「1つだけ、あります。あなたに、言いたいことが……1つだけ」
「なんでしょう? お仲間のプレイヤーのことですか? 安心してください。彼女もあなたと同じように、私たちギルドのギアとして、共に戦うことをお約束しますよ」
「違い……ますよ。……あなたたちは強すぎて、たぶん気づいてないから……教えてあげようと思ったんです。『ここまで作戦どおり』だってことを」
レキトは微笑み、痙攣している手を動かした。傍に落ちていた眼鏡をつかんで、自分の顔にかけ直す。
「どうして、ボロボロになることが……作戦どおりなのか? あなたは、疑問に持ってるでしょう。……《小さな番犬》を、活用するためですよ。このギアは、プレイヤーが危険になるほど……鳴き声が大きくなるんです。……だから、鳴き声を大きくするために……俺はゲームオーバー寸前まで……やられる覚悟を決めました」
仰向けに倒れているレキトは顔を横に向けて、コンクリートの床に耳をくっつける。緑色の瞳の女性プレイヤーと比べて、自分の影が薄くなっているのを確認した。
《小さな番犬》の吠える声の音量が下がる。赤色のスマートフォンの振動も弱くなった。
「このゲームは、現実で起きることが……そのまま同じように起きます。たとえば、東京でテロを起こせば……消防車や救急車が動きます。……ここまで言えば、《小さな番犬》の鳴き声を、できるだけ大きくした理由は、わかりますよね? ──聞こえなくするためですよ、『最強のステージギミック』が来る音を」
レキトは傷だらけのアバターを横向きにした。風穴の開いた手を床について、激痛を我慢して立ち上がる。緑色の瞳のプレイヤーはため息をつき、真っ白に光り輝くイヤホンジャックを向けた。他のプレイヤーたちも対プレイヤー用レーザーを起動して、血塗れになった学ランを彩るように、何十種類ものレーザーポイントが浮かび上がる。
だが、光り輝くイヤホンジャックの銃口を向けられても、《小さな番犬》の鳴き声は大きくならない。赤色のスマートフォンの振動は弱くなっていく。
この危険察知のギアは、「レキトたちの元へ駆けつけてくるアバターたち」を感知していた。
「動くな! スマホを捨てて、大人しく手を挙げろ!」
出口のドアを突き破り、武装した警察官たちが流れ込んでくる。総勢30人以上の隊員が拳銃を持ち、教団ギルドのプレイヤーたちの背中に銃口を向けた。教団ギルドのプレイヤーたちは出口の方を振り返る。全員の目がレキトから逸れた。
きっと教団ギルドは警察のNPCが廃ビルに来ることを予見していたのだろう。誰も動揺したような反応を見せないのは、全員が警察のNPCを脅威だとは思っていないからだ。死に物狂いで戦っても、レキトが到底及ばなかった実力者たち。武装した警察官のNPCたちが相手といえども、数分以内に全滅させることができるはずだ。
けれども、彼らは知らない。レキトたちが警察のNPCのいる場で有利になるギアを持っていることを。そして、《小さな番犬》の真の狙いは、「警察のNPCが廃ビルに近づいている音を隠すため」ではなく、「そのギアを起動する声をかき消すため」だったことを。
レキトは紫藤に目配せして、出口と反対側の窓に向かって走った。思いきり舌を噛んで、意識が遠のくのを堪えて、残された力を振り絞る。何人かのプレイヤーたちがレキトを撃とうとすると、「動くなって言ってんだろ!」と警察のNPCは拳銃を撃った。窓から逃げようとするレキトと紫藤に気づかず、警察のNPCは教団ギルドのプレイヤーたちの挙動だけを注視している。
№116《
意識が朦朧とするのを感じながら、走るレキトは落ちているエナメルバッグを拾った。窓へ先に辿り着いた紫藤は、バイオレット色の光の刃を十字に振って、曇りがかっているガラスを切り裂く。切り裂かれた窓ガラスは音を立てて砕けて、冷たい外の空気が廃ビルの中へ入ってきた。
「……真に価値のある物は簡単に手に入らない。ここで逃してしまうのは残念ですが、過度な深追いは運気を下げてしまいます。今はまた巡り逢える奇跡を信じて、清く正しく善行を積むしかありませんね」
窓へ逃げるレキトを見つめたまま、緑色の瞳の女性プレイヤーは悲しそうにつぶやいた。光り輝くイヤホンジャックを後ろに向けて、出口のドアの方へレーザー光線を放った。残り49人のプレイヤーたちも後に続いて、警察のNPCたちに対プレイヤー用レーザーを撃つ。警察のNPCたちも拳銃を発砲して、空中でレーザー光線と銃弾が交差する。
レキトは窓まで走り切り、星印のエナメルバッグを肩にかけた。緑色の瞳の女性プレイヤーと目を合わせて、口元に微笑みを浮かべる。そして、別れの挨拶代わりに手を挙げて、紫藤と手をつないで7階の高さから飛び降りた。
地球の重力に引きずられて、レキトたちは勢いよく落下していく。アバターの髪は逆立って、スクエア型眼鏡は顔に押し付けられていた。学ランがアバターに風圧で貼りつく。傷口から漏れたシアン色の血が宙を舞っていく。
《小さな番犬》は大音量で吠えていた。赤色のスマートフォンの振動とともに、「DANGER」のポップアップが画面で点滅する。
「……紫藤さん……何やってるんですか!? ……早く……対プレイヤー用ナイフを壁に突き刺して……落下のスピードを……殺してください!」