奇声と怒号と悲鳴があちらこちらで上がり、先程までの優雅な雰囲気が嘘のようだ。

「くふふ……いいねぇ、やっぱり〝踊りワルツ〟はこうでなくっちゃ」

なんとも楽し気に笑う少年の声の少女は、おもむろに両手を頭へと伸ばす。

そして被っていた金髪のカツラが外され──短い黒髪が露出した。

「──どうかな、カーラお姉ちゃん? 僕の変装、見破れなかったでしょ?」

「ラファエロ……! どうしてあなたがここに……!」

正体を現した少年を見て、珍しく驚愕した表情を見せるカーラ。

〝お姉ちゃん〟──ってことは姉弟なのか?

確かに髪の色といい瞳の色といい、幾らか似てる気はするな。

でもって姉弟ということは……あのガキもレクソン家の一員ってワケか。

国王の懐刀であり、ヴァルランド王家が唯一正式に認可する暗殺一家──

その血族ってことは、アイツも暗殺者アサシンってことだ。

なるほど、今まで上手いこと存在感と殺気を隠していたんだな。

カーラの弟ってだけはある。

「レクソン家がナルシスに与するなんて……そんな話は聞いていない……! これはお父様が引き受けた依頼なの……!?

「お父様たちは断ったよ。この依頼は、僕が個人的に引き受けたんだ」

「なんですって……!?

「僕の暗殺者アサシンデビューに丁度いいと思ってさ。それにカーラお姉ちゃんを相手に依頼を達成できたら、レクソン家の皆も僕を認めてくれると思って!」

無邪気な笑顔を振りまくラファエロという少年。

その顔は無垢な美少年そのものだが──頭のネジが外れているのだけは確かだろう。

そんなラファエロの発言を聞いたカーラは、

「……やめなさいラファエロ……教義にもとる暗殺は、レクソン家にとっての恥……。こんな勝手は許されない……」

険しい顔をして、戒めるように言う。

対するラファエロはつまらなそうな表情で、

「え~? 恥とか教義とか、僕わかんな~い」

「……そういうところが、お父様があなたに暗殺を任せない理由……。あなたに暗殺の仕事は……まだ早過ぎる……」

「くふふ、どうかな? 早過ぎるかどうかは──結果を見てから言ってよ!」

バッとドレスを脱ぎ捨てるラファエロ。

そしてほぼ同時に、その華奢な身体が俺たちの視界から消えた。

「……! ダークネスアサシン丸!」

「カァー!」

天井から会場を見下ろしていたダークネスアサシン丸が、ラファエロの行方を追う。

するとすぐに、カラスの瞳はその姿を捉えた。

「流石ダークネスアサシン丸、目がいいね。でももう遅いよ」

喪服のような黒いコート姿となったラファエロは、乱闘の中を潜り抜けエイプリルへと接近。

そしてコートの下から、無骨な──マチェットを抜き取る。

それにいち早く気付いたレティシアは、

「! アルバン、私のことはいいからエイプリルを──!」

「ダメダメ、お兄さんたちはそこでじっとしてて」

パチン、と指を鳴らすラファエロ。

それに合わせて、

「がああああああああああッ!」

いつの間にか操られていたローエンが、こちらに向かって襲い掛かってきた。

「おいおい……お前も操られてんのかよ」

思わず「ハァ~」とため息を漏らす俺。

なにしてんだコイツは、と。

ローエンは体格が俺より大きいし、当然ながら筋力もそれなり以上にある。

それに最近は鍛錬に精を出しているからか、入学当初よりずっと強くなってはいる。

が、魔法で操られてゾンビ状態になってしまっては、それも形無しだ。

「少し寝てろ、このバカ」

ローエンの拳をヒラリと回避した俺は──すかさず奴の顎に向け、容赦なくアッパーを繰り出した。

「ぐはぁ……!?

宙へ飛び、そのまま床へと倒れてノックダウンするローエン。

少し強く殴り過ぎたかな?

