「えっと、『船門』近くだと言うから、こっちの道でいいのかな。大きい天幕だって聞いたけど」

 リンは分かれ道で立ち止まり、先を見通すように背伸びをした。


 お茶屋さんのリンが突然この世界に飛ばされてからすでに半年。

 この街ヴァルスミアでの生活にも慣れ、普段なら街の小道にも迷いはしないのだけれど、今はちょっと特別だ。

 春の大市の最中で各地から人と物が集まり、街中が祭りのような騒ぎになっている。通りの両脇には屋台の小さな天幕がびっしりと立ち並び、先も見通しにくい。

「よお、リン。一人か?」

 分かれ道でまごまごしているリンに声をかけたのは、ハンターズギルドのオグだ。訪問客の案内の最中なのか後ろに人を連れており、ちょうどリンが行きたい『船門』の方からやってくる。

「ええ。この先に見たい天幕があって」

 この冬にスパイスを運んできていた商会がお茶も取り扱っているという。

 大市でも天幕を出しているとブルダルーに聞いて、いそいそと探しに来たのだ。

「船が着いたばかりですごい人だぞ。気を付けてな。何かあったら、ライアンでもシムネルでもいいからシルフを飛ばせよ?」

「大丈夫ですよ。すぐに戻ります。シロも一緒ですし、ね」

 リンは側に控えるしろおおかみの頭をでた。

「まあ、そこのサラマンダーもやる気満々のようだしな。護衛は十分か」

「サ、サラマンダーの出番はちょっと困るかな……」

 何かが丸焦げになるのは見たくない。

 リンはオグに手を振ると、周囲の精霊をキョロキョロと探しながら先を進んだ。

 ヴァルスミアの街だけでなく、人と精霊が共にあるこの世界にも、リンはこの半年でんでいた。


「クナーファ商会、と。ここかな」

 あちらこちらの国に支店を置く大商会で、特に食品や薬品で有名なのだそうだ。この国フォルテリアスの王都にも支店があるらしい。

 クナーファの天幕は一つの商会が出すにしては大きなもので、左右と後方を覆ったしっかりとした造りをしている。

 入り口から中が見えリンは目を輝かせたが、シロをここに連れてきたのは失敗だったかもしれない。

 もとより食品を扱う天幕にシロを入れるつもりはないが、その手前でブシュリとくしゃみを始めた。ごめんね。とシロの鼻を撫で、少し離れて待っていてもらうと、リンは天幕内に足を踏み入れた。

「うわあ……」

 一目で、そして一嗅ぎで魅了された。

 瓶につぼ、籠や木箱が、棚に床に所狭しと並んでいる。

 リンは口を開けたまま、ぐるりと見回した。


 果実の瓶詰に、砂糖をえんすい型に固めたもの、乾燥した肉や、野菜なども天井から下がっている。

 何かわからないものがほとんどだ。だからこそ知らないものを知る楽しみに気分も浮き立った。

 天幕内に漂う香りは混ざり合って、シロじゃなくとも鼻がムズムズとする。その中でも際立っているのはやはり香辛料で、はかりの側にあるすり鉢から、より強く香る。

 お茶がここに保存されているなら、しっかりと密封されていないと香りが移ってしまうだろう。


「いらっしゃいませ。お連れ様は大丈夫ですか?」

 カウンターの奥から出てきた商人は、外で伏せているシロを見た。

 黒髪で、肌もこの辺りではあまり見かけない、日に焼けたような小麦色をしている。スパイスの国から来た商人だろうか。

「あのぐらい離れていれば大丈夫のようです」

「何かお探しでございますか」

 リンに視線を戻した商人は、力強い目をしたせいかんな顔つきの男だ。その目と口元がわずかに弧を描き、ほんの少し柔らかさを添えた。

「ええと、クナーファ商会でお茶を扱っていると聞いたのですが」

「お茶をお探しでございますか。あいにく季節的に春の大市には、ほとんど持ってきていないのですが」

 そう言って棚に並ぶいくつかの袋に視線を向けた。

 生産国から今年の茶を持ってくるのは、王都の夏の大市か、次の、秋の大市になるという。

 ハッとした。

 確かに今頃からが茶摘みの時期になるだろう。ここにはウーロンチャの冬摘みなどはないのだから。

「わかりました。お茶の産地の天幕が見つからなかったので、こちらにはあるのかなと思いまして」

「昔は茶葉が届くまでに一年近くかかりましたが、こちらにより近い産地が見つかりました。王都で開かれる夏の大市には生産国からも毎年人が来ておりますよ。ですが、お茶をお探しでしたら、私どもクナーファ商会がウィスタントンまでお届けできますが」

 この商人は白い狼を連れた異国の娘の見当をつけていた。

「いえ、ちょっとお茶の生産について、聞いてみたかっただけなんです」

「そうですか。やはりお茶がお好きなのですね。ウィスタントンの薬草茶の開発者は、貴女あなたなのでしょう?」

「えっ!?

 名乗ってはいない。今日はアマンドや騎士も連れていない。ましてやライアンと一緒でもない。

 どうして自分のことを知っているのか。リンは気味の悪いものを感じた。

 きょうがくするリンに、商人はそのグレーの目に再度笑みを浮かべた。

「驚かせてしまいましたか。商人は情報が早くなければやっていけませんよ。ウィスタントンに新商品を次々と考案する女神のような方がいるのではないかと、ハンターたちのうわさつなわせて見当をつけたのです」

「ハンターが噂する女神は私ではないと思いますよ」

 エクレールだ。

「おや、そうですか。……しかし、貴女のような知識を持つ方がいれば、この地の発展は約束されたようなものでしょうね」

「私一人で作れるものは一つもありません。薬草茶一つとっても、思いついたのは私かもしれません。でも、実際に商品となるまでには様々な方の助力があってこそ。多くの新商品が発表されたのも、皆が力を合わせた結果です。一人では何もできなかった。……商人でしたら、生産の現場も当然ご存じかと思いますが?」

 リンはじっと商人の顔を見て、力強い口調で訴えた。

「ええ、よく存じております。ご気分を害されたのでしたら、申し訳ございません。……私は、ロクム・クナーファ。クナーファ商会の副会長です」

 大商会の名と同じみょうじを持つ副会長。どうりで自信にあふれた顔をしている。

 名乗られたら、こちらも名乗らないわけにもいかなかった。

「……リンです。お邪魔いたしました」

 天幕を出る間際に告げた。どうしても無視できなかった。

「もしこの香りの中にお茶を保存されるなら、そのような袋ではなく、しっかりと密封してください。香りが移ってしまっては、生産者が茶葉一枚一枚を大事に摘んで作ったお茶が台無しになってしまいます。それでは」


 シンと静まり返った家に戻り、火を起こすとお茶をれた。

「もう絶対に一人では、買い物に行かないもんね」

 リンはため息をついた。

 大商会を率いるだけあって、目ざとく、耳も早いのだろう。商人がそういうものだと知ってはいるけれど、自分が探られる側というのはどうにも不快だった。



「それで、リン。いったい、何があったのだ」

 リンは現在、ライアンの不機嫌そうな顔を前にして、ウィスタントンの天幕に据えられた長椅子に座っている。


 午前中は良かったのだ。

 リンが作った試作のティーバッグを見ながら、マドレーヌたちと意見を出し合った。

 小袋の口を縛るひもを長くして取り出しやすくしようとか、カモミールの花などのししゅうを入れたらどうか、などと盛り上がっていたのだ。

 針子はヴァルスミアとスペステラ村の女性にお願いしようと話していたところに、思いもよらなかった爆弾がウィスタントンの天幕に届いた。


「は? 私宛てですか?」

「はい、ウィスタントンのリン様宛となっております」

 天幕の応接テーブルに並べられた品に、リンは困惑するしかなかった。

 小さな木箱にはアーモンドに蜜を絡めた菓子に、きんかんのような小さな果実の砂糖漬け、薔薇ばらとスミレの花びらの砂糖漬けといった、甘くてかわいらしいお菓子がきれいに並んでいた。その横には装飾が美しい磁器の壷に入った紅茶に、ピンクやオレンジの色が愛らしい花束。

 突然そんな贈り物がリン宛に届いたのだ。困惑するしかない。

 配達人は届けに来ただけである。

 周囲にうながされ、とりあえず受け取り状にサインをして添えられたカードを開いた。


いとしいリン

   ご助言に感謝するとともに、この出会いを喜んで

          クナーファ商会 副会長 ロクム・クナーファ』


 簡易な文章で、なんとか読み取れた内容を理解したくない。

 側にいたマドレーヌに、ポンとカードを渡す。

 カードを見てマドレーヌが目を見開いた。

「まあ、クナーファ商会からでございますか」

「……やっぱりそうですよね」

 ああ、なんて迷惑なことを。

 男性からプレゼントをもらい、うれしい、じゃなく、迷惑と思うところが恋愛方面に若干残念なリンである。

「これ、返送するわけにはいきませんよね」

「ええ、もう受け取ってしまいましたもの。クナーファ商会は世に名だたる大商会ですが、リン様はお付き合いが?」

「そうですね。昨日、二分間ぐらいの……」


 そこにライアンが、フィニステラ領との商談を終えて商業ギルドから戻ってきた。

 シムネルと商業ギルドのトゥイルも一緒だ。

 リンが届くのを待っていた、十数年前にお茶の栽培を試した文官の記録を手にしている。

「皆で集まってどうしたのだ」

 そう言って応接テーブルに広げられた、菓子を見る。

「なんかいきなり届きました。返送したいんですけど、無理ですよね」

 リンはマドレーヌからカードを受け取り、そのままライアンに見せた。

 さっと目を通したライアンは、無言でリンに座るよう促した。

「それで、リン。いったい、何があったのだ。なぜロクム・クナーファが、君にこのような物を贈るのだ」

 リンはため息をついた。自分の方が理由を知りたいぐらいだ。

「知りませんよ。本人に聞いてください。昨日、ほんの数分話しただけなんですよ。全然、愛しい、じゃありません」

「冒頭の愛しいは、親愛なる、で、手紙の決まり文句だ。それより、ここにある助言とはなんだ」

 リンはクナーファ商会の天幕を訪ねたこと、そこで交わされた言葉、最後にお茶について一言告げたことを説明した。

「たぶん、そんな感じだったと思うんですけど」

「それで助言か」

「お茶がダメになるのを放ってはおけなかったんですよ。作る人は毎日懸命に世話をして作ったんですから」

 周囲にいる者がうんうんとうなずく。皆、自らバーチの樹液を採取したり、薬草茶をブレンドしたりしている者ばかりだ。

「わかった。それで相手は、リンのことをすでに知っていたのだな?」

「ええ。あなたが開発者でしょう、って」

「クナーファ商会は情報収集にけておりますね。さすが大商会なだけあります」

 シムネルが首を振りながら言った。

 トゥイルもうなずく。

「ロクム・クナーファは商会の跡取りです。常に各国にある支店を見て回っていて、まだ若いですが、商品の見極めも商売の勘も他の兄弟より優れている、というのがもっぱらの噂です。大市にも過去に何度か家族と共に来ておりますね」

「私は父親にしか会ったことがないようだな」

「早速リン様に目を付けたのが、さすがというところでしょうか」

「大市が始まって真っ先に商談の打診もございましたよね」

 周囲のクナーファ評を耳に入れながら、認めたくない思いでいっぱいだ。

 そのリサーチ力も、商会の利を考えた迅速な行動も、商人としてはすごいと思うのだ。それが自分に向けられたのでなければ、だけれど。

「リン。クナーファはどのような感じだったのだ」

「えーと、二十代くらいかな。黒髪で、小麦色の肌っていうのかな、淡い褐色の肌で、目力があって」

「違う。容姿の話じゃない」

「うーん? 男盛りというか、自信に溢れた感じですかね。大商会を動かしていますし。こういう『付け届け』でもわかるじゃないですか」

「付け届け、か?」

「ですよね?」

 シムネルがリンの意見にうなずいた。

「確かに女性への贈り物というよりは、付け届けっていう感じですね。個人名ではなくクナーファ商会副会長と記名してありますし」

「あー、贈っているものは女性が喜ぶかんに茶、花ですが、まあ、今後の取引を期待した付け届けと言えなくもないですね」

 トゥイルも賛同した。

「ですよね? 私としては、身辺を探られて気分は良くないです。それが商会として必要なのだとわかっていても。まあ、悪い人ではないんでしょうけど……」

 リンはお茶の壷を開けてのぞき込み、香りを嗅いだ。

「これ、返せないなら、せっかくですから皆で飲みませんか? お菓子もたくさんありますし。あ、花は水に入れておきます」

 リンはさっさと立ち上がってお茶の用意をし始めた。

 シムネルがその様子を見て、ひそひそとライアンにささやく。

「ライアン様、大丈夫ですよ。リン様は付け届けと思っていますから」

「シムネル、うるさいぞ。実際そうなのだろう?」

「そこは贈った本人に聞く以外、真相はわからないと思いますが。どちらの意味もあると思いますよ。全く素早いですよねえ」

 感心したように言うシムネルを、ライアンはにらむ。

 めっに一人で出歩かないリンが一人で出歩くから変なモノをひっかけてくるのだ。だいたいシロが一緒なのにどうしてそのようなことになったのだ、とライアンの思考は流れていく。

 完全な八つ当たりだ。


 リンは試飲用のカップも使い皆にお茶をれ、菓子の箱を差し出して配っている。

「ライアンもどうぞ。ちょっと甘そうですけどね」

 そう言うと、リンは小さな果実の砂糖漬けを口に入れた。

 ゴロゴロと実を動かし、ほおを丸く膨らませたまま話す。

「あ、そうだ。夏の大市には、お茶の生産国が毎年出店すると教えてもらいました」

「行きたいのか」

「うーん、王都ですもんねえ。大変じゃなければ行ってみたいかなあ。……あ、これ、中がシロップ状になってる。うわ、ちゃちゃ甘い」

 口の甘味を流すように紅茶を飲むリンを見ながら、ライアンは自分の前に置かれた菓子箱から、比較的砂糖がついてない薔薇の花びらを選んで一枚つまんだ。

 だが、これも甘かった。

 眉を寄せながら、脇にある明るい色合いの花束に目をやる。幾重にも重なる花びらが丸く愛らしい形の花だ。

「……リンの花までは調べられなかったようだな」

 リンはふふっと笑った。

「調べられても、あの花を摘めるのはライアンしかいないですよね?」

 ライアンはリンの花を決めた過去の自分を、心の中で褒めることにした。


 ロクム・クナーファは夕方、マーケットプレイスから少し外れた屋台の集まるエリアに向かった。

 その周辺には数軒の酒場があるが、どの店も大市の期間は店内に食べ物の持ち込みを許可している。普段この辺りでは見かけないものも多い。領の者も観光客も屋台でつまみになるようなものを買い、店に入って酒を注文する。

 ロクムは屋台でラミントン領の焼き貝を頼むと、すぐ後ろにある酒場の店外席に座った。ロクムを目で追っていた給仕の女性が飛んでくる。

「春ビールの、弱い方を頼む」

 先週食べた時と違って、焼き貝にはサントレナ産らしいレモンが添えられていた。屋台で勧められた通りにレモンを絞ると、いその香りが弱まりさっぱりと食べられた。

 これはいくつでも食べられそうだ、と思いながら、周囲の会話に聞き耳を立てる。

 目の前の屋台で、同じ焼き貝を買い求める男たちがいる。

「毎年、春の大市が楽しみだ。コレが食べられるからな」

 客が好物を見てを細めた。

「ああ、この時期のミディ貝は最高だからね。兄さん、貝が好きならラミントンの天幕に行きなよ。貝のオイル漬けが売り出されたからよ。あれもなかなかよ」

「へえ。それはまだ食べたことねえな」

「ああ、できたばっかりよ。ほら、この小型の冷室も最近できたろう? これに入れたら、一週間は大丈夫さ」

「『冷し石』ってやつだろ? 本当に冷えてんのかい?」

 男たちは貝が焼きあがるまで、今度は『冷し石』の値段やら、便利さを屋台の者と話していたが、貝を手にすると空いている席を見つけて酒場の中に入っていった。

 ラミントン領か。

 初週に見て回った時はオイル漬けなどなかったが。また見にいくべきだな、と思いながら、全く酔えそうもない酒精が弱めのビールを流しこんだ。

 添えられはじめたレモンといい、新商品といい、ラミントンには優秀な文官がそろっているらしい。考案者がいて、それを承認し、実行するのを良しとする上がいるということだ。

