ちゅうぼうで昨日のクッキーをつまみ、お茶を飲みながら一息ついていると、階下でドアの開く音がした。

 シュトレンの招き入れる声が聞こえる。お客様のようだ。

 階下をひょいとのぞいて、リンはクッキーを持ったまま目を大きく見開いた。

「ご領主様……?」

 ぼうぜんとしたのは一瞬で、我に返ると慌てて駆け下りて、礼をとった。

「ああ、リン、突然訪れてすまぬ」

「いえ、大丈夫です。……あの、ライアンは今日、館へ向かったと思うのですが」

「知っておる。それで、今のうちに、アレに見つからないように出てきたのだ」

 いたずらっぽく笑う領主をシュトレンが応接室へと案内する。

 いきなりの領主の登場に、なぜシュトレンはこんなに冷静に動けるのだろう。

 隣領からイソイソとやってくるラグナルの顔が思い浮かんだ。フォルテリアスの領主はお忍び好きで、皆が慣れているのかもしれない。

 領主は騎士を一人連れただけのようで、部屋の入り口に騎士が控えた。その横にアマンドが立つ。領主の前の椅子にリンは浅く腰掛けた。


「お呼びいただければこちらから参りましたのに」

「いや、館ではカリソンにバレてしまうから、まずいのだ。リンに頼みたいことがあるのだが、カリソンにはしばらく秘密にしたい」

「……ライアンにも?」

「いや、まあ、アレには秘密にする必要はないが、私がリンに会いに来ようとするとうるさいであろう? 大丈夫だ。ミドルネームを使わず堂々と来ている」

 リンはキョトンとした。

 初対面でもないし、もうミドルネームを使う必要もないはずだ。ライアンを出し抜くように来るからうるさく言われるんじゃないだろうか。

「……えー、では、ご領主様。お頼みというのをおうかがいします」

 うむ、と領主はうなずいて、リンが思ってもみなかったことを言った。

「実は、カリソンに、今までにないプレゼントを探しておる」

 ここでもプレゼントらしい。

「夏至の祝祭の贈り物ですか?」

「いや、結婚記念日だ。もともと夏至の祝祭に贈り物をするのは、この日の婚約や結婚が多かったから、それが習慣になったのであろう」

「そうなんですね」

「うむ。夏至の前には学舎に通う者も自領へと戻り、兄や姉を祝福しやすい。結婚後に王都の社交で周知されて、夫婦そろって挨拶に回るのにちょうどいいのだ」

「なるほど。あの、それで、私への頼みというのは……」

 ローロにしたように、なにか菓子を作ることになるのだろうかと思った。

「うむ。リンの茶が欲しい」

「お茶でございますか?」

「ああ。カリソンは、もちろん私もだが、リンの茶を大変好んでおる。それにライアンがいつもリンの茶はあれもこれもうまいと自慢するのだ」

 自慢だけして飲ませてはくれぬのだから、と領主はブツブツ言っている。

「お茶なら、もちろんご用意できますけれど……」

「ライアンがうまいと言う茶が欲しい」

 ご領主夫人が好む茶はどちらかというと華やかで、甘めの香りがする紅茶だ。ライアンの好むものとは少し違う。

「ぴったりなのがあるかもしれません」

「本当か!?

「ええ。ちょうど飲み頃だと思うのです。……それに、ライアンもまだ飲んだことのないお茶ですよ」

 それを聞いて、領主は目を輝かせた。


 リンは自室から小さめの紙袋を一つ抱えて応接室に戻った。

 シュトレンが運んでくれたお茶のセットを前にして、ナイフで袋の口を切る。

 それだけでふんわりと香りが立ち上り、鼻先にまで届いた。

「これは、去年の秋薔薇ばらで香りをつけた紅茶です。カリソン様のお名前をいただいている薔薇ほど香り高くないかもしれませんが、華やかで、エレガントで、少し甘く、フェミニンで、その、カリソン様にぴったりだと思うのです」

「リン、其方そなた、カリソンのことをとてもよくわかっておるな!」

 うれしそうな領主のために、まず少し茶葉を皿に出して見てもらった。

 紅茶に、少し紫がかった濃いピンクの花びらが散る。

「このように、気高く美しい、深い色合いの薔薇なのですよ」

 茶葉を入れお湯をティーポットに注ぐと、フルーティーで甘めの薔薇の香りが領主の鼻まで届いたようだ。大きく息を吸っている。

「香りも素晴らしいでしょう?」

「ああ。『カリソン』はもちろん魅力的な香りだが、これもなかなかだ」

「ええ。去年の秋に、作られたばかりのお茶を飲んで一口惚れをしたんです」

「一口惚れとは、面白いな」

「よくあるんですよ。でも、その時はまだ紅茶と薔薇の香りがうまく落ち着いていない気がして。もう少しお茶と花がお互いを知り合って、むのを待っていたんです」

「知り合って馴染む、か。うむ、結婚記念日にも相応ふさわしい茶であるな」

 去年台湾で仕入れた自然農法で作られた紅茶だ。

 領主の前にそっと置く。

 茶葉を嗅いだ時に感じた薔薇の香りは、お茶をれると紅茶の香りと一つになって揺れる。それが時折、またふっと別れて顔を覗かせ鼻に抜けた。口の中に最後に残るのは、爽やかな香りとほんの少しのあまだ。

 見た目も美しく香りも鮮やかで、きっと領主夫人も気に入ると思う。

「リンの茶はおいしいと、ライアンが自慢するわけだな」

 無言で味わっていた領主が苦笑しながらポツリと言った。

「これをお気に召されたら、どうぞお持ちください。……しばらくライアンには出しませんから、今度は自慢し返してくださいね」

 それはいいと、やはりどこかライアンに似た顔で、領主はニヤリと笑った。



 王城のローズガーデンでの妻との出会いをリン相手に熱く語っていた領主だが、リンがお茶を淹れ替えたところですっと落ち着いたようだ。

「リンも一緒に王都へ向かうと聞いている。王城の庭は本当に素晴らしいので、ライアンと散策すると良い」

「……王城へは、あの、平民でも入れるんでしょうか?」

「リンはウィスタントンのにあるので同行者として入れるであろう。ああ、精霊術師として登録しなおすかもしれぬとライアンが言っておったが、そうなれば全く問題はない」

「はい。あの、まだ登録を迷っているのですけれど」

「ふむ。なぜか、と聞いてもいいかね?」

「……私は、精霊術のない国でごく普通の生活をしてきました。特別な力もなく、本当に普通の」

「ああ」

「新しい商品は私が開発者のように言われていますけど、実際に作っているのはライアンや職人です」

 リンにはスマホやエアコンの仕組みを説明できない。雷の力だとして、ライアンがその効果に合わせた精霊術を考えているのだ。

「こちらに来て、精霊の加護が、それも国に三人しかいないような力があると言われて、混乱しているんだと思います。この力があるから私はウィスタントンに保護されました。でも、賢者として期待されても、私が知っていることは少しのお茶の知識ぐらいでアルドラやライアンのようにすごいわけではないのです」

 精霊術をそこにあるのが当然のように使えもしないし、適した祝詞のりとを考え出すこともできない。

 誰かが作った便利な道具を使って、明かりをつけ、火を使い、移動をして、情報を得て、と暮らしていたのだ。こちらに身一つで来たら、自分本来の力でできることは本当に少なかった。

 難民との境遇の違いに戸惑い、保護されるに見合う価値が自分にあるのかと悩み、せめてできる限りのことで役に立とうと思ってきた。

「賢者と称されるには力不足だと悩んでおるのか」

「自分より大きな影ができて、その虚像を皆が見ている感じがするんです。知らない人に素性を調べられて、期待されて、それならもうどちらでも同じじゃないかと思ったら、よけいわからなくなってきて」

「リン、茶を飲んで少し落ち着くとよい」

 早口になったリンに、領主が息をつかせた。

 カップを持つリンの手は少し震えている。

「精霊の加護が、そして期待する私たちが、リンに重圧を与えてしまったようだな」

「あの、でも、つらいわけではないのです。楽しく過ごせていますから」

「ああ。わかっておる。私はもっと早くにリンと話して不安を取り除いてやるべきだったな。賢者という立場が何をもたらすか、よく知っているのだから」


 領主は思い出すように少し遠くを眺めながら、静かに語り始めた。

「私とカリソンには、ライアンのことでひどく後悔していることがある。あの子は、産まれたその瞬間から、私の息子としてより、賢者として扱われたのだよ」

 領主はリンを見て自嘲気味にふっと笑うと、手の中のカップを見つめた。

「私たちはもちろん息子の誕生を心より喜んだ。でも、私は隣室で待機していて、白銀の髪色だと聞いた時に戸惑ったのだ」

「すべての加護があるという意味だからですね」

「ああ。いとの誕生で戸惑うなど、私は今でもあの時の自分が許せぬ。周囲は新たな賢者の誕生に沸き立っておったが、私は呆然としていたかもしれぬ」

 リンはコクリとうなずいた。

「私も、カリソンも、上の息子二人も、加護はないのだ。大きな力を持って生まれ、国の賢者となる子に、どのように精霊術を教えるべきかと悩んだものだった」

 相談しようにも、賢者を育てたことのある者などどこにもいなかった、と領主は苦笑した。

「周囲に助言されるまま、術師の養育係を雇ってもみた。今思えば迷う必要などなかったのだよ。すべての加護を持つ賢者である前に、他の子と変わらぬ私たちの大事な息子なのだから」

 領主は続けた。

「事あるごとに、将来は賢者とおなりになるのですから、と周囲から言われてあの子は育ったのだ。賢者となるのだから我慢せよ。賢者となるのだから努力せよ、と」

「……賢者であることが、ライアンの価値のように聞こえてしまいますね」

 領主は苦しげにうなずいた。

「ああ。その通りだ。あの子は子供らしいわがままも言わなかった。そして将来の賢者には、様々な思惑を持った者が近づいてきた。こういう立場で生まれると、私たちにも似たような経験はあるのだよ。だが、ライアンには本当に色々あって気が抜けなかった。三つの子に国王になれと言う者、優しく自領に誘う者、逆にあの子を害しフォルテリアスに混乱をもたらそうとする者」

 リンはじっと聞くばかりだった。

「幼子に、人の善意の裏に隠れる悪意を見抜くことはできぬであろう。それを教えることもためらわれた。世の中の素晴らしさを見せる前に、醜さを教えたいとは思わぬであろう?」

 成長するうちに、人にはそういう面もあるのだと、心の痛みと共に学んでいく。だからこそ最初は、人の心の美しさと人を信頼する心を教えたかったと、領主は言った。

「四歳の頃だ。あの子がひなから育て、かわいがっていた鳥が消えた。それに気づいたわずか数刻後に、お慰めになればとライアンの兄の養育係の家の者が、よく似た鳥を届けてきた。まだライアンが庭中を探し回っているような時であったよ」

「それって……」

 領主は小さくうなずいた。

「本当のところはわからぬ。開いた窓から逃げたのかもしれぬ。だが、気を引き、近づくためにやったとしたなら愚かなことであろう。ライアンはそれ以来笑うことが少なくなって、庭で一人、精霊術で作った鳥や犬とだけ遊ぶようになった。精霊は真っすぐな感情を向けるという。心地よかったのであろう。私たちはあの子のためにも、ここに住むアルドラのもとへ移ろうと決めたのだよ」

 庭で火の鳥を飛ばしている小さなライアンが思い浮かび、リンは天井を見上げ、目を閉じた。

「リンがどのような立場でも、期待に不満、称賛に悪意、様々な意図を持って人は近づいてくるであろう。表と裏が全く違う者もおる」

「ええ。わかります。……人のそういう部分は知っています」

 領主はリンの言葉に、辛そうに笑みをこぼした。

「リンが賢者見習いとして周知されれば、確かにそれは、誰にもわかりやすいリンを守る頑丈な盾となる。だからといって、賢者として相応しくあろうとしなくても良いのだ。周囲の押し付ける形にとらわれなくとも良いのだ」

「はい」

「それに、私もリンを守ろう。私は領主で、そこに住む善良なる者を守ることは私の権利であり、義務だ。それはリンが賢者ではなくとも、だ。ライアンが賢者である前に私の息子であったように、リンもそうだ。……もう間違えたくはないのでな」

 領主はリンを真っすぐに見た。

「ありがとうございます」


 カタリと音がして、ライアンが訪れたようだ。

「父上」

 応接室に入るなり、リンと向かい合っている領主をジロリとにらんだ。

「早かったではないか、ライアン」

「兄上との話の途中で、父上のご判断を仰ぐべき案件が出たのです。執務室におうかがいしたら工房へ向かわれたと言うではありませんか」

 ライアンはさっさと椅子の横を回り、リンの隣に腰を下ろした。

「うむ。カリソンに内緒でリンに話があったのだ」

「母上に内緒で?」

 それは珍しいですね、とリンの顔を見る。

「贈り物にお茶を選んでいたのです」

「ああ、其方もまだ知らぬ茶だというぞ。大変美味であった」

「ほう、それは私もいただきたいですね。……本当にそれだけですか?」

 いったい何をしていたのだと言わんばかりの、すっかりうたぐぶかくなった息子に、領主はニンマリとした笑みを向けた。

「いや、リンを娘のように大事に思っていると、伝えていたところだ」

 そろって目を瞬かせる二人に領主は笑顔で辞去を告げた。


 夏至の日のお昼過ぎにローロが家に顔を出した。

「リンさん、プラムやアプリコットも熟し始めたよ。こっちはライアン様に頼まれたやつだから」

 ローロは工房のはかりにゴロリとフルーツを載せると、小さな革袋を腰から外してリンに渡した。


 あれからリンはハンターズギルドのエクレールと相談し、ローロの雇い主となる契約を結んだ。

 ハンターを利用することの多い人が、毎月定額をハンターに払って仕事を優先的に受けてもらうシステムだという。

 リンだけでなくライアンやブルダルーも依頼に加わり、ローロの収入になるよう考えてくれている。


 収穫された果実の重さを記録し、サインした紙を渡すと、ローロは乱暴に自分の革袋に突っ込んだ。

 いつも以上にソワソワするローロを見て、リンは笑いをこらえた。ローロはこれから『金熊亭』のタタンに花束とクッキーを届け、夕方からの祭りに村へ来てほしいと誘いに行くのだ。

