5話 明るい未来を捨てて

二人でゲームセンターで遊ぶとき、いつも凛子は綺麗な座り方をしていた。長い首が前に傾くことも、腰が反っていることもなく、彼女の背筋はまっすぐ伸びていた。華奢な肩は左右の高さが揃っていて、曲がった膝裏の角度は直角を描いている。気品を漂わせながらも、草食獣を襲う前の猛獣のような静けさを感じさせた。

淀川が拳銃を撃ったとき、レキトは凛子の静けさを思い出した。舞台でピアノを演奏するような手つきで、真っ赤な球のついたレバーとボタンを操作している彼女の姿が脳裏に蘇る。真円の銃口は爆発したように光って、3発の銃弾が回転しながらレキトに向かってきた。ハイスピードカメラで撮影した映像のように、スローモーションで近づいてくる。

この銃弾を避けることはできない。撃たれた左腕を押さえたレキトは、自分の身に起きる未来を悟った。いま体験しているのは「突発的な危機に陥ったときに起きる、周りが遅く見える感覚」だと本能が理解する。銃弾が皮膚に刺さり、神経や血管を引き千切って、背中を突き破るイメージがよぎった。

しかし、次に目にしたのは、銃弾に胸を貫かれた母親の紀子の姿だった。レキトを身をていして助けた彼女は吐息を漏らして、穴の開いた胸からシアン色の血を流していた。NPCである母親はこれがプレイヤー同士の戦いであることを間違いなく知らないだろう。手のひらよりも小さなコインを手に入れるために戦っていることも、この世界がゲームであることも何ひとつ知らないはずだ。

それなのに、レキトは彼女の自己犠牲のおかげで、ゲームオーバーにならずに済んでいる。母親はレキトをかばった後、「良かった」と微笑みを浮かべた。撃たれた胸から血を流しながら、レキトが怪我をしていないことに安心したような顔をしていた。倒れる前には「逃げて」とつぶやき、家族のことを思いやっていた。


──ケルベロ! ケルベロ! ケルケルベロ!


小さな番犬リトル・ケルベロス》が足元で必死に吠えた。赤色のスマートフォンは激しく振動するあまり、フローリングの床から真上へわずかにねている。我に返ったレキトが淀川の方を振り向くと、発射間際に輝きが強くなったイヤホンジャックがレキトに向けられていた。落ち着き払った佇まいで、射撃訓練用の的を見るような目をしている。

背筋がゾクッとした瞬間、レキトはその場から飛び退いた。跳びながら上半身をひねって、紙一重でスカーレット色のレーザー光線を避ける。淀川はレキトに目を向けず、ただ右手で持った拳銃を向けた。引き金にかけた人差し指が動くのが見えて、レキトは着地と同時に床を蹴って、《小さな番犬》が吠えているスマートフォンの方へ急転換する。

だが、目の前に構えられた拳銃から、銃弾は放たれなかった。引き金をかけた淀川の指は軽く曲げた状態で止まっていた。淀川は顔色を変えず、急転換したレキトの胸に銃口を向ける。無理に方向転換したせいで、レキトは体勢を大きく崩していた。次に攻撃が来るとわかっていても、咄嗟に回避することができない。

──NPCの警察官になりきった芝居、注意を逸らしているように見せかけた振る舞い、そして指先だけで欺くフェイント。

──騙しの「演技」があまりにも巧妙すぎる。

淀川は拳銃の引き金を引いた。爆発したような音が響き、真円の銃口から加速した銃弾が飛び出した。体勢を崩しているレキトは自分の服の裾を強く引っ張った。無理やり上半身を傾けて、心臓から数センチ離れた位置で銃弾を受ける。

激痛が全身を駆け巡った。倒れたレキトは床に後頭部を勢いよくぶつけた。被ダメージにゲームが揺れるように、視界が一瞬だけ乱れる。意識が飛びそうになったとき、《小さな番犬》が活を入れるように吠える声が耳に突き刺さった。辛うじて我に返ったレキトはスマートフォンをつかんで、死に物狂いで五人掛けのソファの陰へ転がる。

このまま離れて射撃戦を続ければ、淀川のフェイントに騙されて、ピンチになる未来は見えている。かといって迂闊うかつに近づけば、間違いなく拳銃の餌食になるはずだ。

レキトは息をひそめて、遮蔽物のソファから頭が出ないように体勢を立て直す。全身が炎に飲み込まれたように熱くて痛い。唯一救いがあるとしたら、操作するアバターが現実世界の肉体より頑丈なおかげで、まだ戦う力が残っていることだろう。もっとも、優斗に続いての連戦のダメージは大きく、出血によるスリップダメージで限界に近い。

淀川の上手いフェイントを見極めて、拳銃から放たれる銃弾を避け切って、この戦いを体力が尽きる前に終わらせるにはどうすればいいのか?