 そういう土地は商人として面白く、また商売がしやすいものだ。確か領主が代替りしたばかりのはずだが、これから良く変化していく領地だろう。

 注目すべきだな、と、ラミントンの天幕にいた文官の顔を思い出しながら、前の屋台にある小型冷室を眺める。


 あの冷室だってそうだ。

 大市の前日にこの領の文官によって配られた『温め石』も、面白いことを考えたと思った。この大市で試しに使わせるとはいい戦略だと感心していたら、この短期間に今度は『冷し石』が発表となった。『温め石』以上に重要なのは間違いない。商品としてもだが、商会の船や荷馬車には必須の道具となるだろう。

 商談はすでに申し込んであるが、特注の大きさと合わせ、いくつの石を押さえるべきだろうか、と思考にふける。


 先ほどの給仕が近づいてきた。

 またか、と思った。大商会を動かしているからなのか、堂々とした姿に色気があると評されるロクムは、よく女性に声をかけられる。

「ねえ、貝の他にも、何かつまみが必要じゃないかねえ?」

 なにかを期待する熱っぽい目を流されるが、気づかぬ振りをして小銭を渡した。

 あいにく、まだ重要な仕事中だ。

「そうだな。ウィスタントンの屋台で何か買ってきてくれるか」

「あいよ」

 女はため息をついて、前の広場に出ていった。


 ウィスタントンのかんりょうに慌てたのも、この近くの店で食べていた時だった。

 大陸で甘味料ができたという情報は、砂糖の取引を一手に引き受けるクナーファ商会にとって、決して見逃せぬものだった。

 食べるのもそこそこにウィスタントンの天幕に向かい、見つけた新商品の数々。ウィスタントン産だという砂糖もしっかりとあった。スパイスなどの輸入品を使った商品まで並んでいる。今までのウィスタントン産の商品と全く違う品揃えに、ロクムは驚きと興奮を押し殺すようにしたが、成功していただろうか。

 フォルテリアス国内では、ウィスタントンはいろんな意味で特別視される場所だ。国の礎で、聖域がある土地。商人にとっては、王都以外に、唯一大市の開催を許されている場所としても重要だ。

『賢者』と呼ばれる精霊術師が住まう土地でもあり、『温め石』などの精霊道具はいかにもウィスタントンらしい商品だろう。今代の賢者は領主の息子だから、領が力を入れるのもよくわかる。

 だが、精霊道具ではない新商品が、これほど一気に出てきたのはどういうことか。

 商談までに十分な情報を仕入れるために、遅めの時期に会合を申し入れた。

 数日、今のように座って飲んでいるだけで、ウィスタントンの情報がロクムの耳に入ってきた。

 難民がさらに増えたこと。見習いさんと呼ばれる、異国の術師の少女が滞在していること、初日に皆を驚かせた白いおおかみのことや、リンという名のハンター見習いがシロップ生産の指導をしたらしいこと。新しい村が建設されていて、景気がいいこと。

 そんな欠片かけらつなわせて、どうやら北の難民の少女らしいと見当をつけたその人物に興味を覚えていたら、本人が目の前に現れたのだ。

 北方出身の難民のようにも見えず、そして本当に少女だったことにまず驚いた。真っすぐに開発者は貴女あなたかと聞いてしまったら、言葉を失い、きょうがくを顔いっぱいに表していた。

 気分を害したのか、商人は生産現場を知らないのか、といったいやまで言われてしまった。

 だが、皆で協力したのだとこちらを真っすぐに見上げ、実にいい目をしていた。アイデアを形にする優れた文官がそろっているのだろう。そう、ラミントン領のように。

 商人としては当たり前だと思うが、見も知らぬ人間が自分のことを知っているのは、怖かったのではないだろうか。おびも兼ねて、商会で一番いい紅茶に、女性に好まれやすい甘い砂糖菓子と花を贈ったが、無事に受け取ってもらえたようだった。

 まず間違いなくウィスタントンの変化に彼女が関わっているのだろうが、商談までにさらなる情報が欲しいところだ。


 ロクムが二杯目のビールを注文していると、近くから同じように情報を集めているらしき、商人の声が聞こえてきた。

 すでにだいぶ酔いが回ったようなハンターたちにビールを差し出している。

「商談成功祝いも一人ではなんですからね。どうぞお付き合いください。さあさあ、もう一杯。……それで、三月は森で忙しかったのですね」

「おうよ。ヒック。いつもは暇な月なんだがなあ、今年は見習いさんのおかげで、ヒック、毎日ずっと森よ」

「そうだよなあ、大市でもたっぷり飲める軍資金になって、ありがてえよなあ」

「森のどの辺りまで行かれたんですか?」

「森か? おう、森の恵み、バンザーイ。ヒック。ドルー様に感謝をー」

 だいぶいい感じに酔いが回っていて、すでに三回目ぐらいの乾杯の音頭が聞こえてくる。

「そういやあ、だいぶったが、俺たちの命の水はまだできねえのかね?」

「おや、命の水なんてあるのですね。さすがはヴァルスミア、聖域のある森だ」

「おう。見習いさんがなあ、ヒック、教えてくれるのよ。ドルー様がいるからなあ。水はうめえよ。だがなあ、命の水はー、ヒック。もっとうめえ」

「美しき女神も楽しみにするぐれえだもんなあ」

「そうですか、見習いなのにすごいですね。命の水なら私もぜひ飲みたいものです。さあ、もう一杯」

 ハンターたちの命の水とは、酒でも造っているのだろうか。

 それにしてもおかしな商人だ。そんなに酔い潰したら欲しい情報も聞きだせないだろうにと、それとなくそちらを眺める。

 締まった身体つきの男がハンターに酒をいでいる。かっこうはフォルテリアス商人だが、どこか不自然な気がする。顔も見覚えのある者ではないようだ。表情も口調も柔らかくしているが、目つきはしっかりと冷めていた。

 珍しいことではない。

 恐らくどこかの国のちょうほうかんだろうと見当をつけ、ロクムはまた広場に顔を向けた。


「リン様、今日もこのまま裏から出られた方がよろしゅうございますよ」

 裏庭に作った畑で日課の水やりをしていると、表の確認に行ったアマンドが戻ってきた。

 大市もすでに半ばを過ぎたが、各地からの出店数も一層増え、ヴァルスミアを訪れる者も多い。

 家の辺りは天幕もなく静かだったのだが、人が増えるにつれ森の前まで来る者も多くなった。

 聖域参拝と言うらしい。

 森の前でひざまずいてドルーに挨拶をし、そこにある大石のくぼみに少々の小銭を置いていく。ユール・ログのりだしの時にはパンや酒瓶を載せていた、テーブル代わりの石だ。そして森の塔前に立つ騎士に、「どうぞ森の維持にお使いください」と挨拶をして去っていく。

 誠に整然とした参拝だが、ライアンがいるとちょっと違う。

 工房や塔から出た途端に、「白銀の髪よ」、「賢者様だ」とささやく声が聞こえ、遠巻きに囲まれ、チラチラと見られる。ライアンは慣れており、無表情でそれにうなずくと、スタスタとシムネルを従えて去っていくが、中にはライアンの移動に合わせてウィスタントンの天幕までついていく者もいる。ヴァルスミアの者は丁寧に挨拶をしても、そんなことはしないので驚きだ。


 賢者とはアイドルだったのだ。

 ライアンは見目麗しく端整な顔立ちで、目の保養になるのは確かだ。リンの保養にもしっかりなっている。

 精霊術師のネイビーブルーのマントをまとえばりんとしてストイックな感じがあるし、貴族の衣服の時は華やかだ。しかし、女性がヒソヒソ、きゃあきゃあと声を押し殺しながらついていくのはわかるけれど、男性も混じって話しかけたそうにしている。

 この家が賢者の工房だということは知られているので、ライアンだけではなく、シムネルやアマンドが外に出ても視線が飛んでくる。目立つので人がいる時は裏から出ているのだ。

 森での採集も最近では早朝にしている。

「シロ、行くよー」

 裏庭の隅で穴掘りに励んでいたシロを呼び、天幕に出勤した。


 開店直後だが天幕内の雰囲気はすでに慌ただしく、数名が商台をのぞいていた。

 早朝に大きな船が到着したらしい。

 それで森の前も渋滞気味だったのか、と、すぐに試飲用のお茶を用意しはじめた。

「リン様、リラックスの試飲は、ございますか?」

「はい、これ。できていますよ」

 三種類のお茶は、裏では「リラックス」、「ワーク」、「ラブ」と呼ばれるようになっていた。お茶と合わせたシリーズになっているウィスタントンせっけんも同様だ。

「ラブが足りません」

「ラブの補充に行ってまいります」

 そんな言葉が飛び交っている。

 そうそう、ラブは大事だよね、とリンは笑いをこらえながら、裏から補充する石鹸を出すと商台へ説明に向かった。


「リン様、お昼はもう済んでおりますか?」

 お昼過ぎに、商談のためにライアンとギルドへ行っていたシムネルが天幕に戻ってきた。

「ええ、戻ったばかりです」

「ちょうど良かった。これからライアン様がベウィックハム領の担当者を連れてまいりますので、お願いします」

 ここ数日、同じような商談が多くなっている。最初か最後にここで商品を見て、そして味わってもらうと話が早く進むらしい。

 今日は「薬のベウィックハム」と呼ばれる、薬草栽培で有名な南の領地との商談だったはずだが、薬草の買い付けはうまくいったのだろうか。

 リンが薔薇ばらのティーセットを用意しながら待っていると、ライアンが数名の客人を連れて現れた。薬草関連の商談だったからだろう、薬事ギルドのマドレーヌも同席していたようだ。若い男性がその中心にいるが、騎士を伴っていることといい、着ている衣装を見ても文官ではなく上位貴族だと思う。

 シムネルさん、これは聞いてないよー、と心の中で思いながら、皆と一緒に慌てて腰を落とした。

「頭を上げて構わぬ」

 ライアンはベウィックハム領の若者を椅子に案内し、リンの手を取って頭を上げさせる。

「クラフティ殿、この場のシルフを払わせてもらうが、よろしいか」

「は、はい。かまいません」

 ライアンの問いに、その若者ははっとして返事をした。彼は口を引き締めて真っすぐに椅子に座り、若干緊張しているようだ。

 ライアンはいつものように『風の壁』で囲むとシルフを払った。

『シルフ払い』は誰の目にも風の姿が見えるので、見ていて楽しい術だ。ライアンを中心にして、緑の風がすぅっと渦を巻き、『風の壁』の外まで下がっていく。

 これでどんなに優秀な風の術師にもこの中の話は探れない。

 同時に『シルフ飛伝』が来ても届かないので常に壁の外に注意を払うか、シルフの見える風の術者を外に立たせておく必要がある。

 ベウィックハム領からの客人たちは初めて見る『シルフ払い』に息を凝らし、できあがった壁を見回している。ウィスタントンの者はこの短期間ですでに見慣れたようだ。


 リンはマドレーヌに手伝ってもらい、薬草茶の中からローズマリーの入った「ワーク」を選んでれた。このローズマリーはベウィックハムから取り寄せたはずである。

「クラフティ殿、紹介しておこう。彼女はリンという。薬草を使用した商品の開発者だ。リン、ベウィックハム伯爵の次男でクラフティ殿だ。成人となった昨年より薬草栽培の任に当たられている」

 ライアンに紹介され、リンは慌てて薬草茶をテーブルに置いた。

 こっちでの成人って十七歳だっけ、というより、ここにもご領主様の御子息がいた。ホントこれは聞いてないよー、と丁寧に頭を下げると、ライアンの横に座るように促された。

「リン、それでは話が進まぬ。……とりあえず商談は終わった。ただ、今後のことを考えても、できれば薬草栽培はベウィックハム領とも協力体制が組めればと思っている」

 ティーカップを手に取り、ライアンはクラフティにも勧めた。

「薬以外への薬草の使用例を実際に見てもらった方が早いだろうと思い、こちらへお連れしたのだ」

 リンがうなずいて説明する。

「こちらはベウィックハム領のローズマリーを使用した薬草茶になります」

 クラフティがカップを手に取り、中の薬草茶を興味深そうに眺めた。

「お話をうかがって驚きましたが、薬以外への薬草の使用は我が領でも前例がありません。このように茶として飲んだこともなく」

 少しためらいながら続ける。

「その、精霊術学校でも、術師が薬にするからこそ薬草はその薬効を最大限にかせるし、価値をより高めると習ったものですから、どうもその考えが頭にあるのです。文官の方より事前にお話をいただいた時も、それですぐの回答ができずにおりました」

 ライアンが大きくうなずいた。

「ああ。それが主流の考えであることは理解している。だからこそウィスタントンの新しい取り組みを、栽培者である其方そなたに直接見てほしかったのだ。……リン、クラフティ殿は土の精霊術師でもある。私と同様にその力を領のために使っておられる」

「いえ、あの、私は術師としての腕はさほどではないのです。賢者様に、いえ、ライアン殿にそのようにおっしゃっていただけるほどではなくて、あの」

 クラフティは焦ったようにお茶を飲み干した。リンよりもコチコチだ。

 ライアンは苦笑する。

「そのように謙遜されずとも良い。其方の側にいるグノームは落ち着いている。良い術師なのだろう」

「あ、ありがとうございます。あの、賢者様にそのようにおっしゃっていただき光栄です。お会いできるのを楽しみにしておりました! この度発表となった精霊石もまた素晴らしくて……」

 真っ赤な顔をしている。これはバリバリの賢者ファンかもしれない。

「ははあ……」

 リンはピンときた。

「ん? どうした、リン?」

「いえ、なんでもないです」

 なぜ女性ばかりでなく男性もライアンの後をついて歩くのだろうと不思議だったが、あれらはクラフティのような賢者ファンの精霊術師なのかもしれない。憧れのヒーローに会ったようなものなのだろう。

「昼には『金熊亭』の薬草入りソーセージを届けてもらい、それも味わっていただいたのだ」

「そうですか。じゃあ、ここではデザートにいたしましょう。お茶は普通の紅茶を淹れますね」


 今日はデザートの新作があるのだ。

 ブルダルーと館の料理人と一緒に、何回も失敗しながら作った「カモミールとハニーミント入り ふわふわシフォンケーキ」である。

 材料が簡単でリンでも覚えていた。

 卵が三つ、砂糖と小麦粉が九十グラムずつ、油と牛乳で九十グラムだ。

「卵白の泡立てはツノが立って、曲がるぐらいにしてください」

「それは山ヤギのツノぐらいだろうか」

 などと、珍妙な問答をしていた館の料理人は今、ふわふわの泡立てにハマっていた。

 今までのタルトやケーキよりも軽やかで、新しい流行となり始めている。この間のばんさんかいではムースの評判も大変良かったらしい。

「こちらも薬草入りのケーキです。薬草も含め、すべてウィスタントンで採れた材料ばかりで作っています」

 油も最初はオリーブオイルを使ったが、料理人がすべてウィスタントンのものにしたいとバターに変えて何度も試したのだ。バターのコクが足され、しっとりしているけれどふんわりと仕上がった。

「新作か」

 ライアンは最初に一口分を精霊用に皿の脇に切り分けてから、そのフワフワを口に入れた。

「柔らかいな」

「ええ。館の料理人が試作を重ねた自信作です」

 クラフティはライアンに続いて食べると、目を見開いた。

「おいしい……。薬草茶でも思いましたが、薬草の風味はあれど苦みを全く感じません。甘いだけではなく爽やかな香りがして、これはカモミールでしょうか?」

「そうです。他の薬草も使っていますが、このすがすがしい風味も薬草の持ち味です。お茶にすればリラックス効果があるのですよ」

 リンが言えば、後ろで控えていた薬事ギルドのマドレーヌも付け加えた。

「薬効を考えれば、もちろん精霊術師ギルドの言う通り、薬にすれば最大になります」

 マドレーヌが商台を手で示して続けた。

「ですが、カモミールはこちらの美容クリームにも配合しておりますが、肌への穏やかな薬効が確認されております。初夏には今年の収穫ができますので、フローラルウォーターなども試す予定です。薬草は今後ますます身近なものとなるでしょう。私どもはこれらの商品に薬草が持つ可能性と広がりを感じたのです」

「拝見してもよろしいですか?」

 クラフティとベウィックハム領の者たちは、並べられた石鹸、クリーム、ヘアトニック、お茶といった商品を手に取り眺めた。そして、商台で石鹸の香りを嗅ぎながら楽しそうに選ぶ人の顔も。