でもまあこれくらいやらないと気絶もしないだろうし。

コイツのタフさだけは伊達じゃないから。

そうしてローエンを退けたワケだが──操られた貴族たちは、まるでゾンビのようにとめどなく襲い掛かってくる。

チッ、生かさず殺さずで気絶させなきゃいけないってのは、マジで面倒だな……。

下手な攻撃魔法も使えないし、これはレティシアの傍から離れられそうにない。

あのクソガキめ……それも全部わかった上で貴族たちを操ってるんだろうな。

俺が内心で舌打ちしていると──いよいよラファエロがエイプリルへと肉薄した。

「それじゃあお姉さん──お休み

ラファエロのマチェットがエイプリルへと迫る。

小柄な身体はジャッカルのように俊敏で、一撃でエイプリルの首を落としにかかる。

しかし──

「──やらせるワケねぇだろうが」

マチェットの刃がエイプリルの首へ届く前に、彼女の身体は後ろへと下がる。

そしてほとんど同時に重心を崩され、気が付けばマティアスに抱きかかえられていた。

「きゃ──あ──っ!?

「悪ぃけどな、俺の大事な〝花嫁〟には指一本触れさせねぇよ」

──ラファエロの身体能力、というより戦闘力は決して低くはないだろう。

身のこなしを見ても、自分が小柄・非力であることを理解しているが故に、機動力を生かして一気に暗殺を終わらせようとしていることがわかる。

が……マティアスには通用しないだろうな。

「よっと」

マティアスはエイプリルを降ろすと、コキコキと首を鳴らす。

「エイプリル、ちょいとそこで待ってな」

「え……マ、マティアス様……?」

「手癖の悪いガキんちょに、世の中の広さってヤツを理解わからせてやらねーと」

エイプリルを背にして、ラファエロへとゆっくり歩み寄っていくマティアス。

その表情には焦りが見られず、余裕すら感じられる。

「……お兄さんて、おバカさんなの? 丸腰で暗殺者アサシンを相手になにができるのかな?」

まるで焦りを感じさせないマティアスの様子を流石に不審に思ったのか、チラッと周囲の状況を確認するラファエロ。

俺はレティシアを守るので手が離せないし、カーラをはじめとしたFクラスメンバーも暴徒化した貴族たちと絶賛乱闘中。

とはいえ、あと数分もあれば鎮圧できるだろう。

レオやイヴァンが手際よく貴族たちを気絶させてるし、エステルなんか「私とお喧嘩するなんて百億兆万年早ぇですわ! しゃおらぁ!」とか叫んで貴族相手にジャーマンスープレックス繰り出してるしさ。

Fクラスメンバーは日頃から鍛えてるだけあって、丸腰でも後れを取ることはないってことだ。

──邪魔が入ることはない。

しかしこの混乱が続くのは残り数分──

ラファエロはそう判断したらしく、

「……くふふ、僕は〝花嫁〟だけ仕留められれば満足なんだけどなぁ。そんなに死にたいなら、お兄さんを先に殺しちゃうよ?」

鈍く光るマチェットの刃を露骨に見せ付け、脅しをかける。

だがそんなラファエロをマティアスは「ハッ」と鼻で笑い、

「やれるもんならやってみな、ガキんちょ。お兄さんが可愛がってやるからよ」

指先をチョイチョイと動かし、逆に挑発し返す。

それを受け、初めてラファエロが不快そうに眉をひそめた。

「言うねぇ……それじゃあ──死ね!」

勢いよくマティアスへと襲い掛かるラファエロ。

さながら獰猛な肉食獣のような速度で、一直線に飛び込んでいくが──

「──〔エアリアル・ファング〕」

マティアスが魔法を発動。

ダンッと靴底で床を蹴ると──そこから〝風の狼〟が飛び出してきた。

「なっ……!?