「ありがと。花は摘んできたの?」

「うん。外の水場に置いてある」

 クッキーは、昨日すでにできあがっている。あれから二回練習して、プレゼント分はローロ一人で作ったのだ。

 一緒に工房裏へ出て水場を見ると、白、黄、水色といった森の花がまとめて置いてあった。

 リンは花をきれいに束ねると、茎の下部分の葉を少し取り払った。外壁にうツタを一本切り、クルクルと巻きつけて留めると、かわいい、小ぶりな花束になった。

「うわっ。リンさん、ありがとう」

「がんばって!」

 花束とクッキーの包みを持ち、ローロは『金熊亭』に向かって駆けだした。


「ライアンがローロに注文したもの、ここへ置いておきますよ」

 リンはライアンの執務室をのぞき、脇のキャビネットの上に革袋を置いた。

「リンは、またジャムを作るのか?」

 リンはここのところ頻繁に工房でジャム作りをしている。

 毎日届く好物のベリーにリンは大喜びし、舌が真っ赤や真っ青になるほど食べていた。

 短い夏の今しか収穫できないから、ドライフルーツを作り、ジャムも作っている。

 果実をたっぷりの砂糖で煮詰めて瓶に詰め、コルク栓の上からふうろうで覆って密封すれば、常温でも半年は保管ができるはずだと思っている。

 果実の蜂蜜漬けはあっても、輸入物の高価な砂糖を大量に使うジャムは今までフォルテリアスにはないものだった。これも新商品といえるが、高価すぎて、社交で使うか貴族に販売するかだろう。

 夏の社交で評判が良ければ、レシピを教えてもいいと思う。どの領地でも秋のフルーツで作るかもしれない。つまり、ヴァルスミア・シュガーがもっと売れるかもしれない。

「いえ、スペステラに持っていくフルーツ入りのワインを作るんです。赤ワインをもらいますね」

「サングリア、だったか。わかった」

 今夜はリンたちも、夏至をスペステラで祝う予定になっている。

 大篝火おおかがりかれ、飲み、食べ、踊り、祝うのだ。

 スペステラは新村である。住人は元難民ばかりで、フォルテリアスでの夏至の祭りを知らない。今日はヴァルスミアからもスペステラと関わりのある者たちが来て、一緒に祝うことになっていた。

 サングリアはワインにフルーツやスパイスを足して作るワインのカクテルだ。

 リモンチェッロを作ったのと同じ広口の大きな瓶に、収穫されたばかりのアプリコットにプラム、ベリーを適当に切って入れ、サントレナのレモンもスライスして加えた。そこへライアンにもらった赤ワインとレモン果汁を注ぎ、ヴァルスミア・シロップであまを足す。

 リンはよくかき混ぜると、香りを確かめた。

「赤ワインだし、シナモンがあった方がいいかなあ」

 少しだけシナモンとクローブを足して、できあがりだ。

 赤ワインの中に、オレンジ、黄色、赤、青といった果実がぷかぷかと浮かんでいる。

 今日は薬事ギルドから女性も多く来るはずだから、見た目もきれいで、フルーティーで甘いサングリアがいいと思う。

 これで出かけるまで小型冷室に入れておけば、味がんでおいしくなる。

 出発までにはまだ十分な時間がある。

「クグロフさんの工房へ行ってきます」

 リンは工房の入り口から執務室に声を投げ、アルドラの塔へ向かった。



「リン、待たせた」

 ライアンが儀式用の術師のマントを羽織り、裏庭へ出てきた。

 リンはネイビーブルーに白のフォレスト・アネモネのコサージュがついた、精霊術師ギルドへ着ていったドレスだ。


 夏至の祝祭は夕方から始まる。

 夕方といっても、この頃は夜遅くまで薄明かりが残っている。

 リンは最近夕食の時間がわからなくなるぐらいだ。まだ早いだろうと思っていると、アマンドに食事だと呼ばれ、慌てることが多い。

 仕事を終えてもまだ昼のように明るいので、誰もが戸外でゆっくりと時間を過ごす。

 冬が暗く長かった分、今のうちに日の光を満喫するのだ。

 リンも裏庭に小さなテーブルと椅子を出してもらい、昼から夜へゆっくりと変わる境目の時を楽しむことが多かった。いつもはお茶を飲んでいることが多いが、今日はグラスにほんの少しだけ、サングリアの味見だ。

「夏のこういう時間はフレッシュで爽やかなサングリアが合うんですよ」

 椅子から立ち上がろうとするリンに手を差し伸べ、ライアンは聞いた。

「そのサングリアの瓶はどうした?」

「シュトレンさんたちが先に持っていってくれました」

 ここに住む三名とシロは、準備のためにすでに村へと向かっていた。

 後から行くのは、リンとライアン、シムネルにフログナルドだ。

 冬至の儀式と同じように、シムネルとフログナルドはそれぞれ緑と赤の精霊術師のマントを着用してやってきた。


 スぺステラ村の入り口には馬車が停まっていた。

「馬車は珍しいですね」

 村は開発が進み、倉庫や工房の大きな建物も多くなっていた。その間を抜け、畑に近いひらけた場所に出ると、すでに大篝火用の木が組まれていた。周囲にはテーブルや木のベンチが出され、宴の準備も整っている。

「えっ」

 護衛騎士を従えて堂々と立っていたのは領主だった。

 到着したばかりのようで挨拶を受けているところらしい。全員がひざまずき、礼をとっている。

 リンもすぐに腰を落とした。

 村人の先頭にいて挨拶の口上を述べているのはトライフルだ。突然の、予告なしの領主の訪問に、リンは心からトライフルに同情した。

「……父上。本日こちらにいらっしゃるとは聞いておりませんでした。ヴァルスミアの祭りはどうなさったのです?」

「心配せずとも代わりにギモーブが出ておる。其方そなたもリンもこちらだと聞いたから、ついでに新村の様子を見にきたのだ」

 そういえば、家にやってきた時にそんな話をしたような気がしないでもない。

「まさか結婚記念日に母上を残してきたのですか」

「すぐ戻るに決まっているではないか。其方たちを待っていたのだ。さあ、始めよう」


 大篝火用に積み上げた木の周りを、大きな円になるように村人たちが囲んだ。

 オグとエクレールに、ハンターたち、大工や木工細工師、薬事ギルドからマドレーヌと職員たちと、リンもよく知る顔が混じっている。子供たちが手を振っている中にローロとタタンの姿が見える。どうやら誘うのに成功したようだ。リンは手を振ると、片手をぐっと握った。

 ライアンはシムネルから渡されたオークの枝を手に持ち、太陽に向かうように立った。ライアンの前に大篝火があり、その延長に太陽がある。

「太陽は我らの上にあり、大地と海原を照らし、作物を育み、花を開かせる。

 光が最も長く空にある日に、我らは太陽をたたえ、その恵みを感謝して受けよう」

 フログナルドがサラマンダーの力で大篝火に火をけると、炎が木をなめていく。

 ライアンが続ける。

「太陽よ、作物を育てる光であり、大地を温める熱である。

 命をもたらし、永遠の軌跡を描く希望である。

 光が最も長く空にある日に、我らは光を称え、もう一度暗闇への旅を始めよう」

 ライアンは手に持ったオークの枝を火に投げ込んだ。

 そして、燃える大篝火から手に持った細い棒のようなものに火を移すと、リンの左隣に立つ領主のもとへやってきた。

 見れば領主も手に棒を持っている。

「父上、太陽の光が暖かさと健康をもたらしますように」

「ありがとう。ライアン、其方にも」

 ライアンの手から領主へと火が移る。

 後ろに立つアマンドからリンにも棒が渡された。どうやら棒ではなく何かの草の茎が、蝋で覆われているように見える。

「リン、これは民が使う青草のキャンドルスティックだ。それにこの火を移して、隣の人に同じように回してくれ。太陽の光が暖かさと健康をリンにもたらしますように」

「ライアンにも、太陽の光が暖かさと健康をもたらしますように」

 手から手へと、皆に小さな火が回り、互いの健康を祈ると儀式の終了だ。

 冬至の闇から夏至の光へと時の輪が回り、また闇へと続くことになる。

 領主が告げた。

「この村の者は、故郷を離れ、長きにわたり大変な苦労があったであろう。この燃える浄化の炎が大気へと広がり、ここにいるすべての者の幸せと健康、そしてこの村の発展へとつながるよう願う。さあ、皆、飲んで、食べて、踊って、共にこの夏至の日を祝ってくれ」

 拍手と共に、うおーという声が沸き上がった。



 夏至の儀式の後は、周囲に用意されたテーブルに分かれて座り、祝祭の宴だ。

 まさか領主が臨席するとは思わなかったから、特別な準備は何もしていない。それでも領主は全く気にならないようで、どうぞこちらへと案内された上席に着いていた。

「ライアン、リン、こちらだ」

 リンは領主とライアンに挟まれる形で腰を下ろした。

「父上、給仕の者もおりませんがよろしいですか?」

「もちろんだ。民と一緒に宴に出るのは久しぶりだが、構わなくて良い」

 この時期によく食べられる羊のひき肉料理で、洋梨のような形に整えられ、上部には薬草の枝が果実の葉を模して刺さっていた。

 給仕人はいないと言いつつも、シュトレンが料理を取り分けて領主に出し、リンの前にも置く。

「これは初めて食べますね」

「ええ。五、六月は牧草が良いので、羊と牛は夏が一番おいしいのですよ。これはこの辺りの祝い料理ですが、ブルダルーが張り切っておりましたからまた格別かと」

 羊肉はその臭みが苦手だったが、スグリの酸味が爽やかで、スパイスの香りもあって全く気にならなかった。

 あちらこちらから、ドルーと精霊に感謝をささげるにぎやかな声が聞こえる。

 皆が交代で飲んで食べ、そのうち笛や弦に合わせて火の周囲を輪になって踊り始めた。手を繋ぎ、右に左に、前へ後ろへと跳ね上がる。元気のいいフォークダンスだ。

 最初はヴァルスミアの者が多かった輪に、一人、二人と村人が加わり一緒に踊り始めた。


 ライアンの肩越しに、奥のクリムゾン・ビーの畑の中をオグとエクレールが歩いているのが見えた。そこから少し離れて子供たちがしゃがみ込み、花の間をゆっくりと移動している。

 リンは首をひねった。

 かくれんぼでもしているのかと思って見ていたが、鬼らしき子供は見つからず、オグとエクレールの移動に合わせて動いているようなのだ。その後ろにシロまでが背を低くして這うようについていく。

「……あの子たちは何をしているんでしょうね」

 領主とライアンも気づいたようだ。

「隠れているようであるな」

「あれはハンター見習いか?」

「ですよね。……ちょっと私も行ってきていいですか?」

 カモミール畑の端でしゃがむと、リンはじりじりと子供たちに近づいた。

 途中でシロがそれに気がつき、鼻でタタンに知らせると、ローロとタタンはリンの側までやってきた。

「リンお姉ちゃん」

「リンさん」

「ねえ、何やっているの?」

 ひそひそ声だ。

「あのね、たぶん結婚すると思うの」

「え、誰と?」

 こんなに早く結婚の約束をしたら、さすがにダックワーズさんが嘆くかもしれない。

 するとローロが、オグとエクレールを指した。

 リンの目が丸くなる。

うそでしょ!」

「「しーっ」」

 リンは慌てて口を手で覆った。

「……ホントに?」

 二人がうなずく。

「エクレールさんに、ピンを渡してた。ここに付けているの」

 タタンが自分の胸のところを指した。

「オグさんの弟に義姉として紹介とか言ってたよ。……ちょっと間に合わなくて、肝心のプロポーズの言葉が聞こえなかったけど」

「まさか、プロポーズをすると思って後をつけてたの?」

「うん。ハンターの間で、オグさんが貴石を用意したってうわさがあったんだよ。そしたら今日、オグさん、あんなかっこうで来たからさ」

 ローロはチラリと二人の方を見た。

 オグは今日、身なりを整え、黄色の精霊術師のマントを羽織っている。祝祭の装いなのだと思っていたが、どうやらプロポーズのためだったらしい。

 ハンターの噂話も貴族女性並みに素早い。

「うわー、すごい情報かも。ちょっと皆を呼びよせて。一度戻ろう」


 エクレールとオグはさらに花畑の向こう側へとゆっくり歩いていく。

 リンはドキドキしながら、かがんだまま戻った。

 その恰好にあきれていたライアンと、面白そうに見ている領主に気づくと、リンはすまして立ち上がった。

 大ニュースです、とリンは興奮して話したが、ライアンと領主に驚いた様子はなかった。

「やっと動いたか」

「ほう。とうとうか。これはめでたいな」

「……ご存じだったんですか? あの二人のこと」

 ライアンはヒョイと肩をすくめる。

「有名だ。だからハンターの噂にもなるし、子供たちまで知っていたわけだ」

「はあ」

「……長い恋でな。二人が収まるところに収まるなら、本当にめでたいことだ」

「出会ってから十数年はつ。最初は身分違いだった。その問題はなくなったが、ラグナルのことが気になっていたんだろう。アレが結婚するとわかって、ほっとしたのではないか?」

「ラミントン候が来た時に、だいぶ兄をかしたと言っておったぞ」

 領主がおかしそうに笑う。

「十数年って、長すぎる春ですよねえ」

「アルドラから聞いただろう? エクレールに会った時から、オグには、精霊はエクレールの姿をして見えている」

 リンはポカリと口を開けた。

「それ、思春期の頃からって言ってましたよ? そんな昔から? ギルド長になってからの関係じゃなかったんだ……」

「エクレールはよく待てたものだ。……ライアン、この後、婚姻の儀があろう?」

「はい。五組が式を挙げます」

 この二年、難民であったために事実婚となっていて、祝えなかった夫婦の結婚式が予定されている。

「そこにこの二人も入れたらどうだ?」

 突然な領主のちゃぶりだ。

「ええっ! プロポーズして、今日いきなり結婚ですか?」

「これ以上結婚を延ばす理由もあるまい。オグの非公式な喪も、間もなく明ける」

「そうですね。あの二人にはそういう思い切った方法がいいでしょう。下手をするとこのまま事実婚で、式を挙げずに済ませそうです」

 ライアンも賛成のようだ。

「でも、ラグとか、ご家族も参列したいんじゃないでしょうか」

「エクレールの家族はもうおらぬ。それにラグナルは公には参列できぬ。あとで二人、こっそりと会いに行くぐらいだろう」

「じゃあ、あの、……せめてブーケとか用意したいです」

「手早くな」

 リンはコクリとうなずくと、近くで話が終わるのを待っていたハンター見習いの子供たちを呼び寄せた。

 こちらに来た時からずっと助けてもらい、世話になっているオグとエクレールだ。少しでも何かがしたい。

「このあと結婚式をするからね、内緒で準備してほしい。花冠と花束を作るから花をできるだけ集めてほしいの。あと、ユリの花がどこかに咲いてないかな」

 子供たちが顔を見合わせる。

「リン、グノームを走らせれば、大丈夫だ。時期もいいだろう」

「はい。じゃあ、まず花をたくさん集めてきてね」

 子供たちが、パアッと散らばった。

「他に何が必要だ?」

「ええと、そうですね。大輪のユリの花と、なにか緑の葉っぱがあれば」

「わかった」

 ライアンがグノームに、探せ、と指示を出す。

 リンは、アマンドと薬事ギルドのマドレーヌにこっそりと相談に行った。

「まあ、あのお二人がとうとうご結婚ですか。なんておめでたいのでしょう」

「本当にようございましたね」

「今決まってすぐの結婚なので、ドレスもベールの用意もないんですけど……」

「ドレスは無理ですけれど、ベールならなんとかなるかもしれませんわね。まず、スペステラの女性に聞いてみましょうか。どなたかレースをお持ちかもしれませんし」

 エストーラ公国では結婚の時にベールはかぶらないらしく、それでなくとも元難民ばかりが住むこの村に、必需品ではないレースはなかった。

「残念ですけど、仕方ないですね」

「なにが残念なのだ」

 グノームがユリを見つけたらしいぞ、と報告に来たライアンが聞いた。

「ベールが見つからないんです」

「ふむ。少し待て」

 ライアンはシムネルに近づいて何かを話すと、戻ってきた。

「恐らく半刻程度でベールが届くと思うぞ」

「は?」

「シルフを飛ばした。普通に歩けばここまで半刻もかからぬ。……リンの歩くペースでは無理だが」

「ライアン、ひと言余計です。……でも、ありがとうございます。やった!」

「あの二人のことなら、できる限りのことはしたいだろう?」

 ライアンも同じ気持ちだったようだ。


 子供たちがたくさんの花を抱えて戻り、リンはすぐに花冠を編み始めた。すべての花嫁の分ができそうなぐらいある。女性陣が作業をしていてもこれからの結婚式のためだと思われて、一つ数が多くても誰も気に留めないようだ。

