そんな美しい妻の姿を見た俺は、

「凄く綺麗だよレティシア。今夜のドレスは、キミの瞳の色によく似合っているね」

一瞬で退屈が吹っ飛び、光の速さで彼女に近付いた。

「あ、ありがとう……。夫のお気に召したのなら幸いだわ」

「なに言ってるんだ、最高だよ。やっぱりキミは世界で一番綺麗な女性だ。よければこのまま、一曲踊ってくれないか?」

俺はレティシアに対して、スッと片手を差し出す。

それを見た彼女は優しく手を取ってくれるが──苦笑しながら首を横に振った。

「アルバン……その申し出は嬉しいけれど、さっきも言ったでしょう? 私たちには役目があるの」

「え~? いいじゃないか、ちょっとくらい」

「ダーメ。今夜の主役は、私たちじゃないんだから」

そう言って、レティシアは会場の中央へと目を向けた。

そこには──

「ウルフ侯爵家の家督相続、おめでとうございます!」

「うむうむ、マティアス殿は次代当主の器であると信じておりましたぞ!」

「そうですわ。やはりナルシス様なんかより、マティアス様こそが当主に相応しかったのです!」

大勢の貴族たちが、一人の男を囲んで我先にと挨拶している。

囲まれている男は勿論、マティアスだ。

普段のチャラついた格好ではない正装を身にまとい、髪型もカチッと決めて舞踏会に相応しい身なりとなっている。

……が、その表情はあまり晴れない。

「あぁ……どうも……」

口々に祝福を述べる貴族たちに対し、作ったような笑みしか浮かべられないマティアス。

なんだか──見ていて少し、気の毒ですらある。

「マティアスの奴もかわいそうに。これから先、あんな金と権力しか眼中にないクズ共を世話してかなきゃならんとは」

「アルバン、口が悪いわよ。虎の威を借りる狐たちだったとしても、味方は味方。今は大事にしなきゃ」

レティシア、キミの言い方もちょっと皮肉が入ってる気がするぞ?

なんて思って、クスッと俺は笑う。

でもまあ、あの貴族たちが与してくれなきゃマティアスの家督相続がスムーズに進まないのは事実だ。

ウルフ侯爵家の財産は〝たっぷり蜜を蓄えた花〟で、そこに群がる貴族は〝蜂〟。

花は蜂に花粉を運んでもらい、代わりに蜂は蜜を貰う。

花と蜂が共生関係であるように、ウルフ侯爵家もその取り巻きも互いを味方に付けて利用し合わないと、生きてはいけない。

所詮、貴族社会なんてそんなもんなのだ。

マティアスにとっちゃさぞ不快だろうが、今は我慢──だな。

「……ところでレティシア、さっきキミが言ってた俺たちの役割だけど──首尾はどうだ?」

「ええ、それなら──」

レティシアが答えようとする。

しかし、

「……それなら……大丈夫……」

黒いドレスをまとった一人の美女が、彼女の言葉を遮った。

「今のところ……会場の中に、怪しい人はいない……。外の警備も……私の目から見ても、十分厳重……」

長い黒髪を後頭部で束ね、紫色の口紅と濃いめのアイシャドウがなんとも煽情的なご令嬢。

やや血色の悪い白肌と鋭く尖った目つきの悪さが玉に瑕だが、それでも「こりゃ美人さんだな」と思わせられる。

もしかしたら、さぞや名のある名家のご令嬢なのかも?

ま、それでもレティシアの方がずっと綺麗だし俺の好みだけどな!

──っていうか、なんで突然こんな綺麗なご令嬢が俺たちの会話に割って入ってくるんだ……?

「えっと……どなた?」

「……? どなたって……私だよ、アルバンくん……?」

「いや、私だよって言われても……その顔に見覚えがないんだが……」

「ああ……それじゃあヒント……」

ご令嬢はそう言うと、肩から下げた小さな鞄からなにやら〝本〟を取り出す。

そして俺の方へと掲げて見せると、そこには──


『アル×レティ甘イチャな二人の幸せ結婚学生生活/激闘! 恋のライバル編』


──というタイトルと共に、異常なまでに美化された男女の表紙が描かれていた。

その本と、彼女の目つきと、彼女の声──

それらを脳内で合算させて、俺はようやくハッとする。

「それ……って……ま……まさかお前、カーラ、なのか……?」

「……ピンポーン……こうして素顔を見せるのは……初めてだったね……」

「え……ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!?!?

