喪失組が午前二時過ぎに地下から五階専用フロアに戻ってくるまで、とびは起きていた。

 何回か寝落ちしそうにはなった。

 本当は、覚えていないくらい寝落ちして、そのたびにバクにたたき起こされ、飛はキレたり、そこまでキレなかったりした。まったくキレないということはまずなかった。だいたいの場合はキレてしまった。

 とにもかくにも、なんとか喪失組の帰りを確認して、にそのむねを伝えてから、飛は部屋を暗くしてベッドに倒れこんだ。これで朝まではぐっすり眠れる。ところが、なぜかすっと寝入ることはできず、ようやく眠っても三十分とたずに目が覚めてしまう。

 飛は枕に顔を押しつけた。叫びたかったが、それはさすがに我慢して低い声で言った。

「何なんだよもう」

…………

 バクは飛に気を遣って黙っているのだろうか。それとも、当てつけなのか。そうだ。当てつけに決まっている。飛はうつ伏せのままじたばたしてみた。それでもバクは何も言わない。頭にきたのでベッドから足をのばして蹴ろうとしたが、バクはどこにもいない。

「……え? バク?」

…………

「バク? いるよね? あれ……?」

…………

「ちょっ──え? バク……?」

 不安になって、ベッドから離れて明かりをつけると、果たしてバクはちゃんといた。お気に入りの椅子でふんぞり返っていた。

「いるじゃないか……」

「そりゃいるだろ」

「答えないから」

「オレだって疲れてんだよ」

「……そうなの?」

うそに決まってんだろ。オレは天下無双だぜ。この程度で疲れるわけねえだろ。おまえみたいにショボくねえんだよ」

………………

「な、何だッ」

…………

 とびは無言でバクに歩み寄り、両腕で締めつけるようにして持ち上げた。

「オイッ、ちょッ……はッ、離せッ、何するつもりだコラッ、飛ッ、飛って──」

 有無を言わせなかった。飛は暴れるバクをベッドに押し倒した。両腕、両脚で、バクをがんじがらめにして目をつぶる。

「飛コノヤロッ、いったい何をオマエ……ッッ──……

 バクはしばらくじたばたしていたが、そのうちおとなしくなった。

 明かりを消していないので、閉じたまぶたを通して光を感じる。それでも、こうやっていると眠れそうな気がしてきた。

「チッ……」

 バクが舌打ちをするような音を発した。

「ガキじゃねえんだから。まァ、人間の十四歳なんて、まだガキっつーことか……」

「うるさい」

「いいけどよォ……」

 眠たいし、眠れそうなのに、どうしても眠るところまではいかない。やはり明かりがいているせいだろうか。飛はバクをそのままにして素早くベッドから離れ、明かりを消した。そうしてからもう一度、さっきと同じ体勢になってみたのだが、今度は眠気が差してこなくなってしまった。飛はため息をついた。

「……睡眠中枢が破壊されたのかも」

「よしよし」

 バクが身をよじって飛の頭をでた。すかさず飛はバクをぶん投げた。

「──痛ッ。何しやがるッ!」

 結局、浅い眠りに何度か落ちただけで、六時前になってしまった。飛はまともな睡眠をとることをあきらめてベッドを離れた。寝坊してはならないと、スマホでアラームをかけておいたのに、何の意味もなかった。

「ぎりぎりまで寝ててもいいんだぜ?」

 椅子にでんと座っているバクを蹴っ飛ばしたくなった。

「……ガキじゃないんだから」

 飛はぐっとこらえた。だるいし、吐きたいような、逆立ちしていないのに逆立ちしているような気分で、いっそのこと実際に逆立ちしてみたらどうなるだろうと考えたりもした。でも、そんなことをして、本当に吐いてしまったら最悪なので、やめておいたほうが無難だろう。

