「ほーんと、いい度胸だなお前? 勝手に学園を退学して、
「そ、それは……! おいハインリヒ! どうして勝手に屋敷へ入れた!?」
「申し訳ございません、マティアス坊っちゃん。ですが……これもあなた様のためなのです」
「──彼を責めないであげて。屋敷に入れてくれるよう説得したのは、私たちなのですから」
そんな台詞に続き、一人の令嬢が部屋へと入ってくる。
そう──我が愛しの妻、レティシアだ。
彼女の顔を見たマティアスは、「はぁ」と頭を抱えて深いため息を吐く。
そして苦虫を噛み潰したような表情で、
「……まあそうだよな。オードラン男爵が来てるってことは、アンタも来てるよな」
「あら、
「実際そうだろーがよ。今の状況じゃ、アンタの方が幾分厄介だ」
お?
人様の妻を厄介者呼ばわりか?
いい度胸だな~怒るぞ~?
なんて内心では思いつつも、俺は足を組んだまま微動だにしない。
ここは──
「事情は聞いたわよ、マティアス。あなた今、お兄さんとの家督争いの渦中にいるんですってね」
「……だったらどーしたってんだよ」
「何故私たちに相談しないのかしら? イヴァンにすらなにも教えなかったそうじゃない」
「アンタたちには関係ないだろーが」
「ふぅん……関係ない、か」
突き放すように冷たい口調で話すマティアスに対し、冷静さと余裕を崩さず口元に微笑を浮べたままのレティシア。
そんな彼女の威風堂々とした姿に、マティアスの額に冷や汗が滲み始める。
「実はね……つい先日、私たちは金貨八百枚で雇われた殺し屋に命を狙われたわ」
「──! なんだとッ!?」
「私とアルバン、そしてFクラス女子の皆が集まっているところに、爆破魔法をボンッてね。お陰でシャノアの喫茶店は半壊状態。酷い有様よ」
ふぅ、と残念そうに頬に手を当てるレティシア。
シャノアの出す紅茶とスコーンは、彼女のなによりのお気に入りだったからな……。
店の修繕工事が終わるまで味わえないのは、本当にがっかりだろう。
かわいそうに……。
……ヤバい、思い出したらムカついてきた。
あの殺し屋共、やっぱりぶち殺しておけばよかったわ。
レティシアのせっかくの楽しみを奪うなんて、死罪にしても尚足りん。
ああ、でも殺し屋を雇った主犯はマティアスの兄貴なのか。
じゃあそっちを痛めつけよう。
生きたままワンコにでも食わせてやろうかな?
などと俺が私怨をメラメラと燃やしている間にも、レティシアとマティアスの会話は続く。
「金貨八百枚などという巨額を、場末の殺し屋に支払うなんて……いったいどこのお金持ちな貴族様なのでしょうねぇ。あなたは誰が犯人だと思われるかしら、マティアス?」
「………………兄貴だ、間違いない。そんなバカみてーな金の使い方する奴なんて、アイツ以外にいるかよ……」
マティアスはギュッと拳を握り、歯痒そうに答える。
やはりすぐに勘付いたな。
俺たちを狙ったのが、実の兄であることを。
「マティアス──あなたは私たちFクラスがウルフ侯爵家の家督争いに巻き込まれないようにするために、学園を去ったのよね?」
「……」
「けれど私たちFクラスは、もう無関係ではいられない。ならば──毒を食らわば皿まで」
レティシアはマティアスの傍まで歩み寄り、
「シャノアの紅茶を飲めなくしてくれたお返しもしなくちゃいけないし……私たちも、あなたの家督相続に協力するわ」
「ハッ、悪いがその必要はねーよ」
マティアスはクルリとレティシアに対して背中を向け、
「アンタらが狙われたってんなら、尚更味方にするワケにはいかねー。それにな、俺は家督を継ぐ気なんざさらさらないんだよ」