いやっ、えっ、はぁッ!?

このご令嬢が!?

あのカーラ!? カーラ・レクソン!?

嘘だろ……!?

いやでも、確かにカーラが口元のマスクを外してる姿って見たことなかったけど……!

俺は思わず腰を抜かしそうになる。

そんな俺の姿を見たレティシアはクスッと苦笑し、

「やっぱり驚くわよねぇ……。私も、最初に彼女のドレス姿を見た時は驚いたわ……」

「いや、驚くどころか……! 本当に本人なのか!? っていうかお前、相棒のカラスはどうした!?

「ダークネスアサシン丸なら……あそこ」

カーラが会場の天井を指差す。

よく見ると、柱の陰になっている場所にダークネスアサシン丸がひっそりと隠れている。

どうやら会場全体を監視しているらしい。

「流石に……舞踏会であの子を連れ歩くワケにはいかないから……。それより、話の続き……」

カーラは自著を再び鞄に戻し、話を元に戻す。

「……この舞踏会の最中……マティアスくんとエイプリルちゃんを守るのが……私たちFクラスの役目……。幸い、今のところ危ない気配はない……」

「けれど──油断はできないのでしょう?」

レティシアが言うと、カーラはコクリと頷く。

「普通に考えて……ナルシスは、エイプリルちゃんの命を狙ってる……。マティアスくんが〝花嫁〟を守れなかったって事実を作れば……家督争いの優劣は逆転するから……」

「それも舞踏会という、大勢の貴族たちが見ている目の前で暗殺が起こってしまえば──如何にバロウ公爵家や王国騎士団が支持していたとしても、マティアス派の結束なんて一瞬で崩れ去るでしょうね」

緊張感のある声で言うレティシア。

そう──二人の言う通りだ。

あの阿呆のナルシスは、絶対にウルフ侯爵家当主の座を諦めていない。

しかし今日に至るまで、ナルシスがなんらかの報復をしてくることはなかった。

それは、タイミングを見計らっていたからって可能性が高いはず。

そして現状の優劣を逆転させる最高の手段は……エイプリルに死んでもらうことだ。

それも大勢が見ている目の前で、できる限り惨めに。

今夜の舞踏会は、その条件にピッタリってワケで。

「……もし私が、ナルシスに雇われた暗殺者アサシンだったとしたら……絶対にこのタイミングを狙う……。今夜は、確実になにか起こる……私の勘がそう言ってる……」

「でしょうね……。カーラ、今夜はあなたが頼りよ。苦労をかけるけれど、どんな些細な異変も見逃さないで頂戴」

「任せて……。暗殺者アサシンには暗殺者アサシンをぶつけるのが一番……」

ぶい、とカーラは両手の指でVサインを作る。

……何度見ても、このご令嬢がカーラだとは思えん。

実際、周りの男性貴族たちがまるで舞台女優でも見るように鼻の下を伸ばしてカーラの方をチラ見してくるし。

コイツ、なんでこの美貌なのにいつもマスクで顔を隠してんだろ……。

あ、暗殺者アサシンだからか……。

なら仕方ねーわ……。

なんて俺が思っていると、会場の入り口付近がザワッとどよめく。

どうやら、本日の主役の一人──〝花嫁〟が、ようやくお出ましらしい。

「ねぇ、ご覧になって……!」

「あの方がマティアス様の〝花嫁〟なの……!?

