エピローグ Next Stage

救急車で運ばれた先の病院は、その日のうちに退院することになった。医師の診断によれば、拳銃で撃たれたレキトの左腕の傷は全治1ヶ月を要するが、それ以外の傷は安静にしていれば1週間で治るとのことだった。前々から薄々と気づいてはいたが、プレイヤーが操作するアバターは普通の人よりも丈夫にできているらしい。

ただ、優斗と美桜は1日入院することになった。

──美桜さんは事件当時の記憶がないようです。脳に異常がないかを調べますが、両親が殺されたショックが原因かもしれません。

──そして、優斗さんは1年以上の記憶がありません。専門のカウセリングを受ける必要があります。

レキトは医師の言葉を思い出す。ゲームオーバーになって記憶を失った優斗はもちろん、美桜もレキトがプレイヤーとして戦ったことを覚えていない。警察の事情聴取についても、調停警部の姫路が裏から手を回したのか、レキトは「戦いに巻き込まれた無関係な被害者」という体で話を聞かれた。NPCの家族にプレイヤーの正体を知られず、「ゲームクリア」や「ギアの交換」に必要なコインを2枚手に入れる。ゲーム攻略の観点で考えれば、十分に喜ばしい結果だろう。

だが、レキトは素直に喜ぶことができなかった。他の人たちの記憶に残っていなくても、銃弾からレキトをかばったときの母親の安心した顔は覚えている。レキトと優斗を守るために戦った父親の必死な表情も、泣くのを堪えて両親が生きていると嘘をついた美桜の笑顔も。最期に弟の誕生日を祝った優斗の弱々しい笑みも忘れられるわけがない。

下北沢にある自宅へ一人で帰ると、大量のシアン色の血がリビングのフローリングの床に染みついていた。錆びた鉄の臭いが微かに漂っていた。遮光カーテンやダイニングテーブルには銃痕が残っており、壁にはレーザー光線で撃たれた穴が何ヶ所も開いている。父親が作ったライオンのバルーンアートは、五人掛けのソファの上で無残に割れている。

──君、つまんなそうな顔でプレイしてるね。ゲームは楽しんでやるもんだよ。

凛子の澄んだ声が頭の中で響き渡る。初めて声をかけられて格闘ゲームで対戦したこと、横スクロールアクションゲームでゴールまで競走したこと、筋肉痛になるまでエアホッケーに付き合わされたこと──。宝箱が開いた瞬間に溢れんばかりの輝きを放つように、忘れたくない思い出が次から次へと蘇った。いつどこで何のゲームをして遊んだのかはもちろん、夢の中でシューティングゲームを協力プレイしたときの記憶もはっきりと覚えている。凛子がいなくなってから、ゲームセンターを探し回った日々の苦しさも消えずに残っている。

レキトが『Fake Earth』をプレイしたのは、現実世界へ帰ってこない凛子を救い出して、一緒にゲームセンターで遊ぶ日常を取り戻すため。心から望むエンディングへ辿り着くためには、この世界の管理者のゲームマスターを倒して、『Fake Earth』をサービス終了させなければいけない。

けれども、目の前のNPCの家族すら助けられなかったのに、100万人以上のプレイヤーが攻略できていないゲームをクリアして、凛子を現実世界へ連れ戻すことができるのか?

真っ黒な感情が胸の奥から溢れて、レキトは拳を固く握りしめる。今とてもゲームを楽しめる気分にはなれなかった。


──ピンポーン。


玄関のインターホンが鳴った。静けさに包まれていたリビングに、明るい電子音が響き渡る。室内にドアホンモニターはないため、誰がインターホンを鳴らしたのかはわからない。ピンポーン、と玄関のインターホンはもう一度鳴った。間延びした音の余韻が耳に残る。

レキトは息をひそめて、赤色のスマートフォンの画面を見た。《小さな番犬リトル・ケルベロス》はホーム画面で穴を掘り、温泉を掘り当てていた。とりあえずインターホンを鳴らした人物は「危険」ではないらしい。念のためレキトは足音を立てないように廊下を歩いた。訪問者をドアスコープで覗いて、U字ロック型のドアガードをかけて、玄関のドアをゆっくりと開ける。

