「……お待たせしました、ヘルミーナ様。どういったご用件でしょうか?」
「お忙しいところすみません。実は以前見せていただいたペンダントについてお伺いしたく……」
再び扉を開けたマティアスは、いつもと変わらない格好で出てきた。額には冷や汗が滲んでいるように見えたが、気のせいだろうか。
「ペンダントですか。……分かりました、中へどうぞ。リックは扉の前で待機だ。誰が訪ねてきても追い返していい」
「承知しました」
未婚の男女が密室で2人きりになることはできないため、扉を半分ほど開けたまま、リックが護衛兼見張り役として外に立っていてくれることになった。
マティアスの持つペンダントは、周囲に知られてはいけないことだったのかもしれない。ヘルミーナはマティアスの顔色を窺った。けれど、彼の表情にこれといった変化は見られない。気になったのは、髪の毛がしっかり乾いていることぐらいだ。
通された室内は驚くほど殺風景だった。生活感のあるルドルフの執務室とは大違いだ。物は最小限で、これといった飾り物もない。座るように促された
するとマティアスは突然、ずれていたテーブルの位置を直した。そこは何も触れずにおこう。
向かいのソファーに腰を下ろしたマティアスと視線が重なった時、ヘルミーナは後先考えずに行動してしまったことを後悔した。やはり事前に許可を取るべきだった。彼にはすでに迷惑をかけてしまっているのに。焦るヘルミーナに、先に口を開いたのはマティアスだった。
「ヘルミーナ様、お話の前に私の方からひとつ宜しいでしょうか?」
「もっ、もちろんです!」
緊張からか
「先日は私が余計な護衛をしてしまったせいで、ヘルミーナ様にご迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。決してやましい気持ちからではなく、貴女に何か起きたら連れてきた我々にも責任があると、心配が行きすぎたのだと思っていただけたら……」
「大丈夫ですっ、分かっております!」
マティアスが言わんとしていることに気づいて、ヘルミーナは両手を上げた。きっと彼の耳にも、仲を勘違いされた話が入ってきたのだろう。
ヘルミーナは恥ずかしさと申し訳ない気持ちで頬を赤らめた。
「団長様や皆さまに心配していただき、とても嬉しかったです。お気遣いくださりありがとうございます」
「……そう言っていただけて、よかったです」
夜まで警護してくれたマティアスには、感謝しかない。ヘルミーナは顔を上げて、あの日言えなかったお礼を口にした。ところが、マティアスはさっと顔を
どちらも沈黙すると気まずい空気が流れる。次の言葉を探していると、咳払いしたマティアスが「それで、ペンダントのことでいらしたとか」と切り出してくれた。おかげで、当初の目的を思い出した。
「実は、団長様がお持ちのペンダントをもう一度見せていただけないかと思って参りました」
「私は構いませんが……少々お待ちください」
ヘルミーナの頼みを受けて立ち上がったマティアスは、窓際に置かれた机から何かを掴み取るとこちらへ戻ってきた。
「手を出していただけますか?」
「は、はい」
目で追っていたはずなのに、気づくと目の前にいたマティアスに驚いてしまう。彼は床に跪いて、持ってきたペンダントをヘルミーナの手にそっと載せてくれた。必要以上に近づかず、距離を取ってくれている。
ヘルミーナがペンダントを受け取ると、マティアスは元いた場所に再び腰を下ろした。
「こちらの守り石は、魔法石でしょうか?」
「聖女様の力が込められていたということは、魔法石で間違いないと思います。昔は魔道具もなく、魔法石の存在も今ほど知られておりませんでした。ですが、風の民は魔物の討伐で古くから魔法石を使っていたので、もしかしたら聖女様も、魔法石を使用されていたのかもしれません」
ヘルミーナはペンダントをじっくり見つめ、光を放った丸い石を確認した。やはり予想していた通りだ。マティアスが持っていたのは光属性の魔力が込められた魔法石だった。
