
喪失組が午前二時過ぎに地下から五階専用フロアに戻ってくるまで、
何回か寝落ちしそうにはなった。
本当は、覚えていないくらい寝落ちして、そのたびにバクに
とにもかくにも、なんとか喪失組の帰りを確認して、
飛は枕に顔を押しつけた。叫びたかったが、それはさすがに我慢して低い声で言った。
「何なんだよもう」
「…………」
バクは飛に気を遣って黙っているのだろうか。それとも、当てつけなのか。そうだ。当てつけに決まっている。飛はうつ伏せのままじたばたしてみた。それでもバクは何も言わない。頭にきたのでベッドから足をのばして蹴ろうとしたが、バクはどこにもいない。
「……え? バク?」
「…………」
「バク? いるよね? あれ……?」
「…………」
「ちょっ──え? バク……?」
不安になって、ベッドから離れて明かりをつけると、果たしてバクはちゃんといた。お気に入りの椅子でふんぞり返っていた。
「いるじゃないか……」
「そりゃいるだろ」
「答えないから」
「オレだって疲れてんだよ」
「……そうなの?」
「
「………………」
「な、何だッ」
「…………」
「オイッ、ちょッ……はッ、離せッ、何するつもりだコラッ、飛ッ、飛って──」
有無を言わせなかった。飛は暴れるバクをベッドに押し倒した。両腕、両脚で、バクをがんじがらめにして目をつぶる。
「飛コノヤロッ、いったい何をオマエ……ッッ──……」
バクはしばらくじたばたしていたが、そのうちおとなしくなった。
明かりを消していないので、閉じた
「チッ……」
バクが舌打ちをするような音を発した。
「ガキじゃねえんだから。まァ、人間の十四歳なんて、まだガキっつーことか……」
「うるさい」
「いいけどよォ……」
眠たいし、眠れそうなのに、どうしても眠るところまではいかない。やはり明かりが
「……睡眠中枢が破壊されたのかも」
「よしよし」
バクが身をよじって飛の頭を
「──痛ッ。何しやがるッ!」
結局、浅い眠りに何度か落ちただけで、六時前になってしまった。飛はまともな睡眠をとることをあきらめてベッドを離れた。寝坊してはならないと、スマホでアラームをかけておいたのに、何の意味もなかった。
「ぎりぎりまで寝ててもいいんだぜ?」
椅子にでんと座っているバクを蹴っ飛ばしたくなった。
「……ガキじゃないんだから」
飛はぐっとこらえた。だるいし、吐きたいような、逆立ちしていないのに逆立ちしているような気分で、いっそのこと実際に逆立ちしてみたらどうなるだろうと考えたりもした。でも、そんなことをして、本当に吐いてしまったら最悪なので、やめておいたほうが無難だろう。
身支度をして部屋を出ようとしたら、バクが椅子の上で身をくねらせた。
「どこ行くんだよ、飛。オレも連れてけ」
「えぇ……」
ごねるのも
「朝っぱらから、散歩でもしようってのかよ」
「……走ろうかな。逆に」
「ソレ、逆か?」
「言葉の
「いいんじゃねえの。体を動かしたら、意外とスッキリするかもだし。たしか、池の周りは走っていいコースだったはずだよな」
飛は小走りに池へ向かった。池を一周する道にはちらほらとランニングしている人の姿があった。
ただ走るだけでは物足りない。飛はベンチを見かけると、その背もたれの上を軽快に駆けた。飛んだり跳ねたりしているとすぐに体が温まって、だんだん気も晴れてきた。
ポケットの中でスマホが振動しはじめたのは、四台目のベンチの背もたれから飛び降りて宙返りした瞬間だった。
飛は着地してからスマホを出した。
「
少し息が弾んでいる。飛は走るのをやめて大股で歩きながら電話に出た。
「もしもし」
『モーニングコールが、こんなおっさんの声じゃ気の毒だろうとも思ったんだが……起きてたみたいだな、ヒタキ』
