2話 BAD END

真っ赤なリボンの飴細工で彩った誕生日ケーキのプレートが、隣の三人家族のテーブルに運ばれた。点灯されたキャンドルは火花がスパークしていて、「Happy 17th Aniversary」とチョコの飾り文字がプレートに記されていた。「こんな目立つことしなくていいのに」と高校生らしき息子はため息をついて、息を吹きかけてキャンドルの火花を消す。そして、両親が笑顔で拍手する音に紛れ込ませるように、「ありがとう」と小声でつぶやいた。

頼助は何も見なかったことにして、メインディッシュの牛フィレ肉のグリリアータをナイフとフォークで切り分ける。都内随一の高層ビルの最上階に位置するレストラン。広いフロアを見渡すかぎり、一人でコース料理を食べている客は頼助以外にいない。一人では大きいテーブルの向かいにあったカトラリーと椅子は下げられており、幾千万ものビジネスマンたちが築き上げた夜景がよく見えた。

『すまない。政府からの緊急要請で、サイバーテロの対策会議に出席することになった。店には連絡して会計は済ませてあるから、ディナーは一人で済ませてくれ』

待ち合わせ時間の5分前に予約した席へ案内してもらったとき、離れて暮らしている父の千秋から電話で欠席の連絡を受けたことを思い出す。毎月に一度顔を合わせるためのディナーに、AI研究の第一人者である父が当日来られなくなるのはよくあることだった。「忙しいなら無理に時間を割いてもらわなくていいのに」と予定をキャンセルされるたびに思っているが、頼助は電話口で「わかった。連絡ありがとう」と物分かりのいい息子を演じることを決めていた。もし本心を言葉にしてしまうと、血のつながりはない親子関係であるため、父と会う機会が一切なくなりそうな予感があったからだ。

当時10歳で身寄りがなかった頼助を養子に引き取ってくれた父は、金銭的に不自由のない暮らしを送らせてくれている。保護者として必要な手続きはメールで依頼すれば、24時間以内に漏れなく対応してくれた。進路に反対されたことはないし、勉強や価値観のことで口出しされたことは一度もない。クラスのみんなが実の親に対して不満に思っている要素が1つもない父だった。

どうして今更こんなことで胸がざわつくのか? もしかしたら日常的に孤独を感じる時間が増えたからかもしれない。

頼助はナイフとフォークを八の字に置いて、スマートフォンを手に取る。新着メッセージの通知は届いていない。頭では無駄な行為だとわかっていながら、万が一の可能性を捨て切れず、凛子とのLINEのトーク画面を開く。頼助が最後に送ったメッセージは相変わらず未読のままだった。

──頼助くん。あのね、私、今から『Fake Earth』ってゲームをプレイしてくる。

──ちょっとだけ会えなくなるかもしれないけど、絶対にクリアして戻ってくるから、心配しないで待っててね。

頼助は内心ため息をつき、凛子のメッセージを眺める。親指が自然と動いて、『Fake Earth』に関する情報をネットの海で調べた。仮想回線でダークウェブに潜り込んでも、凛子と音信不通になった直後に調べたとき以上の情報は見つからない。頼助は電源ボタンを押して、スマホ画面を真っ暗にする。

頼助がネットで調べた情報によれば、『Fake Earth』は海外のゲーマー界隈で知られているゲーム。人類にとっては未完成とされているフルダイブ型のVRゲームだそうだった。ただし、どんな仮想空間を舞台にしているのか、どうすればプレイすることができるのか、詳しいことは一切明らかになっていない。『Fake Earth』をプレイしたと思われる人たち全員が、実際にプレイしたときの記憶を失っているからだ。

記憶を失った彼らは一時的に行方不明になっていて、戻ってきたときには人が変わっていたらしい。ある人は自室に引き込もるようになり、ある人は男装するようになり、ある人は毎朝目覚めるたびに腕を採血するようになっていたようだった。いったい彼らの身に何が起きたのか、誰一人として覚えている者はいない。それまでの記憶は人並みにあるのに、「ゲームの世界にいた」と話す期間だけは動画編集アプリでカットされたように抜け落ちていた。

ただし、記憶喪失の元プレイヤーたちは、時折『Fake Earth』に関する情報を口走ることがあった。例えば、ドラッグで酩酊しているとき、高熱で意識が朦朧としているとき、あるいは心療内科の医者から記憶を取り戻すための催眠療法を受けたとき──。突然目が据わって、次の3つのことをうわ言のように繰り返すそうだった。


