あいよしが外出制限という形でけんせいしてきた。だからといって、おとなしくしていようとは思わない。むしろ、とびは逆に闘志が湧いてきた。やられっぱなしは気分がよくないし、なんとしてもいつ報いたい。

 課外時間が迫るC教室のブースで、飛は大いに悩んでいた。

 机に置いた外出申請用紙には、氏名の他、外出を希望する日時、その理由・目的を記入する欄があった。本当のことを書くわけにはいかないので、うそをつくしかない。けれども、簡単に嘘だと見抜かれる嘘はまずい。愛田に難癖をつけられても、言い逃れできるような嘘のほうがいい。

 飛はなんとかそれらしい理由をひねりだして書き、A教室へと向かった。

「何て書いたんだ?」

 廊下で肩に掛けているバックパックにかれた。

「友だちに会うみたいな……」

 飛はごにょごにょと答えた。

「友だちって誰だよ」

「まあ……」

「もしかして、お龍か?」

「……かな。想定してるのは。そんな感じ」

「だったら一応、お龍に言っといたほうがいいんじゃねえの。それこそ、これこれこういう理由で、みたいによ」

「言っておく……」

「だろ。やっぱそこは、一言断っておかねえと、何だ? あるだろ。いわゆる、親しき仲にも礼儀ありみたいな」

「それは……うん。ていうか、そのつもりだし。もちろん。あとで……」

 A教室に勢ぞろいした選抜生たちを前に、愛田が本日の終業と解散を告げた。愛田が教卓を離れるより早く、飛は申請用紙を握り締めて席を立った。

「何だ、オトギリ」

「これ」

 飛は申請用紙を教卓に置いた。ほとんどたたきつけるような置き方になってしまった。

 愛田は申請用紙をいちべつしただけで、手に取ろうとしない。腕組みをして、飛をにらんだ。悪い予感がした。

「おまえの申請用紙には不備がある」

「ちゃんと書いたけど」

「いいや。俺が不備があると言ったら、不備はあるんだ。いいかげん学べ」

「でも、不備って……どこに」

「友人」

 あいは申請用紙の理由・目的の欄を指さした。

「友人に会うため、と書いてあるな」

「そうだけど」

「その友人ってのは、どこのどいつだ」

「……そこまで書かなきゃいけないの?」

「当然、おまえはそこまで書かなきゃいけない」

 愛田は毒蛇みたいにしためずりをした。

「友人なんて抽象的な概念で、大の大人が納得するとでも思ったか? 浅はかにも程があるんだよ、頭の悪い糞餓鬼め」

 かっとなってしまったら愛田のおもつぼだ。とびは一度、ゆっくりと呼吸をしてから、教卓の上の申請用紙に手をのばした。

 ところが、つまんだ申請用紙が動かない。愛田が申請用紙を人差し指で教卓に押さえつけているせいだ。

「……放せよ」

「放してください、の間違いじゃねえのか、はなれ小僧」

「いやだ」

 とっさに口を突いて出た。

 愛田は額に青筋を立てて笑った。

「何だと?」

「……放してください。愛田、先生」

「しょうがねえな」

 愛田がやっと人差し指を浮かせたので、飛は申請用紙を引っぱろうとした。途端に愛田は、人差し指じゃなく、今度はてのひらで申請用紙を押さえた。

「……放せって……言って──お願いしてるんだけど。愛田。先生」

 飛はあえて愛田の顔を見ないようにした。絶対、とんでもなくいやらしい、不快な表情をしているに決まっている。そんなものを見てしまったら、きっと腹立ちが限界を超えて爆発する。

「おまえみたいに反抗的なションベン臭い餓鬼にお願いされるのは、嫌いじゃねえ」

 愛田は笑いながら申請用紙から掌を離した。また同じことをやりそうだ。飛は警戒して、素早く申請用紙をかっさらった。

 席に戻って、理由・目的の欄をいったん消しゴムで消し、書き直した。


 友人のしらたまりゆうこに会うため


 申請用紙を再提出すると、あいは潰れたひしがたの目を細めてわざとらしく口笛を吹いた。

「いいだろう。午後四時から午後八時までの外出を許可する。俺は受け持ちの生徒を信用するタイプだし、わざわざ見張ったりはしねえが、カードを使用した時刻は秒単位で記録される。カメラの映像もしっかり残るからな」