「……家督相続には妻の存在が必要で、その妻を不幸にしたくないから?」
心の内に一歩踏み込むように、レティシアが聞く。
マティアスは少し沈黙した後、
「……そこまで調べたのか」
「いいえ、あなたが〝妻を不幸にしたくない〟と思ってることはついさっき知ったわ。ハインリヒさんが教えてくれたの」
レティシアが明け透けに言うと「申し訳ありませんマティアス坊っちゃん」とペコリと頭を下げる執事のハインリヒ。
彼は俺たちがマティアスを助けに来た旨を話すと、アレコレ情報を教えてくれたのだ。
まったく、いい執事さんだよ。
ウチのセーバスにも負けず劣らずのお節介焼きだな。
そんな執事のお節介を知ったマティアスは頭をガシガシと掻いてため息を漏らし、
「っとに……どうしてどいつもこいつも……」
「〝月狼の戴日〟と呼ばれる日までに花嫁を見つけなければ、あなたは相続権を失う。でもウルフ侯爵家の妻となった女は、不幸になってしまうかもしれない──お母様のように。……そう思っているのよね」
さらに踏み込んでレティシアが言う。
すると、初めてマティアスがギロリと彼女を睨んだ。
「……おいレティシア嬢、それ以上他人の感情に土足で踏み入るようなら、流石に俺も黙っちゃいねーぞ」
──俺は、剣を強く握る手を僅かに動かす。
一応、念のため。
マティアスがレティシアに暴力を振るうことなんざないだろうが、まあ警告のつもりで。
そんな俺の腹の内をわかっているのか、レティシアは流し目でこちらを一瞬だけ見てくる。
まるで「大丈夫だから、任せて」と目で伝えるように。
そして再びマティアスへと視線を戻し、
「ねぇマティアス、もしも──それら全ての事情を理解した上で、それでもあなたの妻になりたいと申し出る女の子が現れたら……どうする?」
「は……ぁ?」
「──いらっしゃい、エイプリル」
彼女が言うと──部屋の外に隠れていた一人の少女が、恐る恐る中へと入ってきた。
「お……お久しぶりです、マティアス様。私のことを覚えていますでしょうか……?」
──エイプリルが、マティアスの前に立つ。
震える声を必死に隠しているようだが、生憎とバレバレ。
だが同時に、彼女の目は真っ直ぐマティアスの瞳を見つめて逸らさない。
その勇気と気持ちの強さは、ハッキリと伝わってくる。
「お前──」
マティアスはエイプリルの顔を見て一瞬ハッとするが──彼女とは対照的に、こっちはすぐに顔を背けた。
「……知らねぇな。お前となんざ会ったこともねーよ」
「い、以前王都の城下町で助けていただきました! 危ない人たちに囲まれていたところを……! 本当に感謝しています!」
「俺じゃねーっつの。人違いだ」
「いいえ、人違いなんかじゃありません! あの時のあなたは、ホットドッグを食べていて──!」
「知らねぇっつってんだろッ!!!」
つんざくような怒声を上げるマティアス。
それを聞いて、エイプリルがビクッと肩を震わせる。
「いいか? 俺はアンタを助けてなんざいないし、その
それは明確に突き放すような口ぶり。
こんなドスの効いた喋り方をするコイツを見るのは初めてだな。
……ったく、柄にもないことしやがって。
普段はずっとヘラヘラしてる軟派野郎のくせによ。
──マティアスが今なにを考えてるかなんて、手に取るようにわかる。
コイツはエイプリルのことを覚えてるんだ。
それもハッキリと。
しかも自分に感謝してることもわかってる。
その上でシラを切って、わざとらしく突き放そうとしてるんだろ?
