骨肉の争い

《マティアス・ウルフ視点Side


「……ただいま。今帰ったよ、親父」

ウルフ侯爵家の屋敷に戻ってきた俺は、父親であるコーウェン・ウルフの自室へと足を踏み入れる。

だが──親父からの返事はない。

親父はベッドの上で横たわり、目を瞑ったまま寝たきりになっている。

完全に意識を失って──もう二週間以上になるそうだ。

俺は親父の傍へ歩み寄り、

「見る影もなくなっちまって……。昔のアンタは、金さえあれば何千年だって生きられそうなツラしてたのにさ」

すっかり痩せ細り、頬がこけ始めている自分の父親の顔を見つめる。

俺が今よりずっとガキだった頃は、親父はそりゃもう強梁きょうりょうで有名な人だった。

金を増やすことに関しちゃ天性の才能を持っていた親父は、その剛腕をフルに使ってウルフ侯爵家の財力と権力をどんどん強くしていった。

そしていつの間にやら、国の中でも指折りの財力を持つとまで謳われるようになったんだ。

昔の親父は……そりゃもうっかない人だったよ。

それが今じゃ、ベッドの上で寝たきりだなんてさ……。

「……親父は、あとどれくらい持つ?」

俺は背後に佇む執事に尋ねる。

長らく親父の専属執事をやっている、白髪白髭の老執事ハインリヒ。

見た目は穏健そうだが、その眼光は鋭い。

「これまで治癒師が回復魔法をかけ続けてきました故、旦那様は随分と持ち堪えられましたが……治癒師の見立てでは、もう余命幾ばくもないと」

ハインリヒはワザとぼかすような言い方をする。

それの意味するところなんざ、俺にはすぐにわかった。

──元々、親父は少し前から心臓に病を抱えていた。

それは回復魔法でも完治させるのは難しい病だったらしく、こうなるのも時間の問題だと言われてはいたが……。

「旦那様は、兄上様ではなくマティアス坊っちゃんを次期当主に推薦しておられた。既に遺書もしたためられておいでです」

「…………なんで俺なんだよ。兄貴がいるじゃねーか」

「なりません。兄上様──ナルシス様には、旦那様やあなた様のような資質がない。ウルフ侯爵家の当主に相応しくありません。それはマティアス坊っちゃんもよくわかっておいでのはず」

「……」

「いい加減、お覚悟を固めてお探しになるべきだ。今のままでは──」


「──ぃようマティアス! 帰ってきたんだってぇ!?


バン! と部屋のドアが叩くように開けられ、大声と共にとある男が入ってくる。

いや──正確にはとある男と、そいつに肩を抱かれた女の二名が。

「おーおー、相変わらずクソ生意気なツラしてんなぁ? ってかさぁ、弟の分際で兄貴に挨拶もなしとか、舐めてんのお前?」

「クスクス……へぇ~、この子が例の弟くんなんだぁ。結構可愛いのねぇ。なんだか頼りなさそうだけど! キャハハハ!」

バカみたいな喋り方でバカみたいに笑う二人。

……男の方は俺の実の兄であり、ウルフ侯爵家の長男であるナルシス・ウルフ。

俺と似た顔立ちで褐色の肌を持ち、とてつもなく高価な宝石やらなにやらをジャラジャラさせている。

雰囲気も俺に輪をかけてチャラく、しかもヘラヘラとしていてガラが悪い。

女の方は知らん。

少なくとも、俺が王立学園に入学する前には別の女を連れていたんだがな。

ホンット、相変わらず女癖が悪い兄上様だよ。

「……久しぶりだな兄貴。息災そうでなによりだわ」

「ハッ、思ってもねぇこと言いやがってよ。つーかお前、王立学園でクラスの〝キング〟になれなかったらしーじゃん? しかもあの〝最低最悪の男爵〟の駒になっちまったんだって?」

「……」

「ウルフ家の恥晒しがよぉ。よくここに帰ってこれたなテメェ。俺が当主になった日にゃ、覚悟しとくんだな」

「お言葉ですがナルシス様、旦那様は既にマティアス坊っちゃんを次期当主に決めておいでです。遺書にもしたためておいでだ」

ハインリヒが言うと、ナルシスは「チッ」と舌打ちする。

「あぁ? 遺書がなんだ? そこで寝たきりになってるくたばり損ないの書いた落書きなんざ、なんの意味もねぇ」

クックック、と嘲るように親父を見て笑うナルシス。

……兄貴はずっと前から親父と不仲だった。

他人に威張り散らしてばかりで、金を浪費することしかしない兄貴を親父は息子と認めていなかった。

俺を次期当主にしようとしたのも、そういう不和が原因の一つではあるだろう。

だがそれでも、親父は兄貴を勘当しなかった。

いや、できなかった。

何故なら──兄貴には、金で人を味方に付ける才があったからだ。

「知らねぇとは言わせねぇぞ? マティアス侯爵家に関わる貴族共は、俺を次期当主に推薦するって次々と意思表明を上げてる。遺書なんざどうとでもなるんだよ」

「……相変わらず、金で人を買うのだけは上手いな」

「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよなぁ。〝金で買えない物なんかない〟ってのは、クソ親父の口癖でもあっただろ?」

