幕間一 デスクストス公爵
我の名はテスタ・ヒュガロ・デスクストスである。
王国公爵家長子として生を享け、将来は父上の跡を継いで宰相となる者だ。
我が家族は、皆優秀な存在ばかりであり、
父、プラウド・ヒュガロ・デスクストスは、歴代最高の宰相である。
母、シイー・ヒュガロ・デスクストスは、王国の宝と呼ばれるほどの美貌を持ち。
妹、アイリス・ヒュガロ・デスクストスは、母の美貌を受け継ぎ、王国の美の女神と呼ばれている。
そして、我は公爵家の次期当主として日々研鑽に励んでいる。
自分で言ってしまえば、我は天才だ。
それに胡座をかくことなく努力を怠らない。
それは我が負けることを何よりも嫌うからだ。
生まれながらにして、我には二属性の魔法が宿っていた。
剣術や学問において、同世代に負ける者はいない。我は一歩も二歩も前を歩いている。
誰にも追い付かせることはない。
誰にも負けることはない。
我は誰にも負けることなど考えたくない。
もしも、負けることを考えれば、相手が王族であろうと許し難い苦痛だ。
我は狂おしいほどの嫉妬で心が埋め尽くされる。
そんな折、四歳離れた腹違いの弟が生まれた。
弟の愛苦しい姿を見て、愛しさと苦しさで我は嫉妬した。
生まれながらに可愛いなど妬ましい。
だが、弟は成長と共に、我とは違う道を歩む者だと認識できた。
公爵家と言っても、他家に侮られないために己を律して、研鑽に励むものだと思ってきた。
そんな我に対して、我儘な振る舞いに暴飲暴食をしてブクブクと醜く太る弟。
我からすれば見るに堪えない愚者へと成り下がった。
その時点で、我は弟への興味を失った。
弟は第二夫人の子だったこともあり、会うこともなく存在すら忘れていた。
アレシダス王立学園に入る準備をしている際に、愚弟を久しぶりに見た。
第二夫人の母を亡くしたことで、完全にデスクストス家とは切り離された存在。
離れに住む愚弟は、今更ながらに魔法の勉強を始めたそうだ。
我の従者をしているアレックスが教えてくれた。
「テスタ様、やっぱりリューク様は頭がおかしいです。男のくせに毎日顔を洗って、化粧水とか乳液を塗って美しさの追求をしているそうです」
アレックスから聞けば聞くほど、愚弟が阿呆だと理解できる。
すでに我にとって、愚弟は嫉妬の対象外となった。
弟が生まれた時、父上はあの愛苦しい姿を見て、後継者を譲るのではないかと危惧した。そんな自分が馬鹿らしい。
あの頭がおかしな者を後継者にするはずがない。
「あれのことは放っておけ」
父上の発言は、母上とアイリスに向けたものだった。
美容を気にし出した愚弟に興味を持った女性たちに苦言を呈したのだ。
母上とアイリスは、家族である我が見ても美しい。
特に妹のアイリスは、世界から愛されるために生まれてきたのではないかと思うほど、美しさと愛らしさを合わせて持っている。
もしも、兄妹でなければ我の物としたい。
めちゃくちゃにして、この嫉妬を全てぶつけたいと思ってしまう。
アイリスから愚弟の名が出ると、久しぶりに愚弟に対して嫉妬が湧いてくる。
母上まで、愚弟と同じことをやり始めた時は流石に止めた。
「母上、おやめください。どうして、あんな奴と同じことをなさるのですか?」
「あなたは男性だから理解できないわね。でもね、テスタ。女とは欲深い生き物なのよ。女性である限り、いつまでも美しい自分でいたいものよ。自らを着飾る欲は尽きないの。それが強欲な女と言うものよ」
母上から返ってきた言葉は、我には理解できないものだった。
男のくせに女性のように着飾る愚弟も、愚弟を真似るアイリスや母上も、我には理解できない。我は理解できない者には嫉妬はしない。
不要な物として切り捨てるだけだ。
我には、理解できない者たちについて考える時間などない。
