空から降りそそいだ光の雨。近くにいたプレイヤーたちに向けて放たれた範囲攻撃は、その場にいた無関係のNPCたちにもランダムに命中していた。

茶髪の男性のNPCは、しかばねとなった恋人らしきアバターを腕に抱えて、天を見上げて泣き叫んでいた。肩を撃たれたサラリーマンのNPCは、街路樹に寄りかかっている。倒れて動かない女性のNPCに向かって、飼い犬のコーギーが吠えている。

遠くで消防車やパトカーのサイレンが鳴っていたが、その音が近づいてくる気配はなかった。運悪くレーザー光線の雨で壊れた車が道を塞いでいるからか、車を運転していた人たちがパニックになって一斉に逃げようとしたからか、あちこちで渋滞が起きているらしい。恐怖に陥った人たちが助けを求めているかのように、何台ものクラクション音が重なって聞こえてきた。

「──っ!?

突然レキトの視界がぶれ始める。アバターの故障かと思ったが、異変は周りでも起きていた。濡れた道路で波紋がいくつも広がった。葉擦れの音を立てた街路樹から、雨粒が花粉を撒き散らすように振るい落とされた。揺れに気づいたNPCたちは咄嗟に頭を抱えたり、視線を上げて建物の様子を見回したりしている。

推定震度5以上はある大地震。それなのに、緊急地震速報の通知はスマートフォンに届いていない。この揺れは「人為的」に起こされたものらしい。

──地上にレーザー光線の雨を降らせた後、地下に逃げてきたプレイヤーを事前に仕掛けた爆弾で仕留める。

──『ゲーム専用のギア』と『現実世界の兵器』の合わせ技が、あの迷信に取り憑かれたガチャ教ギルドの手口だからね。

当たっても痛くない雨に打たれながら、レキトは傷ついたNPCたちを目に焼き付けた。心臓を親指でガリガリと引っ掻かれたような感覚を覚える。

地下鉄の入り口から、NPCたちの悲鳴が反響していた。

「悪い予想が当たったみたいね。ともあれバトルアラートは消えたし、『一時休戦』は終わりにしよっか。今から二手に分かれて逃げよう、レキトくん」

「わかりました。でも、いいんですか? 俺のコイン狙ってましたよね?」

「いいよ、べつに。また新しい初心者を狙えばいいだけの話だし。それに、一緒にピンチを切り抜けたプレイヤーと、いまさら戦う気なんて起きないでしょう?」

紫藤はため息をついて、暗めのブルージュの髪をかき上げる。切れ長の目はレキトを見ていないが、濡れた髪に隠れていた耳はわずかに赤くなっていた。

レキトは紫藤の横顔を見つめる。

偽物のチュートリアルとして出会ってから、ギアの設定や戦いの厳しさなど、彼女から多くを学んだことを思い出す。

「ありがとうございます、紫藤さん。色々ありましたが、お世話になりました。この世界で最初に会ったプレイヤーが、あなたで良かったです。──ただ、俺からコインを奪わずに見逃す理由は、『道路に落ちているゲームオーバーになったプレイヤーのコインを、一人でこっそり回収するため』ですよね?」

レキトは紫藤に微笑み、全速力で車の往来のない道路へ走った。濡れた路面に靴が滑りそうになるのも構わず、道路の中央の水たまりに浮かんでいるコインを目指して、振り返らず一直線に突き進んだ。加速したまま身を屈めて、地面すれすれまで左手を伸ばす。勢いよく水たまりをすくって、濡れたコインを握ろうとした。

だが、追いついた紫藤が回り込んで、レキトの手を蹴飛ばした。鮮やかなターンの勢いを利用した鋭い蹴り! 派手な水飛沫が上がり、金色のコインが蹴飛ばされた。宙を舞ったコインは道路の外へ落ちて、紫藤は脇目も振らずに駆け出していく。

