騎士やハンターたちが不審な男を探したが、見つからないまま大市は最終日を迎えた。

「冬と同じだな。大胆な行動を取るだけあって、逃げ足が速い」

「気のせいってことはないんですよね? 体調の心配をされていた様子は本当のようでしたし、お酒に興味がある人だったりするとか……」

 酒に目の色を変える人は多いではないか。リンの側にいるこの人だって。

 ライアンにため息をつかれた。

「……リン、世の中善人ばかりではない。菓子をもらってもついていくなよ」

「もう! 子供じゃないんですから、するわけないじゃないですか」

「珍しい茶があると言われてもだぞ」

「えっ。それはなかなかいいところを……。い、いえ、もちろん大丈夫です」

 あきれたようににらまれ、リンは慌ててうなずいた。


 最後に続いたアクシデントはあったものの、春の大市は例年通り閉幕した。

 大市の終わりは、まるで花火大会のようだった。

 最後にスターマインで盛り上がって、ドンッと大玉が上がる。後はその余韻が残っているような、一気に目が覚めたような、ふわりとした気分で家に帰る。

 初めて参加したリンだから、そう思うのかもしれない。

 周囲を見ても、淡々と、慣れた様子でやるべきことをしているようだ。

 街なかではハンターが天幕の解体や荷運びを手伝い、鍛えた屈強な身体を見せつけている。商業ギルドと街道につながる城門は、急ぎ帰路に就きたい出店者でどこも長い列ができていた。新規で仕入れた商品を、いち早く戻って売るのだ。

 リンは早朝から、ライアンと一緒に『船門』へ見送りに来ていた。

 大市からは、まず各国、各領の代表者が帰っていく。国王や領主が来ていたら、もちろん一番に優先される。

 最初は朝一の船でラミントンへ帰るラグナルだった。

「リン、ラミントンへも遊びに来てください。グラッセも楽しみにしています」

「ありがとうございます。ぜひ」

『船門』には警備としてオグが来ており、こっそりと別れに立ち会っていた。

 こっそりなのだが、領主の周囲にいるラミントン領の者にはバレバレだ。

 皆がオグの前で丁寧に挨拶をして船に乗り込んでいくので、オグは苦笑している。ラグナルはその様子を見て満面の笑みである。

「じゃあ、兄上、また」

 今回もラグナルは気軽に帰っていった。

 隣領は距離も心も近いのである。


『スパイスの国』の御一行が帰る時は、ひと際にぎやかだった。

 クナーファ商会が仕立てた船へと乗るのだが、そのクナーファの船はウェイ川のずっと上流にまで連なっている。

「まさかこの船、全部クナーファ商会の荷ですか?」

 つま先立って船団の後方まで眺めようとするリンの口はポカリと開き、目は真ん丸だ。

「うちの荷だけではありませんよ。運搬を頼まれたものもございますから」

 ロクムはなんでもないように答えた。

 クナーファは有名な大商会なので、どの領も国も安心して積み荷を預けている。ひょっとすると小国よりも裕福な商会であり、積み荷の数をされたり、逃げられたりする心配もない。

 黒の染料で行先の書かれた木箱や袋が、帳簿で品名と数を確認されどんどんと積み込まれてゆく。

「この船でラミントンの港まで行き、大船に荷を積みなおして海を行くのですよ。今回はウィスタントン領のおかげで通常よりも多い船団になりましたね」

 シロップのたるかさるらしい。

 文官に指示を出していたタブレットがやってきた。

「リン、充実した大市だった。礼を言う。ライアンと『スパイスの国』にも来てくれ。我が国も良い場所だ」

「はい。いつかお邪魔したいです」

「その前に、夏の大市か? リンも王都へは行くのか?」

 さあどうだろうと、リンはライアンを見上げた。

「……まだ決めてはいないが、参加も選択肢の一つにある」

「そうか。では、今年は王都で会えるかもしれぬな」

「毎年すべての大市に参加するんですか?」

「ああ。社交もあるし、我が国のような島国は大陸への輸出で経済が成り立っている。要人と顔をつなぐのも大事なおさとしての役目だ。年の半分近くは海外だな」

 これでもなかなか忙しいのだと言いながら、楽しそうに笑っている。

「リン様、もし王都にいらっしゃるようであれば、よろしければ茶の生産国の者をご紹介しましょう」

 ロクムのその言葉に飛び上がった。

「いいんですか!」

「私は商人です。良いものが増えそうであるのなら、全く問題がありません」

「ああ、これでお茶が! ライアン、絶対参加したいです」

 リンはこぶしを握り締め、完全に行く気になっている。

 全く商人は手ごわい、とライアンは吐息をもらす。

 それ以上に、リンが単純でコロコロと動かされているのだが。今も顔いっぱいの笑顔で、ロクムの持つ茶やリンが販売した白茶の話をしている。

「……珍しい茶があってもついていくなと、言ったばかりなのだが」

 ため息と共にこぼしたライアンの肩を、タブレットがニヤリとしながらたたく。

「ま、心配は尽きぬであろうが、いとしき者に振り回されるのも良いものだ」

 タブレットがライアンの耳元でささやいた。

「それに、あのように夢中なところも、かわいいと思っているのであろう? 『弟子』でなくなる日が楽しみだな」

「!」

 ライアンはハッとしてタブレットをにらんだが、親友の、昔から変わらぬからかうような表情を見て、ため息をついた。


「またご連絡いたします」

「それでは、また会おう。……リン、ライアンを頼むぞ。お手柔らかにな」

 ロクムとタブレットはそう言って、タラップを渡っていく。

「はい! って、お手柔らかになってどういうことですかー!」

 リンの声にタブレットは楽しそうに笑うばかりだ。

「もうっ。……またお会いしましょう! 楽しみにしております」

 リンは離れていく船に、大きく手を振った。


 しおりを挿したページをパラリと開き、一つ一つの単語を追っていくが全く進まない。

 リンが読んでいるのは、フィニステラ領の文官が過去に記したというお茶の栽培記録だ。

 夏の大市までに読んで返却をすることになっているのだが、日記みたいなものらしく、なかなか読みにくい字である。文字を追うのに首が自然とナナメに傾く。

「『四月、上の畑で。犬の領主が、楽しく見回り、私は一緒に』」

「リン、領主の犬だ。犬の領主ではない」

「ん?」

「『私の見回りと一緒に、領主の犬が楽しく走り回った』だ。誰かに読み上げてもらった方がいいようだな」

 執務室から出てきたライアンが、応接室で読んでいたリンの間違いを訂正した。後ろにいるシュトレンは笑いをこらえている。

 自分が音読した文章にリンも笑った。

 犬の領主に会ってみたいものだ。

「そうですね。そうしないと、大市までに終わりそうもないですね」

「リン、待たせた。馬車も到着したぞ」

 リンは持っていた日記を閉じアマンドに渡すと、ライアンの後に続いた。


 今日は館で大市の報告会がある。

 各部署で話し合われた改善点などの情報を共有し、すぐに『秋の大市』に向けて準備を始めるという。

「終わったばかりで、もう次の大市ですか」

「ああ。それでも準備がギリギリだな」

「あれ? 次の大市は王都のですよね?」

「『夏の大市』では各領の領主をはじめ、多くの貴族が王都に集う。街に各地の天幕も出るが、メインは社交だ。……リンは、王都の方へも行きたいのだろう?」

 リンが王都へ行く気でいるのを知っているが、ライアンは念を押した。

「……お茶の生産国の人に会えるなら」

「そうか」

「ライアンは王都にはあまり行かないんですか?」

「私が出る必要がある商談は、春と秋の大市ばかりだ。夏は商談というより、社交で貴族や領地のうわさばなしを仕入れるのが仕事じゃないか?」

 ライアンが皮肉っぽく言う。

 成人してから、ライアンは夏の王都へ行ったことはない。

 見合い話だの、賢者への相談だの、面倒事ばかりなので避けていた。だが、リンが行くのであれば、ライアンが同行しないわけにもいかない。

「う、それは、嫌ですよねえ。でも、私は社交がないので気が楽ですね。王都も見てみたいし」

 タブレットやラグナルとも会っているのに、お茶を飲んだり、料理を作ったりしているせいか社交だとは思っていないらしい。リンの認識が完全にずれているだけであって、その辺りとの会合は何よりも優先される社交のトップ中のトップ、館でもリンの社交だと捉えられているだろう。


 会議室に入ると、見知った顔が集まっている。

 大市前の会議ではリンも緊張していたが、春の大市で一緒に天幕で働いたメンバーなのでその分気が楽だ。

 文官が立ち上がった。

「それでは、これより春の大市報告会を始めます。秋に向けて、どうぞ皆様ご意見をお願いいたします。今回の商談では、領が始まって以来初となる規模で契約が成立いたしました。お手元の資料をご覧ください」

 会議室にカサカサと紙のこすれる音がする。

「昨年春の大市と比べますと、約二十六倍となっております」

 その数字に、おおっという驚きと喜びの入り混じった声があがる。

 資料を見ると、売り上げの半分はシロップと砂糖で、もう半分はほとんど『冷し石』『温め石』の精霊道具となっている。美容製品は個数が出ているが単価が安いので、全体の金額は少ない。リンの気になる薬草茶は、そこそこといったところか。

「シロップと砂糖はクナーファ商会の運搬協力があったことも大きく、輸送を気にせずに増量されたところがございました」

「クナーファとは今後も密に連携を取る必要がある。クナーファの扱う砂糖市場に食い込むには、それぞれに利がなければうまくゆかぬ。ロクムによると、バニラの流通が増えればクナーファ側では問題は少ないらしい。恐らく、クナーファ商会より来年度、何らかの契約を持ち掛けられるだろう」

 文官たちがメモを取っていくのに、リンも慌ててバニラのレシピ追加、と書く。

「『冷し石』『温め石』は今後各領の術師によって作られると思いますが、大市で試用に出した石はほぼすべて買い取られ、返却はありませんでした。規格外サイズの注文に関しては、必要なサイズを見極めてから注文が増えると思います」

 ライアンがうなずいた。


「それでは次に、秋に向けての準備について」

 別の文官が立ち上がった。

「全体の反省点として、週末に屋台の混雑が大きかったです。秋は場所を広げ、週末のみの出店も検討しております」

「混雑の理由はわかるか?」

「来訪者の増加です。今年は新商品の発表も多く、また天候にも恵まれましたので。秋は収穫祭の意味合いもあり、例年、春よりも来訪者が増えますので対策が必要です」

「わかった」

「次に、領の天幕での改善点です。商談前後に天幕で試食をすることが、契約への大きな後押しとなりました。館の料理人の協力のもと、天幕でもシロップや農産物を使ったかんを増やし、より多くの契約につなげたいと考えます。また、毎日お茶を飲みに来られる方もいらっしゃったことから、応接スペースを広げる予定です」

 タブレットのことである。

 野菜、フルーツ、シロップ、チップス、などと甘味用にメモを取っていたリンの手は、ピタリと止まった。

 ライアンも苦笑し、わかったとうなずく。リンのメモには工夫茶ゴンフウチャ準備と書き加えられた。


 薬事ギルドのマドレーヌが立ち上がった。

「薬草の美容製品、ならびに食品への利用という流れができましたので、これをさらに充実させていきたいです。資料の最後に、収穫が見込める薬草リストを添付してあります」

 薬草のリストとともに、薬事ギルドで考えたらしいフローラルウォーターやクリームに、どの薬草を使うかといった提案も書かれていた。

「フレッシュな薬草が採れる間にいろいろ試したいですね」

「できれば、リン様にもご協力をいただければ」

「はい。みつろうがあればキャンドルにも薬草が使用できます。あと、フローラルウォーターなのですが、蒸留時に精油が取れるものがあるので、実験には参加したいです」

「わかりました」

 ミント、タイム、カモミール、ローズ、将来的に原料に問題がなくなれば、ローズマリーに、ラベンダー。

 ヴァルスミアらしく、樹木系の精油があってもいいかもしれない。


「リン様、もしかして、他にもなにか新商品を考えていらっしゃいますか?」

 考え込んでいるリンに商業ギルドのトゥイルが尋ねると、息を詰めて皆がリンを見る。

 大丈夫だ、今度は秋まで日数があるのだからと、それぞれが気を落ち着かせていた。

「精霊道具で考えているのがあって……」

 リンも、ライアンに会議のことを聞いてから少し新商品を考えてきたのだ。

 ライアンが精霊道具と聞いて、片眉を器用に上げた。

「言ってみろ」

「サラマンダーとシルフで」

 サラマンダーと聞いたところで、ライアンが眉をひそめた。

「そんなに嫌そうな顔をしないでください。ライアンも知っている祝詞のりとですよ。『温風』です」

「あれか」

「『温風』が出るヘアドライヤーを作りたいです」

「リン様、それはどのような道具でしょう」

「温かい風が出るので、真冬でも髪を乾かしやすいのです。ブラシと一緒に使えば髪もサラサラできれいにまとまります」

 女性陣は、まあ、という顔をしているが、男性陣はピンときていないようだ。

「髪の毛だけじゃなくてですね、形を変えて足元に置いたら、寒い時に足元から温まります。大市の天幕で使えば、火の使えない戸外でも寒くないですよ? 冬場の馬車とかでも……」

 今度こそ、皆、おお! という顔をしており、ライアンも考え込んでいる。

「ふむ。同じ原理で冷風も出せるな。……夏の大市にでも持っていくか」

「えっ! 夏?」

「夏だと!?

「……夏」

 それはあと一月半ということだ。

 大丈夫、皆はもう慣れているはずだ。

 リンはそうっと周囲を見回したが、今回はゴクリとのどを鳴らす音が聞こえただけで、悲鳴は上がらなかった。



 会議の後、リンとライアンは文官に声をかけられた。

「実は館に届いた他領からの贈り物の中に、リン様宛の物が含まれておりまして」

「私宛、ですか?」

 リンは心当たりがなく、首をひねった。

「ラミントンか、ベウィックハムからだろうか」

「いえ、そうではございません」

「ラミントンだったら、直接、海老えびをいただきましたよ?」

 ラグナルが帰る前にまた海老をドーンと置いていき、おいしい海老団子スープになった。

「リン、あの海老は贈り物じゃなくて、土産みやげだ。女性への贈り物にさすがに魚介はない」

 大抵はその地方特産の布地に糸、貴石を使った宝石箱や、陶器の置物といった小物が贈られることが多いという。

「私、海老で良かったです。次も海老がいいですね」

 リンは真顔で答えた。


「わ、結構ありますねえ。なんだろう?」

 隣室へ案内されると、テーブルの上に、布地、つぼ、木箱などがずらりと並んでいる。

 リンはすたすたとテーブルに歩み寄った。

「ライアン様、こちらが目録でございます」

「ああ。……ん?」

 渡された目録に視線を走らせ、ライアンは目を瞬いた。

「どうしたんですか?」

「いや、どうやら贈り物の主流が変わったらしい。それともリンに合わせたのか」

 目録がリンに回ってきた。

 あちらこちらの領から、海塩、塩漬けの何かの実、乾燥きのこ、その地方独特の薬草、油など、食品もずらりと挙げられていた。

「食品が多いみたいですけど。でも、贈り主は知らない人ですね」

「あの、リン様は天幕に出ておられましたし、他領の者の間でも商品開発に携わっていると噂がございましたので」

「あちこちで調べられたってことですか」

 リンはため息をつく。

「ですからその、贈り物というよりは、リン様になにか新商品を作ってほしいといった期待が含まれているのではと思います」

 文官はすまなそうに言った。

「そういうことか」

「それなら良かったです。調べた上で、食い意地が張っているように見えたのではなくて」

「それは間違っていないと思うが」

 失礼なことを言うライアンにリンは口をとがらせ、不服そうな顔をしてみせた。

「否定はしませんけど! ……でも、おいしくいただけそうなので食材はうれしいですけど、何か作らないとならないんでしょうか」

「その必要はない。それなら正式に依頼をするのが筋だ。これはまあ自領の産物を見知っておいてくれ、といった程度の意味合いだろう。気持ちはわからなくもない」

「私もそのように思います」

 気が楽になり、目録を眺めながら一つ一つ確認していくと、贈り物らしい贈り物、布があった。

「これはまた、美しいレースですね。すごく目が細かい」

 目録を見ると、大、小二枚のレース編みが贈られている。

「あ、この贈り主のブラマンジェ領って、ウィスタントンから近いですよね?」

「ああ。すぐ南だな。これはブラマンジェ子爵領の特産だ。これ一枚の大きさを編むのに、ひと月はかかる」

 ライアンが手に取った布は、ハンカチより少し大きい程度である。

「あ! 大きいのは違いますが、小さいのは、ちゃんとフォレスト・アネモネの意匠になってます!」

「こちらはカリソン様が、リン様のためにご注文されたとか」

「ご領主夫人が?」

「はい。子爵領からは『大きいサイズをご注文いただいておりますが、製作が一年がかりとなります。今回お納めする物はリン様の御意匠ではございませんが、ご容赦ください』とのことです」

 容赦するもなにも、細い糸を使い、複雑で繊細な模様が編み出されたレースは素敵で、うっとりするほどである。

「そうか、母上が。この夏に使えるように頼んでくださったみたいだな。リン、ブラマンジェ領は、母上の実家だ」

「あの、御礼を申し上げたいです。このレースももちろんですけど、大市でティーセットも貸してくださったので」



 領主夫人との面会はすぐにかなえられた。

「リン、来てくださって嬉しいわ。ちょうどシュゼットとお茶をしていたところだったのよ?」

 ライアンと領主夫人のサロンへ入るとシュゼットもいて、そろって笑顔で迎えられた。サロンに二人がいるだけで、花が咲き誇ったような華やかさがある。

 飲んでいるお茶はリンが以前に持ってきた、川紅チュアンホン毛尖マオジェンだった。薔薇ばらやスミレの花びらの砂糖漬けを思い起こさせる風味で、フェミニンで華やかなお茶だ。二人にぴったりである。

 お茶菓子は、小ぶりで風味の違うクッキーが並んでいる。

 リンが丁寧にお礼を述べると、領主夫人はなんでもないことのように言った。

「ブラマンジェでは、女の子が年頃になるとレースを編み始めるの。結婚の時にそれをベールにするのですよ。夏場のけとしても使いやすいですし、リンの意匠のものは注文してありますから、来年の夏には間に合うでしょう」