「凄い……なんてお綺麗なんでしょう……!」

執事のハインリヒに先導され、コツコツと僅かなヒールの音を奏でて歩く〝花嫁〟。

その姿を見た貴族の女性たちは、一瞬で目を奪われる。

会場に現れたのは──あの向日葵ヒマワリのようなドレスをまとい、頭には白金のティアラを着け、淡い桃色の口紅がよく映えるメイクを施した──そんなお姫様のようなエイプリルだった。

「ほぉ……」

俺も思わず感嘆とする。

俺がエイプリルに持ってる印象は、何処までいっても〝等身大の少女〟だ。

そう、女性というよりも少女って感じで、恋に恋する乙女、みたいな。

ああいや、正確に言えばマティアスに恋する乙女か。

だが今の彼女は、もう女性って印象を飛び越えて〝淑女〟って感じ。

普段よりずっと大人びて見えて、「可愛らしい」よりも先に「綺麗」って言葉が出てくる。

凄いな、こんなに変わるモンか。

いつもの少女感とのギャップが凄まじくて、風邪をひきそうなレベルだわ。

──もっとも、俺なんかよりずっと驚いている奴もいるけど。

「────」

マティアスは花嫁姿のエイプリルを見て、完全に言葉を失う。

感動でなにも言葉が出ないって顔してるよ。

よかったなエイプリル。

お前の旦那様……心の底から、お前の姿を喜んでるみたいだぞ?

