はいざきいつは認めざるをえなかった。

 用務員の仕事は向いていると思っていたし、やりがあって楽しかった。守衛もやってみたら意外と嫌いじゃない。でも、守衛の制服を脱ぎ、動きやすくて暗がりでも目立たない服装で特案の任務に就いていると、テンションが上がってしょうがない。言葉にするなら、これ、これ、これ、という感じだ。これだよ、これ。

 自分は何がしたいのか。どう生きたいのか。そんなのはどうでもいいと思っていたのだが、違う。これがしたかった。こうやって生きてゆきたい。こうしていると、生きている実感がある。ここが自分の居場所だと思う。灰崎逸也はやはりカワウソなのだ。

 ハイエナがカワウソに課した任務は、選抜クラスの担任と副担任、あいよしぼりの行動確認だった。

 二人は午後五時過ぎに東棟を出た。カワウソは東棟の外にいたから目で見て確かめたわけじゃないが、二人とも同じエレベーターに乗って地下一階から一階に上がってきたのだろう。先に愛田が出てきて、ほんの少し遅れて木堀が現れた。

 木堀の背中には二十センチ程度の白い人形のような人外がへばりついていた。

 木堀有希。ユキ。だいぶ印象が変わったが、カワウソは彼女を知っている。あの白い人形めいた人外も。名はたしか、オーメン。能力は定かじゃない。ただ、とにかく数が多かった。数体じゃない。オーメンは何十体もいた。現在はどうなのか。ハイエナの人外ニセバチのように数が減るタイプなら、あの一体しか残っていないということもありうる。

 そして、木堀に続いて、東棟から巨大な肉塊が出てきた。

 たぶん人型なのだろうが、頭部や手足が埋もれるほどの肉、生の肉、肉そのもの、圧倒的な肉が、その人外を形づくっている。

 ファットマン。何のひねりもない名だ。むろん、カワウソが考えたわけじゃない。愛田日出義──かつてヒデヨシがそう呼んでいた。

 愛田、オーメンを背負った木堀、ファットマンは、連れだって、というふうには見えないくらいの距離を保って歩いてゆき、かいえいがくえん内の職員用宿舎に入っていった。

 職員用宿舎は、正門から延びる通路に面した駐車場の裏手にある。外壁がレンガで、しっかりした造りだ。本棟と別棟があって、本棟は数年前に建て直された。愛田と木堀は空き部屋が多い別棟に住んでいる。二人とも別棟の二階で、愛田は203号室、木堀は207号室。二階には愛田と木堀しか入居していない。別棟は改築の計画があるようだ。

 カワウソは職員用宿舎別棟の出入口と203号室、207号室に加え、駐車場まで見渡せる植え込みに陣どっていた。職員用宿舎周辺は防犯カメラが少ない。ここも映らない。

 203号室、207号室、ともにカーテンが閉まっており、外から明かりは確認できなかった。遮光性が高いカーテンなのか。

 午後十一時頃、動きがあった。職員用宿舎別棟からあいが出てきたのだ。巨大な肉塊、ファットマンも従えている。

 愛田は白いキャップをかぶり、緑色のライダーズジャケットに細身のデニムを合わせハイカットのスニーカーを履いていた。教員のふりをしている姿よりは、カワウソが知っているヒデヨシに近い。

 愛田とファットマンは駐車場に向かった。駐車場にまっている車は、大半が教職員のものだ。

 不意にカワウソの右肩に重みがかかった。見ると、右肩に黒い鳥が止まっていた。頭部が大きめで、耳のような出っぱりが二つあり、胸のところが白い。白い部分はハート型だ。鳥のようだが、鳥じゃない。