「わかった」

「わかってたら、そんな言い方はしねえはずだが?」

「わかりました」

「よくできました」

 愛田は拍手してみせた。手を打つ間隔がやたらと長い。嫌みたらしい拍手だった。


+++ + ++++


 とびは部屋で黒いジャージに着替えると、バクを引っ担いで東棟をあとにした。

 正門までの道すがら、スマホで龍子に電話をかけた。龍子は三回目の呼び出し音が終わる前に出た。

『もしもし? 飛?』

「うん。もしもし……ええと、龍子?」

『そうです。え? 飛……?』

「や、だから……そうだけど」

『です、よね。声が、飛だし。番号も、飛だし。というか、名前が表示されるのですが』

「僕も同じだけど」

『わたしの名前が?』

「……それは、そうでしょ。他の人の名前なわけないし。だって、龍子だし」

『そうですよね。そうなんですけど……え? どうしたんですか?』

「無駄な話してんなァ、おまえら……」

 飛に担がれているバックパックが何か言っている。飛は聞こえないふりをした。

「じつは、ちょっと事情があって、これから学校の外に出なきゃいけないんだけど」

『……はい? 外に……?』

「あぁ、あの、何だろ、だから、用があって」

『つまり……お仕事の?』

「そう。それ」

『それで、なぜわたしに電話を?』

「説明するとややこしいんだけど、勝手に出られないっていうか。許可を得ないと外出できなくて。から何時まで、何をするとか、申請用紙に書いたりして」

『ようするに……その用紙に、わたしのことを?』

「そう……なんだよね。ごめん。勝手に名前を使っちゃって」

『とんでもないです』

 りゆうこは今、頭を左右に振って、お団子からのびる髪が揺れたはずだ。

『わたし、とびの役に立ったということですよね?』

「それはもう。他に名前を書けるような人なんて、僕にはいないし」

『わたしだけ?』

「うん」

 龍子は電話の向こうでちょっとだけ笑ったみたいだ。

『本当に会えるわけじゃないのは、残念ですけど』

「……あぁ。うん。それは……」

『冗談です』

 龍子はすぐに言い直した。

『冗談というわけでも、ないんですけど。会えないのは、やっぱり残念です』

 飛は何も返せなかった。飛としては龍子をあてにしたのだが、体よく利用したと見てとれなくもない。

『次は──』

「あ……え、次……?」

『会えますか? 次に、機会があったら』

「もちろん」

 飛は気がついたら即答していた。

「でも……そっか、うん、今の仕事が一段落ついたら」

『楽しみにしています』

 電話よりは、顔を合わせて話すほうがいい。この任務が何らかの形で片づいたら、飛も龍子に会いたい。それは素直にそう思う。一方で、何かおかしい、と感じるのはなぜだろう。何がおかしいのか。

「……そういえば、龍子、どこにいるの?」

『家ですよ?』

 どうしてそんなことをくのか、というような答え方だった。違和感を覚えた。

 はっきりと、龍子らしくない、とまでは言えない。でも、何かちょっと引っかかる。

とびはこれからお仕事なんですね』

「……うん」

 一瞬、思った。はいざきのことを話すべきだろうか。

 灰崎の消息は依然として不明だ。これから捜索に取りかかる。飛は関わらなくていいとハイエナに言われたが、とてもじっとしてはいられない。は捜索に加わるという。飛も力になりたい。

 そんなことをりゆうこに話すわけにはいかない。あたりまえだ。

『がんばってください。わたし、陰ながら応援しているので』

 飛は礼を言って電話を切った。飛にひっついて聞き耳を立てていたバクがぼやいた。

「お龍、オレのことは一言も言わなかったなァ。薄情なヤツだぜ」

 飛が覚えた違和感の正体はそれだろうか。そうかもしれない。違うような気もする。

「……薄情ってことはないだろ」

「そうムッとするなよ。単なる言葉のあやじゃねえか」

 飛は正門からかいえいがくえんを出てバスに乗り、鹿ろつぽんえきに向かった。駅直結の商業ビルのトイレに入り、個室にこもって待っていると、間もなくハイエナからテキストメッセージが届いた。