緑の制服を着た配達人が、小型の段ボールケースを脇に抱えていた。

「すみません、お届け物です。けっこう大きいので、床に置かせていただきますね」

若い配達人は荷物を床にそっと置いた。「受領印はいらないんで」と一礼して、にこやかに去っていく。配達された段ボールケースは、レキト宛てに送られたものだった。『Fake Earth』でネットショッピングを利用したことはないが、NPCだった頃の遊津暦斗が頼んだものでもないらしい。

送り主の名前には「藤堂頼助とうどうらいすけ」と現実世界の俺の名前が書かれている。レキトの字でないことは一目見るだけでわかった。

レキトは階段を上がって、ひとまず荷物を自分の部屋に運んだ。何が送られたのか、いっさい予想できなかった。伝票の品目は「誕生日プレゼント」としか記載されていない。開けていい物なのか、捨てるべき物なのか、判断に迷う。

レキトは恐る恐る開けてみることにした。《小さな番犬リトル・ケルベロス》が反応しないので、危険物ではないことに賭けた。部屋にあったカッターナイフを使って、ガムテープで接合されたところを切る。段ボールケースを開き、中にあった物を取りだす。

送られてきた物は「小動物用のケージ」だった。給水ボトルには水が溜まっていて、透明な食器にはひまわりの種が入っていた。ケージの中央には、水色の回し車が置かれている。薄茶色のハムスターが回し車の上で、ひまわりの種をカリカリとかじっていた。

「どういうことだ? 誰がいったい何のために?」

「そら、運営が送ったに決まってるやろ。ほかにプレイヤーの本名を知っとるやつはおらへんし。まあ、あえて送り主を『アーカイブ社』にせんかったのは、可愛いわいのいたずら心やねんけどな」

いきなり陽気な関西弁が、レキトの独り言に返事した。その声は小動物のケージの方から聞こえてきた。焦ったレキトは赤色のスマートフォンを持ち、慌てて自分の部屋を見回す。優斗と戦った後で散らかっているが、誰かが潜んでいる雰囲気はない。

今、この部屋にいるのは、レキトとハムスターのみ。

レキトは固唾かたずを呑み、対プレイヤー用レーザーに切り替えた。小動物用のケージにイヤホンジャックを向ける。薄茶色のハムスターは震えながら、両手を降参するように上げていた。

「いやいやいや! なにハムスターに銃を向けとんねん! 絶対撃ったらあかんで! ほんまフリやないからな! わいが何者なんか、遊津の旦那ならわかるやろ!?

円らな目で見上げたハムスターは、関西弁をまくしたてる。出っ歯のある口の動きから、この小動物が喋っていることは間違いないようだった。

レキトは電源ボタンを押して、対プレイヤー用レーザーを解除する。ハムスターの正体に思い当たる節があった。スマートフォンのホーム画面で時刻を確認すると、ただいま1353分。雨の降る東京に転送されてから、プレイ時間はまだ24時間経っていない。

「どうやら誤解は解けたと思ってもええんかな?」

「ああ、わかったよ。……やっと来たんだな」

レキトはベッドに腰かけて、この世界で最初に出会ったプレイヤーの紫藤のことを思い出す。彼女がチュートリアルを騙ったときから、頭の片隅でずっと引っかかっていたことがあった。

もしプレイヤーがチュートリアルのふりをするのなら、本物のチュートリアルはどうやってプレイヤーではないことを証明するのか。

答えは簡単だった。

『偽物』がプレイヤーの姿をしているなら、『本物』はプレイヤーではないことがわかる姿をすればいい。

「んじゃあ、気を取り直して、まずは自己紹介から始めまっせ。わいはハムスターのモグきち。この世界で遊津の旦那をサポートする、知的でクールなアーカイブ社の社員や! ほな、楽しいチュートリアルを始めるで~」

ハムスターのモグ吉は微笑み、水色の回し車であぐらをかいた。