「リン、私も、ショールをいくつか持っているのよ。毎年新しいレースが届くので、どう使うか悩むの。リンはどのようにするの?」

 シュゼットに問われて、リンは慌てて考える。そうはいっても、あまり服飾には興味のないリンだ。

「そうですね。大きいのは『レーチェ』で相談してみます。小さいのは、夏ですしハンカチか扇子にでもしようと思います」

「センスとは何かしら」

 現物がなく説明するのは難しい。

 骨があって、ここにレースや紙をつけて、このように開閉ができてと、絵を描きながら説明する。

「お母さま、これなら新しくて、美しくて、夏の社交でおするのに良いのではないかしら?」

 今日はシュゼットと夏の王都での社交の段取りをしていたという。

 領主夫人の隣には大きな帳面が開かれていて、今までの社交の詳細が記録されているらしい。

 身分に合わせて、いつ、どの家を招待するのか、ばんさんなのか、またはお茶会なのか。テーブルウェアはどれにするか、料理や茶菓をどうするか、と、細部にわたって検討するようだ。

「このように細かく決めておくとは思いませんでした」

「直前の変更はよくあることですけれど、できる限り決めておけば、館の者も準備に余裕が持てますでしょう?」

「夏は社交の本番ですもの。それに、お母さまのお茶会はとても人気なの。しっかり準備しなければ」

 晩餐会で出されたムースタルトが話題となったように、貴族でもトップクラスの公爵夫人が始めることは、衣装であれ、料理であれ、すぐに話題となる。

 同時に常に新しいものを期待され、気が抜けないらしい。

「リン、ムースを小さめの器でお茶会に出しても変じゃないかしら?」

 領主夫人が思案顔で尋ねた。

「大丈夫だと思います。例えばガラスの器でフルーツなどを飾れば、涼し気で見た目も美しい夏の菓子になると思います」

「まあ、それは素敵ね。使うフルーツをご招待する領の特産にしたら喜ばれるでしょう。その後、先方での社交にもお使いいただけるでしょうし」

 シュゼットもうなずいた。

「ええ。ウィスタントンのフルーツと合わせても、領同士仲良くやっていくことを示せますわね」

 ムース一つにそこまで配慮をするのか。

「……おもてなしの準備って大変なのですねえ」

 貴族のお茶会という名の噂話会場だと思っていて、悪いことをしたと思う。

「本当にそうなのよ。お母さまはお上手なのだけれど、私はまだまだ苦手なの。社交の失敗はそのシーズン中ずっと噂になってしまうわ」

 シュゼットはため息をついている。

 いや、どうやらやっぱり噂話会場らしかった。


 夏と秋の大市に向けて製作するものをリストアップして、いくつかの班が組まれることになった。


 一班 新規精霊道具開発

  『温風石』『涼風石』『凍り石』を開発する

  担当:ライアン、文官、クグロフ、リン


 二班 センス製作

  担当:クグロフ、レーチェ、文官、リン


 三班 新規菓子開発

  担当:ブルダルー、館料理人、リン


 四班 デザート用の皿製作

  担当:クグロフ、ラミントン磁器担当者、文官、リン


「こんな感じで大丈夫でしょうか」

 シムネルが書き留めてくれたメモを見ながら、ライアンと話す。

「リン、班がもう一つだ。レーチェとリンで、リンの衣装班がいる」

「ん? レーチェさんにお任せなので、いらないと思いますけど」

「大きいレースをどうにかするのだろう? 夏に王都へ行くのなら、衣装に使えば母上もブラマンジェ領の者も喜ぶのではないか?」


 こうして五班ができた。


 五班 リンの衣装

  担当:レーチェ、リン


 春の大市の前は、今日だ、明日だといった性急さだったため、それよりも余裕があるように思うが、決して十分な時間があるわけでもない。

 新しい菓子開発以外は担当者が重なるので、一度に集まって済ませることになった。

 ライアンが、新商品のために磁器の注文を入れる予定だとラグナルにシルフを飛ばすと、担当者を派遣してくれることになった。

 ありがたい話だ。話が早く進むし、領主専用の飛伝の像を使ってラグナルを伝言係にしなくて済む。



 今日はリストアップした新商品の開発打ち合わせが行われる。

 新規商品の精霊石に関しては、リンとライアンで相談すればいいことである。

 人が集まる前に、ライアンとリンは工房に籠り、必要な祝詞のりとについてまとめていく。

「リン、まず『温風石』はサラマンダーとシルフだが、何か特注したいことはあるか」

「ヘアドライヤーは、風の強さが『強い』『弱い』と二段階あると便利です」

 リンはドライヤーを思い浮かべながら言った。

「それだと調整がシルフだけなので、大きな問題はないな。『そよ風』で弱く、『強風』で強くなる」

 ライアンは風の加護石を握り、『そよ風』と『強風』の風を出してみせる。

 大嵐のような風が吹きつけた。

「ぶ。ライアン、これだと強すぎです。髪がぐちゃぐちゃになります」

「それでは『たこげ』か『通り風』ぐらいが適当か」

 ライアンは更に二つの風を出し、リンが『凧揚げ』の風にうなずくとメモを取った。

「あと、シルフの『送風』だけってできますか?」

「可能だが……。石を互いに打ち付けるというコマンドを魔法陣に入れているので、風の石がもう一つ必要になる。価格が上がるが、いいか?」

「あ、じゃあ、いらないです。あと部屋を暖めるヒーターの方は、風がこう、一か所に当たらないよう、横に動くように出せると広範囲で暖まります」

 リンは手をあおぐようにして、ライアンに伝えた。

「……できるはずだ。やったことがないので、少し考える」

「『涼風石』も同じように動かしたいです。あと、これは『送風』と『涼風』の両方が出るのが理想です」

「オンディーヌとシルフの組み合わせでやろうと思ったが、そういうことなら、風の石を二つの方がいいか。水が入った方が冷却の効率がいいのだが」

 ライアンは指でトントンと机をたたくようにして、考えている。

「ライアン、冷室ほど寒くしないでくださいね? 風が当たるだけでも暑い時には十分気持ちいいですから」

「それなら、冬というより秋風ぐらいか。リン、これはどうだ。『かりがね渡し』、それから『紅葉散らし』」

 初夏なのに、背筋がすうっとする風が工房を吹き抜けた。

「なんか、きれいな響きの祝詞ですね」

「王国初期の、戦争をしていない時の術師は、祝詞を競って作り、遊んだようだ。今なら精霊道具の質や魔法陣の優秀さで競うが、昔は魔法陣などなかったからな」

「優雅ですねえ。この二つなら『紅葉』の方が涼しいかなあ」

「それで試してみよう」

 ライアンもリンも、実用一辺倒である。

「でも、『涼風石』の需要ってありますかねえ?」

「南方の領地や国は購入するのではないか? 特にタブレットは新し物好きだから、飛びつくぞ。宮殿中に設置しそうだな」

 ニヤリと笑ったので、売りつける気満々だ。

 久しぶりに王都に行くのだから、社交ではなく商談をして、せいぜい多く買ってもらおうではないかとライアンは楽しそうだ。


『凍り石』で作りたいものは、いわゆる冷凍庫である。

 すでに冷室があるのでそれのアレンジで可能ではないかと思う。

「冷室より冷たく、氷ができて、維持できる冷凍室か……」

「『極寒の風』より冷たい祝詞ができますか?」

「できる、というよりすでにあるが、不用意に使えぬ祝詞だ」

 ライアンはかなり難しい顔をして考え込んでいる。シルフなのに、サラマンダー以上に大変なのだろうか。

「この前みたいに、力の使いすぎになるとか?」

「そうではない。まあ、大型になればあり得るが……。『瞬間氷結』や『氷塊』の祝詞や道具は、主に軍事用だ」

「軍事用!? 冷凍で?」

「ああ。兵も軍馬も、瞬時に凍らせることができる。大型の道具になれば、一個隊、宮殿を丸々凍結できる」

 その過激な使い方に、リンの口はポカリと開いたままだ。

「瞬時に凍らせる必要はないというか、そんな危ないのは要らないんですけど……」

「ふむ。冷凍室に入れる肉や魚は、すでに動かぬか。それなら『氷結』の祝詞で十分だ」

 旨味や鮮度を閉じ込める急速冷凍が頭をよぎったが、怖いことになるかもしれない。

 リンは何も気づかなかった振りをしてうなずいた。

「しっかり検証して、危なくないものを作りましょうね?」



 会合の出席者が到着したと連絡を受け、ライアンとリンは応接室に向かった。シムネルもメモをまとめ、後に続く。

「細かな温度調整は精霊石を作りながらになるな」

「そうですね」

「リン、それ以外の道具だが、どれを優先して作る?」

 リンは状況を考えた。

 特にクグロフの負担が大きい。

 ウィスタントンのにあるクグロフには、ウィスタントンが最初の注文を出すべきと言われ、リンは家具の注文を出している。というよりも、ライアンがリンの家具を依頼していた。

 ライアンも、領主一家も、自分の意匠の入った家具はすでに一通り持っており、持っていないのがリンだけだったのだ。

 大市では他の注文も入っていると聞いている。自分の家具はいつになってもいいけれど、優先順位は決めるべきだろう。クグロフが困る。

 グノームじゃないのだから、お願いして一瞬でできあがるものではない。

「夏の社交に間に合わせたいのは、扇子でしょうか。他は秋でもいいですし」

 応接室には、レーチェ、クグロフがいた。レーチェの後ろには針子が控え、手には布の束を抱えている。それを置けるように、シュトレンが小テーブルを動かしていた。

 ライアンとリンが部屋に入ると、皆が礼をとった。

「あれ? ラミントンの担当の方も今日お越しになりますか?」

「ああ、船の到着が昼前だそうだ。話している間に来るだろう」

 リンとライアンが座ると、皆もそれぞれの席に着き、さっそく話し合いだ。

 アマンドが紅茶をれてくれる。

「大市が終わったばかりで、すまない。夏から秋に向けての新商品の提案があって集まってもらったのだ」

 ライアンがリンにうなずいて、まず扇子の説明からすることになった。

「まず、夏の社交までに作りたいものが扇子です。夏に涼を得る道具なんですけれど、特に女性の装飾品としても使います」

 リンは扇子の絵を描きながら説明する。絵だと、紙がつながっている様子とか、折りたたむ様子を説明するのが難しい。

「このように木の骨があって、この部分がまとめるかなめです。ここに今回ブラマンジェ領からいただいたレースや紙を貼るんですけど、わかりにくいですかね……」

 絵を見ながら考え込んでいるクグロフを眺め、リンはもう一枚の紙を蛇腹に折ってみせた。

 蛇腹の端をまとめて押さえ、反対側を閉じたり開いたりして、イメージを伝える。

「紙と布の部分はこういう風に繋がっていて、閉じて持ち、開いて扇ぐんですけど」

「わかります。すべて重ねて閉じるには、この部分が薄くて真っすぐな骨がいるんですね」

「そうです、そうです!」

 クグロフがさっと描いた扇子は、リンの描いた棒が並んでいるような絵よりずっと美しかった。

「なんか絵からして、私のと全然違いますね……」

 自分では下手なつもりはなかったが、比べてみると線の一本からして全く違う。

 絵を見比べてがっかりしているリンに、皆が口元を緩めないようにしていた。シムネルに至っては、横を向き、肩が震えていて笑っているのが丸わかりだ。

 リンはジロリとシムネルをにらんだ。

「木の種類や、大きさなどのお好みはありますか?」

「女性が持つものなので、重く、武骨にならなければ。木はお任せします」

 レーチェが、後ろの針子からレースを受け取って確認する。

「レース部分は、館からお預かりしているものから出せばいいのですね?」

「ええ。柄がより美しく出るようにカットしてほしいです。あと、扇子の要の部分からタッセルを下げてもきれいですよ。衣装の色に合わせたりして」

「まあ! 素敵だわ。このレース部分は他の布でもいいのでしょう?」

「ええ。ドレスと合わせた布でも、あと紙に絵を描いてもいいんですよ。私の分は紙にしようと思っていて」

 リンは自分のフォレスト・アネモネ柄の小さなレースを手に取りながら言う。

「そのレースを使わぬのか」

「ええ。たぶん、これは少し高さが足りないので。私も紙の方が慣れていますし。レースは他のもので使用できれば」

「わかった。では、クグロフ、これが夏までの最優先だができそうか」

「問題ありません。最初の一本だけ、細かな調整が必要ですが、それが決まれば、後は皆で手分けしてできますので」

「では、その次の精霊石と組み合わせるものだが、リン、これの説明を」

『温風石』と『涼風石』はヒーターとクーラーになるのだ。

 ヒーターは床に、クーラーは上の方に設置すると説明し、次にヘアドライヤーの形を描くと、ライアンがその紙をひょいと手に取った。

「リン、これはあまり美しくない」

「そうはいっても、ドライヤーは他の形を見たことがないです」

 リンが描いたのは、よくある、手で持つタイプのドライヤーだが、ライアンは気に入らないらしい。

 ドライヤーは機能が大事で、リンは美しさを考えたことはなかった。

「温風が出て、重くなくて、熱くなければ、形はなんでもいいですけど」

 シルフ飛伝の道具が、シルフをイメージした形となっているように、ああいう像を作らないとダメなのだろうか。ならばサラマンダーの形だろうか、と、火トカゲが口から火を吐くイメージが、リンの脳裏に浮かぶ。

「あ、像にするのならシロがいいです。シロの首輪に石をつけて、それを動かすと口からぐあーっと温風が出るとか?」

 ドライヤーの絵の横に、ちょこんと座るシロの絵を描く。口を開けてワンとえている犬のようだけれど、これはシロだ。シロのつもりだ。

 ライアンはじっと絵を見ると、その意見を無視することに決めたらしくクグロフに向き直った。

「クグロフ。形はまた、後ほど相談しよう。石だけの販売もできるから、急がぬ」

「かしこまりました」

 扇子はどのぐらいの大きさがいいのか、誰のものを作成するのか、紙製はどんな感じにするのか、と細かな点を詰めていると、ラミントンの担当者が到着した。


「ライアン、リン、また来てしまいました」

 ついこの間帰ったばかりの、ラグナルが同行している。

 苦笑するライアンと、え、と固まったリンに、隣に立っていたオグが言った。

「『船門』からギルドにいた俺に呼び出しが来たんだよ。全く領主のくせにフラフラと来やがって」

「リンの新商品なら、私も知りたいです。ウィスタントンだと日帰りできますから」

「じゃあ、今日は日帰りだな?」

「いえ、兄上、せっかくですから泊めてください」

 兄上にも会えますし、チャンスは逃しませんとラグナルは笑っている。

 シュトレンとアマンドが慌てて席を整え、お茶を入れ替える。

「それで、ラミントンへのご注文はどのようなものですか? 新商品だとうかがいましたが」

「ええと、この間、ご領主夫人が社交の準備をされているところにお邪魔しまして。社交で使えるような磁器を注文したいのですが、お茶会用の三段プレートなんです」

「三段?」

 リンがイメージしているのは、アフタヌーンティー用の三段になっているケーキスタンドだ。

 これもベルのような絵を描き、手で高さを示しながらその形を伝える。

「このスタンド部分は金か銀にして、真ん中にお皿を置ける輪を作って、その上にお皿を載せるんです。一番上が小さい皿、下段の皿が大きくなるように」

「ティーセットの注文はよくありますが、こういう形を見るのは初めてです。高さがあると目立ちますし、華やかでお茶会でも話題になりそうですね」

 ラグナルがラミントンの磁器担当者を見て言う。

 描いたスタンドに薔薇ばらの花や鳥を描き加えながら、リンは続けた。

「ええ。このスタンドと皿の装飾を合わせると、さらに美しいと思います」

 木工細工ではないけれど大丈夫だろうかとクグロフを見ると、大丈夫です、とうなずいてくれた。

「茶器と同じように、リンの花をデザインに入れればいいでしょうか?」

「私もいずれは欲しいですが、夏の社交用なので、まずご領主夫人の花がいいと思うんですけれど」

 ライアンもその言葉に、同意した。

「いつも母が頼む薔薇のモチーフがある。スタンドは金で、デザインはクグロフとガレットに任せておけば問題ないだろう」

 リンの絵をチラリと見ながら言うのがしゃくに障る。リンだって美しいものはわかるのだ。ただ、それを描き表せないだけで。


 この後はそれぞれのチームごとに詳細を詰めるようだ。

 ラミントンの担当者は頻繁に来られないので、この場でクグロフと大きさやデザインまでを話し合うらしい。ラグナルも婚約者のグラッセのためにケーキスタンドを用意するようで、後の方でいいから、とすでに注文を出している。

「あ、夏の社交用にもう一つ、レースの扇子を作るんですけど、グラッセさんの分もお作りしますか?」

 クグロフが描いた扇子の絵を見せる。

 この夏は領主夫人をはじめ、数名がブラマンジェ領のレースを使った扇子を持つことになるだろう。

 ラグナルは少し考え、首を横に振った。

「将来的には欲しいですが、秋の婚礼が済むまでは、グラッセはあまり目立たない方がいいんです。悔しいですが、男爵令嬢の立場で公爵夫人や令嬢方と同じものを使うと、うるさく言う者もおりますから」

「面倒だよなあ。妬みってヤツは」

 オグが顔をしかめる。

 リンもそれを聞くと不安になった。

「あー、じゃあ、私もやめた方がいいかもしれないですね。扇いで涼を取れるので、紙で作ろうと思ったんですけど」

 蛇腹に折った紙で、ヒラヒラと扇いでみせる。

「発案者だから、いいんじゃねえか?」

「リンが作るのだからいいだろう」

「では、同じようにグラッセにも紙でお願いします」

 ライアンとオグの勧めもあり、そのまま作ることになった。


 会合の最後に、今夜は家で飲もうぜとオグに招かれたライアンは、執務を終わらせるとオグの住居へ向かった。

 昔アルドラに師事していた頃は、オグはウィスタントン公爵の館に寄宿していた。ラミントンの父侯爵に勘当され、ウィスタントンに戻ってからは住居を転々としていたが、ハンターズギルドのギルド長になった時にギルド近くにある今の家に落ち着いたのだ。

 通りは被服関連の職人が多いエリアで、『レーチェ』からもそう遠くはない。

 オグの住む家は、一階は染色の工房になっており、ライアンが到着した時にはすでに閉まっていた。工房脇の階段を上り、三階へ向かう。

 オグは三階の部屋をすべて借り切っている。

 二階は工房主の家族と染色の職人、針子などが住んでおり、女ばかりの所帯にオグが住んでくれて心強いと喜ばれている。女性が多いところで、嫌がられることなく歓迎されているのはオグの人柄だろう。