そんな、会場に入るなり一気に場の主役に躍り出た〝花嫁〟は、自らを落ち着けるようにスゥッと息を吸い──

「今宵の舞踏会にお出での、紳士淑女の皆様方。我が婚約者、マティアス様の主催するパーティにお越しいただき、誠にありがとうございます」

しゃなり、とお辞儀をするエイプリル。

彼女は続けて、

「どうかこの場を借りて、皆様にご挨拶をさせてください。私の名前はエイプリル・スチュアート。マティアス・ウルフ侯爵の〝花嫁〟でございます。以後、よしなに……」

舞踏会に訪れた貴族たちへ、なんとも上品に挨拶する。

直後──ワッという歓声と共に沸き起こる拍手。

貴族たちは完全に、〝花嫁エイプリル〟のことを歓迎しているようだ。

「おぉ、あなた様がマティアス殿の〝花嫁〟……!」

「これほどお美しい御仁だとは……!」

貴族たちはあっという間にエイプリルのことを取り囲み、我先にと声をかけていく。

「エイプリル様、ぜひマティアス様との馴れ初めをお聞かせくださいな!」

「はい、私が城下町で困っているところを助けていただいて──」

「とてもお若い方ですのね! ウルフ侯爵家の〝花嫁〟となればさぞご聡明な方と存じますが、なにかお習い事などはしていらっしゃるの?」

「ええ、経理・会計などを少々。マティアス様が当主となられた後には、ウルフ侯爵家の財務管理などをお手伝いさせていただこうと思っておりまして──」

エイプリルは明瞭かつ的確な口調で貴族たちの質問に答えていく。

うんうん、レティシアとの特訓が功を奏してるな。

──今日の舞踏会に至るまで、レティシアはエイプリルに対しあれこれ指導を行った。

財務などの知識、上流貴族の所作、言葉遣い等々……。

お陰で今のエイプリルは、どこからどう見ても超上品な貴族のお嬢様にしか見えない。

あのエイプリルをここまで鍛え上げるなんて、流石はレティシアだ。

レティシア自身もご満悦な様子で「うんうん」と頷き、エイプリルのことを見守っている。

そんな満足そうなレティシアも可愛いし綺麗だ……。

エイプリルを見るレティシアを見て、思わず俺もご満悦。

と、そんな時だった。

「──エイプリル」

エイプリルの元に、マティアスが歩み寄る。

群がる貴族たちは自然と道を開け、二人きりの空間が生まれた。

「綺麗だ。凄くな」

「あ、ありがとうございます……!」

「せっかくの舞踏会なんだ。一曲踊ろうぜ?」

マティアスは〝花嫁〟に対し手を差し伸べる。

エイプリルはゆっくりと、自らの手をその手に重ね合わせる。

すると、狙っていたかのように円舞曲ワルツが会場に流れ始める。

それに合わせ──マティアスはエイプリルを優しくリードし、歩調を合わせて優雅に踊り始めた。

「へぇ……マティアスの奴、あんな風に踊れたんだな」

「とっても上手じゃないの。エイプリルも凄く嬉しそう」

俺もレティシアも頬を緩ませ、舞踏会の主人公たちを見つめる。

一歩、一歩と足取りを合わせ、曲の流れに身体と心を任せるように、お互いを見つめ合って踊る二人。

そんな彼らの姿に他の貴族たちもすっかり魅了され、舞踏会は完全にマティアスとエイプリルの独壇場。

そして曲が流れ終わって二人が踊り終えると──会場には拍手喝采が沸き起こった。

「マ、マティアス様……私、ちゃんと踊れたでしょうか……?」

「ん? あ~……〝もう少し頑張りましょう〟ってトコじゃね? ヘタウマってレベル?」

「そ、そんなぁ……」

「でも──楽しかった」

マティアスは、エイプリルの手を両手で優しく握る。

「お前と踊れて本当によかったよ。俺はまだまだお前を知らないと思うけど……なんだか少しだけ、お前のことをわかってやれた気がするんだ」

「マティアス様……!」

「最高のひと時をありがとう──我が〝花嫁〟よ」

そう言って──マティアスは床に片膝を突き、エイプリルの右手の甲にキスをした。

マティアスのキスにより、舞踏会の盛り上がりは最高潮を迎える。

だが──


「────騙されてるぜ!」


そんな怒声が、会場のムードを一瞬で掻き消した。

「「「──っ!?」」」

「テメェら、皆騙されてる。その女は、ウルフ侯爵家の〝花嫁〟になんざ相応しくねぇ!」

会場の入り口から響く、怨嗟に満ちた男の声。

声に釣られ、俺たちが視線を向けた先には──ガラの悪い褐色肌の男が立っていた。

その姿を見たマティアスは、驚きと嫌悪感を混ぜ合わせたような表情となる。

「兄貴……!」

「よぉマティアス。弟のくせに、兄上様をパーティにお呼びしないなんて失礼な野郎だな。えぇ?」

ニヤッという下卑た笑いを口元に浮かべ、ヅカヅカとマティアスたちの元へと近付いていく褐色肌の男。

彼の姿を見たカーラは驚きを露わにし、

「ナルシス・ウルフ……! まさか、正面から堂々と乗り込んでくるなんて……!」

如何に優れた暗殺者アサシンであるカーラも、流石にこれは予測できなかったらしい。

ああ……コイツが件の、マティアスの兄貴のナルシスって奴なのか。

つまり──レティシアを殺そうとした主犯ってワケだ。

よくもまぁ、俺の眼前にノコノコと出てこられたモンだな。

──殺す。

生憎と手元に剣はないので、拳で殴り殺すとしよう。

顔面の骨を叩き割られて死んでもらうのも、まあ一興だろう。

精々苦しんで死ね。

そう思いつつ、俺はナルシスの元へ向かおうとしたが──バッと、レティシアの細い腕が俺の行く先を遮る。

「ダメよ、アルバン」

「はぁ? なんでだよレティシア」

「この状況、決して外野が手を出してはダメ。そんな真似をすれば、マティアスが面目を失ってしまうわ」

俺にだけ聞こえるよう、小さな声で伝えるレティシア。

彼女は続けて、

「……でも、ナルシスがこのタイミングで、それも堂々と正面から現れるということは……。厄介な事態になったかもしれない」

出来ればこうはならないでほしかった──そう言いたげな表情で、レティシアは唇を噛み締める。

まるで、この後の展開を予想できてしまっているかのように。

「マティアス……これはあなたにとって、最大の試練となるわよ」

レティシアは、呟く。

そんな彼女のことなぞ露知らず、ナルシスはマティアスの目の前に立った。

「マティアス……お前、知らねぇだろ? この女の正体をよ」

「なに……?」

「なにも知らない可哀想なバカ弟のために、優しいお兄様が教えに来てやったんだよ。──この女の正体をよ!」

そう言って、ナルシスはビシッとエイプリルを指差す。

「いいか、よく聞け! その女は〝エイプリル・スチュアート〟なんかじゃねぇ! スチュアートって姓は、完全に偽名だッ!」

「──っ!」

ナルシスの看破するような発言を聞いて、顔を真っ青にするエイプリル。

しかしナルシスは止まらず、

「そいつの本名は〝エイプリル・メディシス〟! 十年前、領地で起きた税に対する抗議運動を武力で弾圧し、千人以上もの領民を虐殺──その悪行故に国王から爵位を剥奪され、断頭台で処刑された最悪の貴族、ポワロ・メディシス子爵の一人娘なんだよ!」