──他プレイヤーのコインは、ギアを手に入れるために必要なキーアイテム。

──今後のゲーム攻略のために、絶対に逃すわけにはいかない。

急いでレキトは体勢を立て直し、走る紫藤の背中を追いかける。なんとか追い抜くために、紫藤の腕をつかもうとした。

しかし、振り返った紫藤はレキトの手首をつかんだ。急に立ち止まって、細長い脚でレキトの足を引っかける。

視界が前から真下へガクンと傾いた。眼前に迫る水たまりに自分の顔が映った。映った顔が急速に拡大されて、虚像が崩れると同時に、転んだアバターの頭に痛みが走る。

レキトは歯を食いしばり、親指をスマホ画面からホームボタンへ滑らせた。激しく揺れる水たまりに、手帳ケース付きのスマートフォンらしき像が見える。横に転がって仰向けの体勢に変えて、赤色のスマートフォンを斜め上に振る。

視線と視線がぶつかり合ったとき、お互いの首元に相手のスマートフォンのイヤホンジャックが当たっていた。

「ねえ、レキトくん、なんで私の演技に引っかからないの? 色々あった女の人がさ、別れ際で急に照れた仕草を見せたら、普通はギャップで騙されるよね?」

「あんな不測の事態が続いて、今も安全かわからないのに、いきなり二手に分かれる提案はおかしいからですよ。そんなことよりも紫藤さん、どうして《対プレイヤー用ナイフ》を起動しようとしてるんですか? 『一緒にピンチを切り抜けたプレイヤーと、いまさら戦う気なんて起きない』って、さっき言ってましたよね?」

「……いや、その、コインがかかってたからね。なんていうか、ほら、アバターが勝手に動いたっていうかさ。たぶん全然信じてもらえないと思うけど、本当に君をゲームオーバーにする気はなかったよ」

レキトと紫藤はコインに目を向けず、相手の首にスマートフォンを押し当てる。いつでも対プレイヤー用ナイフを長押しして起動できるように、親指をホームボタンのすぐ上から離さなかった。紫藤の瞳の中に、自分の顔が映っているのが見える。映っている自分の目の中に、紫藤の顔が小さく映っているのも見えた。

やがて斜め上に突きだした左腕が疲れてくる。紫藤が伸ばした腕もわずかに震えはじめている。

穏やかな雨が弱まっていく中、お互いに無言でにらみ合う。

レキトと紫藤は同時に噴き出して、それぞれの首に当てていたスマートフォンを離した。

「あ~あ、レキトくんと戦うと、いつも途中でグダグダになっちゃうね。なんか面倒くさくなってきたし、あのコインは見なかったことにしよっか」

「……いえ、これは紫藤さんが回収してください。さすがに見なかったことにするのはもったいないですし」

「え? 本当にいいの? 後から気が変わったとか言わない?」

「言いませんよ。その代わりに、このゲームで絶対に知っておいたほうがいいことをもう1つだけ教えてくれませんか?」

「わかった。じゃあ、1つだけとっておきの情報を教えてあげる。まあ、話が盛り上がっちゃったら、2つ3つ教えちゃうかもしれないけど」

紫藤は屈んで、仰向きになったレキトに手を差し出す。半分あきれたような笑みを浮かべていた。レキトは紫藤の手をつかむ。優しく引っ張り上げられたとき、柑橘系の香水の匂いが微かにした。

お互いのスマートフォンを服のポケットにしまって、対プレイヤー用レーザーの雨でゲームオーバーになったプレイヤーのコインの元へ並んで歩く。地球のロゴが彫られたコインは、点字ブロックの上で光っている。

「そういえば、なんでギルドのプレイヤーは、このコインを回収しなかったんですかね? ほかの倒したプレイヤーのコインはギアらしき力で回収してたのに」

「うーん、別に気にしなくていいんじゃない? 変なガチャ教ギルドだから、『コインは全部回収しない方がガチャ運が良くなる』とか意味わかんないこと考えてそうだし」

「ああ、たしかに。そういうオカルト集団なら、理屈で考えない方が良さそうですね」

レキトはため息をついて、暗灰色の空を見上げた。ゲームが始まってから降っていた雨は止みかけていて、遠くの方では雲の切れ間から光が差し込んでいるのが見える。

紫藤はレキトに笑いかけて、「コイン」を手に取った。


──触った。触った。触った。……触ったな?