各領地の鉱山から発見された魔法石は、宝石よりも貴重な資源だ。現在は、生活に欠かせない魔道具の動力源になっている。また、魔力を吸収することもできるため、火属性の魔力を注げば直接火を
魔法石は、含まれる魔力の量や大きさによって効力が変わり、値段も様々だ。ただ高価なだけあって、平民で所有している者は少ない。
ヘルミーナは両手に持ったペンダントを、そのままマティアスに返した。
「見せていただき、ありがとうございました」
「ヘルミーナ様のお役に立てて光栄です」
マティアスはペンダントについたチェーンを持ち上げて、さっと首に掛けると団服の中に隠してしまった。
「あの……団長様が丁寧に接してくださるのは、私が光属性の魔力を持っているからでしょうか? 立場的に、敬語を使っていただくのも申し訳なくて……」
「不快にさせてしまっていたら申し訳ありません。上手く言えませんが、ラゴルの血がそうさせているのか、私にもよく分からないのです」
つまり、彼が望んでしていることではないということだ。それを聞いてヘルミーナは声を詰まらせた。マティアスほどの人物が、身分や年齢も下の令嬢に礼儀を尽くさなければいけないのは苦痛だろう。
「……それでは、団長様こそ不快ではありませんか? 私は聖女ではありませんし、光属性を宿したといっても魔力は少なく、使いこなせているわけではありません。団長様が嫌でしたら私からは近づかないように」
「いいえ、全くそのように思ったことはありません。分からないと申しましたが、そちらの気持ちも含めて私自身はすでに受け入れております。貴女様に対する姿勢も言葉遣いも、全て私の意思だとお考えください」
言い終わらないうちにマティアスが言葉を被せてきた。強い言葉と眼差しがヘルミーナに向けられる。忠誠を誓う騎士のような態度に、ヘルミーナは思わず見惚れてしまった。
「そ、そうですか! 団長様がそう仰るのでしたらっ」と慌てて返したが、彼の真剣な顔をまともに見られなかった。顔を背けるだけでは誤魔化しきれず、ヘルミーナはソファーから立ち上がり、お辞儀をしてから廊下へ出た。
逃げるように出てきてしまったことを後悔するも、自分が勘違いしてしまわないことで頭がいっぱいだった。
彼が丁寧に接してくれるのは光属性を宿した人物だからであって、本当であれば近づくことも、話すことも、会うことすらなかった人だ。
「ヘルミーナ様?」
「なんでも、ない、です……」
飛び出すように出てきたヘルミーナに、リックが驚いた顔で近づいてきた。誤解を生まないように何もなかったことを伝えたが、上手く伝えられたかどうか心配だ。
ヘルミーナは心を落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。油断するとマティアスの整った顔が浮かび上がってくる。そんな場合じゃないのに。
ヘルミーナは余計な気持ちを振り払うように急いで宮殿に戻り、魔法石について書かれた本を見つけては、取り憑かれたようにページを
◆◇◆◇◆
限られた者しか立ち入ることができない王城の宝物庫。
「──まさか、褒美として贈ったものが国宝級の価値になって戻ってくるとはな」
窓1つない宝物庫は、外光と外気を
魔道具のランプに火を灯し、テーブルの宝石箱を見下ろした国王は溜め息混じりに呟いた。
「申し訳ありません、父上。想定外の出来事はいつでも起こり得ると周囲に言い聞かせておきながら、私も油断しておりました」
「うむ。彼女は面白いほど我々を驚かせてくれる」
笑うに笑えない状況に、乾いた笑いも出てこない。
宝石箱を開けると、青光りしていた魔法石は透明感のある石に変わり、白い光を放っていた。触れれば全身の傷が一瞬にして癒えてしまう。もし下級の魔物でもいれば、あっという間に消滅してしまうだろう。全く、なんというものを作ってくれたのか。