「得物がなきゃ戦えないなんて一言も言ってねーぞ? これでも鍛えてんのは身体だけじゃなくってね」

風の狼はラファエロのマチェットへと噛み付き、動きを阻害。

マティアスは元々魔力付与エンチャント系の魔法を得意としていたので、所謂攻撃魔法の類を実戦で使ったことはない。

少なくとも俺は見たことないな。

だが当人が言うように、Fクラスメンバーは日々の特訓で魔法も習得していっている。

マティアス自身の純粋な魔力量はレオやイヴァンにこそ劣るが、それでも今やAランク魔法くらいなら発動できるほど。

ラファエロがどの程度俺たちのことを調べたのか知らんが、おそらく予想外の反撃だったんだろうな。

「このッ……!」

慌てて風の狼を斬り捨てるラファエロ。

そこに要した時間はほんの一瞬──だがその一瞬で、マティアスはラファエロの目の前まで間合いを詰めた。

それこそ、手が届くくらいの距離に。

「あ……え……?」

「ガキんちょ、お前スジはいいみたいだが──」

次の瞬間──パンッという甲高い音が木霊する。

それは、マティアスがラファエロの頬を平手で叩いた音だった。

「流石にちっと生意気すぎ──な」

そう言って、不敵な笑みを浮かべて見せるマティアス。

……比較にもならんな。

個々人の実力差は、あまりにも圧倒的に開いている。

真正面からの戦いでは、ラファエロ程度じゃマティアスの足元にも及ばない。

致命的な実戦不足ってのもあるが、ラファエロは〝自分よりも強い存在に正面から挑んだ〟経験がないのだろう。

暗殺者アサシンだからそれでいいと思っていたのか、あるいは純粋に弱い者いじめが趣味だったのか──

ハッキリ言って、暗殺者アサシンとしてはカーラの方が圧倒的に脅威だわな。

カーラを百点とするなら、ラファエロはせいぜい四十五点くらいかなー。

っていうか、そもそもこうして堂々と標的の前に姿を現してる時点で暗殺者アサシンとしては失格かもな。

どうせ姿を見せた理由も虚栄心というか、背伸びしたかっただけなんだろうし。

だからカーラにも認めてもらえないんだろうが、本人には理解できまい。

なんせ、まだ幼すぎるから。

「──」

頬を叩かれるという事態に完全に呆気に取られ、思わず尻餅を突いてしまうラファエロ。

ま、勝負ありってトコだな。

格の違いを見せ付けられて。

一方、そんな光景を見せられたナルシスはギョッとする。

「なッ……なにやってんだラファエロ!? ボケッとしてんじゃねぇ! ホントに使えねぇガキが──!」

「…………よくも」

ポツリ、とラファエロが呟く。

「よくも……よくもよくもよくもッ、よくもこの僕の顔をぶったなあああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

──ラファエロの怒声が木霊する。

マティアスに灸を据えられたのがよっぽど応えたのだろう。

あんなので激怒するとは、やはりガキだな。

大方、親父にだってぶたれたことはないのだろうさ。

〝最低最悪の男爵〟だった俺が言えた義理じゃないが、大概甘ちゃんだな。

「許さない……! 僕の綺麗な顔を叩くなんて……死ぬほど後悔させてやる……!」

可愛らしい顔を憤怒に染め上げたラファエロ。

再び立ち上がり、マチェットで斬りかかろうと構えるが──

「はい……そこまで……」

いつの間にかラファエロの背後に回り込んでいたカーラが、彼の腕を掴んで羽交い締めにした。

「くっ……!? カーラお姉ちゃん、放してよ!」

「あなたの負けよ、ラファエロ……。あなたの暗殺は失敗したの……」

「まだだ! まだ終わってないもん!」

「これ以上……我儘を言うなら……お姉ちゃん、怒っちゃうから……」

口先では諭すように落ち着いた声で話しかけるカーラだが、その腕はラファエロを力強く掴んでミシッという音を奏でる。

……怒っちゃうから、と言いつつもう既に怒ってるだろ、お前。

「ぐうううぅぅ……っ!」

悔しさのあまりギリッと歯軋りするラファエロ。

しかしまあ、実の姉に捕まってしまえばもはや為す術もあるまい──

そう思ったのだが、

「──〔影潜り・闇染隠やみぞめかくれ〕ッ!」

ラファエロは魔法を発動。

直後に身体がドロリと真っ黒な泥のようになり、カーラの拘束をすり抜けて足元へと落下。

そのまま影の中に流れ込むように入り込み、完全に姿を晦ます。

「……! 今のは、レクソン家の秘術の一つ……! どうしてラファエロが……!」

意表を突かれたらしいカーラは驚きを露わにし、同時にマティアスとエイプリルへと視線を向けた。

「二人共、〝影〟に気を付けて……!」

「か、影……? どうして──」

思わずキョトンとするエイプリル。

だがそれも束の間、

「──きゃあっ!?