ウルフ侯爵家の家督争いに巻き込まないために。
前にマティアスがシャノアの喫茶店に来た時、コイツはエイプリルを見てもなんの反応もしなかった。
今思い返せば、アレも演技だったんだろうな。
ウルフ侯爵家に関わった女は不幸になる──そう思っているが故に、意識的に女性との関わりを断っていたってとこか。
なんとも不器用な優しさだな……。
まどろっこしいというか。
俺には理解できん。
俺はレティシアが愛しいと思ったら、愛しいと言う。
レティシアを不幸にさせる奴は、誰だろうと踏み潰す。
不幸になるなら、力づくで幸せにすればいい。
不幸にしようとする奴が現れるなら、力づくで排除すればいい。
俺が彼女を幸せにしないで、誰が彼女を幸せにできるっていうんだ──?
俺はそう思って生きている。
そう思ってレティシアの隣にいる。
だからマティアスの考えは理解できんし、共感もできない。
とはいえ──見上げた精神ではある。
他人なんて不幸にしてなにが悪いんだ、と思っている阿呆貴族が多過ぎるからな。
それこそマウロみたいな。
そんな中で〝自分の妻となる女性を不幸にしたくない〟という考えを持っているのは、十分に立派だと言えるだろう。
少なくとも、俺はちょっとマティアスのことを見直した。
たぶんレティシアも同じことを思ってるんじゃないかな?
──俺はチラリとレティシアを見る。
すると彼女もこちらに目配せし、アイコンタクト。
ふむ……「そのまま。動いてはダメよ」か。
OK、伝わった。
これぞまさに以心伝心。
レティシアは事前にエイプリルへ『あなたが彼と面と向かい合ったら、そこから先は私たちは介入しない。あなた一人でマティアスに気持ちを伝えるの』と言ってある。
だから干渉しない。
ここから先は、傍観者に徹する。
……なにがあろうとも。
「わかったらとっとと出てけ。部外者が出しゃばってくんじゃねーよ」
「で、出ていきません! 私は、自分の気持ちを伝えるためにここへ来たんです!」
エイプリルは震える手をギュッと握り締め、
「わ、わ、私、私は……──私は、マティアス様のことが好きなんですっ!!!」
頬も耳も真っ赤にして、告白した。
「なっ……!?」
「助けていただいたあの時から、もうずっと……! この気持ちを抑えられないんです! 諦めることなんてできません!」
エイプリルは言葉を──いや、〝想い〟を吐露し続ける。
必死になって、マティアスに伝え続ける。
腕どころか足までガタガタと震わせて、目尻に涙まで浮かべて。
こうして傍から見ていても、よくわかる。
本当に、本気で、マティアスのことが好きなんだなってことが。
愛したい、愛してほしい。
その想いを伝える姿の、なんと健気なことか。
俺もレティシアのことが本気で好きだから、エイプリルの気持ちがわかる気がするよ。
好きって想いは、やっぱり抑えなんて利かないもんな。
そんなエイプリルの告白を受けたマティアスは、
「…………」
──沈黙する。
長く、永く。
部屋の中にシン……という静寂が訪れ、張り詰めた緊張感が漂う。
そしてようやく、マティアスは唇を動かす。
「……俺は、お前のことなんか好きじゃない」
「──っ!?」
「そもそも俺は、お前のことをよく知らない。あの時は偶然近くにいたから助けただけだ」
「そ、それでも、私にとってはかけがえのない思い出なんです! わ、私のことを知らないなら、これからたくさんお教えします!」
「二度も言わせんな。俺はお前が好きじゃないし、誰かを好きになることもない。だから出てけよ」
「出ていきません!」
頑なに退こうとしないエイプリル。
その姿を見たマティアスは痺れを切らした様子で「チッ」と舌打ちすると、
「どうしても出ていかねーなら……手ェ上げてでも追い出すぞ」
右腕を掲げ、彼女を殴る姿勢を見せる。
いや、正確には平手打ちか。
流石にグーで女を殴るようなクズじゃないもんな。
──どうしよう?
止めに入った方がいいか?