攻略法は1つだけ思い浮かんでいる。

レキトは残された力を振り絞って、スクエア型眼鏡の縁に指をかけた。

【頼助、君のたゆまぬ努力によって、視覚野過敏症候群はゲームの対戦で使える武器となった】

【ただ、大きすぎる力は、ときに自分自身を傷つけることもあるから、「目の力」はあまり乱用しないように】

【もし1日に何度も使いたくなっても、「10分間のインターバルを置くこと」、これだけは必ず守るんだ】

コバルトブルー色のスクエア型眼鏡を外そうとしたとき、主治医のおじさんの言葉が蘇る。泥で汚れた白衣、温かくて大きな手、お日様の匂い──。真っ赤に実ったリンゴの木の下で、太陽のように温かい手で頭をポンと叩かれた記憶がフラッシュバックした。ほんの一瞬、右目の眼球が燃えたように熱く感じる。後頭部がズキンズキンと痛みはじめる。

嫌な予感がしたレキトは、ホーム画面からカメラを起動した。インカメラでスマホ画面に映った自分の顔を見ると、右目はシアン色に染まっている。真っ白な結膜も、真っ黒な瞳孔も、青い虹彩の色に合わせるように変色していた。

「……はあ、やっぱりこうなるか。ほんと君の家族愛には感心するよ」

淀川のため息をつく声が聞こえる。レキトがソファの陰から様子を窺うと、背中を撃たれて倒れた優斗が立ち上がっていた。淀川の後ろ姿を睨みつけて、青い瞳は左右に揺れている。オーバーサイズ気味のTシャツは、胸元から裾までシアン色の血で汚れていた。

「……なあ……知ってるか? ……明日はさ……弟の誕生日なんだ。……お前が自分勝手な理由で……台無しにしていいものじゃないんだよ!」

青い瞳が揺れている優斗は、腰の後ろのナイフケースに手を回す。そして、歯の立ったサバイバルナイフを手に取って、淀川に向かって飛び出した。一歩前に進むたびに、シアン色の血が傷口から噴き出る。加速するにつれて、傷口から噴き出る血の量が増えていく。

それでも優斗は顔を歪めることもなく、確かな足取りで一直線に駆けていく。

淀川は両手を交差させて、拳銃とスマートフォンを持つ手を瞬時に入れ替えた。親指でホームボタンを長押しして、端末上部のイヤホンジャックに電気を溜めた。光り輝くイヤホンジャックを優斗に向けて、近距離からスカーレット色のレーザー光線を放つ。

「優兄っ!」

美桜は悲鳴を上げるように叫んだ。全力疾走していた優斗は急に方向転換できない。血塗れのアバターの鳩尾みぞおちをレーザー光線に貫かれる。

だが、走っている優斗は足を止めなかった。青色の瞳は左右に揺れていた。痛みを感じないほどに集中している。撃たれたところに見向きもせず、殺意のこもった目で淀川だけをまっすぐ見ている。

レキトは両手でスマートフォンを構えて、淀川の半歩後ろに対プレイヤー用レーザーを撃った。淀川がその場から下がれないように、ライトグリーン色のレーザー光線で牽制けんせいする。

優斗は力強く踏み込んで、歯の立ったサバイバルナイフを力いっぱい振り抜いた。

鋭い斬撃が閃光のように走り、斬られたアバターに袈裟切りの太刀傷が刻まれる。業務用の無線のコードも千切れて、制服の水色のシャツも切り裂かれた。肩から斜めに腰まで皮膚が裂けて、シアン色の血が噴き出して、フローリングの床へ飛び散る。斬られたアバターは膝から崩れ落ちた。

「ありがとう、蔵内くん。君の働きぶりに感謝する」

淀川は斬られた部下を見下ろす。彼が手に持ったスマートフォンの画面には、「警察官の指人形」が表示されていた。操作系のギアを使って、失神した警察官を盾になるように動かしたらしい。新しいシアン色の血だまりがフローリングの床に広がっていく。

レキトは両手でスマートフォンを構え直して、ライトグリーン色の照準点を淀川に合わせた。優斗は血の滴るナイフを握りしめて、素早く淀川の胸に向かって突き出す。

しかし、淀川が両手を横に広げて、拳銃とレーザー光線を同時に撃つほうが早かった。

爆発音のような銃声とレーザー光線の発射音が重なる。レキトは銃弾で肩を撃ち抜かれて、優斗は脇腹にレーザー光線が貫通した。《小さな番犬リトル・ケルベロス》は吠える声を強めて、優斗の青い瞳の揺れはピタッと止まる。二人で顔をしかめて、片膝をフローリングの床についた。