 身支度をして部屋を出ようとしたら、バクが椅子の上で身をくねらせた。

「どこ行くんだよ、飛。オレも連れてけ」

「えぇ……」

 ごねるのもおつくうだ。とびはバクを担いで東棟を出た。外はまだひとけがなかった。天気はまずまずだ。とりあえず雨は降りそうにない。

「朝っぱらから、散歩でもしようってのかよ」

「……走ろうかな。逆に」

「ソレ、逆か?」

「言葉のあやだろ」

「いいんじゃねえの。体を動かしたら、意外とスッキリするかもだし。たしか、池の周りは走っていいコースだったはずだよな」

 飛は小走りに池へ向かった。池を一周する道にはちらほらとランニングしている人の姿があった。かつこうからして、高等部の運動部に所属している寮生たちのようだ。

 ただ走るだけでは物足りない。飛はベンチを見かけると、その背もたれの上を軽快に駆けた。飛んだり跳ねたりしているとすぐに体が温まって、だんだん気も晴れてきた。

 ポケットの中でスマホが振動しはじめたのは、四台目のベンチの背もたれから飛び降りて宙返りした瞬間だった。

 飛は着地してからスマホを出した。

──じゃなくて……ハイエナか」

 少し息が弾んでいる。飛は走るのをやめて大股で歩きながら電話に出た。

「もしもし」

『モーニングコールが、こんなおっさんの声じゃ気の毒だろうとも思ったんだが……起きてたみたいだな、ヒタキ』

「まあね、ハイエナ」

『ちゃんと寝れてるか?』

「普通」

『そうか』

 ハイエナは苦笑した。飛のうそは見抜かれているようだ。

『今、どこにいる? 外か?』

「そんな感じ。そっちは? 僕も深夜に報告入れたりしてるし、寝てないんじゃないの」

『年のせいもあるが、もともと長い時間、寝られないたちでな。小一時間眠れれば、なんとかなる』

「年のせい?」

『若い頃と違って、爆睡したくてもすぐ目が覚めちまう。老化なんだろうな』

「そういうものなんだ……」

 まさしく今の飛が同じ状態だ。飛も年をとったのだろうか。もう若くないのか。まだ中二なのに。そんな馬鹿な。

『パイカにもこのあと伝えるつもりなんだが、あいつは四時過ぎまで起きてたしな』

「少しでも寝かせといてやりたい?」

『言うなよ、あいつには。餓鬼扱いするなって、ブチキレられる』

「わかった。黙っとく。で、何?」

『じつは、カワウソと連絡がとれない』

「え……」

 とびは思わず立ち止まった。すぐにまた歩きだした。

はいざきさん──何かあったってこと?」

『まだわからん。昨夜は、サラマンダーと一緒にあいよしぼりが入居してる職員用宿舎を見張らせてたんだが、愛田が外出して、カワウソは一人で追跡した』

 この前、灰崎が教えてくれた。灰崎は任務中、特定事案の容疑者一味に拉致されたことがある。その一味の中に、愛田と思われる男がいたらしい。

 そして、灰崎を救いに来た同僚、ドールという先輩が、命を落とした。

 灰崎は容疑者一味に先輩を殺されたのだ。

「──因縁が……あるんだよね。灰崎さんと、愛田日出義」

『そうだな』

「愛田を尾行してて、灰崎さんは失踪した。……愛田がやったってこと?」

『それは何とも言えん。サラマンダーは、午前三時頃、愛田が車で宿舎に戻ってきたのを確認してる』

「喪失組が医務室に集まってたとき、愛田は学園の外にいた。木堀は宿舎。二人とも医務室にはいなかった」

『そういうことになる』

「……灰崎さん。どうしよう」

『きみやパイカが行方ゆくえ不明の守衛を捜し回るわけにもいかん。そもそもカワウソは、このまま無断欠勤でもしない限り、行方不明ですらない』

「オルバーは? 灰崎さんの」

『わからん。個人差というか、個体差はあるが、人外はあるじからそうは離れられない。灰崎と一緒にいるか、もしくは……』

「僕にできることは?」

『今はない。それでも、きみは知っておいたほうがいいと判断した』

 どうせ飛にはできることが何もないので、灰崎の件を話してもしょうがない。さしあたり秘密にしておこう。ハイエナがそう考えたとしたら、どうだっただろう。あとで飛がそれを知ることになったら、納得できなかったかもしれない。