チラッとレティシアの方を見てみる。
だが彼女は腕組みをしたまま、微動だにしない。
ジッと両者を見守り続けている。
助ける気はない、か。
相変わらず、俺の妻は肝が据わってる。
なら俺も、最後まで見守るとしますか──
「「…………」」
いつでも平手打ちが出来る体勢のマティアスと、涙目のエイプリルが睨み合う。
鋭い目つきで脅しをかけるマティアスだが、エイプリルは一歩も下がる気配はない。
まさに男と女の一進一退の攻防。
気持ちと気持ちのぶつかり合いだ。
そして──
「…………ったくよぉ」
先に折れたのは、マティアスの方だった。
掲げていた右腕を下げ、エイプリルに背中を向ける。
「……お前はわかってねーよ。ウルフ侯爵家に嫁ぐ女が、どんな末路を辿っちまうのか……」
「いいんです」
気丈な声で、エイプリルは答える。
「どんな末路を辿ったとしても、私はいいんです。後悔なんてしません。私は──マティアス様のお傍にいたいんです」
「……」
彼女の言葉に対し、マティアスは沈黙で返す。
しかしレティシアがわざとらしくスゥっと息を吸い、
「マティアス、お返事は?」
催促するように尋ねる。
すると、
「──だあぁ! わかった、わかったよ!」
いよいよマティアスも観念したらしく、頭をガリガリと掻きながら大きなため息を吐く。
「とりあえず〝仮〟だ! 〝仮の花嫁〟として、当主が決まるまで付き合ってもらう──これでいいな!」
「──! あ、ありがとうございますっ!」
「言っとくが、ちっとでも嫌気が差したらすぐに逃げろよな。それにぶっちゃけ、命の保証もできねーから」
「はい! わかりました!」
とても嬉しそうに返事するエイプリル。
そりゃ嬉しいも嬉しいに決まってるだろうさ。
なにせ〝仮の花嫁〟──つまり事実上の婚約者になれたんだから。
そんな彼女の様子に「本当にわかってんのかね……」と不安がるマティアス。
続けてマティアスは、
「それと……あんがとな」
「え?」
「そこまで真剣に〝好きだ〟って言ってもらったのは、初めてだったわ。……だからその、そのことにだけは礼を言っとく」
相変わらずエイプリルの顔を見ないまま、耳を赤くして言う。
そんな、あまりにもらしくないマティアスの姿に俺はフッと笑い、
「おいおい、素直じゃないなマティアス? 嬉しいなら嬉しいって、もっと堂々と言えばいいだろうに?」
「う、うるせーぞオードラン男爵! ホントお前ら、人の気も知らねーで……!」
珍しく照れ臭そうにするマティアスをからかう俺。
この場にイヴァンの奴もいれば、大笑いしていたに違いない。
事態を見守っていたハインリヒという執事は「えぐっ、えぐっ……!」と嗚咽を漏らし、流れる涙をハンカチで拭う。
「〝花嫁〟が見つかってよかったですなぁ、マティアス坊っちゃん……! これで旦那様に顔向けできます……!」
「そんな泣くなって……あくまで〝仮〟だって言ってんのに。それに──まだなにも解決してねーよ」
喜ぶハインリヒとは対照的に、マティアスの表情はまだ晴れない。
「兄貴は大勢の貴族を味方に付けたままだ。〝花嫁〟が見つかったからって、すんなり俺が当主になれるとは思えねぇ。こっちが不利なのは変わらな──」
「ああ、それなら大丈夫よ」
マティアスの台詞に、レティシアが割って入る。
それも余裕たっぷりの、悪役令嬢らしい微笑を浮べて。
「もう──手は打っておいたから」
▲ ▲ ▲
「ククク……今頃、臆病者のマティアスは部屋に籠って怯えてるだろうなぁ」
ナルシスはワインが注がれたグラスを揺らしながら、ソファに座って足を組んでいた。
彼が今いる場所は、ウルフ侯爵家の屋敷から遠く離れた場所にある専用の別荘。
その内装は悪趣味なほど豪華で金がかかっており、ナルシスが飲んでいるワインでさえボトル一本で金貨数百枚はする代物だ。