「すまない。同時撃ちはどうしても精度が落ちるんだ。──今度は一人ずつ、ちゃんと急所に当てるよ」

淀川は拳銃のシリンダーを開けて、弾切れになったことを確認する。使えなくなった拳銃をホルスターにしまって、倒れている警察官の拳銃を手に取った。真円の銃口を優斗に向けて、引き金に人差し指をかける。苦しそうに呼吸している優斗は、片膝をついたまま立ち上がれずにいた。シアン色に染まったTシャツから血が滲み出て、床にポタポタと垂れつづけている。

──ただでさえ劣勢なのに、唯一のアドバンテージとなる「数の利」さえ失ってしまう。

レキトは歯を食いしばって、握ったスマートフォンを目線の高さに持ち上げる。淀川の手に狙いを澄まして、レーザー光線より短い光の弾を連射しようとした。

だが、淀川は右手を後ろに向けて、レキトを見ずに拳銃を撃った。優斗を撃つと見せかけて、急いで止めようとしたレキトに奇襲をかけるフェイント。予想外のタイミングで反撃を受けて、撃たれたレキトの左腕に風穴がもう1つ増える。全身の細胞が破裂したように、操作するアバター全体に痛みが駆け回る。

レキトは撃たれた腕を押さえて、五人掛けのソファの陰に隠れた。今すぐ優斗を助けたいのに、拳銃の射線に入れば、容赦なく銃弾を撃ち込まれる。淀川の意識が逸れた瞬間を狙いたくても、油断している演技で誘い出そうとしているのかどうかがわからない。

荒い息をつきながら優斗は重たそうなまぶたを上げようとしていた。座り込んだ美桜は首を横に振って、「……やだ……やだ」と震えながら泣いている。

淀川は銃口を優斗の眉間に向けて、人差し指で引き金を引いた。

その時、よろめく人影がレキトの視界に入った。

『Fake Earth』はプレイヤー同士がコインを奪い合うゲーム。NPCはゲームの舞台装置であり、現実世界を再現するために用意された存在だ。彼らは「人間」に見えても、実際はよくできた「プログラム」にすぎない。「心」がないのだから、信念も感情も当然持っていない。

しかし、包丁で刺された父親の司は、淀川の死角から飛び出ると、彼の頬を殴りつけた。腰の入っていないフォームでありながらも、固く握りしめた拳を思いきり振り抜いた。淀川はよろめいて、真円の銃口が優斗の眉間から逸れる。放たれた銃弾は優斗から外れて、ダイニングテーブルの脚に命中する。

父親は息を切らしていた。シアン色の血が腹の傷口から溢れている。額から首筋へ汗がダラダラと流れていた。

「……全員……逃げろ。……安全なところまで……逃げて逃げて……逃げるんだ。……父さんのことは……気にするな。……後で追いつくから……みんな、早く、先に行っ──」

NPCの父親の言葉は、銃声とともに途切れた。父親の口から最後に出てきたのは、シアン色の血だった。深いため息が続いて聞こえてくる。淀川は眉をひそめて、拳銃の引き金を引いていた。

真円の銃口から硝煙が漂っている。頭から倒れた父親はフローリングの床で一度だけ小さく弾んだ。そして、人間からマネキン人形に変わったかのように、うつ伏せになったまま動かなくなる。

優斗は目を見開いて、撃たれた父親を見つめていた。血塗れのアバターは震えていて、「──ッ」と言葉にならない声を漏らした。一粒の涙が目尻から頬を伝っていく。

「不確定要素は先に排除すべきだったか」

淀川は静かにつぶやき、親指でホームボタンを長押しする。端末上部のイヤホンジャックに電気が溜まっていき、血の広がったフローリングの床にスカーレット色の照準点が浮かび上がった。

淀川がスマートフォンをゆっくり動かすと、スカーレット色の照準点もゆっくりと動いた。

近くで倒れた父親を通過し、倒れた母親を横切り、その先にいるアバターに定められる。

「……おい、お前……それだけはやめろ!」

優斗は怒り狂ったように叫んだ。「殺すなら……俺を……殺せ!」と必死な声で続ける。

しかし、淀川は何も言わず、腰の抜けた美桜に向かって対プレイヤー用レーザーを放った。スカーレット色のレーザー光線は美桜の額へ向かっていく。

美桜は目をぎゅっと閉じて、小柄な体を強張らせた。

「良かったです。妹を撃つのが『演技』じゃなくて。もうこれ以上思い通りにはさせませんよ」

淀川のレーザー光線が美桜に当たる直前、ライトグリーン色のレーザー光線が割って入るように衝突する。お互いのレーザー光線は相殺し合って、煌びやかな2色の残滓が美桜を囲うように漂った。《小さな番犬》が吠える声を無視して、レキトは美桜の元へ駆け寄る。すかさず優斗は対プレイヤー用レーザーを撃ち、拳銃を構えようとした淀川を遠ざけた。

