あなたが好きなんです
《マティアス・ウルフ
「〝月狼の戴日〟まで、あと一ヵ月か……」
ウルフ侯爵家の大豪邸──その一角にある個室の中で、俺は窓の外をボーっと眺めながら呟く。
ウルフ侯爵家の屋敷はバカみたいに広い敷地のど真ん中にあり、窓から見える景色は全て私有地……つまり庭園となっている。
生える草木は庭師によって隅々まで綺麗に剪定され、当たり前のように噴水や
ガキの頃は、この庭園で遊び回るのが楽しかったのにな……。
今じゃ俺を縛る権力の象徴にすら見えてくるんだら、皮肉なモンだ。
「なんで俺ぁ、こんな家に生まれちまったのかね……」
自分が生まれ育った場所を眺め、俺はため息を漏らす。
ちなみに、兄貴は今この屋敷にはいない。
というか基本的に、兄貴は余程のことがないと実家であるこの場所に近付かないのだ。
元々親父との仲も険悪だったからな。
ま、俺にとっちゃ居心地が悪くならなくて助かるが……。
──日に日に、ウルフ侯爵家の家督を巡る派閥間の争いは激しさを増している。
兄貴が俺の支持者を潰そうと躍起になっているからだ。
それにどんどん貴族たちを取り込んでいってナルシス派を大きくしており、こっちは不利になるばかり。
それでも頑なに俺を支持する貴族たちはいる。
とはいえ、ほとんどの奴らは俺に義理立てしてるワケじゃなく、単に兄貴のことが嫌いだからって理由だ。
あの傲慢な金の亡者は、貴族たちの中じゃ割と嫌われ者だからな。
だから仕方なく俺の味方をする。
でなければ立場上、兄貴の側に立つことができない者たち──その集まりがマティアス派なのだ。
しかし……敵味方や人柄の好き嫌いなんて、金と政治の前じゃ簡単に表裏がひっくり返る。
兄貴は次々と俺の支持者たちを多額の賄賂や恐喝で自分の側に立たせ、こっちの味方は減る一方。
このままじゃ兄貴がウルフ侯爵家の家督を手に入れるのは間違いない。
ぶっちゃけて言えば、兄貴がウルフ侯爵家を継ぐならどうぞご自由にと言いたいが……それは俺の支持者たちの破滅を意味する。
だから一刻も早く〝花嫁〟を俺に宛てがおうと躍起になっているが……。
「……おふくろみたいな
──俺のおふくろは、俺が幼い頃に死んだ。
心を病んでしまったのだ。
巨額の財産を抱えるが故に、常に難しい立ち回りを演じ続けなければならないウルフ侯爵家正妻というプレッシャーに、おふくろは耐えられなかった。
晩年には廃人同然となり、衰弱死なんて結末を迎えたよ。
あの姿は……とてもじゃないが見ていられないと、ガキの俺でも思ったもんさ。
……ウルフ侯爵家の妻になるのは、そうなるってことだ。
俺を当主にし、マティアス派の安泰を得る身代わりとして、女性一人を地獄へ落とす。
甘い考えだと言われりゃ、そうかもしれないけどよ……俺は嫌なんだよ。
あの二人を──オードラン男爵とレティシア嬢を見ていて、つくづく思った。
夫てなぁ、妻を守らなきゃいけねーんだって。
妻を尊敬し、妻から尊敬される……そんな強さがあってこそ、幸せになれるんだって。
けど……俺にはオードラン男爵みたいな強さはない。
肉体的にも、精神的にも。
アレは決して、金なんかじゃ手に入らないモノなんだ。
親父はそれに気付かなかったから、おふくろを不幸にしちまったんだ。
……その血を継ぐ俺なんかじゃあ、ウルフ侯爵家の中で妻を守っていけないだろう。
だから、俺は独りがいいんだ。
いいや──
「俺ぁ……どうするべきなんだろうな? なぁ、オードラン男爵よぉ」
窓の外に向かって呟く。
すると──その時だった。
──コンコン
『マティアス坊っちゃん、ハインリヒでございます』
部屋のドアを、執事のハインリヒがノックする。
「ああ、なんだ?」
『お客様がお見えになっておいでです。それも団体様で……』
「団体……? どんな奴らだ?」
『王立学園の生徒の皆様で……〝Fクラスが会いに来てやった〟と伝えろと』
「──!」
Fクラス──その響きを聞いて、俺は一瞬心臓がドキリとする。
だが特別に取り乱したりはしない。
アイツらなら、もしかしたら──くらいには予想していたことだからだ。
「……追い返せ。俺はいないと伝えろ」
「しかし、マティアス坊っちゃん──」
「ごねるようなら学園に連絡すると言え。ただし力づくで追い返すのはよせよ。怪我人が出るだけじゃ済まなくなるぜ」
……あのオードラン男爵も来ているなら、守衛の兵士なんかじゃ相手にもならねーだろうしな。
それでも別の脅しをかければ──
『──ほー、いい度胸だな。絶対服従を誓った部下のくせして』
「え?」
ハインリヒの声が、聞き慣れた恐ろしい声へと変わる。
次の瞬間、スパン! という鋭い快音と共にドアが断ち切られ──ズガァン! と向こう側から蹴破られた。
▲ ▲ ▲
こんな風にドアを斬り破ったのは、オードラン領の屋敷でレティシアの部屋に押し入った時以来だなぁ。
あの時は緊張したもんだ……。
一歩間違えれば変態になってたとこだからさ……。
が、野郎相手ならば遠慮はいらない。
俺は一刀両断されたドアを容赦なく蹴破り、部屋の中へと入っていく。
「オ、オードラン男爵……!」
「ようマティアス。久しぶり──ってほどでもないか」
俺の姿を見て、まるで天変地異でも目撃したかのような驚きの表情を浮かべるマティアス。
おいおい、そんな顔するなって。
なんだかちょっと楽しくなっちゃうだろ?
悪役が悪役らしさを演じられてるような気がして、さ。
俺は「ドアの弁償はしなくていいだろ」と言いつつ、空いている椅子にドカッと座って足を組む。