フィンから「ヘルミーナ様が、魔法石に光属性の魔力を付与されたようです」と報告された時、ルドルフはお茶を吹き出した。タイミングを見計らって伝えたに違いない。働かせすぎへの仕返しだ。だが、報告された内容に驚いて言葉が出てこなかった。
ヘルミーナが魔法石を欲しがっていると聞いて、国王たちは意気
伝説になるような代物に、心の準備ができていなかった。
「ヘルミーナには、王国の全てを渡しても足りないのではないか?」
「……同感です。これに見合う褒美はこの世に存在しないでしょう」
国王と次期国王となる王太子の会話に、それまで口を開かずに控えていたモリスは青褪めた。それを引き起こしたのが自分の生徒なのだから頭の痛くなる話だ。
モリスは改めて、教え子がいかに問題児であるかを正確に理解しなくてはと思った。
──天然の魔法石に光属性の魔力を注ぎ込む。
神聖魔法を効率よく、かつ負担がかからないように扱う方法として、ヘルミーナが導き出した答えは
なのに、すぐに思いつかなかったのは、光属性を特別視していたからだ。他の属性と同じ扱いで考えていれば簡単に
光属性を含んだ魔法石など、王宮内の書物や資料を探っても見つからなかった。マティアスのペンダントを確認しなければ、もっと時間がかかっていたかもしれない。
天然の魔法石を手に入れるため、定期的に訪れるフィンにヘルミーナは相談した。
魔法石がいくら高価でも、ヘルミーナの個人資金で1、2個は購入できるはずだ。これまでドレスや宝石を買わずにいたのが功を奏した。
フィンに魔法石を購入したいと伝えると、なぜか安堵した表情を浮かべた彼から「ようやくヘルミーナ様に恩が返せると、皆が喜びます」と言われて、思考が停止した。真意を問おうとしたが、呼び止めるより先にフィンは颯爽と去ってしまった。
実は国王とレイブロン公爵から、謝礼と褒美の目録をもらっていた。だが、つらつらと書き
宮殿に住まわせてもらっているだけでも十分なのに、護衛の騎士や侍女までつけてくれ、これ以上いただくわけにはいかない──と、思っていたのに。
そして翌日届いたのは、宝石箱いっぱいの魔法石だった。なんでも王宮に献上された、貴重な天然の魔法石だという。深い青みを帯びた魔法石に、ヘルミーナはもう乾いた笑いしか出てこなかった。個人資金ではとても手が出せない、上質な魔法石だ。
それを好きに使ってもいいと言われて、ヘルミーナは脱力した。
彼らは分かっていて魔法石を贈ってくれたのだろうか? それとも知っていて、敢えて試しているんだろうか?
もし分かっていてであるなら、期待に応えなければいけない。いや、むしろその方が都合がいい。魔法石に光属性を付与したら、王宮に献上しようと思っていたのだ。
ヘルミーナは途端にやる気を
それらは後日纏めて国王とルドルフの元に届けられたが、顔面を蒼白にしたモリスがヘルミーナのところへ駆け込んでくる事態となった。
「──次からは事前にご相談いただけると嬉しいです」
「本当に申し訳ありませんでした……」
小一時間。ヘルミーナの作った魔法石はとても素晴らしくて優れている、そのせいで国王たちは嘆いていた、と褒められているのか叱られているのか分からない説教を聞かされた。ものがものだけに、モリスは厳しい表情を崩さなかった。
ヘルミーナが隠れて生活している今、光属性を含んだ魔法石もまた世に出すわけにはいかない。ただこうしている間も、この魔法石があれば多くの命が救われると思うと複雑だ。
「しかし、光属性の魔法石とは。ご自身でお考えになられたのですか?」
「いえ、あ……はい。……他の属性と同じ視点で考えました」
「なるほど。四大属性の魔法石が身近に転がりすぎて、逆に思いつきませんでした。それにしても、あの魔法石は素晴らしいですね。ヘルミーナ様が傍にいなくても、魔法石を身につけておくだけで怪我や病気の治療、魔物を寄せつけない守り石になるのですから。魔法水を生成することも可能でしょう」
自身の負担を減らして効率を上げる方法──ヘルミーナは、モリスから出された課題を見事にクリアしたのだ。解決しなければいけない問題は他にもあったが、「優秀な生徒を持って嬉しいです」と顔を綻ばせるモリスを見て、喜びが湧き上がった。
