3話 最悪の雨

爆破されたビルのフロアから煙が上下に広がっていく。しょうのような煙は雨雲に重なるだけではなく、地上にも覆いかぶさり始めていた。真っ赤な炎は弱まった雨風では消えそうにない勢いで燃え上がっている。揺らめく火先は上のフロアを少しずつ侵食していた。

東京駅から離れるタクシーに揺られながら、レキトは警報音が鳴り響くスマートフォンを見つめる。ロック画面に映し出された地図上のレキトと紫藤のコインは、タクシーが走行した距離に合わせて移動していた。親指をロック画面に当てて地図をスライドすると、爆破されたビルの位置には2枚のコイン。そのうち1枚には亀裂きれつが入っている。

次の瞬間、3度目の爆発音が響き渡った。大勢の人たちが悲鳴をあげる声が聞こえた。亀裂の入っていたコインが粉々に砕ける。画面の地図からコインの破片は少しずつ砂になって消えていく。

爆破されたビル内に残ったコインに、上から降ってきたコインが1枚積み重なった。

──たった1枚のコインを奪うために、高層ビルを爆破するプレイヤーがいる。

──そんな桁違いの破壊力を持つプレイヤーに、自分の居場所がスマホでさらされている。

レキトはスクエア型眼鏡をかけ直す。ロック画面に映し出された地図には、8枚のコインがレキトと紫藤の周辺に散らばっていた。残り七人のプレイヤーがどれくらい強いのかはわからない。

バトルアラートが鳴り止むまでの5分間。普段ならあっという間に過ぎる時間なのに、今はとてつもなく長く感じられた。

「……紫藤さん、今までよく生き残れましたね。たしかバトルアラートって週に1回くらい鳴るんですよね?」

「まあ近くにいるプレイヤーの居場所がわかったからって、どれくらい強いのかはわからないからね。みんなゲームオーバーにはなりたくないし、必ず戦いになるってわけじゃないんだよ。それに街中で戦いが長引いたら、『警察』は普通に捕まえに来るし」

「なるほど。クライムアクションゲームみたいな感じですか。返り討ちにしても指名手配されそうですし、あまり敵に回したくないですね」

「そういうこと。でも、警察を気にしないプレイヤーは結構いるから油断しないで。とりあえず二人でいれば狙われにくくなるから、ちょっとの間仲良くしようね、レキトくん」

紫藤はウィンクして、「《リカバリーQ》」とスマートフォンに呼びかけるようにつぶやく。そして、手帳ケース付きのスマートフォンをレキトに向けると、端末上部のイヤホンジャックから真っ白な光線が放たれた。秒速5センチくらいのスローペースで、放たれた光線はじわじわ近づいてくる。レキトは無言で避けようとしたが、紫藤の真剣な眼差しに気づき、妖しげに近づいてくる光線を受けることを決める。

謎の光線がレキトの左肩に当たった瞬間、紫藤にナイフで斬られた傷口が光って塞がり始めた。右腕や腹の傷も光り輝いて、皮膚が再生していく。真っ白な光線を浴びる左肩の傷の治りが一番早く、逆に左肩から離れている部位ほど治りは遅いらしい。

レーザー治療を彷彿とさせる、アバターの傷を回復させるギア。

斬られた傷が消えた肩に触れてみると、今までの痛みが嘘だったかのように消えていた。

「よし。じゃあ、チュートリアルの続きをやろっか、レキトくん。今すぐ使い方を教えるから、《対プレイヤー用レーザー》を起動してもらってもいい?」

「その必要はありませんよ、紫藤さん。《対プレイヤー用レーザー》は、『指でホームボタンを長押しして、撃ちたいときにホームボタンから指を離す』ですよね?」

「……ふーん、そっか。なら、『ホームボタンを長押しした分だけ、《対プレイヤー用レーザー》の威力も上がる』ってことも教えなくてもわかるよね?」

「ええ、もちろん。使ったことはありませんが、なんとなく察してますよ。──後ろから追いかけてきてるプレイヤーが、ちょうど実演してくれてますからね」

車内のバックミラーを見つめながら、レキトは後部座席の窓をスイッチで開ける。親指でホーム画面の「レーザー銃」のアイコンをタップすると、ライトグリーン色の照準点が運転席の背もたれに浮かび上がった。紫藤が横から見せたロック画面の地図では、1枚のコインが車道からレキトたちに近づいてきている。100メートル、80メートル、50メートルと急速に距離を詰められていく。