 自領の薬事ギルドで、こんなに楽しく選んでいる者はいるだろうか、と思い返しながら。

「よくわかりました。ベウィックハム領も今後、薬草の栽培面でご協力できればと思います。ライアン殿のおっしゃった、薬の購入ができない民のためにもというお話にも共感いたしました。それに、薬草が持つ可能性を私たちが狭めてはいけないと思います」

 クラフティは真っすぐにライアンを見て言った。緑の目がキラキラとしている。

 ライアンが立ち上がり、手を差し出した。

「協力体制が組めれば、双方の領地にとって、何よりフォルテリアスの民にとって益となるのではないかと思う」

「はい。どうぞよろしくお願いいたします、賢者様」

 差し出された手を握るクラフティの後ろには、まるでぶんぶんと振られている尻尾しっぽが見えるようだった。


 大陸で通称『スパイスの国』と呼ばれる国にも、当然、正式な名称がある。大陸よりだいぶ南にある、大きな四つの島から成る国だ。それぞれの島におさがいて、その長の家名をつなげて国名としている。現在はタヒーナ タブラレア カシ タルム国というが、とにかく覚えにくい。

 どこかの島で長が代われば、国名の一部が変わる。四家で最も強い家がどこか、というパワーバランスでも、国名に家名が上がる順番が変わってくる。間違えると非常に面倒なことになるのが想像できるだろう。

 そんなことから、大陸ではいつしかこっそり、でも今ではけっこう堂々と『スパイスの国』と呼ばれている。

 ここ数代は常にタヒーナ家が一番強く、そこの家長が国の代表として大市にやってくる。今回もタヒーナ家の若き長、タブレット・タヒーナが来領しており、その商談が館の一室で行われた。

 ライアンはシムネルと館の文官を数名そろえて参加していたが、一通りの商談が終わってそれぞれの文官を下がらせて一息ついたところだった。


 タブレット・タヒーナはライアンとそう変わらぬ年齢だが、すでに五年以上、長として務めていた。淡い褐色の肌に金の髪、そして青と黄金色のオッドアイが印象的な青年だ。幼い頃から父と共に大市にやってきていたタブレットなので、ライアンとも親しく、来領の度に非公式に酒を酌み交わす仲でもある。

「今回、スパイスの増量希望と聞いてどうなることかと思ってはいたが、うまく調整ができそうだな」

「ええ。我が領に貴国の需要に見合う商品があり、幸いでした」

 二人で目を合わせて、ニヤリと笑う。

 国際取引では金貨、もしくは金や銀そのものが使われるが、取引相手に相応の商品があれば物々交換が優先されている。今まで『スパイスの国』がウィスタントンから欲しがるのは、水の浄化石、薬、水の石、貴石ぐらいだった。

 毛皮は暑すぎて需要がなく、木材も遠すぎて輸送に問題がある。水の浄化石は国の取引となるし、水の石はどの領からもオファーされる。今まではウィスタントン独自のものといえば、薬と貴石が取引項目として挙がるぐらいだった。スパイスを増量で欲しいとなると、どれだけの金貨払いとなるのか、というのがウィスタントンの懸念だったのだ。

 それが今回は違った。

「ライアン、『冷し石』は本当に助かる。いくつか特定の大きさでも作ってほしいが、大丈夫だろうか。『温め石』も、島によってはまきとなる木が少なく、苦労が多かったのだ。これで皆が温かい食事をとりやすくなる」

「ああ、特注も大丈夫だ。今回は民の生活の一助となるものができたと思っている」

「それから個人的に土産みやげが欲しい。公衆浴場で使っていた、あのスパイスのせっけんと茶は面白い。あと貴石を装飾したブラシを五つほど、妻たちに贈りたい」

 ライアンは眉を上げ、タブレットの顔をまじまじと見た。

「タブレット、いつ公衆浴場へ行ったのだ。いや、それより、また妻が増えたのか。昨年は三名だったと思ったが」

「お? 妻は他の長の家からで、三名のままだな。これ以上増やすのは家の関係上問題となるので無理だ。だから後はあいしょうとしている。どうしても、と頼まれたら、嫌とは言えぬだろう?」

 婚姻は政治的な側面があるようだが、この男はとにかくモテるのだ。長としての力量があり、十分な金もある。館のメイドたちに言わせると、口元がセクシーで、あの目で見られるとフラフラとしてしまう、らしい。そういうメイドを賓客に近づけないよう、セバスチャンが配置に苦慮していた。

其方そなた、女性に対しては相変わらずだな」

「お前といい、オグといい、北の国の人間はどうしてそう、カチカチに堅いのだ。服を多く着るせいか? 南では男も女もオープンで、ホットだぞ。スパイスの輸入を今年は増量するのだ。もっと使え。そしたらきっと溶けるぞ。スパイスは身体もだが、心も温めるのでな」

「『スパイスの国』の代表らしい言葉だな、記憶にとどめておこう」

 タブレットは、ああ、そうしろ、とうなずいた。


 二人は立ち上がり、ドアへと向かう。

「ああ、ライアン、お前がさっき言っていたガーリックとターメリックだが、どのぐらい必要なのだ。ガーリックは匂いが強くて、大陸では好まれるかわからんぞ? ターメリックは、ほら、これだ。料理でも布でも染色に使うが、また新商品でも出すのか?」

 タブレットは腰に巻いた鮮やかな黄色のサッシュを触ってみせた。

「いや、料理に使うと言っていたぞ。ガーリックは香味野菜で多くの食材と合わせておいしく、スタミナが付くと言っていた。ターメリックは酒を飲む人間に良いらしい」

 ライアンは「これは二つとも需要があるはず。皆、お酒好きだし」と、リンがブツブツ言っていたことを思い出す。

「ほう。その者は我が国の人間でもないのに詳しいな。ガーリックは確かに精が付く。だが、ターメリックが、なぜ酒を飲む人間に良いのだ?」

「詳しくは聞かなかったが……。どのぐらいの量が必要かと合わせて確認しておく」

「なあ、料理に使うということは館の料理人なのだろう? 詳しく聞きたいが、面会はできぬか?」

 ライアンはタブレットをリンに会わせるのか、と一瞬ちゅうちょした。そのためらいを、タブレットは見逃さなかった。

「女だな? その料理人は、女なのだな?」

「違う。料理人ではない」

「女なのは、確かなのだな! お前の愛妾か! ……ライアン、心配するな。人の女に手を出すほど、不自由はしておらぬ」

 タブレットはニヤニヤ顔で、詳しく話せと、ライアンの肩をガシッとつかむ。

「そのようなことは心配しておらぬ。タブレット、離せ。それに、リンはそういう者ではない。弟子のようなもので……」

「ほう、リンというのか。お前の女じゃないなら、会ってもかまわぬだろう?」

「……何のためにだ」

「スパイスに詳しそうだからだよ。国の主要産物で、私はこれでも長だぞ。お前が同席するならいいだろう?」

 確かにそうだ。いつもふざけたようなことを言っているが、若くして長に就いてもどこからも反発が起きなかったぐらい、有能で、らつわんな国のトップだ。

 ライアンはしっかりと自分の頭を冷やした。

「非公式で良いなら、予定を合わせるように手配をしよう」

「頼む。……お前の女を紹介されるのは、初めてだな」

 ライアンがジロリとにらんでも、タブレットはまだニヤニヤと口元をゆるめて、気にしない。

 有能で、辣腕で、手に負えない、魅力的なやつ。それがライアンとオグのタブレット評だ。それでもオグと三人、なぜか妙に馬が合って、お互いに大市での再会を楽しみにしている。


 二人が廊下に出ると、シムネルと共に、日に焼けた肌をした黒髪の男が待っていた。

 先ほどの会合でタブレットの後ろに立っていた者の中にいた気がする。

 丁寧に頭を下げたその男に、タブレットが声をかけた。

「ロクム、どうした」

 ライアンは、ハッとして見た。

 ロクム・クナーファ。リンに菓子と花を贈った大商人だ。

 スパイスの流通販売を一手に引き受けており、クナーファ商会の者が『スパイスの国』の天幕にも手伝いに入っている。その関係性を考えれば、あの会合に同席していたのも納得だ。

 リンの言った通り、確かに自信にあふれた顔をしている。こちらもすごうでで有名だったか。

「はい。ライアン様がお探しの物に心当たりがございまして」

 ロクムはライアンに向き直り、再度頭を下げた。

「お初にお目にかかります。クナーファ商会のロクム・クナーファと申します。先ほどおっしゃっていた『バニラ』ですが、恐らく当商会で仕入れましたばかりの『バニラ豆』のことではないかと思います」

 バニラもリンの書いた「欲しいスパイスリスト」の中にあったものだ。

「そうか」

「バニラ豆について知る者がいないのです。ですので、その使用方法もぜひご教示いただければと思いまして」

「私もそれは聞いたことがない。ロクム、どのような物なのだ?」

「砂糖の仕入れ先の島に咲く、美しい花なのです。使うのはその実なのですが、現地ではミルクに入れているようです。サフランのように高価ですが、とても魅力的な甘い香りをしています。ですが、なかなか使う人間がおりませんで」

「リンはデザートに使いたいと言っておったが」

 リンに聞けばとして教えてくれるだろう。食べたいデザートリストまで作っていたのだから。

 ライアンは今度こそ、大きなため息をついた。

「わかった。タブレットが会う時に、一緒に同席できるように手配しよう」

「おお、これも同じ者か!」

「ありがとうございます。リン様にもよろしくお伝えくださいませ」

 ロクムは最後にもう一度丁寧に頭を下げ、タブレットと共に去っていった。どうしてお前がリンを知っているのだと、二人で言い合いながら。


 ライアンもシムネルと一緒に、館内の執務室へ足を向ける。

「ライアン様。お疲れさまでした。今のご様子では、タブレット様もリン様にご興味が?」

「スパイスについて聞きたいそうだ。アレは長だからな、断りはできぬ」

「ロクム殿も、あのリストがリン様の要望だとわかっていたようでしたね」

「同席してまとめて会わせるのが一番問題がないと判断した」

 それぞれが国や大商会を率いており、その在り方に責任を持ち、発展のために尽くしている。その立場と重責を知っていて、断れる要望ではなかった。

 タブレットたちが去った方から、きゃあという悲鳴がここまで聞こえる。どうせまた、メイドに視線を投げたのではないだろうか。

「タブレット様は、相変わらず華やかなようでございますね」

「妻に愛妾二名が加わって、五名になっていた。準備する進物の数を訂正しておいてくれ。あと、ブラシの特別注文が入った」

「かしこまりました。あのお二人は、特に女性から人気があるようでございますから」

「ロクムもそうなのか」

「ええ。タブレット様には、さすがに女性の方から声をかけるのははばかられますが、ロクム殿には街でも声をかける者は多いそうで。ご容姿も魅力的ですが、お二人とも成していることへの自信と余裕があり、女性には頼もしく見えるのでしょう」

「自信と余裕か。リンもロクムのことを、自信に溢れていると評していたな」

 ライアンは考え込んだ。

「ライアン様、なにかお悩みのようですが、ライアン様には、ライアン様の魅力がございますからね?」

「……私の魅力とはなんだ、シムネル」

 この主からそんなことを聞かれる日が来るとは思ってもいなかったシムネルはろうばいした。

「そ、そうですね。そのような大事なことは、女性の意見をうかがうのが、ええと、そうです。リン様にうかがうのが一番かと存じますが」

 すみません、リン様。あとはお願いいたします、と、シムネルは心の内でそっと謝罪し、リンに丸投げした。


 街の巡回に出ていたオグが中年の男を伴ってウィスタントンの天幕へやってきた。近くまで来ると、その男はダダッと天幕に駆け込んで、クグロフの後ろでブラシにヤスリをかけていたガレットの前に膝をついた。

「師匠、よく、よくご無事で。私はもう二度とお会いできぬものかと……」

 押し殺したような涙声が聞こえる。

「おお、その顔はスキアーか。……本当に、久しぶりだ。ここの王都にいるんではなかったかの?」

「そうでございます。王宮経由で、師匠がこちらにいらっしゃると連絡をもらったのです」

「そうか、連絡をせずにすまなんだの。遠いところを来てくれたのか」

 リンは横に立つオグに聞いてみた。

「どなたなんですか?」

「ああ、王都の有名な木工細工師で、ガレットのもとに弟子入りしたことがあるらしい。さっきの船で着いて、『船門』で問い合わせているのに行き合ったんだよ。王族や、たぶんウィスタントン公爵も顧客だと思うぞ」

 ガレットがクグロフに、スキアーはお前の兄弟子になるな、と紹介をしている。

「師匠のもとにいたのは、もう三十年近く前になります。エストーラがあのようなことになって、をたどってお探ししましたが、一向に行方ゆくえがわからず……。まさか国内におられたとは」

 そう言って、スキアーはまた涙を拭いた。

「心配をかけたようだの。私はもう引退だが、このクグロフがこの近くに工房を持っての。そこでたまに若い者に教えておるのだ」

「それはなんと貴重な。私の弟子も送り込みたいです。それにウィスタントン公爵様のもとにおられるとは、本当に安心致しました」

「逃げている間は明日をも知れぬと思ったが、今は公爵様方のおかげで落ち着いて暮らしておる」


 商業ギルドの者が椅子を勧めると、スキアーは何かに気づいたような顔をして椅子の背を触る。

「これは私が公爵様に納めたものでございます。……おお! それにあれはご成婚祝いの、師匠の作ではございませんか。私は王都であれを拝見し、師匠のもとへ弟子入りを決めたのです」

 奥のキャビネットを懐かしそうな顔をして見ていたかと思うと、応接セットのテーブルや長椅子を触り、不具合がないかを確認し始めた。気になる部分があったのか、クグロフに道具を借りて磨き始める。

 職人だ。見事なまでの職人だ。職人とは皆、同じような行動をとるものらしい。

 リンはくすりと笑った。

 昼時だし、せっかくだからゆっくり話そうと、木工細工師の三人は連れ立って出ていった。


 それをオグと見送っていると、今度はいかにも貴族らしい、堂々とした三人連れが天幕にやってきた。少し離れて、ウィスタントンの群青のマントを肩に羽織った、護衛らしき騎士も控えているのが見える。

 一斉に頭を下げた。

 リンも最近は貴族の来訪に慣れてきたと思う。でも、この三人は着ている服といい、身のこなしといい、雰囲気は完全に上位貴族だ。同じような金髪でどこか似通った雰囲気もあり、兄弟だろう。華やかなハンサム三兄弟だ。

「新しい商品が紹介されていると聞いて参った。時間はあまりないのだが、こちらに開発者がいると聞いた。手短に説明を願いたい」

 三人は並んでいる商品を興味深げに眺めると、一番年長らしき男がリンに目を留めて言った。低い、よく響く声だ。その男は他の二人をリンの前へと押し出す。

「はい。それでは、どうぞこちらへ」

 奥の応接に通すと、二人が座り、年長の者はここで良いと商台の近く、オグの側に立ったまませっけんを眺めている。

 リンは『ワーク』の薬草茶を薬事ギルドの者に頼むと、一通りの商品が載ったトレイを二人の前に置いて、一つ一つ説明を始めた。誰かライアンに連絡をしてくれているだろうか。

 一番若い男が明るい声でリンの説明にあいづちを打ち、興味深げに質問を繰り返す。

「こちらはウィスタントン領で採れる薬草を加えた薬草茶となります。先ほどのウィスタントン石鹸と関連づけた名にしておりまして、『ワーク』になります」

「ふむ。香りが爽やかで、薬草でも全く苦くはないのだな。其方そなたはすべての商品に詳しいが、開発者か。名前は?」

 男がお茶に添えられた、二つ目のメレンゲクッキーをかじりながら聞く。

「は、はい。リンと申します」

「そうか。私はケイン、で、これが」

「キアニーです」

 椅子に座る男がカップから顔を上げて、にっこりと笑いかけた。

 そして二人そろって、表近くに立っている一番年長の男を見て促した。

「……シブーストだ」

 コクリと一つうなずかれた。

 リンはもう一度、ペコリと丁寧にお辞儀をした。

「王都でも、ウィスタントンで新しい商品が発表になったとうわさになっていたのだ。……そうか、其方が」

 ケインは緑の目でリンを見つめると尋ねた。

「開発者はその名を商品につけるようだが、なぜ其方の名前ではなくウィスタントン石鹸という名前にしたのだ」

「え、えーと、ウィスタントンの領内で開発された石鹸だから、ですが」

 そこへ表を見ていたシブーストが割り込んだ。

「……行くぞ」

 他の二人がそそくさと立ち上がった。

「リン、慌ただしくてすまないが、大変勉強になった。感謝する。王都の方へもぜひ来てくれるとうれしく思う」

「では、また」

「ありがとうございました」

 三人が早足でマーケットプレイスを横切っていくのを、リンはため息をつきながら見送った。

 裕福な貴族だと思うが、商談まで持っていけなかったのが残念だ。


 入れ違いにライアンが商談から戻ってきて、三人の後ろ姿をる。

「今のは……?」

「あー、ライアンがあと少し早ければ商談までいけたかもしれないですね。王都から来た貴族の兄弟みたいでしたよ。商品には興味があったようで、王都の大市へも来てほしいって帰り際に言ってました」

