呪縛
「マティアス、あなた婚約者はもう決まっておいでかしら?」
──放課後。
夕陽が照らす教室の中で、レティシアはおもむろにそう切り出した。
今この場にいるのは俺、レティシア、そしてマティアスの三人だけ。
他のメンバーはとっくに教室を後にしたが、マティアスだけ残るようにとレティシアが引き留めたのだ。
マティアスはなんとも面倒くさそうな目をしつつ、
「いや、別に決まってねーけど……」
「ならご縁談のお話は? どこかのご令嬢からお声がけを貰ったりはしていないの?」
「……なぁ、これなんだ? 新手の尋問? 俺、なんか責められることしたか?」
チラリと俺の方へ視線を流してくるマティアス。
まるで「説明してくれよ〝
が、敢えて俺はそっぽを向く。
だってレティシアから余計なことを言わないでって釘を刺されてるからな。
レティシアは変わらず落ち着き払った様子で話を続け、
「私は真面目に聞いているのよ。つまりあなたは、特に恋人や愛人の類はいないということね?」
「いるかっつの、そんなモン」
「へぇー、意外だな。お前チャラい感じの奴だし、如何にも陰で女遊びしてそうなのに」
俺がようやく会話に交ざって言うと、マティアスは「チッ」と舌打ちする。
「あのなぁ、人様を見かけで判断すんなや。俺ぁ確かに金と金儲けが大好きだが、女遊びやギャンブルになんざ興味ねーのよ」
ため息を混じらせながら言う。
──マティアスの実家であるウルフ侯爵家と言えば、莫大な資産を持つ大富豪なことで有名。
権威はともかく、その総資産だけなら公爵家──ぶっちゃけレティシアの実家であるバロウ公爵家すらも上回るだろう。
噂程度に聞いた話だが、ウルフ侯爵家が全財産を使えばヴァルランド王国の三分の二の土地を買い占められるほどだとかなんとか……。
事実だとすれば半端ではない。
もっとも、当然そんなことは王家が許すはずもないが。
要は、金なんて掃いて捨てるほどあるってことで。
オードラン男爵家みたいな田舎のしがない貴族とは、比ぶべくもない。
でも得てして、そういう金持ちってやらしい金の使い方してるイメージあるんだけどな。
「ふーん? じゃあお前、その大好きな金はなにに使ってるんだよ?」
「そりゃ金儲けに決まってんだろ」
「……? 金があるのに金儲けするのか?」
それって矛盾……とまでは行かなくても、なんかおかしくね?
と思う俺に対し、マティアスは「チッチッチ」と指を振る。
「わかってねーな、オードラン男爵。金ってのは幾らあっても満足できねーし、稼いでると実感できる瞬間が一番面白いんだよ」
彼はそう言うと、ズボンのポケットに手を突っ込む。
そして一枚の金貨を取り出し、机の上にパチンと置いた。
「例えば、だ。適当な露店に入り、この金貨一枚でリンゴをひとつ買ったとする。勿論リンゴなんてのに金貨一枚も価値があるワケない。完全にぼったくりだ」
「はぁ……」
「だがそのリンゴを持ち帰り、〝このリンゴは金貨一枚の値打ちがあった〟とあちこちで執拗に宣伝する。すると一人の物好きが、金貨二枚でリンゴを譲ってくれないか、と提案してくる」
マティアスはもう一度ズボンに手を突っ込み、もう一枚金貨を取り出して机の上に置く。
机の上には、金貨が二枚となった。
「俺は少し考えさせてくれと答え、〝金貨一枚で買ったリンゴを金貨二枚の価値があると言う奴が現れた〟とまた宣伝する。すると今まで興味のなかった奴らがザワつき始め、今度は金貨三枚を払うと言い出す奴が現れる」
パチン、と三枚目の金貨が机に置かれる。
さらに続け様に四枚、五枚と金貨が置かれていく。