 ユリを取りにいった土の術師が戸惑いと焦りを顔に浮かべ、早足で戻ってきた。

「すみません! あの、どうやらグノームが何かしたようで、突然オークの枝が落ちてきました。申し訳ありません。ああ、私はどうしたら……」

 うろたえた術師は白とピンクのユリの花と共に、震える手でオークの枝を差し出した。視線は自分の側にいるグノームと枝の間を行ったり来たりしている。

 ライアンには術師の困惑の理由がよくわかった。

 そうそう神聖なるオークの枝は落ちてこないし、落とすべきものでもないのだ。

 リンならともかく。

「うわっ。素敵。ドルーの祝福ですよ、きっと。あとでドルーに御礼を言いに行きましょうね」

 落ちてくるものに慣れているリンは、笑顔で受け取った。

「……そうだな。オグは土の加護が強いから、グノームが願ったのかもしれぬ」

「オグさん、皆に愛されていますねえ。これも冠にしましょう」

 ユリの花粉を切り落とし、ブーケと花冠をせっせと作っていると、村に人がどんどんと入ってくる。

 その中にレーチェがいて、リンに近づくとささやいた。

「リン、ベール用のレースを持ってきたわよ」

「ありがとうございます」

 商業ギルドのトゥイル、『金熊亭』のダックワーズとノンヌ、ハンターも、染色職人や針子も、とにかくぞろぞろと集まってきているのが見える。

 精霊術師ギルドのギルド長であるブリーニも来ていて、ライアンとリンを見つけると近寄ってきた。

「あの、どうして皆さん……」

「なに、シムネルからシルフをもらって、『拡声』で案内したのですよ。せっかくですから皆で祝福したいですからな。二人の結婚をヴァルスミア中が知っておりますぞ。先ほど結婚したカップルまで、こちらに向かっておりましたからな」

 リンはなんだか目頭が熱くなって、慌ててまばたきをした。


 ようやく夜が近づき、大篝火の炎が宵闇に浮かびあがるようになった。

 人が幾重にも輪を描いている。

 領主とライアンが立ち上がり前に進むと、皆がきぬれの音を立てて一斉に頭を下げた。

「さて、よいは六組の新しい夫婦が誕生する。皆、祝福で迎えてやってくれ」

 領主の言葉が終わると、皆が頭を上げた。

「名を呼ばれた者は、前へ」

 ライアンに名前を呼ばれて、カップルごとに輪の中心へ進むと、花嫁は薬事ギルドのマドレーヌやアマンドから花冠をかぶせられていく。

 リンはこっそり、どの花嫁の冠にもオークの細い枝を一本差し込んでいた。

 幸運のお守りだ。

「……コナーとアガドレナ、最後、オェングス・アーダル・ラミントンとエクレール」

 周囲がどよめいた。

「なんだと?」

 オグの驚いた声が後ろの方で響いた。

「今宵、結婚式を挙げる、オェングス・アーダル・ラミントンとエクレール。……オグ、プロポーズをしたんだろう?」

「お、お、おい、なぜ、それを知っている!?

 オグが少し前に出てきて、炎に照らされた。

「ハンター見習いたちは慎重で、とても腕がいい。今後が期待できるな。……オグ、準備はできている。エクレールをこれ以上待たせる必要はない」

 オグが後ろを振り返り、エクレールも前に出てきた。

「プロポーズを受けてから、二刻も経っていないのよ?」

「エクレールさん、こちらへどうぞ」

 リンはライアンにオークの枝でできた冠を渡すと、エクレールをレーチェたちのもとへ連れていった。

 背後から、ドルーの祝福だそうだ、とオグにオークでできた冠をかぶせるライアンの声が聞こえる。

「まあ、レーチェまで来ているの?」

「後ろにはハンターさんたちや、街の人もたくさんお祝いに来てますよ」

 アマンドがさっと化粧を直し、レーチェはレースのベールを被せ、マドレーヌが花冠を頭に載せた。リンはユリのブーケをエクレールに渡す。

「エクレールさん、おめでとうございます。エクレールさんは大輪のユリのようだと、オグさんが言っていました。……それでそのピンもユリなんですね」

 美しく、真っ白いユリの花が、緑のドレスの胸元に飾られていた。

「リン、本当にありがとう。皆さんも。式を挙げられるなんて思ってもいなかったわ。……それにしても、なんでも知っているのね」

 エクレールがくすっと笑って言う。そのほおは上気して幸せそうに輝いている。

「ハンター見習いの腕がいいんですよ。ギルド長補佐として誇っていいかもしれません」

「まあ」

 エクレールは笑顔でオグのもとへと歩いて行った。

「スペステラの者の立会人はトライフルなのだな。それでは、オグとエクレールの立会いは私が務めよう」

 領主がトライフルの横へと並んだ。


 ライアンがオークの枝を手に、一歩前に出た。

「二人で手を繋ぎ、ドルーと精霊に感謝と敬愛を。……今宵、手を取り合い、愛により結ばれるこの結婚に立ち会う皆からの温かい祝福を」

 前に立つカップルはお互いに向かい合い両手を取り合っている。

 見つめ合う二人を、炎が照らした。

 その様子を見てライアンが続ける。

「この光が最も長く空にある日、ドルーと精霊がここに見守り、祝福と加護を与えるであろう。

 風のシルフが、互いを理解する心と身体と魂を。

 火のサラマンダーが、心の光と情熱と、温かな家を。

 水のオンディーヌが、急流の勢いと、柔らかな雨の優しさと、海のように深い献身を。

 土のグノームが、生活を支える基盤と、家の豊かな発展と、一日の終わりに相手と過ごす安定を。

 ここに集うすべての精霊と皆からの温かい祝福と祈りで、二人は道を一つにし、新しい一歩を踏み出すであろう」

 光るオーブが、ライアンの言葉にあわせてふわりと舞っているのが見える。

 ライアンが右手を前方に伸ばし、オークの枝をかざした。

「ここに六組の結婚と夫婦の誕生を宣言する。……ドルーと精霊の更なる加護を」

 終わった瞬間にうわーという歓声と、あちらこちらから、おめでとうの声が響いた。


 領主がライアンとリンに近づいてくる。

「ライアン、少し長居をしすぎた。カリソンが待ちくたびれているであろう」

「父上、本日はありがとうございました」

 オグとエクレールも近寄り、領主に深く礼をした。

「本日は私どものためにありがとうございました。今後とも二人で協力して励んでまいります」

「うむ。頼むぞ。……なに、其方のお父上との約束だったのだ。代わりに立ち会ったまで。ラミントン侯爵の代わりまではできぬから、そこは急な結婚を報告して怒られてくるが良い」

 領主が辞去を告げると、皆が一斉に頭を下げた。

 リンとライアンが馬車を見送って戻ると、オグとエクレールの新婚カップルは皆にもみくちゃにされている。

 おめでとう! という声の中に、ちくしょう、エクレールさんが! 我らの女神が! という声も混じっている。

 ライアンと二人並んで、その様子を少し遠くから眺めていた。

「良かったですね」

「ああ」

「ラグも大喜びするでしょうね。……立ち会いたかったでしょうねえ」

「立ち会っていたぞ」

「えっ?」

 ライアンは自分の手首に下がる風の石を指した。

「事前にシルフを飛ばした。あちらには例の道具があるからな。声だけだが、式の様子は聞こえたはずだ」

 さらりと言うライアンをじっと見つめ、リンは息を吐いた。

「はあ。やっぱり、なんかすごいですね、ライアン。……ラグはどんなに喜んだでしょうね」

 ライアンはいつもリンが思ってもみないことをする。何でもない顔で。

「兄が大好きな弟だからな。あとで恨み言を言われるよりマシだろう?」


 遠くからまた大きな笑い声が上がった。

 オグは酒をがれ、だいぶ飲まされているようである。

 新婚カップルはさっさと宴から初夜の床へと送り出されるそうだが、完全に捕まって楽しく飲んでいるようだ。

「リン、オグの酒にたっぷりシナモンを追加してやれ。ジンジャーでも構わん。そのぐらいしないと、帰る気にならないだろう」

「……いいアイデアですね。ふふっ。ヴァルスミア・ベリーの葉も加えましょうか」

 話しているうちに、とうとうオグたちは村から追い出されるようである。

 追い出されつつもこちらを気にしている二人に、リンは笑顔で手を振った。

 スペステラではまだまだ祝いの宴、一部やけ酒、が続くようだが、ライアンとリンも先に失礼することにした。

 身近な人間の結婚を、静かに祝いたい気分だった。

 リンでさえそう思うのだから、オグをずっと側で見てきたライアンは、なおさらそうではないかと思う。



「ライアン、裏庭で少し飲みませんか? 村ではほとんど飲まなかったでしょう?」

「ああ、婚礼の儀を控えていたからな」

 サングリアを一瓶残してあった。

 工房の明かりをつけると裏庭まで光がこぼれる。それで十分だったが、足もとのキャンドルにも火をけた。ミントの精油を加えた虫よけだ。

 西の空に、まだ一筋の赤色が残っているのが見え、そこからグラデーションでこちらまで夜が濃くなっていく。

 裏庭の椅子でくつろぐライアンに、リンはサングリアのグラスを差し出した。自分はテーブルにもたれ掛かる。

「ライアン、エクレールさんの着けてたピン、見ました?」

「いや、式の時にはよく見えなかったが」

「金の地に真っ白な石なんですけど、光るようなユリの花がいくつもあって、花粉が赤で、茎の下に青いリボンでした」

「普段は行かない羊の毛刈りに自ら出かけたのは、石を探しに行っていたのか」

 ライアンが、なるほど、と笑う。

 ウィスタントン領の南、岩山辺りでその白く光る貴石が採れるらしい。

 確か、羊の放牧が盛んな場所でもある。

「グノームのおかげで良いものが見つかる。たぶんそのピンもオグが作ったものだぞ」

「自分で!? てっきりクグロフさん作だと思ったんですけど」

「オグの作った土人形はアルドラそっくりだった。造形がとにかくうまい」

「土人形と婚約の贈り物を一緒にされても……」

「土の術師は自分で作る者が多いぞ? 金と思った部分も、恐らく祝詞のりとで作られた土の精霊石だな。土の祝詞にはほうじょうや安定といったものがある。オグがどの祝詞を使ったかわからぬが、妻に贈るのに相応ふさわしいものを選んだと思うが」

「ライアン、精霊術師ってやっぱりすごいですね。今日はつくづくそう思いました」

「そうか」

 リンはサングリアのグラスをテーブルにトンと置いた。

 いったい何人の術師が今日の儀式を裏で支えていただろうか。

 ユリの花もグノームが走ったから手に入り、準備の時間を短縮できた。シルフが飛んだから皆が集まれたし、遠くにいるラグナルもひそかに結婚式に参列できた。

 術師と精霊が人を繋ぎ、幸せと喜びが広がったその場にいて、リンはずっと誇らしく、うれしく、高揚していた。

 自分にもできるだろうか。精霊術を学べば、いつかできるようになるだろうか。さらりと何気なく、精霊の力で人を幸せにしているライアンのように。

「シルフが飛び、グノームが走り、オグさんはブローチを作っちゃうし、ライアンもさらっとすごいことをやってかっこよかったし。まあ、ライアンはいつもそうですけど。ふふふ」

 結婚式の興奮が残っているのか、った顔に夕風が気持ちいい。

「か、かっこ? ……そうか」

 ライアンはリンの顔をチラリと見たが、夕闇の中ではリンが酔っているのかわからなかった。

 だが、突然、かわいいからかっこいいに昇格したのだ。心が躍らないわけがない。

「……そろそろ休むか。そのうち皆も戻るだろう」

 ライアンは舞い上がる心をぐっとつかんで戻すと、グラスを飲み干して立ち上がった。

「ええ。あ、ちょっと待っててください」

 リンはたたっと家に入り、すぐに小さな木箱を手にして戻ってきた。


「ライアン、これ、どうぞ。あの、夏至の日は贈り物をする日だと聞いたから」

 差し出された木箱に、ライアンは目を見開いた。

「私にか?」

「ええ。冬至にコレをいただいたでしょう? 私は何も用意してなかったので、気になっていたんです」

 リンは自分の手首に付けた加護石と浄化石のブレスレットを指した。

「それは術師の誰もが持つ加護石だ。気にすることはない」

「でも、嬉しかったんですよ」

 どうぞ開けてください、と、リンはライアンに木箱を押し付けた。

「これはセンスか? できあがったのだな」

「扇子は女性のものと決まってないんです。これは男性用に少し大きめに作ってもらいました」

 ドルーにもらったオークの枝を骨にして、ライアンが使う、ウィスタントンのウォーターマークが入った紙を使ってもらった。

 親骨という扇子の一番外側の骨に、植物と鳥の装飾が金で施されている。リンが渡した四色の精霊石も植物の実のようにめ込まれていた。びっしりと描かれた繊細な模様は、扇子を動かす度に光をきらめかせるだろう。

「これは美しいな」

「でしょう? この地で初となる、ボスク兄弟二人の合作なんですよ、これ。到着したばかりなのにブリンツさんが早速手掛けてくださって。この部分がエストーラ独特の細工なんですって。私のと似たデザインなんですけど、ライアンの方はどこか力強くて男性的ですよね」