「「「────!!!」」」

会場が、ザワッと一気にどよめく。

同時に貴族たち全員の視線が、エイプリルたった一人に集められる。

「全部調べさせてもらったぜぇ? 十年前にメディシス家が没落してから、人里離れた場所で身分を隠しながら貧しく暮らしていたそうじゃねぇか」

「そ、それは……!」

「だが物好きなファウスト・メルキゼデク学園長がたまたまお前を思い出し、声をかけた。そして偽名を名乗ることを許可し、王立学園へと入学させた……だろ?」

愉快で堪らないといった表情で、ナルシスはエイプリルの秘密を看破していく。

一方、エイプリルの血相は悪くなるばかりだ。

「以来お前は〝エイプリル・スチュアート〟を名乗り、世間も友人もなにもかも騙し、マティアスさえも騙してウルフ侯爵家の〝花嫁〟になろうとした……。まったく、とんだ悪女だよなぁ」

「ち、違います! 私はそんなつもりじゃ……!」

「違うぅ~? なにが違うんだよ? お前が本名も出自も隠して、今日この日までやってきたのがなによりの証拠だろうが! この売女め!」

ナルシスは明確にエイプリルを罵り、両腕を広げて周囲の貴族たちを見やる。

「舞踏会にお越しの貴族諸君! この女は、ウルフ侯爵家の〝花嫁〟になど相応しくない! 俺の話が嘘だと思うなら、この女の身辺調査をしてみるといい! 諸君らは騙されていたと知ることになるだろうッ!」

まるで演説でもするように大袈裟に振る舞いながら、貴族たちへ訴えるナルシス。

その発言を受けて、貴族たちもザワつきながらエイプリルに不審の目を向け始める。

そう──か。

そうだったのか。

いや、なんとなしに気付いてはいたよ。

エイプリルが貴族ってことは。

たぶんイヴァンの奴もそうだろう。

彼女の持つ雰囲気は貴族とも平民とも違うし、豪商家系や騎士家系って感じでもない。

いや、どちらかと言えば謙虚で質素な性格は平民に近いか。

なのに貴族に対してあまり臆せず接するし、そこはかとなく上品な振る舞いがある。

これはたぶん〝幼少期に貴族のご令嬢として育てられた〟名残なのだろう。

だから不思議で独特な雰囲気があった。

しかし──没落した元貴族ってのは、今の貴族にとっちゃ蔑みの対象でしかない。

なんらかの事件や事故、あるいは政争に敗れて負け犬となった権力者の成れの果てなのだから。

場合によっては、疫病神にすら見られるだろう。

下手をすれば普通の平民よりも酷い蔑みや扱いを受けるかもしれない。

そんな消滅した貴族家の娘が、正体を偽ってマティアスの〝花嫁〟となろうとしている──

こんな特大スキャンダルを、舞踏会などという晴れ舞台で、それも大勢の貴族たちがいる前で暴露する。

ナルシスにとっては、それはもう絶好のタイミングだったのだろう。

ホント……俺から見ても趣味が悪すぎる。

反吐が出るよ。

そんなナルシスの暴露を聞いたマティアスは、

「……エイプリル、今の話は事実なのか?」

静かな声で、彼女に尋ねた。

「……」

「エイプリル、答えろ」

「は…………い…………事実……です……」

ドレスのスカートをくしゃっと掴み、震えながら答える。

「わ、私は……十年前、領民を殺戮した最悪の領主の……娘です……」

「何故、俺に黙っていた?」

「か、隠すつもりなんてなかったんです……。いつかは、い、言わなきゃって……でも怖くて……言い出せなくて……っ」

エイプリルの足元に、ポタリと雫が落ちる。

その小さな雫は、彼女の目尻から流れ落ちたモノだった。

「……最初はただ……気持ちを伝えたかっただけなんです……! あなたが好きだって……! でもFクラスの皆さんが協力してくれて……マティアス様の状況も知って……とても言い出せなくて……っ!」