 オグに迎えられたライアンは、ピクニックバスケットをテーブルに置いた。

「ん? ライアン、何を持ってきた?」

「酒のつまみだそうだ。酒を飲むなら食べながらにしないと身体に悪いと、リンに持たされた」

「リンが作ったつまみですか。それは楽しみですね」

 ラグナルが籠を開け、中からせっせと皿や布に包まれたつまみを取り出す。

 一部は小さな箱に『温め石』と一緒に入っていた。

「これ、箱が温かいですね」

「新作だそうだ。執務室まで良い香りが流れてきたが、たぶんガーリックだ。食べて感想をくれと言っていたぞ」


 オグが側に置いた小型冷室からミード酒を取り出し、グラスに注いでいく。

「ヴァルスミア・シロップで作ったミードだ。できたてだぞ。エクレールが用意してくれてな」

「ああ。昨夜、同じものが館にもリンにも届いていたな」

「シロップを蜂蜜の代わりにした酒ですね」

「そうだ。ハンターたちが待っていた酒がやっとできたな」

 これでハンターたちは来年も頑張ってくれますね、と、ほっとしたように言ったリンの顔をライアンは思い出していた。大市の間は酒に回す分のシロップが残るかどうかを心配しており、酒ができなければ暴動になります、とひどく真面目な顔で言っていたリンだ。

「再会を祝して乾杯しましょう」

「再会というほどでもねえけどな。ラグ、お前が来すぎなんだよ」

「いいではありませんか、兄上。週末なんですから。今回はウィスタントンとの新商品開発のため、と言ったら、諸手を挙げて送りだされました」

 自領の産物で作られた新商品はラミントンでも大変喜ばれたようだ。

 兄上に会いに来やすくなりましたとラグナルは笑顔で、そんな弟を見るオグの目も優しい。

「さ、乾杯しましょう。ドルーと精霊に!」

「「ドルーと精霊に」」

 ミード酒は濃厚で甘い、トロリとした酒だ。ラグナルにはちょうどいいようだが、ライアンとオグには甘すぎる。

「確かサントレナのレモンがバスケットに入っていたはずだが」

 これをかけてください、と説明されたレモンを切り、ライアンはミード酒にギュッと搾ってオグに渡した。

「リンは用意がいいな」

「ああ、つまみに搾ってかけろと言っていたんだが」


 ラグナルがいそいそと、つまみに掛かっていた布を外す。

「この二つがチーズで、くんせいのものと、こっちがスパイスと薬草をまぶしてある」

 ライアンが燻製の香りを好むのでいつも用意してくれている。

「で、これがポテトサラダとチップス」

「お、それが新作か?」

「私は食べたことがあるが、新作といえば新作だな。でも、良い香りをさせていたのはこっちだ。鶏のから揚げというらしい。これにもレモンを搾るといいらしい」

 ライアンが『温め石』を入れた木箱の蓋を開けた途端、ガーリックの香りが鼻をくすぐる。

 中からチーズクロスのかかった木皿を二つ取り出した。

「半分がガーリックで、半分がシロップとマスタード風味だそうだ」

 ラグナルが目を輝かせた。

「早速、いただきましょう」

 見たことがない料理と食欲を誘う香りに、ラグナルはナイフとフォークを手に待ちきれないようだ。一番に、香りの強いガーリック風味のから揚げを皿に取った。ライアンとオグもそれに続く。

 ラグナルは半分に切り分けたが、オグは丸ごと口に押し込んだ。まだしっかりと温かく、柔らかい肉をむとじゅわりと脂があふれた。

「うおー、これはビールだな。絶対ビールだ」

 オグはさっさとビールに切り替えることにしたようで、小型冷室から陶器の瓶を取り出した。

「オグ、私にも頼む」

「おいしいですね。ガーリックと一緒に焼いたのでしょうか」

「『揚げないから揚げ』だそうだ。本当は天ぷらみたいに油で揚げるようだが、これは窯で焼いたらしい。こっちも『揚げないチップス』と言っていた」

「リンの故郷では揚げてあるということでしょうか。元を知らないからなんとも言えませんが」

 ラグナルは次に、チップスをつまんだ。

「それはじゃがいもを薄く切って焼いただけらしい」

「リンの料理は珍しい上に、うまいよなあ」

 オグはシロップとマスタードのソースをかけたから揚げに手を伸ばした。まず一通りすべてを味わってみたいらしい。

「うん。こっちもなかなかだ……」

「兄上、どちらのから揚げがお好きですか? あ、このポテトサラダもソースがおいしいです」

 何が入っているのだろうと、ラグナルが白いサラダをフォークでつつく。入っているのはじゃがいも、玉ねぎ、そら豆、ハムだ。ライアンも気に入ったまろやかなソースでえてある。

「そのソースはマヨネーズというらしいぞ。昨日はパンに塗られていたが、おいしかった」

「ライアン、レシピが欲しいです」

「ブルダルーが書いていたようだから、まとめて届けられるように手配をしておく」

 ビールと交互につまみを一巡りしたらしいオグが、一息ついた。

「リンは最近、料理に凝っているみたいだな」

「そうだな。それに春になって市が充実してきて、出向くのが楽しいらしい。大市に出たのも良かったのだと思う。人と話すのにも緊張が取れたらしくて、シロを連れて前よりよく出歩いているようだ」


 大市の終わりに薬草とスパイスが手に入り、かんりょうやオイルも増え、リンは遠慮をせずに料理を作れるようになった。大市の期間ブルダルーは館にいることも多くて、ちゅうぼうのかまどに慣れたこともある。

 リンの作った料理は館で再現されるらしい。リンが買った食材は後から館の料理人が大量に買うので、農村から売りに来た者も喜び、市で礼を言われオマケをもらって帰ってくることも多かった。

 冬は寒さのせいもあって家に閉じこもりがちだったリンが、こちらの生活に慣れるに従い行動範囲が広がり、領民にも受け入れられているのはライアンにとってもうれしいことだった。

「リンがここにんだのは、本当に良かったな。俺たちもこうやってうまいものが食える」

「料理だけじゃなく、他にも変化が出てきた。初めはリン自身が欲しいものを作り、それを発展させたものが商品になった。この間の会合では最初から母上の社交に使えるものを考えていた」

「ほう。大市でリンにも思うところがあったのかもな」

「新商品や新しいレシピの開発を、仕事のように思い始めているかもしれぬ。大市の終わりにリン宛に届いた贈り物も食材が多かった。会議でも意見を聞かれるし、自分への期待は感じているのだろう」

 オグが眉を寄せた。手に持つグラスを揺らしながら言う。

「贈り物に食材って、けっこう露骨だな」

「本人は装飾品よりも喜んでいるが」

「皆がリンに注目しています。この春のウィスタントンの新商品は驚くものばかりでしたし、ラミントンもだいぶ助けられました。なんとか自領のためにもと思う気持ちは痛いほどわかります」

 ラグナルは一つうなずいた。

「ああ。その気持ちが傲慢な命令にならなければいいのだが」

「……ライアン、夏にはリンも王都へ行くんだろう? 春の大市でもいろいろあったじゃねえか。大丈夫なのか?」

「ええ。私も少し心配していたのです。王都はヴァルスミアとはまた違いますから」


 販売と商談の場としての大市は、ウィスタントンの春と秋の大市から始まった。

 夏の大市は貴族の社交が中心で、そこに大市としての体裁を後から整えたようなものだ。

 国内の貴族が集まるし、王城と貴族の館での社交が重要視される。その社交で情報を得て親交を深め、後の商談につなげていく。

 街には各地の天幕も出るが、商談の場というより街の人間への販売拠点という役割だし、王城と街の中心までの距離も遠い。

 集まる人の数も、ヴァルスミアの比ではない。

「リンは社交には興味がないし、街の天幕に出るつもりでいるようだ。ラグやタブレット、茶の栽培国の人間には会いたいらしいが」

「あれだけうわさになっていてはきっと難しいでしょうね。各地で調べられているでしょうし、接触してくる者も多いでしょう」

 春の大市でも、不審なやからがリンに接触したばかりだ。

「そうだよなあ。それに心配なのはリンについて出回っている情報は間違っているものが多いってことだ。難民だとかライアンのあいしょうっていうのを信じて、軽く見るヤツもいるだろうしな」

 ライアンは愛妾という言葉に、オグをジロリとにらんだ。

 リンが天幕で暴言を吐かれたのもその噂が原因だ。まあ、あの令嬢に問題があることも確かだが。

「俺をにらむなよ。なあ、安全を考えるなら、精霊術師としておした方がいいんじゃねえか? すべての加護持ちなら、ライアンの、いや国の庇護があって当然だ。護衛も付けられるし、手も出せなくなる」

「そうですね。賢者見習いなら身分は王族相当、いえ、それ以上の別格として扱われますから」

「それも考えてはいる。だが……」

 ライアンは、ほうと息をついた。

「私は生まれてからずっとこの立場だが、リンは違う。今でも期待されているが、それ以上のものを負うことになる」

 崇拝と期待を一身に受け、国に対しても多くの責任を負うことになる。

 次代の賢者が生まれ、それを教え導き、自分と並び立つまで。

 オグが手に持っていたビールをトンと置いた。

「なあ、ライアン。お前がリンに選択肢を残してやりたいのはよくわかるぜ。だがな、リンにとって幸運なことは、たった一人の賢者じゃないってことだ。リンにはお前がいる」

「そうですね。重責を負う時に、それを一緒に担ってくれる者が、心を支えてくれる者がいるのは本当に心強いと思いますよ」

 ラグナルもうなずいた。

「ああ。リンときちんと話して、決めるべき時がきているのだろうな」

 もし術師となるなら、こちらでの生活を楽しみ始めたリンの環境は、ガラリと変わることになる。

 ふっと息をつき、ライアンはほろ苦いビールを飲み干した。



 工房脇の執務室で、ライアンを前にリンは思案気なため息をついた。

 手元には精霊石の核となるフォルト石の山があって、石を大きさでけている。

 精霊術の勉強時間は、ここ最近、フィニステラの文官による茶の栽培日記を読むことに当てられている。といっても、読み上げているのはライアンだ。リンだと「領主が犬」になってしまう。

 私的な日記とはいえ他領の記録なので、ライアンかシムネルが読む。聞いているだけでは申し訳ないと思ったリンは、同時に手作業もしているのだ。


 日記はまだ最初の方で、文官がやる気に満ちていることぐらいしかわからないが、ため息をついたのは、フォルト石や日記のせいではなく全く別のことだ。

 王都へ行くとリンも社交が要求されるだろうということと、精霊術師として登録した方が今後のためにいいだろうと、ライアンに説明されたばかりだからだ。

「王都で社交をするつもりはなかったんですけど、そうはいかないんですね?」

「春の大市でリンのことが知られたし、多くの人から交流を望まれるだろう。断ることもできるが、それが続くのも不敬と見なされたり、業を煮やして天幕を訪れることもあるやもしれぬ」

 不愉快なできごとを思い出し、リンの眉間にしわが寄った。

「あんなのがまた……。精霊術師見習いとして登録すると、それが避けられる、と」

「ああ。リンの場合は賢者見習いとなる。そうなると護衛が付けやすいし、近づこうとする無礼な者も減るだろう。他には貴族の養女になるという方法もあるので、リンが望むなら父上に頼むこともできるが」

「いえ、さすがにそれは……」

 貴族応対も少しは慣れてきたが、自分自身が身分を得るというのには首をひねってしまう。

 さらに気が重いのは、精霊術師見習いとして登録するということは、同時に国中で二人しかいない賢者の、三人目の見習いとして認知、披露されるという意味だからだ。

 だからこそ守られることになるのだろうが、その高すぎる地位と大きすぎる責任を前にどうしてもしり込みしてしまう。

「普通でいいのにな」

 考え事をしていると手元がおろそかになり、違う大きさのフォルト石が混ざってしまう。慌てて正しく分けなおすと、手に持った石の袋を置いて話に集中した。

「今のままではダメなんですね?」

「嫌か」

「嫌というか……。そうすれば問題が減るのはわかります。でも、登録後の自分の生活がどう変化するのかわからなくて。少し怖いというか」

 このままでいたい、というのがリンの甘えだということはわかっている。だから嫌だとも言い切れなかった。

 リンをライアンの愛妾だと決めつけた女性も、もしリンが賢者見習いとして周知されていたらあんな騒ぎは起こさなかっただろう。不審者らしき男性が現れた時も、もし護衛が付いていたら気軽に声をかけられなかったかもしれない。今の状態は中途半端で、結果として周囲で騒ぎが起きている。

 そう思うと、ライアンの言っていることがよくわかるのだ。

「まあ、簡単に決められるものでもないな。怖いというのもよくわかる」

「私、精霊術師になるということが、たぶんまだ、よくわかってないんですよ。……精霊術師ギルドに行ったこともないですしね。苦手感があるというか」

 ライアンの進学を拒否した精霊術師ギルドにも、あまり良いイメージを持っていない。アルドラ、ライアン、オグが、それぞれめたようなギルドである。

 それでも、シロップ造りや『冷し石』の作業で出会った精霊術師は皆、感じのいい人ばかりだったし、ハンターズギルドをはじめ、商業、薬事、木工などのギルド職員と大市で共に奮闘したが、全員、領の発展のために一生懸命で悪い印象は全くなかった。

 もしかしたら、精霊術師ギルドも悪いものではないかもしれない。

「そうだな。確かに忙しさを理由に、リンには精霊術の基本的なことも教えられていないな」

「魔法陣とか少しは刻めるようになりましたけど、まだまだですよね」

「そこだけ実践で使ったからだな。それ以前に、術師の体調管理などについても全く話してなかっただろう?」

「ええ、まあ」

 リンの場合、覚えた精霊術にだいぶムラがある。

 術師が最初に苦労する精霊の力を借りることに関しては文句のつけようもなく、でも普通の術師が知っていることを系統立てて教えられてはいない。

「この日記は茶の時間に読み進めるとして、やはりリンにはもう少し精霊術の基本を教えるべきだな。……忙しそうだが、時間はあるか?」

 衣装用のレースはすでにレーチェと話し合って、後は仮縫いだけだ。ケーキスタンドと扇子はクグロフの作業待ちで、紙の扇子も、花の意匠はウォーターマークで透かしを入れることになったので、そちらもリンは確認と助言だけである。

「うーん、どうでしょう。せっけんや美容関連の製品は、材料があるこの季節になんとかしないとならないものが多いですね。料理は、材料がそろえば師匠たちと試作する予定です。一番時間がかかるのが精霊石を使う新商品の開発ですね、やっぱり」

 テーブルの上でフォルト石が山になっている。新商品の検証にたくさん必要なのだ。

「リン、木や石に対してなら、グノームを使うのだ。グノーム、セパランダ大きさで マニデューディネ分けろ オブセクロ頼む

 ライアンが祝詞のりとを唱えると光のオーブが飛び回り、石がカタカタ、コロコロと動きだした。

「これの一部は新しい術師見習いの加護石となる。来週、精霊術師ギルドでその授与式があるが、その時一緒にギルドへ行ってみるか? 自分の目で見て、よく考えてから決めるのでも遅くはない」

「いいんですか?」

 今、決めなくて、という言葉をみ込んだ。

「ああ。自分で納得してどうしたいのか決めるべきだ」

 その立場の重さを理解しているからこその言葉だった。


 リンは久しぶりに朝からお風呂に入り、アマンドが身支度を手伝っていた。

 今日はネイビーブルーに金の縁取りがされた、精霊術師の儀式用マントを初めて身にまとうのである。アルドラに言われて作ってはあったが、できあがってからも着る機会がなかった。

 ベルベットのような生地に指はなめらかに滑り、襟は高く、裾は足首までをしっかりと覆う。左腕を見れば、オークとヤドリギの枝が交差し、四大精霊と王冠が描かれたウィスタントンの紋章がししゅうされている。

 ライアンが纏うのを眺めては、かっこいいと思っていたマントだが、自分が実際に着るとなると緊張する。

 一目で精霊術師だとわかるマントで、この色の意味するところも知っている。

 金糸、銀糸でできたタッセルを結び、マントの襟元を留めてくれたアマンドが、れとリンを見た。

「リン様、よくお似合いですわ。なんてご立派な精霊術師でしょう」

「ここにウィスタントンの紋章まで入ってますけど、いいのかなあ」

 アマンドの言葉に、マントの左腕の辺りを引っ張りながらリンは少し照れた。

「もちろんでございますよ。リン様はウィスタントンのにあるのですから。さ、ライアン様がお待ちになっておりますよ」


 階下に下りると、同じように儀式用のマントを羽織ったライアンが、シムネルと共に待っていた。

「術師のマントができていたのだな。よく似合う」

「身が引き締まる感じがしますね。……ライアン、髪を結びますか?」

「いや、今はこのままでいい。戻ってから頼む」

 シムネルから準備された道具を渡されライアンと外に出ると、リンの足元にシロが寄ってきて並んで聖域へと向かった。

 森に入ると木陰のおかげで少し涼しくなったように感じた。

「このマント、結構暑いですね」

「今年はまだいい方だ。冷室の氷が溶けるほどの暑さになった年は、ひどいものだった」

 そう言いながらもライアンは風の加護石を握り、『そよ風』をシルフに頼んだ。

 やわらかな風が木々の間を抜けていく。それだけで心地よさがだいぶ違う。

「……やっぱり、ライアンは違いますね」

「ん?」

「私は暑くても、シルフで風を起こそうなんて考えもしませんでしたよ」

 サラマンダーでかまどの火も調節できるようになったし、自分では精霊術にだいぶ慣れたと思っていたリンだが、風を吹かせようとは思わなかった。風は起こすものではなく、自然に起こるものと思っているからだ。

「リンは精霊術を学んでまだ半年だ。私は生まれてからずっと精霊と共に過ごしている」

 こういう時に違いをまざまざと感じるのだ。精霊とずっと付き合ってこなかった自分が、精霊術師に、それも賢者見習いになんてなれるのだろうかと。


 聖域に入り、ドルーの木に一礼する。

「今年、加護石を受ける者がこのリストにある。フォルト石の数をそれぞれに分けてくれるか?」

 リストとフォルト石の袋をリンに渡したライアンは、サラマンダーに火を頼み、グノームに土を掘り起こさせ、と、順番に場を整えていった。

 リストには水、火、風、土、と精霊ごとに、加護を持つ者の名前と領名が書かれていた。それぞれの精霊におおよそ五、六十名ぐらいずつになるだろうか。リンは昨日選別した小指の先ぐらいの大きさのフォルト石を数え、その人数に合わせて分けた。