真っ黒な車体のタクシーがレキトたちの後ろを走っていた。後部座席の窓から出ている手は、バンカーリング付きのスマートフォンを握っている。不気味なくらい深爪の親指は、ホームボタンを長押ししていた。端末上部のイヤホンジャックは光り輝き、「マゼンタ色の光の球体」がどんどん大きくなっている。

──紫藤と戦いが終わってから、すぐに2戦目が始まろうとしている。

──何の会話をすることもなく、こちらの準備を待たず、いきなり対戦相手はチャージ技を撃とうとしている。

『Fake Earth』は対戦時間に制限がない、地球全体をステージとした、ルール無用のコインを奪い合うゲーム。

この世界に「安全」と呼べる場所は、どこにも存在しなかった。


突然、夕立が来る前兆の音がした。

土砂降りだった雨は止みかけていたはずなのに、空から勢いよく落ちてくる音が聞こえてきた。

目の前が急に明るくなっていく。

雲の切れ間から一筋の光が差し込んだように、濡れたアスファルトがキラキラと光りはじめる。

──雨音と矛盾する、雨上がりの光景。

嫌な予感がしたレキトは空を見上げた。

「それ」を目にしたとき、思わず自分の目を疑う。

落ちてきているのは「雨」ではなかった。


大量の対プレイヤー用レーザーが空から降りそそぐ

街路樹から信号機まで、レーザー光線は無差別に貫いていった。後ろを走っているタクシーの車体も破壊されて、レキトたちの乗っているタクシーのサイドミラーも撃ち落とされる。色とりどりの水飛沫があちこちで上がっていく。

やがてレーザー光線の雨は止み、濡れたアスファルトの色は元どおりに戻った。運悪くレーザー光線に当たったのか、後ろのタクシーの窓から出したプレイヤーの手はだらんと下がっていた。バンカーリング付きのスマートフォンが手からずり落ちていき、深爪の親指がホームボタンから離れる。濡れたアスファルトに向いたスマートフォンのイヤホンジャックから、「マゼンタ色の光の球体」が真下に放たれる。

空気を震わすような爆発音が轟き、大きな水飛沫があがった。爆風で吹き飛ばされたタクシーは炎上しながら横転していく。後部座席のドアががれ落ちて、焦げたナンバープレートがちぎれる。そして、対向車線のガードレールを突き破り、引っくり返った状態でコンビニの中へ突っ込んだ。

「……何なんだ、今のは」

レキトは生きた心地がせず、恐る恐る胸に手を当てる。心臓の鼓動が手のひらにはっきりと伝わった。ロック画面の地図を見ると、追いかけてきたプレイヤーのコインに亀裂がミシミシと入っていく。ほかにも周辺にあった8枚のコインのうち、3枚のコインが粉々に砕けて、ロック画面の地図から消えた。今の無差別広範囲攻撃によって、三人ものプレイヤーが一気にゲームオーバーになったらしい。

いったい誰の攻撃なのか? レキトがスマホ画面から顔を上げたとき、ゲームオーバーになった三人のプレイヤーがいた位置から、それぞれのコインが空高く浮かび上がるのが見えた。空に浮かび上がった3枚のコインは光って、流れ星が走るように秋葉原方面へ飛んでいく。何らかのギアの力で引き寄せたのか、それとも倒したプレイヤーの元へコインが届けられるシステムなのか。紫藤は運転席を揺すって、必死の形相で「近くで停まって!」と叫んでいた。

レキトは親指をスマホ画面に当てる。ロック画面の地図を見るかぎり、ゲームオーバーになったプレイヤーたちのコインが飛んで行った方向に、プレイヤーを示すコインは見当たらなかった。親指を上から下へ滑らせて、100メートルずつ地図の位置をずらしていく。

「……二人なら数の差で狙われにくくなる、か」

レキトはため息をつき、1キロ先へスクロールしたところで指を止めた。赤色のスマートフォンの警報音はまだ鳴り止まない。親指と人差し指をくっつけて、スマホ画面に当てる。2本の指を広げて地図を拡大する。

50枚のコインが同じビルの中に集まっていた。