そんなナルシスの肩に、甘えるような仕草でアドリーヌが寄りかかる。
「マティアス派の貴族もい~っぱい買収したし、これでもうナルシス様の相続は間違いなしね! ウフフ!」
「応とも。金ってのはやっぱ、こういう風にばら撒かねぇとなぁ」
グイッとワインを呷るナルシス。
そして碌に味わいもせず喉の奥に高級ワインを流し込むと、
「所詮世の中ってのは金だよ金。金さえありゃなんでもできる。金で買えない物なんかねーんだ」
「ふ~ん? 例えば……人の命も?」
アドリーヌはナルシスの胸に指を這わせ、クスッと笑う。
「ナルシス様、大金で殺し屋を雇ったんですって? ウフフ、怖い人」
「……さあ、なんのことだろうな。でもまぁ、近々面白いニュースが巷に流れるかもよ? 〝最低最悪の男爵と嫌われ者の公爵令嬢、暗殺される〟──ってよ」
ナルシスはニタリと邪悪な笑みを浮かべ、血のように真っ赤なワインをグラスへと注ぐ。
そしてグラスを揺らし、
「笑っちまったぜ。弟のクラスメイトに、丁度〝死んでもいい奴ら〟がいてくれたんだからな。友人がくたばったとなれば、あのバカ弟もいよいよ──」
「…………ねぇ、待ってナルシス様」
愉快そうに話していたナルシスであったが、そんな彼の発言を聞いていたアドリーヌが眉をひそめる。
「それってもしかして……アルバン・オードラン男爵とレティシア・バロウ公爵令嬢のことじゃないわよね?」
「ん? ククク、流石にわかっちまうか。そうだよ、その二人だ。あの二人が始末されたとなれば、バロウ公爵家にはむしろ感謝されちまうかも──」
「ダ、ダメよナルシス様!」
血相を変えて、バッとアドリーヌがナルシスから離れる。
彼女は完全に焦り切った顔で口元を震わせ、
「し、知らないの!? レティシア嬢がバロウ公爵家を追い出されたのなんて、もう昔の話よ! それにオードラン男爵だって、今ではウィレーム・バロウ公爵に──!」
──ドンドン、ドンドン!
『ナ、ナルシス様! 大変でございます!』
アドリーヌが言いかけた、まさにその時だった。
部屋のドアが激しくノックされ、使用人らしき男が慌てて入ってくる。
「おい、テメェ! 俺は入っていいなんて一言も──!」
「申し訳ありません! ですが至急お伝えせねばならぬことが……!」
使用人は顔面蒼白のまま言葉を続け、
「バ……バロウ公爵家と王国騎士団が〝ウルフ侯爵家の家督相続において、マティアス・ウルフの相続を支持する〟と表明しました!」
「──ッ!? なにぃ!?」
その報告を聞いて、ナルシスが驚きを露わにする。
同時に、先程までの邪悪で余裕のある笑みは消え失せた。
「バ、バカな……! 王国騎士団もバロウ公爵家も、これまでウルフ侯爵家の家督争いに口を挟んだことは一度もなかっただろうが!」
──ウルフ侯爵家は、よく〝なにをするにも金に物を言わせる貴族〟だと陰口を叩かれる。
莫大な資産を盾に権力を保持し続けてきた家柄であるためだ。
故に、明確な〝権威〟を持つバロウ公爵家や王国騎士団とは昔からあまり仲が良好ではない。
事実これまでの歴史上、ウルフ侯爵家の家督争いに両者が関わったことは一度たりともなかった。
だから今回の家督争いも、どうせ関わってこないだろうとナルシスは無意識に思っていたのだ。
「おい、どういうことだ!? どうして今回に限って……!」
「──ナルシスくん、ナルシスくんはいるかね!?」
使用人が報告をもたらしているところに、今度は護衛を引き連れた恰幅のいい老貴族がやってくる。
他の使用人たちが制止しようとしていたが、かなり強引に別荘の中へ押し入ってきた様子だ。
「ロドリゴ侯爵……!? どうしてここへ!?」
「ナルシスくん、悪いがワシはマティアス派へ鞍替えさせてもらうよ! それからルヴァーノ伯爵とラッザロ子爵も同様にキミとは縁を切るそうだから、そのつもりで!」