羽根が生えていたら飛んでいきたくなるほどの高揚感に包まれる。だから、つい浮かれて言ってしまったのである。
「実は、もう1つ作ったものがありまして、モリス先生に確認していただきたいのです」
叱られたことも忘れ、ヘルミーナがメアリに目配せすると、彼女はすぐに別室から長細いケースを運んできた。ケースを開くと白い光が漏れ出し、中から銀色のロングソードが現れた。
「これは、剣ですね」
「騎士の方々が使っている剣と同じようです。レイブロン公爵様からいただきました」
「光っているのは、もしかして魔法石を?」
「はい、光属性の魔法石を同じく埋めてみました」
「そうですか、治癒能力と浄化を備えた剣ですね。下級の魔物は近づくのも難しいでしょう」
「はい……攻撃力は上がりませんが、魔物には十分効果的だと思います。何より光属性の魔法石を使っているので、属性を持たない人の方が扱いやすいかと思います」
「……ああ、そういうことですか」
「少しでもお役に立てればと思ったのですが、いかがでしょうか?」
属性を持つ騎士であれば、魔力を流し込んで剣を振るうのが基本だ。しかし、これは光属性の魔法石を使っているため、ヘルミーナ以外では魔法石の効果が上がらない。
騎士によっては使いづらいかもしれないが、最初から魔力を持ち合わせていない人や、魔力を無効にしてしまう人にとっては魔物を倒すことに特化した、まさに夢のような剣だった。
「無効化の祝福を受けた人ほど扱いやすい剣になるわけですね。これはあの方々も喜びましょう。今度こそヘルミーナ様に王国ごと差し出すと、言ってこないか心配です」
「え……っ!? 何を」
「欲しくはありませんか?」
「い、いりません! この宮殿ですら管理できていないのにっ」
「少しぐらい欲を出してもいいのでは?」
「欲、ですか」
後日、どんな
国家の権力者たちがたった1人の貴族令嬢に振り回される姿を見るのは面白いが、彼女の欲のなさは不安でもある。自分の価値を理解しないまま周囲から
すると、ヘルミーナは肩を竦め、「私にも欲はあります」と恥ずかしそうに言ってきた。モリスは細い目をさらに細め、後ろに控えていたメアリとリックも聞き耳を立てた。そうとは知らず、ヘルミーナは口を開いた。
「私は、認めてもらいたいのです。誰かのお荷物ではない、ヘルミーナ・テイトという存在を。騎士の方々や、王宮で出会った皆さんは素晴らしくて尊敬しています。そんな方たちと肩を並べても恥ずかしくないように、私も認めてもらえるようになりたいんです」
胸に秘めていた欲を初めて吐き出したヘルミーナは、顔を真っ赤にした。「お荷物令嬢」にとっては大きな夢だ。
ただ、それを聞いた3人の心境は分からない。照れてしまったヘルミーナは、彼らの顔をまともに見られなかった。見れば、複雑そうにする彼らの表情が分かっただろう。
すでに認められているはずなのに、社交界で受け続けた扱いが自己評価を下げているのだ。
一体どこまで認められたら彼女は納得するのだろう。厄介な病に
◆◇◆◇◆
「本日の実戦訓練には、ルドルフ王太子殿下も参加される」
練武場の使用は部隊ごとに時間が割り振られ、騎士が
しかし、その日はいつもと違っていた。
騎士団総長のレイブロン公爵から、それぞれの団長と副団長、及び第一騎士団と第二騎士団に
本日は魔物を使った実戦訓練を行う、と。予定になかった実戦訓練に周囲がざわつく。けれど彼らが最も驚いたのは、ルドルフその人の名前だ。
無効化の能力を持つが故に魔物と戦えない王族の、突然の参加。誰もが自分の耳を疑い、練武場は異様なほど静まり返った。
騎士団の宿舎に向かおうとした時、扉がノックされた。人の気配が感じられなかったせいか、メアリが咄嗟に身構える。だが、現れた相手にヘルミーナは納得した。
扉の前に立っていたのはマティアスだった。その後ろにはリックが控えている。迎えに来てくれたにしては物々しい雰囲気に緊張が走った。