美桜は目を開けて、レキトの服の裾を縋るようにつかむ。レキトは美桜を五人掛けのソファの陰へ引っ張った。急いでアバターを屈めて、美桜の頭を下げさせると、頭上を通過した銃弾がリビングの窓を貫く。《小さな番犬》は激しく吠えて、青いスパイク首輪は赤色に変わっている。

美桜は嗚咽おえつを漏らして、母親の面影のある顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

「……ごめんなさい、ごめんなさい。私がおかしくなったせいで、お父さんが、お母さんが、お兄ちゃんが……。みんなは悪くないのに……私なんて一番生きてる価値はないのに」

泣いている美桜は震えながら謝っていた。大粒の涙がレキトの手の甲に何度も落ちてきた。温かい感触が皮膚に染み込むように伝わる。レキトは美桜の手を握って、震える身体をそっと抱き寄せた。

「謝らなくていい。自分を責めなくていい。美桜は何も悪くないんだ。誰がなんて言おうと、俺はわかってる。だから、『生きてる価値がない』なんて言うな。大事な家族が死んでいいわけがないだろう」

レキトは美桜の頭をポンと叩いた。彼女の目尻から流れる涙を指先で拭う。そして、真っ白なレースカーテンをめくり、庭につながる掃き出し窓を指差した。

「美桜、1つだけお願いがある。今すぐ家を出て、誰かに頼ってもいいから110番に通報してくれ。大変だと思うけど、任せてもいいかな?」

「……嫌だよ、暦兄れきにい。……それだと私は助かるけど、お兄ちゃんたちが殺されちゃう」

「優しいな、美桜は。心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。俺は絶対に死なない。──だって、あの悪い警察官は、俺と兄さんの二人でやっつけるから」

レキトは微笑み、自分の胸を叩く。撃たれた腕は激痛を訴えていたが、表情が崩れないように我慢した。美桜は怪我をしたレキトを心配そうに見つめる。レキトから手を離さず、何か言いたそうに唇を噛む。

だが、泣き顔をブラウスの袖でこすると、カーテンの裏にある窓から駆けだした。

レキトは息を吸って、ゆっくりと吐いた。シアン色の血で汚れたリビングは、母親と父親が倒れて、若い警察官が仰向けに引っくり返っている。

優斗は立ち上がって、死に物狂いで淀川と戦っていた。《愛を証明するためにキー・リレシップ》を起動して、半径1メートルのピンク色の球体を展開している。美桜とソファの陰に隠れる前よりも、アバターの傷の数は増えていた。

淀川は傷ひとつ負うことなく、親指でホームボタンを長押ししている。

【大丈夫だよ、主治医のおじさん。目の力の使いすぎは危ないって体でわかるから。ここぞって勝負所でしか使わないよ】

【ああ、そうだね。でも、僕は医者として、君に目の力のリスクを説明しなきゃいけないんだよ。まだ小学生の君が、この先どんな人生を歩むのかは誰にもわからない。もしものために、いつか後悔しないように、頭の片隅に留めてほしいんだ】

【わかった。じゃあ教えて。目の力を連続して使うと、いったいどうなるの?】

【実はまだはっきりとしたことはわからない。君の目は特別だから、研究が十分に進んでいなくてね。ただ、人間の目は電球みたいに寿命があって、一般的に約70年だけど使いすぎると目の消耗は早くなってしまう。もし君が目の力を連続して使ったら、「目の寿命は10年以上早まる」と言われている。運が悪ければ、50年分の寿命を消費する研究結果もあるくらいだ。怖いと思うだろう? だから肝に銘じてくれ。最悪の場合、君が大人になったとき、大切な人を見ることが二度とかなわなくなるかもしれない。それを覚えておくんだ】

レキトは主治医のおじさんとのやり取りの続きを思い出す。古傷が開くように、右目が焼ける感覚が蘇った。

正直に言えば、美桜とともに「にげる」を選択することはできた。そもそも、レキトは厄介事に巻き込まれているだけで、淀川と無理に戦う必要はまったくない。この世界で生き残るためにそうするべきだった。