一、『Fake Earth』をゲームクリアできれば、「どんな願いも叶えることのできるアイテム」が与えられる。

二、『Fake Earth』をゲームクリアできたプレイヤーは一人もいない。

三、『Fake Earth』でゲームオーバーになれば、現実世界へ帰ることができなくなる。


後から確認した話によれば、記憶喪失の元プレイヤーたちは『Fake Earth』について話したことを覚えていなかった。まるで誰かにプログラムされているかのように、無意識のうちに語っていたらしい。

このように何者かに記憶を操作されていることから、『Fake Earth』を開発した会社は、世界的大企業であるアーカイブ社ではないか噂されている。地球規模の環境問題をいくつも解決して、「人類の叡智を結集した企業」と称されているアーカイブ社の技術なら、記憶の改竄ができてもおかしくないからだ。

もっとも、『Fake Earth』はその存在を裏付ける証拠がないため、海外のゲーマーたちのほとんどが都市伝説と見なしているようだった。

──凛子は他人に心配をかけるような嘘をつく奴じゃない。

──『Fake Earth』は間違いなく実在するのだろう。

凛子と連絡が取れなくなった日の夜、頼助が『Fake Earth』の情報を調べた結果、彼女がゲームの世界へ旅立ったことを確信した。そして、凛子の最後のメッセージを信じて、近日中に返信が来ることを待つことにした。匿名で自由に発信できるネットの情報は当てにならないし、大げさに話を盛っていることも多い。それに、凛子がゲームで負ける姿は想像できない。もし『Fake Earth』が危険でクリアできた者がいないという話が真実だとしても、凛子なら難なくクリアしそうな気がした。

しかし、凛子からの返信は1週間経っても来なかった。毎朝起きたらスマートフォンをすぐ手に取って、既読すらついていないことに落胆する日々。肌身離さずスマートフォンを持ち歩いて、通知のバイブ音を感じるたび即座に確認したが、学校の友達からの連絡が届いただけだった。不安と焦りは日に日に募っていき、いつしか通知のバイブ音が空耳で聞こえるようになった。

音信不通になってから10日後、頼助は痺れを切らして、行方不明になった凛子を探すことにした。とはいえ『Fake Earth』をプレイするための方法はわからず、凛子の両親や友人の連絡先もわからない。唯一できることは、消息を絶った日の彼女の足取りを地道に追いかけることだった。できれば警察に捜索をお願いしたかったが、友人による行方不明届の提出は認められていない。SNSで目撃情報を集めることを考えたが、どんな人が利用しているのかわからないネットの海で、本人や家族に迷惑がかかるかもしれないことはできなかった。

都内のゲームセンターを訪れて、店員や客に凛子とのツーショット写真を見せて、彼女が消息を絶った日に来ていなかったか聞き込みをする。これで凛子の足取りが追える可能性は低いと思ったが、これより可能性のある方法は思いつかなかった。不幸中の幸いか、今は夏休みのおかげで時間はたっぷりある。真夏の太陽が激しく照りつける中、地道にゲームセンターを足で回りつづけた。

祈りを込めて聖地を巡礼するかのように、凛子と一緒に遊んだゲームセンターを一人でしらみつぶしに当たっていく。思い出の場所へ足を踏み入れるたび、当時どんなゲームを二人でプレイしたのか、楽しかった思い出がフラッシュバックして胸が痛んだ。店員や客に凛子とのツーショット写真を見せては首を横に振られて、目ぼしい成果を得られない日が続く。都内の100余りある店舗すべてに聞き込みを行ったが、凛子の足取りをつかむことはできなかった。

──これが限りなく不可能に近い捜索であることはわかっている。

──たかが1周目がうまくいかなかったくらいで諦めるわけにはいかない。

頼助は気を取り直して、都内のゲームセンターを周回することにした。聞き込みした店員が何か思い出したかもしれないし、前回いなかった客から重要な情報を得られる可能性もある。隠しイベントの発生条件を検証するように、同じ店舗へ連日通ったり訪れる曜日や時間帯を変えたりして調べ回った。そして、移動中はネットの情報を漁って、謎に包まれている『Fake Earth』について新たな手がかりはないかを並行して探した。ゲームを開発した疑惑のあったアーカイブ社やフルダイブ技術を研究している企業に怪しい点がないかも調査した。

夏休みのすべての時間を、凛子の捜索に捧げる。学校の友達からの遊びの誘いも断り、去年のリベンジに挑む予定だった格闘ゲームの世界大会『EX JAPAN』のエントリーもキャンセルすることにした。前回王者のNIRも大会を欠場した話がネットニュースに載っていたが、今の頼助にはどうでもいいことだった。騒がしいセミたちの声を浴びて、炎天下のアスファルトの熱気に晒されながら、一人で黙々とゲームセンターを渡り歩く。