「フン……けどよ──そうまでしてウルフ家の当主になって、兄貴はなにがしたいんだ?」

「なにが、だって? ンなの決まってんだろうが! この国で一番──いや、世界で一番の贅沢ってヤツをしてやるのさ!」

バッと両腕を掲げ、高らかにナルシスは叫ぶ。

「親父が必死になって貯めた莫大な財産を、使って使って使いまくる! この世で一番の贅沢三昧を堪能して、俺が世界一の大富豪だってことを世界中の奴らに見せつけてやるのさ! 世界で一番のVIPは俺だってなぁ!」

「……」

「金は力だ! そして自由の象徴だ! 俺は誰よりも力を持ち、誰よりも自由な男になる! 貧乏人共は俺の目の前で平伏し、俺の靴を舐めるようになるんだよ! これこそ最っ高の人生だろうが!」

ギャハハハ! と笑い声を上げるナルシス。

そんな実兄の姿に、俺は心底反吐が出そうだった。

別に言ってることは間違っちゃいない。

金は力と自由の象徴、これは事実だ。

だが──兄貴の考え方は、あらゆる面で俺とは対照的だ。

兄貴は財を使い潰して、他人を見下す道具にすることしか考えちゃいない。

稼ぐ方が面白いと感じる俺とは、完全に真逆だ。

とても同じ血が流れてるとは思えんね。

どうしてこんな兄弟を持っちまったんだか。

もっとも……ウルフ侯爵家は莫大な財力を抱えるが故に、昔から親族間での不和や紛争が絶えない家柄ではあった。

親父も親族との骨肉の争いを経て、当主の地位に納まったと聞く。

その血は争えないってことだ。

本当に……クソ食らえだな。

「兄貴……アンタ、ウルフ侯爵家を滅ぼすつもりか? とても当主の〝器〟の発言とは思えねーな」

「へぇ? それじゃあお前なら〝器〟だってのか? 当主になるのをビビッて、これまで〝花嫁探し〟すらできなかったお前が?」

「──!」

「ウルフ侯爵家に代々伝わる家訓、〝花嫁を娶らぬ者に当主の資格なし〟──幾ら親父の遺書があろうと、〝花嫁〟がいないんじゃ親族共は納得しねーぞ? どうすんだ?」

「それ、は……」

「生憎、俺はもう〝花嫁〟を見つけたぜ? 俺はこのアドリーヌを妻とする。これでお前より、当主に相応しいって大義名分ができたワケだ」

「ウフフ♪ 私を選んでくれて嬉しいわぁ、ナルシス様ぁ♥」

ナルシスに抱き着くアドリーヌとかいう女。

言っちゃなんだが、この女にウルフ侯爵家の当主夫人が務まるとは思えない。

女癖の悪い兄貴のことだ、どうせ顔と身体がよければ誰でもよかったんだろ。

後でとっかえひっかえしようって魂胆が透けて見える。

だが──それでも〝花嫁〟を得た意義は大きい。

貴族にとって、建前や大義名分ってのは極めて重要だ。

自らの面目に関わるワケだからな。

どう考えたって、大義名分を持たない相手は支持し難くなる。

今の俺が──まさにそれなのだ。

「マティアスよぉ、俺は当主の座に就くぜ。なんとしても、どんな手を使ってでもな」

「……」

「俺ぁ昔っから、お前のことが気に食わなかった。弟の分際で偉そうにしやがって……。俺がウルフ家を乗っ取った暁には、真っ先にお前を処分してやる。楽しみにしとけや、ギャハハハッ!!!」

そう言い残し、ナルシスはアドリーヌを連れて部屋を後にする。

残された俺は親父が眠るベッドの傍らに佇み、

「……ハッ、やってらんねーな。ホントによ……」

呟くように、そんな言葉を口から漏らした。

「マティアス坊っちゃん……」

俺の姿を見るに見かねたのか、ハインリヒがこちらに歩み寄ってくる。

「……ウルフ家の骨肉の争いに、己の妻となる淑女を巻き込みたくないと想われるマティアス坊っちゃんの葛藤はよくわかります。ですがそれでは、いずれ取り返しがつかなくなる」

「……」

「当主を選定する〝月狼の戴日〟までに、一刻も早く〝花嫁〟を見つけなければ……ウルフ家が割れ、多くの血が流れることとなりましょうぞ。勿論……マティアス坊っちゃんの身も、無事では済みますまい」

▲ ▲ ▲

「──これが、僕が調べた全てだ」

イヴァンが語り終えると、喫茶店の中がシンとした沈黙に包まれる。

数秒間の静寂の後、最初に口を開いたのはレティシアだった。

「つまり……マティアスは今、ウルフ侯爵家の家督争いの渦中にいる──ということね」

「ああ、父親であるコーウェン侯爵が危篤状態らしい。実兄のナルシスは、既に家督相続に向けて親族や関係者貴族を取り込みに動いているようだ」

「ウルフ侯爵家当主になるということは、その莫大な財産をも受け継ぐということ。あの家は昔から親族間での争いが絶えなかったとも聞くし、マティアスの悩みも推して知るべしでしょう……」