「──学習しろ」

けれども、レキトは「たたかう」を選択した。片腕が使えなくなったアバターで、血を一滴も流していないプレイヤーとの勝負を挑むことにした。どうしてそうするのか、自分でもよくわからない。NPCの家族に感化されたからなのか、操作するアバターが脳に影響を与えたからなのか、結論を導き出すことはできない。

ただ、レキトはゲームオーバーになるわけにはいかない。凛子を現実世界へ連れ戻すまで負けるわけにはいかない。戦う以上、絶対に生き残る。

たとえ相手が銃の扱いに長けていようと、騙す演技が上手かろうと、コインを奪われるわけにはいかない。

「──学習しろ、学習しろ」

プレイヤー「淀川善」を攻略する。この瞬間、無限に分岐する未来の中から、「勝利」のルートを見つけだす。

「──学習しろ、学習しろ、学習しろ!」

だから、頭脳をフル稼働させて、目の前の状況を整理しろ。対戦相手の思考を分析して、未来の行動を予測しろ。全力を出し切って、限界を超えて、最善を尽くせ。

絶対に攻略できないゲームがないように、絶対に勝てないプレイヤーもいない。

視野を広げて、見方を変えて、攻略法を見つけるんだ!


「──連携。プレイヤー『遊津優斗』、学習完了」


レキトは目を見開き、スクエア型眼鏡を投げ捨てる。五人掛けのソファの陰から飛び出して、全速力で淀川に向かって走った。目の前の視界が鮮明に見える中、親指でホームボタンを長押しする。端末上部のイヤホンジャックが、ライトグリーン色に光り輝きはじめる。

淀川は優斗から距離を取りつつ、対プレイヤー用レーザーを放っていた。傷だらけの姿で立ち向かってくる優斗を見つめていて、走ってくるレキトの方を見ていない。けれども、拳銃を持つ手の親指のけんがわずかに動くのが見えた。ありとあらゆるものが顕微鏡で拡大したように見える世界で、銃口から漂う硝煙の微粒子の流れる方向が変わるのがはっきりと見える。

淀川は後ろを振り返らず、素早く拳銃をレキトに向けた。真円の銃口がピカッと光る。薄く白い硝煙が噴き出した。流線形の弾丸が時計回りに回って、勢いよく銃口から飛び出していく。

だが、淀川が撃つ瞬間を見切ったレキトは、左斜めに踏み込んで銃弾を避けた。凄まじい風圧が頬にぶつかり、空気を裂くような音が鼓膜に響いた。外れた銃弾はソファのアームに当たる。《小さな番犬リトル・ケルベロス》が一瞬だけ鳴き止む。

レキトは視線と射線を揃えるように、片手でスマートフォンを構えた。淀川が一瞬驚いた顔でレキトを見ると同時に、ライトグリーン色の照準点を淀川の目にピタッと合わせる。

振り向いた淀川は斜め後ろに飛び退いて、レキトの対プレイヤー用レーザーの射線を避けた。

「──連携戦術A『射手の演技アクト』」

親指をホームボタンから離さず、レキトは淀川に微笑みかける。凛子とガンシューティングゲームを協力プレイしていたとき、「合体技って憧れるよね」という彼女の何気ない一言から誕生した『連携戦術』。「せっかくだし本格的に使える技を考えよう」と頼助も意気込んで、凛子と熱心に何時間も議論して作り上げたコンビネーション技だった。もちろん今日プレイヤーであることを知った優斗には何も教えていない。どんな連携技なのかを説明せず、いきなりの実戦で合わせることは至難の業だろう。

だが、激しい兄弟喧嘩のように、レキトと優斗は全力で戦った。お互いにどんな人生を歩んできたのかは知らなくても、どんな戦い方をするのかは身を以って知っている。そして、何より「NPCの家族を傷つけた淀川を倒したい」という思いは一致している。

レキトの考えが通じたかのように、優斗はスマートフォンをすでに構えていた。血で汚れた親指でホームボタンを長押しして、対プレイヤー用レーザーを撃つ準備を整えていた。眩く光り輝くイヤホンジャックは、淀川の1メートル後ろに向けられている。淀川が飛び退いた先に、桜色の照準点が重なる。

青い瞳が揺れている優斗は親指をホームボタンから離した。爆発する前の星が一際強い光を放つように、光っている優斗のイヤホンジャックの輝きが一段と強くなった。桜色のレーザー光線が淀川の背中を貫く。撃たれた淀川は顔を歪めて、口の端からシアン色の血を流した。