「わかった。僕は、僕にできることをする」

『頼む』


+++ + ++++


 遅めに登校してA教室に足を踏み入れると、喪失組の五人はすでに着席していた。ましゃっとやたつがみはまだいない。ほまりんとへびぶちしゆうかいぬづかの女子四人は固まって何かしゃべっている。ほまりんは手を振って元気よくとびに挨拶をし、他の三人も続いた。飛はうなずいて、おはよう、とだけ返した。

 それとなく喪失組の様子をうかがいながら自分の席につくと、机の上に置いたバクがつぶやくように言った。

「いっそのことよォ。やつらに直接、いてみりゃいいんじゃねえの」

「直接……」

 飛は少しかゆみがある目をこすった。

 夜、部屋を出て、どこかに行っている者たちがいる。たまたま飛はそれを知った。不思議に思うのが自然だろう。縁もゆかりもない、何の接点もない人びとならともかく、相手は同級生なのだ。どこに行って、何をしていたのか、本人に尋ねる。不自然じゃない。むしろ、ごくごく自然というか、あたりまえだ。

 ただ、訊いたところで、まともな答えが返ってくるかどうか。おぼつかないが、もしかしたら誰か一人くらいは返事をしてくれるかもしれない。

「飛、おまえの代わりに、オレが訊いてやってもいいんだぜ?」

「ううん……」

 軽く頭を抱えて迷っていると、ただとらがやってきて飛の机にそっと手をかけた。飛はそれまで唯虎が教室に入ってきたことにも気づいていなかった。セラは唯虎の背後にいる。唯虎の影みたいに気配がない。

「おはよう、おとぎり

「……あ。おはよう」

「昨夜、ひゆうがと一緒にどこか行ってた?」

 唯虎は飛の回答を待たなかった。

「地下だろ」

「アァ……?

 バクがいぶかしげな声を出した。

「彼らの──」

 唯虎は教室をざっと見回した。

「あとをつけたんじゃない?」

 ただ教室を見回したのではなく、ただとらは喪失組の五人を目線で示したのだろう。まず間違いなく、彼らとは喪失組のことだ。

は去年の五月かな。仲よくなる時間もなかった」

 唯虎はとくに声を潜めるでもない。喪失組に聞かれてもかまわないのか。それどころか、聞かせようとしているのかもしれない。

どうは七月か。誰にでも心を開くっていうタイプじゃなかったと思う。自分の人外はすごくかわいがってたけどね。津堂の人外はイノシシの子供みたいな見た目で、一回だけさわらせてもらったな」

 ほまりんたちが口をつぐんで唯虎に視線を注いでいる。

 当の津堂がいは相変わらずだ。やけに真剣な顔つきでスマホに見入っている。きっと読書しているのだろう。

 尾賀しんは指揮者のような手振りをしている。でも、人差し指と親指で円を作り、中指、薬指、小指をそろえて立てているので、やっぱり指揮者とはだいぶ違う。それに、舌を出して高速で動かしている。いったい何をやっているのか。まったく不明だ。

 靴を脱ぎ、窮屈そうに椅子の上で体育座りをしているウッシーことしろごうけんは、目をつぶっているけれど、眠っているわけではないらしい。たまに「はい、はい、はい」と声を発してうなずいている。「いいえ」と首を振ることもある。

 教室の隅でかしわばらそうよしらいが身を寄せあってしゃがみ、何やらささやき交わしている。

「総午とは妙に気があって、あっという間に友だちになれた」

 唯虎は柏原と吉居をいちべつしただけで、すぐに目をらした。見たくもないし、とても見ていられない、というふうに。

「吉居さんは総午のことがすごく好きだった。でも、二人は付き合ってたわけじゃなくて。総午はやさしいから、吉居さんとどう接したらいいか、少し悩んでた。嫌いとかじゃないけど、友だちとしか思えない。どうしたらいいんだろうって、何回か相談を受けた」