「……」

「本当に……本当にごめんなさい……! やっぱり私なんかが……マティアス様を愛する資格なんてなかった……! 最悪の貴族の娘である、私なんかが……!」

酷く後悔した様子を見せるエイプリル。

両手で顔を覆うが、今の彼女がどんな表情をしているかなんて誰の目にも明らかだった。

──マティアスは、しばし沈黙する。

そして、

「──関係ねぇだろ」

「え……?」

「領民を虐殺したのはお前の父親であって、お前じゃねぇ。お前は無関係なのに、なんで謝ってんだよ」

やれやれ、とため息を吐くマティアス。

同時にフッと笑ってナルシスを見る。

「兄貴よぉ、ご親切に教えてくれてありがとな。だが……そりゃ悪手だわ」

「なに……?」

「いいか、よく見ときな」

不敵にそう言うと──マティアスはバッとエイプリルの肩を抱き、彼女を強く引き寄せた。

「舞踏会にお越しの貴族共よ、聞きやがれ! 正直に言って、俺はエイプリルがメディシス家の娘とは知らなかった! だが──彼女に俺の〝花嫁〟をやめてもらうつもりはない!」

──高らかに宣言するマティアス。

それを聞かされた貴族たちには、先程にも増してより一層どよめきが走る。

「なんだと……!? 正気かねマティアスくん!」

「没落貴族の……それもメディシス家の娘を〝花嫁〟にするなんて……!」

「そんなことをすればウルフ侯爵家は……!」

マティアスの発言に動揺を隠せない貴族たち。

だが彼は余裕を崩そうともせず、

「俺は正気さ。アンタらも見ただろう? エイプリルの立ち振る舞い、聡明さ、舞踏……パーフェクトだ。コイツ以上にウルフ侯爵家に相応しい女はいない」

「し、しかし……」

「それによ、俺はどこまで行っても損得勘定でしか考えられない男でな。どれほど社会的地位のある奴だろうが、〝ウルフ侯爵家に利益をもたらさない〟と判断したら関わらねぇのよ」

そう言って、今度はマティアスが演説をするように片腕を大きく掲げて見せた。

「故に、断言する! エイプリル・メディシス──いいや、エイプリル・スチュアートがウルフ家の当主夫人となった暁には、我が侯爵家の財産はさらに膨れ上がるだろう! 彼女の持つ聡明さと知識は、必ずやウルフ侯爵家とその協力者に富をもたらしてくれる!」

「マ、マティアス様……!?

慌てふためくエイプリル。

しかしマティアスは止まらない。

「嘘だと思うか? ならこの場にいる者たち全員に約束しよう! 依然マティアス派として俺とエイプリルを支持してくれるならば、思い切り稼げるようにしてやる! いずれはお前らの持つ資産を、今の倍にしてやるぞ!」

──マティアスは一切臆することなく、この場の主人公は俺だという顔をして、高らかに宣言する。

その直後、舞踏会の会場は今日一番のざわめきを見せた。

どよめきの大きさは、さっきナルシスがエイプリルの正体を暴露した時とは比べ物にもならない。

「倍……!? 我々の資産を倍にすると、そう言ったかね!?

「ああ、言った。しかも〝支払う〟って意味じゃねぇ。永続的に〝稼げる〟ようになるって意味だ。俺は元々、金を稼ぐのが大好きだからな」

マティアスは笑う。

この笑顔は……夕暮れの教室で、俺とレティシアに〝一枚の金貨とリンゴ〟の話をした時と同じ笑顔だ。

「俺とエイプリルの二人なら、倍なんて大したことねぇ。なんたってコイツは、俺が認めた最高の〝花嫁〟なんだからな」

ギュッと、彼はエイプリルを抱き締める。

もう手放さない──そう行動で示しているかのように。

マティアスの奴……こりゃまた大見栄を切ったモンだ。

この場にいる金の亡者共の資産を倍にするだって?