「……残り一発を惜しんでる余裕はないか」

淀川は口元の血を拭って、優斗のほうへ振り返る。撃たれた背中から血が飛び散ったが、意に介さず拳銃を優斗に向けた。苦しそうに呼吸している優斗は、ホームボタンをもう一度長押ししたまま動かない。シアン色の血を流しすぎたせいなのか、淀川に向けたスマートフォンを持つ手は震えていて、桜色の照準点は手ブレで揺れ動いている。

「──連携戦術B『武器破壊ブレイク』!」

淀川が引き金を引く瞬間、レキトは対プレイヤー用レーザーを放った。ライトグリーン色のレーザー光線は駆け抜けて、拳銃の銃身を撃ち抜く。細い銃身は根元から折れて、淀川の足元にカツンと落ちた。淀川が目を丸くしたとき、優斗の放ったレーザー光線が淀川の肩を貫く。

レキトは左手にスマートフォンを持ち替えて、痛みを堪えている淀川の後ろへ回り込むように走った。走りながら右手を横に広げて、優斗にアイコンタクトを送る。優斗は腰の後ろに手を回して、歯の立ったサバイバルナイフをレキトに投げた。レキトは投げられたナイフの軌道を見極めて、持ち手のハンドルをつかむ。

「本当に、厄介だな」

淀川は左腰に手を伸ばして、装着している警棒を持った。先端を引っ張って警棒を長くして、勢いよく振り上げた。レキトは前へ大きく飛び出して、歯の立ったサバイバルナイフを振る。

お互いの武器が衝突して、激しい金属音とともに火花が散った。視線と視線がぶつかり、鍔迫り合いのように押し合う。

淀川は優斗が光ったイヤホンジャックを向けているのを肩越しに見て、押していた警棒をさっと引く。

「──連携戦術C『誘導する鎖チェイン』!」

だが、屈んだレキトは左足を前に出して、後ろに下がろうとした淀川の足を思いきり踏んだ。踏みつけた足に体重をかけて、淀川が逃げられないように押さえつけた。親指でホームボタンを叩いて、軽いジャブを入れるように、淀川の眉間に光の弾を浴びせる。

すかさず淀川がレキトに警棒を振った瞬間、レキトは踏みつけた左足を浮かせて、横へ逃げるように飛び退いた。紙一重で攻撃を避けたと同時に、優斗は対プレイヤー用レーザーを撃つ。桜色のレーザー光線は、警棒を空振りした淀川の耳に当たった。

「があっ!」

淀川は撃たれた耳を押さえて、レキトと優斗の両方から距離を取った。押さえた手の隙間から、シアン色の血がポタポタと零れ落ちていた。レキトと優斗はホームボタンを連打して、間髪入れずに光の弾を連射する。連射した光の弾は全弾命中して、紺色の警察官の制服はボロボロになっていき、淀川のアバターに傷が少しずつ増えていく。

リミッターの眼鏡を外したときの目は、視界に映るすべてが鮮明に見えるようになる。

この目の力は『Fake Earth』の戦闘で大いに役立ち、対戦相手の目や関節の動きから、次の行動を先読みすることができた。そして、今この瞬間、敵プレイヤーの淀川だけではなく、協力プレイしている優斗のことも見えている。どんな攻撃を仕掛けたいのか、レキトにどう動いてほしいのか。優斗の視線や指の動きから読み取ることができた。

──この目の力の真価は「協力プレイ」で発揮される。

レキトが優斗に目配せしたとき、優斗もレキトに目を向けた。視線と視線がピタリと合う。二人でホームボタンを同時に長押しする。

レキトと優斗のスマートフォンは共鳴したかのように、端末上部のイヤホンジャックが同時に輝きはじめる。桜色の照準点とライトグリーン色の照準点が浮かび上がた。2つの照準点は引き寄せられるように近づき、淀川の胸に差しかかったところで重なる。桜色とライトグリーン色の照準点の光は交わって、透明感のあるオレンジ色の光へ変化した。

銃弾からかばってくれた母親を思い出す。

瀕死の体で立ち向かった父親を思い出す。

操られた自分を責めて泣いていた美桜を思い出す。

──目の力のタイムリミットまで、残り30秒。

レキトと優斗は親指をホームボタンから離した。赤色のスマートフォンと青色のスマートフォン、お互いのイヤホンジャックの輝きは一際強くなった。二人の対プレイヤー用レーザーが同時に放たれる。