次の瞬間、エイプリルの影から伸びた手が彼女の足を掴み、そのまま影の中へと引きずり込む。

そしてあっという間に、エイプリルは影の中へと姿を消した。

「ッ! エイプリル!」

『くふふふ! 〝花嫁〟を取られた気分はどうかな、お兄さん!』

どこからともなく聞こえてくるラファエロの笑い声。

この魔法……どうやら以前レティシアを〝呪装具〟の実験動物にしようとしたライモンドが使っていた移動魔法と似た類のモノだな。

一度潜られると、こちらからは手出しができない。

まったく厄介な魔法だ。

『よくも僕をコケにしてくれたねぇ! お返しに〝花嫁〟は簡単には殺さない! たくさん玩具オモチャにして辱めて、それから死体を街灯に吊り下げてあげる! 楽しみにしててよ!』

アハハハ! と響く甲高い笑い声。

それは徐々に小さくなっていき、完全に聞こえなくなると同時に──ラファエロとエイプリルの気配が完全に消失した。

タイミングを同じくして貴族たちにかけられていた精神操作魔法も解除。

大乱闘と化した舞踏会はようやく静寂を取り戻した。

「あンのクソガキ……! よくもエイプリルを……!」

「ごめんマティアスくん……。私が王立学園に入る前は、ラファエロはあんな魔法使えなかったのに……」

焦るマティアスに対して申し訳なさそうに謝罪するカーラ。

マティアスは一度深く深呼吸して自らを落ち着かせると、

「……あのガキがどこへ逃げたか、わかるか?」

「〔影潜り・闇染隠やみぞめかくれ〕は……魔力の消費が激しい魔法……。それも自分以外も連れてとなると、そう遠くまでは行けないはず……。魔力の残滓を追えばいい……」

「よし、すぐに追い駆け──!」

「待て」

急いで走り出そうとするマティアスの肩を、俺はガシッと掴んだ。

「マティアス、お前はここに残れ。あのガキは──俺が追う」

「オードラン男爵……! だけどよ──!」

「アルバンの言う通りよ。あなたにはやらなくてはならないことがあるわ」

俺に続いてレティシアが言う。

彼女はぐちゃぐちゃになった会場内を見渡し、

「怪我人も大勢出たし、まだ無事な貴族たちも酷く混乱してる。あなたはここに残って、事態を収拾させなきゃ」

──レティシアの言う通りだ。

ラファエロが乱闘騒ぎなんて起こしてくれたお陰で、出なくて済んだ被害が大量に出てしまった。

幾らマティアスも完全な被害者と言えど、だからといって簡単に許されるはずもないだろう。

説得だの隠蔽だの揉み消しだの賠償金だの……気の毒な話だが、マティアスにとっては猛烈に大変な仕事がこの後に待っている。

故にこんな状況となってしまったからには、いくら〝花嫁〟のためとはいえ貴族たちの傍を一秒たりとも離れるべきではないのだ。

レティシアもそれがわかっているから、マティアスを留めようとしているワケで。

ま、もし俺が逆の立場だったなら「知ったこっちゃない。レティシアの方が大事だ」って言うけど。

それはそれ、だ。

俺はフゥと小さく息を吐き、

「……あのガキはレティシアも傷付けようとしやがった。許しておけん」

「オードラン男爵……」

「それに──お前もお前で、落とし前をつけなきゃいけない相手が残ってるだろ?」

俺はチラリと視線を流す。

その先には──

「ラ、ラファエロの野郎……! 雇い主である俺を置いていくなんざ、一体なにやって……!」

──今回の事件の主犯でありながら、ラファエロに見捨てられて一人会場に放置された、憐れなナルシスの姿。

それを見たマティアスは、

「…………ああ、そうだったわ」

思い出したかのように、ドスの利いた声で言う。

同時にさっきまで燃え上がっていた怒りを再熱させ、ポキポキと拳を鳴らしながら実の兄の元へと歩み寄っていく。

「うっ……! ま、待てよマティアス! 俺たちは血の繋がった兄弟だろ!? だから──」

「兄貴──いやナルシス、歯ァ食いしばれ」

見下すような、侮蔑するような目でマティアスはナルシスを睨み──顔面に思い切り拳をお見舞いする。

実の弟にぶっ飛ばされた兄は、華麗に宙を舞うのだった。

▲ ▲ ▲

「くふ……くふふふふ……!」

城下町の一角にある、薄暗い倉庫の中。

カビの臭いが漂う空間の中で、ラファエロが引き攣ったような笑みを浮かべる。

そんな彼の目の前には、気を失って地面に横たわる〝花嫁エイプリル〟の姿が。

「こんな……僕の暗殺者アサシンデビューがこんなに惨めだなんて……絶対に許せない……!」