「毎年、このぐらいの人数が精霊術師見習いとなるんですか?」

「今年は多い方だと思う。それに加護石を授けても、すべてが術師見習いとなるわけでもない。貴族は特にそうかもしれぬ。下手に力を使うと危険だから基礎は全員が学ぶが」

 リンはシムネルやフログナルドのように、加護があっても術師の学校を卒業していない者を思い浮かべた。

「じゃあ平民は精霊術師を選ぶことが多い?」

「よほど力が弱いものは別の職業を選ぶが、ほとんどがそうだろう。国から勉学の機会を与えられ、術師となることは名誉だし、地位もあるからな」

「なるほど」


「始めよう」

 ライアンは、リンが精霊ごとに分けたフォルト石の半分ぐらいを手に取ると、それぞれを湧き水、火、土の中に入れ、聖域内で台として使っている大石の上にも置いた。

「アルドラが、加護石は精霊の人間への厚意で作られたものだ、と言っていたことを覚えているか?」

「ええ」

「そのため、加護石の祝詞のりとは精霊への感謝の言葉となる」

「感謝」

「そうだ。加護への感謝に、大地の恵みに、潤す水、それらへの感謝の言葉をささげればいい。最初にやって見せるから、後の半分はリンがやるといい」

「えっ! 私もやっていいんですか?」

「ああ、問題ないだろう?」


 ライアンは手首にある四つの加護石すべてを握り込むと、感謝を捧げ始めた。

「この世界を支えるすべての精霊、いやし、浄化する水のオンディーヌ、破壊し、再生する火のサラマンダー、知恵を運び、示唆する風のシルフ、生と死、すべてを抱擁する土のグノームに、我らの感謝を。そしてフォルテリアスを創り、ヴァルスミアの森と共に見守りくださるドルーに、我らの心よりの尊敬を捧げよう。我らの前にすべてがあり、我らは多くの加護をいただいている。……加護石をいただく意味を考え、教え、学び、術師は常に精霊と共にあることを誓おう。ここに精霊をたたえ、我らに変わらぬ加護を願う」

 感謝の言葉が終わると、聖域のあちらこちらで光のオーブが一層輝き、喜ぶかのように瞬いている。ライアンの周囲にもふわりと多く漂い、白銀の髪にキラキラと光が映った。

 昼間に飛ぶホタルのようだ、と少々失礼なことを考えながら見ていると、すうっと元に戻った。

 光に気を取られていたが、フォルト石はすべて精霊の色をまとった加護石へと変化していた。


「リン、続けてやってみよ」

「感謝の言葉、とても素敵でしたが、一度では覚えられませんでしたよ?」

「感謝なのだから、文言は決まっておらぬ。自然に思うことを伝えればよい」

「ええええ。……それでちゃんと加護石になるといいんですけど」

 リンは残りのフォルト石を同じように準備すると、自分のブレスレットの加護石をすべて握り込み、目をつぶった。黙とうをするように、こうべを垂れる。

「すべての精霊に心からの感謝を捧げます。潤し、癒してくださるオンディーヌ、浄化し、エネルギーを与えてくださるサラマンダー、不安を吹き飛ばし、遠くまで思いを伝えてくださるシルフ、それからどっしりと、私たちの命を支えてくださるグノーム、いつもありがとう。それから、この美しい国を創り、英知を与えてくださるドルーに変わらぬ敬愛を捧げます。ええと、これからも精霊と共にあり、皆が幸せであるといいなと思います。変わらぬ加護と、その形である加護石をお願いします。……あ、大きさは普通の加護石のサイズで!」


「ほ、ほ、ほ、リン、久しぶりじゃのう」

 リンが感謝の言葉を言い終わり、風が通りすぎるのを感じながら目をつぶったままでいると、ドルーの声が背後から聞こえた。

 振り向けば、ライアンの側にいつの間にかドルーが立っている。

「ドルー、お久しぶりです」

「最初にしては、良き言葉を紡げたのう」

「だったらいいんですけど。……ライアン、加護石、ちゃんとできていますか?」

「大丈夫だ。きちんとできている」

 大石の上にある風の加護石を眺めると、ライアンのものと同じようなできばえになっている。

「なら良かった」

「リンは目をつぶって見ていなかっただろうが、精霊たちが喜んで、動きが激しかった」

 火は燃え上がり、ざわざわと木は風に揺れ、水も高く飛沫しぶきを上げていたようだ。

「……我も、リンの敬愛への礼に何かを与えたいが」

 ドルーの言葉にライアンは額を押さえた。

 ドルーまでもが浮かれている。

 これはしばらくサラマンダーも見張らないと何をしでかすやも知れぬと、真っ赤になりグルグルと回っていたサラマンダーの気配を探す。

「ドルーはいつも与えてくださっていますから、特にいりませんよ?」

「つまらぬのう。いつも我は与えられぬ」

「……ドルー、それではリンに、細いオークの枝を一本与えてはもらえませんか? リンは今、夏に涼風を送るセンスを作っているのです。オークでしたらリンに似合うでしょう」

 リンはライアンの耳元でささやいた。

「ライアン、オークじゃなくてもいいんですよ?」

「小枝をもらった方がいいと思うぞ。さもなくば、また樹液を採れと言い出しかねん」

 小枝の方が影響は少ないだろうと、ささやき返したライアンにうなずいた。

「腕の一本や二本、全くかまわぬが、リンはそれでいいのかの?」

「腕!? あの、ええと、このぐらいの真っすぐで細い枝がいいんです。もしすでに落ちているのがあればそれでいいです。夏の間しばらくここを離れますから、オークが手元にあればうれしいです」

「ふうむ。そのように少しでいいのかの?」

 これなどはどうじゃ、それともそっちがいいか、と、リンに枝を示してみせるドルーは、孫を連れて自分のかっこうの良さを誇る祖父のようである。

 全く精霊はどこまでもリンに甘い。

 それを横目で見ながら、ライアンは加護石を集めた。


 家まで戻り、精霊術師のマントを脱ぐとほっとした。

 アマンドに渡す時、手にずっしりとした重さが感じられる。ベルベットの表地に白のシルクの裏地までついているのだ。

「ふう。やっぱり暑い」

「儀式用は重厚だからな。ここはいい方だぞ? 夏の王都ではさすがにきついが」

「王都の気温はそんなにここと違います?」

「マントを着なければ暑いといってもさほどではない。タブレットに鼻で笑われたぐらいだ。『スパイスの国』は、空気が重く肌がべたつくような暑さだそうだ」

 リンは湿度が高く、暑い、日本の夏を思い出していた。

「私の国も夏はとても暑かったですけど、湿度が高いと特に不快なんですよね」

「早く『涼風石』を完成させないとな。王城での謁見式も楽になるし、タブレットも喜ぶだろう」

「涼風もですけど、必要なのはきっとドライ機能ですよね」

 リンがぽつりとこぼすと、ライアンの目が鋭くなった。リンを執務室の椅子に座らせると、早速説明を求める。シムネルはその横でさっと紙を取り出し、発言を記録する準備をする。

「リン、『ドライ』とはどういうものだ?」

 リンは自分の知っている範囲の知識を説明した。

 気温が高くなると、空気中に含まれる水分が多くなること。だから、重く、べたつくように感じること。ドライ機能は、エアコンに涼風と一緒についていて、部屋の暖かく水分の多い空気を取り込み、それを冷やして出てきた水を捨て、乾燥した涼しい空気を部屋に戻している、といったことだ。

「だから、シルフで空気を吸い込むようにしないと無理だと思うんですけど」

「ふむ。エアコンというのがわからぬが」

「エアコンは『空気を調節する道具』といった意味でしょうか。『ヒーター』、『クーラー』、『ドライ』といった機能が、まとめてある道具です」

「ずいぶんと高機能だな。……これも雷が使われているか?」

 リンはコクリとうなずいた。

「私の国では、雷が基本です。ないと生活できませんでしたから」

 ライアンもシムネルも、リンの『スマホ』を思い出していた。あの見たことのない素材で、見たものをそのまま切り取って絵にすることができる道具も、雷が使われていた。

「……機能はわかったが、これは難しいな」

「来年の夏までに、とか、ゆっくりと考えればいいじゃないですか」

「試してみたいのだが」

「ライアン様、先に『ヒーター』と『クーラー』を完成させ、さらに来年度の新商品として『ドライ』を考えればいいのではないですか」

 知ったからには作ってみたいと、難しい顔をして考え込むライアンに、シムネルも助言する。

「そうですよ。どこまで必要か、一年かけて考えればいいと思いますよ。『スパイスの国』以外では、必要ない機能かもしれないじゃないですか。それにシルフの吸い込みができたら、きっと掃除機だって一緒に作れますし」

「掃除機とは、……いや、今はいい。吸い込み機能は後にしよう」

 また違う道具の名前を言うリンに、ライアンは首を振ってため息をついた。とても時間が足りない。

 シムネルに作ってきた加護石の袋とリストを渡し、各領地に送るように言うと、執務机から紙の束を取り出して、それも渡した。

「今作っている精霊道具の概要だ。王都分と一緒に届けてくれ。あと、ラミントンへ送る分にはブルダルーがマヨネーズとから揚げのレシピを書いているはずだから、それも一緒に手配を頼む」

 かしこまりました、と出ていったシムネルと入れ違いに、シュトレンがアイスティーを持ってきてくれる。川紅チュアンホン毛尖マオジェンという紅茶を、一晩小型冷室で水出しにしたものだ。

「これは冷たい紅茶か」

「ええ。ご領主夫人とシュゼットがお好きな紅茶なんですよ。冷やすと薔薇ばらの香りが際立ちますね。これなら夏の社交にもいいでしょうか。ヴァルスミア・シロップで甘みも足せますし」

「王都で喜ばれるだろう。リン、精霊道具はどれから作る? 『涼風石』か?」

「できれば『凍り石』で。これができるかどうかで夏のデザートが一品違うんです」

「それでは、この記録だな」

 キャビネットから『冷し石』の検証記録を取り出し、二人で工房へ移動した。


『冷し石』の標準サイズは、「極小」、「小」、「中」、「大」、と四種類ある。「極小」は大豆ぐらいの大きさで、「小」は加護石と一緒の大きさで、小指の先ほどである。「中」がうずらの卵より少し大きく、「大」は鶏卵サイズである。

 もともと、この大きさは『温め石』を基準にしたもので、『温め石』の場合、「極小」二つでスープ皿、「小」で鍋、「中」でみずおけ、「大」で中樽を沸騰させることができる。リンのお風呂には卵サイズの「大」を三つまとめて入れると、素早く、ちょうどよく温まるのだ。

「リン、『冷し石』の『極小』は、数が出ていないが『凍り石』にも必要か?」

「たぶん皆さん、まだ使い方を知らないんです。便利だと思うんですけど」

『冷し石』の場合、「小」と「中」が一番購入されていた。「小」だと、最初にライアンが作ったもので、持ち抱えて運べる大きさの木箱が程よく冷えるようになっている。「中」や「大」になると、木箱をちゅうぼうや食料庫に置いて使うことが多いだろう。抱えるサイズの木箱でも、瓶などの重い物を詰めるとリンが運ぶのはきつくなる。

「『極小』はお弁当にちょうどいいんです。外で働く人が、夏場に食事や飲み物を持っていく時、冷やして持っていけます。暑くても食べ物が腐りにくいし、携帯にいいサイズなんですけど」

「極小」は、二つの石を収める銅の箱も小型になるので、全く重くはない。

「貴族でさえ、自分の家に冷室があるのにまだ慣れておらぬ。極小は金額的にも高くないし、民にもいずれ広がればいいが」

「その辺りの使い方も、一緒に宣伝した方がよさそうですね」

 ライアンは検証記録を繰った。

「『冷し石』は五刻程度で冷え方が安定するが、『凍り石』も同じでいいか?」

「ええ。木箱の内側にも銅板を貼ると、もう少し早いですよね。ぴったりです」

 リンはうなずいた。

「本当に『瞬間氷結』や『氷塊』じゃなくて、良いのだな?」

「凍結兵器はいりません! ……あ、『瞬間氷結』はわかるんですけど、『氷塊』ってなんです?」

「字のままだ。『氷塊』を瞬時に作って飛ばし、敵の軍馬を潰す」

 飛び道具だ。雪合戦の硬いバージョンぐらいしか頭に浮かばないが。

「う、痛そう。……先のとがったくさびがたにすれば、殺傷力も強そうですね」

「……リンは兵器にも造詣が深いのか」

 ライアンが驚いたように言う。

「兵器は知りませんよ! っていうか、造ったことも、使ったこともないですよ!?

「まあ、良い。とりあえず『氷結』でやってみよう」

 ライアンは「小」サイズの水と風の石を取り出すと、『湖面の霧』と『氷結』の祝詞を唱えた。それを銅の箱にセットして木箱に入れる。温度を測る樹脂を箱に入れれば、後は待つだけだ。

「樹脂がどの色になればいいんですか? 冬の食料庫で、フォレスト・ボアがカチカチになっていたぐらいの温度がいいんですけど」

 樹脂は今、オレンジ色で液状になっている。この樹脂は氷のできる温度で、透明で固形になる。温度が上がるとクリーム色から黄色、オレンジ、ピンク、赤となり、下がると白から水色、青、紫、黒と変化する。

『冷し石』の場合は、樹脂がクリーム色から透明になるように、精霊石の大きさが調整されていた。

「それなら水色から青に変わるぐらいだろう。……リン、文官に聞いたが、木箱に銅板を貼り、蓋の部分にこの樹脂をはめ込んだ、小型冷室用の木箱がすでに考えられているらしいぞ」

「へええ。それはすごい」

「これでまず様子を見る」

 ライアンは木箱の蓋を閉めた。


 執務室にはシムネルがすでに戻っており、フィニステラ領の文官の記録を読んでいた。

「この記録を読むと、同じ文官として泣けてきます。すごく頑張っているんですよ。それでも茶の生育状態が良くなく、何が悪いのかわからず、悩んで、いろいろやってみて。……あ、読み上げましょうか?」

「えーと、ライアンとまだ今月の予定を詰めないといけないので、その後にお願いします」

 大まかな予定を決めなければ、何もできてないうちに王都行きになってしまう。

 精霊術師ギルドへ行く日、商品会議、館での『涼風石』テスト日、夏至の祝祭、と、書き出すとかなり多い。

「けっこう忙しいですね」

「ああ。精霊術の講義は、時間を見つけて少しずつやるしかないな。リンは社交の練習もあるだろう?」

「うえっ!? そんなのするんですか?」

「お茶会の作法ぐらいは、シュゼットに習った方がいいと思うが。あと、踊れるか?」

「踊る……?」

「王都で建国祭を迎えるから、舞踏があるぞ」

 ワルツなどのボールルームダンスが頭に浮かび、リンはさっさと白旗を揚げた。

「こんな短期間では覚えられませんよ」

「リン様、簡単なものですよ。夏至の祝祭でも、村人が踊る舞踏があります。王城のものとは違いますが」

 シムネルの声に、リンは振り返った。

「それも覚えた方がいいんですか?」

「どちらもシンプルですよ」

 中学の時のフォークダンス以来、踊ったことはないが大丈夫だろうか。


 はあ、とため息をついていると、日記を置いたシムネルが工房をのぞいた。

「様子がおかしいですね。少し寒いです」

「えっ?」

 ライアンとリンが慌てて工房に入れば、確かに寒い。

 作業テーブルの上の木箱を見ると、木箱の蓋部分が凍りついている。そのせいで蓋が持ち上がりちゃんと閉まっておらず、部屋が冷えてきたらしい。隙間から、冷気が白い霧のようにあふれている。

「うわー、どうして」

「『氷結』でも冷たすぎたか。リン、触るなよ」

 ライアンは革の手袋をはめ、バリッという音を立てて木箱を開けると、オンディーヌとシルフに冷気を止めさせた。蓋との合わせ部分から空気が入ったためか、中には氷がびっしりと付いている。入れた樹脂はカチカチで、紫がかった青色に変化していた。

「別の祝詞じゃなければダメですねえ」

「リン、やってみるか?」

「……祝詞を作る練習ってことですか? ぴったりの古語が出てこないんです」

「そうだな。リンの場合は古語でなくとも通じるから、ぴったりの情景を思い浮かべて、言葉を探すと良い。その後で、古語に訳す手伝いをしよう」

 冷たく、肉が凍るイメージを思い浮かべる。

「うーん、『真冬の食料庫』っていう祝詞じゃ、ダメですよね……」

 言っているそばから、ライアンがあきれたような、残念だ、という表情をする。

「リン、すべての風の術師がその祝詞を覚えて使うのだぞ?」

「ですよね……。覚えやすくて、忘れないでしょうけど」

「他に、リンが寒そう、冷たそうと思った情景はどれだ?」

「……冬至前の満月の夜に、ライアンが浄化石を作りにいった時でしょうか。風で雪が舞い上がって、月明かりでキラキラしていました。でも、とても寒そうで」

 今度の情景は、ライアンにも合格だと思われたらしい。

「ああ、確かに凍える夜だったな。では『冬至の月夜』で試してみるか」

 その夜、『冬至の月夜』で試した木箱は、樹脂が最適な色合いに変わった。


 今日は「精霊術師の力のバランスと、それに伴う体調不良について」の講義の時間である。

 リンは今まで、家の外で精霊術を使ったことがほとんどなかった。ライアンの工房に住んでいることで、賢者見習いのうわさはあれど、精霊術を使うところを人前で見せないようにしていたからだ。

 聖域で使い、『金熊亭』でせっけんを試す時に一度使い、それ以外に外で使ったことがあっただろうか。

 家の中でも、最近になってちゅうぼうでシルフやサラマンダーにお願いすることはあったが、ライアンと一緒に精霊道具を作る以外たいして力を使っていないのだ。水が欲しいと思えば自分でおけを持ってみに行くし、裏庭の水やりや手入れも相変わらず自力でせっせとやっている。