 リンは持ってきた自分の扇子を見せた。

「これもこの夏の話題となるだろう」

「ええ。ブリンツさんのご挨拶がてら、ボスク兄弟と一緒に館に納品にうかがったんですけど、ご領主夫人も同じようにおっしゃって、とても喜んでくださいましたよ」

 夏の注文殺到を予期したボスク工房では、すでに扇子と三段スタンド製作の準備を進めている。

 新しいボスク工房の印章を嬉しそうにでていたブリンツは、冬から春の繁忙と騒ぎをクグロフから聞いて真顔になり、全力で取り組んでいるようだ。

「あ、それでこのタッセルは、儀式用マントと同じ紺にしてありますけど、レーチェさんが金と白銀も用意してくれていて、付け替えが可能なんです。……少し貸してください」

 こうやって開くんです、と、リンは開いてライアンの手に戻した。

「精霊石も作ってくれたのか。今回はどの祝詞を使ったのだ?」

 リンが首をかしげた。

「んー、それがわからないんですよね。風は、争いや困難を吹き飛ばし、幸運を招き入れてほしいって願いました。火は、破壊と創造で、悪いものを壊して新しいものを作るイメージです。水は、いやしと浄化です。土は、忍耐強さや力強さでしょうか。加護石のような感じで思ったことをそのまま口に出して。……あ、もしかして加護石になっちゃったんでしょうか」

「考え方は加護石のようだが、できた石は違うように見える。……リン、ありがとう」

「この夏に使ってください」

 ニコニコと笑って見上げるリンに、ライアンもポンと木箱を渡した。


「私からも夏至のプレゼントだ」

 箱の中には、薄いピンク色をした透明な石が入っていた。

 表面は平らにカットされ、滑らかに磨かれている。工房から漏れる明かりにまるで宝石のように輝いていた。

 白金に光る鎖が付いて、ペンダントヘッドになっているようだ。

 石を取り、明かりに向かって透かしてみる。

 息をんだ。

「……桜?」

 石の内側に削られているのだろうか、桜のモチーフが浮かび上がった。花びらの先がV字の切れ込みがあって、桜だとすぐにわかる。

「ローロからリンの故郷の花だと聞いた。ピンクの雲のように美しいと。私は領の南までは行けなかったが、幸いこの石はヴァルスミアの森の奥で採れる。今回はなかなか質の良いものが見つかった」

 リンはまじまじとライアンを見た。

 いったいいつ、そんなところに行ったのだろう。

「まさか、自分で探しに行ったんですか?」

「言っただろう? グノームの加護があれば、見つけるのも加工も難しくはないのだ。……ハンターや細工師の仕事を奪うことになるから、注文を出すことも多いが」

 着けてやろう、と、ライアンはリンの後ろに回った。

「この花は残念ながら見たことがない。だが、美しいし精霊も気に入るだろう。もし、どこかで見つかったら、リンの花を変更しても良い」

「ライアン……」

 ライアンは正面に回るとペンダントを着けたリンを見つめた。

「遠く離れてしまったが、リンの大事な故郷だ。その花もリンによく似合う」

 リンはそっと首を振った。

「お茶や食べ物、他にも故郷を思い出すものがあるから大丈夫です。ライアンがこれを作ってくれたので、もう十分です。それに私、聖域に咲いたフォレスト・アネモネも好きですよ」

 胸元に下がったペンダントに触れる。温かい気持ちがあふれてくるのか、石なのに温かく感じる。

「ライアン、本当にいつもありがとう」

 ライアンとリンは見つめ合った。

 自分を思ってプレゼントを用意してくれていた相手の気持ちが嬉しい。

 リンがそっと目を伏せ、ライアンはリンに向かってゆっくり手を伸ばした。


「えっ? ちょっと待ってください」

 ライアンの手が頬に触れる寸前、リンが突然わたわたと慌て始めた。

「えーと、アチピタ デヴェルヴィス ラグナル……?」

『リン、ライアンにシルフを飛ばしたのですが、忙しいようで受信されないんです。だからまず、リンに送ります。兄上の結婚式の手配をありがとうございました。本当に嬉しかったです。また御礼にうかがいますが、ライアンにも、立会人となってくださった公爵様にも、どうぞよろしくお伝えください。では、お休みなさい』

 夏至の夜の魔法が簡単に吹きとばされたようだ。

「ライアン、ラグから御礼のシルフが来ました。……あの、無視はダメですよ?」

「……そうだな」

 肝心なところで邪魔が入り、ライアンはため息をついた。

 シルフなのに、なぜ空気を読んではくれなかったのか。



 夏至の翌朝、ライアンが工房へ来たのに気づいて、リンはパタパタと階段を駆け下りた。

「ライアン、青になったんですけどっ!」

 もらった桜のペンダントを、リンは窓辺のコンソールテーブルに置いて休んだ。

 今朝身に着けようとして、一気に目が覚めた。

 薄い桜色から透き通った美しいアクアブルーに変わって煌めいているではないか。

「ああ。そういう石だ。変幻石といって、の下にある時と室内で色が変わる。これは陽の下では青、室内やキャンドルの光ではピンクになるものだ」

 ウィスタントンで採れる希少な石の一つで、ライアンがこだわって探した色変化だった。

「変幻石、ですか。ホントびっくりしましたよ」

「ここまで透明で、色鮮やかに変化する石は珍しい。グノームに感謝だな」

 ライアンはリンの胸元を飾る石を見て、満足そうにうなずいた。

「はあ。二回驚いたというか、楽しめました。素敵なものをありがとうございます」

 驚くだろうとは思っていたが、想像通りの反応を示したリンにライアンは笑みをこぼした。


 ラミントン領のとある風使い文官は、夏至の夕刻にも領城で勤務していた。

 夏至は大事な祝祭の一つであるため、多くの者は仕事を早めに切り上げて祝うのだが、さすがにここは領城だ。特に緊急連絡の送受を担う風の術師は当番制で、昼夜問わずに誰かが必ず常駐している。

 いつものようにちゅうぼうでの手伝いが終わり、新人風使いは早足で待機部屋へと向かった。ドアハンドルを握る袖に小麦粉が付いているのが見え、シュッと風を起こして落とす。


「すみません。遅くなりました!」

 当番の交替時間ギリギリだ。

「いや、問題ないよ。……初めての夜番だったね。最初は緊張するだろうが、がんばって」

「はい。ありがとうございます。引き継ぎ事項はありますでしょうか」

「ご領主様はもう私室に引き上げられた。今日はさすがに昼過ぎから暇だったし、夜もきっと暇だろう」

 出ていく先輩に丁寧に頭を下げて見送った。

 ラミントン家は秋まで喪中となるため、夏至の祝祭でのご公務もないのだろう。

 緊急連絡しかない夜間待機は通常、新人に回ってくることはない。だが、夏至の今夜は家族の結婚に立ち会う者が多く、自分が夜番となった。

「ふう」

 椅子に腰掛けると、腰の革袋から飛種花フライング・シードの綿毛を取り出し、口に入れた。厨房で風を使ってもたいして疲れなくなっているが、念のためだ。緊急連絡など来ないようにと願いながら花をみしめた。


 領城に珍しく、バタバタと廊下を走る音がしたと思ったら、突然ドアが開いた。

 パッと顔を上げて入ってきた人物を確認し、慌てて立ち上がりひざまずいた。

 駆け込んできたのはご領主様だ。隣の執務室と間違ったのだろうか。

「君が今日の夜番ですね。『風伝のシルフ像』を使います。すぐに隣へ」

「は、はい」

 言い残して、ご領主様はすぐに身を翻して出ていった。


 緊急連絡が来てしまったと不安になりながら執務室へ入ると、ご領主様だけではなく、上司もいた。

「こちらへ」

 ほっとして、呼ばれるままに『風伝のシルフ像』と呼ばれる像に近寄った。これはご領主様ご自身でシルフを直接やり取りしたい時に使われる。夜番になるにあたって使い方を教えてもらったが、触るのは初めてだ。

「ちょうどいい。私が側にいる。やってみるように」

「は、はい!」

 ご領主様が持ってきた木箱には、濃い緑色をした大きな精霊石が入っている。シルフ像が差し出す手のひらと精霊石、双方に複雑な魔法陣が描かれているが、対になるその模様を合わせるようにして精霊石を置いた。

 ご領主様が石の上に手を置き何事かをつぶやくと、精霊石が光を放ち始めた。ご領主様のもとへシルフが来ている。ご領主様が手を離し、代わって石に手を当てた。

「よし。受信だ。相手はライアン様だ」

「えっ!」

 どうしよう。まさか賢者様との緊急通信だとは。震える手をなんとか精霊石に押し付ける。

「どうした。急げ」

「は、はいっ! 『風光るシルフよ! アチピタ デヴェルヴィス ライアン ……カネティス』」

 魔法陣に光が巡ると、ざわざわとした声が聞こえ始めた。

 ご領主様が像に近寄り、側にあった椅子に腰を下ろした。すぐに話しかける気はないのか、石を見つめている。

 邪魔だろうか、部屋を退出するべきかとドアを見てオロオロとしていると、ご領主様が上司を見上げた。

「……彼は確か、厨房でも働いてくれている風の術師ですね? 確か夏の王都にも同行させるのでしょう?」

 息をんだ。ご領主様が自分を知ってくださっている。

「ええ。熱心で厨房での評判も良く、ぜひにと」

 上司の言葉に誇らしい気持ちになり、背筋がピンと伸びた。

「では恐らく向こうで会うでしょうし、このままここに」

 上司がうなずいた。二人でご領主様の後ろ、部屋の隅に立ち、ライアン様のお言葉を待った。


 しばらくしてシルフが運んで来たのは、初めて聞くライアン様の涼やかなお声だった。風の通りも良く、はっきりと聞こえる。次々と名前が呼ばれているが、どうやら結婚の儀を執り行っている最中らしい。

 困惑しながらも聞いていると、その声が告げた。

『……コナーとアガドレナ、最後、オェングス・アーダル・ラミントンとエクレール』

 ご領主様が身を乗り出した。

 ラミントン!?

 ハッとして隣に立つ上司を見上げると、上司は軽くうなずいた。

よい、結婚式を挙げるカップル。オェングス・アーダル・ラミントンとエクレール。……オグ、プロポーズをしたんだろう?』

「兄上……」

 ご領主様が呟かれた。

 オェングス様とエクレール様と思われる声が遠くから聞こえ、ご領主様がシルフ像をじっと見つめるなか、結婚式が始まった。

 ここが会場であるかのように、ライアン様の祝詞のりとが明瞭に、美しく響く。

 厳かな式に参列しているように、誰もが声を発しないまま静かに耳を澄ましていた。最後に結婚と夫婦の誕生がライアン様によって宣言され、精霊の加護が祈られた。

 途端に、わーっという歓声と高揚が、ひっそりとしたこの部屋にまで伝わってくる。

「兄上、義姉上、おめでとうございます。心よりの祝福を。末永くドルーと精霊の加護を、お二人の上に」

 後ろから見るご領主様の肩が震え、そっとささやくような声がお二人を祝われた。

 結局最後まで、ご領主様は精霊石に触れてこちらの言葉を伝えることはなかった。


 しばらくして、待機部屋のドアがノックされた。

「はい」

 返事をすると、顔をのぞかせたのはまたご領主様だ。

「たびたびすまないね。……ライアンに先ほどの礼を伝えたいと思って。お願いできるかな」

 気持ちが落ち着かれたら、気になったようだ。

 隣に行き、今度は落ち着いてシルフ像をセットした。

 ご領主様が手を置き、賢者様に何度かつなごうとするが、応答がない。

「……忙しいのかもしれませんね。では、もう一人、別の人に繋いでもらえますか? リンといって……」

 この時お繋ぎしたリン様のお名前を驚きと共に聞いたのは、これからすぐ後のことだった。


 王都への出発までに準備することは多い。

 クグロフの工房や薬事ギルドを訪れたりもしているが、今、夢中になっているのは社交用にブルダルーと開発している夏の冷菓だ。

 そう、アイスクリーム。『凍り石』とシルフの『泡立て』の祝詞のりとのおかげだ。

 バニラアイスは真っ先に作った。口の中で滑らかにとろけるアイスクリームは、試食した者すべてがまず驚きに目を丸くし絶賛したもの。今は森で採れる果実を混ぜ、新作を次々と開発中だ。


 ライアンの工房でレシピを書いていると、オグとエクレールが来たとシュトレンが呼びにきた。

 新婚なのだから少しはゆっくりすればいいのに、初日から動きまわるなんてと思いながら、執務室のライアンと共に応接室に向かった。

「ライアン、リン」

「誰……」

 応接室でエクレールと一緒にいる男性に、リンは目を瞬いた。

 声はオグだが、オグに見えない。

「誰、じゃねえよ」

「ええええええ、オグさん、ひげ、どうしちゃったんですか!?

