなんかで、どうにかできるレベルじゃなかった……」

思わずシエラは呟く。

今日、まさかあのまま連行され、即座に討伐に出向くことになるとは思ってはいなかったが。

コーカス達が動いていたのが明日だったら?

コーカス達より先に、冒険者たちがゴブリンの砦に到着していたら?

自分たちが動く前に、キングがすでに他のゴブリンを従えて、街に向かっていたら?

シエラはそんなことを考えて、ブルリと震えた。


トーカスとゴブリンキングの攻防は、お互いに一進一退を繰り返していた。

ちらりとコーカスの方を見てみるが、特に心配した様子もなく、何ならあくびの一つも浮かべたりしていて、トーカスに加勢する素振りは全くない。

「トーカス様、大丈夫ですかね?」

もちろん、自分にできることも何もないことはわかっているので、今はこの状況を見守るしかできないのだが、どうしても心配になったシエラが思わず聞くと、コーカスはため息をつきながら、当たり前だろう、と答えた。

「トーカスに足らぬのは経験だけだ。産まれて間もないというのに、すでにあのレベルの雷を使えるのだ。才能も有り、力もある。だが、経験に関しては、ひたすらに、狩りを続け、積んでいくしかない。ほれ、見てみろ」

「え?」

コーカスの言葉に、視線をトーカスへと戻して、よく見てみる。すると、先ほどまでは互角の状態に見えていたトーカスとキングだが、徐々にキングが押され始めているように見えた。

トーカスの攻撃が当たり始め、キングの被弾回数が多くなってきているようだった。

「そもそも、ゴブリンキングとはいえ、しょせんはゴブリンの進化種だ。脆弱な人間ならまだしも、我等コッカトリスの敵ではない。奴の一番厄介な点は、その手下の数の多さだ。だが、砦の外に出払っていた手下共は、ここに来るまでにほぼ殲滅しておいたし、砦に残っていたのも、最初の攻撃で全滅している。やつ単体であれば、何の問題もない。むしろトーカスに経験を積ませるのに、ちょうどよい相手だったわ」

くくく、と笑うコーカス。

「そ、そういうものなんですか?」

正直なところ、人間の定義で行けば、コッカトリスもゴブリンキングも、どちらも脅威には違いなかった。なんなら、激高状態でない通常のコッカトリスよりも、ゴブリンキングの方が、ギルドで設定されている推奨ランクは高いし、危険度も高い認識だ。

「やつに関していえば、多少、皮が硬くなって攻撃が通りにくいことと、一撃が重くなることくらいだな。それ以外、今回みたいにやつ単体になってしまえば、どうということはない。面倒なのは、あれと一緒に、メイジの魔法攻撃や、アーチャーの遠距離攻撃、ナイトとの連携攻撃があった場合だ。まぁ、それに関しても、トーカスであれば、何度かやりあえば、どうということも無くなる」

ふん、と得意げに答えるコーカスに、シエラは顔を引きつらせた。

確かに、今ではトーカスが完全にキングを押していた。キングが動くと、トーカスが雷魔法を落とす。それを避けようとしたところに風切り羽で風の刃を飛ばして少しずつだがキングに傷を入れていく。それにイラつくキングが、トーカスに突進するも、それをひらりとかわして、後ろから雷魔法を落としてスタンさせ、その隙に思いきり蹴りを入れて吹っ飛ばしていた。

(……激高状態じゃないコッカトリスの討伐推奨ランク。あれ、ちょっと見直したほうがいいかもしれないわ)

現在、各魔物には、ギルドが討伐推奨ランクというものを定めており、基本的には、設定されている推奨ランクと同等か、それ以上に該当する者であることが望ましいとされている。そして、このランクを元に、依頼の難しさ(受注可能対象ランク)を選定する目安としても扱われている。このランクを設定することの目的は、難易度の可視化や依頼難易度が処理する人間によって大幅にブレないようにすることでもあるのだが、一番は、身の丈に合わない魔物の討伐を行うことで、死亡してしまう冒険者の数を減らすこと、となっており、そしてこの設定が行われ始めたことによって、依頼の達成率や冒険者の生存率は大幅に上がったとされている。

そして、その討伐推奨ランクは、魔物であるコッカトリスにももちろん設定されており、その設定内容は、通常状態については、Bランクが推奨、となっているのだが。

「ぐおぉぉぉー……」

ドシュ、という大きな音とともに、ゴブリンキングの体に大きな穴が開いた。そして、ギルドの最低討伐推奨ランク『Aランク』の魔物それは、断末魔の叫びをあげて絶命し、崩れ落ちた。

「ふっ……、つまらぬものを切ってしまった」

そういって、嘴についた血をピッピッと払うトーカスの姿。ギルドの設定ランク上では格上に当たるはずの魔物を倒したというのに、疲れた素振りすら見せない彼の様子に、シエラの脳は、考えることの限界を迎えた。

「いや、切ってないし、ね……」

よくわからないセリフを吐くトーカスに、思わず突っ込みを入れるシエラは、その戦闘結果に、コッカトリスの推奨ランクのアップを、とりあえず、戻ったら申請しようかな、と思ったのだった。