 精霊がそんたくして、いや、リンを甘やかしていろいろ動くことはあるけれど、リン自身が願ったわけではないので驚いていることが多い。

 加護石も祝詞のりともいらず、精霊術を誰よりも簡単に使えるけれど、めっに使わないリンである。


 そんなリンに術師の体調管理について教えることを、ライアンは忘れていた。

 もともとすべての加護がある賢者は、力も強く、加護のバランスも良いのだ。前に『聞き耳』の使いすぎで力が飽和して初めてリンに何も教えていないと気づいた。

 普通は幼い頃から注意されるし、精霊術学校では最初の方で習う基礎知識である。

「今から話すことは、精霊術学校の生徒だけでなく、他の学生も受講必須となっているものだ」

「へえ。基礎中の基礎ですね」

「ああ、加護を持つ生徒がいるだろう? 家族や友人に精霊術師がいることもある。対処法や使う薬草を周囲も知っていた方がいいのだ」

「そんなに術師の不調は起こるんですか?」

「それなりに、な。ひどくなると意識を失うこともある」

 そう言うと、ライアンは紙を取り出してペンをとった。

 紙に十文字を描くと、十文字の上に『水』、下に『火』、右に『風』、左に『土』と書き込んだ。

「これは図で見た方が、わかりやすい。水の反対に、火。風の反対に、土」

「ええ」

「加護の力はバランスが取れているのが一番で、問題があるとしたら、『不足』か『過剰』になる。私の体調不良を覚えているか?」

「もちろん」

「あの時は『聞き耳』を使いすぎて、風の、シルフの力が身体に飽和して『過剰』に傾いた」

 そこがあの時、よくわからなかったところだ。

「あ、それ。なんで力を使ったのに『不足』じゃなくて、『過剰』になるのかが、わからなかったです」

「精霊術には、力を放出するものと、引き入れるものがある。『聞き耳』は、力を身体に引き入れることで聞く術だ。逆に『シルフ払い』や『風の壁』は放出だ。じゃあ、『飛伝』はどちらだと思う?」

 首をひねった。

 リンは『飛伝』を何回か使ったが、身体の中で力が傾いたことなどなかったように思う。

「えーと、出し入れの考え方でいくと、送信が放出で、受信が引き入れ?」

「そうだ。リンは苦労せず『飛伝』を使うから感じないだろうが、遠距離にシルフを飛ばすのは、できる者が限られている。限界を超えると不調となりやすい」

「症状はどんなものになるんですか?」

「軽いものでは、疲労、めまい、頭痛、吐き気、寒気に発熱、といったところか」

「普通の病気みたいですね」

「ああ。でも病気ではないから病の薬は効かぬ。あと、症状はどの加護を持ち、なんの術を使ったかによって違う」


 それからの説明に、リンは、むむっとうなった。

 火は熱く、水は冷たく、風は軽く、土は重く、まではイメージとしてわかった。

 その後にライアンは、十文字を時計回りに、水、風、火、土と並んでいるうち、右上の水と風の間に、指をトンと置いた。

「水と風で『冷やし、柔らかくなる』作用がある」

「……」

 指を時計周りに動かしていく。

「風と火で『軽く、乾燥する』、火と土で『熱く、硬くなる』、土と水で『湿り、重くなる』。……向かい合わせで、反対の性質になっているのがわかるか?」

「そうですね。物を想像すれば、イメージできるような気がします」

 土を焼くとレンガみたいに硬くなるし、暖かい空気は乾燥して軽く、上に昇る。

「では次だ。例えば、風の力を放出しすぎて『不足』の時は、薬草や食品で、風を補える物を摂取する」

 リンはとりあえずうなずいた。

 どんな薬草が風にあたるのかはわからないが、不足を補うのはわかる。ビタミンやミネラル剤みたいなものだ。

「難しいのは『過剰』だ。力を放出する余力のある時は、放出できる術を使えばいい。ただ、体力がなかったり、すでに力を使いすぎていたり、時には本人に意識のない場合もある。下手をするとそれで意識を失って悪化することもある」

「この間、ライアンはそれだったんですよね?」

「ああ。風の力を引き込み、『過剰』になり力は使いすぎていた。身体もゆらゆらと不安定で、なんというか空気をいっぱいに詰めた袋のようだった。頭が痛く、身体は冷えていたな」

 そういえば、とライアンの手が氷のように冷たくなっていたのを思い出した。

 ライアンは風の対角線上にある土を指し示す。

「一方が『過剰』で、しかも放出できない時は、反対の力を取り込めば一時的にバランスは取れる。症状は少し緩和されるだろう。あとはバランスと体力を見ながら、休んだり、放出したりして整える。なるべく早く適切に整えないと、体力はどんどん落ちていく」

「なるほど……。あの時ジンジャーのスープを食べていましたね。あれが土?」

「ああ、プーアル茶も効いていたように思う」

「他に土の性質のものは何がありますか?」

 リンが尋ねると、ライアンは工房に入りいくつかの箱を持ってでてきた。

「土の中でできる作物は、基本、土に属する。地域によって採れやすいものが違うが、例えばグノーム・コラジェの根は効果が強い。あのジンジャースープにも入れてもらっていた。あと紫の芋と、黒のかぶが手に入りやすく特に有名だな」

 乾燥されたグノーム・コラジェの根は太く、下の方で枝分かれしている。

 芋と蕪はここにないけれど、手に入るなら一度食べさせてもらおうと思う。


「風だと、春の飛種花フライング・シードと、秋のコロコロ草が手に入りやすい」

 飛種花はタンポポの綿毛に似た形だ。コロコロ草は手の平に載るぐらいのボール状で、乾燥した黄緑色の毛糸玉のような植物だ。

「これの採集は風のない時にしないと大変だぞ。風に乗って野をどこまでも転がっていく。ハンター見習いの子供たちの秋の小遣い稼ぎだ。……オグは確かコロコロ草を定期的に摂取しているはずだ」

「え! 不調なんですか?」

「不調にならないように補っている。オグは三つ加護で力も強い。風が欠ける分、その調和が崩れやすい」

「なるほど。そういうこともあるんですね」

 話を聞いていると、バランスが重視されていることがわかる。

 力の弱い術師はすぐに力の使いすぎで一時的な不調に陥りやすく、逆に力が強いと平時からバランスが崩れやすい。


「ええと、次、火に属する食物は?」

「スパイス類はよく効く。それこそ『サラマンダーの怒り』の効果は強い。この国で手に入りやすいのは、例えばこれだ。炎茸ホノオタケ

 コロリとしたそれは、傘の部分が網目状で血のように真っ赤なきのこである。

 普通に生えていたら、まず食べないだろう。リンは指でつついた。

「これ、毒きのこじゃないんですか……?」

「毒はないが、痛く感じるほどに辛い。私は欠片かけらを試してみただけだが」

 試してみるか、と差し出され、慌てて首を横に振る。

 リンは炎茸とメモをして、その横に要注意と書き足した。できれば食べたくないものである。

「あの、火の力が強い術師が、スパイスを使った料理を食べたらまずいですか? えーと、そういうことに注意して、レシピを書かないとダメでしょうか」

「すでに何らかの不調のある時以外、普通に摂取する分には問題ない。ひどい不足時には、『サラマンダーの怒り』を、丸ごと口に詰め込まれる」

 恐ろしい。サラマンダーじゃなくても口から火を噴きそうだ。


「最後は水の効果ですね」

「水の中で採取できる植物に多い。クレソンに、海の近くではシーアスパラが有名だ。よく効くのが『水のサラマンダー』」

 名前からして不穏である。

「……どんなのです?」

 箱から出されたものは、乾燥したワサビのような形の太い根だ。色は白い。

「清き水に生える植物の根だ。これも辛くて、跳び上がるほどだ。それも『サラマンダーの怒り』の火の出るような辛さと違って、鼻にツンときて涙が出る」

「名前通りですね。サラマンダー級」

「あと、水草で『水の鳥ウォーターバード』というのがある。水が冷たくなると、ピンクや白のつぼみをつけるが、その蕾に効果がある。極まれに、銀色をした『水の銀鳥花シルバーバード』が見つかるが、水の効果では銀鳥花が一番だ。これをよくみしめるといいのだが、ほとんど見つからない」

 そう言うとライアンは工房へ入り、小さな陶器の小瓶を持ってきた。

「この中に『水の銀鳥花』が入っている。光に弱いので見せられないが、蕾が鳥の形だ。水の中で蕾のうちに採取して、そのまま水中で保管する。昔、聖域の湧き水で見つけたものだ」

「聖域だけの花ですか?」

「いや、清流ならよくある水草だ。ただ、早ければ一晩で蕾から花が開いてしまう。水温が下がった時に注意していても、タイミングよく銀の蕾を見つけるのは難しい」

「これは、食べると辛かったり痛かったりします?」

「いや、そういう記録はないな。これは私も試したことはないのだが」

 リストを眺めると、火の術師はかわいそうに思う。

「火の術師の場合、不足でも過剰でも辛いものが多いですね」

「ああ。それにサラマンダーのコントロールは難しい。不足も過剰も力が大きく動く。術師の中で、一番バランスを崩しやすいのも火の術師だろう。……術師のほとんどが、子供の頃にこれらの味を経験しているんではないか? 食べる前から涙目になる者もいるぞ。危険な時は、皆で身体を押さえてでも口に押し込むが」

 それを聞いて震えあがり、なるべく辛くないものを見つけておこうと思ったリンだった。


 リンの講義を終えて、ライアンは少々反省した。

 精霊術師見習いが最初に学ぶようなことを、全くリンに教えてやれていなかった。

 ライアン自身も普通の見習いのように学んできてはいない。何せ師匠はアルドラだ。普通なわけがない。

 最初にアルドラから古語のリストを渡され、覚えるように言われた。アルドラの塔の掃除をすることでシルフやグノームの使い方を覚え、ウェイ川のほとりで何も使わずに魚をるように言われ、オンディーヌに頼んだ。

 ある時はいきなり南の山岳地帯に連れていかれた。グノーム・コラジェの一番太い根を探すには、葉の裏に隠れているグノームに聞くように言われ、二日間オグと葉をめくり続けた。結局グノームは隠れていないという結論になったが、グノーム・コラジェがどういう場所に生えるのか、たりで成長が全然違うことを学んだ。

 当時はオグと二人ブツブツと文句を言っていたが、今思えば遊ぶように学んでいた。

 ライアンが術師の体調管理についてきちんと学んだのも、王都の士官学院へ進み、精霊術学の授業を取った時だった。それまでは、なぜアルドラにコロコロ草を追いかけさせられたのかわからなかった。

 リンはきっと、どれが力を放出し、どれが引き入れる術なのかも気にせずに使っているだろう。

 ライアンもそうだったからだ。使いすぎをめっに感じないから、おおざっな力の使い方をする。

 力が強くない者は自分の限界をきちんと見極め、繊細で丁寧に力を使うのだ。

「聞いてみるか……」


 ライアンは先日作った加護石の入った小さな木箱を持ち、精霊術師ギルドへと向かった。

 明日はギルドで精霊術師見習いの加護石授与の式典がある。それにリンを伴うつもりでいた。

 精霊術師ギルドはマーケットプレイスにあるが、商業ギルドやハンターズギルドとは反対側に位置している。

 出迎えた精霊術師は初老の男性で、襟元に緑のラインの入った黄色の術師マントを羽織っている。ウィスタントンの精霊術師ギルド、ギルド長のブリーニである。

 ギルド長室の椅子に落ち着くと、ライアンは加護石の木箱をテーブルに置いた。

「授与の加護石を持ってきた」

「ライアン様ご自身でお届けいただくとは、ありがとうございます」

 ブリーニは力のある精霊術師で、若い頃はアルドラと一緒の戦場にいたこともあるそうだ。『土のおり』という祝詞のりとは、彼が戦場で使いはじめたという。その縁で、ブリーニは戦後ウィスタントンに落ち着いた。

其方そなたに聞きたいことがあったのだ。授与式にリンを同伴する」

「……とうとう賢者見習いとされるのですかな?」

「登録については、リンもまだ決め兼ねている。明日はまず見学だ。……聞きたいのはリンの術師としての教育のことだ。私はアルドラから習ったから一般的な教育を知らぬ。リンのためには他の術師から基礎を学んだ方がいいのかと考えたのだが」

 ブリーニはライアンを小さい頃から知っている。

 ライアンが賢者としての公務に就いて十年近くつ。その責務を堂々と果たしているライアンが、珍しく迷うような顔をしていた。

「一般の教え方が必ずしもリン様の力に見合うとは限りませんでしょう。アルドラ様のやり方でも、ライアン様にオグ様と、これ以上ないほど立派な術師が二人も育ったのですからな」

 ライアンとオグは二人でよく走り回り、いたずらをしてはアルドラに罰という名の新たな課題をもらっていたことを、ブリーニは懐かしく思い出した。そうやって二人はグングンと術師として伸びていったのだ。

 ブリーニは力強くうなずくと言った。

「いくらでもお手伝いはできますからな。明日、お会いできるのが楽しみです」



 そして加護石授与の日、リンは悩んだ末に精霊術師のマントではなくドレスを着た。色はネイビーブルーで、リンの花がコサージュとなっている。

 ブラマンジェ領からもらったフォレスト・アネモネ柄の小さいレースを使い、ヘッドドレスが作られていた。ドレスに付けられたのと同じ、花の立体的なコサージュも添えられていて、ゴージャスで美しい仕上がりだ。

 儀式用の精霊術師のマントをまとったライアンにエスコートされ、初めて精霊術師ギルドに足を踏み入れる。途中で今日の式典の内容を知らされた。

「王都で学校に通う生徒は、最終学年の秋から初夏の一年間、学校を離れて研修に出る。その一年が今日で終わる。ギルド内で研修成果の発表があり、まず修了式がある。今秋からウィスタントンでの研修に入る学生も見に来ているはずだ」

「卒業式ということですか?」

「いや、卒業式は別だ。来週王都の精霊術学校で行われる。ここでは研修修了発表という感じだな。その後で今年一年で加護が見つかった子供たちへの加護石授与の式典となる。その授与で見習いと認められて、秋から師について学ぶことになる」

 加護石授与の式典を同日にして子供たちに先輩の姿を見せるのは、ああなりたい、という目標にするためらしい。

 王都の卒業式は見に行けないが、地元なら参列できるという学生の家族もいる。

「ライアンも昔、研修をしたんですか?」

「ああ。私は士官学院だったから、騎士として送られた。まあ、研修先はここなので、結局はアルドラにこき使われる毎日だったな。一応、精霊術を使った新しい防具を成果として披露したが」

「皆さん、自領に戻って研修なんですね」

「ほとんどがそうだ。だが、将来王都勤めを希望する者は王都に残っていたし、他領で研修を希望する者も、少ないがいた。オグもアルドラのもとへ戻ってきていたな。研修でができて、そのまま将来の職場になることも多い」


 初めて入る精霊術師ギルドは一階の奥にグレートホールがあって、ハンターズギルドに似ていた。

 ライアンとホールに入るとざわめきがみ、一斉に皆が礼をとった。

 学生の研修が終わる頃にはすでに職場が決まっていることが多く、将来の上司である精霊術師や文官、騎士なども訪れているようで、人は多い。

「楽にしてくれ」

 声をかけて、ライアンは研修を終える学生の成果発表を眺めて歩いた。

 学生たちが研修先で作った、薬や精霊道具、武具なども展示されている。

 自分の発表の側に立ち、訪れる先生方や来賓に緊張し、つっかえながら説明している姿は微笑ほほえましい。

 複数人での共同発表も多かった。

 それぞれ火と風の加護を持つ学生たちは、鍛治工房で使われる精霊道具を改良する案を出して、最小のシルフとサラマンダーの力で、最大の効果がでるような魔法陣を発表している。

 水と風の加護を持つ三名は、畑で広範囲に水を飛ばせる精霊道具の構想を発表し、リンも欲しいと思った。今も製作中のものらしく、ライアンは魔法陣の助言をしている。

「違う加護の学生が協力して発表するんですね」

「卒業して職場が分かれると、なかなか機会がない。あの散水道具の三名は、館で研修していた。冬に薬草の畑ができる話を聞いて考えたのだそうだ。このまま館で勤めるようだし、今後も一緒に作業ができる。スペステラ村でテストするのではないか?」

「へー、頼もしい新人ですね」

 しばらくホール内はにぎやかだったが、奥に作られた壇上からシルフが声を響かせた。

「研修の修了式、並びに加護石授与の式典を行います。どうぞご着席ください」

 壇の方へと向かうと、リンはギルド長のブリーニに紹介された。

「ギルド長のブリーニだ。アルドラの旧友で、私も幼い時から世話になっている」

「リン様、どうぞよろしくお願いいたします。大賢者様の旧友とは恐れ多いですよ。それにこちらこそお世話になりっぱなしです」

「リンです。どうぞよろしくお願いいたします」

 怖いイメージがあった精霊術師ギルドのギルド長だが、にこやかに笑う姿に警戒は抱かなかった。

 壇上中央には、ギルド長やギルド幹部が座るようになっている。

 ライアンがその脇の来賓席に着き、その横にリンが並ぶのを見て、ギルド幹部たちも腰を下ろした。

 壇の下には、上から見て右側に研修終了の学生が並び、左には加護石をもらう子供たちがいる。それぞれ十名もいないようだ。着ている衣装が違うので、平民の子も何名かいるように見える。

 後ろにはそれぞれの家族も来ているのだろう、参列者も多く立ち並んでいた。


 最初の名前が呼ばれて学生が壇上に上がってきた。ギルド長から修了のあかしとして小さな木箱をもらうと、会場から拍手が沸いた。

 リンは声を潜めて、隣のライアンに聞いた。

「あれは、何が入っているんですか?」

「ウィスタントンでは、修了証としてマントを留めるタッセルを渡している。騎士も、文官も、術師も、形は違うがマントを羽織るからな」

 そういえば、騎士は赤で、館の文官は緑で、精霊術師は白といった色に違いはあるけれど、皆タッセルでマントを留めている。あの色には意味があったのか、と今更ながら思う。ライアンやリンのタッセルは金銀の混合だ。