「いや、なんだ。ラグに会いに行くのに、これの方がいいとエクレールが言うから」

 夏で良かったぜ、スースーする、と顎をさすりながらオグが言う。

 顔の半分以上を覆っていた髭が消え、もじゃもじゃの熊ではなくなると、たいしたハンサムが現れた。

 ハンターらしく筋肉が盛り上がり、ラグナルよりがっちりとした身体つきだが、確かにこれなら兄弟に見える。顔立ちはそっくりだ。

 ラグナルの雰囲気からノーブルさを取り、ワイルドさを足すとオグになる。

「ハンサムだったんですねえ。別人じゃないですか。これじゃあ誰もオグさんだとわからないですよ」

「別人ってなんだよ! 俺の髭はモテすぎたための女よけだったんだよ」

「それは言いすぎじゃないですか?」

 リンは即座に否定した。

「それに髭がないと、シロはとてもがっかりするんじゃないでしょうか」

「あ? シロだと? まあ、いい。俺の髭の話をしに来たんじゃねえんだよ」

 オグはそこでエクレールと二人、背筋を伸ばすとライアンとリンに向かって頭を下げた。

「昨日は、式を挙げられるとは思ってもいなかった。皆の祝福をもらえて本当に感謝している。昨夜は礼を言う前に村を追い出されたからな」

「新婚であるし、二、三日はゆっくりと過ごすのではないかと、リンとも話していたのだが」

「そうするつもりだったんだけどな」


 早朝の船でラミントンから手紙が届いたらしい。

 ラグナルが今夜『青の森』に入り、週末はグラッセのところに滞在するという。要は誘いの手紙だった。

「王都へ向かう準備であっちも忙しくなるから、早めに行ってこようと思ってな」

 夕方の船でエクレールとラミントンへ向かい、一泊してくるという。

 何か先方に届けるものがあるかと聞くので、リンはアマンドに頼み、部屋から扇子を持ってきてもらった。

 オグの目の前で広げて見せる。

「ああ、できたのか」

「はい。グラッセさん用の注文を受けているんですけれど、この私の扇子を見せて確認してほしいことがあるんです」

 リンが確認したいのは、タッセルと親骨の飾り模様についての二点だった。

「このタッセルは付け替えられるのですが、何色を希望するか。特別に決まった色の糸があるなら、ラミントンで作るのかどうか。ラミントンで作るなら、タッセルなしでお渡しになります」

「ああ、わかった」

「そして同じ質問を、この親骨の飾り模様にも」

 リンとライアンの扇子はクグロフに任せたところ、ライアンが金、リンが白金で対になるような草花模様が入っていた。これもラミントンで決まった柄があるかもしれない。

「わかった。見事だな。お、これには、精霊石も入れてあるのか」

「ええ。それも確認してほしかったんです」

「ラグもグラッセも加護はないぞ。貴石を入れられるということか?」

「それでもいいんですけど、あの、もしラグが気持ちを込めた精霊石を贈りたいなら、私が精霊石を作ります」

「リンが作るだと?」

 誰もが持てるお守りのようなものをリンは考えている。

「リン、何がしたいのか説明してみろ」

 自分がもらった扇子に付いていた精霊石を思い出しながら、ライアンが言った。

 リンは、エクレールの胸元に留められたユリの花のピンを見ながら説明する。

「あの、オグさんは、エクレールさんにそのピンを作った時に、エクレールさんの幸せを願いながら作ったでしょう?」

「あ、ああ、まあな」

 オグはどこか挙動不審で、目が泳いでいる。

「贈り物ってそういうものだと思うんです。昨日、お二人の結婚が祝われて、グノームやドルーはもちろんですけど、ヴァルスミア中に『拡声』で連絡してくれたギルド長や村まで祝いに来てくれた人たち全員の気持ちや願いが、お二人に祝福として贈られたんじゃないでしょうか」

 オグとエクレールが目を見合わせた。

「『拡声』か。どうりで全員が知っていやがるわけだ」

「ええ。皆が祝福の声をかけてくれたわけね」

 突然の結婚だったにもかかわらず、ここに来るまでにも祝福の言葉を受けたらしい。

「それで精霊術師は精霊石を贈れていいなあって思ったんです。術師じゃない人は、他の何かで気持ちを伝えるのだろうから、もちろんそれでいいんですよ。でも、もしラグがグラッセさんに、例えばいやしや幸運といった気持ちを石に込めたいなら、私が代わりに作ってもいいかなと思って」

 オグは、わからない、と、いった顔をした。

「あー、よくわからないんだが、精霊石に気持ちを込めるってどうやるんだ?」

「え、普通に、幸運をってお願いするんですけど。あれ? ちゃんとした祝詞じゃないと効果ないのかな……」

 リンは自分の扇子を手に取ってみた。

 自分ではうまくきれいな石になったと思い、ライアンの扇子にも入れたが、効果がないのならがっかりだ。

 ライアンはその様子を見て、ふっと息をついた。

「昨夜、リンからセンスをもらったが、確かにリンの作った精霊石にはなんらかの働きがあると思われる。加護石のように作られたのだが様子が違うのだ」

 周囲は息をんだ。

 リンの胸元、鎖骨のあたりに下がっている昨夜までなかったピンクの石は、ライアンが贈ったものだろうと感づいていた。だが、ライアンにもリンから贈られているとは思っていなかったのだ。

「ただ、違うのはわかるのだが検証ができぬ。退魔に幸運、破壊と創造、癒しと浄化、忍耐強さと力強さ、検証のしようがない」

「そんなものを願ったのか……」

「リンの言葉で言えば、リンの気持ちといったところだが、願ってそれに精霊が応えて精霊石ができたのなら、恐らくそのようになっていると思うが……」

「確かに確認のしようがないなあ。あれだろ、騎士の無事を祈って贈られたグノーム・コラジェの花みたいなもんだろ?」

 ブルダルーが新作の冷菓を試食するかと聞きにきて、リンはうなずくと慌てて立ち上がり、紅茶をれ始めた。

「検証できずとも、そういう効果があるのだと思えば確かに心強い。何よりそのような願いを贈られた者もうれしいと思う」

 ライアンは茶を淹れるリンを見ながら、そっと言う。

 その口元はほんの少し微笑ほほえんでいた。

「……そうだろうなあ」

「まあ、リン以外に作れるものかもわからぬが。ラグが希望するなら、リンが作ると言っているから、良いのではないか」

 二人で、何かと思ってもみないことを考えるリンを眺めた。

 オグがライアンに顔を近づけ、ボソッとささやいた。

「なあ、ライアン。なんでピンクなんだよ。そこは青にするものだろう?」

「わかっている。だが、あれはピンクに意味があった。探すのに苦労したがな」

 オグにもそのうちわかるだろう。

「さあ、できたて。新作ですよ。感想を教えてくださいね」

 シュトレンがバニラとベリーのアイスを持ってきて、アマンドが紅茶を配り始めた。



 ラミントンから戻ったオグは、伝言だけではなくいろいろ預かってきたようで、応接室のテーブルに小さな木箱をいくつも並べた。

「まず、これからだ」

 木箱の中には、注文していた磁器のセットが納められていた。

 三段のケーキスタンドに使う、サイズの違うお皿の三枚セットだ。

 領主夫人、シュゼット、リン、ライアンの義姉ケスターネたちの花がそれぞれ描かれた皿が、布に包まれて入っている。

 アマンドが順にテーブルの上に出して広げた。

 領主夫人であるカリソンの皿は、薔薇ばらに金があしらわれ、大市で使ったティーセットと同じ模様だ。シュゼットのスミレ、ケスターネのポピーと、それぞれ雰囲気が違う。

 リンの皿は、白のフォレスト・アネモネがレリーフで浮き上がり、それに薄い青と銀色で影が添えられた、とてもシンプルなものだった。他の三つの花が色付きなので余計に目立つ。

「花が違うとそれぞれ印象が違いますね。私のも、とても気に入りました。なんにでも合いそうです」

「リンのは白花のせいか、他のと比べると少し寂しい感じだろうか」

 ライアンが見比べて考え込んでいる。

「いえ、これがいいんですよ」

「王都にいるシブーストたちの注文も、出しているんだろ? それは直接、王都へ届けると言っていた。で、これがリンの特別注文分だそうだ」

 もう一つの木箱にはリンの工夫茶ゴンフウチャ用の小さな茶器が並んで入っていた。

 茶杯の一つを取り上げると、こちらにも同じフォレスト・アネモネが描かれている。

「とうとう、できたんですね! 嬉しい」

「こりゃあ、子供のままごと用のセットじゃねえか?」

 オグが一つの茶杯をつまみ上げる。

 大きなオグの手が持つと、さらに小さく感じる。

「こういうものなんです。うん、注文通りです」

 リンは一つ一つを確かめると、後でウーロンチャにしましょうと笑った。


「それから、こっちはグラッセのセンス用の紙だそうだ」

 オグが平らな紙挟みをリンに渡した。

「ラグのヤツ、最初から俺を運び屋に使う気だったぞ。なにが、兄上、ちょうど良かった、だ。ぜーんぶ用意してあったぞ」

 紙挟みを開くと、『青の女神』の花が描かれた紙がでてきた。

「クグロフさんにすぐ渡しますね」

「ああ。それで、タッセルはグラッセの衣装と色を合わせるから、ラミントンで作るそうだ。センスの骨の修飾は、申し訳ないがこちらでやってほしいと。……向こうの細工職人は、グラッセの婚礼家具で、手いっぱいだそうだ」

「それも伝えます」

「あと、石と手紙を預かってきた。あー、読み上げるか?」

 リンはお願いします、と、うなずいた。

 石の入った木箱をリンに渡し、オグは手紙を開いた。


「『センスを拝見しました。

  リンの花がウォーターマークで浮かび上がるさまも、ひそやかで大変美しいと思いました。

  精霊石を作ってくださるというご提案、ありがたくお受けしたいと思います。

  幼い頃から精霊を使いこなす兄上を見て、

  精霊の加護がないのを残念に思ったことがありました』


 アイツ……。すまない。続けるぞ。


 『その私にも、グラッセの幸せを願い、

  精霊石を贈れるのは、なんと喜ばしいことでしょう。

  私の石に込めたい心は別紙に書いておきます。


  それからセンスには、私以外にグラッセを思う者の心も一緒に込めてほしいのです。

  木箱に石が入っております。


  一つは、『青の森』で採れる『女神石』です。

  これはグラッセのお父上が、ご自身の婚約の時にグラッセのお母上に贈った貴石です。

  『青の女神』のような、お父上の瞳の色と似た青紫色をしています。

  グラッセの瞳もお父上ゆずりです。

  お二人が相談なさり、お母上が長年大切にされてきたご自身のブローチを、

  グラッセのセンスに入れてほしいと願われました。


  もう一つは、ラミントンの海で採れる『ドロップレット海のしずく』です。

  二枚貝の中で生まれる貴石で、父上が母上に贈ったネックレスです。

  母上の形見で、新しくできた義姉上にと思い持ってまいりましたが、

  兄上と義姉上がご辞退なされ、グラッセにとおっしゃいました。

  皆の心と合わせて、センスに形を変えるのもいいのではないかと思います。


  グラッセも、ご両親も、皆でご厚情に感謝しております。

  ご面倒をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。

  ラグナル』」


 すべてを聞き終わるとリンはほうとため息をつき、木箱を開けた。

 確かにブローチから外したような青紫の石と、真珠のような白いたまが連なるネックレスが入っていた。

「この貴石に込められたおもいが見えるようですね。……グラッセさん、きっと幸せになりますね」

「面倒をかけるが頼む」

 兄の顔をしてオグが言った。

「全然面倒ではないですよ、というより、大変なのは加工するクグロフさんたちですよね。腕のいい木工と金細工師が力を合わせるんです。素敵なものに仕上がりますよ」

 リンはいたずらっぽく笑い、ラグナルの心を書いたという別紙を振って見せた。

「私もこの手紙のラグの気持ちを、がんばって精霊に伝えますよ」


 グラッセの扇子用の精霊石を作るため、リンとライアンは早速聖域へ向かうことにした。なるべく早くクグロフたちに石を渡さないと、王都へ向かうまでの作業時間は限られている。

 リンは儀式用の術師のマントを羽織り、扇子を手に持った。

「ドルーに見せるのだろう?」

「はい。ドルーの枝ですから。見せないと」

「ああ、そうだな」

 ライアンも同じように自分の扇子を取り出し、少し迷って革袋に入れた。

「センスを収納する袋が欲しいところだ」

「そうですね。ベルトに付けられるといいかも。レーチェさんに相談してみます」

 聖域に入り、リンはいつものようにペコリと頭を下げると、湧き水近くの石の台に近づいた。

「加護石と同じようにしたんだったな」

「ええ。精霊にこういう風にって、お願いしただけなんですけど。今回はラグの手紙を読んで、気持ちを伝えようかと」

 ラグナルの心が書かれているという手紙を取り出して開いた。

…………あー、うん。全く考えていませんでした」

「どうした」

「単語の半分が、読めないかも」

 ラグナルの文字は流麗でお手本にしたいが、だからこそ読みにくかった。

「ライアン、読んでくれませんか?」

「私がか?」

「他にどうしようもないですもん。読んで私に教えるのでもいいですけど、これ長いから覚えられるかどうか」

 リンはそう言って、ライアンに手紙を差し出した。


 さっと目を通したライアンは、手で口元を覆ってしまう。

「……リン、これを口に出して言うのは、かなり気恥ずかしいのだが」

「え! もしかして、すっごい愛の言葉が並んでいるとか?」

 おー、ラグ、なかなかやるなあ、と手紙をのぞき込み、なぜかリンはうれしそうである。

「大丈夫です、ライアン。あのかたおもいの賢者が作った、水の祝詞のりともさらっと言えるじゃないですか」

「アレより威力が強いと思うが。……本当に私が読むのか?」

「ん? そんなにアレなんですか? じゃあ、先にどんなものなのか、教えてください」

 ライアンは眉間にしわを寄せた。

「リン、フォルト石の準備を。どうやら水の精霊石となるようだ。……二度も言わされてはたまらぬ」


 リンは湧き水にフォルト石をいくつか放り込むと、水の加護石を握り込んだ。

「水の精霊オンディーヌよ、私の友人ラグナルに代わり、彼の純粋なる想いと感謝をここにささげます。どうぞその心を聞き届け、彼の大事な人、グラッセへ贈る力をお与えください」