「本日、練武場で実戦訓練を行います。魔物を
「魔物を……」
マティアスは視線を合わせながら、ゆっくりした口調で伝えてきた。ヘルミーナが怯えないように気遣ってくれたのだろう。それでも魔物と聞いて、ヘルミーナは背筋が寒くなるのを覚えた。
未だ魔物を見たことはなくても、魔物によって傷ついた人たちに会った。また前回と同じようなことになったらと思うと表情が
「ヘルミーナ様が心配されることはありません。今回は私も含め、各団長が揃っております」
危険はないと言われても、魔物がいる近くで過ごすのは怖い。ただ何かあった時、すぐに治療できないのも不安だ。
「魔物を使った訓練を見るのは、ヘルミーナ様にとってもいい経験になると、ルドルフ殿下より
付け加えるようにリックが説明してくれた。自分のためになるというなら、行かないわけにはいかない。
「分かりました、宜しくお願い致します」
何より、ルドルフが招待してくれた理由に心当たりがあったからだ。
ヘルミーナたちが練武場に到着すると、すでに多くの騎士が集まっていた。向かい側の城壁にある巨大な扉が開かれ、鉄製の太い
ヘルミーナは慌ててリックのあとを追い、案内された見学席に向かった。
「ご機嫌よう、ヘルミーナ」
「アネッサ様……!」
見学席に着くと、先に座っていたのはアネッサだった。いつもよりシンプルな藍色のワンピース姿で、赤髪を後ろに纏めて縛っている。
ヘルミーナはアネッサに近づき、声をかけた。
「どうしてこちらに? 本日は、その……」
「魔物を使った実戦訓練なのでしょう? いずれ王太子妃となるのですもの、見学するのは当然ですわ。私も時々参加させてもらっているのよ」
この場に集められた人は皆、ヘルミーナの存在を知っている人だけだと教えられた。アネッサもいるとは思わなかったが、誘われるがままヘルミーナは彼女の隣に腰を下ろした。
「ルドが、貴女からいただいた剣をとても喜んでいたわ。子供のようにはしゃいでしまって大変だったのよ?」
「ええ、と……それは」
「冗談よ。でもルドが喜んでいたのは本当なの。お兄様も嫉妬していたけれど、嬉しそうだったわ。だから、ルドと一緒に実戦訓練がしたいとお父様に無理を言ったのね」
そう言って溜め息をつくも、アネッサの表情はとても柔らかかった。ヘルミーナは心が温かくなる話に、口元を緩ませた。
その時、練武場の一部に人だかりができた。見ればルドルフとカイザーの姿があった。振り返った2人と目が合った気がしたが、練武場に響く号令で彼らの視線は離れた。
すると、配置された騎士がそれぞれの両手を持ち上げて、練武場全体を覆うように水と風の膜を張った。一瞬、嫌な記憶が蘇る。ヘルミーナが顔を背けると、マティアスがスッと隣に現れた。
「念のためこちらにも
練武場の膜とは別に、ヘルミーナたちを覆うようにマティアスの風が張られた。風の膜は圧迫感もなく、
「ありがとうございます、団長様」
お礼を伝えると一瞬だけ風の防壁が揺らいだ。気のせいと思ったが、隣では笑いを堪えるようにアネッサが肩を震わせ、マティアスが鋭い視線を向けている。
しかし、鉄製の重い柵が上がると、
◆◇◆◇◆
実戦訓練のため騎士団に来たルドルフは、真横から突き刺さる視線を感じて苦笑した。
「そんな顔で見つめても、この剣はやれないよ?」
「……誰も欲しいなんて言ってない」
「それはよかった。ヘルミーナ嬢が私のために用意してくれた剣だからね。
ルドルフは金で装飾された白い
「それは父上が謝礼としてヘルミーナ嬢に渡した剣だ! ルドだって、公爵家の武器庫に保管されていたのを見たことがあるだろ!?」
「ああ、懐かしいね。子供の頃、武器庫に忍び込んで一緒に叱られたね。あの時、私は大事に飾られていたこの剣が欲しいと思ったけれど、まさか本当に自分の手元に来てくれるとは思わなかったよ」
「覚えているなら返してくれ。先代たちが集めたコレクションの1つだ」
「でもヘルミーナ嬢は、騎士団で使っている剣と同じものだと言ってきたんだけどね」