だが、どれだけ聞き込みを行っても、凛子の目撃情報はなかった。何日も前のことは覚えていない人ばかりで、万が一の奇跡は起きなかった。状況は頑張れば頑張るほど悪化していき、今では店員に煙たがれて、客にも迷惑がられるようになってしまっている。海外のサイトや疑わしい企業なども膨大な時間をかけて調べ回ったが、『Fake Earth』につながる情報も見つからなかった。

都外のゲームセンターにも足を運んでみたが、無駄足だった。各ゲームセンターの周辺で聞き込みを行っても、無意味だった。日に日に足取りは重くなっていき、わずかな希望が靴底のようにすり減っていく。

そして、凛子と音信不通になってから42日後──。陽炎かげろう揺らめくアスファルトの上で、結び直そうとしたスニーカーの靴紐がプツンと切れたとき、頼助はしばらくその場から動くことができなくなった。


一人きりのディナーを終えて、頼助は家に帰らず繁華街へ出かける。極彩色のネオンサインに照らされた街並みも、酔っ払いたちの底抜けた笑い声も、今の頼助の孤独を際立たせているような気がした。居酒屋のキャッチを無視して、泥酔してふらついて歩く人を避けて、楽しそうに会話している高校生カップルとすれ違う。そして、煌びやかなゲームセンターの中へ入った。

今日も何の収穫がないことがわかっていても、頼助は都内のゲームセンターを回ることはやめなかった。正確に言えば、やめられなかった。非日常のゲームの世界に集中している時しか、辛い現実を忘れることができなかったからだ。一人でゲームセンターで遊んでいれば、出会った頃のように凛子から声をかけてくれるかもしれない。そんな根拠のないものに期待する気持ちがないわけでもなかった。

100円玉をアーケード筐体の投入口に2枚落として、頼助は両手でガンコントローラーを構える。悪の科学者にさらわれたヒロインを助けるために、全方位から襲いかかってくるゾンビの大群を撃ち倒していくシューティングゲーム。揺れながら迫りくるゾンビの頭に照準を合わせて、近い奴から順番にヘッドショットで仕留めた。撃って、撃って、撃ちまくって、首が取れて倒れても動く奴を撃ち殺して、天井から吊るされたシャンデリアを撃ち抜いて、真下にいた20体をまとめて押し潰す。凶暴なボスの巨人が振り上げた斧を破壊して、燃料の詰まったドラム缶を爆発させて、炎に焼かれながら苦しんでいるボスに銃弾を浴びせて撃ち殺す。そのまま全ステージをノーダメージでクリアすると、主人公はさらわれたヒロインを助け出して、感極まったように抱き合ってエンドロールが流れた。

頼助はガンコントローラーを置いて、『烈闘ファイターⅦ』の筐体に移動する。一人プレイ用の料金を払って、オンライン対戦モードを選んだ。試合開始のゴングが鳴った瞬間、先制攻撃を打ち込んで、追撃を加えて、連撃を一気に重ねて、全国のどこかの店舗にいるプレイヤーを叩きのめす。続けて二人目のプレイヤーを蹂躙じゅうりんして、三人目のプレイヤーを滅多打ちにして倒した。

凛子がいなくなってから、オンライン対戦で負けたことは一度もなかった。今まで遊んだことのあるゲームは自己ベストをすべて更新して、新しく稼働し始めたゲームは全国ランキング1位を軒並み獲った。もし凛子が『Fake Earth』から帰ってきたら、成長した頼助の強さに驚くだろう。次に対戦したときには念願の初勝利を飾れるかもしれない。

凛子に話したいことはたくさんあった。3D対戦格闘ゲームのシリーズ最新作の発売が26年ぶりに決まったこと、遊び尽くしたレースゲームのアップデートで激ムズコースが解放されたこと、個人経営のゲームセンターが来年の春に閉店することになったこと──。他の人には伝わらないだろう気持ちを共有したかった。

けれども、凛子は『Fake Earth』から帰ってくる気配はなく、今日もLINEのメッセージには既読がつかない。

頼助は100円玉を2枚追加して、オンライン対戦をもう一度プレイした。手元のレバーとボタンを操作して、ゲーム画面で殴って蹴って投げて、三人のプレイヤーを立て続けに負かした。100円玉を2枚入れる。激しい暴力を振るって、画面の向こう側にいる対戦相手を三人倒す。100円玉を注ぎ込んで、行き場のない衝動をぶつける。苛立ちは何人倒しても消えなかった。むしろ連勝を重ねていくほど、怒りのボルテージは高まっていた。頭が真っ白になった頼助は握りしめた拳を振り上げる。