 柏原が急に立ち上がって舌打ちをした。一度じゃない。何度も、連続で。

 吉居は柏原を見上げて、眉をひそめている。やがてたたきはじめた。拳で、柏原の膝を。

 柏原は膝を六回殴られたところで、吉居の胸を足蹴にした。

 吉居は後ろにごろんと転がって起き上がった。今度は吉居が舌打ちを開始した。

「友だちがあんなふうになったら……そりゃあね。気になるよ」

 唯虎は下を向いている。

「あっちは俺のこと、これっぽっちも気にならないみたいだけど。覚えてるとか、覚えてないとか、そういう次元じゃないんだ。俺が思うに、別人だから」

「ムウ……」

 バクがうなった。

 あらためて、とびは思わずにいられなかった。りゆうこにはこんなこと、絶対に話せない。虚心症が治るかもしれないなんて、そもそも言うべきじゃなかったのだ。

「あと、だけど」

 ただとらは横目で尾賀を見た。五月というと、尾賀は入学して間もなく人外を失ったのだろう。唯虎自身語っていたように、尾賀にはかしわばらよしほどの思い入れはないみたいだ。

「尾賀だけは、戦抜で負けたんじゃない」

「……え。あぁ、でも、そっか──」

 たつがみれいはすでに戦抜で三勝しているという。内訳は、どうがい、柏原そう、吉居らい。飛が打ち負かしたウッシーも、あれが初めての実戦だと言っていた。

「戦抜じゃ……ない?」

「尾賀は脱走したんだ。連れ戻されたから、未遂ってことになるのかな」

「この学校から、逃げようとしたってこと?」

「たぶんね。そのあたりの事情は、俺にはわからないけど。知りたかったら、ひゆうがいてみるといいよ」

 飛は反射的にましゃっとを探した。まだ今朝はA教室に姿を見せていないから、ましゃっとはいない。ほまりんと目が合った。何か言いたそうにしている。けれども結局、ほまりんは口を開かなかった。

「日向はずっとあの調子で、最初はけっこう浮いてた」

 唯虎は左側のほおかすかに引きつらせた。

「ただ、尾賀はなぜかよく日向の相手をしてやってたんだ。突然、尾賀がいなくなって、驚いてなかったのは日向だけだった。これは陰口だと思ってくれてもいいけど、日向は前もって知ってたんじゃないかって、俺は感じた。もっと言うと、確信してる。あい先生が尾賀に関する情報提供を俺たちに呼びかけた。そのあと先生たちがいる準備室に行ったのは、日向だけだったしね。その三日後だったかな。尾賀は帰ってきた」

「人外を失って──か?」

 バクがそう言ってファスナーを開け、ハァ、とため息らしきものをついた。

 唯虎は「ああ」とうなずいた。

「それだけじゃない。津堂を挑発したのは辰神だけど、日向もだいぶあおった。面白かったからふざけてただけだって、日向は言い訳してたけどね。辰神と総午が険悪になったとき、日向は総午の肩を持ってた。それなのに、総午が辰神に負けたら、あっさり辰神の機嫌を取りはじめた。吉居さんは辰神よりも日向に腹を立ててたくらいだ。吉居さんにしてみれば、日向は味方だと思ってたのに、裏切られたような気分だったんだろうな」

 その吉居は柏原の両耳を指でつまんで、前後左右に引っぱっている。柏原は無表情だ。されるがままになっている。

「俺も後悔してる。そうを止められなかった。よしさんも」

 ただとらはうつむいて腕組みをした。

「何のかの言って、総午はたつがみに勝てる自信があったんだ。俺も総午が負けるとは思ってなかった。どうしてもやるっていうなら、しょうがない。必ず勝てよって、総午を送りだした。でも、吉居さんは自暴自棄になってたし、止めなきゃいけなかったんだ。ひゆうがは、ここでリベンジしとかないと悔いが残るとか何とか、吉居さんに言ってたけど」