光属性の魔力で加工された魔法石を見た時は、笑うに笑えなかった。さらにその魔法石がついたロングソードが届けられた時は、頭の中が真っ白になった。
今までの苦労が一瞬にして弾け飛ぶような衝撃を受けた。決して悪いことではない。苦難と苦悩に
ルドルフは込み上げる気持ちを抑え、剣の効果を確かめた。レイブロン公爵に剣を見せた時はなんとも言えない表情をされたが、彼の協力を得て、下級の魔物に実際に近づけた。
すると、魔力を持つ子供なら倒せるほどの弱い魔物は、剣を鞘から抜いただけで消滅してしまった。
そこでレイブロン公爵に無理を言って、魔物を使う実戦訓練に参加する許可をもらった。最初は渋っていたレイブロン公爵だったが、国王の口添えもあって許しを得た。
本来は王族を魔物と引き合わせるなど、正気の
「お前に渡ると知っていたら、騎士団にある予備の剣を渡していたさ。剣を贈って失敗した父上は、女性の贈り物には何がいいだろうと母上に訊ねて、あらぬ疑いをかけられる始末だ」
「貴重なものをヘルミーナ嬢に贈っても、価値を倍に釣り上げて横流しされてしまうからね。それは私も陛下も悩んでいるよ」
いっそ王国ごと渡してしまおうかと思っている、と、ルドルフが苦笑いを浮かべると、カイザーは口元を引き攣らせた。これでは好意を寄せているヘルミーナに、何をプレゼントすればいいのか分からない。
彼女の存在自体が王国にあるどの宝よりも貴重なのだ。ありきたりなものでは足りず、貴重な品物を差し出しても素直に喜んでくれるかどうか。
嘆息して歩いていたルドルフとカイザーは、練武場に到着した。2人が練武場に姿を見せると他の騎士たちも合流し、間もなく魔物が放たれると報告された。
ふと視線を感じて振り向くと、そこにはヘルミーナがいた。彼女の横にマティアスの姿を見つけて、カイザーは
その時、魔物を放つ号令が鳴り響いた。反射的に扉を見れば、巨大な鉄柵がゆっくり持ち上がっていく。2人の意識はそちらに集中した。
「──来るぞ」
「今日は宜しく頼むよ、カイザー」
ルドルフは剣を腰に差して、カイザーもまた身構えた。お互いに剣を交えたことは何度もあるが、魔物を前にして共に戦ったことはない。
けれど、不思議と初めてという感覚はなかった。もう長いこと背中を預けてきた戦友のような感じがし、唸り声を上げて飛び出してくる魔物に、なぜか2人の
鉄柵が上がりきると、奥から
最初こそ三方に分かれて攻撃を仕掛けていた魔狼牙だが、騎士の1人が集団から離れた途端、その騎士に向かって3頭同時に襲いかかってきた。
「1カ所に集まれっ!」
カイザーである。彼は孤立した騎士を救うと、指示を飛ばした。騎士たちは命令に従い、練武場の中央に集まった。
「魔狼牙は初めは見境なく仕掛けてくるが、攻撃力が低いので獲物を絞って襲う。だが、ルドルフ殿下の剣を明らかに避けているようだ」
「本当に凄い魔物
「でもこれじゃ試し斬りできないっすねー」
カイザーに助けられた騎士は、そのままルドルフの身を守るように2人の近くに立った。ランスである。彼はへらりと笑うと、カイザーに礼を言った。
「副団長のおかげで助かったすわ! 前髪は
「
自ら
「了解っす。まず3頭のうち、ボスは
ランスは知り得た情報をカイザーとルドルフに報告した。
知能はないと思われる魔物も、強い者に従う習性は持ち合わせているようだ。ただ、全てがそうではないため、その時その場所で正確な情報を素早く知ることが重要視されている。
魔物に囲まれても余裕でいられる騎士たちに、ルドルフは羨ましくなった。
「だからといってボスを狙っても、他の2頭が邪魔をしてくるだろう」
「そうなんすよねー。それじゃ
「そうしよう。とくにあの2頭は殿下の剣を恐れて近づいてこない。ボスは私たちが
ここでは第一騎士団副団長のカイザーが司令塔だ。他の騎士たちも聞き逃すまいと、彼の指示に耳を傾ける。それでも魔物への注意は
カイザーが近くにいた騎士に目配せすると、騎士は両手を突き出して水魔法を飛ばした。