「まあね、ハイエナ」
『ちゃんと寝れてるか?』
「普通」
『そうか』
ハイエナは苦笑した。飛の
『今、どこにいる? 外か?』
「そんな感じ。そっちは? 僕も深夜に報告入れたりしてるし、寝てないんじゃないの」
『年のせいもあるが、もともと長い時間、寝られない
「年のせい?」
『若い頃と違って、爆睡したくてもすぐ目が覚めちまう。老化なんだろうな』
「そういうものなんだ……」
まさしく今の飛が同じ状態だ。飛も年をとったのだろうか。もう若くないのか。まだ中二なのに。そんな馬鹿な。
『パイカにもこのあと伝えるつもりなんだが、あいつは四時過ぎまで起きてたしな』
「少しでも寝かせといてやりたい?」
『言うなよ、あいつには。餓鬼扱いするなって、ブチキレられる』
「わかった。黙っとく。で、何?」
『じつは、カワウソと連絡がとれない』
「え……」
「
『まだわからん。昨夜は、サラマンダーと一緒に
この前、灰崎が教えてくれた。灰崎は任務中、特定事案の容疑者一味に拉致されたことがある。その一味の中に、愛田と思われる男がいたらしい。
そして、灰崎を救いに来た同僚、ドールという先輩が、命を落とした。
灰崎は容疑者一味に先輩を殺されたのだ。
「──因縁が……あるんだよね。灰崎さんと、愛田日出義」
『そうだな』
「愛田を尾行してて、灰崎さんは失踪した。……愛田がやったってこと?」
『それは何とも言えん。サラマンダーは、午前三時頃、愛田が車で宿舎に戻ってきたのを確認してる』
「喪失組が医務室に集まってたとき、愛田は学園の外にいた。木堀は宿舎。二人とも医務室にはいなかった」
『そういうことになる』
「……灰崎さん。どうしよう」
『きみやパイカが
「オルバーは? 灰崎さんの」
『わからん。個人差というか、個体差はあるが、人外は
「僕にできることは?」
『今はない。それでも、きみは知っておいたほうがいいと判断した』
どうせ飛にはできることが何もないので、灰崎の件を話してもしょうがない。さしあたり秘密にしておこう。ハイエナがそう考えたとしたら、どうだっただろう。あとで飛がそれを知ることになったら、納得できなかったかもしれない。
「わかった。僕は、僕にできることをする」
『頼む』
+++ + ++++
遅めに登校してA教室に足を踏み入れると、喪失組の五人はすでに着席していた。ましゃっとや
それとなく喪失組の様子をうかがいながら自分の席につくと、机の上に置いたバクが
「いっそのことよォ。やつらに直接、
「直接……」
飛は少し
夜、部屋を出て、どこかに行っている者たちがいる。たまたま飛はそれを知った。不思議に思うのが自然だろう。縁もゆかりもない、何の接点もない人びとならともかく、相手は同級生なのだ。どこに行って、何をしていたのか、本人に尋ねる。不自然じゃない。むしろ、ごくごく自然というか、あたりまえだ。
ただ、訊いたところで、まともな答えが返ってくるかどうか。おぼつかないが、もしかしたら誰か一人くらいは返事をしてくれるかもしれない。
「飛、おまえの代わりに、オレが訊いてやってもいいんだぜ?」
「ううん……」
軽く頭を抱えて迷っていると、
「おはよう、
「……あ。おはよう」
「昨夜、
唯虎は飛の回答を待たなかった。
「地下だろ」
「アァ……?」
バクが
「彼らの──」
唯虎は教室をざっと見回した。
「あとをつけたんじゃない?」
ただ教室を見回したのではなく、
「
唯虎はとくに声を潜めるでもない。喪失組に聞かれてもかまわないのか。それどころか、聞かせようとしているのかもしれない。
「
ほまりんたちが口をつぐんで唯虎に視線を注いでいる。
当の津堂
尾賀
靴を脱ぎ、窮屈そうに椅子の上で体育座りをしているウッシーこと