ラファエロはエイプリルの身体に跨り、両手で彼女の首を締め上げる。

細い指が首筋に食い込み、暗がりの中に響くミシッという音。

ラファエロが幾らまだ子供とはいえ、その腕力は分厚い刀身のマチェットを振り回せるほど。

エイプリルのか細い首を締め上げて窒息させたり、なんならへし折ったりすることすら造作もない。

実際、ラファエロはそうやってエイプリルを殺してやろうと思ったが──

「あ……ああ……ダメだ、こんな殺し方じゃ全然満足できそうにないよ……!」

怒りと興奮がまるで収まらないラファエロはハァハァと呼吸を荒くし、首から手を放すと──エイプリルの顔を両手で掴む。

「どうすれば、どうすれば僕は満足できるかな……? ああそうだ、コイツやあの花婿にとってなにが一番屈辱かを考えよう……!」

瞳孔が開き、唇の両端が吊り上がり、指先を震わせるラファエロ。

今の彼は、もはや完全に正気を失っていた。

「この綺麗な顔の皮を剥ぎ取るなんてどうかなぁ……!? それとも両手の指を全部落とすとかさ……! ああ違う違う、それじゃこの〝花嫁〟の心まで穢せないよね……!」

自問自答を繰り返すラファエロは、ふとアイディアを思いつき──片手でエイプリルの乳房を鷲掴みにした。

「辱めてやる……! あの男マティアスよりも先に〝花嫁〟の純潔を奪って、身体に消せない痕を残してやる……! その上で死体を丸裸にして、街灯から吊り下げてあげるんだ! そうだよ、それがいい! アハハハ!」

マチェットを手に取り、エイプリルのドレスを引き裂こうとするラファエロ。

──しかし、


「──いいワケあるかっつの」


倉庫の入り口から声が響いた。

そして一人の〝悪役〟が、月光を背に剣を携える。

「そんなだから、お前は姉ちゃんにも認めてもらえないんだろーが──この悪趣味なクソガキめ」

▲ ▲ ▲

──俺は剣をユラリと揺らす。

月の光が反射し、銀の鋼が怪しく煌く。

……最悪だ。

まったく最低の夜だ。

こんなに月が綺麗な夜なのに、愛する妻レティシアの手を取ってダンスすらできないなんて。

挙句の果てにクソガキの──クラスメイトの弟を教育しなきゃならんとは。

「ア……アルバン・オードラン男爵……!」

俺の顔を見たラファエロは、まるで凶悪なドラゴンでも見たかのような顔をする。

いや、ドラゴンを見たというより──〝死神〟を見たようなって感じの顔か。

「ハァ……最悪だよ、面倒くせぇよ、ふざけんなよ。お前とあのバカナルシスが来なけりゃ、俺は今頃レティシアとイチャイチャできてたはずなのに……」

コツ、コツ、と一歩一歩足音を奏で、俺はラファエロへと歩み寄っていく。

「それがどうして、お前みたいな生意気なガキと一緒にいなきゃいけないんだ? ああ面倒くさい」

ハァ~、と深く長いため息を漏らす俺。

ラファエロは周囲をチラッと確認すると、

「……カーラお姉ちゃんは? 一緒じゃないんだ?」

「レティシアが〝弟と戦わせるのは忍びない〟だとよ。居場所の予想だけ俺に伝えて、今頃は貴族たちの介抱をしてるだろうさ」

「ふーん……」

カーラがいない──とわかったラファエロは、先程までとは打って変わってニヤリと笑みを見せる。

「それじゃあお兄さん一人だけなんだ。随分と余裕じゃない?」

「余裕もクソもあるか。俺以外に連れてきたら、教育どころかイジメになっちまうわ」

「くふふ……随分バカにしてくれるねぇ」

ラファエロはマチェットを構え直し、

「お兄さん一人だけなら、僕でもなんとかなるかもね? カーラお姉ちゃんさえいないなら──」

「おいクソガキ、先に言っておくぞ」

俺はラファエロの言葉を遮り、喋り始める。

これ以上コイツの話を聞くのなんざ、時間の無駄だと思って。

「……お前はエイプリルのみならず、レティシアまでも傷付けようとしやがった。だから俺は絶対に許さない。絶対に、だ」

さらに一歩、俺は右足を前へ出す。

……本当なら、こんなクソガキさっさと斬り殺して全部終わらせちまいたい。

でもレティシアから言われてるんだよな、〝殺しちゃダメ〟って。

だから面倒くさいが、剣は使わない。

俺は腰から鞘ごと剣を抜き取り、地面へ放り投げる。

「! ……なに、どういうつもり?」

「お前程度を相手に、剣なんぞ使わん。それよりもっと丁度いいモノがある」

そう答えて──俺は口元をニィッと歪める。

ガキをいたぶる趣味はないが──まあ、俺って〝悪役〟だし?