──頼助くんって負けたら悔しそうな顔するけど、絶対に台パンとか舌打ちしないのがいいよね。感情に呑まれない人は、ゲーマーとして強いと思うし。

いつか凛子に褒められた言葉が脳裏をよぎった。透明感のある栗色のショートヘア、淡い鳶色の瞳、明るくていたずらっぽい笑顔。隣で楽しそうにゲームをプレイしていた姿は記憶に焼きついている。歯を食いしばっていた頼助は目をつぶって、振り上げた拳を膝の上に置いた。

「……いつになったら戻ってくるんだよ、凛子。『絶対にクリアして戻ってくる』っていうのは、嘘だったのか?」

無人の隣席に向かって、頼助は胸の奥にしまっていた気持ちを吐き出す。泣いてはいけない。「泣くな」と脳で強く命じる。悲しくて涙を流したら、受け入れたくない現実を認めてしまうことになるから。

だが、視界が急にぼやけて、抑えきれない感情が目尻から流れた。凛子と音信不通になってから69日後、夏休みはとっくに終わって、2学期の授業は始まっている。2ヶ月プレイしても、攻略できないゲームは聞いたことがない。「GAME OVER」のテロップが思い浮かぶ。「『Fake Earth』でゲームオーバーになれば、現実世界へ帰ることができなくなる」というネット掲示板にあった書き込みを思い出す。

きっと凛子のことは忘れた方が楽になれるのだろう。彼女とゲームセンターで遊べなくなったところで、世界が滅びるわけでもないし、頼助の人生も終わるわけではない。地球の裏側にいる人でもネットでつながることができる時代、一緒にゲームで遊べる人はいくらでもいる。永遠に帰ってこない人を待って、心を自傷するような日々を送る必要なんてない。

けれども、凛子がいなくなって日が経つにつれて、頼助は記憶の彼方に消えていたゲームセンターで遊んだ日常の一瞬一瞬を思い出せるようになった。両目を閉じるだけで、些細な会話からふとした仕草まで、あの頃に体験したときよりも色鮮やかな思い出が蘇った。記憶は時間が経てば経つほど、色褪せていくとは限らない。むしろ時間が経つことによって、今までになかった輝きを放つことがある。

どれだけ時間が経とうとも、この先の人生で何が起きようとも、頼助は凛子と一緒に過ごした時間のすべてを忘れないだろう。忘れたくない。忘れられるわけがない。

凛子との思い出が今を苦しめる呪いに変わるなら、死ぬまで一生苦しめて胸に刻んでほしかった。

「あの、大丈夫ですか? もしよかったら、これ使ってください」

隣から女性の優しい声が聞こえる。涙でにじんだ視界の端にハンカチらしき影が見えた。眼鏡を外した頼助は手で断り、手持ちのハンカチを目元に押し当てる。そして、無理のない笑顔を作って、気遣ってくれた女性にお礼を言おうと口を開いた。

だが、隣のパイプ椅子に座った女性を見た瞬間、取り繕った表情は強張って言葉を失った。幻覚かと思って目を瞬かせたが、心配そうにしている彼女の顔は変わらなかった。頼助はスクエア型眼鏡をかけ直して、スーツ姿の女性をまじまじと見つめる。

艶やかな栗色のミディアムヘア、淡い鳶色の瞳、綺麗な卵型の輪郭。隣に座って話しかけてきた女性は、10年後の未来からやってきた凛子を想起させる見た目だった。

「あれ? 嘘でしょ!? あなた、もしかして──」

両手で口を覆った女性は目を丸くする。慌ててスマートフォンを取り出して、頼助の顔とスマホ画面を交互に確認した。淡い鳶色の瞳が潤み、リップの塗られた唇がぎゅっと結ばれる。そして、二度と離さない思いを込めるように、頼助の手を強く握った。

「……よかった。やっと見つけた。あなた、『ライスケ』さんですよね?」

「はい、そうですけど。どうして俺の名前を? 初めましてですよね?」

「あっ、いきなりごめんなさい。まさか会えると思ってもなくて、嬉しくてつい。でも、本当に良かった」

涙ぐんだ女性は目の縁を指でこすった。安堵した笑みを浮かべて、親しげな眼差しを頼助に向けている。

どことなく凛子の面影があって、頼助のことを知っている女性は何者なのか?

頼助は一瞬考えて、まさかと息を呑んだ。心臓が激しく脈を打った。行き止まりだと思っていた壁が崩れていき、隠れていた道がその先に現れたシーンが脳裏に浮かぶ。

「私、桜月さくらづき沙織さおりと言います。あなたと親しくさせていただいてる凛子の母親です。実は娘とずっと連絡が取れなくて、あの子から何か聞いていませんか?」

桜月沙織と名乗る女性は頼助にスマートフォンを見せる。凛子と頼助のプリクラの写真が目の前の画面に映っていた。