 かしわばらに続いて吉居が戦抜で敗れ、人外を失った。それからしばらくして、唯虎は喪失組の奇妙な行動に気づいた。

 喪失組はほとんど毎日、午後十一時頃に部屋を出て、エレベーターに乗る。日をまたいで、午前二時頃に戻ってくる。

 とびと同じように、唯虎も喪失組のあとをつけた。

「──このフロアに来てるってことまでは知ってる。けど、夜はどの部屋もロックされてて、入れない。医務室じゃないかって、おれはにらんでるんだけど」

 唯虎も飛と同じ結論に達している。その先に進めないのも一緒だ。

「……直接、いてみた?」

 飛は柏原と吉居をちらりと見た。

 唯虎はまず縦に一度、それから横に何度か、首を振ってみせた。

「まあ。意味なかったけど。おとぎりも尋ねてみたら? それが一番手っとり早いよ」

 なかなか勇気が要るが、百聞は一見にしかずだ。

 喪失組でまだしも話が通じそうなのは、だろうか。尾賀はさっきから両手を筒にしてつなげ、吹き矢のごとのようなことをしている。飛が近づいていったら、こっちに息を吹きかけてきて、ちょっとびっくりした。

「……あの。尾賀……くん?」

 尾賀は吹き矢もどきで三回、息を発射した。それから、両手の筒を口から外した。

「何だおまえは。何ですかおまえは。何なんですかおまえ」

 両目ががっている。飛に敵意を抱いているのか。飛は思わずあとずさりしそうになった。

「……と、飛ッ」

 バクが飛の机の上で身をよじった。途端に尾賀はニヤニヤしはじめた。

「おはようさん。おはよう。おはようございまーす。おまえはたしか新入りだよ。新入りだな。新入りですね」

「……あぁ。そう。僕は、弟切。弟切飛」

「オトウトギリィー?」

「や、弟切……」

「それがどうしたっていうんだ。どうしたっていうんですか。何なんですかおまえは。何様のつもりですか」

「……何様でもないんだけど」

「上様でも神様でも仏様でもないっていうんですか」

「ち、違う。その、だから、昨夜、くん、どこか行ってたよね。夜遅く。何人かでエレベーターに乗って。それで、どこに行ってたのかなって。気になって」

「昨夜? 夜遅く? 何人で? 何人かで? エレベーターに? 乗って? どこに? どこに行ってたのかな? 誰がだよ?」

「尾賀くん……尾賀くんたちが」

「知らないんですか? 夜更かしは体に毒ですよ。体に猛毒です。ポイズン。ポイズン。ポイズン。そんなことも知らないんですかあ? 常識がないな。非常識だなおまえ」

「……尾賀くんに言われたくないんだけど」

「その心は?」

「え?」

「その心はどこにあるのか?」

 尾賀はふたたび両手を筒にして、口の前でつなげた。吹き矢だ。吹いてきた。矢は出ない。息だ。生暖かい。

「フーッ。フーッ。フーッ」

「……ちょっ、やめてくれない?」

「フーッ。フーッ。フーッ。フーッ。フーッ。フーッ。フーッ!」

 だめだ。会話が成立しそうで微妙に成立しないし、吹きかけられる息が気持ち悪い。

 仕方なく退散して席に戻ると、ただとらとびの肩に手を置いた。

「尾賀はまだいいほうだよ。おれはそうに蹴られたし」

「……そっか」

 飛は、尾賀も、かしわばらのことも知らない。唯虎は柏原と友だちだった。それなのに、蹴られた。そうとうショックだったに違いない。

「別人、か……」

 バクがつぶやいた。

 別人

 たとえばあさみやの場合、虚脱というか放心状態ではあっても、浅宮以外の別の人物という印象は受けなかった。明らかに正常じゃない。それでも、浅宮は浅宮だった。

 選抜クラスの喪失組は何か違う気がする。

 人外を失ったことで、人が変わってしまった。見た目はともかく、中身が。別人になってしまった。そんなことがありうるのか。

「おっはっはー……!

 ましゃっとが威勢よくA教室に入ってきた。両手を振りながら、とびのほうに駆けてくる。今朝も縦横無尽に跳ね回っているルーヴィがやたらとうざい。

「おっはっはー! おとぎり、オドリギ、オドロキ、オノノキー! 正解はどれでしょう!?