 尾行、監視なし。B地点で合流。

 合流地点Bは駅前商店街の小道だ。シャッターが閉まっている飲食店の前に銀色のワンボックスカーがまっていた。後部座席に乗りこむと、パイカこと萌日花とハイエナが乗っていた。ハイエナはいつものごとく喪服みたいな黒いスーツ姿で、萌日花はTHAZENとプリントされているTシャツの上にアウターを羽織っていた。萌日花は三列目席に座って、膝の上に置いたノートパソコンで何かしている。ヘッドホンをかけ、集中しているのだろう。飛には見向きもしない。二列目席の奥のほうに腰かけているハイエナは、眉を少し動かして「よう」とだけ言った。飛はハイエナの隣に座った。

 運転手のワラビーがワンボックスカーを発進させた。

「どうやって捜すの?」

 飛がくと、ハイエナはひげづらをさわってわずかに首を傾けた。

「俺たちだけでカワウソを見つけるのは、正直、難しい。警察を動かすこともできなくはないが、おおごとになるしな」

「つーことは──」

 バクがファスナーを開いて大声を出した。

「オルバーか!?

「そういうことだ」

 ハイエナは手に持っている黒い帽子をくるっと回した。

「カワウソのオルバーは、わりとあるじから離れていられる人外だが、そうはいっても限度ってものがある。二、三百メートルってところだな」

 とびはうなずいた。

「オルバーが見つかれば、近くに必ずはいざきさんがいる──」

「ン?」

 バクが体をひねった。

「でも、オルバーを捜すのも灰崎のヤローを捜すのも、結局、変わらなくねえか? どっちにしてもたやすくはねえだろ?」

 ハイエナは顎をしゃくって三列目席を示した。

「そこはパイカの力を借りることになる」

 ワンボックスカーは鹿ろつぽん市の繁華街、ほうらくちようの外れでまった。すぐそばにコインパーキングがある。灰崎の車は、今もその駐車場にめられたままらしい。

 がヘッドホンを外して首にかけ、ノートパソコンを畳んだ。

「……じゃ、やりますか」

 何もかもあきらめきっているかのような声音だった。萌日花の表情はどこまでも暗い。かびが生えそうなくらい、どんよりしている。やる気はじんも感じられない。

 飛がバクを担いでワンボックスカーを出ると、ハイエナ、萌日花が続いた。

 三人は人通りのない道を少し歩いて、とある雑居ビルの前で立ち止まった。ビルの名前は、ウービーパレス。そんなに大きくはない。わりと年季が入っている細長いビルだ。一階はガラス張りの飲食店で、中が見える。客はいない。まだ営業前なのだ。看板には、パブ・サバイバル・リパブリック、と書かれている。

あいはこの店に入った」

 ハイエナはその場を離れ、十メートルほど先の路地の手前で飛たちを振り返った。

「最後に確認できたカワウソの位置情報が、おおよそこのあたりだ。どうやら、ここから愛田を見張ってたらしい」

 萌日花がその路地に向かった。飛もついていった。

 実際に試してみると、路地に入って少し顔を出しただけで、愛田がいたという店をだいたい見渡せる。

「……よし」

 萌日花が自分のりようほおをぴしゃりと平手打ちした。途端に目つきが鋭くなった。

「何しやがるつもりだ……?」

 飛はバクを軽く手で押さえて黙らせた。ハイエナは帽子をぶかかぶって、じっと萌日花を見すえている。とりあえず、静かに見守っていたほうがよさそうだ。

 萌日花は胸の前で両手を組み合わせた。祈りでもささげているかのようなポーズだ。

 でも、それにしては顔つきが物騒すぎる。

「……くそ。だめ。くそ。マジ、くそ。くそ。くそ。くそ。くそ。くそ。くそがぁ……」

 小声で何か罵っているし。

 は首を左右に振った。歯を食いしばる。息を吐いて、吸った。肩が上下している。なんだか苦しそうだ。

「大丈夫なのかよ……」

 バクがつぶやいた。そんなこと、とびにわかるわけがない。

「さあ……」

 ちらっとハイエナの様子をうかがってみた。ハイエナは萌日花を見ていない。腰に手を当てて、周りに視線を巡らせている。

 萌日花は目をつぶり、頭の両側をてのひらの下の部分で押さえた。ただ押さえるだけじゃなくて、ぐりぐりと押している。息遣いは荒い。顔中に汗がにじんでいる。

「……うがぁ、んぁ、んがぁ、んん、あぁ、うぁあ、ぐうぅ、あぁあ、んんんん……」

 ついにはおかしな声を発しはじめた。

「明らかにやべえだろッ!?