教室の隅で
「総午とは妙に気があって、あっという間に友だちになれた」
唯虎は柏原と吉居を
「吉居さんは総午のことがすごく好きだった。でも、二人は付き合ってたわけじゃなくて。総午はやさしいから、吉居さんとどう接したらいいか、少し悩んでた。嫌いとかじゃないけど、友だちとしか思えない。どうしたらいいんだろうって、何回か相談を受けた」
柏原が急に立ち上がって舌打ちをした。一度じゃない。何度も、連続で。
吉居は柏原を見上げて、眉をひそめている。やがて
柏原は膝を六回殴られたところで、吉居の胸を足蹴にした。
吉居は後ろにごろんと転がって起き上がった。今度は吉居が舌打ちを開始した。
「友だちがあんなふうになったら……そりゃあね。気になるよ」
唯虎は下を向いている。
「あっちは俺のこと、これっぽっちも気にならないみたいだけど。覚えてるとか、覚えてないとか、そういう次元じゃないんだ。俺が思うに、別人だから」
「ムウ……」
バクが
あらためて、
「あと、
「尾賀だけは、戦抜で負けたんじゃない」
「……え。あぁ、でも、そっか──」
「戦抜じゃ……ない?」
「尾賀は脱走したんだ。連れ戻されたから、未遂ってことになるのかな」
「この学校から、逃げようとしたってこと?」
「たぶんね。そのあたりの事情は、俺にはわからないけど。知りたかったら、
飛は反射的にましゃっとを探した。まだ今朝はA教室に姿を見せていないから、ましゃっとはいない。ほまりんと目が合った。何か言いたそうにしている。けれども結局、ほまりんは口を開かなかった。
「日向はずっとあの調子で、最初はけっこう浮いてた」
唯虎は左側の
「ただ、尾賀はなぜかよく日向の相手をしてやってたんだ。突然、尾賀がいなくなって、驚いてなかったのは日向だけだった。これは陰口だと思ってくれてもいいけど、日向は前もって知ってたんじゃないかって、俺は感じた。もっと言うと、確信してる。
「人外を失って──か?」
バクがそう言ってファスナーを開け、ハァ、とため息らしきものをついた。
唯虎は「ああ」とうなずいた。
「それだけじゃない。津堂を挑発したのは辰神だけど、日向もだいぶ
その吉居は柏原の両耳を指でつまんで、前後左右に引っぱっている。柏原は無表情だ。されるがままになっている。
「俺も後悔してる。
「何のかの言って、総午は
喪失組はほとんど毎日、午後十一時頃に部屋を出て、エレベーターに乗る。日をまたいで、午前二時頃に戻ってくる。
「──このフロアに来てるってことまでは知ってる。けど、夜はどの部屋もロックされてて、入れない。医務室じゃないかって、おれは
唯虎も飛と同じ結論に達している。その先に進めないのも一緒だ。
「……直接、
飛は柏原と吉居をちらりと見た。
唯虎はまず縦に一度、それから横に何度か、首を振ってみせた。
「まあ。意味なかったけど。
なかなか勇気が要るが、百聞は一見にしかずだ。
喪失組でまだしも話が通じそうなのは、
「……あの。尾賀……くん?」
尾賀は吹き矢もどきで三回、息を発射した。それから、両手の筒を口から外した。
「何だおまえは。何ですかおまえは。何なんですかおまえ」
両目が
「……と、飛ッ」
バクが飛の机の上で身をよじった。途端に尾賀はニヤニヤしはじめた。
「おはようさん。おはよう。おはようございまーす。おまえはたしか新入りだよ。新入りだな。新入りですね」
「……あぁ。そう。僕は、弟切。弟切飛」
「オトウトギリィー?」
「や、弟切……」
「それがどうしたっていうんだ。どうしたっていうんですか。何なんですかおまえは。何様のつもりですか」
「……何様でもないんだけど」
「上様でも神様でも仏様でもないっていうんですか」