「なら俺は四枚払う、いや俺は五枚だ──こうやって人々はしがない露店のリンゴに勝手に価値を上乗せし、どんどん値段を吊り上げていく。そして気付けば、一枚の金貨が金貨数枚~数十枚に増えてましたとさ……。どうだ? こんなに愉快で面白い話ないだろ?」
マティアスはニッと小さく笑う。
あぁ──なるほど、そういう話か。
ぼったくられて買ったリンゴが、金貨数十枚に変わる──
誰か一人に「もしかしたら金貨一枚より価値があるリンゴかも」と思い込ませれば、そこに投資しようとする輩は指数関数的に増えていく。
しかもこの場合、本質的にリンゴは関係ない。
一枚の金貨をそれ以上に増やすという結果が最も大事だから。
〝一を二で売る〟〝損をしない〟ってのは、商売の基本なんてよく聞くもんな。
実際、金貨一枚が数十枚に化ければ確かに愉快かもしれん。
が……貴族というより、まるで
マティアスの話を聞いていたレティシアは少し呆れたような顔で、
「……良く言えば商売上手、悪く言えばお金の亡者みたいね」
「ああ、俺は所詮金の亡者さ。……いや、ウルフ侯爵家の血が流れてる奴なら、皆そうなんだよ」
マティアスは椅子から立ち上がり、窓の方へと歩き出す。
夕陽が差し込み、その姿を紅く照らし出す窓へと向かって。
彼は俺たちに背中を向けたまま、
「話を戻すが……もしかしてアンタら夫婦に、どこぞの貴族から〝マティアスとの縁談を取り付けてくれ〟なんて話でも来たか?」
「い、いえ、そういうワケでは……」
「言っとくが、俺は誰とも婚約する気なんてねーよ。俺みたいな奴は……独りでいる方がいいのさ」
どこか自虐っぽく、ハハハと笑って言う。
そんなマティアスの口ぶりに──俺はなにか含みがあるような気がした。
▲ ▲ ▲
《イヴァン・スコティッシュ
「──うぃーっす。待たせたな」
マティアスが気の抜けた声で話しかけてくる。
僕は長椅子に腰掛けて足を組んだまま、
「フン、遅いぞ。そっちが呼び出したのだから、もう少し悪びれたらどうなんだ?」
「へーへー、悪かったよ。オードラン夫妻との面談なんて想定外だったもんでね」
マティアスはそう言って、僕の隣にドカッと座る。
──今、僕らは王立学園の中庭にいる。
周囲に人気はない。
……この待ち合わせ場所は、ある意味思い出の場所だ。
Fクラスの皆が集まって、オードラン男爵こそFクラスの〝
あの時、皆をまとめたのがマティアスで、僕は全身怪我だらけで惨めな姿だったな。
振り返ってみても、アレがほんの数ヵ月前の話だとは思えんよ。
僕自身の境遇も含め、オードラン男爵夫妻と出会ってからは色々なことがあった。
いや、色々なことがあり過ぎた。
「……」
「なーに感慨深そうな
「いやなに、ここでFクラスの〝
「そーだな。あの時、お前よく学園に残ったと思うよ。マジで意外だったわ」
「意外──と言うなら、キミと僕がこうして肩を並べて話しているのが意外だろう。僕は初め、キミとはそりが合わないと思っていた」
「ハハハ、俺も思ってたね。お高くとまったスコティッシュ公爵家の跡取りなんかとは、絶対仲良くなれないって思ったモンよ」
「それが今では、こうしてお互い椅子に座って話をしている……。人生とはわからないものだな」
人生──なんて単語を口にするには、僕は若輩者過ぎるとは思う。
だが、そう感じるのは確かなのだ。
王立学園に入学する前には、まったく想像もしていなかったことが次々と起きているのだから。
そんな僕の言葉を聞いて、
「…………人生、人生か」
ハハ、と小さくマティアスは笑う。
どこか、嘲笑うような声で。
「そうだな、お前は呪縛から解き放たれたんだもんな。……俺の人生は──」
「マティアス……?」
「いや、悪い。なんでもない。それより、お前を呼び出した理由だけどな」
マティアスは膝に肘を突いたまま話を戻し、