 リンは天幕の中に入り、テーブルの上のティーセットを片付けながら言う。

 ライアンは周囲の人間を見回すと、最後にじっとオグを見た。

「ライアン、にらむなよ。あの三人に俺が何か言えると思うか? ってか、言えるヤツいねえだろ……」

 オグはヒョイと肩をすくめる。

 ライアンはリンを見てため息をつくと、その場にいたシルフを呼び出し、質問を始めた。

 それから手首に下がった風の加護石を触ると、目をつぶって音に集中する。

レペテレ再現せよ

 シルフに時を遡ってその場の音を再現させる『聞き耳』だ。

 オグはそんなライアンにあきれ顔で、再び肩をすくめた。

「おい、そんな大技をこんなことで使うか?」

「オグ、風が乱れる」

「へいへい」



 その日の夕方、ライアンは館へ戻ると執務室の兄のもとへ向かった。ちょうど部屋を出たばかりの兄を見つけ、その背中にとがった声を投げた。

「ギモーブ兄上」

 ギモーブの足がピタリと止まり、恐る恐る振り返る。

「ラ、ライアン」

「それとも、キアニー兄上とお呼びした方がよろしいでしょうか。最近ウィスタントンでは偽名がっているようで」

 ライアンは不機嫌そのものの声で言う。

 普段、淡々と用件を伝える弟が自分に向かってこんな調子で話すのは珍しい、とギモーブは思った。

「偽名ではなくミドルネームだ。父上も母上も、シュゼットですらリンに会っているのに、私にはいつまでも秘密にして会わせてくれないから……」

 自分を眺めるライアンの視線の鋭さに、ギモーブの声が消える。

「シブースト兄上だけは、きちんと名乗られていたようですが。それであの二人は?」

「もう、王都に向かう船の上だ。……ライアン、すまなかった。とても私ではあの二人を止められず」

「二日後に食事会があるでしょう? リンは兄上を見たら驚くと思いますが」

「リンにもきちんとびよう。約束する」

 ライアンは、お願いしますと言って、自分の執務室へ歩いていった。

 父も兄も、なぜミドルネームを名乗ることを考えてまでリンに会おうとするのか、とため息をつきながら。


 そして、その夜。

 王都へ向かう船の上で、リンにケインと名乗った若者は、ライアンからの『シルフ飛伝』をびくびくとしながら受け取った。

「シブースト、どうしよう。ライアンの声が怒ってる」

「フロランタン。当たり前だ。だから紹介されるまで待つべきだと言っただろう?」

「『聞き耳』まで使ったみたいだよ。『ああ、フロランタンではなく、ケインでしたね。風の加護があるくせに、シルフを払い忘れるとは詰めが甘い』って、すごくとげとげしい。もう船に乗っていて良かったよ。ギモーブには悪いけど」

 ライアンの声マネをしながら言う。

「アレはもともと大事なものほど隠そうとする。家族にはバレバレだがな」

 フロランタンはプッと吹き出した。

 ウィスタントンから届くリンに関しての極秘報告は山となるほどで、国にとっても重要な人物であると認識している。

 ライアンという賢者の被保護者、いや、公爵からの報告には未来の嫁候補とあったが、それだけでも気になるのに、様々な領や国を潤す開発をしているという。どうしても会ってみたかった。

「次はきちんと紹介されるのを待ちますよ」

 ライアンがリンを王都へ連れてきてくれる日を、フロランタンは楽しみにすることにした。


『スパイスの国』との商談があった日、希望通りの量でスパイスが手に入った、とライアンから報告があった。『ラブ』シリーズは人気なので、天幕の皆から、おお、という歓声と拍手が沸き起こった。

「リン、リストにあったガーリックにターメリック、それからバニラも手に入りそうだぞ」

「えっ! やったー!」

 リンは思わず椅子から立ち上がった。

 もしかしたら、と念のためにリストをライアンに持っていってもらったのだ。

「どれぐらいの量が欲しいかを聞かれている。あと、先方からの要望で、なぜターメリックが酒を飲む者にいいのかということと、できればバニラの使い方を教えてほしいそうだ」

 不思議だ。生産国の人が使い方を知らないなんて。

 リンのいぶかな顔を見て、ライアンが続けた。

「バニラはクナーファ商会が持っていた」

「クナーファが食に強いってホントなんですねえ」

 あのごちゃごちゃとしたアリババの洞窟のような天幕に、バニラもあったのだろうか。

「『スパイスの国』ではなくて、砂糖の島から来るらしい」

「砂糖の島……」

 素敵だ。探せばカカオ半島も見つかるんじゃないだろうか。

「ああ。それでクナーファが仕入れたはいいが、使い方を知る者がおらずに困っているらしい」

「あー、なるほど」

「あとガーリックは香りが強すぎて大陸で好まれるかどうか、とも言っていたぞ」

「うーん、確かにそうですけど、適量を使えばおいしくなるんですよ? ほら、あの『皇帝』のオイル漬けに加えたりとか。これがまたお酒がすすむつまみになるんですよ」

 使い方がわからなければ世に広まらないだろう。売れなければ商品として扱われず、リンの手にも入りにくくなってしまう。

「つまみか。これを逃すとあちらこちらから叱られそうだな。……会合を設定してよいか」

 少し考えた。

 クナーファに思うところが全くないとは言えないが、商売上のリサーチだったと思えば理解できないこともないのだ。裏でコソコソ探られるより、直接話す方がリンの気分としてもすっきりする。

 それになにより、バニラは欲しい。

「かまわないですよ。どういう物か知らないと売れないでしょうし、こちら側も知らなければ欲しい量を決められませんよね? あ、でも、ただ説明するだけじゃなくて、実際にバニラを使ったデザートを食べてもらうのが一番だと思うんですが」

 時間の調整をし、五日後に会合が開かれることになった。



 そして、その会合の日。

 朝の日課が終わると、リンはアマンドに館用の貴族衣装に着替えさせられた。

 ピンクがかったラベンダー色のドレスに、フォレスト・アネモネが胸元部分とウエストを中心に飾られている。ししゅうだけじゃなくて、白の別生地で立体的な花の形を作ってあるのが、今まで見たことがないスタイルだ。

「これは今までと、ちょっと違いますね」

「リン様の下着からイメージしたそうですよ。こちらの方が刺繍より早くできるのに、豪華に見え、ボリュームが出ると申しておりました」

 そういえば館でかれた時に着けていたブラは、紫陽花あじさいのような花が少し立体的になっていたかもしれない。それでレーチェが、こちらの人と比べると若干控えめなリンの胸の辺りを盛ってくれたようだ。


「それは新作だな。……リンに、色もデザインもよく似合っている」

 思わずリンも笑顔になるような目の保養になる笑みを、階下で待っていたライアンにもらった。


 館では第二厨房へ向かうことになっていた。本館の中庭側にある厨房で、夏のガーデンパーティーの時だけ使われるらしい。

 ブルダルーたちと事前準備は終わっている。ガーリックとターメリックを使った料理はすでにできているはずだ。

 リンの役割はターメリックの説明と、どうやってバニラを使うのかを見せるだけである。

 厨房に入ると、『スパイスの国』の者が数名と、ロクム・クナーファが待っていた。

 ライアンのエスコートで近づき、ゆっくりと膝を折る。

「タブレット・タヒーナだ。今日はよろしく頼む」

「リンと申します。よろしくお願いいたします、タヒーナ様」

「タブレットと呼んでくれ。昔から大市には来ていて、ライアンの友人だ」

「それでしたら、私もロクムでお願いします、リン様」

 リンがライアンの顔を見上げると、ため息とともにうなずいた。

 タブレットに顔を戻し、リンは思わずマジマジと見てしまう。

「リン、ライアンの前で大胆だな。いい男で驚いたか? それともこの目が珍しいか」

 タブレットは目にからかいの色を浮かべて、ニヤニヤと笑っている。

「あの、よく見慣れた、シロと同じきれいな目で……。し、失礼しました」

「シロ?」

「大市で見たことがあるだろう? リンの護衛をしている白いおおかみだ。確かに同じ色合いのオッドアイだな」

 ライアンがくすりと笑う。

「アイツか。目まではちゃんと見たことがなかったな。今度確かめにいこう」

 狼と一緒にしたことを怒られずに済んでほっとしていると、気になるターメリックについて早速タブレットが質問してきた。

「私の故郷ではお酒を飲む前にターメリックを摂取すると、身体の中でお酒の成分を分解するのを助け、次の日に残らないと言われていたんです」

「ほう。そのような薬効があるのか」

 タブレットは自分の文官を見た。きっと効果を検証するのだろう。

「でも、そういう効果があるということは逆にりすぎも良くないんです。すでに身体が弱っている人だと、かえって逆効果になることもあります」

「ああ。ほとんどのスパイスがそうだな。よくわかるぞ」

 リンは簡単に理解してもらえてほっとした。

「他のスパイスと組み合わせて料理に少量使うぐらいなら、今までと違う風味が楽しめますし、薬効も問題ないと思うのですけど」

「ああ、そうだ。リンは我が国に来ても問題なくめそうだな。スパイスが好きだろう?」

「ええ。今日もガーリックとターメリックを使った料理を用意してあります」

 その一つである『皇帝』のオイル漬けの瓶を見せた。

「リン様、これはラミントン領の新商品ですね?」

 さすがというべきか、ロクムはすぐに気づいたようだ。

「ええ。ミディ貝『皇帝』のオイル漬けです。前に作った時はガーリックがなかったので、残念に思っていたのです。今日は二種類、あるのとないのでお試しいただきますね」

 リンの影響がラミントンにまで及んでいることにロクムは驚きを感じるとともに、に落ちていた。焼き貝にサントレナのレモンが添えられるようになったのも、リンの発案かもしれない。


「えーと、ライアン、あのですね、ミディ貝にガーリックで、例の効果も更にアップです」

 リンがそっとライアンにささやいた。

「ほう。ガーリック入りもラミントンの天幕に持っていったが、それも伝えねばならぬな」

「例の効果とはなんだ?」

 すぐ側にいたタブレットはそれを聞き逃さなかった。

 この場にはアマンドや、乳製品を担当する女性の料理人がいる。タブレットとロクムと顔を突き合わせ、ライアンはヒソヒソとその効果を伝えた。

「本当でございますか?」

「なんだと!?

 聞いていた二人の声がそろった。

 おお、やはり興味があるらしい。

 リンは視線を外し、男同士の会話に素知らぬふりをした。

「リンによると、こういう効果のある商品は売れるらしいぞ。女性の美容と同じぐらい人気だそうだ」

「それは間違いなく売れるでしょう」

 ロクムは顎に手を当てて考え込んだ。ウィスタントン領の『ラブ』シリーズだけではなかったのだ。

 タブレットがライアンの肩に手を回した。

「ライアン、それをいくつかせ。私が効果を試してやろう」

「ラミントンで買え。まもなくラミントンの領主が来るから、その時にガーリックを売りつければいいだろう? だいたい、タブレット、其方そなたにこれ以上こんな効果は必要ないだろう」

「馬鹿を言え、ライアン。五人を常に満足させるのが、どんなに大変かわかっていないだろ」

「ご、五人?」

 聞こえぬふりもここまでだった。くるりと二人の方を向く。

「ああ、リン。妻が三名、あいしょうが二名だ。なんならリンが加わってもいいぞ」

 驚くリンをからかう。いや、タブレットがからかって楽しんでいるのは、ライアンかもしれない。

「馬鹿を申すな」

「えっ、いえ、あの、ご遠慮申し上げます。私の故郷は一夫一婦制で」

 リンは混乱しながらオイル漬けの瓶に視線をやった。確かに彼には必要かもしれない。

 ロクムは考え込んだままだし、タブレットとライアンはまだ言い合っている。リンは気を取り直して、次に進むことにした。


 最後にバニラの使い方を厨房で見せ、その後に別室に移動して食事となる。

「使い方ですが、まず実を縦に割り、このように中身をこそいで取り出します」

 リンは褐色のバニラビーンズを手に取り、ナイフでその細長い実を切り割った。刃の先で実の内側をしごくと黒い種が出てくる。

「この種を牛乳やクリームに入れて使います。砂糖と混ぜてもいいですね。バニラは熱を加えても香りが飛ばないので、焼き菓子にも使えます」

 タブレットもライアンもバニラビーンズを手に取り、香りを嗅いでいる。文官たちやロクムはしっかりメモを取っている。

「バニラはたぶん高価だと思うのですけど」

「そうですね。バニラ豆は生産国も遠く、輸送を考えるとサフランと同じぐらいの価格です」

「ほう。うちのスパイスの中でも一番高額なサフランと一緒か」

「高価なので種を取った後のこのさやも使います。これにも香りがあるので直接牛乳に入れて温め、香りを移します」

 そう言うと、リンはブルダルーが用意しておいた牛乳に莢を入れた。

 隣に置いてあったヴァルスミア・シュガーのつぼを開けて、説明を続ける。

「あと、種を取った後の莢をさっと洗ってよく乾かしてから、こうやって砂糖に入れれば……あれ?」

 リンが砂糖壷にバニラの莢を挿そうとするが入らない。

 ライアンが中をのぞいて、ため息をついた。

「グノームだ」

 ヒョイとつまみだし、放り投げる。

 精霊は本当に油断がならない。

「えーと、続けます。種を取った後の莢をこうして入れておけば、砂糖に香りが移ります。これが基本の使い方です。あとは実際に召し上がっていただきましょう」



 中庭へは第二厨房近くの部屋を通って出るらしい。ガーデンパーティーの際には開け放し、座って休めるサロンとなる。

 今日は晴れ空が気持ち良く、試食は中庭で行われる。色とりどりの花が鮮やかに咲き、目にも美しく、風が通れば心地よいだろう。

 屋外に出ると、思ってもみなかった顔が並んでいた。

 今日は謁見の予定はなかったはずなのに。

 リンは途端にカチリと固まり、慌てて礼をとった。

「リン、久しぶりだ。さあ、こちらへ。席はタブレットとライアンの間でよかろう」

 えんけいのテーブルには、領主、その隣に領主夫人、タブレットと並び、次がリンで、ライアンとなる。ライアンの向こうはロクムだ。

「今日はリンとご一緒できてうれしいわ。ばんさんかいでは見かけなかったから、さびしかったのよ」

 領主のもう一つの隣席に座ったシュゼットが言う。そして、さらにその隣に座る顔には見覚えがあった。一昨日天幕に来た王都の貴族、キアニーではないだろうか。

 キアニーはリンが驚いたように自分を見つめるのに苦笑して、それから背すじを伸ばした。

「すまないね、リン。私はライアンの兄で、ギモーブという。会いたくて、シュゼットと同じ手を使ってしまった。だますつもりはなかったのだが、申し訳ない」

 リンは名乗られ、あっに取られていたが、さらに頭まで下げられて慌てた。

「いえ、大丈夫です。こちらこそ、ご挨拶が遅れて……。お会いできて光栄です」

「そうかい? ほっとしたよ」

 ライアンの方へチラリと視線をやったギモーブは優しく笑った。並ぶと領主に雰囲気が似ている。

 ギモーブの隣にはその妻のケスターネが座っていた。こちらも初対面だ。

 領主一族が座に着くことを、ライアンはわざとリンに黙っていたに違いない。さすがにこの場では怒れないのでライアンをじーっと見るが、全く気にしてないようだ。

 さらに、シブーストと名乗った男が長兄で、普段は王都に住んでいると付け加えられた。ケインと名乗った男の本名はフロランタンといい、ライアンやシュゼットのいとこで、シュゼットの婚約者だという。