「サラマンダー」

 正確には、サラマンダーの人外ずっきゅんだ。カワウソはこの任務を単独で行っているわけじゃない。行動確認の対象が二人だし、一人では無理だ。

「追いかける?」

 ずっきゅんが言った。正確には、ずっきゅんじゃない。サラマンダーの声だ。

 駐車場に駐まっている黒い大型ミニバンのテールランプが一瞬、点灯して、何か物音がした。愛田がスマートキーでロックを解除したらしい。

「ああ」

 カワウソが手短に応じると、ずっきゅんは「了解」と答えるなり飛び立った。ぼりはまだ自分の部屋にいるだろうが、そっちはサラマンダーに任せておけばいい。

「オルバー」

 小声で呼んだら、すぐそばのケヤキの木からイタチのようなオルバーが下りてきた。オルバーはカワウソの体を伝い登り、首を一周してから左肩の上の定位置についた。

 愛田はミニバンのバックドアを開けた。ファットマンがそこから乗りこむと、車全体が目に見えて沈みこんだ。愛田はバックドアを閉め、運転席に乗った。

 カワウソは愛田のミニバンが発車してしばらくってから植え込みを離れた。駐車場の端にシルバーのコンパクトカーが駐まっている。カワウソの愛車だと言いたいところだが、任務のために貸し出されている車だ。走りはそこそこで、燃費はいい。

 カワウソはコンパクトカーを走らせてかいえいがくえんを出た。黒いミニバンにはすぐに追いつくことができた。車載機にスマホが自動接続される設定になっている。

「ハイエナに電話」

 音声で操作すると、ハイエナにつながった。

『おう』

「カワウソです。あいが車で外出。追跡中です」

『サラマンダーから聞いてる。用心しろ』

「心配してくれるんですか」

『いいや。警告してるんだ。やらかすんじゃねえぞ』

「……了解」

 カワウソはスマホの電源ボタンを押して通話を終了させた。

「当たりがきついんだよな、おれには……」

 助手席にちょこんと座っているオルバーが、首をかしげてカワウソを見ている。カワウソは平手で軽く自分のほおたたいて活を入れた。

「お仕事、お仕事っと──」

 用務員時代はほとんど車を運転していなかったが、腕はさして鈍っていないようだ。カワウソは間に何台か挟んでミニバンを尾行し、一度も見失わなかった。

「さて、曲がりなりにも学校の先生が、平日の夜にどこ行こうっていうんだ……?」

 道順からしておおかた見当はついたが、案の定だった。ミニバンは鹿ろつぽん市の繁華街に差しかかった。地名で言うと、ほうらくちようだ。ミニバンは豊楽町のど真ん中を抜けて、外れにあるコインパーキングに入っていった。駐車するようだ。

 付近には同様の小さな駐車場がいくつかある。カワウソは大急ぎで別のコインパーキングに車をめると、オルバーを連れて引き返した。

 愛田はコインパーキングから出てきたところだった。ファットマンもいる。膨大な量の肉をゆっさゆっさと揺らしながら、愛田の後ろを移動している。

 このあたりは平日ということもあって人通りが少ない。カワウソは十分な距離をとって愛田とファットマンのあとをつけた。

「あの店に──入る……のか?」

 愛田はウービーパレスという名の雑居ビルの前で足を止めた。一階に、パブ・サバイバル・リパブリック、とかいう店が入っている。酒を出す飲食店だ。ガラス張りで、外からも店内がよく見える。

 愛田が店のドアを開けると、やかましい音楽が聞こえてきた。愛田は入店したが、ファットマンは外で待機するようだ。

 カワウソは路地に入った。ちょっと顔を出すだけで、パブ・サバイバル・リパブリックとファットマンの様子が確認できる。

「生き残り共和国、ね……」

 愛田はカウンター席に座り、隣の男性客と何かしゃべっている。初対面じゃないのか。愛田はその男性客の背中を叩いて笑っている。

「常連? 行きつけの店なのか」

 声というほどの声を出しているわけじゃないが、カワウソは自分が独り言を言っていることに気づき、小さくせきばらいをした。左肩の上でオルバーが首を振り向かせた。

「──ん?」

 カワウソはオルバーの視線の先に目をやった。この路地を抜けるとまた別の通りだ。路地に面した建物の小窓に明かりがついている。かなり暗いが、何も見えないというほどじゃない。とくに異状はなさそうだ。この路地にはカワウソとオルバーしかいない。

 カワウソはオルバーの背を軽くでた。ふたたびパブ・サバイバル・リパブリックを見やると、あいがグラスを手に立ち上がっていた。別の席に移るのか。愛田はさっきの客とは違う、他の男性客の隣に腰を下ろした。その男性客とも楽しげに会話している。