「今んとこ誰にも言ってなかったんだが……お前には、先に伝えておこうと思ってよ」
「伝えるって……なにをだ?」
「俺──この学園を〝退学〟するわ」
「なん────だって────?」
マティアスの放った一言に、僕は一瞬思考が止まる。
それはあまりに、あまりに予想だにしない言葉だったからだ。
「学園での手続き済ませたら、すぐに出てくつもりだ。来週にはFクラスともおさらばしてるだろうな」
「ま、待て! どうして……いや、どういうことだ!? 説明しろマティアス!」
僕は困惑し、らしくもなく狼狽してしまう。
だがそんな混乱した頭でも、たった一つだけすぐに理解できたことがあった。
マティアスに〝なにか〟があったのだ。
いや──正確には〝ウルフ侯爵家〟に。
でなければ、いきなり退学するなどと言い出すものか。
マティアスは理に聡い男。
今のFクラスが置かれた状況はよく理解しているはずだ。
ハッキリと言えば、Fクラスは──オードラン男爵夫妻が率いるクラスは、貴族の中では注目の的だ。
特に先日の中間試験でオードラン男爵がヨシュアを下し、バロウ公爵から〝公式なバロウ家の娘婿〟として認められた後は、これまでオードラン男爵批判派だった者たちの相当数が擁護派へと鞍替えした。
認めざるを得なくなったのだ。
アルバン・オードラン、そしてレティシア・
あの夫婦を批難し続けていては、貴族社会の中で自らが不利になっていってしまうと。
まったく都合のいい話だが、世の中とはそんなものだろう。
僕自身、あまり人のことを言えたモノではないしな。
ともかくオードラン男爵夫妻が〝最低最悪〟だなどという評判は、既に過去の話。
今となっては、彼らの傍にいた方がメリットがある。
そうとわかった上で、あの二人を認めるなどプライドが許さないという傲慢な貴族たちもいるがな。
……例えば、僕の実家のように。
だがマティアス、キミは違うだろう。
そんな傲慢さは持ち合わせていない。
それに──キミだって思っているはずだ。
〝このクラスの一員でありたい〟と。
Fクラスの一員であることが、幸福なことであると──
この日々が堪らなく楽しいと──
そう感じているんじゃないのか?
それにウルフ侯爵家だって、これまでオードラン男爵夫妻に関しては擁護も批判もしない中立だったはずだ。
なのに、何故──!
「なにかあったんだろう!? 僕でよければ力になる! だから──!」
「……お前にゃ関係ねーよ」
突き放すような冷たい口調で言うと、マティアスは長椅子から立ち上がる。
「言いたいことは言ったからよ。時間取らせて悪かったな」
「待ちたまえ! 話はまだ終わってない!」
慌てて僕も立ち上がり、去っていこうとするマティアスの肩を掴む。
しかし、彼はこちらに振り返ることもなく──
「……なぁ相棒。なんでわかってくれねーんだ?」
「……!」
「俺は幸せそうにしてる夫婦の邪魔になんてなりたくねーし、
「マティアス……」
「お前にも理解できるだろ? だからさ、手ェ放してくれや」
──言い返す言葉が見つからず、僕は掴んでいた手を緩める。
マティアスは少し歩き、
「今日のことは胸の内にしまっとけ。それが──Fクラスのためなんだよ」
そう言い残し、僕の前から去っていった。
▲ ▲ ▲
「──では第七回、『マティアスとエイプリルの恋を応援しましょう会』の作戦会議を始めます」
「「「おおー!」」」
「……おー」
──今日も今日とて、シャノアの喫茶店に集まるFクラスの女子メンバー&エイプリル。
あとついでに俺。
レティシアの開催宣言と共に大いに盛り上がる女子共と、相変わらず恥ずかしそうにするエイプリル。
そんな青春を満喫中な淑女たちに対し、俺はイマイチ盛り上がっていなかった。
……なんで盛り上がらないかって?