「ち、違う。その、だから、昨夜、
「昨夜? 夜遅く? 何人で? 何人かで? エレベーターに? 乗って? どこに? どこに行ってたのかな? 誰がだよ?」
「尾賀くん……尾賀くんたちが」
「知らないんですか? 夜更かしは体に毒ですよ。体に猛毒です。ポイズン。ポイズン。ポイズン。そんなことも知らないんですかあ? 常識がないな。非常識だなおまえ」
「……尾賀くんに言われたくないんだけど」
「その心は?」
「え?」
「その心はどこにあるのか?」
尾賀はふたたび両手を筒にして、口の前で
「フーッ。フーッ。フーッ」
「……ちょっ、やめてくれない?」
「フーッ。フーッ。フーッ。フーッ。フーッ。フーッ。フーッ!」
だめだ。会話が成立しそうで微妙に成立しないし、吹きかけられる息が気持ち悪い。
仕方なく退散して席に戻ると、
「尾賀はまだいいほうだよ。おれは
「……そっか」
飛は、尾賀も、
「別人、か……」
バクが
別人。
たとえば
選抜クラスの喪失組は何か違う気がする。
人外を失ったことで、人が変わってしまった。見た目はともかく、中身が。別人になってしまった。そんなことがありうるのか。
「おっはっはー……!」
ましゃっとが威勢よくA教室に入ってきた。両手を振りながら、
「おっはっはー!
「弟切に決まってんじゃねえか……」
バクが
「バク、正解……! 弟切は無回答だから、不正解ね! 自分の名前なのにさあ! このクイズ・自分の名前って、正答率九十八パーなんだよ。俺調べで!」
ましゃっとを追い払いたいが、指一本動かしたくない。ものすごい疲労感だ。
「……帰れよ」
「またまたまたぁ。来たばっかじゃーん。朝だし。明るく楽しい一日が今まさに始まったところじゃーん」
間を置かずにドアが開いた。
愛田が教卓に手をついて教室を
愛田が口を開こうとした瞬間、またドアが開いて、
愛田は一度、天井を仰いでから、ヘッ、と鼻を鳴らし、潰れた台形の目を飛に向けた。
「どうもおまえらの中に、選抜生としての自覚に欠ける者がいるようだな。自由と、我が
愛田は拳を教卓に
「ルールを作って、守らせることにした。俺としても、こんなことはしたくねえ。でも、仕方ねえよな。馬鹿は管理するしかねえ。さもないと、馬鹿だけにどこでもクソを垂れ流すからな」
「先生、はーい!」
ましゃっとが挙手した。
「今後、午後八時から登校時間までの勝手な外出を禁止する」
愛田はましゃっとを無視して続けた。
「どうしても外出したいなら、申請しろ。正当な理由だと担任の俺が判断したときに限り、許可する。申請は、このあと木堀先生が配布する外出申請用紙で行え。追って、選抜生用の外出申請サイトを作成する予定だ」
「先生ーっ!」
ましゃっとが叫んだ。
「なお、夜間以外も、学外に出る場合は原則として、申請が必要なものとする。虚偽の申請は厳罰の対象だからな。いいか。この俺を
「先生! せーんせっ! はーい、はい!」
ましゃっとは立ち上がって手を挙げた。そのそばで、ルーヴィがぴょんぴょんぴょんぴょん跳ねている。さすがの愛田も折れた。
「……何だ、
「質問がありまーす!」
「だから、何だと
「外出って、具体的にどこまでが内でどこからが外になるんですか?」
「課外時間は、東棟五階の専用フロアが内で、その他は外だ」
「えぇーっ。じゃあさ、購買部もだめってこと?」
「そうだ」
「ブーブー」
ましゃっとは右手の親指を下に向けてブーイングした。でも、愛田が教卓を殴りつけると、一瞬でやめた。
「……動きを封じてきやがったな」
バクが小声で言った。それが聞こえたのかどうか。
「ハハァッ……」
愛田の顔面がぐしゃぐしゃになった。
「クククッ……ゲェハハァ……キィーハァッ、フェヘハハハァ……」