 名前も違うし、もたらされた情報にリンの頭はくらくらしてきた。

「私、またきちんとご挨拶できませんでしたよ。……ミドルネーム、っているんですかね」

「これ以上はないはずだ、全員出てきたからな」

 あっさり言うライアンを、リンは恨めし気に見上げた。


 給仕がパンを配りはじめ、最初の皿がそれに続いた。

 皆がリンに注目する。

「本日は、ターメリックやガーリック、それからバニラという新しい食材を使った試食会になります。前菜はラミントン領のミディ貝『皇帝』のオイル漬けです。一つには、ガーリックを加えてあります。添えてあるグリーンサラダのソースには、ターメリックを使いました」

 リンは皆がナイフを入れるのを、そっと眺める。ガーリックは食欲を誘う香りだと思うけれど、女性は苦手かもしれない。

「おお、これは前に食べた物と違うな。これがガーリックの香りであろうか」

「リン、おいしいわ」

「くせはございますが、これはまた違った味わいで、おいしいですわ」

「父上、バターの代わりに、このオイルをパンにつけるのもおいしいのですよ」

「酒が飲みたくなる味だな」

 隣に座るタブレットも領主一族の感想に耳を澄ましているが、好意的な評価だろう。

 リンもほっとして、一口食べる。やっぱりガーリック入りは、その香りがたまらない。


「リン、このピリッと辛いのがターメリックなのかしら」

 サラダをつつきながら、シュゼットが聞いた。サラダのドレッシングは、レモン果汁、オリーブオイル、ターメリック、ピメント、塩、こしょうで、きれいな黄色をしている。

「いえ、辛いのは『サラマンダーの怒り』ですね」

「『サラマンダーの怒り』とはなんだ?」

 タブレットがリンに聞く。

「ピメントの、この国での通称だそうですよ」

「そうか。我が国でもピメントには二種類の呼び方があるのだ。一つは『恋の情熱の実』」

「おお、それはよくわかるぞ。恋は熱く燃え盛るからな。なあ、カリソン」

 領主はうんうんと、うなずいている。

 そこでタブレットがニヤリと笑った。

「もう一つが『浮気の翌朝の妻』だ」

 テーブルの者すべてが吹き出した。

 どちらも熱さが、サラマンダー級らしい。


 主菜はシロップ&ターメリックチキンだ。

 鶏を塩、胡椒、ガーリック、ターメリック、ヴァルスミア・シロップ、レモン、オイルのタレでマリネして、それを回しかけながら焼いてある。とりにくの上に、薄く切ったニンジン、赤かぶ、フレッシュな薬草のサラダが散らしてあり、色もきれいだ。少し焦げ目が付いているのも、またいい。

 熱々の状態で供されて、甘いシロップと香ばしいガーリックの香りが強く立ち上る。

 ゴクンと鳴ったのは、自分ののどか、それとも隣だろうか。

 ナイフとフォークを入れ、タレではくいろの艶が出ている一切れを、口に放り込んだ。

 ゴクンと飲み込み、慌てて説明する。

「あ、このソースにはガーリックとターメリックの両方が使ってあります。ヴァルスミア・シロップも蜂蜜の代わりに入れました」

 皆がうなずくが、今は食べるのに忙しそうだ。そうだろう、リンも説明を忘れていたぐらいだから。

「ガーリックの香りとはすごいものだな」

 隣のライアンがポツリとつぶやく。

「ええ。香りも添えるし、味も引き立てます。私の故郷は夏、とても暑くて。食欲のない時にこのような香味野菜は助かりました。食欲をそそりますよね」


 皆が満足したところで、最後のデザートだ。

 とうとうバニラの登場である。

「最後のデザートですが、砂糖の島から来たバニラを使っております」

 厨房から庭に出る両開きの扉が、いっぱいまで開かれた。

 よし、行け、という声が聞こえ、配膳係が一斉に、精一杯の早歩きでテーブルに向かってくる。

 スフレである。

 どうしても、スフレをやってみたい。厨房からテーブルが近いこの機会にどうしても、という料理人の強い希望で、デザートはパン窯から出したてのバニラ・スフレになったのである。

「ふわふわの、バニラ・スフレというデザートです。窯から出すとしぼんでしまうので、すぐに食べてください」

 リンもスプーンを持って待ち構える。

 成功だ。小型の鋳物鍋に、きれいに立ち上がっている。

 熱々のスフレを口に入れる。

 バニラのまあるく甘い香り、ふんわりとした軽い口当たり、最高である。しゅわりと溶けて、後に残るのはヴァルスミア・シロップの優しい甘さだろうか。

「まあ、これは軽くて、この間のムースのようね? でも、温かくておいしいわ」

「本当においしいこと。香りも甘くて魅力的だわ。これがバニラなのね」

「口の中でなくなってしまうのが、残念なほどですわ。いい香りですこと」


 女性陣が口々に褒め、絶賛しているのを見ながら、先に食べ終わったリンはお茶の用意のためにサロンに入った。シュトレンがすでにティーセットを用意してくれている。ライアンの執務室に置いてあるネパール紅茶のダンクータである。お茶のお供には、ドライフルーツ入りのバニラクッキーとシナモンのメレンゲクッキーを、ブルダルーが用意してくれた。

 食卓からそろって移動してきて、ゆったりとサロンでくつろぐ。

「あら、このクッキーもバニラの香りがするのね?」

「リン、他にもバニラを使ったデザートはあるのかしら。スフレはとてもおいしかったのだけれど、お茶会には向かないでしょう?」

 領主夫人の注文に、リンはうなずいた。

「スフレは本当に難しいのです。クッキーやムースにもバニラは使えます。あとは、濃厚なクリームブリュレに、とろとろのプリンや生キャラメルクリームもおいしいですし。また厨房にレシピをお届けしますね」

 リンは自分の食べたい物をどんどん挙げていく。

 それをじっと聞いていたロクムが顔を上げ、カップを持ち上げて言った。

「本当にいろいろなレシピをお持ちなのですね。それに、このお茶にも大変驚きました。これほどのお茶はクナーファ商会でも扱っておりません」

「スパイスのレシピも持っているのではないか? リン、これは、シナモンだろう?」

 タブレットもメレンゲクッキーを摘んで言う。

 ロクムが姿勢を正した。

「リン様、バニラのレシピを教えていただくことは可能でしょうか。使用方法があるのとないのでは、商売の広がり方が大違いなのです」

「ああ、同様にスパイスのレシピもあると嬉しい。クナーファ商会がスパイスを一手に扱ってくれているからな」

 ロクムとタブレットに請われて、リンはどうしようかとライアンの顔を見た。

「クナーファ商会には、新商品の取り扱いと輸送で協力をお願いすることになるだろう。シロップのレシピも加えて、作りやすい物がいくつかあれば違うと思うが」

「リン、もしレシピを提供してくれるなら、ウィスタントン使用の物すべてとは言えぬが、リンが使う分ぐらいのスパイスなら、喜んで無料で提供しよう」

 タブレットの提案は大変魅力的だ。リンは一気にやる気になった。

「クナーファ商会ではさすがに輸送費を考えると無料とは申せないのですが、そうですね、リン様が欲しいとおっしゃられている物を、できる限りお探しすることにいたしましょう」

「それはすごいな。リン、世間ではクナーファが行かない国はないと言われているぞ」

 ロクムの提案をタブレットが後押しする。

 リンの目がまん丸になった。この間のリストで、ないと言われた、カカオやココナツ油、それにいつかお米やしょうゆなどの大豆製品も見つかるかもしれない。

「リストとレシピ、すぐ作ります!」



 館からの退出は、皆一緒だった。

 それぞれの天幕に向かうのだが、大市の期間は馬車では動けず、お付きや護衛も入れて徒歩である。

 話しながら前を歩くライアンにタブレット、それからロクムの三人には、女性の視線がさっと集まってくる。通り過ぎた後に振り返る者も多い。一人一人でも目立つのに、それが三人集まれば、きらびやかなことこの上ない。

 リンは、さらに数歩下がって歩いた。

「リン、何をしている」

「いえ、ライアン、どうぞ気にせずに行ってください」

 そう伝えたのに、ライアンがスタスタとリンのもとまで戻ってくる。

「警備もあるし、あまり離れるのではない」

「だって、一緒に歩いたら目立つじゃないですか。ほら」

 タブレットが視線を向けた女性からは、キャーという声まで上がっている。

「すごいですね。さすが奥様が何人もいる方なだけあるというか」

「アレの場合は国のおさとして、政治的バランスを取るために、しょうがない部分もある」

 リンはピタリと足を止めた。

「国の長? って、国王ってことですか? それも聞いてませんよ! 友人としか……」

 ライアンのおさなじみや友人は、領主一族や王族でおかしくないのだと気づく。よりにもよって、一国の王の目をシロと一緒だと発言してしまった。

「先に教えてくださいよ。後から知るのは心臓に悪いです」

 他に失言はなかったかと、タブレットを見ながら今日の会話を思い出す。

 後ろをついて歩こうとする女性を護衛がとどめている。

「視線どころか、女性本人も引き連れて歩くんですね。華やかというか、モテるのは政治的バランスだけじゃない気がしますが」

「昔からあんな感じだな。……そうだ、リン。私の魅力とはなんだろうか」

「は?」

 歩き始めたリンの足が再度止まった。

「タブレットやロクムは自信と余裕があって、それが女性には魅力なのだろうという話になったのだ。シムネルが、私の魅力はリンに聞いた方がいいと」

 シムネルにひどい丸投げをされた気がする。

「うーん、ライアンの魅力ですか……」

「ないか」

「そうじゃないですよ。ライアンにはあの二人にない魅力が、たくさんあるに決まってます。そうですねえ」

 改めて考えると、すんなりと一言で出てこなかった。

「ライアンは美人ですし」

「それは男に対する褒め言葉だろうか」

「美人がダメなら端整と言ってもいいですよ。それに、あの二人だけじゃなく、ライアンもしっかり責任を果たして、誠実に民のことを考えてて頼もしいですよね。賢者としても、領主一族としても」

「ふむ」

 ライアンの顔がちょっと嬉し気になっている気がする。

「それになんといっても、ライアンはかわいいですね。そうだ、これだ」

 今度はライアンの足がピタリと止まった。

「か、かわい……? リン、それは絶対、男に対する褒め言葉ではないだろう!」

「いいえー、とっても褒めてますよ」

 男性にかわいいはまずかっただろうか。

 先を歩くリンを、ハッと気づいたライアンが追いかけてくる。

「待て、リン! かわいいとはどういうことだ? それは褒めておらぬ!」

「ふふふっ。褒めてますってば。本当です」

 かわいいライアンとじゃれ合いながら、リンはタブレットとロクムの後を追った。


「艶があって、色っぽいよねえ」

 リンは家のちゅうぼうでつまみの材料を眺め、ニマニマと怪しい笑みを浮かべていた。食材の感想が、色っぽい、なのだ。

 今日はまた一人ごはんの日である。

 とうとうあと数日で大市も終わる。

 終わる直前の駆け込み需要とでもいうのか、大市を訪れる人も増え、ヴァルスミアの熱気も一段とすごい。

 ライアンは連日館に呼ばれ、よいは最後のだいばんさんかいらしい。

 一人ぐらいいなくてもわからぬと、早々に抜け出し宣言をしていたが、その一人が有名アイドルならすぐにばれるだろう。

 リンの晩御飯のメニューは決まっていた。酒のおつまみだ。

 一人歩きは許されず騎士二名をつけられてしまったが、あちらこちらの天幕をのぞき、春の食材を見つけた。それでもう頭の中はつまみでいっぱいだ。優先順位が、まずつまみ、そして酒であるのがリンと普通の酒飲みの違うところかもしれない。


 五月も半ば、日が延びているのを実感する。夕方、買い物の後で少し遅くなってしまったが、まだ大丈夫とシロを連れて森に入った。

 ブルダルーに教えてもらった木の芽を見にいく。

 フォレスト・アスパラと呼ばれる木の芽で、白い茎に穂先が緑と、確かにアスパラに似た姿をしている。ブルダルーはでてサラダや付け合わせにしていたけれど、ほろ苦さと濃い香りが、いかにも春らしい。ニョキニョキとすごい勢いで伸びる芽で、リンはこのところ毎日ウェイ川沿いを覗いている。

「これはやっぱり、天ぷらかな。なんか、こういう山菜があった気がするけど」

 アレの名前はなんだったかと考えながら森の塔の前までくると、聖域参拝をしているらしい痩せた男に会釈をして通り過ぎた。昨日も見た顔かもしれない。熱心だなと思いながら、足取りも軽く、まず『金熊亭』に頼んでおいたものを受け取りに入った。


 厨房のテーブルに置いたつまみの材料を眺めると、自然と顔がにやけてしまう。

 近くの村から届いた、ヤギのフレッシュチーズ。

 春に産まれた子ヤギが三匹、なぜか商台の下にちょこんと座っていて、ピンとした耳と真ん丸な黒目の愛らしさたるや。その真っ白でフワフワな塊にフラフラと引き寄せられてしまった。

 すばらしい客引きだ。

 それを見た瞬間、騎士がさっとシロを遠ざけてくれたのはさすがの反射神経で、ファインプレーだ。

 シロは迷惑そうにじろりと騎士を見上げていたが、子ヤギは怖がるだろう。

 子ヤギを産んだ今の時期は、母ヤギのミルクが濃厚になり、乳製品がおいしくなるらしい。

 チーズクロスで絞ったような跡が残る、真っ白なフレッシュチーズはきれいだ。ヤギ臭さも少なくて、試食して、いくつか風味が違うのを買い込んだ。

 それから、南隣の領産で、今年の初物だよと勧められたそら豆。ウィスタントンでの収穫はあと半月先になるらしい。親指ぐらいの実はふっくらとして皮がピンと張り、ツヤツヤとみどりしろい。

 その大好物を大量に買ってきた。

「くふふ、そら豆ってなんでこうかわいくって、艶があって色っぽいんでしょう」

 ちょっと変態チックなことを言って、さやからせっせと実を出し、黒い部分の反対側に浅く切り込みを入れていく。半分は塩ゆでで、もう半分は莢ごと焼こうかと思っている。


 ライアンからシルフが飛んできた。

『リン』

「アチピタ デヴェルヴィス ライアン」

『リン。タブレット、ラグナルと抜け出し、これからオグと合流するのだが、工房に行ってもいいだろうか』

 今日の「おいしいつまみを味わう一人会」は、普通の宴会になりそうだった。

「レコダレントゥラ ヴェルバ。つまみがあります。お好きな酒を持ってきてください。ミジット オブセクロ ヴェルバ ライアン」

 すぐにシルフを送り返した。

「ホントに抜け出したんだ。しっかし、ライアンもだけれど領主や国の代表が抜け出して、社交はいいのかなあ」

 シンプルにしようと思った夕食だけれど、男性だと足りないかもしれないと冷室を開けた。

 ラミントン領の屋台で、「嬢ちゃん、これ食べてくれよ」ともらった木箱には、大きめの海老えびがぎっしりと入っていた。

 ミディ村から来たという男は、もうすでに何度もリンに礼を言ってくれた。焼き貝の売り上げも良くなり、村の貝もオイル漬けでもっと売れ、何よりも冷室があることでどれだけ楽になったことかと。

 せっかくだから皆がいる時に食べよう、と思って取っておいた海老を出し、殻をいて下処理を始めた。

「サラマンダー、お願い。このパン焼き窯を、いつもみたいに温めてくれるかな」

 パン焼き窯はまきを中で燃やして温め、炭と灰をき出してから使うのだけれど、その温度調節が難しい。サラマンダーだと薪要らずでやってくれる。

 ブルダルーが作り置きしてくれたかもの胸肉のローストとパンをそこに入れ、蓋を閉めた。ちょっと温めるぐらいでいい。

「ありがと」

 その辺りにいるであろうサラマンダーに声をかけた。

 別の鍋にそら豆用のお湯も沸かす。これで熱々が出せるだろう。

 小型の冷室に追加のグラスも足して、飲み会の準備が整った。


「リン、今戻った」

「邪魔をする」

「こんばんは。お久しぶりです」

「よお」

 階段を上がってくると、口々に挨拶をしながら四人が厨房をのぞき込んだ。テーブルの上にはぎっしりと食材が並んでいる。

 オグはどこかで調達してきたらしいビールのだるを小脇に抱えている。

「支度中だったか。すまない」

「いいんですよ。向こうで飲み始めていてください。熱々がいいのもあるので、もともと厨房で料理をしながらつまもうと思っていたんです」

「なら、俺たちもここでいいんじゃねえか?」

「ああ、ここならリンの調理の様子が見られて面白いではないか」

「そうだな、ここで始めて、リンの調理が終わったら部屋に移動すればいいか」

 四人は椅子やグラス、カトラリーを居間から持ってきて、厨房のテーブルに座を整えてしまった。

 国のおさ、領主、領主一族で賢者、元領主一族というメンバーだが、厨房で食べても気にしないらしい。

「ええと、じゃあ、ヤギのフレッシュチーズから。お好みで、塩、こしょう、タイムやオリーブオイルをかけてくださいね。岩塩、海塩、で、これはサントレナの塩レモン。あと、こっちもヤギのチーズですけど、『金熊亭』でくんせいにしてもらったんです」