 バクが身をよじった。萌日花が何をしているのか、さっぱりわからないが、止めたほうがいいんじゃないか。飛もそう思い、萌日花の肩に手を置こうとした。

っ──」

「邪魔しないで!」

 萌日花はとびの手を振り払った。

「や、でも……」

「いっつっ──」

 萌日花は左右の手で顔を覆った。背中が震えている。痛い。痛いのか。どこが痛むのだろう。目か。目らしい。萌日花は両手の指で自分の眼球をえぐり出そうとしている。

「あぁ、くそ、痛っ……痛いなぁ、もう、痛い、痛い、痛い、痛い、いたたたたた……」

 また制止しようとしたところで、萌日花は聞きれないだろう。飛はハイエナに食ってかかった。

「ハイエナ! 萌日花に何をやらせてる!?

辿たどってるんだ。おそらくだが。萌日花は──」

 ハイエナの顔はゆがんでいる。少なくとも平気ではないみたいだ。

「パイカは、近くにいる人外の存在を感じとれるだけじゃない。集中すれば、人外の感覚を、借りられる。らしい、としか俺には言えんがな。それがどんな感じかってのは、パイカにしかわからん。パイカも口で説明するのは難しいみたいだ」

「──んあぁっ……

 萌日花がしゃがみこんだ。ハイエナは萌日花に向かって足を踏みだそうとしたが、思いとどまったようだ。

 萌日花はまぶたの上から両目をごしごしこすっている。涙だ。

 涙を流している。

 もしかして、痛くて泣いているのか。

「萌日花?」

 ハイエナが声をかけると、萌日花はしゃくり上げながら激しく頭を振った。

「……まだやれる! 最後までやるから! 放っといて!」

「わかった」

「あとで蹴ってもいい!?

「なんでだよ……」

 ハイエナはため息をついた。

「いくらでも蹴っていい。それでおまえの気がすむなら、好きにしろ」

「そういう問題じゃないんだって! わかんないかな!? 馬鹿!」

 萌日花が言っていることは支離滅裂だ。それくらい追いこまれているのだろう。さもないと、あんなふうに瞼を爪で引っいたりしない。飛は思わず目をらした。爪が皮膚を破って、血が出ている。

「……あぁ、痛い、痛いよ、もうやだ、最悪、冗談じゃない……痛いって、もう、痛い、痛い、痛い痛い痛い、何なの、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃ……

 つらくて、を見ることができない。声を聞いているだけで苦しくてたまらない。ハイエナはどういう心境でいるのか。さっきまで顔をゆがめていたが、今は無表情だ。けれども、ひどく血色が悪い。死人みたいだ。

──……いた!」

 萌日花が叫んだ。

 間髪をれずハイエナが萌日花に駆けよって、スマホを差しだした。萌日花の顔は涙や血でぐちゃぐちゃになっている。かまわず、萌日花はスマホの上で指を動かした。

「ここ! 鹿ろつぽんヒルズ……!」

「よくやった!」

 ハイエナはスマホをジャケットのポケットに突っこむと、萌日花を横抱きにした。

「やっ、隊長、ちょっ──

 萌日花は暴れようとした。けれども、抵抗する力が残っていなかったのかもしれない。ハイエナは萌日花を抱きかかえたまま、ワンボックスカーの後部座席に乗りこんだ。鹿奔宜ヒルズとやらに行くらしい。とびとバクも車に乗った。車が走りだした。