瞬間、魔狼牙が飛び
「ルド!」
「問題ない!」
他の騎士から遅れること数秒。地面を蹴った2人はボスの魔狼牙との距離を縮めた。
先に鞘から剣を抜いたカイザーは、そのまま魔狼牙に向かって攻撃する。しかし、魔狼牙は反射的に後ろに飛び退き、カイザーの剣をかわした。──その時、カイザーの背後からルドルフが飛び出して剣を振り上げた。
グリップから剣先に向かって光を帯びた剣に、魔狼牙は一瞬怯んだ。それでも素早さを活かしてルドルフの剣から逃れる。だが、剣の切っ先が腹部の毛を
「チッ、あと少しだったのに!」
ルドルフは手応えのない剣に
「惜しかったな。でも剣の効果は十分あったようだ」
カイザーに言われて仕留め
やはり魔物が恐れるだけのことはある。光属性の効果は絶大だ。ボスの魔狼牙はルドルフの剣に向かって低く唸るも、敢えて一定の距離を保っていた。
そこに、獣の低い鳴き声が後方から聞こえて、視線だけを向けた。
「あちらは終わったようだね」
「ああ、無事に済んでよかった。残るは──」
ランスをはじめとする騎士たちが2頭の魔狼牙を消滅させたのを確認し、ルドルフとカイザーは再び残り1頭となった魔狼牙を見た。
仲間を失った魔狼牙はボスという立場も失い、怒りに震える様子で大きく唸った。鼻を高く持ち上げて
「やはり異端種だったか! 完全に覚醒しきっていないようだが、次の覚醒が来ないとも限らないっ」
「ならば、次で確実に仕留めよう!」
突然の異端種への覚醒に、練武場の空気は一変した。
前回の事故でトラウマを植えつけられ、騎士団を去らねばならなくなった新人騎士がいる。魔法契約で事故の詳細や退団の理由を語ることは禁じられているが、彼自身も思い出したくない記憶だったろう。命こそ助かったものの、無力さを嫌というほど思い知らされたのだから。
それでも乗り越えなければいけない壁だ。現在、練武場にいる騎士たちは、幾多の
「挟み撃ちにしよう!」
「カイザーに
ルドルフも異端種の魔狼牙に臆することなく、カイザーと共に練武場の端へと追い詰めていく。その間に数回の攻撃を仕掛け、様子を窺った。覚醒した魔狼牙は力もスピードも数倍上がっていたが、ルドルフの剣だけは避けていた。
攻撃しつつ、先回りして退路を断ったカイザーは、魔狼牙に向かって火の魔法を放った。その先にルドルフの姿があったが、無効化を持つ彼に火の魔法は効かない。
「ルドルフ、今だ!」
カイザーの火魔法を避けた魔狼牙だが、一瞬だけ足を止めたことが命取りになった。
火を突き破るようにして背後から現れたルドルフが、
「──君には感謝するよ。歴史が変わる瞬間の
魔物が死の間際で見る景色に、これまでは白金の髪が映ったことはない。王族が魔物を倒した記録もない。王国の歴史上、今日が初めてだ。
ルドルフは握りしめた剣で魔狼牙の首を切断した。絶命した魔狼牙は、ルドルフの足元で静かに灰となって消えた。
練武場に静寂が訪れると、聞こえてくるのは自分の荒い息遣いだけだった。ルドルフは空を仰ぎ、防壁が解除されていくのを見つめた。
長年の夢が叶ったというのに、不思議と何も変わらない。
言葉も、表情も、思いも……。
頭が真っ白になって実感が湧いてこなかった。
しかし、振り返るより先に飛び込んできたカイザーに肩を抱かれ、練武場に響き渡る歓声が耳に届き始めた時、ルドルフはようやく表情を綻ばせた。
◆◇◆◇◆
いくつも重なった防壁越しに実戦訓練を見守っていたヘルミーナは、自分の呼吸が止まっていたことにも気づかずにいた。
目の前で知り合いが、仲間が、怪我を負うかもしれない。最悪、殺されるかもしれないのだ。そんな状況の中で、平気でいられるはずがなかった。
けれど、彼らにはこの光景が普通で、当たり前なのだ。王国騎士団は常に死と隣り合わせの状況下で、魔物の脅威から民を救ってくれている。それがより鮮明に見えてきた。
すると、火の中から現れたルドルフが、光の刃を振り下ろして魔狼牙の首を斬り落とした。
