大音量のスマートフォンの警報が鳴り響く中、雨はありとあらゆるものへ平等に降りそそいでいる。強風で裏返った一方通行の標識にも、横転してコンビニに突っ込んだタクシーにも、レーザー光線に撃たれたサラリーマンの死体にも。雨雲の影に覆い被さったすべてを濡らしていた。

勢いの弱まった雨、落ちた雨粒は音を立てずに砕け散る。

落ちて砕け散る、落ちて砕け散る。

砕け散る、砕け散る、砕け散る……。

「急いでタクシーから降りるよ! さっきは運良く当たらなかったけど、このまま逃げ切れる攻撃じゃない!」

紫藤は後ろを見上げながら、素早くシートベルトを外す。レキトたちを乗せたタクシーは減速して、地下鉄の出入り口そばの路肩に停まった。紫藤は電子マネーで支払いを済ませて、レキトの腕を引っ張って外に出る。後部座席のドアが自動で閉まるのを待たず、NPCの運転手はその場から逃げるようにタクシーを急発進させた。

バトルアラームが鳴り始めてから、経過時間はおよそ3分。レキトが50人のプレイヤーのいる方向を振り返ると、色とりどりのレーザー光線が1キロ先から打ち上げられていた。複数のギアでバフをかけているのか、打ち上げられたレーザー光線は分裂していき、別々の方向へ軌道が曲がっていく。空から落ちてくる雨粒とすれ違って、分厚い雨雲を突き破っていく。いつどこで放物線を描いて上から落ちてくるのか、レーザー光線の束は雨雲に隠れて見えなくなった。

「紫藤さん、地下鉄の通路で逃げましょう! 《対プレイヤー用レーザー》は地面まで貫通しませんから安全です!」

「たしかに《対プレイヤー用レーザー》の雨から逃げるなら悪くない作戦ね。けど、その作戦はダメよ。地上にレーザー光線の雨を降らせた後、地下に逃げてきたプレイヤーを事前に仕掛けた爆弾で仕留める。『ゲーム専用のギア』と『現実世界の兵器』の合わせ技が、あの迷信に取り憑かれたガャ教ギルドの手口だからね」

「……ガチャ教ギルド? ガチャって、『他プレイヤーのコインをギアとランダムで1つ交換できる』、《ガチャストア》のことですか?」

「そうよ。あのギルドは『多くの人を生贄いけにえに捧げた後に、ガチャを回せば強いギアが手に入る』ってオカルトを信じて、そのためだけに世界中でテロを起こしてる。まあ簡単な説明はここまでにして、今は生き延びることを最優先にするよ」

紫藤は濡れた髪をかき上げて、親指でホームボタンを長押しする。そして、振り返ってスーツの裾をはためかせて、バイオレット色の光の刃を薙ぎ払った。

電磁ノイズが走る音が響くと同時に、「マゼンタ色のレーザー光線」が弾かれる。弾かれたレーザー光線は路上変圧器に衝突し、粒状の光の残滓となって消えていった。

──紫藤の側頭部をめがけたレーザー光線は、空から落ちてきたものではない。

レキトはロック画面の地図を見て、追いかけてきたプレイヤーのコインが亀裂の入ったまま残っていることに気づいた。爆風で横転してコンビニに突っ込んだタクシーの方を見る。

「はぁ……はぁ……。ちく……しょう……。なんで……こんな……目に……。僕は……アカウント……停止になるまで……世界で一番有名な動画配信者だったんだぞ!」

頭から血を流した男性プレイヤーが、バンカーリング付きのスマートフォンを構えていた。青年らしき面影のある顔はシアン色の血で塗りたくられている。《対プレイヤー用レーザー》で風穴が開いた腹部。事故で右足が折れているのか、エンジンルームから煙を上げているタクシーに寄りかからないと立てない状態らしい。

瀕死の男性プレイヤーは苦しそうに呼吸していた。血走った目がぐらぐら揺れている。シアン色の血だまりが足元に広がっている。

深爪の親指は痙攣けいれんしていて、スマートフォンの操作もままならない様子だった。

「……同じ攻撃を受けたのに、結果はこうも違うのか」

レキトは赤色のスマートフォンを握りしめる。《対プレイヤー用レーザー》の雨が空から降ってきたときのことを思い出した。後ろのタクシーが車体を壊されたのに対して、レキトたちのタクシーの被害はサイドミラーを撃ち落されたのみ。レーザー光線の位置が少しでもズレていれば、レキトと紫藤のどちらかが致命傷を負っていてもおかしくなかった。

目の前で死にかけているプレイヤーに、血まみれになった自分の姿が重なる。

凛子を助けられなかったことを悔やみながら、失血死でゲームオーバーになって倒れるシーンが脳裏をよぎる。

「ねえ、レキトくん。君が何を悩んでるかわからないけど、あんまり考えすぎないほうがいいよ。メンタルに良くないし、今はそんな余裕はないでしょ?」

「……そうですね、紫藤さん。たしかに気を取られてる場合じゃありませんでした。空が明るくなってきましたし」

「で、どうする? 逃げ場はどこにもないようだけど」

「わかってるくせに訊かないでください。攻略法はあなたがさっき見せてくれたじゃないですか。『対プレイヤー用ナイフは対プレイヤー用レーザーを弾くことができる』。ちょうどジャストガードの練習をしたいと思ってたところですよ」