 そこでライアンをチラリと見た。

 リンに続いて、テノールの声がラグナルの心を代読する。


「『私、ラグナル・ノラン・ラミントンは、

  我が妻となる、グラッセ・ベリット・アダイアに、

  心の深き場所より湧きでる、永遠とわに続くこの想いを贈ろう。


  青の森に湧く泉が、常に清き水をたたえるように、

  青葉にまる朝露が、我らをいやし、美しくあるように、

  母なる海が、力強く、温かくはぐくむように、

  天の雨水が、肥沃な大地と、豊かな恵みをもたらすように、

  雷鳴と共に迫る嵐が、強大な力と、可能性を秘めるように、

  それらすべてを持つ女性に、永遠に我が想いと感謝と情熱を捧げよう。


  泉のごとく、朝露のごとく、海のごとく、雨水のごとく、嵐のごとく

  どうかオンディーヌよ、美しき水の精霊よ、

  悪意を流し去る浄化の力、水の癒しに、包み育む心

  その偉大なる水の力で、我が妻となる女性を、守り、支えたまえ』」


 美しく紡がれた言葉をどんな顔で読んでいるのかとチラリと眺めたが、表情は全く変わらなかった。

 たんてき形容詞の多い水の祝詞で鍛えられすぎなのかもしれない。

 照れるかわいいライアンが見られると思っていたのにと、朗読を押し付けておいてリンは勝手なことを考える。

 ライアンの言葉が終わらぬうちから、それに共鳴するように、湧き水にきれいな波紋がいくつも広がった。

 リンが湧き水をのぞき込めば、青く濃い色をした美しい水の精霊石ができている。

「できました! 成功ですね」

「そのようだな」

 ライアンは、ほっと息をついた。

「ライアン、普通の顔をして読んでましたね」

「人に読ませておいて、どこを見ているのだ」

「だって、すっごくきれいで、情熱的な言葉だったじゃないですか」

「……日頃、聞き慣れてはいるからな」

「え?」

「いや、なんでもない。貴族社会で一時期、このような言葉を贈るのがったらしいのだ。それ以来、教養の授業で学ぶ。残念ながらどの学校でも必須科目だ」

「うわあ。片想いの賢者みたいなのが、いっぱいいるってことですね」

「……ああ。その当時、皆の良き見本となった者がいたらしくてな」

 ライアンがため息をついた。

 残念ながら、と言うライアンはきっと苦手なのだろう。

 貴族社会は大変だと思いながら、リンは精霊石を回収した。


 さわり、とかすかな音がして、横を見ればドルーが立っていた。

「ドルー、こんにちは」

 ライアンと二人、頭を下げる。

「健勝であったかの?」

「はい。ドルーにいただいた枝で作った扇子が完成したんです。今日はそれをご覧いただきたくて」

 二つの扇子を開いてみせると、ドルーは目を細めて嬉しそうにした。

「ほう、これが。われの枝がこのように使われるを見るは、……建国の頃以来じゃろうか」

 はっとした。

 オークの枝でも、これはドルーが宿るオークの枝なのだ。

 今まで何かに使われたことが、あろうはずがなかった。

 リンは再度、深く腰を落とした。

「ドルー、本当にありがとうございました。大切にします」

「我が望んだことじゃ」

「それから、オグの婚礼にもオークの枝を賜り、心より感謝申し上げます」

「オェングスも昨日、そこまで妻と挨拶に来たの。共に歩むを見るは、我にも喜ばしく思える。その祝福じゃ」

 リンはドルーに言ってなかったことを思い出した。

「あの、ドルー、すみません。私、オグさんに頂いたオークの枝を、あの場にいた花嫁の花冠に少しずつ分けさせていただきました。幸運のお守りに」

「かまわぬ。我の祝福が、二人で歩く道を照らすであろう。これからも婚礼の際には渡すと良い」

 ライアンが再度頭を下げた。

「ドルー、ありがとうございます。新たな夫婦へのアミュレットとなることでしょう。婚礼の儀にはオークの枝を賜るように、術師たちに告げておきましょう」

「ライアン、アミュレットって?」

「リンの言う、幸運のお守りだろうか。大篝火おおかがりのように、清め、邪を払う。このセンスの精霊石もそのようなものかもしれぬ」

「皆、喜ぶでしょうね。でも、ドルー、そんなにオークの枝をいただいていいのでしょうか? 本来、切ってはダメなのでしょう?」

「髪の一本や二本、切り落としても痛くはない。それに、オークを切ってはならぬということもないのじゃが」

 リンはライアンと顔を見合わせた。

「えーと、でも、オークは切ってはいけない、賜るもの、ですよね……?」

 ライアンも眉を少しひそめて、首をかしげている。

「ドルー、建国時のドルーとの契約にて、オークに決して傷をつけてはならぬと学びましたが」

「オーリアンよ、そのような契約は元からないのじゃ。他の木を切るは良くて、オークの木だけならぬというのも、おかしな話であろう?」

「では、どうして……」

 ドルーは、何かを思い出すように遠くを見つめた。


「とおーい昔の話じゃの。追われて、この森までたどり着いたヒトの中に、まだ若いが、面白い者がおった。我らが見え、話ができた」

 フォルテリアスの建国王の話だ。

「話せるヒトは珍しくての。森に隠れ、春を過ごし、我らは友となった。じゃが、ここは冬寒くひらけた土地も少ない。夏が終わるまでに野を渡り、山を越え、南に移れと我が勧めたのじゃ。我がその行く道を守ろうと」

 子供向けの建国神話は読んだけれど、歴史の証人、というより歴史そのもの、神話に出てくるドルーから直接聞くのはなんとも不思議だった。

「精霊の加護は忘れぬ。今後一切、オークの木を傷つけはせぬと言っておった。必要とあらば使えと言ったが、首を振った」

 ドルーは嬉しそうにあごひげでた。

「その心が嬉しくあってな、旅立つ前に我を一枝差し出したのじゃ。土地を決めたらこの一枝をそこに差せば、その地を我が祝福しようとな。それは本当に約束したのじゃ」

「建国の一枝より育ったと言われるオークは王城にございます。あれは、まことでございましたか」

「あの頃よりずいぶんと行ってはおらぬがの。そうか、もう城ができたか」

 ドルーはリンとライアンが手に持つ扇子を、もう一度眺めた。

「そのセンスの枝を落としたのは、それ以来のことじゃな。リン、オーリアンよ、そのセンスを大事にするが良い。それには我の加護だけではない。リンの心と、それに応えて力を貸した精霊の心も感じられる」

「はい」

「大切にいたします」

「ヒトの心とは不思議なものじゃ。多くの想いをその心に抱えておる。目には見えぬがその内に秘めたる力、言の葉に乗せる想い、我ら精霊にはどれも驚嘆すべきものじゃ。僅かの間を全力で生きるヒトはいとしいの。短き命じゃからこそ懸命で、その真摯な心は永く残るのかもしれぬのう」

 リンとライアンはドルーをじっと見つめた。

 人の間に生き、人に見られることを良しとする精霊。人の心が嬉しくて、だからこそ永くこの国を守護してくださっている精霊だ。

 すっと頭が下がり、ドルーの前にひざまずいた。

「ヒトが精霊に心を寄せれば、精霊もそれに応える。永くそうであってほしいの」

「「はい。ドルー」」



 初夏の長い夕暮れに、リンは裏庭に一人座ってずっと考えていた。

 お茶屋さんであるリンが、お茶が文字通りこうひんであるこの世界に来てから、自分に何ができるのかを考えてきた。今日を、明日を、生き抜こうとしている人を見て、常に民や国益を考えているライアンの側にいて、何かをしたいと思った。

 この世界のことを学びながら冬が過ぎ、大騒ぎで春を迎え、そのまま祭りのような春を駆け抜けた。

 ふと顔を上げれば、あちらこちらに光のオーブが舞っている。手を差し出すと、目の前にいたオーブが手のひらに降りてきた。

「精霊術師は精霊の力を借りて人と人をつなぎ、人と精霊も結ぶ、か……」

 リンは間もなくヴァルスミアを離れ、王都へ行く。

「私にもできるかな」

 ポツリとつぶやいたリンは、そのまま長いこと思いを巡らせた。


 王都への出発前日の夕刻、リンはお茶を飲んでいた。

 ゆったり過ごせる時間は久しぶりで、リンは一煎ごとに、いや瞬く間に香りが移り変わる台湾の高山ガオシャンウーロン梨山茶リシャンチャを選んだ。

「うん。いいね。香りが膨らんできてる」

 リンがこの世界に来る前、最後に立ち寄った茶畑が梨山にある。その風景を思い出しながら、長く続く余韻にリンはうっとりと目を閉じた。


 準備のために館から旅行用の衣装箱が届けられていたが、その荷造りと運びだしもほとんど終わっている。

 木箱というより、トランクといった方がいいかもしれないが、スーツケースよりだいぶ大きい──リンが中に収まりそうなぐらいの──ものが、大小合わせて五つも届いていた。

 リンのドレスのほとんどはレーチェのところにあって、そこにも衣装箱が届いているという。

 茶葉買い出し旅行の際にはミニマルな持ち物を心掛け、服なども小さく巻いてきっちり詰め込んでいたリンだが、そのテクニックを披露する機会はなかった。

 ヒラヒラした袖やコサージュ付きのドレスは巻けない。これはリンのドレスだが、リンの持ち物ではないようなものだ。シワなどつけたら、レーチェとアマンドに嘆かれる気がする。

 リンの部屋に積まれたトランクは、横に長いものは上部だけでなく横の部分も開くようになっており、そこは引き出しになっている。

 縦長のものはドレスやマントをるした状態で収納でき、シワを付けずに持ち運べるように考えられている。

 スーツケースというより、クローゼットをそのまますっぽりと入れて運ぶような感じだ。

 荷造りもアイロンもアマンドとメイドの仕事で、重いトランクを運ぶのもポーターがいた。

 春先まで使っていた、リンの気に入っているベッド用の上掛けキルトまで畳んで入れられたので、クローゼットのみならず部屋ごと移動するようなものだった。


 すっきりと片付いた部屋には、小さな手提げかばん程度の衣装箱だけが残されている。リンが手元に置いておきたいものや、明日の朝出立前に使うものが入っている。

 お茶とラミントンから届いたばかりの工夫茶ゴンフウチャのティーセット、小さなケトルもここに入る。

 アマンドたちはリンの準備を終え、今頃は自分たちの荷造りをしているだろう。今夜は食事も金熊亭で取る予定なので、ブルダルーはちゅうぼうをキレイに磨き上げ、館の方へ戻っているはずだ。

 ここ数日慌ただしく人の出入りも多かった後だ。今は人の気配を感じられない家が少し心細い。

 リンの足元にはシロが寝そべっている。ふさりふさりと尻尾しっぽでリンの足をたたいているシロはこのところまたぐんと大きくなった気がする。立ち上がるとリンの背と同じぐらいあるのではないだろうか。

「シロともしばらくお別れだねえ」

 ヴァルスミアの森から長く離れるのはシロにも負担だろうと、ライアンと話し合って、金熊亭に預けることに決めた。

 春、リンが出歩くようになってから、シロはリンを守るようにあちらこちらについてきてくれた。ヴァルスミアの森の中も、大市の街の中でも。

「ううう、シロ。さびしすぎるぅ」

 手を伸ばしてシロの背中をわしゃわしゃとでると、気に入らなかったのかすっと立ち上がって部屋を出ていく。とうとうリンは一人にされてしまった。


 カップを片手に、リンはテーブルの上に紙を広げた。

 王都に行くまでに覚えておくべきこととして、ライアンは容赦のない量の「予習」をリンに渡した。

 春の大市で交流のあったサントレナやスパイスの国について、それから大市の後にリンに贈り物を渡した領地に、リンが楽しみにしているお茶の生産国についての情報は、特に念入りに書き込まれている。

「これすべて、王都で会う可能性があるのか……」

 目を通していて、これはいつもライアンがしていることだとすぐに気づいた。

 春の大市でリンは発案者で助言者だった。生産者でもない。営業もとてもできなかった。リンが考えたことをライアンやクグロフ、ギルドなどの周囲の人たちが形にし、取引が行われた。リンは本当に一部分を手伝っただけである。

 そうやってリンは守られていたと、いや、今もずっと守られていると思う。

 リストにある十以上の国や領の名前を指で追う。どれも夏の大市で会う可能性のある人々だが、リストでは見えてこないものもある。

「よし」


 リンがライアンにシルフを飛ばすと、森の塔にいたらしいライアンはすぐにやってきた。

 応接室に落ち着いたライアンに、リンは背筋を伸ばして宣言した。

「ライアン、私、賢者見習いになります!」

「はっ!?

 あまりに突然で、ライアンは目を見開いた。

「あ、いや、そうか。いや、もちろん。……そうか」

 気持ちを落ち着けるまで、ライアンには少しの時間が必要だった。

「あー、リン、なぜ突然決意したのか、聞いても?」

「理由は二つあって、一つは守りたい」

「守る」

「ええ。ライアンにもらったリストを見ていて、王都で出会う人はどんな人たちだろうと思って」

「ああ」

「クナーファ商会は私のことを調べて、最初不愉快でしたが、交流の結果それはなくなりました。あー、なんだろ、こう、警戒感はまだあるんですけど。ふふっ」

 リンは笑みをこぼした。あの大商人の手管には常に緊張を強いられる。

「クナーファとは線が交じりましたが、どこまでいっても平行線な人もいると思うんです。私を利用しようとする人も、傷つけようとする人も、おとしめて優位に立とうとする人も」

 そして相手はそれをなんとも思っていなかったりする。それが正しいと、時にはそれが善だと思っている人がいるのだ。そういう人とは価値観が違いすぎて理解し合えないだろう。

 ライアンがうなずいた。

「ないとは言えない、な」

「私の世界が広がって会う人が増えた時に、守りたいんですよ、傷つけずに。自分も。それからヴァルスミアの優しい人たちも。そのための地位になるのかなって」

 ライアンはそうしていると思うのだ。

 守っている。リンを、ウィスタントンを、この国を。賢者という立場で。

 ライアンがうなずいた。

「二つ目は?」

「これも交流のおかげなんですけど、様々な術師の人を見てギルドに対して構えていたところがなくなったんです。術師って精霊と人とをつなぐ者ですよね。その力を借りて人のために使って、素直に素敵だと思いました。賢者は究極の特権ですけど、さっき言った身を守るための地位という以上に、精霊から与えていただいているのにそれを使わないのはかえってそんなのかなと」

「不安は消えたか?」

「賢者という立場が不相応じゃないかとか、不安とか、もちろんそれはまだありますよ。でも……」

「私が守る」

 ライアンが言葉をかぶせた。

「私が、それにアルドラも。賢者の先達として」

 リンがニコリと笑顔を見せた。

 知っている。いつも守られてきた。だから自分も同じように。

「ええ。精霊術師として、賢者として、精霊に心を寄せて、人の心を伝えたいんです」



 明日は出発で、もう時間がない。

 ライアンに儀式用マントを羽織るよう言われ、二人で聖域へ向かった。ライアンも同じようにマントを羽織って先導している。

「もう少し早く言ってくれればいいものを……」

「だって、ずっと考えて、それでも決められなかったんですよ。最終的にこの間ドルーにお会いして、自分ができることを考えて、心が決まったというか」


 聖域に入ると、オークの木に一礼した。

「えーと、それで……?」

 ここで何をするのだろう。

「ああ。『加護調べ』という儀式を行う」

「『加護調べ』」

「各領の精霊術師ギルドには『調べの石』というのがあり、それはこの大岩から切り取られているのだが」

 ライアンが聖域にある白い大きな岩に触れた。いつも供物台として使っているものだ。

「『調べの石』に手をつき、『加護調べ』をすると精霊の加護の有無がわかる」

「あ、それでその後に『加護石授与』の儀式になるんですね?」

「そうだ。賢者はあらかじめ加護があることがわかっているから『宣誓の儀』になるのだが、今回は時間もないし『加護調べ』の方がリンの負担にもならないと思う」

「はい」

 これをよどみなく読めるようにと、リンは紙を手渡された。読んでいる間にライアンは聖域に火をいてきよめる。

「……この身にその加護を示し、ん? 違う。示したまえば。……言い回しがなかなか難しいですね」

「子供でもそれを読むのだからがんばってくれ。昨日言ってくれていたら暗記させたのだが」

 ライアンに言われて、リンは首をすくめた。


 リンが調べの石に手をついた。目の前に紙を置き、祝詞のりとを紡ぎ始める。


「『建国の精霊ドルーよ。我らに聖なる地を示した森の王よ。

  我らを導き、我らと共にある精霊よ』」


「『我らに加護を与えし精霊よ。

  この場に下りて、我の加護を示し給え。

  風の精霊 シルフ、伝え、自由なるものよ』」


 聖域に爽やかな風が吹いた。同時に手を当てた『調べの石』から天に向かい、緑の光が立ち上がる。

「浄化の風か」

 リンもライアンもその光を目で追い、周囲を見回した。

 お互いに目が合うと、ライアンが続きを促すようにコクリとうなずいた。


「『水の精霊 オンディーヌ、いやし、浄化するものよ』」

 湧き水からパシャパシャと飛沫しぶきが上がった。『調べの石』からは青の光が。


「『火の精霊 サラマンダー、破壊し、生み出すものよ』」

 たきが大きく燃え上がり、火の粉を飛ばす。今度は赤の光。


「『大地の精霊 グノーム、温め、はぐくむものよ』」

 聖域の草木がざわざわと震え、音を立てた。最後は、黄の光だ。

 地から上る四色の光で聖域が満たされた。


「『……この身にその加護を示し給えば、その力をに受け止め、

  自然のことわりに忠実なりて、世界の調和を図るであろう』」


 リンもライアンも周囲の光景に目を見張り、言葉を失った。

 風が、水が、火が、大地が、草木が光を受け、ざわめき、躍り、喜んでいるように感じる。

「えっ。……うそ

 パチッと音を立てて焚火が崩れ、火花が飛んだ。その陰からサラマンダーがふわりと浮かび、つぶっていた目を開いた。

 パシャリと上がった水滴からは、オンディーヌが。

 風が木々に当たり進路を変え、そこからシルフが。

 舞い落ちた木の葉の後ろから、グノームが。

「ラ、ライアン、大変。私、見えます。精霊が見えます!」

 隣に立つライアンの腕をバシバシと叩き、目はじっと精霊を追っている。


 ライアンもぼうぜんとして、精霊がつぎつぎと生まれでる光景を見つめていた。知識としてこれが『調べの石』であることは知っていたが、聖域で『加護調べ』をすることはないのだ。