 コクリとうなずいていると、タッセルをもらった学生がライアンの前にひざまずいた。

 ライアンは立ち上がると、一人一人の学生に研修の感想や今後の予定を質問し、激励の言葉をかけていた。学生は一様に緊張しほおを紅潮させているが、しっかりと答えている。

 リンもそっと立ち、少し後ろでその様子を眺めた。


 加護石の授与式になると、雰囲気がぐっとかわいらしくなった。

 子供たちの中には幼い子も多い。名前を呼ばれると子供には少し高めの階段を数段上って、壇上に上がってくる。

 口を引き結んで加護石を受け取ると、先輩方のようにライアンの前に跪いて声をかけてもらっていた。中にはまだうまく跪けない子もいるが、一生懸命なのが伝わってくる。

「リンお姉ちゃん」

 終わりの方で加護石をもらった女の子が、跪けずにぺしゃりとそこにしゃがみ込んで、ライアンではなくリンに声をかけた。

 バーチの樹液採取で、そりを押していた子供たちの中にいた子だ。確かローロが大市の時にも連れていて、スペステラ村に移住した難民の子の中にいたはずだ。

 リンもその子の前に腰を落とした。

「加護石をいただいたの?」

「うん。水のご加護なの。マドレーヌ様が、加護石をもらって勉強しなさいって、おっしゃったの」

「そう。私も勉強しているから、一緒にがんばろうね」

「はい。またね」

 女の子はリンに手を振って降りていった。

「スペステラの子でしたよ」

「針子見習いになる予定だった子だと聞いている。親は加護に戸惑っていたが、マドレーヌが説得したらしい。薬事ギルドにいる精霊術師のもとで基礎を学ぶそうだ」

「そうですか」


 話しているうちに授与式は終わり、あちらこちらに人の集まりができた。

 精霊術師の先輩と後輩、将来の上司と部下、家族や友人同士の集まりなどで、皆が祝い合っている。

 笑顔の者も、涙している者も見える。

 加護石をもらった者も、学業を修めた者も、そして学生最後の一年が始まる者も、それぞれに思うことがあるのではないだろうか。

「今日は皆にとって、大切で思い出に残る日になるでしょうね」

「そうだな。加護石の授与で見習いとなり、見習い課程の修了によって正式に精霊術師となる。見習いの始まりと終わりの大事な日だ」


 最後にマーケットプレイスで精霊術の披露があるという。

 学生や参列者がグレートホールから退出した後に続いて、ギルドの入り口へと向かった。

 市の立っていない広場に学生たちはすでに降りていて、先ほどより多くの見物人も集まっているようだ。

 リンは精霊術師ギルドの入り口にライアンと二人で立った。

 案内の声をシルフが響かせる。

「ただいまより、マーケットプレイスにて、精霊術師見習いの研修修了披露を行います」

 しばらくして、すぅっと風が起こったかと思うと、マーケットプレイスに色とりどりの花びらが舞い上がりヒラヒラと頭上から落ちてきた。うわあ、と思って見ていると、今度は水が高低の差をつけて噴水のように湧き上がった。揺れ踊る水の間で火花がパッ、パッと光る。

 見物客の間から歓声と拍手が沸き、リンも一生懸命手をたたいた。

 薬に武器、精霊道具など、現実的に必要なものではなく、人に披露するために精霊術が使われることは滅多にない。

「今年は土の研修修了者がいないのだ。他の三つだけだな」

「土の加護持ちの場合、何を披露するんでしょう」

土人形ゴーレムが歩きまわることが多い。オグは三つの中で土の加護が一番強くて、土人形を披露した。アルドラの人形が王都の精霊術師ギルドのギルド長の人形を追いかけ回し、傑作だったぞ。まあ、誰かわかる者は少なかったが」

 それはちょっと見てみたかった。

「私の国にもああいう噴水があったり、花火という、空に大きく火花で絵を描くものがありましたよ」

「ほう」

 学生のデモンストレーションが終わると、ギルド長がライアンにうなずいた。


 ライアンが火の加護石に触れた。

フィーニクスフェニックスよ エクセウト飛翔せよ

 大きな羽の火の鳥が現れ、長い尾を揺らしながら広場の上空を飛び回る。火花がキラキラと落ち、人に当たる前に消えていく。

「空に絵を描くのは、こんな感じか?」

「いえ、ちょっと違いますけれど、これもきれいですね」

「リンもやってみるか? 今なら私がやったと思われるから大丈夫だぞ」

 リンはライアンの後ろに隠れて、火の加護石を握った。

 ボソリとつぶやくと火の鳥の横に火のシロが現れ、鳥を追いかけて遊ぶように跳ねまわる。

 ライアンはリンに顔を近づけて、ささやく。

「リン、これはハナビではないだろう」

「え、花火がいいんですか? 夜空の方がきれいなんですけど。……ちょっと待ってください。んーと、サラマンダー、お願い。火花を上に打ち上げて、パーンという音とともに空に美しい花が広がるようにしてください。色は黄色や赤とかがいいかな」

 すうっと線を描いて、空に上がる火花を皆が見つめている。

 パーンと音がして、空に花が描かれた。リンのイメージしたものとはだいぶ違うが、五枚花弁のフォレスト・アネモネである。

 青空をバックに次々と咲くオレンジ色の花に、うわーっという歓声が上がった。

 リンのお願いに大喜びのサラマンダーは、リクエストに見事に応えた。


 ラミントン領のとある文官は、ウィスタントンから届いた文書を眺めて首をかしげていた。

 フォルテリアスではどの領でも、領城に勤める者の中に精霊術を使える者がいる。

 士官学院や高等学舎を卒業して騎士や文官となり、補助的に精霊術を仕事にかす者がいれば、初めから精霊術師として騎士や文官に雇われる者もいる。

 同じようでも少し違う。

 騎士であれば精霊術師は最初から剣や弓の訓練はせず、精霊術で戦う準備をするし、武具の開発やへいたんを担当することが多い。

 文官になるとさほど明確な違いはないが、それでも場合によっては精霊術師の強い力が必要とされることもある。

 貴族の子弟子女は、自分の立場と力を考えながら進路を決める。


 若き文官は風の精霊術師としてラミントン領に雇われていた。

 平民で、鍛治師の息子で、親は加護があるのを確認した時には泣いて喜んだ。火と風は相性もいいし、精霊術師になれば将来食べるのに困ることはない。

 領内で術師見習いとして、読み書きや基礎を必死に学んで、王都の学校に進学した。

 精霊術学校の学費や滞在費用は国がすべて援助して、学生は一切支払う必要がない。

 この恵まれた機会を逃さず、必死に勉強し、将来は親や店の後を継ぐ兄の手伝いをしながら、精霊術師として精霊石や薬を作って生活するのだろうと思っていた。

 ちょうど一年前の今頃学校を卒業したのだが、見習い最後の研修先は領主直轄地にある港だった。

 毎日決められた時刻に、風の向きと強さを計測して記録する。港を出入りする船を誘導し、風の向きを変え、押し出す仕事を担当していた。


「君が、今年の風使いの研修生だね?」

 王都へ向かう船を見送って戻ると、貴族の青年に声をかけられた。

 一般には「風の術師様」とか「風の術師殿」と呼びかけるのが普通だ。

「風使い」という術師同士で使う親しみのある呼びかけをしてきたことで、相手も精霊術師だとわかった。それでも、先輩術師で、身なりの立派な貴族からそのように呼びかけられ、どうしていいかわからず慌てて頭を下げて固まった。

 青年貴族はクスリと笑うと言った。

「君をね、勧誘にきたんだ」


 その青年は当時まだ存命だった先代領主の子息、つまり現領主であるラグナルの側近で、そして今は領城で働く自分の上司となっている。同じ風使いである。

 平民も領城でたくさん働いているけれど、下働きやおおだなから来ている行儀見習いのメイドが多い。平民出身で文官になることは、本当にまれだ。

 たまたま二年続けてラミントン領に貴族から風の術師が出なかったこと、それからラグナルの婚約者であるグラッセと同じ学年で、王都で話をしたことがあったので平民でも採用につながったらしい。

 グラッセの成人を控えて、城勤め術師の増員をしているということだった。

 勧誘を断る理由などなかった。

 身が引き締まる思いで働き始めてから、まだ一年もっていない。


 風使いの仕事は多岐にわたっているけれど、領城では情報の伝達に関わることが多い。

 緊急時は『シルフ飛伝』や『シルフ拡声』で、必要な伝達をする。そのための術師である。

 でもそれ以上に、普通の文官職員としての仕事が多い。

 城には他領からの手紙、王城からの通達、街からの連絡や訴えが届く。領主宛の特別なふうろうがされている物以外はさっと目を通し、必要な部署へ届くように振り分ける。

 中には街のギルドや大店宛の文書も入っていて、その配達もある。

 領城を通さずに手紙をやり取りできるのは、それこそあちこちに支店のあるクナーファ商会ぐらいのものだ。

 宛先の確認だけなら簡単な仕事だが、それだけでは足りない。領主の目となり、情報収集という目的もあるのだ。

「風使いなのに、『耳』になるんじゃないのか……」

 慣れない仕事に、つい、廊下を歩きながらつぶやいてしまうことも多かった。

 街への手紙の配達を率先してこなし、型の決まった文書の振り分けにも慣れ、やっと少しわかるようになってきた、と思い始めた春先だった。


 春の大市の前頃から、文書の数が倍ほどにも多くなった。

 他領のギルドから、こちらのギルドへ。文官から文官へ。問い合わせに、回答書、契約書と、難解な文書ばかりが届く。

 こうなってくると、貴族の独特な言い回しに、平民出の文官では手に負えないものが多くなった。

 やはり平民には無理なのではないか、と迷いを感じていたら、上司が言った。

ちゅうぼうで風使いを探しているから、行ってくれるかな?」

「風、ですか? 厨房で? 珍しいですね」

「ああ、風だそうだよ」


 厨房へ顔を出すと、ああ助かった、という顔をした料理長がいた。

「シルフの『泡立て』の力が必要なんだよ」

「『泡立て』?」

 その聞いたこともない力に首をひねった。

「ウィスタントンで作られたばかりの風の祝詞のりとらしいが、ムースができるそうだ」

「ムース……」

「風のお力で、口の中でふわりと溶けるデザートなのだそうだよ。ご領主様がグラッセ様にも食べさせたいとおおせでね。レシピはご領主様が直接手に入れてこられたが、風のお力が必要になるらしい」

 新しい祝詞なら聞いたことがなくて当然だが、文書確認の仕事も難しい、そしてこの依頼にも応えられないというのでは、全くの役立たずだと悔しかった。

「新しい祝詞を確認してまいりますので、少しお時間をいただけますか?」

 厨房を出て歩きながら、精霊術師ギルドの風使いにシルフを飛ばしたが、『泡立て』はまだウィスタントンから伝えられていないようだった。

 部屋に戻り上司に事情を話すと、直接ウィスタントンの領城へとシルフを飛ばしてくれた。

 二度ほど違う風使いとシルフを飛ばし合って、なんと最後は賢者に直接繋がったようだ。

 賢者から上司のもとへシルフが来ているのに、固唾かたずんだ。

「すごい……」

 さすがに領主側近として勤める風使いである。自分にはとても、領を越えて、さらには複数回のシルフを飛ばせない。

 それに賢者とも顔見知りで直接シルフを飛ばすことができるなんて、と感激して上司を見つめる。

「わかったよ。どうやらライアン様が考えた祝詞で、料理に使うようだよ」

「賢者様が料理……?」

「みたいだね。ライアン様にしては歯切れが悪かったから、何か事情があるのかもしれないけれど。さ、厨房で試してごらん」

 上司はくすりと笑って『泡立て』の祝詞を教えてくれた。


 それから度々、厨房から『泡立て』を頼まれるようになった。

 料理長が一度、礼だ、とムースを食べさせてくれたが、確かにシルフの加護を感じる、例えようもないほど甘く、口の中でどこかに飛んで消えていくような菓子だった。

 菓子にまで風のお力を取り入れるとは、さすがに賢者様の考えることは普通の術師には及びもつかない、と夢中で菓子をほおった。



 忙しかった大市も終わり、上司は今日、休みを取っている。

 文官の手元には、どうしたらいいかわからないウィスタントンからの文書があった。

 一つは木箱に入った加護石で、これは精霊術師ギルドに届ければいい。もうすぐ、見習いとなる者への加護石授与の式典がある。

 もう一つは領主宛とあるけれど、封蝋で閉じられていなかった。

 差出人はシムネルとある。賢者の側近で、同じ風使いとして皆が憧れる、とても高名な方だ。

 もう一度目を通してやっぱり首をかしげた。

 本当にこのまま執務室に届けてもいいものなのだろうか。

「レモンスフレ、シナモンメレンゲクッキー、揚げないから揚げ、ポテトサラダ、マヨネーズ……」

 分量と、丁寧な作り方が記してある。

「ホントに厨房じゃなくて、ご領主様宛で間違っていないのかなあ。何かの暗号にも見えないけど」

 読み返して、じっくり考えてみてもわからない。

 こんな時、上司ならきっとすぐにその意味がわかるに違いない。

 わからない自分はまだまだ未熟なのだと、ため息をついた。

 領主宛は特に迅速な処理をしなければならない。

 怒られることも覚悟で、執務室に配達しようと立ち上がった。


 リンはアマンドと一緒に、夏のドレスの仮縫いのために『レーチェ』に向かっていた。

 アマンドは、リンの使うヘッドドレスやリボン、貴石のピンなどの小物を収めた木箱を抱えていて、ドレスと合わせることになっていた。

「こういう仮縫いをするのは、初めてですね」

「王都での社交がございますから、レーチェもぴったりとお身体に合わせたいのでございましょう」

 王都で精霊術師見習いとしてリンの披露があるやもしれないとライアンに言われ、レーチェは張り切っていた。

「……それは太れませんね」

「少しぐらいふくよかになられても、レーチェも王都へ参りますからお直しができますよ」

 それは危険な誘惑だと思うべきか、安心して食べられると喜ぶべきか、悩むところだ。


 店内にはいつもより年若い客が多くて、ひそひそと、でも興奮を抑えたような声が響いている。

 アマンドが店員にリネンの注文をしている間、リンは先に別室へと案内された。

 待っているとレーチェがやってきた。

「リン、お待たせをしてごめんなさいね」

「いえ、お客様がいっぱいでしたね」

「夏至が近いから、特に、ね」

「……夏至になにかあるんですか?」

 聞くと、夏至の祝祭は、結婚前の男女の出会いの時だという。

 冬至と同じように大事な日で、家を出ている人は里帰りをするし、どこの街や村でも大篝火おおかがりき、その周囲で踊ったりして祝うらしい。

「そういえば、クリムゾン・ビーの花で、恋占いをするって聞きました」

「そうなのよ。リン、よく知っているわね。相手は自分をおもっているか、いないか、夏至に告白をするか、されるか、結構真剣よ。それにやっぱり、そういう日は特別かわいく装いたいでしょう?」

 レーチェはそう言って、チャーミングなウィンクを投げた。

「それで新しい服を買いにくるんですか?」

「服というより、リボンやピンとかの小物が多いかしら。あと、今年はね、『シルフィーのブラ』が売れているのよ」

「えっ! ブラですか? ……でも、あれ、全員サイズを測ったんですか?」

「それがね、違うの」

 館のメイドに薬事ギルドの職員、大市に来た貴族などからも、『レーチェ』にはたくさんのブラの注文が入った。

 当然すべてサイズを測ってから作るのだが、多くの女性を測ると似たようなサイズが多いこともわかり、それでいくつか既製品を作ってみたのだそうだ。

 同じサイズで、形もシンプルにして、使う布も少ないから女の子たちが買えない値段ではないらしい。

「女の子たちの間でどんどん話が広がって、ここ数日あんな感じなの。今度注意して見てみるといいわ。女の子のシルエットがだいぶ変わっているはずよ」

「すごいですねえ」

「皆がきれいになったって喜んでくれて、うれしいわ。リンありがとう」

 忙しすぎて、今まで倉庫だった部屋を裁縫室に変え、スペステラ村から新たにお針子を雇ったらしい。

「それでね、今年は王都にも行くことになったのよ」

「聞きました! ……まさか、それもブラのため?」

「ええ。ほら、ウィスタントンの大市までは来ないけれど、王都の社交には出るっていう貴族のご婦人方がいらっしゃるでしょう? この間はラミントン領にも行ってきたのよ。ご領主様のご婚約者のグラッセ様にリンが宣伝してくださったのでしょう?」

 リンに心当たりはなかった。

「私、グラッセさんには、お会いしたことないんですけど……」

「あら。『スパイスの国』のおさ様からも注文が入ったのよ? 『リンの作ったブラとやらを注文したい』とおっしゃったから、てっきりそうだと思ったのだけれど。あちらにはうかがえないから、長様に測り方をお教えして、夏にサイズが届くことになっているの」

 タブレットに話をした覚えもないリンは首をひねった。

「私ではないですけど、館のご領主夫人から話が伝わったのではないでしょうか」

「そうかもしれないわね」

 王都へ出向くことで、それ以上の注文が入ることも期待していた。

 レーチェの腕の見せ所である。


 話している間に、アマンドも買い物が終わったようで、お針子の女性と一緒に部屋に入ってきた。

「じゃあ、まずこれからね。一番フォーマルなものよ」

 光沢のある紺のドレスに、白いフォレスト・アネモネがししゅうとコサージュでドレス一面に飾られている。袖は腕を一か所絞るようなスタイルになっていて、二の腕はぴったりで手首に向かってヒラヒラとフレアスリーブになっている。

「夏のドレスは、袖丈も少し短くなるの。それでこうやって袖をリボンで縛るのが、今年の流行になるはずよ」

「毎年、流行に合わせるのは大変ですね」

「そうでもないわ。カリソン様が毎年新しい形のドレスを着るので、それが流行になるの。今年はこれね。後は、今作っているセンスもよ?」

 流行になるというより、流行を作っている、と、レーチェはサラリと言う。

 前後左右から眺められ、余っている部分を調整され、立っても座っても美しく見えるように針で留められる。

 ヘッドドレスは新しいブラマンジェ領のレースのものを合わせるようだ。

 頭の後ろで、アマンドとレーチェが髪のねじり方とまとめ方を相談している。

 リンはぼうっと座っているだけだ。

「これで良さそうですわね。リン様、大変お似合いになりますよ」

 レーチェとアマンドが満足そうにリンを眺めた。


 数着のドレスの試着が終わり、お針子とアマンドが片付けを始める。

「リン、レースが少し余るのだけれど、何か使いたいものがあるかしら?」

「そうですねえ。アンダードレスの手首のところに付けたら、ドレスの袖口からレースが見えてきれいかもしれません。私、レースが付いたのは下着ぐらいしか持っていなかったかも」

「ブラのこと?」

「ブラもですけれど、スリップとかキャミソールって呼ばれていたんですけど、こう、胸の辺りとか、裾の辺りが幅広くレースになっているのがあったんです。かわいくも、大人っぽくもなるし」

 ちょっと待って、とレーチェが紙を取り出してリンに差し出した。

 思い出しながらスリップを描く。

「まあ、こんなにレースを使うの。……でも、腕も脚も出すのね。どうかしら」

「長くしてもいいと思います。でも、夏や暑い国では短いのがいいかもしれないですよ?」

「婚礼の夜とか、特別な機会ならいいかしら」

 ブライダルランジェリーというか、勝負下着ってやつだろうか。

 リンの描いた絵は全然勝負していないけれど、こちらでは十分に大勝負っていう感じかもしれない。

「ここぞという時にパートナーを魅了するための特別な下着というか、そういったのが私の故郷にもありました。この部分がすべてレースとか、こっちがリボンになっていて、ほどけたり」