+++ + ++++


 萌日花は車内でもハイエナに抱えられたままだった。傷だらけのまぶたを閉じて、ぐったりしている。気を失っているのか、眠っているのか。

「……『いた』って言ってたけど。何がいたの?」

 飛が尋ねても、萌日花は反応しない。やはり意識がないようだ。

「オルバーだ」

 代わりにハイエナが答えた。

「ある人外の目で別の人外を見つけて、その人外の目でまた別の人外を見つける。人外から人外を伝って、とうとうパイカは鹿奔宜ヒルズ近辺にいるオルバーに辿たどりついた」

「そんなことができるのかよ。すげえな」

 バクが感心してみせると、ハイエナは少しだけほおをゆるめた。

「俺もパイカのようなケースは他に知らない。きしようだし、使い方次第ではきわめて有用な力だが、このとおり反動がでかくてな。あまり無理はさせられん。目を借りる相手によっては、害がないとも限らない。そのあたりはむろん、パイカも心得てる。オルバーの場合、見知った人外だから、なんとかなるだろうって目算はあった。図に当たったな」

 鹿ろつぽんヒルズという、どこかで聞いた覚えのあるような名の建物までは、車で数分の距離だった。

 ほうらくちようの北はいくらか小高くなっていて、だいだいもりという閑静な高級住宅街が広がっている。その入口らへんに建ち並ぶマンションの中で、一際大きいのが鹿奔宜ヒルズだ。

 一帯には飲食店や商店がたくさんあって、鹿奔宜ヒルズの一階と二階も商業施設になっている。三階から二十階までがマンションだ。裏手にマンションのエントランスがあって、居住者はそこから出入りする。地下の駐車場は居住者専用のようだ。

 ワラビーは鹿奔宜ヒルズから百五十メートルほど行きすぎた路側帯で、ワンボックスカーを停車させた。その瞬間、ハイエナの腕の中でがむくっと首をもたげた。

「着いた?」

「ああ」

 ハイエナが短く応じた。萌日花は器用に体をねじってハイエナの腕から抜けだし、三列目席に置いてあった荷物の中からタオルを取った。そのタオルで、傷だらけの顔をごしごし拭いている。なかなか容赦ない拭き方だ。とびはつい眉をひそめてしまった。

「……痛くないの?」

「痛い」

「萌日花は休んでたほうが」

「余計なお世話」

 萌日花はタオルを座席に放った。まぶたほお、額の爪痕が生々しいし、まだ血が止まりきっていない。そのわりに、飛は痛々しい感じを受けなかった。

「戦士のつらがまえだな」

 ハイエナが振り向いてにやりと笑った。

「ヒタキの言うとおり、休んでていいんだぞ」

「動けるし」

 萌日花は即座に言い返した。

「休む必要なんてない。あとで蹴ってもいいんだよね?」

「生きてるのかよ、それ……」

「隊長を蹴っ飛ばすくらいしないと、気がすまない」

「まあせいぜい、お手柔らかにな」

「やだ。思いっきり飛び蹴りしたい」

「……あとでだぞ。ぎっくり腰にでもなったらたまらん」

 飛たちは車を降りて、徒歩で鹿奔宜ヒルズ方面へと向かった。

 歩道の右手は緑豊かな公園の生け垣で、左手の車道を渡った先にはこぎれいな店が並んでいる。公園の先が鹿奔宜ヒルズだ。

 はずいぶん背中が丸まっていて、足を引きずるようして歩いている。ハイエナが萌日花のすぐ斜め後ろを歩いているのは、もし彼女が倒れそうになったら支えるつもりなのだろう。