相手がレティシアじゃないなら、たまには悪趣味に振る舞ってみるのも一興だろう。

「カーラの奴がな、〝ラファエロに世の中の怖さを教えてあげてほしい〟って……俺にコレを預けてきたんだよ」

俺は腰の後ろに手を回し、素早く抜き取る。

ヒュンッ──という風を切る音。

直後に長く伸びた先端が音速を超え、パアンッと甲高い衝撃音を奏でる。

──〝鞭。〟

黒色の革で作られた、2メートル近い長さの非殺傷武器だ。

「知ってるか? 鞭ってのは殺傷力が低い代わりに、苦痛を与えるのに優れてるんだと。クソ生意気なガキを躾けるには丁度いい代物だよな」

悪役らしい笑みを浮かべる俺。

ぶっちゃけ俺自身にはそういう趣味はないが……クラスメイトから頼まれたんじゃ、仕方ないよなぁ?

「今から行うのは〝教育〟だ。お前が従順になるまで手懐けてやるから──たっぷり世の中の怖さを味わえ」

「…………ハ……アハハ……」

乾いた笑いが、ラファエロの喉から絞り出される。

次の瞬間、

「な……舐めるなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

憤怒で目を血走らせ、ラファエロが吶喊してくる。


この後、時間にしておよそ小一時間。

その間に──ラファエロは、世の中の怖さを十二分に味わうことになった。

▲ ▲ ▲

「う……うぅ……ひぐっ……」

──チョロロ

ガタガタと震える、ラファエロの細く白い足。

その太腿の表面を、湯気を帯びた液体が滴り落ちる。

二~三本の水筋がきめ細やかな肌に沿って流落し、足元の水溜まりが徐々に大きくなっていく。

だがおそらくラファエロ自身、自らのプライドが最も惨めな形で決壊していることの自覚すらないだろう。

己が有り様を見つめ直す心理的余裕なんて一ミリもないと、恐怖に歪んだ表情が物語っている。

そんな奴の姿を、俺は気の毒だともかわいそうだとも思わない。

ああ──ようやく〝折れた〟か、と。

俺が思うのはそれだけだ。

「ひぅ……ひぐっ……! ご、ごべ……ごべんなざい……! もう……もう許じで下ざいぃ……!」

嗚咽を漏らし、壁に背をもたれながら謝罪するラファエロ。

俺が何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も鞭で躾けを行ったお陰で、奴の衣服はもうボロボロ。

上半身なんてほぼ布が残ってなくて、ほとんど裸と変わらない。

文字通りの〝ボロ雑巾〟状態だ。

服って鞭で叩いて破れるんだな。俺も知らなかったよ。

っていうかコイツ、こんな女の子みたいなほっそい身体でマチェット振り回してたのか。

マジでどういう鍛え方してんだか。

それに俺相手に約一時間〝折れなかった〟という点も、流石はレクソン家の人間だと評価してやってもいいかもな。

──ま、念のため最後にもうひと押し。

俺は鞭を手にしたまま──コツ、コツと足音を立てて、ゆっくりとラファエロに近付いていく。

「ひっ……!?