そんなことをしている間に、己の研鑽に時間を使った方が有意義である。
十五歳になった我は、学園に通うことが決まっている。
同学年には、優秀と呼び声高い第一王子のユーシュン・ジルド・ボーク・アレシダス。
我が公爵家と同格のガッツ・ソード・マーシャルが入学してくる。
負けるわけにはいかない。
学業であれ、剣術であれ、魔法であってもだ。
我の日課は、研鑽のためにある。
朝食の前に剣を振り。朝食後に勉強に時間を使い。昼食後は魔法を使い。
夕食後は一日のおさらいをする。
その合間で父上の仕事を見学させてもらって、公爵家の仕事を覚える。
父上は口数が少ない方で、丁寧に仕事を教えてくれるわけではない。
だが、黙って仕事を見せてくれる父上の背中が、我は好きだ。
いつか、父上に認められたい。
我が目標だ。
「なぁ聞いたか?」
「あん? なんだよ」
我が修練場に向かう途中、公爵家に雇われた騎士たちが会話をしていた。
「リューク様の属性魔法だよ」
「ああ、希少魔法じゃなかったんだろ?」
愚弟のことなど興味がなかったが、聞こえてきた声は仕方ない。
「らしいな。なんでも身体強化の延長にすぎなかったそうだぞ」
「まぁ、属性魔法が使えるだけでも、すごいけどな」
「そりゃそうだ」
騎士たちの話を聞いて、我の口元は笑みを浮かべてしまう。
愚弟はどこまでも愚弟でしかない。
最後に我に嫉妬させることがあるのは、愚弟の属性魔法だと思っていた。
最後の心配も杞憂に終わったようだ。
我が公爵家の後継者として、地位を盤石にしたにすぎない。
取るに足らない愚弟のことを考えるだけ無駄ということだ。
これからは学園を共にする者たちをライバルとして研鑽を積む日々を送る。
我は久しぶりに嫉妬に胸を焦がすことなく、上機嫌で眠りにつくことができた
◇
わたくしの名はアイリス・ヒュガロ・デスクストスと申しますの。
この世の美はわたくしのために存在していますの。
私は美しく、美しいが故に誰からも愛されておりますの。
それは兄であれ、父であれ、異性を問わず同性からも愛を受ける存在ですの。
それがわたくし……、アイリス・ヒュガロ・デスクストスですの。
ハァ、溜息すら美しさを醸し出してしまいますの。
わたくしが溜息を吐けば、周りが一緒に溜息を吐いてしまいますの。
最近のわたくしには二つの気になることがありますの……。
一つ目は、弟のリュークのことですの。
一つ下に生まれた腹違いの弟は、子供の頃こそ太っていて醜く見るに堪えない存在でしたの。
美しい物にしか興味のないわたくしは歯牙にもかけておりませんでしたの。
ですが、六歳頃から太っていた身体は痩せて健康的になり、その頃から美しくなるために洗顔や化粧水、乳液などの美容を始めておりましたの。
美しさの追求をする弟にわたくしは感心したものですの。
美しいは正義ですの。
美しいからこそ誰もが愛してくれますの。
ただ、弟はもって生まれた美しさなのか……、男の子なのに美し過ぎますの。
それはわたくしが嫉妬してしまうほど美しく。
ハシタナくも、わたくしは弟と恋人になる妄想してしまいましたの。
ふふ、ハシタナイことを申しましたの。
あらあら、お茶会に来ている令嬢の一人がわたくしを見て鼻血を出してしまいましたの。
ふふ、ダメね。わたくしが美し過ぎて罪なことをしてしまいましたの。
わたくしの中で渦巻く色欲はいつから開花されたのか聞かれたなら、弟を見たときだとハッキリ申し上げられますの。
どこか嫉妬深くスネークのような兄でも、傲慢で獰猛に獲物を狙うグリフォンのような父でもなく。
怠惰でありながら、美しく成長した弟へ情欲を覚えましたの。
弟を見て、色欲を発散させたいと考えてしまいましたの。
ああ、なんて浅ましい我が身なのでしょうか?