「あら、それだと前が開いてしまわないかしら?」

「……それが目的だと思いますよ」

 レーチェがじっとリンを見つめた。

「わ、私は持っていなかったですよ? こういうの、必要なかったですから!」

「まあ! じゃあ、必要な時のために作りましょう? 試着もお願いしたいわ」

「ひ、必要な予定ないですから! 試着はぜひ他の方に!」

 他にもどんなものがあったのか教えて、と目を輝かせるレーチェに、リンはあと数枚の絵を描いた。


 館でクーラーとヒーター、つまり『涼風石』と『温風石』の検証をする日となった。

 四種類の大きさの石を、広さの違う部屋で試すため館に移動する。

「大市の前後って、いつもこんなに忙しいんですか? 雪に閉じ込められた冬がうそみたいというか、あののんびり加減が懐かしいというか」

「まあ、こんな感じだ。そんなことを思えるのも今だけだぞ。王都にいる間に、秋の気配を感じるだろう。今度は急いで冬支度を考えるようになる。それから二か月で雪が降り始めるからな」

 夏から一気に冬を考えるなんて、ここの秋は短いようだ。

「え、初雪はいつ頃ですか?」

「毎年、秋の大市の間に一度は降る」

「じゃあ早く『温風石』を完成させないとダメですね」

「まずは『涼風石』からだな」

 本当はリンの開発があるから例年以上に忙しくなっているのだが、ライアンは言わなかった。


 館では、文官と精霊術師によって様々な準備が済んでいた。

 この間研修が終わった精霊術師見習いと、秋から研修を始める学生が、そろってこの検証に参加するようで、ずらりと並んでの挨拶を受ける。

「本日の検証を経て、新しい精霊道具として登録されることになるだろう。国の将来を担う術師である君たちに、良い経験となることを願う。今日は頑張ってくれ」

 検証に使うための馬車が、館の前庭に四台並んでいる。

 検証の内容と手順を書いた紙を渡された。参加する全員にもあらかじめ配られ、間違いのないように確認されている。

「検証は、まずこの馬車と、執務室、会議室で同時に行い、後で謁見の間とグレートホールで試す」

「執務室や謁見の間なんて、使ってもいいんですか?」

めっに入れぬ場所だから、学生は楽しいだろう? どこの城も似たような大きさだから、目安として都合がいいのだ。父上と我々兄弟の執務室でちょうど数も合う。父上たちには今日は別所での執務をお願いしてある」

 今日は領主まで執務室から追い出されてしまったらしい。

 精霊術師ギルドのギルド長、ブリーニがやってきた。

「ライアン様、見習いは文官と組ませましたが、よろしいですか?」

「ああ。謁見の間とグレートホール以外の部屋に、それぞれ四名を頼む。検証、記録係としての三名と、私への連絡用に『飛伝』のできる風の術師を一名。馬車は人を減らしてもいいだろう。指示は、私が『拡声』で出す」

「かしこまりました」

 ライアンは作ってきた精霊石をブリーニに渡した。

 まだ収める容器ができていないので、木の台にくぼみがあって、そこに卵型の精霊石を並べて置けるようになっているだけだった。

 今日は、極小、小、中、大の『涼風石』と『温風石』の検証をする。

 高温度の環境での『涼風石』、低温度での『温風石・たこげ(強)』、低温度での『温風石・そよ風(弱)』、高温度での『送風』、心地よいと感じる温度での『送風』、と、五つの状況での温度変化を試すことになっている。

 文官にもらった内容の紙を見ると、条件を揃えるために精霊石や樹脂を置く場所まで指定されていた。


 本館に入ってすぐのエントランスホールの壁際に、水時計はあった。

 水のオンディーヌの像なのだろう。髪が腰まで覆っている女性が横座りしていて、両手を前方に差し出し、「水の石」を支えている。膝の前には水を受ける石の鉢があり、内側には目盛りが刻まれていた。

「この『時計の石』は、一滴ずつ、均等な間隔で水が落ちるようになっている。この水盤だとまる一日水を受けても大丈夫なものだ。水の術師が管理している」

「じゃあ、外が曇って日時計が使えなくても大丈夫ですね」

 リンは水盤の目盛りを、興味深そうに数えている。

「工房にも水時計があるのだが、リンに見せたことはないな」

「水時計なんて、ありましたっけ」

「ああ。普段は鐘の音で十分だから使ってはいない。執務室の窓際に、小型で似たような像があるのだが」

 そう言われれば、あったような気がしなくもない。石も持っておらず、水盤も設置されていないので、飾りの彫像だと思って見過ごしていた気がする。

「帰ったら見せてください」


 時計を検分していると、文官が部屋の準備が整ったと告げた。

 ライアンは青いマントを羽織った術師に、一度水時計を止め、下の水盤を検証用のものに置き換えるように言った。

「時計を止めてもいいんですか?」

「ああ。城壁正面の騎士詰め所にも、鐘楼用の同じ時計がある」

 ライアンは『シルフ拡声』で指示を出し始めた。

「まず確認だ。温度管理の樹脂はピンク色で、準備が整っていると思う。これより『涼風石』のテストとなるが、樹脂がピンク色でない部屋、『涼風石』と樹脂を置く所定の場所がわからぬ部屋は、今、私にシルフを飛ばしてくれ」

 シルフは飛んでこない。大丈夫のようだ。

「『涼風石』の使用を開始すると、部屋の温度が下がり、樹脂の色が変わる。私が時間経過を『拡声』で案内する。その都度、数か所に置いてある樹脂の色を記録してほしい。どれか一つでも黄色に変わったら、私にシルフを飛ばすこと。寒くなるが、マントで調節して私の停止の合図までは続けてくれ。では、準備。……『涼風石』検証開始」

 同時に水の術師が『時計の石』を起動させ、オンディーヌの手の間からポタリ、ポタリと、水が時を刻み始める。

 今度の受け皿は細長いガラス製で細かな目盛りがついていた。短時間を測るようにできているのだと思う。

 ライアンは水時計の目盛りを見ながら、時間の経過を案内し始めた。

「一」

 恐らく分刻みでわかるような目盛りだ。

「二」

 経過の案内が十二を超えたところで、馬車からシルフが飛んできた。

 大型の『涼風石』を使った馬車はさすがに温度変化が大きいようだ。

 三十まで案内したところで停止の合図を出した。


「次は『温風石』だが、樹脂の色を透明にしてから始める。今から文官が、各部屋に特別な風の石を配る。温度を透明になるまで下げてくれ。……冷え込みがつらかったら、交代で外に出てかまわない」

 ライアンがそう言った途端に馬車の扉が開き、前庭を見ると出てきたのはギルド長のブリーニだった。

「おお、寒かった。よく効く道具ですな」

「えっ。ギルド長ご自身も参加されていたのですか」

「なに、面白そうでしたからな。私はシルフ担当です。しかし、馬車での大型サイズはきつかったですぞ」

「馬車は極小で良さそうですね。もっとも、今の気温なら何もなくてちょうどいいんですけど」

 リンは肩をすくめた。

 ライアンは話を聞きながら、文官が集めてきた経過記録を眺めている。

「石と部屋のサイズが合っていない場合は除くとして、思ったよりも冷えすぎてはいないようだ。それにセンスのように風を動かすのも機能して、部屋全体で温度に変化がある」

「風と風の組み合わせにして良かったですね。『冷し石』と違うので、あまり冷えすぎるのは身体に悪いですよ。外との温度差があるほど身体はだるく感じるし、体調は崩れます」

「そうか。ではこれで良さそうだ」

 工房で試した時、首振り機能のように風を左右に広げるのには苦労した。

 リンが手であおいでみせて、「こういう風」に風を出してほしいと言えば、シルフはその通りにできる。

 だが、魔法陣に刻むのに、「こういう風」という古語では当然動かない。色々な風の状態を古語で刻んだが、上下がちゃちゃだったり、うねうねと渦を巻く風が出て、書類が舞い上がるばかりだった。とても部屋では使えない。

 結局、「センスのように風が動く」という新しい風の状態を刻んだのだった。

「今配られている特別な風の石は、何の風が刻まれておりますかな?」

 馬車に緑の石を差し入れている文官を見て、風の術師でもあるブリーニがライアンに尋ねる。

「……あれは登録がまだ済んでいないので内緒にしてください。『冬至の月夜』というリンが考えた新しい祝詞のりとで、『凍り石』の精霊道具に使います」

「ほう、それは拝見するのが楽しみですな」

 ブリーニはいそいそと、冷えすぎている馬車に戻っていった。

 リンもライアンの横から最初の検証結果を眺める。

「今日の検証だけで結果が出そうですか?」

「ああ。ただ、ヴァルスミアだと外気温が低いので、『涼風石』は兄上に頼んで、王都でも一度同じ検証をしてもらった方がいいかもしれぬ」


 リンが結果の一部分を指した。

「あ、ここ。サイズをしっかり合わせないと、やっぱり冷えすぎますね。馬車はぐんぐん温度が下がっています」

「ある程度まで冷やして、温度を維持できればいいのだが」

「故郷では、温度が下がると『涼風』から『送風』に切り替わっていましたから、そこで『送風』にすればちょうどいいかもしれません」

「それは自動的に切り替わるのか? 人が替えるのではなく?」

「自動的に温度を感知して調節していましたね。雷の力でしょうか」

 ライアンは悔しそうな顔した。

「……それは私にはできぬな。いつか雷の力を使ってみたいものだが」

「雷の便利さも、たぶん良いことばかりじゃないんですよ。得るものも多いですけど、その分自分でできないことも増えたというか。自分の能力以上の力を使って、それに慣れすぎた感じでしょうか。だからといって雷のない生活は考えられませんでしたけど」

「そういうものか」

 リンは自分で言っていて、ふと思った。

 最近精霊術を使う機会が増え、電力のようにそれがあることが当たり前になってしまっているかもしれない。ほとんどの人は精霊の力を使えないのに。

「ライアンは精霊の力を使う時、こう、力を使っていいのか不安に思ったことはありませんか?」

「精霊の力を恐れる、ということか?」

「恐れるとは違う気がします。……力を当たり前に使う状態に慣れるのが怖いのかも。自分の能力以上の力を使っているというか、他人には使えない強大な力を使っているというか」

「そのために精霊術師は正しく力を使い、制御できるように訓練に励むのだ。それに術師によって限界は違うから、自分の能力以上の力を使うことは滅多にない。……リンは精霊の力を突然得て戸惑っているのかもしれないが、私には雷のお力を日常的に使っていたリンの方が驚きだが」

 リンがすごいと思う精霊術師であるライアンに雷の方を驚かれ、なんだかストンとに落ちた。

 結局よく知らないから怖いのだ。もっと精霊術と精霊術師としてのあり方を学んだら、これが自分にとっての普通になるのかもしれない。

「……そうか。ライアンにとっては精霊の力を使うのが日常ですもんね」

「ああ。常に身の回りに精霊がいて、私が力を使えなくなったら国家的問題だ」

「ふふっ。それもまた極端ですよね。……でも、すごいなあ」

 ライアンは人より大きな加護を正しく使おうと日々努力している人だ。

「そ、そうか?」

 ライアンのほおと耳が少し赤くなった。それを見て、リンはくすりと笑う。

「私も正しく使えるように、もっと勉強しなくちゃ」


「クグロフ、いますか! すぐに『船門』へ! 貴方あなたの兄らしき人が到着したようです」

 まさか、と思った。

 ずっと会いたいと祈るように願っていたが、驚きすぎると人は動けなくなるものらしい。

「クグロフ? さあ、向かいましょう」

「は、はい!」

 迎えのシュトレンさんにかされ、慌てて塔を出た。


 リン様の家の前で、ライアン様とリン様が待っていらっしゃった。

「シムネルに確認させたが、間違いないようだ。旧エストーラ公国の金細工師、ブリンツ・ボスクと名乗っており、マントを留めるピンに、形は違うがフォレスト・アネモネの印章が付いているらしい」

「兄です! それは工房の印のピンで……」

 のどがぎゅっと狭まった。

「クグロフさん、行ってください! さあ、早く!」

 その声に頭を下げると、背中を押されるように駆けだした。


『船門』へ向かう途中の曲がり角でオグさんの姿が見えた。その斜め後ろに見えた懐かしい顔に、思わず立ち止まった。

 こちらに歩いてくる。

 日に焼けている、少し痩せただろうか、と思ったのはほんの一瞬だ。

「兄さん! ブリンツ兄さん!」

 腹の底から声が出て、兄に向って走りだした。

 兄さんだ。兄さんだ。

 数歩前に出た兄さんが、持っていた荷物を地面に置いた。そのまま大きく手を広げてくれたところへ飛び込んだ。

「兄さん、兄さん」

 会えた。本当に会えた。

「ああ、クグロフ、良かった。一時はもう会えないかと。さあ、顔を見せてくれ。……ああ、無事だったか。本当に良かった」

「兄さんも。いつか必ず会えると。ずっと希望を捨てずにいようと……」

 声が震えた。

 二年ぶりの互いの顔を眺め、再度抱きしめて泣き笑う。

 最初に思った通り、少し痩せた気がする。髪も記憶にあるより伸びていて、後ろで結んでいる。

 長い旅をしてきたのだろう。衣服は少し汗臭く、ほこりっぽい。それがこれは現実だと告げている。

 同じように、兄さんも私の全身を眺めるようにして言った。

「どうしているかと心配だったが、……良かった。元気そうだ」

「はい。今は落ち着いています。ウィスタントン公爵家のをいただいて」


 挨拶に訪れたリン様の家で、旅装で汚れておりますからと兄さんは遠慮したが、結局応接室に落ち着いた。

「ライアン様、リン様、私の兄、ブリンツです」

「ブリンツ・ボスクと申します。この度は弟をお助けいただき、本当にありがとうございました」

「いや、クグロフの頑張りだ。こちらが助かっている」

 ライアン様はほっとしたような表情を浮かべ、リン様は私たち二人が並んだのを見て涙ぐんだ。

 素材の調達に出ていた兄さんが、旅先でシュージュリーのエストーラ侵攻を聞いた時にはすでに侵攻から数週間が過ぎていたという。

「すぐにエストーラに戻りましたが工房はからで、東の隣国へ逃げるというクグロフが書いた私宛の手紙を、隠し扉から見つけました」

「兄さん、一度エストーラに戻ったのですね? 父さんは……」

 兄さんは首を横に振った。

「お前の手紙に、父さんは大公館へ行ったとあったので公都にも行ってみた。だが、大公館も、街も焼け落ちていて……。あれではとても助かったとは思えない」

「シュージュリーは大公館だけでなく、街にまで火を放ったのですか」

「いや、エストーラ側の兵士が、奪われまいと街に火を放ったと聞いたが……」

 本当のところはわからない、と兄さんはため息をついた。

「それで手紙にあった通りに東へ向かって、難民が住むと聞いた地をあちこち探して……。まさか西側のフォルテリアスにいるとは思わなかった」

「エストーラへの侵攻があったのは夏の初めで、国を離れて最初は確かに東の方を転々としていたんです。落ち着ける場所がなく、ここへたどり着いた時は雪となり、旅を続けるにはもう厳しい時期でした。ここは追い出されることがないとわかってから兄さんの仕入れ先にも手紙を出したのですが」

 兄さんの眉がつらそうにひそめられた。

「入れ違いになったのだな。仕入れ先には戻らずにいたから」

「ずっと探していらっしゃったんですね」

 リン様の問いに兄さんがうなずいた。

「はい。商業ギルドで行商人を紹介してもらい、その馬車に同乗してあちこち町を巡っておりました。木工ギルドにもクグロフの登録がないか探しまして」

「ここで登録されても、国が違うと見つけるのは難しかったのではないか?」

「はい。ギルドでは見つかりませんでしたが、ある町の商人がこちらの春の大市で、ブラシといいましたか、ボスク工房の物だという製品を仕入れておりまして」

 兄さんは持っていた革袋から布に包まれたブラシを取り出し、テーブルに置いた。

「工房の印章は少し違いますが、ボスク工房の名前、エストーラの者だということ、何より木に施されたこの草花の細工が弟の手によるものだと確信して、急ぎこちらに参りました」

「五枚花弁のフォレスト・アネモネはこちらのリン様の意匠でもあるのです。最初に私に仕事を任せてくださったのがリン様で、ボスク工房の名前を付けてブラシを広め、兄さんを探すようにご提案くださったのです」

 兄さんがリン様に深々と頭を下げた。

「本当にありがとうございます。おかげさまで弟と再び会うことができました。各地のギルドを訪ねながら、もう二度と会うことはかなわないものかと……」

 兄さんの声がグッと詰まった。

 そうだ。祖国がなくなり、兄さんの無事もわからず、自分の命をなんとかつないでいた日々だった。再会を願ってはいても当てはなかった。そこに細くても、未来に繋がる希望をくださったのがリン様だ。

 一本一本のブラシを削ることが、いつか兄さんに繋がると信じた。

 一緒に頭を下げると、リン様は慌てた。

「え、えーと、オグさんに紹介されて私が作りたいものをお願いしただけですから。このすぐ裏がボスク工房なので、私、つい、いろいろお願いして、あの、こちらこそありがとうございます」

「工房までいただいたのですね。本当にありがとうございます」

 ペコペコとお礼合戦になり、そのまま辞去することになった。



 兄さんを現在のボスク工房である塔に連れて帰った。

「……すごいな」

 塔の中央にある木工工房を見回す兄を奥の部屋に引っ張っていく。

「兄さん、こっちに来て。……ここが金細工工房。兄さんの工房だよ」

「私の?」

「うん。兄さんがこちらに来た時のためにって、用意してくださったんだ」

「そうか」

 部屋を見回す兄さんをじっと見つめた。

 作業台があり、そこからすぐに手が届く場所に工具用の棚がある。必要な工具すべてではないが、づちに金槌、当金あてがねやタガネといった細工道具も少しずつそろえてきた。

「……エストーラの工房と同じ配置だな」

 作業台を手でで、兄がポツリとこぼした。

「うん」

 もうあの場所には戻れないが、ここが新たなボスク工房だ。


「クグロフ、これはお前が描いたものか? これはいったい……?」

「あ……」

 迎えに急いで飛び出し、依頼されている三段スタンドのデザイン画を広げたままになっていた。

「リン様考案の新商品だよ。ブラシもそうだけど、リン様は開発力がすごくて……」

 それから、ライアン様とリン様のことに始まって、精霊と賢者様といったこの国のことや、ブラシや現在製作しているセンスと三段プレートスタンドのことを夢中で話した。

「なるほど。皿を三段に飾るのか。華やかで見栄えがするだろう。これは薔薇ばらだから公爵夫人のものだね?」

「女性の社交で披露するので、最初に仕上げてほしいと言われてる」

「では、優美で上品に、でも華やかさを失わず……。うんうん。中央は菓子が主役だから、飾りはトップとボトムを中心に。皿を互い違いにしたら取りやすいか? ここに小さな水差しを差しても……」