淀川に命中したときに交差するように、2つの色のレーザー光線は斜めに猛スピードで向かっていった。

「このタイミングを待ってたよ。ありがとう。──《資源を再生する結界リゾン・デルキューブ》」

淀川は静かにつぶやいて、業務無線を模したスマートフォンを前に構える。迫りくるレーザー光線を見つめながら、安堵したような笑みを浮かべた。淀川のスマホ画面が暗くなったとき、2発の対プレイヤー用レーザーはわずかに曲がった。緩やかなカーブを描いて、淀川に向かった軌道から横に逸れていき、業務無線を模したスマートフォンへ引き寄せられていく。

そして、曲げられた2発の対プレイヤー用レーザーは、淀川のスマホ画面の中に吸い込まれた。いだ水面に宝石を落としたかのように、小さな波紋が画面に広がって消える。暗くなった淀川のスマホ画面が急に明るくなり、周りの空気から静電気を帯びているような音がバチバチと鳴った。《小さな番犬》は激しく吠えて、赤色のスマートフォンが強く振動する。

静電気が走る音は火花として見えるようになった。淀川の頭上と足元に4つずつ現れて、線香花火のように閃いている。激しく舞い散る火花は勢いを増していき、隣で弾けている火花とぶつかり合った。衝突した火花は一本の電流としてつながって、より一層激しく放電していく。

点と点が結びついて「線」となった。線と線が結びついて「面」となった。面と面は組み合わさり「立体」となる。

淀川がスマートフォンを下ろしたとき、強力な電流が迸る結界が完成した。巨大な檻のような形をした電気のバリア。《資源を再生する結界リゾン・デルキューブ》は淀川を中に囲っており、轟音を立てて結界の外側へ放電している。放電した電気はリビングの家具に当たっていき、真っ白なカーテンやラグマットが黒く焦げた。

──相手の攻撃を吸収してバリアに変換する、カウンター防御系のギア!

後頭部の痛みを感じながら、レキトは対プレイヤー用レーザーを撃った。ライトグリーン色のレーザー光線は、今度は途中で曲がることなく駆け抜ける。しかし、《資源を再生する結界リゾン・デルキューブ》に衝突したとき、レーザー光線は先端から分解されていき吸収された。結界の外に放電する電気が強まり、雷が落ちたかのようにフローリングの床に穴が開く。

レキトは振りかぶって、握ったサバイバルナイフを投げた。歯の立ったナイフは空気を裂くように飛んでいったが、《資源を再生する結界リゾン・デルキューブ》に迸る電流に阻まれた。電撃系の攻撃は無効化されて、飛び道具の物理攻撃は通用しない。両目が焼けるように熱くなり、後頭部の痛みが悪化していく。

このまま淀川に時間を稼がれてしまえば、レキトは目の力が使えなくなり、傷だらけの優斗も体力が持たず力尽きてしまう。

──目の力のタイムリミットまで、残り20秒。

資源を再生する結界リゾン・デルキューブ》に打つ手がない今、最悪のバッドエンドに突入しようとしていた。

「……ああ……よかった。……俺は……もう終わるから……迷わず……選択できる」

晴れやかな顔をした優斗は目を閉じて、即座にまぶたをすうっと上げる。青い瞳が小さく揺れたとき、電気のバリアに守られている淀川めがけて全力疾走した。瀕死の重傷を負っているアバターとは思えない速さ。結界の外へ放電する電気が優斗の右足を貫いても、倒れることもスピードが落ちることもない。

そして、《資源を再生する結界リゾン・デルキューブ》に迸っている電流に向かって、優斗は青色のスマートフォンを持った手を突っ込んだ。

握り拳1つ分の穴が《資源を再生する結界リゾン・デルキューブ》に開く。青色のスマートフォンを持った手がバリアの内側に入った。強烈な電流を滝に打たれるように浴びながら、優斗は前に少しずつ進み、開けた穴をさらにこじ開けていく。

「そんな、馬鹿な」

淀川は息を呑み、後ろに下がろうとした。すかさず優斗は左手を伸ばして、淀川の腕をガシッとつかむ。青い瞳は淀川をまっすぐ見つめていた。

「……何を……驚いてるんだ? ……電流が……攻撃を……防ぐなら……電流の……中に……入るに……決まってるだろう」

苦痛に顔を引きらせた優斗は、無理やり笑みを浮かべる。淀川にイヤホンジャックを向けて、親指でホームボタンを長押しした。強烈な電流を浴びつづけて、オーバーサイズ気味のシャツは焦げている。優斗の皮膚は破けて、筋肉らしき部位が露出して見えていた。