「よくやるぜ……」

 バクがため息をつくようにファスナーを開いた。とびも不思議に思う。なぜ萌日花はあそこまでがんばるのだろう。

 萌日花がふらついて、とっさにハイエナが彼女の腕をつかんだ。萌日花はハイエナの手を振りほどいた。

「平気。これくらい。……もう一回、探ってみる」

「またやるってのか?」

「オルバーはそばにいる。さっきほどきつくない」

「だめだ。許可できん」

「私、感じたの。オルバーはおびえてた。早く見つけてあげたい」

「あのな、萌日花……」

 ハイエナが帽子を軽く手で押さえると、その背中から何かが飛び立った。

 蜂だ。スズメバチにしても大きい。それに、真っ黒だ。ハイエナの背中だけじゃなくて、他の場所にも潜んでいたのか。何匹もいる。車にもくっついていたのかもしれない。

 言うまでもなく、本物の蜂じゃない。ハイエナの人外だ。ニセバチたちが鈍いおとを立てて、あるじの頭上を飛び回っている。

「少しは俺にも仕事をさせろ。狭い範囲の偵察とか捜索なら、こいつらの得意分野だ」

「……ごめん、隊長」

 萌日花はうなだれた。

「私は冷静じゃなかった」

「そんなこともあるさ」

 ハイエナが右手を持ち上げて合図すると、ニセバチたちが四方八方に散った。ハイエナは萌日花に尋ねた。

「目星はついてるか?」

「オルバーは警戒して、一箇所にとどまってない。移動してる。プレートか何かの鹿ろつぽんヒルズっていう文字が一瞬見えたから、この付近っていうのは間違いないけど」

「フム……」

 バクが身をよじった。何らかの身振りをしているつもりらしい。飛が思うに、人間でいったら顎をつまむような。

「意外と呼んだら出てきたりするんじゃね? オレらが味方だってことは当然、わかってるわけだしよォ」

 バックパックの言うことにも一理ある。とびは息を吸いこんで、大声を出そうとした。

「オォイッ!」

 バクに止められた。

「飛ッ、おまえが叫んだら人間たちがびっくりして、騒ぎになっちまいかねねえぞッ」

「……あ。そっか」

「ここはオレの出番だ! オレの声なら、人外か、おまえらみたいな人外視者にしか聞こえねえわけだからな!」

「バクって、ときどき飛より賢いよね」

 が微苦笑を浮かべた。馬鹿にされているのか。それとも、褒められているのか。

「違うな! オレは常に飛より賢いんだぜ!」

 バクは調子に乗ってファスナーを大きく開き、声を張り上げた。

「オオオオオオォォォォォォォーイ……! オルバァァァァーッ! 迎えにきたぞ、オレらはここだ! 出てこォォォー……ッッッ!

 飛は耳をふさいだ。

「……声、でかっ」

「ウオオオオォォォォォーィィィィ! オオオォォォールヴァアアァァァーッ……!

「ヴァーって……」

 発音の仕方が少々違うような。

「おっ──」

 ハイエナが目をすがめた。

 公園の生け垣が揺れ動いて、そこから細長い獣が飛びだしてきた。

 いいや、獣なんかじゃない。

 飛は中腰になって右手を差しのべた。イタチのように細長いオルバーは、飛の右腕を駆け上がって首を回りこみ、左肩の上にちょこんと座った。

「ヘヘッ。オレの声がしっかり届いたみてえだな、オルバー!」

 バクに答えて、オルバーが、きゅっ、という感じの小さな声を出した。

 飛は胸をで下ろした。萌日花が、見つけた、と言っていたし、オルバーは無事なのだろうと思ってはいた。実際、こうやって再会できた。本当によかった。

 ハイエナが帽子をぶかかぶり直した。

「……何だかんだで、妙にしぶといやつだ」

 くちもと微笑ほほえんでいる。ハイエナもだいぶはいざきのことを心配していたのだろう。

「ふぅ……」

 萌日花は地べたにぺたんと座りこんでしまった。オルバーをちゃんと発見できて、気が抜けたのかもしれない。

 とびはオルバーの顎の下を指でそっとでた。オルバーが飛の指に体をこすりつけてくる。甘えているようだ。あるじと離ればなれで、さぞかし不安だったに違いない。

 何にせよ、今のところ、オルバーの主は生きている。

 飛は公園の先にそびえ立つ二十階建ての鹿ろつぽんヒルズを見やった。この鹿奔宜市の中では飛び抜けて高い。堂々とした建物だ。

 オルバーがぐっと首を伸ばして鹿奔宜ヒルズに視線を向けている。

 ひょっとして、はいざきはあの中にいるのか。鹿奔宜ヒルズは丈が高いだけじゃなく、幅も、奥行きもある。かなり広いし、様々な店や、病院なども入っている。マンションの部屋数はそうとうなものだろう。

「今すぐ突入するってわけには、さすがにな」

 ハイエナもがらの壁のような鹿奔宜ヒルズの上階を振り仰いでいた。

「何か手を考えるか──」