紫藤がコインを拾った瞬間、不気味にかすれた男性の低い声が聞こえた。慌ててレキトが周囲を見回したが、近くに話しかけてきたらしき人は見当たらない。まさかと思い、恐る恐る紫藤の手の方を見ると、彼女の指につままれたコインに「ギザギザ歯の口」が生えている。ギザギザ歯の口は動き出し、カチカチと鳴る音が響いた。

「祟られた。祟られた。祟られた。……お前は怨念に飲み込まれる。……ゲームオーバーになったプレイヤーの道連れになる」

喋るコインは弓なりに反って、紫藤の手の上でケタケタと笑い転がる。ギザギザ歯の口から唾を撒き散らしていた。金色のコインの色が変わり始めて、腐った黒色に縁から染まっていく。紫藤はレキトを見て、血の気の引いた顔で首を横に振る。

──おそらく対プレイヤー用レーザーの雨でやられたプレイヤーが、ゲームオーバーになる前に起動したギア。

──このコインをギルドのプレイヤーが回収しなかったのは、ギアで呪いがかけられていることを見抜いていたからに違いない。

レキトは紫藤の手からコインを奪った。逆方向に引いた左腕を前にしならせて、遥か遠くに向かってコインを投げる。

だが、喋るコインは空中で高速回転して、レキトの頭上で浮いたまま静止した。ギザギザ歯の口をニヤリと歪める。「触った。触った。触った。……お前も触ったな?」と不気味に口ずさむ。焼き印を押されたような激痛を左手に感じたとき、笑ったコインの印が手の甲に浮かび上がった。

「……《忘却を願う悪貨マーダー・コイン》は呪いのギア。コインを触った時点でもう終わり。お前たちは終わり。──終わり。終わり。終わり。終わり。終わりりりりりりり!」

喋るコインがまくし立てている最中、紫藤が対プレイヤー用ナイフで斬りかかった。

しかし、バイオレット色の光の刃がコインに当たる直前、見えないバリアに阻まれた。

喋るコインは高笑いした。金色だった頃の面影はなく、腐った黒色に染まり切っていた。左手の甲のコインの印もつられて笑い始める。

──倒せないなら、逃げるしかない!

レキトは紫藤に目で合図して、喋るコインに背を向けようとした。だが、操作するアバターがフリーズしたかのように、その場から一歩も動くことができない。喋るコインの高笑いが最高潮に達したとき、真っ黒な渦が地面に生まれた。紫藤とともに為す術もなく、底の見えない渦の中へ呑み込まれる。

気がつくと、レキトと紫藤は「知らない建物」にいた。そこに居合わせた人たちがレキトたちに目を向ける。

ただの物体に戻ったコインが上から落ちてきて、地面に明るく弾む音が響いた。

心臓がドクドクと脈を打つ。レキトは左右を横目で見た。《忘却を願う悪貨マーダー・コイン》と呼ばれるギアの力によって、コンクリートが打ちっぱなしの廃ビルに転送させられたらしい。窓から見える景色から推測するに、この100坪以上ある空間は7階くらいの高さのようだった。

「完全にやられた! あのプレイヤー、よりにもよって、ここに飛ばすなんて!」

「落ち着いてください、紫藤さん。俺たちはまだゲームオーバーになってません。この状況はかなり悪くても、『最悪』じゃないんです。絶体絶命のピンチになったなら、ここからノーミスで切り抜ければいいだけですよ」

レキトは地面に落ちたコインを拾った。口の中へフリスクを一粒放り込み、奥歯でガリッと噛み砕く。

紫藤はうなずき、アバターの胸に手を当てた。5秒間かけて息を吐き、バイオレット色の光の刃を構える。

──喋るコインの言葉が正しいなら、《忘却を願う悪貨マーダー・コイン》は呪いのギア。

──おそらく使用者のコインに触れたプレイヤーを道連れにするために、近くにいる強いプレイヤーのところへ飛ばす効果なのだろう。

喋るコインに転送された場所には、50人のプレイヤーたちがいた。対プレイヤー用レーザーの雨を降らせたギルドの一味。怪しいカルト宗教団体のように、全員が純白の教団服を着用している。正体を隠すテロ組織のように、フルフェイス型のガスマスクを装着している。

50人のプレイヤーたちはレキトたちを囲んで、撮影するようにスマートフォンを向けていた。儀式が始まる前を想起させる、静かな佇まい。端末裏のスマホカメラのレンズは、きだした眼球によく似ている。

それぞれの眼は瞬きすることなく、レキトたちを無言で見つめていた。