──目の力のタイムリミットまで、残り10秒。

淀川は眉を寄せて、優斗に対プレイヤー用レーザーを撃った。輝きが強くなったイヤホンジャックから、スカーレット色のレーザー光線が優斗の眉間に向かう。

──目の力のタイムリミットまで、残り5秒。

レキトは右手を《資源を再生する結界リゾン・デルキューブ》に突っ込み、間髪入れずに対プレイヤー用レーザーを放った。ライトグリーン色のレーザー光線は、スカーレット色のレーザー光線に命中した。真正面から衝突したレーザー光線は相殺して弾け飛ぶ。煌びやかな2色の光の残滓は、星屑ほしくずが舞い散るように漂う。

「協力プレイで、一人だけに任せることはさせませんよ」

レキトは微笑み、青色のスマートフォンを持つ優斗の手に左手を添える。優斗の手をそっと押して、桜色の照準点を淀川の胸に定めた。照準がブレないように、左手で優斗の手を握る。

──目の力のタイムリミットまで、残り2秒。

優斗は一息ついて、「……ありがとう。……助かった」とつぶやいた。あまりにも小さく消えてしまいそうな声。人生で思い残すことがないような、穏やかな顔をしている。

そして、親指をホームボタンから上げて、光り輝くイヤホンジャックから、桜色のレーザー光線を放った。

桜色のレーザー光線は淀川の胸を貫いた。瞬く間に淀川の背中から勢いよく飛び出し、キッチンの調味料棚にぶつかった。岩塩のガラス瓶が割れて、ピンク色の岩塩の粒が中から零れる。キッチンの壁には数ミリの焦げた穴が開いた。

──目の力のタイムリミットまで、残りコンマ1秒。

レキトは目を閉じた。後頭部の痛みが和らいだ。オーバーヒートした機械を冷却れいきゃくしたような心地よさを感じる。

視界が真っ暗になった中、レキトは支えていた優斗から手を離した。スクエア型眼鏡を投げ捨てた場所へ、目を閉じたまま歩く。軽く膝を屈めて、手探りで眼鏡を探してかけ直す。

淀川は撃たれた胸に触れて、手のひらにシアン色の血がべったりと付着しているのを眺めていた。《資源を再生する結界リゾン・デルキューブ》の電流は止まって、激しく散っていた火花は消えていた。業務無線を模したスマートフォンが手から滑り落ちる。稲妻が走ったかのように、床に落ちたスマホ画面に亀裂が入る。

「……すまない、菜々美ななみさん。……君の……息子の賠償金……肩代わり……できそうに……ないみたいだ」

淀川は独り言をつぶやき、前にゆっくりと倒れた。シアン色の血だまりが静かに広がる。

粉々に割れたスマホ画面の中から、金色のコインが転がった。

「──プレイヤー『淀川』、攻略完了」

レキトは一息ついて、転がってきた淀川のコインを拾う。強敵との連戦でダメージを負いすぎたせいか、頭がくらくらするのを感じた。赤色のスマートフォンを見ると、《小さな番犬リトル・ケルベロス》は口をホーム画面で大きく開けて、喉スプレーを前足で噴射ふんしゃしている。朝食を食べ終わってから始まった「危険」はもう迫っていないようだった。

救急車とパトカーのサイレンが、遠くから聞こえてくる。甲高い音は大きくなっていき、レキトたちの家の方に近づいていた。どうやら美桜が近隣の住民を頼って、助けを呼んでくれたらしい。

レキトは優斗を振り返った。優斗はふらついた足取りで歩み寄り、無言で震えた手を上げる。レキトはスマホ画面を暗くして、チノパンのポケットにしまった。歩み寄る優斗に近づき、右手を同じように上げる。

──ふと凛子と遊んだときと違った、ゲームの楽しさを感じた。

──友情とは言い難いけれど、優斗に温かい感情が湧き上がってくる。

もしも本当の兄弟が一緒にゲームして、二人の力でボスを倒したら、こんな雰囲気になるのだろうか。賑やかに騒ぐことなく、お互いの健闘を静かに称え合う。そんな不思議な信頼関係が生まれるのだろうか。

だが、レキトと優斗がハイタッチを交わすことはなかった。お互いの手は触れ合わなかった。レキトの振った手は空を切る。優斗の手が急に下がって、指先から力が抜けていくのが目に見えてわかった。

「ダメです! 勝ったんですよ、俺たちは! しっかりしてください……優斗さん!」

レキトは優斗の名前を叫んだ。思わず「兄さん」と言いそうになった。しかし、レキトはNPCの「遊津暦斗」ではない。優斗が大切に思う家族ではない。本物の弟のように、そう呼ぶことはできなかった。

「さすがに……無理しすぎたか」

優斗は目を閉じて、力尽きたように倒れる。

青色のスマートフォンの画面に亀裂が入った。