 考え込んだ兄さんの横にラミントンからもらった皿のデザイン画と筆記具を置いた。

 父さんも兄さんもそうだった。夢中になるとずっと考え込んで、決まるとその勢いで作業をして。

 懐かしすぎて涙が出そうだ。

「うん。クグロフ。これはデザインを合わせたティースプーンも一緒に作るべきだな!」

 兄さんがうれしそうに顔をあげ、すぐに表情を曇らせた。

「あ、すまない。お前の仕事だったな」

「いや、兄さん。手伝ってもらえたらすごくありがたいよ! こういう繊細な細工はやはり兄さんにお願いしたい。ブラシも夏の大市用にもう少し仕上げたいし、センスの細工もあるんだ」

 勢い込んで言うと、兄さんが笑ってうなずいた。

「ああ。もちろんだ」

「あ、でも兄さん、ごめん。到着したばかりなのに」

「なに、最後の二日はずっと船で下ったんだ。疲れてはいないよ。それに細工は久しぶりで……」

 兄さんがいそいそと立ち上がった。

 そうだった。兄さんはずっと私を探してくれていたんだ。

「ここに火を入れてもいいか? 早速、仮作りをして雰囲気を見たい」

「もちろん。サラマンダーの加護のある炉なんだよ。あ、兄さん、道具はここにあるので足りるかな?」

「問題ない。隠し部屋に私の道具を入れておいてくれただろう? それをできるだけ持って出たんだ」

 兄さんがニヤリと笑った。

「職人の命だからな」

 持ってきた荷物を作業台に置くと、ドンッと重たい音がした。


 リンは初依頼を出すため、朝からハンターズギルドへと足を運んだ。

 今までもブルダルーと一緒に森での採集を頼んだことがあるし、商品開発の過程で間接的にハンターたちに依頼が出されてお世話になったことは多かった。

 でも、リンが個人的に採集依頼を直接出すのは今日が初めてだ。

 理由は簡単で、どうにも忙しくて時間がなかった。

 まだレシピも全部できていないし、館へ行く予定もある。

 収穫の季節がまさに始まろうとしているたくさんのベリーやプラム。森にはおいしいものがいっぱいだ。自分で森へ入って見つける楽しみがなくなるけれど、そこは諦めるしかない。

 こういう簡単な採集はハンター見習いの子たちへの依頼になる。実際に、森のどこへ行けば採れるのかリンよりずっと子供たちの方が詳しいのだ。


 ギルドへ入ると人はそれほどいなかった。

 依頼掲示板の方をチラリと見ると、スペステラ村のローロの後ろ姿が見えた。籠を背負い、これから森に行く支度をしている。

 大市の後、顔を見ていなかったので、リンは近寄って声をかけた。

「ローロ、久しぶり。依頼を探しているの?」

 熱心に掲示板を見ていたローロは振り返った。

「リンさん、おはようございます。そう。探しているんだけど……。今週はほとんどのハンターが羊の毛刈りに南の方へ行ってるんだよ。皆それを知っているから依頼が少ないんだよね」

「そうなんだ。……私、採集の依頼を出しに来たんだけど、ローロ、興味ある?」

「やる!」

 内容も聞かずに、やる、と言い切ったローロに慌てた。

「え、ちょっと待って。説明するから」

「リンさんの依頼でしょ? やるよ。それに、今、ちょっとお金が欲しいんだ」

 リンはうれしかった。

 最初に会った時は、警戒してほとんど口をきいてくれなかったローロが、リンの依頼だからやると言ってくれたのだ。

「事情があるのかな? じゃあ、まず依頼を出して受け付けてもらってくるね」


 依頼の受付窓口には、顔見知りのギルド職員が座っていた。

「おはようございます。あら、今日はご依頼ですか?」

 ハンターズギルドへ来る時は、いつもギルド長室へ案内されていたリンだ。

「はい。採集なんですけれど」

「では、こちらにご記入いただけますか?」

 渡された紙には、依頼者名、依頼内容、報酬などを書き込むようになっている。

 名前と、採集依頼、採集希望品種などを書いて、受付の職員に確認した。

「あの、この採集の報酬はどのぐらいが適当なものでしょうか」

「そうですね。毒があるような品種ではないので、見習いにもできますね。時間給か、収穫物の買い取りかで設定できますが、ギルドでご提案するのはその組み合わせですね」

 説明されたのは、基本は収穫物の買い取りだが少額の時間給も払うやり方だ。

 これだとハンター見習いが採集に行き、たとえ依頼品が見つからなくても少しの収入になるので、依頼を受けやすい。依頼する側も高額な時間給を払って収穫物が少なくて困ることもない。依頼者と受注者の双方にいいやり方のようだ。

「じゃあ、それでお願いします。あ、ローロが受注してくれるんですけれど」

 リンは後ろに立っていたローロの腕を取って、受付前まで引っ張った。

「指名依頼ということでしょうか。若干の指名料がかかりますが」

「それでお願いします」

「時間はどのぐらいで設定しましょう」

「ん? どうだろう。半日とか、一日かな?」

 リンは横に立つローロに確認した。

 ローロはリンの書いた依頼書をさっと眺めた。

「リンさん、この採集だと半日も採ったら持ちきれないよ。四刻で十分だと思うけど」

「そう」

「希望する量も最初にちゃんと決めておかなくちゃ。たくさん採ってきて全部買い取らないといけなくなったら困るでしょ」

「そ、そうだね」

 リンの依頼はけっこう穴だらけだったようだ。

 時間と買い取り量の上限を決めておけば、その上限に達して早く切り上げても時間給を丸々もらえて、他の仕事を入れられる。もしハンターが多くの時間を費やしても、あらかじめ決めた時間給しかもらえない。

「それでは時間は四刻で、量はどうされますか?」

「今日はたくさん必要なので、採れただけすべてちゃんと買い取ります!」

 受付嬢は二人の様子に笑って、依頼を受理した。

 リンはとりあえず持ってきた銀貨一枚を、デポジットとしてギルドに預ける。

 ローロがぎょっとしていたから、もしかすると多かったのかもしれない。


「あら、リン。珍しいわね。来ていたの」

 エクレールがリンを見つけ、声をかけた。手に大きな籠を持ち、リンのもとに来るまでに周囲のギルド職員に声をかけられ、指示を与えながら急いでやってくる。

「はい、依頼に。今日のギルドはいつもと違って静かですけど、エクレールさんは忙しそうですね」

「ええ。どこかのギルド長までハンターに同行して羊の毛刈りに行ってしまったものだから、大忙しよ。手は十分足りてるのに」

 出かけるのが好きなんだから、全くもう、とこぼすエクレールにリンは苦笑した。

「オグさん、エクレールさんがいるから、安心して出かけちゃうんじゃないですか? ……あ、これ、オーティーですよね?」

 エクレールが持つ籠の中には、乾燥した葉が山のように入っている。

 薬草茶にも使用している森の薬草、というより雑草のようなものだ。生命力が強くてグングン伸びる。触れるといつまでもチクチク痛いので、森に入る子供たちのために定期的に刈られている。

「そう。今年は薬草茶用にほとんど捨てずに取ってあるの。でもすぐ伸びるでしょう? うちも薬事も乾燥室で山になっているわよ」

「食べないの?」

「えっ、これ、食べられるの? ああ、お茶にするものね。それなら食べられるか」

「うん。食べ物がない時はね、でて食べたよ」

 リンは薬草茶にする時に試した味を思い出した。

「……とっても草らしい草の味わいだよね。ごめん。他に言いようがないけど」

「く、草の味わい……。うん。でも茹でるとそこまで悪くないかなあ。まあ草だけどね」

 ローロがぷっと吹き出した。


 登録が済み一緒にギルドを後にして、森へ行くのに二人並んで歩き始めた。

「ねえ。ローロ、聞いてもいい? お金、必要なの?」

「……少しだけ、あればいいんだ」

「大市で稼いだお金だと足りなかった?」

 ローロは『金熊亭』の屋台を毎日手伝っていた。見習いでも、結構な収入になったはずだ。

「大市の稼ぎは、村の子はみんなトライフルさんに渡したよ。水車になるんだ」

「そっか」

「リンさんの依頼は、また何か作るの?」

「そうだね。お菓子や料理のレシピを作りたいかな」

「菓子か……」

 しばらく二人は無言で歩いたあと、ローロがためらいがちに聞いた。

「リンさんは、菓子をもらうと嬉しい?」

「そうだね。甘いのはやっぱり嬉しいよね」

「そっか」

 また無言で考えながら歩くローロに、今度はリンが聞く。

「どうした? ローロもお菓子が欲しいの?」

「俺じゃなくて……」

 そう言って口ごもるローロに、リンはピンときた。

 夏至だ。そうだ。恋の季節だ。

 なんだかちょっとワクワクしてきたかもしれない。

「プレゼントを考えているの?」

 ローロはコクリとうなずいた。

「夏至の祝祭に何を渡したらいいか、わからなくて」

 話を聞けば、夏至の祝祭には小さなプレゼントを贈ることが多いらしい。

 告白の時、恋人になってから、それから家族としての贈り物まで、気持ちを贈り合うようだ。

 去年は森の花を摘んで贈ったのだという。

「今年も花は贈るんだ。他のヤツは、髪留めとか、くしとか選んでる。でも、俺、買えないから」

「花だけでも十分嬉しいと思うけど」

「でも、屋台で一緒に働いてから、みんなに人気なんだ。俺だけじゃないんだよ」

『金熊亭』のタタンは、どうやらハンター見習いの子供たちに人気のようだ。

 他の子供たちは周囲の大人から小遣いになるような仕事をもらっているようだが、ローロにはそれができなかった。

「そっか。負けたくないか」

 ローロはコクリとうなずいた。

「じゃあさ、お菓子にする? 一緒に作って、それをあげる?」

「菓子って、甘いだろ? シロップや、砂糖がいるだろ? 買えないよ」

「んー、そこはさ、ローロがその分採集を頑張ってくれたら、その報酬にしてもいいよ? 採集依頼は、これ一回じゃないから」

 砂糖は十分にあるのでそのぐらいあげてもいいのだが、仕事をして稼ぐつもりのローロには報酬として渡すべきだろう。

 菓子の魅力とリンからの甘い申し出に、この契約を受けようかローロは悩んでいる。

「他の材料は俺でも手に入る?」

「たぶんなんとかなると思うよ。じゃあ、今度試してみようよ」



 日を改めてやってきたローロをちゅうぼうに入れ、バター、ヴァルスミア・シュガー、卵一個、小麦粉、それから乾燥したオーティーの束を取り出した。

「ええと、クッキーにしようと思うんだけど、この中でローロが手に入れにくいのは、砂糖かな?」

「うん。あと、白い小麦はちょっと難しいかも」

「じゃあ、それも報酬にしてもいいよ。あとは平気?」

「うん。卵は一個でいいの? それなら、村でも鶏を飼っているから」

「じゃあ、大丈夫ね」

 話しながらリンは材料を量り始めた。バターと砂糖は同量ずつにして、粉はその倍だ。

「俺が春にもらった鶏もいるんだよ。俺のはひよこだったからまだ産めないけど、前もって言っておけば一個ぐらいもらえる」

「ひよこをもらったの?」

「春先の大風で氷が降ったでしょ? 近くの村でばあちゃんのとりが壊れて、直したんだ。報酬以外に御礼だって。卵を産むめんどりをくれるなんて、優しいよね」

「へー。ローロの鶏が産めるようになるのは、いつ?」

 ローロは不思議そうな顔をした。

「夏の終わり頃じゃないかなあ。……リンさん、ずっと街に住んでたの? 鶏を飼ったことないんだね」

「うん。バターも手に入る?」

「西の村でクリームをもらえると思うから、大丈夫」

「ということは、まさか、ローロが自分でバターを作るの?」

「うん。……リンさん、もしかしてバターも作らない?」

 家で使うバターは、館の厨房から他の食材と一緒に届けられていたから、リンは作ったことがなかった。

「うん。作り方、知らないかも」

 ローロは、今度は目を丸くした。

 バター作りは大抵どこの家も女性が担当して、子供が手伝うことだ。

 シロップや砂糖など皆が知らないものを作り出すリンが、そんな基本的なことを知らないのが、ローロには不思議だった。

「今度、教えてね」

「わかった」

 ローロは乾燥したオーティーの葉を持ち上げて、匂いを嗅いでいる。

「リンさん、これも使うの? ……菓子に入れて、おいしいかなあ。草らしい草、なんでしょ?」

 ローロからしてみれば、食べ物に困った時は食べるけれどおいしいと思ったことはなく、積極的に食べたいものではなかった。

「ローロ、茹でたらそんなに悪くないって言っていたじゃない? だから茹でてから乾燥させて試したの。大丈夫。おいしくするよ。じゃあそれ、すり潰して」

 リンはローロの手に乳鉢とオーティーの葉を押し付けて、自分は小麦粉をふるった。次にボウルにバターを入れ、ヴァルスミア・シュガーを加えて白っぽくなるまで混ぜる。

 ローロがボウルに鼻を近づけて、クンクンと嗅ぐ。

「この砂糖ね、いい香りがするでしょ? 南の島から来たバニラっていう豆のさやを入れてあるの。使い終わった莢でいいんだよ」

「うん。なんか違うね。甘い匂い」

 卵黄を加えたところで腕が痛くなり、ローロにバトンタッチしてさらに混ぜてもらう。

「うん。いい感じかな」

 リンはふるった小麦粉をローロの持つボウルに加えて、さっくりと混ぜていった。できた生地を三つに分けて、そのうちの一つにパウダー状になったオーティーの葉を加える。

「緑になったよ……」

「うん。緑にしたの。ここで半刻ぐらい冷やすよ」

 リンは生地を四角くまとめてチーズクロスに包むと、小型冷室に突っ込んだ。


 オーティーで緑になった生地を見てどこか不安そうなローロに、どうせだったら味見しようよと、似たような材料を混ぜ合わせ始めた。

「んーと、ベリーは昨日食べちゃったな」

「少しでいいなら、すぐそこの木陰に、赤い熊苺ベアベリーがあるよ。けっこう甘いやつ」

「熊苺?」

「うん。大きいから、熊苺」

「すぐ近くだったら、採ってきてくれる?」

 わかった、と軽く請け合って、ローロは出ていった。

 ここでは森が庭のようだと、くすっと笑うと、リンは温めた鉄板に薄く生地を広げてクレープを焼き始めた。

 ボウルにクリームとヴァルスミア・シュガーを入れ、泡立ての段階になってリンはやっとシルフを思い出したらしい。

「シルフ、ヴェルベラブントクリームを ウスクエ クレピト泡立てて オブセクロお願い……やっぱり、これが早いよね」

 できあがったホイップクリームにベリーを入れて、クレープで包むつもりだ。

 本当に近くだったのだろう。両手いっぱいに大きなベリーを採って、ローロはすぐに戻ってきた。

「下の水場で洗ってきたよ」

「おお、ありがと」

 チーズクロスで水気を拭いて、クリームのボウルに放り込んだ。

 きれいな緑色をしたクレープを皿に広げて、そこに熊苺入りのクリームをポンと落とすと、クリームが見えるようにたたんだ。

「さ、座って」

「思ったより、きれいかも」

 緑の生地に、白のクリームと赤のベリーが確かに映える。

 ローロには緑だけより抵抗がないようだ。

「思ったより、おいしいはずだよ。さあ、食べて」

 茹でてみたり、水にさらして灰汁あくを取ってみたり、リンもオーティーの研究をしてみたのだ。

 リンは率先してクレープを口に入れた。

 緑色はきれいに出たけれど、オーティーの風味は全く気にならない。ホイップクリームも熊苺も甘いし、クリームでまろやかな味になる。

 これなら今作っているクッキーも大丈夫だろう。

 ローロは一口食べて目を丸くし、自分の皿をマジマジと見下ろした。

「甘くておいしい。オーティーだって、わかんないね」

「でしょ? 色もきれいだし、今作っているお菓子もおいしくなるよ。大丈夫」


 クレープを数枚ずつペロリと平らげると、クッキー作りに戻った。

 三つのうち、白の一つは他で使うので脇に置いておく。

 残りの緑と白の生地は、同じ大きさの細長い四角の棒ができるように切り分けた。

 白の横に緑を並べ、その緑の上に白、と交互に並べて積むとチェックのクッキーになる。

 端の方を少し切ってローロに見せる。

「ね、緑と白のチェックできれいでしょ?」

「うん、びっくりした」

「これをね、もう一回包んで冷室に入れるよ。で、残りの一個も形を作っちゃおう」


 残りの白い生地は薄く延ばして、二人で考える。

「同じ形に抜ける型があると簡単なんだけど、ナイフでちょっとやってみようか」

 リンは生地にナイフを当てて、五枚の丸い花びらをした、花の形に生地を切り抜いてみた。

「やっぱり難しいかな」

「やってみる」

 リンが作った花を見ながら、すっすっとローロが花をかたどる。

 花びらの大きさも均一で、けっこう上手だ。リンの作った花より形が整っている。

「……ローロ、うまいね」

「ほんと?」

 二人で並んで真剣に生地を切り抜く。

 リンは花びらの先端に、小さくV字の切れ込みを入れた。

「リンさん、その花は何?」

「……こういう花、見たことないかな」

「うーん、ないと思うけど」

「そっか。これはね、桜っていう花。私の故郷ではよく見られる花だったんだけど」

「きれいだった?」

「うん。たくさん咲くと空に浮かぶピンクの雲みたいでね。春の象徴みたいな花だったんだ」

 生地をほとんど切り抜くと、残りはまとめて丸い形にした。

 小型冷室から出したチェックのクッキーも、ローロが厚さをそろえて切っていく。

 リンは思い出した。

 ローロが目指しているのは「料理のできるハンター」だった。それとも「ハンターのできる料理人」だったか。


 油を薄く引いた鉄板にきれいに並べ、サラマンダーが温めたオーブンに入れた。

「あと少しでできあがり」

「リンさん、楽しかった。本番の時もまた手伝ってくれる?」

「うん。じゃあ、後でまたハンターズギルドに依頼を出しに行ってくるから。ギルドに報酬の砂糖を預ければいいのかなあ」

 砂糖を預けられたらギルドは困るかもしれないと、エクレールに相談することにした。

「俺、採集がんばるよ」

「うん。たくさん必要になるから、思い切り集めてもらって大丈夫。報酬分なんてきっとすぐだよ」

 王都の社交で使うかもしれないから量が必要になると聞いたローロは、口をあんぐりと開けた。