ですが、この気持ちを公爵家の女として我慢するということこそ難しいですの。
「あっ、アイリス様。先ほどから溜息ばかり吐いておられますが、大丈夫ですか? 本日は私がご用意したお菓子をお持ちしましたのでいかがですか?」
目の前では私が開いたお茶会に、令嬢達が集まっておられますの。
私が弟を思って下着を濡らしているなど考えもしない顔で過ごされる令嬢たち、なんとも愛らしい子たちですの。
ですが、心配して質問をしてきたのはわたくしに次いで位の高い伯爵家のご令嬢であるカリンですの。醜い顔……、いえ、元は悪くないと思いますの。
太って醜くなった伯爵令嬢のカリンが心配そうな表情で私を見ておりますの。
肉まんのような顔。
カリンが生まれたカリビアン伯爵家は物流を取り仕切る家で、珍しい食材や調理法を誰よりも早く知り得ることができますの。
カリンは幼い頃から料理が好きで、調理を行ったお菓子や料理を、私へ提供してくれるんですの。
だけど、彼女自身は自作の料理を食べてブクブクと醜く太ってしまいましたの。
本当に残念な令嬢ですの。
悪い人ではないのだけれど、どうしてもその醜く太った顔を近づけないでほしいですの。
「美味しいですの」
そうなんですの。
カリンが持ってくる物は全て美味しいですの。
美味しいのだけれど、目の前に用意されたマフィンは、どうみてもカロリーが高くて、ずっと食べて良い物ではないように思えますの。
「よかったです。私の手作りなんですわ」
嬉々として微笑むが、頬の肉が盛り上がって怖いんですの。
「カリン。美味しいのだけれど、最近のあなたは見るに堪えないですわ」
「えっ?」
「ご自分で、もうわかっているのではなくて?」
わたくしの言葉に話を聞いていた令嬢達がクスクスと、カリンを馬鹿にするような笑い声を出しましたの。
わたくしはカリンを嫌っている訳ではありませんの。
どうしても美しい物が好きな私としては、カリンの姿が許せませんの。
「うっ……」
わたくしの言葉にカリンは涙を浮かべてドレスを握りしめておりますの。
ですが、仕方ありませんの。
わたくしは言葉を着飾ることをしませんの。
「ごっ、ごめんなさい!」
カリンはそのまま涙を流して走り去って行きましたの。
疲れましたの。
私のもう一つの悩みは友人であるカリンが醜いことですの。
彼女が嫌いではありませんの。
初めてカリンにあったのは、今から十年前ですの。
お互い二歳の頃で、その頃のカリンは愛らしい子供でしたの。
成長と共に元々丸くて可愛かった顔は、大きく醜くなり、今では残念な成長を遂げてしまいましたの。
公爵家令嬢である、わたくしの取り巻きとしては見劣りしてもらっては困るんですの。
「さぁ、皆さん。カリンが作ってくれたお菓子は本当に美味しいですから、食べていってほしいですの」
令嬢達はカリンの体形はバカにしているけれど。
カリンのお菓子をバカにする人はいませんの。
嬉しそうな顔で食べている姿を見れば、彼女の見た目さえ変わってくれれば問題ないんですの。
ああ、友人を心配するわたくしは心も美しい……、で・す・の。
わたくしはあの日の出来事を今でも夢に見ますの。
どうしてわたくしはあんな言葉をかけてしまったんですの?
後悔が浮かんでは消えていくんですの。
「アイリスお姉様、お待ちになって」
三年前、私が醜いと彼女に告げたことで、彼女はお茶会を飛び出して、リュークに会いましたの。
その時の彼女は確かに太って醜い姿をしていましたの。
だけど、この三年で彼女は劇的な変化を遂げましたの。
顔には太かったときの面影の丸顔は残しているけれど、柔らかで可愛らしいふっくらとした唇。憎たらしいほど魅力的ですの。
わたくしと違って優しそうな瞳をしていますの。
全身から柔らかな雰囲気と、可愛らしさを醸し出しておりますの。
海運業をしていた家のせいで日焼けしていた肌は、今では白く綺麗な輝きを放っていますの。
小まめな日焼け止めと保湿が彼女の肌を綺麗に変えましたの。
可愛いだけでなく、健康的で、美しく成長を遂げたカリンをバカにする人はおりませんの。
「カリン、まだお姉様と呼ぶのは早いのではなくて?」
何よりも腹立たしいのは、弟のリュークと婚約を結んだことですの。
わたくしが……、あの日、カリンに醜いことを伝えなければ、二人が出会うことはなかったんですの。
彼女の態度にイライラして、嫌みを口にしてしまいますの。
こんなわたくしは美しくありませんの。
「ごっごめんなさい」
明るくはなりましたが、元々が謙虚で優しい性格をしていて、それは変わっていませんの。
すぐに謝罪を口にしますの。
カリンの態度はわたくしを刺激しますの。
「ハァ、謝らないで……、わたくしがイジメているみたいですの。惨めになりますの」
カリンは、あの日に発した言葉で泣きながら我が家の敷地を走り回り、弟に遭遇しましたの。弟はその場でカリンへ求婚したそうですの。
《《あの》》醜く太ったカリンにですの。
信じられない思いでしたの。
まさか、弟が心まで美しいなんて卑怯ですの。
わたくしはいつか強引に弟を手に入れる妄想をしていましたの。