 それ以外に温めた鴨肉のローストとパン、やはり『金熊亭』にお願いした卵の燻製と豚レバーの燻製スライスが並んでいる。

 リンもまずはビールをもらって、乾杯だ。

「ドルーと精霊に。乾杯」

「「「「ドルーと精霊に」」」」

 リンはビールを一口飲み、フレッシュチーズをそのまま口に入れた。しっとりと柔らかく、ヤギの乳の甘さがほのかにある。

「塩をほんの少し足すぐらいで良さそうですね」

「ああ、リンはあまり飲まぬからな。ビールにはこの燻製も合う」

「ライアン、燻製が好きですよね」

「タイムに塩レモンもイケるぞ。こっちもおすすめだ」

 それぞれの好みを言い合いながら食べ比べ、旺盛な食欲を見せている。

 リンは安心して、かまどの前に立った。


「はい。次はこれ。そら豆の塩茹でと、こっちは莢ごと焼いたんです。熱いので気を付けてくださいね」

 熱々のそら豆、二種類を出す。焼いた方は、莢が黒く焦げたぐらいがちょうどいい。

 リンはテーブルにナプキンを配り、自分もそら豆を摘まみながら、天ぷらの支度にかかった。

 美しい緑に茹であがったそら豆はしっとりとして、香りは爽やかで甘い。塩加減もちょうど良かった。ああ、これこそ春だよねえ、とうっとりする。

「なんだこれ。焼いただけなのに、なんでこんなにうめえんだ……」

 背後からのオグの声に答える。

「ホクホクですからね。莢で蒸し焼きになっているんですよ」

「お酒が進みますね」

「そら豆はいつも思うが、滑らかな女の肌のようで、艶があって、こう、色気を感じるよな」

 タブレットが茹でそら豆を摘んで眺めながら、感想を口にした。

「お前、いっつもそうだよな。肉のほんのりとした赤にそそられる、とか、そんなのばっかじゃねえか」

「わかります! そうですよね! 食は時に官能的ですよね!」

 リンは勢いよく振り返って、賛同した。

 さすがタブレットだ。よくわかっている。

 その勢いに皆があっに取られているのに気づかず、うんうんとうなずきながら、リンはフォレスト・アスパラの天ぷらを揚げ始めた。

 酢水にさらしてアクを抜き、水分を拭き取った。粉を軽くはたいてから、さっと衣をつけて揚げる。粉も水も冷やしておいたし、カラリと揚がるといいけどと思いながら、手に二本の棒、ブルダルーに削ってもらった菜箸を構える。

 さっと揚がった穂先を紙を半分に折った上に盛って、テーブルに置く。

「これは天ぷらという、私の国の料理なんです。熱いうちに、塩をつけて食べてください」

「これはいい。食べ慣れた木の芽だが、全く違うな」

「オイルをたくさん使ったぜいたくな料理ですねえ。でも、本当においしいです」

「我が国にはない食材と料理だな」

 熱々がおいしいので、立ったり座ったり行儀が悪いが、他が揚がるまでにと一つを取った。

 止まらずに、つい、もう一つと手が伸びる。山菜の天ぷらは止められないのだ。

 オグがビールをぐいっと飲み干した。

「出てくる料理が、どれもビールに合いすぎて困る。つまみ、ビール、つまみ、と終わらねえ」

「ふふ。今日は、おつまみを食べたかったんですよ。まだまだ出てきますよ。ラミントン領の海老をもらったんです」

「え、うちの領ですか?」

「屋台の方にお礼だといただいたんですよ」

 次は海老の天ぷら、それから半分は海老のアヒージョにした。

 小さめのフライパンにオリーブオイルをたっぷりと入れて、ガーリックに『サラマンダーの怒り』を加え、温めて香りを出してから海老を加える。

「これはガーリックの香りだな」

「ますます、酒が止まらねえじゃねえか」

 そうだろう、そうだろう。

 最初に天ぷらだ。そこに追い打ちをかけるようにアヒージョが続く。新鮮な海老だから、あまり火を通さなかった。

「はい。海老の天ぷらです。それから、これも熱々の海老のアヒージョです。どうぞ!」

 それからは、飲んで、食べて、飲んで、と無言でそしゃくする時間が続いた。

 リンの場合は、最初の一杯のビールがまだ残っている。食べて、食べて、食べての時間だ。

 ふう、とラグナルが満足そうな一息をついた。

「リン、天ぷらも、このアヒージョというのも、とてもおいしいです。アヒージョはオイル漬けとは、また違うんですね」

 パンをちぎってオイルに浸しながら答えた。

「材料はほとんど同じですけど、これはすぐに食べますね。食堂で出すような料理でしょうか。ミディ貝でやってもおいしいですよ」

「確かに。食堂でやったらいいかもしれませんね」

「ビールの売り上げも伸びると思いますよ」

 リンは周囲を見回してニヤリと笑った。

「リン、これのレシピもロクムに伝えておいてくれ。それからその棒二本のカトラリーもだ」

「これは、棒を削っただけですよ? それに箸は使い慣れてないと難しいと思いますけど。それより『スパイスの国』での油。えーとセサミのオイルを絞りませんか。私、喜んで買います」

「セサミオイルだと?」

「ええ、この天ぷらが更においしくなる、魔法のオイルです」

 皆がじっと海老天を見つめて、それからタブレットの顔を見る。

 胡麻油、あの薫り高い魅惑のオイル。

 アレができたらワンタンスープを作って、にんにくラーをさっとかけてと、リンの顔がニヤケる。

「……作り方は知っているのか?」

ばいせんせずに絞った油と、焙煎してから絞ったはくいろをしたものがある、ぐらいしか知りません。でも、香ばしくてですね、一滴で風味が変わるんですよ。肉、魚、野菜と何にでも使えますし、売れるのは間違いないです。私、レシピもたくさん持ってますよ」

 製造してほしいので、まるで胡麻油会社の営業のように誘惑する。

「レシピもくれるのなら、試してみよう」

 心の中で思い切り、ガッツポーズをした。


 テーブルの上の料理は、ほとんどなくなり、おなかも満腹でいい気分だ。

 では最後に、とリンは立ち上がり、小型の冷室を開けた。

「そろそろ皆さん、強いお酒でもいいと思うんですけど」

 氷ができるぐらいに、と精霊に頼んで冷やしてもらった冷室から、グラスと瓶を取り出す。

「サントレナのレモンでできた、リモンチェッロです」

「できたのか」

「ええ。一週間前にヴァルスミア・シロップを加えて、更においておきました。夏に食後酒として、よく冷やして、少し飲むのがおいしいのですよ」

 精霊に頼んじゃいました、と言いながら、グラスに少しずつ入れていく。

「甘さは少しだけ抑えましたけど、それでも男性には甘すぎるかもしれません」

 少しトロリとした酒を口に含むと、まずあまとレモンがガツンと濃厚だ。のどを過ぎると胸がカッと焼ける。鼻に抜けるのは、レモンの爽やかさとサントレナのレモンの甘味だろうか。

「これは確かに甘いが、サントレナのレモンが濃縮されたようだ。香りもいい」

「食後にはいいかもな。女は菓子のデザート、男は酒のデザートってとこか」

「暑い我が国で流行はやりそうな酒だ。このように爽やかなのは好まれる」

「私にはちょっと強いですね」

 そういうラグナルに、リンはもう一杯を出してみた。

「私にもこれは、きつすぎるんです。だから果汁などで割るんですけど。今日はこれです」

 サントレナレモンの果汁に、リモンチェッロを加えて混ぜる。そこに、ブルダルーがムースの上にかける用に作った、真っ赤なベリーの甘いシロップをそうっと加えた。赤のシロップの方が重いので、グラスの底に沈む。底の赤から黄色へのグラデーションがきれいだ。

「リモンチェッロ・サンライズ リン風です」

「これはきれいな酒だ」

「リンは酒のレシピも持っているのだな」

「いや、お酒はそんなにないですよ。あと、紅茶とレモンは相性がいいですから、紅茶で割るのもおすすめです。酒精が強いのが好みなら、白ワインや他の蒸留酒と混ぜてもいいですし、師匠はデザートに使いたいみたいです。『スパイスの国』だったら、ジンジャーと合わせてもきっとおいしいですよ」


 皆がまったりとしてきて、男性陣は向かいの居間へ移動することになった。

 リンは最後のリモンチェッロでヘロヘロだ。もう休むに限る。シロを呼び寄せた。

「リン、おいしかった。礼を言う」

「本当です。大満足でした。おやすみなさい」

「突然悪かったな。うまかった」

「リン、ゆっくりと休んでくれ。精霊の加護が眠りとともにあるように」

「おやすみなさい。どうぞごゆっくり」

 シロとトントンと階段を上がっていくリンの声が降ってきた。

「シロ、今日のお風呂はラベンダーでいいよね」

 途端に男性陣はここにいてはいけないような気分になり、酒とグラスとほんの少しのつまみを持ち、そそくさと階下の執務室に移動した。


 リンの風呂発言を受けて、ライアン、タブレット、オグ、ラグナルの四名は、そっと無言で一階奥の執務室を目指した。執務室の応接セットに腰を下ろし、テーブルに酒瓶やつまみを並べる。ここなら水音も聞こえまい。

「ライアン、いつもリンはあのように無防備か。お前も大変だな」

 タブレットがニヤニヤとした笑みを顔に貼りつけている。ライアンはタブレットを横目でジロリとにらんだ。

「風呂好きとは前から聞いていたが、夜に入るんだな」

「身体を清潔にしてから眠るのが習慣だそうだ。リンの国の民は、清潔好き、風呂好きらしいぞ」

「シロと一緒に入るんですねえ」

「シロも風呂好きだ。さすがに一緒には入っておらぬようだが、最初に洗ってやるらしい」

「ライアン、まずシロを追い出さないと、一緒の風呂には入れそうもないな」

「うるさい、タブレット」

 なぜ、ここでリンの風呂話になっているのだろうか。酒のつまみの話ではよくあることだが、リンのことだと思うと心がざわめく。

 ライアンは顔をしかめた。

「そうだよなあ。リンはお前の髪も触れるんだぞ? がんばって捕まえねえと、他に候補がいねえだろうが」

「オグ、余計な世話だ。其方そなたこそ、人のことを言っている場合じゃないだろう?」

 タブレットは成人前、オグとライアンと三人でこっそりと公衆浴場へ行ったことを思い出した。

「相変わらず、誰もお前に触れられないのではないか? よいも宴でバチバチとやっていただろう?」

「あれはサラマンダーがあのパネトーネ家の令嬢を殊に嫌ったからだ。というより、触れるどころか近寄ってもほしくない。それにシュトレンは触れるぞ? 問題ない」

 侍従の名前が出たことに、ライアンを除く三人はなんとも言えない顔をした。

 オグが執務室のキャビネットから出してきた強い蒸留酒を、タブレットとライアンのリモンチェッロのグラスに注ぐ。

「公爵館に滞在して思いましたけど、皆様リンを受け入れていますよね。公爵夫妻からも、シュゼットからも、リンの話を聞きましたよ?」

 ラグナルは、リモンチェッロ・サンライズという、リンの作った即席カクテルを飲みながら、思い出すように言った。

 受け入れるどころか、公爵からしてライアンの嫁になるのではと期待している様子だった。待ち構えていると言ってもいい。

「それなら問題がないではないか。もともと、ここの公爵は愛があれば身分はさほど気にされまい? ためらう必要もないではないか」

 公爵は上位貴族でありながら、身分におおらかな大変珍しい貴族だ。

 王都にいるような、身分や地位、その影響力にとらわれた貴族たちと違い、北の領地では領主から民までの距離が近かった。上から下まで力を合わせないと、厳しい冬が越せないからだ。

 ここにいる四人も、オグの勘当があってから、身分というものがどれほど不確かで、その者の本質に関係ないかを知っている。タブレットにしても、日頃からロクムら商人と行動を共にすることもためらわない。

 そういう意味では、ライアンたちはよくあるタイプの貴族とは全く違っていた。

「リンが賢者見習いとして登録されれば、身分など関係ねえだろう? お前のうるさい見合い話も減るじゃねえか」

「身分が必要なら、ラミントン侯爵家の養女としてもいいですよ? ……養父になる私の方が年下ですが」

「それなら我がタヒーナ家の養女でもかまわんぞ? リンも養家として遊びに来やすくなるではないか」

 ラグナルとタブレットは、よっぽどリンを気に入っているらしい。もちろん自領や自国の益になるとも当然考えているはずだ。だが、もし養女となれば、リンと婚姻を結んだ時に、この者たちが義父ということになってしまうではないか。

 ライアンは苦い顔をした。

「王都のやりようを考えると、精霊術師として登録するのはできる限り避けたいが。それにリンは、きっと身分は要らぬと言って逃げるぞ。……めとる時には、身分など関係なく娶る」

「おお! ライアン、言い切ったな! さあ、飲め、飲め」

 タブレットは上機嫌で、ライアンのグラスに酒をドバドバと注いだ。

 そして胸のあたりをポンとたたいた。

「ま、リンは少しばかりこの辺が足りないが、その分お前が育てる楽しみもあるだろう」

 タブレットがニヤリとする。

「どこを見ているのだ」

「男ならまず見るだろう?」

 ライアンは不機嫌だ。

「あれでも、リンの国では標準だというぞ?」

 オグが付け加えた。

「あ、兄上……? なぜ兄上が、リンと、その、大きさの話をするのでしょう」

「馬鹿、ちげえよ。出会った初日に、なんだ、俺も発育不良だと思ったんだよ。それにリンがそう言ったんだ。ライアンもその場にいたよな?」

 オグはかわいい弟にろんな目で見られ、慌ててライアンに同意を求め、こちらからはじろりとにらまれた。

「あの、その、育てられるものなのでしょうか」

「お、ラグナルの婚約者も育てないとならないのか?」

 タブレットはやけにうれしそうだ。がしっと、なぜか隣に座るライアンに腕を回し、肩を組む。

「いえ、私はつつましやかなのもいとしく、でもまあ、育つなら、育てても……」

 ラグナルが下を向き、ごにょごにょと付け加える。

 どうも皆、酒がだいぶ回っているようだ、と、ライアンは眉間に手を当てた。

「私は二人ほど育てたぞ。自分で育てたものは、より愛しく思うのだ。今度また教えてやるが、一緒に公衆浴場にでも行くか? ん?」

「バカ、ラグに余計なことを教えるな! おい、タブレット。お前、おさだろう? 成人前と立場が違うのに、大丈夫なのか? ただでさえお前は目立つだろうが」

「ライアンと同じで、お前もカチカチだなあ、オグ。ロクムの情報収集に付き合ったんだよ。アイツ、自分が目立たないように私をわざと餌にしたんだぞ?」

「ロクムも一緒か……」

「アイツはああいう場所でも情報集めに集中して、シレッとしているぞ? 私は、まあ、スパイスを使った商品の視察という目的があるからな、問題はない。あのせっけんはいい商品であった。リンに礼を言いたいぐらいだ」

 ライアンはため息をついた。

 ラブシリーズの石鹸の礼ばかりとして言われても、リンも困惑するだけだろう。

 オグはなにか考え込んでいる。

「なあ、タブレット。その、胸を育てるのは、他に方法があるのか?」

「なんでだ?」

「いや、冬頃からハンターの間でうわさになっているんだ。その、エクレールの胸が変わったと」

「ああ、その原因は私が知っている」

 ライアンの言葉に皆が目をいた。

「なんだと!?