そりゃだって、こんな風にキャッキャッと集まるのがもう七回目なんだもの。
七回目……というか正確には七日目だが。
レティシアがマティアスに探りを入れ、奴に婚約者や恋人がいないと判明したのが丁度一週間前。
後はマティアスにどうやってエイプリルを意識させるか──という話に焦点をしぼり、レティシアたちは日々恋バナという討論会に熱を上げている。
……そうなのだ。
今日で七日目。
つまりこの恋バナ集会、あれから毎日やっているのである。
ほんとよく飽きないよ……。
一周回って凄いってマジで。
俺は他人の恋愛なんぞにそこまで情熱を傾けられんわ……。
っていうか女子会の中で男子一人だと疎外感もヤバいんだよ……。
でも疎外感に負けて帰ったりなんてしないぞ。
レティシアの隣は俺の特等席って決まってるんだからな。
それに──レティシアは本気でエイプリルの恋を応援している。
愛する妻がこれほどやる気を出しているなら、どうして夫の俺が無視できようか。
俺は俺にやれることをやるさ。
ま、やれることなんて彼女に付き添ってあげるくらいのもんだけど。
「ハイ、レティシア夫人! は、発言の許可を願います……!」
「ええシャノア、発言を許可します」
「こ、ここはやはり、マティアスさんの好みのタイプを聞き出すべきかと……! エイプリルさんを彼の好みに寄せていけば自然と……!」
「う~ん……でもそれだと、エイプリルがエイプリルとして受け入れてもらえた、とは言い難いわよね。ありのままの彼女を受けれてもらえないと、いずれ破綻してしまうのではないかしら……」
「そ、それは……うぅ……」
返す言葉を失うシャノア。
今度はラキが挙手し、
「やっぱ色仕掛けだって~♥ 男なんてボディタッチを繰り返していけば、コロッと落ちるんモンなんだから♠」
ニヤニヤと楽しそうに笑いながら、エイプリルの方を見る。
「エイプリルちゃんってスタイル悪くないし、出すとこ出せば男の視線なんか釘付けだよ~♦ なんなら、男への縋り方もレクチャーしてあげようか~?♪」
「い、いえ、結構です……!」
「ラキ、その辺にしておきなさいな……」
あまりその手の話題に耐性がないのか、顔を真っ赤にして拒否するエイプリル。
そんな彼女を見て実に面白そうにするラキと、ため息を吐くレティシア。
……確かにラキほど男を落とすテクニックを熟知している者はいないだろうが……絶対にエイプリルに真似をさせちゃダメだと思う。
ある意味では適任者だが、同時に論外中の論外でもあるわな。
「あーもう、まだるっこしいですわねッ!」
今度はエステルが立ち上がる。
勇ましく、ガチャンとテーブルを揺らして。
「恋は勢い! つまりは〝おパワー〟! ガーッと行ってドーンとぶちかませば、想いは必ずや成就されますわ!」
グッと拳を握り、力強く力説するエステル。
なんだろう……なんか悔しいが、今初めてコイツの言い分に共感を覚えてしまった気がする。
言ってることは滅茶苦茶だが、間違っていないというか。
実際勢いって大事だと思うし、俺もドアぶった斬ってレティシアの部屋に押し入ったことあるし。
まごまごしてるくらいなら、当たって砕けろくらいの気持ちの方が上手くいくと思うんだよな。
だから俺も「面倒だからもう手っ取り早く告っちゃえよ」と思ったりはしている。
「エイプリルさん、あなたに足りないモノはズバリ〝自信〟! 自分に自信を持つために、まずは筋トレでもしてお身体を鍛えてはいかが!?」
「き、筋トレですか……!?」
「殿方が見惚れるような
「エステル……自信をつけるために外見を磨くというのは、確かに恋愛において大切な要素の一つだとは思うけれど……彼女をあなたの筋トレ仲間に誘うのは止めて頂戴」
頭を抱え始めるレティシア。
女子会の進行役って大変そうだな……。
いや、この面子だからカオスになるのか……。
帰る時に頭痛薬を買っていこうな、レティシア……。
なんて俺が内心でレティシアを慰めていると、
「……レティシアさん……私も発言して……いいかしら……?」
「カァー!」
スッと、カーラが挙手をした。
「ええ、どうぞカーラ」
「ここは……〝吊り橋効果〟を活用すべき……だと思うの……」
「〝吊り橋効果〟?」
「そう……危ない吊り橋の上を……男女が一緒に渡ると……恋仲になりやすいって理論……」
──へぇ?
そんな理論があるんだな。
なんだかちょっと面白そうな話だ。
「所謂……〝危機〟を乗り越えた時に覚える
「ふぅん? つまり男女が一緒に吊り橋という〝危機〟を乗り越え、その
「そう……トキメキと錯覚する……。隣にいる相手が魅力的に見えてきて……恋に落ちる……。一種の恋愛テクニック……」
カーラが説明すると「おぉ~」と女子全員から感嘆の声が上がる。
──なんか、思い当たる節があるな。
レティシアが俺の下に嫁いできた最初の頃、彼女を山中の滝スポットへ連れ出したことがあった。
その時にキラーベアーがレティシアに襲いかかって、俺はそれを斬り捨てたんだよな。
それ以降、彼女の態度は徐々に軟化していってくれた気がする。
俺のことを心配してくれることが多くなったというか。
あの時は全然そんなこと意識してなかったが、思い返せばアレも〝吊り橋効果〟の一種だったのかも?