レキトはスクエア型眼鏡をかけ直し、親指でスマホ画面の「ナイフ」のアイコンをタップする。端末上部のイヤホンジャックが輝いて、ライトグリーン色の光の刃が螺旋を描いて形作られた。紫藤は微笑み、レキトの隣から数歩離れたところに立つ。二人で眩しくなった雨雲を見上げて、対プレイヤー用ナイフを構えた。

《対プレイヤー用レーザー》の雨が空から雲を突き破って降りそそぐ。色とりどりの光線が一斉に向かってくる様子は、大きな虹が地上に足を下ろしてくるように見えた。NPCたちの悲鳴があちこちから聞こえてくる。死にかけの男性プレイヤーは空を見上げて、憎々しげに顔を歪める。

数十発のレーザー光線は、地上をふたたび無差別に蹂躙した。撃ち抜かれた自動販売機は、黄金色の炭酸飲料を中から噴き出した。逃げ惑っていたNPCの手が腕から吹っ飛ばされた。コンビニへ突っ込んだタクシーは集中砲火を浴びた。レキトと紫藤は対プレイヤー用ナイフを振り回して、自分たちに降りかかってきたレーザー光線を弾き続ける。

血まれの男性プレイヤーは右足を引きずりながら、死に物狂いでタクシーから離れようとしていた。

しかし、ピンク色のレーザー光線がアバターの「左腿」を撃ち抜いた。

アバターが倒れて地面に顎をぶつけた瞬間、オレンジ色のレーザー光線が「右腕」を貫く。


▼カーキ色のレーザー光線が「背中」に命中した。

▼ブロンド色のレーザー光線が「肩」に命中した。

▼アイボリー色のレーザー光線が「右足」に命中した。

▼ローズ色のレーザー光線が「額」に命中した。

▼額に風穴の開いた男性プレイヤーは動かなくなった。


対プレイヤー用レーザーの雨は降り終わり、防ぎ切ったレキトと紫藤は一息つく。いつの間にかバトルアラートの5分間は過ぎたようで、ロック画面の地図は消えていた。NPCから30分間注目されなくなるギアの効果も切れたようで、透き通っていた影の濃さが元通りに戻っている。

次の瞬間、レーザー光線でガソリンに点火したタクシーが爆発した。死んだ男性プレイヤーに爆風が直撃した。血まみれになったアバターは吹き飛ばされて、炎が燃え移った状態で道路の真ん中まで転がっていく。

燃えている死体の手には、バンカーリング付きのスマートフォンが握られていた。稲妻が走ったかのように、焼かれているスマホ画面に亀裂が入る。

そして、粉々に割れたスマホ画面の中からコインが出てきて、死体近くの水たまりへ落ちた。


──カチッ。


そのとき誰かがスッチを押したような音がした。

ゲーム機の電源を点ける音によく似ていた。

その音は道路の方から響いた。死体となったアバターしかいない場所で、「カチッ」とたしかに鳴った。

レキトが次に気づいた異変は、コンビニ前にある「シアン色の血だまり」だった。

初めは雨水に血が流されているのかと思いきや、路面の溝に落ちる直前でカーブを描いて、死んだプレイヤーの倒れている道路へ流れていった。シアン色の血は死体にぶつかるや否や、燃えている中指の爪先から逆流するように上っていく。

死んだプレイヤーの肩まで辿り着いた後、3つの支流に分かれて、対プレイヤー用レーザーで貫かれた風穴の中へ入っていった。

全身の傷口が塞がり、死体を燃やしていた炎が収まっていく。焦げた服が修復されていき、熱で溶けたスマートフォンが再生していく。傷のなくなった顔に付着していた血が、光の粒子となって消えていく。

──『Fake Earth』は死なないデスゲーム。

──ゲームオーバーになったプレイヤーは、生まれてからゲームオーバーになるまでの記憶を消されて、「ゲームのキャラクター」として寿命が尽きるまで生かされつづける。

死んだはずの青年は目を開けて、上半身をむくりと起こした。

「……あれ? なんで外で寝てるんだ? ていうか、ヤバっ! めっちゃ事故ってるじゃん!」

青年は目を丸くして、さっきまで動かなかった足で立ち上がる。慌てたようにスマートフォンを構えて、どこか楽しそうな顔でコンビニに突っ込んだタクシーを撮影した。ここがどこなのか疑問に思ったらしく、辺りをきょろきょろと見回す。近くに立っていたレキトたちに気づくと、青年は媚びるような半笑いの顔で寄ってきた。

「あの、すみません。このテロみたいな感じ、何が起きたんすか? ほら、あそこのコンビニで燃えてるタクシーとかヤバいっすよ! なんであんなことにったんすかね

NPCとして復活した青年は、立ち止まっているレキトたちに親しげに話しかける。血まみれになった顔を歪めて、《対プレイヤー用レーザー》を撃ってきたプレイヤーとはまるきり別人だった。

あのタクシーに自分が乗っていたことを覚えていない。横転事故で片足が折れたことも、レーザー光線に撃たれて反対の足が使えなくなったことも、それでも地面を這いつくばって生き延びようとしたことも──何もかも忘れている。

忘れたことすら忘れている

レキトはなんて言葉を返せばいいかわからなかった。愛想笑いを浮かべることすらできなかった。紫藤も何も言わず、数十発のレーザー光線が打ち上げられた方向に目を向けている。周囲がテロで騒がしくなっている中、気まずい沈黙が流れる。

「……ちっ、ロボットかよ。なんか言えよ」

青年は舌打ちして、レキトたちの横を通り過ぎた。