もう手で触れられるくらいの距離。

ラファエロを照らす月光を、俺の身体が完全に遮る。

俺の影が、小柄なラファエロを完全に覆い隠す。

今の俺は、まるで子ウサギを壁際まで追い詰めた肉食獣のように見えることだろう。

ガタガタ、ガタガタと先程にも増してラファエロは震え上がり、戦慄する。

まるで今際の際であるかのように。

俺はそんな子ウサギラファエロを上から見下ろし、

「……もう二度と、エイプリルやマティアスにちょっかいを出さないと誓うか?」

「ち、ちちち誓いまず……ッ!!!」

「じゃあもう一つ、二度と俺とレティシアの甘いひと時を邪魔しないと誓えるか?」

「誓いますッ!!! も、もう二度と、あなだ様にば逆らいまぜん……ッ!」

「よし」

ま、こんなモンだろ。

俺はクルリと180度方向転換し、

「お前の姉ちゃんが言ってた〝世の中の怖さ〟ってのが、よくわかっただろ」

鞭をグルグルと巻き取って後ろ腰に納めつつ、ラファエロから離れる。

「世の中なんてのは、面倒でバカバカしくて、上手くいかないことなんて山ほどある。それにお前より強い奴なんざゴマンといる」

そう言いながら、床に横たわるエイプリルの方へと歩み寄る。

そして気絶した彼女を抱きかかえ、

「お前、筋は悪くないよ。だが幾らなんでも世間を舐め過ぎ。今回は世間の広さを知るいい機会になったと思って……ちっとはストイックに自分を鍛えてみるんだな」

それこそカーラみたいによ──と言い加え、俺は倉庫を後にしようとする。

あーあ、終わった終わった。

帰ったらレティシアに褒めてもらおう、そうしよう。

それからそれから、あの綺麗なドレス姿を堪能して──

などと夢想を巡らせていた俺だったのだが、


「──失敬、少々お待ちいただけぬかな?」


突如──目の前に、渋いおっさんの顔が現れた。

しかも、天地が逆さまになったおっさんの顔が。

「うおわあああああああッ!?

「失礼、驚かせるつもりは少ししかなかったのだが」

黒眼鏡サングラスをかけ、長い黒髪を後頭部で大雑把に結わえた謎のおっさん。

このおっさん──宙に浮いてる。

それも直立姿勢のまま逆さまになって、むんずと腕組みをしたまま微動だにしない。

いや、だけど、そんなことはどうでもいい。

全く──全く、完全に、完璧に、気配がなかった。

俺は話しかけられて、今ようやくおっさんの存在に気が付けたのだ。

いつ──?

いったい、いつの間に──!?

いつの間に接近されていたのか、まるでわからない……!

俺の中に、久しく感じていなかった感情が去来する。

それは──焦り。

信じられないが──コイツ、俺の背後を取りやがった……!

幾らラファエロを相手にしていたとはいえ、このおっさんが近付いてきたことに完璧に気付けなかった。

つまりそれは、今の今まで背後を取られていたってのと同義。

気配を消す技術に関しては、カーラすらも上回っているだろう。

いや、それどころか、俺がこれまで見てきた誰よりも──

この渋いおっさん……何者だ……!?

「そう警戒しないでほしい。俺は貴殿に謝りに来たのと──」

全身真っ黒の忍装束をまとい、首に鮮血のような真っ赤なマフラーを巻いたおっさんはヒラリと宙返りし、地面に着地。

「そこで震えてる、愚息を迎えにきただけだ」

「愚息……? ってことはアンタ、まさかレクソン家の──!」

「俺はバスラ・フィダーイー・レクソン。国王の懐刀にして、ヴァルランド王家が唯一正式に認可する暗殺一家……その当主を務めている」

自らを暗殺一家当主と名乗った、バスラというおっさん。

彼はうやうやしく頭を下げ、

「この度は愚息が多大な迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳ない。一保護者として謝罪させてほしい」

「は、はぁ……」

「それと、あのアルバン・オードラン男爵が直々に〝教育〟を施してくれたことを嬉しく思う。正直、あやつには苦い薬が必要だと思っていたのだ」

いい教訓になったことだろう、と言葉を続けたバスラはラファエロへと近付いていき、

「パ……パパ……!」

「帰るぞ、このバカ者め。レクソン家の教義と暗殺者アサシンとはなんたるかを、一から叩き込んでくれる」

ヒョイッとラファエロを持ち上げ、肩に担ぐバスラ。

ラファエロはバタバタと暴れて「ご、ごめんなさい! 許してよパパぁ!」と泣き叫ぶが、バスラは全く意に介さない。

そしてスタスタと倉庫の出口へと向かっていくが、

「……此度の一件、大きな〝借り〟ができてしまったな。マティアス殿の家督相続に関しては、順調に運ぶようレクソン家からも手を回しておく。それと──」

立ち止まって黒眼鏡サングラスを外し、黒い瞳で俺と目を合わせた。

「なにか困ったことがあれば、いつでもレクソン家を訪ねてくるといい。歓迎しよう」

さらに「ああ、カーラのこともよろしく頼む」と言い残し──バスラは俺の前から姿を消した。

エイプリルを抱えたままポツーンと残された俺は、

「……なんだろう、なんか凄い味方ができちゃったのかも……?」

なんて呟くのだった。