あ、俺は初めっからレティシアにトキメキを感じていたからノーカンで。
「さ、流石は陰羽カラス丸先生……! 凄い知識です……!」
「いぇーい……ピースピース……」
シャノアに褒められ、いつも通り無表情なまま両手でピースを決めるカーラ。
……そういえばお前だったな。
俺とレティシアの妙な小説を書いてるのは。
ちなみにその件に関してはレティシアとカーラが少し話し合い、「許可を出した私に非があるから……」と改めてレティシアが容認。
一応中身も確認して、特別問題なかったからOKとしたそうだ。
ただ「読んでいて凄く恥ずかしかったわね……」と後に頬を赤く染めながら語ったが。
俺?
勿論、レティシアがOKなら俺もOKだ。
まあ敢えて言うなら、小説の中で描かれた俺が異常なまでにキラキラな王子様みたいだったことには首を傾げたけど。
「というワケで……マティアスくんと一緒に、なにか〝危機〟を乗り越えてみたらどうかな……エイプリルさん……?」
「き、〝危機〟ですか……」
カーラに提案され、少し考えたエイプリルは、
「で、でも、どんな風にマティアス様を誘えば……。それに〝危機〟って、どんなモノがいいんでしょう……?」
「それは──」
う~~~ん、と悩ましそうにする女子一同。
言っておくが、この王都の中に吊り橋なんてのはない。
いや探せば小さいのはあるのかもしれんが、少なくとも身の危険を感じられるようなスリリングな吊り橋はないだろう。
だから他の〝危機〟を探す必要があるのだろうが──
と、俺も頭を捻っていた──その時だった。
カランカラン
「……失礼する」
「──あれ? イヴァン?」
喫茶店の入り口ドアが開けられ、鈴の音と共にイヴァンが入ってきた。
「どうしたんだよ? 珍しいな、お前が一人でここへ来るなんて」
「……」
イヴァンはすぐに答えない。
どことなく顔を伏せ、誰とも目を合わせようとしない。
最初、俺は「ん~?」と様子のおかしいイヴァンを訝しんだが──すぐに気付いた。
顔色が悪い。
表情も強張っており、どこか思い詰めたような雰囲気があるというか──
「……パウラ先生からの伝言を伝えに来た」
重苦しい感じで、イヴァンが口を開く。
「パウラ先生から……? お前がパシリを頼まれたのか? 尚更珍しいな、そういうのはマティアスの奴に──」
「その、マティアスの話だ」
イヴァンはそう言って、ほんの少しの間を置き──
「……彼は──マティアス・ウルフは、学園を去った」
「……は?」
「彼は王立学園を〝退学〟したよ。既に王都も後にしている。今頃はウルフ領に到着した頃だろう」
その言葉を聞かされて、ザワッと女子たちがどよめく。
──そういえばマティアスの奴、今日の授業を欠席してたな。
体調不良とかなんとか、らしくない理由で。
珍しいこともあるもんだと思っていたが……。
レティシアも驚きを隠せないといった表情で、
「ちょ、ちょっと待って頂戴! どういうことなの!? そんな話、彼から一言も──!」
「当然だ。学園を去るまで、皆には秘密にするよう彼がパウラ先生や僕に頼んでいたのだからな」
血色の悪い顔のまま、淡々と語るイヴァン。
だがそんな話を聞かされて、イヴァンよりさらに真っ青な顔になった者がいる。
──エイプリルだ。
「そ…………そん、な…………!」
「エ、エイプリル、大丈夫よ。落ち着いて……」
「う、嘘です……だって私、まだなんのお礼も……お話だって……!」
今にも泣き出しそうになって、激しく動揺するエイプリル。
そんな彼女を少しでも落ち着かせようと、レティシアが優しく肩を抱く。
イヴァンは立ち尽くしたまま、
「……オードラン男爵、そしてレティシア嬢よ。頼む、力を貸してくれないか」
縋るような声で、俺たちに言ってきた。
「……おいイヴァン、詳しく話せ。アイツに──マティアスになにがあった?」
「ああ……僕が個人的に調べた話で恐縮なのだが──」