そんなの完全なハッタリだ。

けど──案外やってのけるかもしれない、と思わせてくれる。

いや、できるだろうと。

今のマティアスには、その覇気がある。

わかるよ。

愛する人と共にいられれば、不可能なんてない──

そう言いたいんだよな、マティアス。

「どうだ? これでもエイプリルを認められないか? 兄貴に付いた方が得だと思えるか?」

改めて、マティアスは貴族たちに問う。

そしてその答えは、すぐに帰ってきた。

「ワ、ワシは変わらずマティアス殿とエイプリル殿を支持する! 疑ってすまなかった!」

「私もよ! 変わらずマティアス派に居させていただきます!」

「ナルシス派に戻るなんて冗談じゃない! 〝花嫁〟がメディシス家の人間であろうと、関係あるものか!」

我先にと声を上げ、立場を表明していく貴族たち。

相変わらず現金というべきか、会場の全員がより一層マティアス派への支持を強くする結果となった。

ナルシスはエイプリルの正体を暴露してマティアスたちを貶めるつもりが──逆に利用され、敵の結束を固めてしまったのだ。

まったく、ざまぁない。

レティシアも上手いコト切り返したマティアスに対し、パチパチと小さく拍手を送る。

ここはまぁ、よくやったと俺も褒めておこうか。

場の主導権を完全に失ったナルシスはさっきまでのエイプリルと立場が逆転し、今度はこっちの顔面が蒼白となる。

「な、なんだ、正気かよお前ら!? クソッ、どうしてだぁ!? こんなはずじゃ……!」

「諦めな、兄貴。──アンタの負けだ」

▲ ▲ ▲

「……あーあ、つまんないの」

──会場の片隅から、そんな声がする。

まだ幼い、少年の声が。

直後、マティアスたちの舌戦を見物していたドレス姿の少女が、前へと歩み出る。

フワリとしたフリルの付いたドレスと、ウェーブがかった長く綺麗な金髪。

一見しただけでは、どこからどう見ても高位階級貴族の可愛らしい息女にしか見えないが──

「こんなはずじゃなかったのになぁ。もっと盛大に破滅してくれることを期待してたのに」

少女の喉から発せられる声は、やや甲高く中性的ではあるが確かに少年のそれ。

だが──そんなことはどうでもいい。

俺はハッキリと感じ取った。

その声に、ドス黒い殺気が込められているのを。

「ラ、ラファエロ! テメェ、見てないでなんとかしろッ!」

少年の声の少女に対し、ナルシスは焦り切って命令。

どうやらコイツらには繋がりがあるらしい。

ふぅ、と少年の声の少女はため息を漏らし、

「ま、いっか。今の方が──〝花嫁〟が死んだ時のショックも大きそうだし」

フフッと不気味に笑う。

直後、カーラがハッとした様子を見せる。

「その声……ラファエロって……まさか……!」

「──〔影操・傀儡くぐつまわし〕」

──魔力の反応。

それも凄まじい魔力量の。

少年声の少女がなんらかの高位魔法を発動したと理解した俺は、すぐに動こうとする。

このガキは──だと判断して。

しかし、

「う…………うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」

突如、会場にいた貴族の一人が奇声を発する。

そして──ィシアへと襲い掛かった。

「おおおおおああああああああッ!」

「──っ!?

正気を失ったように雄叫びを上げて突撃してくる貴族。

あまりに突然の出来事に、レティシアは身体を硬直させてしまう。

「レティシアに近付くな」

俺は即座に標的を変更。

彼女へ襲い掛かった貴族を殴り飛ばす。

「ぐあッ……!」

顔面を思い切り殴打されて吹っ飛び、そのまま気を失う貴族。

レティシアに襲い掛かかった時点で死罪に値するので殺したかったのだが、一応は貴族だしマティアス派でもあるからな。

殺しては後々面倒になるので、手心は加えておいた。

それでも鼻の骨は折れたと思うが。

「うがああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」

「きぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!!」

レティシアへ襲い掛かった貴族を皮切りに、他の貴族たちも次々と奇声を発し始める。

目の焦点が定まらず、まるで糸に操られる人形のような挙動──

間違いない、精神操作系の魔法だ。

それもどうやら……会場にいる貴族の半数以上が、その魔法にかかってしまったらしい。

貴族たちは瞬く間に暴徒と化し、俺たち夫婦やマティアスたちへと襲い掛かってくる。

「マティアス! エイプリルを守れ!」

「わ、わかってる! この野郎っ、近付くんじゃねぇ!」

素手で応戦し、必死にエイプリルを守るマティアス。

俺もレティシアに近付いてくる者たちを薙ぎ倒し、彼女の身の安全を確保。

Fクラスメンバーも貴族たちと乱闘になり、舞踏会は戦場と化す。