 オグなどはぜんとして、口も開いている。

「ライアン、まさかお前が育てたのか?」

「違う。リンだ」

「……リンが育てたのか?」

 ますます訳がわからない。

 とりあえず全員が開いた口を酒で湿らせた。

「直接ではないがな。レーチェと考案した、新しい下着の効果だと思うぞ」

「胸を育てる下着ですか……」

「育てるというより、きれいに形が整うらしいぞ」

「ライアン、詳しいな。リンのを見たのか?」

 三人とも興味があるらしく、ずいっと前に身を乗り出している。

「違う。軽くて、着け心地がいいから、ソレを『精霊のブラ』と名付けても不敬じゃないか聞かれたのだ。その場で却下したが。その時に説明をされたのだ」

 ライアンはソレを説明された時のことを思い出し、ため息をついた。

「風呂といい、胸の大きさといい、下着といい、それを其方と話すとは、なんと無防備な。ライアン、お前本当に大変だな」

 タブレットがますますライアンに同情し、またライアンのグラスに酒を注いだ。

 全くその通りだ。

「それをエクレールが着けているというのか?」

「ああ、最初のテストモデルだったらしいぞ」

「オグ、良かったな。誰かにまれたわけじゃないらしいぞ。……私もその下着に興味があるが、作ってはもらえるのだろうか」

「私もです」

 タブレットもラグナルも興味があるらしい。リン、胸を育てるのも需要があるようだぞ、とライアンは酔いかけの頭で思った。本人にはとても言えないが。

「レーチェを呼び出して聞くとよい。館の者に言えば手配されるだろう」

 後日、タブレットとラグナルは、そのブラが風のように軽いからという理由で「シルフィーのブラ」という、少しだけもじった名前が付いているのを知った。


 男四人で男らしい話をしているところに、風呂で洗ってもらったシロがわずかに開いていたドアを鼻でこじ開け、入ってきた。

 ラベンダーの香りがふんわりと場に漂う。

「おお、シロも来たのか? よしよし、お前も男だもんな」

 タブレットは自分と同じ目の色のシロを気に入って、側に呼び寄せる。

「シロ、お前、良い香りがするな? これがラベンダーか」

「ああ、サントレナからもらったラベンダーだな。今、この領でも育つか試しているが」

「そういやあ、大市限定とかで天幕にラベンダーの石鹸が並んでいたな」

「これもまた女性が好みそうな香りですねえ」

 リンは女性の一番人気になると言っていたが、この場での評判もだいぶ良いようである。

 ライアンは、ふと思い出した。

「シナモンと同じぐらい、ラベンダーは男性に対しての性的な魅惑効果が高いとリンが言っていたな」

「ごふっ。ケホッ、コホッ」

 オグが強い酒にむせ、手で口元を拭う。

「お前、そんなこともリンと話すのかよ」

「最初は恥ずかしがっていたが、商品開発で必要ならリンは話す。私にはためらわなくなったな」

 ライアンの方はためらうのだが。

「そういえばそうでしたね……」

 タブレットもラグナルも、ミディ貝やガーリックの試食の時を思い出していた。

「リンめ。そんな香りを嗅がせて、精のつく料理を食べさせて、普通なら誘われているのかと思うところだぞ……」

 タブレットはそんなリンの誘惑にさらされるライアンの肩に手を置いた。

 ライアンがぼそりとつぶやく。

「……リンは私のことを男として見ていないように思う。だから簡単にそういうことを言うのだ」

 そしてグラスの酒をぐいっと飲み干し、大きなため息をついた。

「おい、急にどうした? ライアン」

 ライアンは手の中のグラスを揺らして答えるのをためらっていたが、三人がじっと見つめているのをチラリと見て、観念したように声を絞り出した。

「……かわいいと言ったのだ」

「は?」

「だから、リンは私のことをかわいいと言ったのだ。男に対する褒め言葉ではないだろう?」

 ふてくされたように言うライアンに、三人はあっに取られていたが、そのうちお互いに目配せを始めた。恐らくライアンは相当酔っている。どう答えを返すべきか。

「あー、いや、まあ」

「いえ、うーん、どうでしょう。そうとも限らない、ですよね……?」

 オグは言葉に困ってあごひげをさすり、ラグは首をかしげた。

 ニッと笑ったのがタブレットだ。

「ライアン。女の言う『かわいい』は、脈ありだぞ」

 この場で唯一の既婚者であるタブレットが、自信たっぷりに言う。

「脈? いや、ロクムのことは自信にあふれた男盛り、などと言うのだぞ。其方のことだって……」

 タブレットが首を横に振った。

「それはリンが其方を自分と親しい者として見ているからであろう」

「そうかもしれぬが。なぜ、かわいい……。かっこいいでも、頼りになる、でもいいではないか」

 やはりライアンは酔っている。そして、この『かわいい』問題はだいぶライアンの頭を悩ませていたようだ。

「実は妻が私のことをかわいいと言ったことがある」

「なに?」

 ライアンはタブレットを、目をすがめて見た。

 せいかんでシャープな顔立ち。醸し出す雰囲気も自信と余裕に溢れている。今はからかうような笑みを浮かべているが、かわいい、からは遠いところにいる男ではないだろうか。

「ふっ。言いたいことはわかっている。私はかわいくはない、と言いたいのであろう?」

 タブレット以外の三人が、不可解な様子でうなずいた。

「妻が言うにはギャップがかわいいのだそうだ」

「「「ギャップ?」」」

いわく『ムキになったり、甘えたり、普段は見せぬ表情や態度がたまらなくかわいく、愛おしく思える』そうだ」

「なるほどなあ」

「甘えるのか? 其方が?」

 タブレットがうなずいた。

「私にも妻にしか見せない顔があるということだ。かわいいと愛しいを、毎日互いに感じ合えるのなら、結婚生活はうまくいく」

 結婚していない三人は、うなずくばかりだ。

 タブレットは続けた。

「其方らにも覚えがあろう? しっかり者の甘えた表情に、逆にかよわき者の芯の強さにハッとせぬか? 相手が自分だけに見せる顔を、かわいく愛しいと思うであろう」

 それぞれに思うことがあったのか、三人とも大きくうなずいた。

「つまり、かわいいは愛おしいと同義にもなる。……十分に、脈があると思うがな」

 タブレットの言葉にライアンはじっと考え込んだ。


 興奮で始まった大市の空気は、最後の週末を前にいっそう高揚した。

 売り手は少し値段を下げてでも、荷を軽くして帰路に就きたい。客もそこを狙って、買い逃したものがないかと再訪する。

 領や国で出している天幕ではほとんどの商談が終わっている時期だが、個人客は増え、やっぱりもう少し増量したいといった商談が突然飛び込むこともある。

 ライアンはその飛び入り商談のために商業ギルドへ向かった。この春、蜜蜂の捕獲が例年より少なかったと知らせの届いた領地が、慌ててシロップを希望してきたのだ。

 商業ギルドには、精霊道具の返却・買い取り窓口、両替、輸送手配などの特別窓口が設置され、人の出入りが激しくなっている。


「クナーファでは商会の特別船を仕立てるのです。船に余裕があるのでギルド内に受付を置いて、希望する国や領への配送も承っているのですよ」

 そう言ってロクムは茶を飲んだ。

 館で試食会をした日から、タブレットとロクムは時間を見つけるとウィスタントンの天幕にやってくる。

 リンのレシピと欲しい食材のリストを渡してあるのだが、ちょっとしたコツや疑問点を聞きにくるのだ。

 ロクムと話をするうちに最初の不快感は消えていった。ぐいぐいと押しが強いところは相変わらずだが、食材の産地事情にも詳しく、話していて楽しい相手だと思う。

 大商会として利益を上げることはもちろん重要だが、離島や陸の孤島のような土地ではクナーファとの交易がそこの生活を支えているらしいこともわかってきた。多少の不利益があっても買い続けるし、だからこそ何としてでも売ってやりたいようだ。タブレットもそれをわかって信を置いているのだと思う。

 タブレットは単にリンのお茶を好み、ロクムと共にふらりとやってきてはお茶一杯を所望する。

 今も足元にシロをはべらせ、長椅子の背に腕をかけ、ゆったりと座ってお茶を飲んでいる。大変美しく絵になる姿だ。ついたてを動かし人目を避けるようにできるのも落ち着くらしく、タブレット様ようたしの簡易喫茶処となっている。

 座っているだけで視線の集まる方々は、なかなかに大変である。


 今日、ロクムはリンの持つお茶を買い求めに来ていた。

 リンがこちらに来て以来初の、薬草茶ではないお茶の販売である。どうしても譲ってほしいという、やり手商人の毎日の口説きに陥落したのだ。

 結局、ジャスミン白茶と、試食会で出したネパール紅茶、ダンクータ HRHT オータムンミストを卸すことになった。

 今後は手に入らないことも伝えたし、だからこそ自分の手元に置きたい気持ちもあったが、おいしく飲めるうちに飲んでもらう方がいい。ダンクータも以前よりも香りが立ちはじめており、これからがおいしいだろう。

「私の白茶は十分に乾燥させて、長く安定した品質が保てるようにしてありますが、それでもジャスミン白茶は早めにお願いしますね」

ばんさんかいで出されたムースに使われて他領の方にも人気でしたので、すぐに売り切れるでしょう。……茶葉は乾燥した方がいいのですか?」

「嫌な言い方をすると、お茶は量り売りですから、水分が多いと重くなり、少ない茶葉で利益がでます。あと、水分量で味や香りが出やすくなることもあって、生産者にとっては売りやすいんです。でも水分が多い分だけ、ちも悪くなります。買った方に最後まで楽しんでもらえないこともありますから」

 保管方法、適した水に、れる温度、感じられる風味などをできる限り細かく伝えた。この世界のお客様にも、なるべく良い状態で楽しんでもらえるようにと願いながら。


「このお茶をお譲りいただけないのは残念です」

 そう言って、ロクムは自分のカップを持ち上げた。

 今日のお茶はカントン省のウーロンチャ 鳳凰フェンファンダンツォン 通天香トンティアンシャンである。一本の野生の茶樹から採れる茶葉のみで作られており、リンが今日出したのはとっておき、樹齢数百年の木から採れた茶である。年間生産量は二キロないはずだ。

 かなり粘られたが、これは絶対にダメだ。

「たとえ金貨を積まれてもお譲りしません。香りが変わって、これから数年ますますおいしくなるんですから」

「このような茶は初めてだ。南の果実によく似た風味があるのだが。マンゴーを入れたか?」

 タブレットも気に入ったようだ。

 黄桃、マンゴー、パッションフルーツ、ライチ、きんかん、それにユリの花といった香りが、口の中でふわっと広がって、瞬く間に移り変わっていく。余韻も長く素晴らしいお茶だ。

「あ、さすがですね。わかりますか? 実は何も加えていません。これはこのお茶自身が持つ香りなんですよ。秋の大市にはもっと香りを楽しめるように準備しておきますね。ラミントンに特殊な形の磁器を注文していて、このお茶はそれで飲む方が楽しめます」

 リンは注文してある工夫茶ゴンフウチャ用の茶器を思い浮かべた。

「工夫」とは中国語で「丁寧に、手間暇をかける」といった意味があるけれど、今注文している茶器で淹れる工夫茶は本当にその名の通りだ。

 お茶を飲むためのちゃわんに、ウェンシャンベイという烏龍茶の香りを楽しむためだけの茶器もある。そのどれもが指先でつまんで持つような小さなものだ。小さな茶器で少しずつ丁寧に淹れる。テーブルの上で湯の沸く音を聞きながら、お茶の色を見て、香りが移り変わるのを楽しみ、丁寧に最後の一滴まで淹れられた茶を味わい、口に残る余韻を楽しむ。

 工夫茶器で淹れる茶はその手順の一つ一つに時間と手間がかかる。五感を使ってゆっくりと、お茶だけでなく、その時間そのものを楽しむことができるのが工夫茶だ。

 その茶器のサンプルがすでにできたと聞いた。秋の大市までには十分間に合うだろう。


 ロクムに売ったお茶は、残念ながら卸価格も販売価格もリンにはつけようがなかった。物価が違うどころか、世界の違いは適正価格の判断を難しくしていた。

 どちらにしても王族と上位貴族しか手に入らない限定茶になるだろう。価格はロクムにお任せして、利益から何割かをもらうことになった。牛何頭分になるのかわからないが、ロクムの笑顔の様子だと、大変高額で扱われるのだと思う。

 契約は先ほどライアンも同席して済ませてある。

 最後の一口を飲み干すと、ロクムは丁寧に挨拶をして、部下にお茶の袋を持たせて出ていった。



「あら、うわさは本当なの? まさか貴女あなたのような方がここにいるなんて」

 ロクムを見送って商談スペースに戻ろうとすると、背後から若い女性の声が聞こえた。

 リンは自分のことだとは思わず、そのまま奥へと向かう。

「お待ちなさい! わたくしが声をかけているのよ!」

 棘のある鋭い声にリンが驚き振り返ると、この場には似合わない豪華なドレス姿の、まだ若くみえる貴族女性がリンを見下ろしていた。

 その肌は白く、ほおは興奮のせいかほんのりと赤い。目鼻立ちがハッキリとした女性で、金に近いくりいろの髪はふわふわと、頬にいく筋か掛かっている。

 ほとんどの人は彼女を美人と思うだろうが、今は台無しだ。口がキュッと結ばれ、鋭くにらむようにリンを見ている。

 侍女らしき人とウィスタントンの群青色のマントを羽織った騎士が立っているのも見えた。

 なんだかわからないが、これほど不機嫌な貴族に対応するのは初めてである。

 これ以上怒らせたくないので、ゆっくりと礼をとった。

「お嬢様、大変失礼をいたしました。何かお求めでございますか?」

「あら、私は王都から来ているのよ? こちらのような田舎いなかに求めるものがあるわけないでしょう?」

 険のある物言いに、天幕の内も外も、ざわりと空気が動いたようだった。

 それまで商台で話していた者たちも、ぴたりと口をつぐんでリンたちに注目している。

 当然だ。その「田舎」の天幕に足を運び、言うべきことではない。

 リンもカチンときて、背筋を伸ばして真っすぐに女を見据えた。

「……それではご用件を承りますが」

「ライアン様に取り次ぎなさい」

「ただいま商談中でございますが、お約束はいただいておりますでしょうか?」

「お約束ですって?」

 鼻で笑われた。

「貴女に言う必要があるかしら? ねえ、貴女、私のこともご存じないのでしょう? 貴女のような方が、なぜここにいらっしゃるの?」

 眉をひそめ、いかにも不快な物を見るような表情を女はしている。

「私のような、とは?」

「そんなこともおわかりにならないの? 貴女、ライアン様のお情けをいただいているのでしょう?」

「は?」

「ライアン様のあいしょうがこんな小娘だとは思わなかったけれど、有名よ? ライアン様が黒髪の女性を側に置いているって」

 周囲が息をむ音が聞こえた。

 小娘? 愛妾? リンはあっに取られた。

「貴女のような異国の者をこの国に置いてあげているのに、ずうずうしいのね。周りに誰もマナーを教えてくれる人がいなかったのかしら? このような公の場所にまででしゃばるなんて、身のほどをわきまえなさい」

「何を……」

「見なさい」

 その女の目は勝ち誇っており、左手をすっとリンの前に出した。

 青と赤の加護石なのだろう。指輪となって中指と薬指にはまっている。

「貴女にはこの価値もわからないでしょうね。私、女性ではただ一人、精霊の二つ加護がありますの。この加護石も私のためにとライアン様が作ってくださったもの。晩餐会ではこのドレスも私に似合うと褒めてくださいましたわ? 貴女はしょせん、晩餐会にも出られる身分ではないのでしょう? 今は、その黒髪をもの珍しく思われているかもしれないけれど、ライアン様に相応ふさわしいのはこの私──────

 すっと衝立が動き、タブレットが顔を見せた。

「パネトーネ侯の令嬢だな? クレマといったか。リンはこの私との商談中である。用がなければ、解放してもらいたい。それにこのような公の場で、人をおとしめるような物言いは淑女としていかがであろうか」

 クレマはタブレットを認めると、慌てて正式な礼をとった。その顔色はさっと青くなり、その後に赤くなってと忙しい。

「タ、タヒーナ様。そのっ、た、大変失礼をいたしました。御前を失礼いたします」

 さっと身をひるがえすと、早足で逃げるように去っていった。

 息を詰めていた天幕内の皆が、ほうと息を吐き出した。

「リン、あまりの物言いに、つい口を出してしまった。すぐに助けることができずにすまぬ」

「いえ、驚いたのは私も一緒でしたから。助けてくださってありがとうございます。……なんだか強烈な方でしたね」

 リンが周りを見回すと、皆は口々に憤慨を表した。

「あのご令嬢の噂は聞いておりましたが、あそこまで激しいとは」

「しかし、なんという言い草だ! パネトーネには抗議するべきでしょう!」

「ええ、本当に。美しい薔薇ばらには棘があるといいますが、見事に棘だらけでございましたね」

「いえいえ、美しくなど。性格の悪さが顔に出ておりましたわ?」

 会話を思い返すと、リンは徐々に腹立ちが強く、収まらなくなってきた。

 言い返してやりたかったが、聞くだけになってしまったのが悔しくてたまらない。

 口からひどい罵りが飛び出しそうで、リンは裏の準備スペースに入り、頭をテーブルにかかった長いクロスの下につっこんだ。

 あの小娘にサラマンダーをけしかけてやりたい。精霊に困らされればいいんだ。だいたいライアンがドレスを褒めたりするからいけないんだ。晩餐会を抜け出す前に何をしていたんだか……!