 愛田はドレッドヘアの店員とも親しそうだ。店員がグラスに酒を注ぎ、客に提供しないで軽く掲げ、口をつけてあおった。それに合わせて、愛田や他の客たちも飲んだ。

 好みの曲でもかかったのか、愛田が席を立って踊りだした。骸骨みたいに細い体がくねくねと動いている。

「キモいんだけど……」

 店外のファットマンはときおり肉をぷるぷるさせるだけで、その場から動かない。まるで不気味なオブジェだ。店内の愛田は、あっちへ行ったりこっちへ行ったりで忙しい。

 カワウソはといえば正直、暇だ。特案の任務にはやりを感じるが、せっかちというより落ちつきがないので、じっとしているのは得意じゃない。こらえ性のなさはカワウソの欠点だ。自覚はある。後輩だった頃は注意してくれる先輩がいた。でも、今は自分が先輩だ。それも、ちょっとやそっとの先輩じゃない。カワウソはクチナシの後輩たちよりも、下手をすると倍以上長く生きている。

「お手本にならなきゃなんだよ。わかってるのか、おれは……」

 おとぎりとびなどはリスクを冒して潜入を続け、しっかりと役目を果たしている。なかなか店から出てこない愛田にしびれを切らしそうになっている場合じゃない。

 そろそろ愛田が入店してから一時間はっただろうか。そう思って時刻を確かめると、まだ三十七分しか経過していなかった。体感と実時間との差は二十三分。小さいとは言えない誤差だ。かなり大きい。

 不意にオルバーが後ろを見た。カワウソも振り向こうとした。そのときだった。

「こんばんは」

 女の声だ。えらく冷たい、挨拶をしてきているのに、突き放すような声音だった。

 見ると、パンツスーツ姿の女が立っていた。スニーカーを履いている。

ぼり

 カワウソはとっさに身構えた。

「……なんで、ここに」

「なぜ、とは?」

 ぼりは向こうの通りから路地に進入してきたのだろう。今はカワウソから約七メートル離れた場所にいる。カワウソとオルバーに気づかれることなく、そこまで接近したのだ。

「どういう意味ですか、守衛さん」

「……いや──」

 職員用宿舎からあいよしが出てきた。木堀は宿舎の部屋にいる。そう思っていた。サラマンダーがずっきゅんに宿舎を見張らせている。何かあればしらせがくるはずだ。しかし、現に木堀はここにいる。

「あなたたちの目を誤魔化すくらい、わけない」

 木堀が低く喉を鳴らして笑った。カワウソやずっきゅんが監視していることを見破っていたのか。愛田は玄関から堂々と宿舎を出た。あれはわざとか。その間に、木堀は何か違う経路で抜けだした。愛田があの店で飲んだり踊ったりしてみせているのも、きっと意図的だ。愛田は時間稼ぎをしていたのかもしれない。愛田は車で移動したが、木堀はそうじゃないはずだ。少なくとも、駐車場にめてあった車は使えない。学外に出て、タクシーをつかまえたのか。そこまではわからないが、木堀が愛田に、ひいては尾行者であるカワウソに追いつくために、いくらか時間が必要だった。三十七分程度の時間が。

 木堀が右手の人差し指で頭上を示した。

「オーメン」

 つられて上を見たらどうなるか、カワウソはなんとなく察していた。十中八九、よくないことが起こる。それでも、見ずにはいられなかった。思ったとおりだ。白いものが落ちてくる。一つや二つじゃない。たくさんだ。

「──オルバー……っ

 カワウソは左肩の上のオルバーを路地の出口方向に押しやった。その直後、最初の白いものがカワウソの視界を完全に覆った。それは冷たくていくらか湿りけがあった。カワウソの両目のみならず、鼻孔も、口も、その白くてぺったりしたものがふさいだ。

 もちろん、カワウソはオルバーを逃がすだけじゃなく、自分自身もこの場から離れようとした。離れたくても、白いものがぼとぼとぼとぼと、次から次へと落ちてきて、カワウソの体のあちこちにまとわりついた。気がつくと、カワウソはつんいになっていた。這い進もうとしたが、無理だった。方向がわからない。手が、腕が前に出ない。息もできない。全身に、全方向から圧力がかかっている。縮む。このままでは体が縮んでしまう。カワウソの体積が小さくなる。縦に二分の一、横に三分の一程度まで縮められた一人の人間が、あるときを境にぐしゅっと一気に丸まるイメージが脳裏をよぎった。血が沸騰しかけていて、肺が破裂しそうだ。気が遠くなる。だめか。もうだめなのか──