ふぅ、と悩ましそうに吐息を漏らすレティシア。

……もしかしたら、彼女はマティアスの気持ちが少しわかるのかもしれないな。

バロウ家に生まれた公爵令嬢として、レティシアも下らない権力争いに巻き込まれてきた身だ。

マウロの件然り、これまで王族の誰かに命を狙われ続けたこと然り。

権力あるところに争いあり。

ホント、心底下らんな。反吐が出る。

マティアスの奴もかわいそうに。

流石にちょっと同情するよ。

けど、な──

イヴァンはグッと拳を握り締める。

力強く、どこか悔しそうに。

「彼は……僕にすら家督争いのことを話そうとはしなかった。全部一人で抱え込んで……バカな奴だ……!」

「イヴァン、あなた……」

「……こんなことを頼むのは、分不相応であると自覚はしている。だが同じクラスの友として、どうか力を貸して──!」


「断る」


──イヴァンの言葉をバッサリと遮り、俺はただ一言そう発する。

明確な拒絶を突き付けるように。

そんな俺の言葉を聞いて愕然とするイヴァン。

だがそれ以上に驚きの表情を見せたのはレティシアだった。

「──!? アルバン……!?

「断るというか、ダメだ。レティシアを危険に晒すつもりはない」

は~面倒くさ、と悪役らしく耳の穴を小指でかっぽじる俺。

──イヴァンの言わんとしていることは理解できる。

確かにマティアスはFクラスの一員であるし、俺にとっちゃ部下でもある。

別に好き好んで見捨てたくはない。

けどな──それでも俺にとっちゃ、レティシアの安全の方が大事だし重要なんだよ。

ウルフ侯爵家のいざこざに安易に首を突っ込んで、もしもレティシアの命が狙われるようなことがあれば──

無論、彼女の身は俺が全力で守る。

これまでと同じように。

降りかかる火の粉は、斬り捨てて叩き潰して、完全に消滅するまで薙ぎ払う。

だが……それもこれも、結局は勝手に敵が現れて襲ってくるから、正当防衛としてやってるだけだ。

進んで危険リスクを増やすのは看過できん。

ウルフ侯爵家ほどの財力となれば、そこに群がってくる貴族共の数も膨大なはず。

仮にその半数を敵に回すとしたら……もう考えるだけでも面倒くせーわ。

金だの権益だのに目が眩んだ貴族のやることなんざ決まってる。

あの手この手で俺たちを排除しようとするだろう。

それも物理的に。

ただでさえ俺たち夫婦は政敵が多くて、日頃から命を狙われてんだ。

これ以上なんてマジで面倒くさいし、勘弁だわ。

エイプリルには申し訳ないが、これ以上の応援はしてやれん。

俺は「はぁ~」とため息を漏らし、

「まあ、そうだな……。もしもマティアスの兄貴とやらが、先に仕掛けてきたりすれば話は別だが──」

なんてことを言いつつ、不意に喫茶店の窓へ視線を移す。

そして何気なく外の景色を見た──のだが、

「……」

「? アルバン……?」

「レティシア────伏せろ

俺は傍らに立て掛けておいた剣を掴む。


次の瞬間──シャノアの喫茶店が、大爆発を起こした。

▲ ▲ ▲

「おい……やったか?」

「当たり前だろ。店を丸ごと吹っ飛ばす魔法を使ったんだ、生きてるワケねぇ」

マントで全身を覆い、フードをすっぽり被って顔も隠した二人の男。

その片割れが炎属性の魔法を放ち、シャノアの喫茶店を木端微塵に破壊したのだ。

とはいえ辛うじて半壊程度に留まっているが──アルバンやレティシアの居た場所は、粉々に吹き飛んで白煙に包まれている。

城下町の中にも爆音は響き渡り、周囲では悲鳴が上がっている。

「ヒャハハ! これで金貨八百枚とはボロすぎる仕事だぜ! あの〝最低最悪の男爵〟と嫌われ者のレティシア・バロウがおっ死んで、世間も喜ぶだろうさ!」

「おい、んなことよりさっさとずらかるぞ! 早くしないと兵士共が──!」

「……待て」

ユラリ、と白煙の中で何者かの立ち姿が揺らめく。

直後、剣を手にした男が一人、煙の中から現れた。


そう──アルバン・オードランである。


彼の姿を見たフードの男の片割れは「チッ」と舌打ちし、

「生きてやがったが、運のいい奴め。でも安心しろ、すぐにあの世に送って──」

「……よくもレティシアを狙ったな」

「あん?」

「お前ら、楽に死ねると思うなよ。妻を狙った罪を精々悔いながら……存分に生き地獄を味わえ」

悪鬼羅刹のような表情で、ユラリ、ユラリ、とフードの男たちに近付いていくアルバン。