「──!? そ、そんな……!? まさかバロウ公爵家と王国騎士団が、マティアスに与したせいだってのか!?」
「それもある。だが、それだけではないのだ!」
ロドリゴ侯爵という恰幅のいい貴族は、ダラダラと脂汗を垂れ流しながら酷く焦った表情を見せる。
そして息を荒げて──
「領地債券の不買運動だ! ワシら領主が発行してる債券を、商人たちが買わない動きが加速している! このままでは金利が上がる一方で、ワシらが破産させられてしまうわい!」
「なっ……どうして急にそんなことが……!」
「バロウ公爵家だよ! 有力商人たちに声をかけ、とんでもない厚遇で自領に引き抜いている! それに中小の商人たちの間では、領地が財政破綻するという噂まで流れて……! あ、あ、あの家を敵に回してはならなかったのだ……!」
ガタガタと震えるロドリゴ侯爵。
──ナルシスは唖然とする。
まさか──まさかバロウ公爵家がそんなことをするとは、思いもよらなかったから。
そもそもの話、他の領地の有力商人を自領に引き入れる──つまり買収するというのは、できるできない以前にやってはならない。
これは領主間の暗黙のルールだ。
それを堂々と破るというのは、明確な宣戦布告ともなる。
そんなことが何度も起これば、国の中が領地と領地で争う内乱だらけになってしまう。
だからやってはならない。
だが──〝今〟は例外だ。
ウルフ侯爵家が二つに割れ、家督を巡って派閥間で既に争いが起きている。
貴族たちが敵味方に分かれ、既に小規模な内乱(政争)が起きている状態と言っていい。
そのタイミングを狙われた形なのだ。
加えて、先に手を出したのはナルシスの方だ。
マティアス派の人間たちを多額の金で買収し、さらにはレティシアとアルバンを暗殺しようとした。
だからこれは政治的報復として、少なくともバロウ公爵家側には大義名分がある。
責め立てようにも「じゃあお前は身の潔白を証明できるのか?」という押し問答に発展してしまう。
そうなった場合、ナルシスは圧倒的に不利だ。
何故なら──〝権威〟がないから。
ウルフ侯爵家当主としての地位を確立できていないナルシスでは、バロウ公爵家と正面切って政争ができるだけの〝権威〟がない。
どれだけ財力があろうとも、〝権威〟を敵に回しては勝てない。
大豪商が一国の王に決して勝てないのと同じように。
まさか家督争いに関わってくると思っていなかったバロウ公爵家──それと敵対することになった時点で、ナルシスの優位性は崩れ去ったのである。
全ては──己が権力と財力に溺れ、世間を知ろうともせず、敵対者の情報を得ることすら疎かにした結果。
〝金さえあればなんでもできる〟と妄信し過ぎた、その報いなのだ。
「お、おそらく多くの貴族がマティアス派に寝返るはずだ……! ワシもすぐにウィレーム公爵と交渉の席を設けねば……! これにて失礼する!」
ロドリゴ侯爵は焦りに焦って部屋を後にする。
残されたナルシスは、
「~~~~クソッタレがあああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
悔しさに溢れた怒声を奏で、ワインボトルとグラスが置かれたテーブルを思い切り蹴り飛ばすのだった。
▲ ▲ ▲
「──というやり方で報復することにしたの。お父様とオリヴィア姉様は、快く手伝ってくれたわ」
クスクス、と笑いながらレティシアがマティアスに説明する。
それを聞いたマティアスは頬を引き攣らせ、
「お……お前さん、おっかねぇことするんだな……」
「安心なさいな。
「やってることが悪徳買収者のソレなんだよ……。改めて、レティシア・オードランって女の恐ろしさが実感できたわ……」
「あら、お褒めいただき光栄ですこと」