 口を押さえているが、頭の中にはぐるぐるとそんな文句が湧き出る。

 物言わぬは腹ふくるるわざなりとは、誰が言ったのだったか。まさしくその通りだとリンは思った。


 ライアンが天幕に戻ると、全員がまずいものを飲んだような微妙な顔をしていた。

「どうしたのだ」

「パネトーネ侯の娘が襲来してな。リンが標的となった」

 タブレットの言葉にライアンがさっと顔色を変えた。

「リンは?」

「裏だ。頭だけ隠して、南の大陸にいる大鳥のような姿になっている」

 ライアンが裏をのぞくと、確かにリンのなんとも言えない姿があった。

「リン。大丈夫か」

 背後から聞こえたライアンの声にリンはクロスの下から頭を抜くと、顔をしかめ、口をとがらせてライアンを見上げた。

「クレマが来たのであろう?」

「すっごく失礼で不愉快な人でした。名前すら名乗らず、言いたいことだけ言っていきました。何を言ったかは皆から聞いてください。思い出すだけで腹が立つ!」

「ああ、そうだな」

 ライアンは後で『聞き耳』を使うつもりである。

「私のこと、小娘って言ったんですよ! 私の方が年上なのにっ!」

 ライアンは、それはしょうがないというような顔をしている。それがまたしゃくに障る。

「私のことを愛妾扱いして!」

「なんだと!? それは……」

 リンはどんどんと続ける。

「それにウィスタントンのことを、田舎って言ったんですよ!」

「そんなことを言ったのか。ここに来て?」

 信じられないようなクレマの発言に、ライアンはあきれるしかない。

「『この加護石も、ライアン様が作ってくださいましたの』なんて言ってましたよ! 私のだってそうです!」

「クレマのは私ではなく、アルドラだな」

「もう! そんなのどうでもいいんです。だいたい、ライアン、あの人のドレスを似合うって褒めたんでしょう? なんであんな人を褒めるんですか!」

「……紳士の礼儀なのだろう?」

「嫌な人を無理して褒めなくてもいいんです! だいたい淑女の礼儀がない人に、紳士の礼儀は必要ないでしょう?」

 全くもってその通りである。

 二人の言い合いは天幕の皆に丸聞こえで、口元を緩めている者もいる。

 タブレットはもう、口と腹を押さえて肩を震わせている。

「わかった。次から気を付ける。他にはないか?」

 リンはぶんむくれの見本のような顔をしている。

「……あの人、私をライアンの愛妾だと言いました。もう悔しくって。サラマンダーが火花をバチバチってやって、上からオンディーヌが水をバシャってかけて、あの髪の毛がぐちゃぐちゃになればいいと思ってましたよ! 命令を我慢するの、すっごく大変だったんですから!」

かなうといいな? ……リン、ここを出てラミントンの天幕へ行こう。ラグナルが、リンが依頼していた茶器のサンプルを取りに来てくれと言っていただろう? 使ってみて変更箇所を伝えるのではなかったか?」

 ライアンがリンの気を変えるように言い、背中をそっと押しながら外に出る。

 リンの周囲の精霊の様子を見れば、その願いが叶うことは疑いようもなかった。


 アマンドと共に家から出ると、聖域参拝者だろう、痩せた中年の男が森の入り口で一人ひざまずいているのが見えた。その男が腰をあげた途端、腹を押さえてふらつくのが見えた。

「大丈夫でございますか」

 アマンドもそれに気づいて声をかけ、男が大石にもたれるように手伝った。男は腹をさすりながら、眉をひそめている。

 塔の騎士も様子を見に近づいてきた。

「ええ。すみません。父と慕っている者の体調が良くなく、どうも憂慮がすぎているようで」

 顔を見ると、ここ数日、よくこの大石の前で姿を見かけた男だった。

 毎日でもドルーの加護を願いたい気分なのだろう。

「それはどれほど心配しても、足りることはないですよ」

 リンは父が突然入院した時の心配やおびえ、息の詰まるような不安を思い出した。

「せめて聖域を参拝してを願おうと、ここまでやってきたのですが」

 そう言って、男は革袋から薬らしきものを取り出した。

「私が水をんでまいりますわ」

 アマンドは男の腰に下がる木のカップを借りて、共同水場へと向かった。

「助かります。水の石を持っていないものですから」

「ヴァルスミアでは、森の水が一番ですよ」

「やはり森の特別な御加護があるんでしょうね。私の父にも飲ませてやりたいものだが」

 男はふうとため息をついた。

「父は特に火の気が強く、それが病の原因で。水の気が強い、食や薬をとるように言われているんですよ。治る可能性があるのなら、なんでもしようと思っています」

 男は口を引き締め、思い定めたような表情でじっと前を見つめた。

 火が強いのが病気の原因とは、この世界独自の病の考え方なのだろうか。


 アマンドが水を汲んで戻ってきた。

「ありがとうございます」

 男は薬を飲み、立ち上がると側で見ていた騎士に丁寧に頭を下げ、街の方へと歩きはじめた。

 リンたちも同じ方向なので、連れ立つようにして歩く。

 キョロキョロと周囲に目を配っていた男が言った。

「せめてヴァルスミアの土産みやげをと思って探しているのですが、何か水の気の強いものをご存じですか?」

 水分が多いといったらスイカやキュウリぐらいしかリンには思い浮かばない。だが、男の探す物とは全く違いそうな気がする。

「……そうでございますね。この地は古い土地で、薬草でも他にはない大変珍しいものがあるようでございますよ。薬事ギルドへ行けばお身体にぴったりの薬があるかもしれません」

「そうですね。のぞいてみましょう。……そうだ。ハンターたちが、水ならば森の恵みである命の水が最高だと教えてくれたのだが」

 リンはハンターたちがそこまで蒸留酒に期待しているのかとあきれ、そして男に申し訳なく思った。

 大市でのシロップや砂糖の販売状況を見てから、酒は造ると聞いている。ミードはすぐできるだろうが、蒸留酒ができあがるのはだいぶ先だろう。

 どちらにせよ、病人に酒の土産はお薦めできない。

「アレはまだできていないと思いますし、できても希少で王侯貴族ぐらいしか手に入らないものになるのではないでしょうか。今日と明日なら、大市でもっといいお土産が見つかると思いますよ」

「そうですか。まだできていないんですね。……ありがとうございました。それでは私はこれで」

 男は会釈をして、天幕の間を抜けて去って行った。

「お身体の悪い方がいらっしゃるのは、さぞご心配でしょうねえ」


 アマンドと男の背中を見送り、マーケットプレイスに近づくと『スパイスの国』の天幕前にロクムが立っていた。

 ロクムはリンたちに気づき笑顔を向けたが、ふと立ち去った男の方へ視線を流すと、何かを考え込むような表情を見せた。

「おはようございます」

「リン様、おはようございます。これから天幕ですか?」

「ええ」

「私もご一緒しましょう」

 ロクムと共にウィスタントンの天幕まで来ると、ロクムは至急で、とライアンを呼び出した。

 やってきたライアンに何ごとかを耳打ちすると、ライアンはマジマジとロクムの顔を見て急に雰囲気が険しくなった。

 シムネルに用件を言いつけ、護衛に付いていた騎士にはフログナルドを呼ぶように伝える。

 二人が慌ただしく走り去った。

「リン、私が戻るまでこの天幕から出ないように」

「今日はラミントンに茶器の話をしに行くんですけど」

「それも私が戻ってからだ。必要ならば細工師がこちらに来るように手配せよ。とにかく出てはならぬ。アマンド、頼む」

「かしこまりました」

 ライアンがそれだけ言い置き、ロクムを連れ天幕を出ていくのを、リンはキョトンとして見送った。


 結局その日、ライアンが天幕に戻ることはなかった。

 アマンドがラミントンの天幕へ磁器の製作者を呼びにいくと、なぜかラグナルも共にやってきた。

 結果として領主まで呼びつけることになって、非常にいたたまれない。

 今回のラグナルは領主としての公式訪問の最中なので、文官や騎士がぞろぞろとついてくるのだ。

「リン、なにやら慌ただしい気配がしておりましたが、問題はありませんか?」

「大丈夫です。何が何だかわからないのですが、お呼び立てをしてしまって申し訳ありません」

 思ったよりも改善点が少なかったことを伝え、細工の繊細さとデザインのすばらしさを褒めると、思いがけず領主同席となったことでリンよりも緊張の見えた製作者は、ほっと息をついた。



 夕方になっても状況は変わらず、家に戻る時も騎士が付き従い、家の扉前にほしょうが立つ物々しさだ。

 ライアンが来たらいろいろ聞かなくてはと待ち構えていたが、夜、フログナルドに支えられながら入ってきたライアンの顔色の悪さに、そんな気は吹っ飛んだ。

「えっ!? ライアン、何が……。大丈夫ですか!? とにかく座ってください」

 反対側を支えるようにして、一番近い応接間に入る。ふと触れた手は氷のように冷たい。

 長椅子に座る際にも眉間を寄せており、具合が悪いのがすぐに見て取れる。

「大丈夫だ。シルフを使いすぎて力のバランスが悪いだけだ」

「シルフの使いすぎ?」

 シムネルの説明では、『聞き耳』を立て続けに使い、風の力が身体に飽和しているらしい。

 普段と全く違うライアンのこの様子からすると、よっぽどの超過だったのではないだろうか。

「薬はないんですか?」

「少し休めば治る。不足を補うのは楽だが、過剰を抜くのは難しいのだ。シルフを払えば一気に力が出ていくが、さすがに今日はシルフを酷使しすぎた」

 身体もそのせいで冷えているらしく、シュトレンはブルダルーに温まるスープを頼みにいった。

 リンは待つ間にと、プーアル熟茶をれた。冬至の祝祭料理に出した茶で、口あたりも優しく、身体を温めるはずだ。

「これはいいな。負担にならずに頭痛が和らいでくる」

 お替わりを注文するライアンのカップに、せっせとプーアル茶をぐ。

「ライアン、それで、今日何があったのかを説明してもらえますか?」

「リン様、とりあえず私から」

 少し落ち着いた頃、ジンジャーがたっぷり入ったスープを飲んでいるライアンに尋ねると、フログナルドが説明してくれるようだ。

「リン様が今日お会いになった者が、他国のちょうほう官だった可能性があるのです」

「は? ……ど、どの人でしょう。天幕に来たお客さんですか? まさか、ラミントンの細工師さんではないですよね?」

「今朝ほど、ご一緒に歩いてこられた男です」

 リンは思わず、後ろに控えていたアマンドを振り返った。

 アマンドも驚いて胸を押さえ、目を見開いている。

「でも、おかしな素振りはなかったですよね?」

「ええ」

 アマンドもそれにコクコクとうなずいている。

「あの人は病気のお父さんがいて、ここのところ毎日聖域参拝に来ていた方ですよ」

「毎日ですと!?

 フログナルドがそれに勢い込んで確認する。

「ええ。私が見ただけで、今日で三回か四回目でしょうか。いつも森の前で真剣に加護を祈ってましたよ?」

「やはりこちらを見張っていたのでしょうか」

 フログナルドが険しい顔をしてライアンを見た。

「聖域参拝の者に紛れれば、警戒もされにくいな」

 ライアンはスプーンを置きスープ皿を向こう側へ押しやると、リンを見て言った。

「ロクムが情報収集をした際にあの男を見かけたそうだ。アレは各国を周っているし、諜報官らしき者を見かけることも多いらしい。すぐにそうと気づいたが、その時は問題ないと放っておいたらしい」

 国が商人を雇って諜報活動をすることもあれば、逆に諜報官が商人を装うことも多くて、よくあることらしい。商人はうまくすると王宮の私的空間にまで招かれ、社交では得られない情報を得ることができる。

「それからも、大市の屋台や天幕、街の遊興施設で何度か見かけたそうだ。……情報収集をする場は結局、諜報官も商人も同じようだな」

「お互いさまというか、よくあることなんですよね? それが問題になったんですか?」

「ああ。諜報官のわりに物慣れない様子もあり、聞き出すことも偏っていて、なんの役に立つのかと思っていたらしい。それで終わるはずだったが、今日、リンと一緒に歩いてくるのを見た」

 貴族と商談をするような裕福な商人の姿から、一転して職人のようなかっこうをしてリンの隣を歩いてきた男を見て、リン自身が目的かもしれないとライアンにその情報を伝えてきた。

 ライアンは今日一日、ロクムが男を見かけた場所へ赴き、『聞き耳』を立て続けに使ったのだ。何度も連続して使うだけでも厳しいのに、屋台や興行の天幕、公衆浴場のような人の出入りの激しい場所で会話を拾うのはかなりの集中が必要で、シルフの力を身体に取り込みすぎていた。

「あの男が気にしていたのが、森、聖域、薬、酒、賢者、それからリンだ」

「私!? どうして!」

「ああ。ロクムに言わせても、この大市で発表となったウィスタントンの新商品に驚いて、リンを探るのはおかしくないそうだ。実際にロクムもそうしたと。それで最初は不思議に思わなかったようだな」

「探るのはおかしくない……」

 あっさりと言ってくれるが、不特定多数に身辺を探られる気味の悪さにリンは思い切り顔をしかめた。

「今日、何を話したか詳しく覚えているか? すまないが、これ以上『聞き耳』は使えぬのだ」

「大したことのない話だったと思うんですけど……」

 リンはアマンドと補い合いながら、思い出しつつ会話を再現していく。

「父親の病は火の気が強いのが原因と言ったのか」

「実際には『父と慕っている者』ですけどね」

 うつむきながらじっとリンの話を聞いていたフログナルドが顔を上げた。

「ライアン様、それでは火の力が強い精霊術師の不調なのでしょうか」

「わからぬ。森や聖域を嗅ぎまわっているというなら、冬にあった森への侵入者と同じ者だと考えたのだが。てっきり国外の者だと……」

 ライアンは側近たちとさまざまな憶測を話している。

「あの、どうして火の気が多いのが病の原因になるんですか? 加護のことですよね? 一時的な不調じゃないんですか?」

「精霊術の学校では自身の体調管理について最初に習うらしいが、リンには教えてなかったか」

 シムネルがうなずいた。

「そうですね。リン様は加護のバランスもよく、不調もなく安定されておりましたから」

 ライアンはそう言うと簡単な説明をしてくれた。

「病というよりは加護のある者に起こりやすい症状になる。精霊の力を使いすぎると、誰もが一時的に不調となる。今の私の状態がそうだ。力が不足し疲労を感じる、もしくは衰弱することもあれば、過剰に力を取り込みすぎてコントロールできずに身を損ねることもある」

「不足も、過剰も、両方あるんですね」

「ああ。使う術による。不足を補うのは簡単で適した薬草や薬もある。ただ、過剰を抜くのは難しいのだ」

 力の動く度合いが大きい難易度の高い術は、術師の負担になるので誰もができるわけではない。特に身体に力を取り込む術は、度が過ぎると大変なことになるらしい。

「力を放出する術を使えればいいが、不調の上に更に体力が削られる。恐らくその病を得た者は日頃から火の力が非常に強い者なのだろうが、詳しくはわからぬ。相反する水の気を得てバランスを取っているのだろうが」

 術師にとって珍しいことではないらしい。

「リンも知っておくべきだろう。落ち着いたら詳しく説明する」

 少し顔色の戻ったライアンは塔へと引き上げていったが、家の前の警護は残されたままだった。