あの醜いカリンが選ばれるなど信じられませんの。
だけど、カリンは弟と正式に婚約するためにガンバリましたの。
醜かった身体はほっそりとしながら、出るところは残し、天真爛漫な愛らしさと美しさを併せ持つ女性へと成長を遂げましたの。
そこは認めてあげても良いですの。
「ハァ、それで? 弟との関係はどこまで進みましたの?」
今日は少し強引に二人きりのお茶会を開催しましたの。
最近のカリンはお茶会に来られないほど忙しくしておりますの。
数年前から、リュークの指示で作り出したダイエットメニューや、ヘルシーなお菓子が王国内で大流行してカリンがモデルとしてダイエットに成功したこともあって、宣伝に拍車をかけましたの。
貴族だけでなく、平民の間でもヘルシーなのに美味しいと評判で、カリンは色々なところへ呼ばれるようになりましたの。
昔から、カリンの料理は美味しかったんですの。
リュークと出会ったことで進化しましたの。
ダイエットを成功させて、美しく健康的に成長を遂げ、料理人として、新たなブームをつくり出して商売を成功させ、見た目も、環境も、全て弟に相応しい存在となりましたの。
まさしく自他共に認めるリュークに相応しい令嬢として、父様からも婚約者として正式に認められましたの。
「聞いてくださいますか? リューク様が学園を卒業されたら結婚することが決まったのです」
ギリッ! わたくしは奥歯を噛みしめてしまいましたの。
あれから三年が経ってリュークは、更に美しく成長を遂げましたの。
カリンから提供される食事は、リュークの身体にも影響を与えましたの。
身長は兄であるテスタよりも高くなり、腕や足もスラリと長く。
それでいて身体は引き締まり、肌は光を弾くほどの透明感を誇りますの。
美しさ、しなやかさ、強さ、そして魔法の才能、全てを開花させたリュークは、唯一無二の存在へ昇華しましたの。
この世で唯一わたくしと釣り合う存在として成長を遂げたと言える相手になりましたの。
それなのに……、こんな女に攫われていくなど考えたくもないですの。
「そう、よかったわね」
「はい! それよりもアイリス様には、数え切れないほどの求婚話が来ているとか?」
自分の結婚が決まった余裕から、人の結婚の心配をしますの?
わたくしの結婚なんて……、そんなものどうでもいいですの。
欲しいのは弟だけですの。
わたくしが本気になれば、どんな男でも手に入るはずですの。
それなのに……、リュークだけは手に入りませんの。
「そうね。お兄様のご友人である第一王子のユーシュン様から王妃にならないかとお話を頂いていますの」
本当は王妃になど興味がありませんの。
「凄いです! やっぱりアイリス様は私にとって憧れの人です!」
白々しい……、第一王子は確かに優秀で顔もいいけれど。
リュークの美しさには遠く及びませんの。
せいぜい男性としては小綺麗にしている程度。
だけど、リューク以外で私に釣り合う格を持つ者は王子しかいませんの。
「そうね。求婚してくださっていますの。お受けするつもりですの」
「素晴らしいですね。アイリス様は次期王妃になられるのですね」
キラキラとした目でわたくしを見るカリン。
彼女の作り出す料理は美味しいけれど、そのときが来たら必ず。
あなたには復讐させてもらいますの。
「姉様」
ドス黒い感情がわたくしの心を満たし始めたところで、愛しいリュークの声がわたくしを現実へと引き戻しましたの。
「あら、リューク。どうしたんですの?」
「カリンを連れて行っても良いかな?」
「なぜ? わたくしのお茶会を邪魔するんですの?」
目的がわたくしではなくカリンと分かって、腹立たしい気持ちが湧いてきますの。
「アイリス姉さんがボクに会いに来たカリンを連れ去ったんだよ。だから連れ戻しに来ただけでしょ」
リュークがわたくしに近づいて叱るような口調で瞳を合わせますの。
わたくしは世間では魔性の女などと呼ばれておりますの。
ですが、目の前で瞳を合わせるリュークこそが魔性の男ですの。
こんなにも狂おしいほどに、わたくしが求めているのに応じないなど、罪な男ですの。
リュークの匂いがわたくしの鼻腔をくすぐり発情させてきますの。
「わっ、私もアイリス様とお話がしたかったのです。リューク、ごめんなさい」
「カリンは悪くないよ。アイリス姉さん、もういいでしょ?」
「好きにすればいいですの。カリンとは学園に行けば、これからいくらでも会えるんですの」
「む~アイリス姉さん、ズルい。来年はボクも学園に行くからね。カリン、待っていてね」
「あわわっわわわ」
婚約者に甘く囁く姿に奥歯を噛みしめますの。
本来であればそうしてもらえたのはわたくしのはずなのに……。
カリンだけズルいですの。
「アイリス姉さん。綺麗な顔が恐い顔になっているよ。アイリス姉さんも学園ガンバってね。アイリス姉さんの希少魔法も凄いんだから」
ふと、振り返った弟は陽だまりのような笑顔でわたくしを応援しますの。
そんなことで誤魔化されませんの………。
なんだか顔が熱いですの……ハァハァハァ……ほしい……………。