「まさか、このような……」

 目を開けた精霊は、ある者はぐいーっと伸びをして、またある者はふわぁとあくびをして、キョロキョロと辺りを見回している。それを別の精霊が誘い、光の中を楽し気に飛び回り始めた。

 シルフが手を繋いで輪を作り、踊り始めると小さなつむじ風が生まれた。

 サラマンダーは焚火に出入りして、火の粉をき起こしている。

 夕闇に沈み始めた森の中、聖域にだけ光が満ち、精霊たちが舞い飛んでいた。


 その光景に目を奪われていると、ドルーが二人の前に現れた。

 リンは慌てて居住まいを正し、深く頭を下げた。

「ドルー。無事に精霊術師となることができました。自然の理を学び、精霊に心を寄せて過ごしてまいります」

「見事な宣誓じゃったの。無理をせず、あるがままにの」

「はい。ドルー、どうして突然精霊が見えるようになったんでしょう? 今まで見えなかったのに」

「そうじゃのう。リンが心を決めたからではないかの。言ったじゃろう? ヒトの心の秘めたる力は素晴らしきものじゃ」

「なるほど。そして『調べの石』を使い、言の葉に乗せて宣言をしたからだろうな」

「そうなんですか? うわーっ。こんなにかわいいならもっと早くやっておけばよかった」

 精霊は手のひらに載るぐらいの小さな人型だ。

 オンディーヌは腰より長い髪をして、シルフは背中に羽を背負っている。サラマンダーは髪が炎のように逆立ち、真っ赤だ。グノームはふっくら、コロンとしている。

 それぞれが精霊の色の服を着て、三角ぼうをかぶっている。サラマンダーの服のボタンは火が燃えているように見えるし、グノームのボタンは土の鈴で、石の上で飛び跳ねる度にコロコロとした音が鳴っている。

「あれ? グノームだけ、帽子の色が赤いですよ? 他の子は皆、自分の色なのに」

「それはエストーラのトットゥの姿が入っているのではないか? 精霊は術師の思う形に見えるものだ。私に見える精霊は帽子をかぶってはおらぬ」

「そういえばそうでしたね」

 よく見れば、オンディーヌは街中に建っている像にそっくりな美人だし、シルフも羽の生えたシルフ像に似ていた。

 美しく光を放つ『調べの石』は精霊のお気に入りのようで、精霊がその上で楽しそうに飛び跳ねている。

「リン、その上で飛び跳ねているのは、リンの精霊だぞ」

「えっ?」

 リンが自分たちを見ていることに気づいた精霊が、先を争うようにリンの方に寄ってきた。

 シルフは目の前を飛び回り、グノームはドレスについたコサージュの上に腰掛けた。

 リンは微笑ほほえんで目の前のシルフにそっと指を差し出した。シルフはその指をキュッと握り、また離れていく。

 その時だった。

 リンの肩に座ろうとしたオンディーヌを、サラマンダーが突き飛ばした。オンディーヌはグノームを巻き込みながら下に落ち、サラマンダーが代わりに肩に載ろうとする。

「あっ!」

 リンの目の前でけんが始まった。

 オンディーヌはサラマンダーに水を飛ばし、サラマンダーはオンディーヌの髪を引っ張る。そこにシルフが割って入り、双方ともに吹き飛ばされていく。

 転げ落ちたグノームは、目を回したのか足元で座り込んだままだ。

「うわっ。いけません。喧嘩はダメ!」

 リンは慌ててサラマンダーを捕まえ、バタバタと暴れるのを抱え込むと、もう片方の手でグノームを拾い上げた。

 両腕にサラマンダーとグノームを抱え、ライアンをチラリと見上げた。

「えーっと……。ライアン、もしかして、毎日こんな感じですか?」

「……おおむねそうだな」

「そうですか……」

「リン、大丈夫だ。そのうち頭の上で暴れても気にならなくなる」

 いや、それはどうだろう。


 明日は王都というこの日、リンはフォルテリアスの賢者見習いとして正式に登録された。

 そして、なぜライアンが精霊のご機嫌に気を使うのか、よくわかった気がした。


 リンが賢者見習いとなったことは、一夜にして国中に知れ渡った。

 まずアルドラに、それから館に、そしてウィスタントンの精霊術師ギルドにと、シルフが飛んだ。

「そうかい。ドルーに挨拶は済んだのかい?」

 アルドラほど気軽な言葉はなかったが、リンを直接知る者たちは皆、新たな精霊術師の誕生をこといだ。

「……せめて、先に連絡しておいてくれてもよかろう」

 ライアンから連絡を受けた時、自室でくつろいでいたウィスタントン公爵はこの後の手配と騒ぎを考えてそうこぼした。

 公爵と精霊術師ギルドはすぐに王都に連絡を取った。王都から各領へ、そして各街へとシルフが飛び交った。

 国の空を覆うような複雑な風の流れは、ライアンの誕生以来だったという。



「何だって!?

 春の大市でリンにケインと名乗ったその若者──フロランタン──は、王城の執務室にいた。

 人が増える夏の社交を前にして警備や儀式などのすべき手配は増えており、残念ながらよいもまだ文官や騎士、精霊術師たちとの打ち合わせ中だった。

 そこへ、ウィスタントンから緊急だという飛伝が入った。シルフが届ける声にじっと耳を澄ましていたが、聞き終わると思わず声を上げた。

 ふうと息をつくと、従兄いとこでもあり側近でもある、横に座る男に顔を向けた。

「シブースト、君の父上からの連絡だったよ。確かにこれは緊急だ」

 そして会議室の顔を見回した。申し訳ないが、今日の仕事は夜半過ぎまで終わりそうもない。

「皆も聞いてくれ。国家の重要案件になる」

 フロランタンの言葉に全員が顔を引き締め、ザッと背筋を伸ばし、拝聴の姿勢を取った。

 その顔を見回しながら、飛伝の内容を簡略に告げた。

「今宵、我が国に新たな賢者見習いが誕生した」

 感情をめっに表さないシブースト──ライアンの長兄──は目を見開くと、一つうなずいた。

 それで収まらなかったのは二人の周囲にいた者たちだ。

 ひゅっと息をみ、次の瞬間にどっと沸き立った。

「まあ! なんとおめでたいことでしょう!」

「ああ! 精霊よ! ドルーよ! ご加護を感謝いたします」

「おお、なんと! フロランタン様。いったいどなたのところにまれに!?

「ウィスタントンですから、ギモーブ様のところでは?」

「おおお! では、シブースト殿のおい様かめい様になられるかっ!」

 興奮して声高に話す者が、フロランタンとシブーストの前に集まってくる。

 シブーストがこの者らしい、簡潔すぎる答えを返した。

「いや、違う」

「違いますので? ああっ! もしやウィスタントン公爵殿下のお子では!?

「ま、まさか! いくらなんでも……」

「いえ、公爵ご夫妻のなかむつまじさはご結婚時と全く変わらぬご様子。あり得る話でございましょう?」

 詰め寄られ、シブーストがフロランタンを見やった。なぜもっと詳しく説明しないのかと、その目が責めている。

「静粛に」

 フロランタンが近づく者どもを抑えた。

「まず、ウィスタントンからの連絡だが、公爵家のお子ではない。いや、赤子でもなく、その方はすでに成人されている」

「なんですと……」

 その場が静まり返った。

 そのようなことは過去に例がなかった。歴史をひもいてみても、その目立つ髪色からほとんどの賢者が生まれたと同時に周知されることが多い。

 それがなかったのはアルドラだけだ。そのアルドラにしても幼少の頃に賢者として登録されている。

「ライアンが令嬢を保護していると、其方そなたたちの耳にもシルフがささやいたことがあるのではないか?」

 ある者は息を呑み、ある者は目を見開く。どうやら全員耳にしたことがあるようだ。

 当然だろう。その程度の情報さえ手に入れられなければ、この会議の参加資格はない。

「で、ですが、確かそのご令嬢は黒髪だとうかがいましたが……」

「その、ご一緒にお暮らしだとも耳にしておりまして」

 ライアンのあいしょうではないのか、とは賢明にも誰も口にしなかった。

「あー、ほぼ、その通りだ。私もシブーストも春の大市でお目にかかったが、確かに黒髪で、ライアンと同じとしだと聞いている。一緒に暮らしてはいないようだが。そして、この春の大市でウィスタントンから発表された様々な新商品の開発者でもある」

「ウィスタントンといえば、砂糖……」

「それだけではございませんわ。素晴らしい美容製品も発表されましたのよ」

「はっ。もしや『精霊石』も……!」

 フロランタンがうなずいた。

「ライアンの名前で発表されているが、ついこの間ここで検証した『涼風石』も、恐らく彼女が関わっているはずだ。……それで、だ」

 ここからが本番だとでも言うように、フロランタンが言葉を区切った。

「今まさに話していたことだが、今年はライアンが十年ぶりに王都へ来る。で、リンというが、その新しく賢者見習いとなったご令嬢も一緒だ」

 全員がハッとなったところにフロランタンが続けた。

「つまり今年は賢者様方がおそろいになる。それも三名の」

 さすがに王城で働く者たちだ。すぐに顔つきが変わった。

「誰か、すぐに父上、陛下に連絡を」

「はっ、殿下。私が」

 フロランタンの指示に一人がうなずき、すぐに部屋を出ていく。

「私は術師ギルドに連絡を入れます! あ、いえ、シルフが参りました。これはあちらにもすでに連絡が……」

「そうだ、各領へシルフの手配を。ええと、お名前はリン様。ご家名を知っている者は?」

「商業ギルドにも伝えます。明日の朝には街にも知れ渡るでしょうから、振る舞い酒の手配を」

「間に合いますか?」

「間に合わせます!」

「お出迎えはどのように? 待て! ウィスタントン一行の到着は間もなくではなかったか!」

「ラミントンと一緒だと聞いております」

「すぐではないか! 滞在は離宮になるのか?」

「殿下、陛下がすぐに執務室へ、と」


 ざわつく王太子執務室を出て、フロランタンとシブーストは国王陛下の執務室へと向かった。

「全くライアンももうちょっと早く言ってくれてもいいのに。って、伯父上も同じことを言ってたな」

 ひとのない廊下で、フロランタンは途端に口調を崩した。

「明日出発だからな。今頃、大慌てだろう」

「あー、ライアンがいるなら明後日には到着じゃないか。人、押し寄せるでしょ。もう、警備どうすんのさ」

「それこそライアンがいるから大丈夫だろう。しっかり守るのではないか?」

 フロランタンがニンマリとした。

「ふふん。さっき新しい賢者見習いはウィスタントン公爵のお子ではないと言ったけどさ、新たにお子になるかもしれないことは否定しないよ。今回はゆっくり会えるといいなあ」

「ライアンに邪魔されなければな」

 今は静かな王城の廊下だが、間もなく多くの者が集まり、走り回るだろう。

 今年の夏の大市は、いつもと違う予感がした。


 王都へ出発の日、リンはまだ夜も明けないうちに目を開けた。

 気が高ぶっているらしく目はぱっちりと覚め、どうせ眠れないのならと起き上がることにした。

 昨夜のうちにシロのお風呂は済んでいる。遅くまで一緒に遊び、いい香りでふかふかになったシロに抱きついて寝てから、そんなに時間はっていないはずだ。

 明かりをつけ、コンソールテーブルの上に置かれた水時計の鉢をのぞき込むと、感じた通り四刻ぐらいしか経っていなかった。

『温め石』ができてから、お茶ぐらいは火をけずともれられるようになった。水差しの水を銅製のケトルに入れ『温め石』を入れると、今度はお風呂に入るために浴室へと向かった。

「シロ、おはよう」

 入浴後、ささっと身支度を整えて浴室を出ると、シロも起きたようだ。

 リンの足を尾でたたくので、ドアを開けてやると静かに外へ出ていく。

 使い終わった、神々しい『水の石』と『温め石』を、せっけんやボディブラシなどが入っているお風呂セット用のトランクに収めると、今度はちゅうぼうへと向かった。


 今日は朝早くヴァルスミアを出て、お昼過ぎにラミントン領の港に着く予定になっている。そこで荷物を大型船に積み替える間にラグナルたちと昼食をとり、ラミントンの船で一緒に王都へと向かうのだ。

 朝食を食べずに乗船する者も多いそうで、乾燥ベリーとナッツをたっぷりと入れた甘酸っぱいフラップ・ジャックを作っておいた。館の料理人もサンドイッチを作ってくるというので大丈夫だろう。フラップ・ジャックを切り分け、蜜蝋を引いた布ワックス・クロスに包み、ピクニックバスケットに入れた。

 冷室からレアチーズケーキを取り出して上にフレッシュベリーを飾ると、バスケットに入る超小型の冷室に入れなおした。これはお茶の時間用だ。

「あとは飲み物、どうしようかな。冷たい飲み物が欲しいけど、密封性がねえ」

 冷室にはアイスティーがガラスのピッチャーに入っているけれど、水筒のような便利なものがなく、これを持っていくには、冷室を傾けないように気を付けないとならない。

 ウィスタントンではどこでもきれいな水が手に入るので、木やヤギの角で作ったカップを腰に下げるだけで誰も水筒を持たないのだ。それに、必要なら『水の石』で簡単に水が持ち運べる。

「そうだ」

 リンはフォルト石を取りに行き、きれいに洗うと、アイスティーのピッチャーの中にポトンと落とした。それからリンの肩に座っていたオンディーヌを手に載せると、目の前に持ってきてペコリと頭を下げた。

「水の精オンディーヌよ せいれつな水の加護を我らに。この石をもってその力恵与にあずからん。えーと、『水の石』みたいに、お茶を石の中に溜めて『お茶の石』を作りたいです。できますか? アロ サフィラス グッタ アクア……」

 祝詞のりとの途中でまずオンディーヌがふわりと浮き上がった。そのままくるりくるりと踊るように動くとピッチャーのアイスティーが減り始め、リンは目を輝かせた。

 石に吸われるようにお茶がなくなり、コロンとした石が底に転がっている。

「わ、できたかも」

 できあがった石は、アイスティーのはくいろをしている。

 グラスの上で石を持つと、水を出す祝詞を唱えた。

クーレ アクアム水よ、出ろ。……あっ、アベルテ アクアム!水よ、止まれ!