──王族が魔物を倒した。
非公式の実戦訓練とはいえ、エルメイト王国史上初めての出来事だった。
「歴史の動く瞬間に立ち会えて、万感の思いです」
見守っていた全員が言葉を失う中、途中から合流したモリスが感嘆の声を漏らし、唇を震わせて
歴史が動いた。その中心となった人物は、白金の髪を靡かせたまま呆然と立ち尽くしていた。魔狼牙を倒した剣を両手に握りしめ、肩が上下に動いているのだけが分かった。
足元に転がる魔狼牙が消滅すると、練武場を覆っていた防壁が解除された。すると、静まり返っていた練武場に大きな歓声が湧いた。
「──ルドっ!」
カイザーに抱きつかれ髪をぐちゃぐちゃにされたルドルフは、嬉しそうに笑いながらこちらに近づいてきた。
ヘルミーナの手を離したアネッサは、見学席の階段を下りて駆け出していた。他の騎士たちもルドルフの元へ集まってくる。ヘルミーナもまたモリスたちと練武場に下りていった。
騎士たちに取り囲まれるルドルフの胸元に、アネッサが飛び込んでいくのが見えた。
先程まで手を握り合っていたヘルミーナには、アネッサの気持ちがよく分かった。いくら平静を装っていても、不安や恐怖は拭い切れない。アネッサを両腕でしっかり抱きしめるルドルフの表情にもまた、安堵の色が浮かんでいた。
歓喜に沸く彼らを少し離れたところから見守っていたヘルミーナは、「行かなくても宜しいんですか?」とモリスに訊かれて首を振った。
「いいえ、私は……。見学していただけですので」
「あのような剣をお作りになったのに?」
「魔物を倒したのはルドルフ殿下の剣術が優れていたからです。……本当に、倒せてよかったです」
目の前でわいわいと騒ぎ合う光景を、羨ましくないと言ったら嘘になる。でも、あの輪に入っていく勇気はなかった。1人ひとりとは話せても、大勢のいる場所へ飛び込む気持ちにはなれない。社交界でもそうやって壁の花になって過ごしてきたのだ。
でも、あの頃と違って心は晴れやかだ。自分も彼らの一員になれている気がして、自然と頬が緩んだ。
その時、ルドルフたちを取り囲んでいた人だかりが突然左右に分かれ、ヘルミーナに向かって1本の道が作られた。すると、アネッサを連れてルドルフがこちらに歩いてきた。突然のことに驚いて後ろへ下がると、マティアスとぶつかってしまった。
「ヘルミーナ嬢、今いいだろうか?」
「え?」
退路を絶たれたヘルミーナは他の逃げ道を探そうとするが、視線を一斉に向けられて動けなくなってしまった。
これはなんの嫌がらせだろうか。指先まで冷たくなっていくのを感じながら、ヘルミーナは魔物を倒したルドルフを出迎えた。
「今日は非公式の場だから安心してほしい」
「は、はい……」
つまり公の場では言えないことなのだろう。光属性に関することだろうか。そう思った瞬間、ルドルフはアネッサを残し、ヘルミーナの前までやってきた。
そして腰に差していた剣を抜き取ると、地面に突き刺し、いきなり片膝をついたのだ。
王族が、それも王太子という立場の者が、国王以外の前で跪くなどあってはならない。ヘルミーナは驚きのあまりひゅっと息を吸い込んだ。
それなのに、ルドルフはロングソード越しにヘルミーナを見つめながら口を開いた。
「ヘルミーナ嬢、貴女のおかげで魔物1匹倒せなかった王族の私が、戦える力を手に入れた。この剣があれば愛する人を、友を、そして大切な民を守ることができる。何より弟の夢を叶えてやれる。……無力な己を嘆くのは今日までにしよう。そして、我々を導いてくれた貴女に恥じない未来の王になることを──ルドルフ・ディゴ・エルメイトの名にかけて、ここに誓う」
歴史に記されることのない出来事だとしても、未来の国王となる王太子が誓いを立てるなどあり得ない話だ。けれど、周囲を見ても驚いた様子はない。宰相のモリスも、ルドルフの婚約者であるアネッサも、レイブロン公爵をはじめとする騎士たちも、ルドルフの行動を止めようとする者は誰もいなかった。それどころか納得しているように見える。