 ただとらはセラを連れてすっと飛から離れた。

「弟切に決まってんじゃねえか……」

 バクがあきれて言うと、ましゃっとはパチンと指を鳴らしてウインクをした。

「バク、正解……! 弟切は無回答だから、不正解ね! 自分の名前なのにさあ! このクイズ・自分の名前って、正答率九十八パーなんだよ。俺調べで!」

 ましゃっとを追い払いたいが、指一本動かしたくない。ものすごい疲労感だ。

「……帰れよ」

「またまたまたぁ。来たばっかじゃーん。朝だし。明るく楽しい一日が今まさに始まったところじゃーん」

 間を置かずにドアが開いた。あいだ。それから、ぼりも。

 愛田が教卓に手をついて教室をにらみ回した。木堀がリモコンを操作すると、壁一面のディスプレイに荒れ果てた原野の風景が表示された。草木らしい草木がほとんど生えていない。乾ききった土と石ばかりだ。

 愛田が口を開こうとした瞬間、またドアが開いて、たつがみれいとロードが姿を現した。辰神もロードも、威風堂々、張りすぎなほど胸を張っている。まったく、なぜいつもあんなに偉そうなのか。辰神は悠々と着席すると、これでよし、とばかりにうなずいた。

 愛田は一度、天井を仰いでから、ヘッ、と鼻を鳴らし、潰れた台形の目を飛に向けた。

「どうもおまえらの中に、選抜生としての自覚に欠ける者がいるようだな。自由と、我がまま、自分勝手を履き違えてやがる馬鹿がいる。どうしたらいいか。考えたんだが──」

 愛田は拳を教卓にたたきつけた。

「ルールを作って、守らせることにした。俺としても、こんなことはしたくねえ。でも、仕方ねえよな。馬鹿は管理するしかねえ。さもないと、馬鹿だけにどこでもクソを垂れ流すからな」

「先生、はーい!」

 ましゃっとが挙手した。

「今後、午後八時から登校時間までの勝手な外出を禁止する」

 愛田はましゃっとを無視して続けた。

「どうしても外出したいなら、申請しろ。正当な理由だと担任の俺が判断したときに限り、許可する。申請は、このあと木堀先生が配布する外出申請用紙で行え。追って、選抜生用の外出申請サイトを作成する予定だ」

「先生ーっ!」

 ましゃっとが叫んだ。あいは見向きもしない。

「なお、夜間以外も、学外に出る場合は原則として、申請が必要なものとする。虚偽の申請は厳罰の対象だからな。いいか。この俺をだまそうとするんじゃねえぞ。てんもうかいかい疎にして漏らさず。馬鹿は知らねえだろうが、ろうってやつの言葉で、悪事をした者は必ず天罰を受けるって意味だ。うそは絶対にばれるからな」

「先生! せーんせっ! はーい、はい!」

 ましゃっとは立ち上がって手を挙げた。そのそばで、ルーヴィがぴょんぴょんぴょんぴょん跳ねている。さすがの愛田も折れた。

「……何だ、ひゆうが

「質問がありまーす!」

「だから、何だといてるんだ」

「外出って、具体的にどこまでが内でどこからが外になるんですか?」

「課外時間は、東棟五階の専用フロアが内で、その他は外だ」

「えぇーっ。じゃあさ、購買部もだめってこと?」

「そうだ」

「ブーブー」

 ましゃっとは右手の親指を下に向けてブーイングした。でも、愛田が教卓を殴りつけると、一瞬でやめた。

「……動きを封じてきやがったな」

 バクが小声で言った。それが聞こえたのかどうか。

「ハハァッ……

 愛田の顔面がぐしゃぐしゃになった。

「クククッ……ゲェハハァ……キィーハァッ、フェヘハハハァ……」

 とがった肩が波打つように上下している。笑っているのか。なんて笑い声だろう。愛田は間違いなくとびを見ている。笑っているのだ。飛をあざわらっている。