 グラスにアイスティーが注がれた。

 一口飲んでみるが、味も問題ないような気がする。水っぽくもなっていない。

『水の石』に含まれる水は腐らないのでお茶でも大丈夫な気がするが、後でライアンに聞いてみよう。

「うっふっふ、『お茶の石』できちゃったかも! オンディーヌ、すごい。ありがと」

 喜ぶリンに、テーブルの上にふわりと浮かぶオンディーヌも優雅に頭を下げる。

 リンはご機嫌で、いろいろなドリンクを『石』に閉じ込めていった。


「まあまあ、リン様、もうお目覚めだったのですか。おはようございます」

 厨房にアマンドが顔を覗かせた。

「おはようございます、アマンドさん。興奮して寝付けなくて」

「もうお風呂はお済みですか? それでは髪を結いましょう。お召し物も着替えましょうね」

「え、今日は船で移動だけですよね?」

「ええ。ですが、ご領主様方とご一緒ですから、謁見用とはいかなくても、もう少し……」

 旅に出るならなるべく楽なものをと選んだドレスなのだが、少し装飾はあった方がいいようだ。

 リンは部屋へと戻り、アマンドにお願いした。

 選ばれたのはレーチェが旅用にと作ったラベンダー色のドレスだ。袖はリボンで絞られているが、ふわりとした袖口からはアンダードレスに付けられた繊細なレースがヒラヒラと見える。ブラマンジェ領から贈られたレースだ。

 そこにレーチェが急いで作ってくれたレースの袋に、ドレスと同じ色のタッセルを付けた扇子を入れてベルトに通した。

 これでこの夏、最新流行となるスタイルのできあがりだ。

 胸元にはライアンからもらったペンダントが輝いている。

 アマンドが、その背に賢者見習いのネイビーのマントをふわりとかけた。

「爽やかな初夏の装いですわね。本当にお似合いになりますこと。ぐしも伸びられて、いろいろ結い方を変えられるようになりましたわ」

 アマンドが目を細めて、リンを褒める。

 水時計のオンディーヌが持つ石を外して水を止めると、リンは階下へと向かった。



 応接室にはライアンがすでに到着していた。

「……リン、トランクはわかるが、そのバスケットも持っていくのか?」

 ライアンはリンが手に持つ、ピクニックバスケットが気になるようだ。

 応接室の椅子に座ってもらい、リンはライアンの髪にブラシをあてた。

「朝食用のフラップ・ジャックと、船で食べるお菓子がたくさん入っているんです。あ、ちょっとシルフ滑らないの! もう! サラマンダーも後にして」

 見えるようになった精霊が邪魔をして、今日の髪結いはなかなかに難しい。

 髪に絡まったグノームを救い出し、サラマンダーから髪を取り返し、リンはまた邪魔が入る前にさっと束ねた。

「リン、気にせず、放り投げろ。……いろいろ作っているとは思っていたが、そのためか」

「シュゼットが、『一緒の船で行けるのね』って喜んでいたので、お菓子を持っていく約束をしたんです。それにグラッセさんも一緒の船でしょう? だから女子会用に多めに」

「女子会? ……シュゼットは船に弱い。リンの菓子を食べられると良いが」

 輝く髪を手早くまとめ、髪紐でクルクルと留める。

「あ、そうだ。ライアン、新しい精霊石で見てほしいものがあるんです」

 髪がまとまり、立ち上がろうとしていたライアンが固まった。

 そしてふわりと浮かぶシルフを見上げてから、ゆっくりとリンに振り返る。

「……空耳か? 新しい精霊石と聞こえたが」

「そうです。今朝作って、大丈夫かどうか見てもらおうと思って」

「今朝だと? 出発だぞ?」

「えーと、その、だって、旅にあったらいいなと思って……」

 さすがに出発直前はまずかったか、と、だんだんと声が小さくなる。

「……まあ、リンだしな。それで今度は何を作ったんだ?」

「『お茶の石』です」

「『お茶の石』だと……?」

 さっき作ったばかりの『お茶の石』を、バスケットから取り出した。

 色を確かめて、カモミールとハニーミントのアイスティーを封じ込めた石を選ぶと、リンはライアンの手にポンとその石を置いた。

 薄い黄色の、つるりとした石だ。

 その形も質感も、確かに精霊石のようだが見知ったものではない。

「水のお力を感じるな。色合いは土の精霊石のようだが」

「そうです。オンディーヌにお願いしました」

 ライアンが、ふうと息をついた。

「リン、新しい物を作る時には先に言ってほしいと、あれほど」

「密封できる水筒がなくて、今朝思いついちゃったんですもん。水のようにお茶も閉じ込められるかなって」

 言う暇がありませんでしたと、リンは肩をすくめた。

「それにしても『茶の石』か。リンらしいといえば、リンらしいが……」

「ふふっ。お茶屋さんですもの」

「昨日、賢者見習いになったと思ったが?」

「お茶屋さんで、賢者見習いなんです」

 リンはすまして胸を張った。


「それで、どうやって作ったのだ」

「えーと『水の石』を作る祝詞を使いました。ほら、アロ サフィラスから始まる、アレです」

 ライアンがまた固まった。

「あれは『清澄で、汚れなき水のしずく』を閉じ込める祝詞なのだが」

 なぜそれで茶が入るのかが、ライアンにはさっぱりわからない。だが、それをできてしまうのがリンだ。

「まあ、リンだしな」

「オンディーヌにお願いしたら作ってくれたんですから。……ちゃんとお礼も言いましたよ?」

「オンディーヌがいいと言うなら、まあ、いいのか……」

 リンには甘い精霊がやったことだ。ライアンは深く考えないことにした。

「それで、これの中身が劣化しないのか知りたいんです」

「中に閉じ込めた水は変質しないのが『水の石』だ。だからそのまま維持されるはずだが、確かめてみないことにはわからぬな。……石に茶を閉じ込めようと思った者が今までにおらぬ」

 ライアンはため息をついて、リンを見た。

「温かいお茶と冷たいお茶、両方閉じ込めたんですよ。もし、そのままの温度で出てくれば維持されているってことですよね?」

 リンはあと二つ、冷たい紅茶の石と熱いウーロンチャの石を取り出してライアンの手に載せた。

 中の茶の色なのだろうか、精霊石の色はすべて違う。

 ライアンは自分の腰からヤギ角のカップを外した。

「あ、魔法陣は入っていませんから祝詞でお願いします」

「クーレ アクアム。……アベルテ アクアム」

 ライアンはうなずくと、カモミールとミントのアイスティーを少しカップに注いで、味をみた。

 リンがじっと見つめた。

「……どうです?」

「冷たいままだ。おいしい」

「ふふふ。暑い時にアイスティーはぴったりでしょう?」

 だから作ったんですよと、リンは得意げだ。

「そういう問題では全くないのだが……」

 どうしていつもいきなり思いもつかぬことをするのかと、ライアンはリンのしたり顔を眺めた。

「それでこちらが熱い台湾の鉄観音ティエグアンイン茶で、こちらが冷たい紅茶。いつものですよ」

 どちらもライアンの好きな茶だ。鉄観音茶を注ぐと、カップから湯気が立つ。

「やった! 成功ですね」

 リンは『茶の石』の成功に得意げだが、これを船で披露したら間違いなく騒ぎになるだろう。

 披露させていいものなのだろうか。しっかり安全性を確かめて、いや、まずこれはリン以外に作れるものなのだろうか。王都に着いたらすぐ、しっかり検証しなければ。

「ふふふ。これで旅でもおいしいお茶がすぐに飲めますよ」

 ニコニコと、お茶のことだけしか考えていないリンがしゃくに障る。

「相変わらずリンのやり方はどこかおかしいな。普通はできないはずなんだが」

 リンが口をとがらせてライアンをにらんだ。

「おかしくて悪かったですね。……あーあ、オグさんもラグもいるし、船旅にいいかと思ってミードも、赤ワインも、リモンチェッロも、蒸留酒まで石に閉じ込めたんだけどなあ」

 ライアンの肩がピクリと動く。

 リンはまたバスケットの中をゴソゴソとあさった。

「なんだと?」

「残念だなあ。おかしいのかあ。『ワインの石』も『リモンチェッロの石』も、きれいな色に仕上がったんですけどね」

 リンは指に挟んだ濃いボルドーときれいな黄色をした『酒の石』を動かして見せた。

 ライアンがすぐに詫びたのは言うまでもない。



 領主一族の移動に、『船門』は人と馬車と荷物でごった返していた。

 ラミントン領から来た早朝着の船が戻る時に一緒に行くのだ。その船以外に何隻も並び、荷物を積み込んでいる。

 これでも文官や騎士、メイドなどの半数以上がすでに王都へ入っているという。

 城門にある広場は広いが、人であふれ、音楽なども聞こえてくる。

「さすがご領主様の移動となるとすごい人ですね」

「ああ、今日はそれだけじゃないんだが」


 リンとライアンが馬車から降りると、うわあと大きな歓声が響いた。

「ライアン様! おめでとうございます!」

「リン様だ! お祝い申し上げます!」

 歓声と拍手が続き、人が側に押し寄せる。今までになかったことに、リンは驚いて固まった。

 ライアンがリンをかばうように肩を抱いた。

 これ以上人が集まると危ないかな、と思ったところで、群衆の後ろの方で声が上がった。

「さあ! 新しい賢者見習い様の誕生に公爵様からの振る舞い酒だ。皆で祝ってくれ」

 押し寄せていた群衆の半分がそちらに向かう。

「振る舞い酒?」

 大きなたるがいくつか据えられ、館の人間だろうか、集まる群衆に酒を酌んでいる。

「ああ。新たな賢者の誕生が、今日は街中、いや、国中で祝われているはずだ」

「ひええっ。そんなおおごとに? じゃあ、この人出って……」

「もちろん。今夜までに皆がリンの名前を知っていてもおかしくない。王都でも大騒ぎだろう」

「うわあ。大丈夫かなあ」

「大丈夫だ。私が守る」

 リンの肩を抱くライアンの手に力が入った。アクアブルーのきれいな目がリンをじっと見ている。

 最初からずっとリンの手を引き、見守ってくれた人だ。リンはコクリとうなずいた。


 館からの馬車が到着し、領主夫妻とシュゼットが降りた。別の馬車からは見送りに来たらしいギモーブとケスターネが降りる。

 領主夫妻の前で礼をとると、シュゼットが笑顔で近づいてきて、リンの腕を取り引っ張り上げた。

「リン、お父様から聞いて驚いたわ。おめでとう!」

 その隣で領主がうなずいた。領主夫人も笑顔でリンを見つめている。

「その賢者のマント、其方そなたによく似合っておるぞ。……ん?」

 領主が目を見開いた。

「あら」

 領主夫人も口元を押さえた。

「あー、報告と違うではないか。いや、そうか。うむ。そうか。めでたい」

 領主の視線がライアンとリンを行ったり来たりしている。

「あの……?」

「いや、なに、リン。その青いペンダントも、とても似合っておる」

「ありがとうございます」

 リンはペンダントに手をやり、照れたように笑うと、もう一度すっと頭を下げた。


 領主夫妻の到着までにすべての積み込みが終わるようになっていたらしく、もう乗船だ。

 荷物だけの船はもう岸壁を離れ出している。

 貴族も平民も、皆が一番後ろの船に乗り込むようだ。

 ライアンのエスコートでタラップに向かうと、前を行くシュゼットがクルリと振り向き、ニコリと笑うとぐっと顔を近づけた。

「あのね、愛する人への贈り物に自分の持つ色を入れることがよくあるのよ。ね、私も持っているわ」

 シュゼットは緑の石が付いた指輪をはめた指をヒラヒラと動かすと、チャーミングなウインクを投げて身をひるがえした。

 その素早さにキョトンとしたリンだったが、じわじわとその意味がわかるにつれ、一気にほおに熱が上がった。

「えーと、あの……」

 シュゼットの声は、リンをエスコートしているライアンにも聞こえていた。

「あいつめ……」

 リンは青いペンダントをいじりながら、頬ばかりか首筋までも赤くしている。恥ずかしそうに視線を彷徨さまよわせ、見上げてくるリンに息が止まりそうになる。

 ライアンの目元と耳も、ほのかに色づいた。

「隣に、これからも」

 ライアンが言葉を絞り出せば、リンはコクンとうなずいた。


 タラップの横で、見送りに来ていたタタンにシロを預けた。

 リンはため息をついた。六週間以上も離れ離れになるのはとてもさびしい。

「リンお姉ちゃん、大丈夫。シロはお利口だし、私もシロが大好きだからちゃんとお世話するよ」

 タタンがシロの頭をでながら言う。

「うん、ありがと。お願いね」

 リンはもう一度しゃがむと、シロの首に抱き着いた。クンクンと匂いを嗅いで立ち上がる。

「シロ、行ってくるね。待っていてね」


 領主様、賢者様、いってらっしゃいませ、の声に送られて船に乗り込んだ。

 オグが引率という形で、王都の天幕で働くローロやハンター見習いたちも一緒だ。

 顔見知りの文官や、天幕で一緒に働くトゥイルやマドレーヌたちギルド職員も見つけた。

 レーチェと針子の女性に、クグロフとブリンツの姿も見える。ブリンツは王都の金細工師のギルドに挨拶に行くようだ。

 精霊術師ギルドのギルド長は、リンのマントを見てうなずくと、丁寧に頭を下げた。

 このヴァルスミアに来て半年、なんてたくさんの出会いがあったのだろう。

 そして王都では、さらに多くの新たな出会いが待っている。


 船に乗り込むと、多くの者が左舷に並んだ。

 タラップが外されると、タイミング良くマストの帆が風をはらんで、船がゆっくりと岸壁を離れる。

 どうやらライアンが風を操っているようで、シルフが宙を飛び交っているのが見える。

 そのシルフが通りすがりに、リンの背にかかる精霊術師のマントをふわりと揺らした。

 見送りに来たエクレールが手を挙げるのが見えた。他の者も出発する家族に手を振っている。

 朝の光がまぶしい中、端の方にタタンとシロが小さく並んでいるのが見えた。シロがグイッと胸とのどをそらすと同時に、汽笛のようなとおえが聞こえてくる。

 しばらくヴァルスミアともお別れだ。遠くに聖なる森の緑が見える。

 リンも身を乗り出して、大きく手を振った。

「行ってきます!」