しろごうけん

 かしわばらそう

 よしらい

 しん

 どうがい

 五人の人外喪失者──喪失組は、月曜日の午後十一時過ぎに部屋を出て、エレベーターで地下一階に降りた。

 戻ってきたのは、日付が変わり、火曜日の午前二時を回ってからだった。とびは部屋のドアを少し開けて、それまで起きていた。途中、うとうとしてしまったものの、五人がそれぞれの部屋に帰ってゆくところは確認した。にそのむねを報告してから寝たので、完全に睡眠不足だった。

 火曜日の飛は頭がぼんやりしていたけれど、朝から全力を尽くして喪失組の動向をうかがった。

 残念ながら、頑張ったはなく、成果らしい成果はなかった。

 ウッシーはやっぱり靴を脱いで椅子の上で体育座りをしていたし、かしわばらよしはこそこそ内緒話ばかりしていて、どうはスマホかタブレットで読書三昧だった。だけは一見、人外を持つ選抜生とさして変わらない。でも、誰とも口をきかないし、不意に目をいたり、何の前ぶれもなくニヤニヤしだしたり、突然うずくまって床に耳を当てたりした。

 できれば、今晩も午後十一時過ぎまで喪失組に目配りして欲しいと、には言われている。正確には、萌日花を通してハイエナからそういう指示というか、要請があった。無理はしなくていいと、ハイエナは言ってくれているみたいだ。萌日花は違った。

『適当にちょこちょこ仮眠しとけば、大丈夫でしょ』

 萌日花はそれで平気なのかもしれない。でも、とびは眠れるだけ眠っておきたいほうだ。眠らないと調子が出ないことに、最近、気づいた。

 施設で暮らしていた頃は、消灯時間が決められていたから、基本的に毎日ちゃんと睡眠をとっていた。必然的に規則正しい生活を送っていたのが習慣になったのか。それとも、眠らないと身も心もしゃきっとしない体質なのだろうか。

「……ちょこちょこ仮眠とるって、どうやってやるの……」

 飛は発見した。つい眠ってしまう居眠りと違って、少し眠ろう、眠ってやる、という気持ちで仮眠をとろうとすると、どうしてもうまく眠れない。眠りたいし、寝つきはいいほうだと思っていたのに、なぜか眠れないのだ。それでいらいらしてしまう。

 だったら、もう寝なくたっていい、と開き直っても、眠いものは眠い。眠たいのに眠れないものだから、何もかもいやになってくる。

「……おとぎり、今日ってなんか、すっごい機嫌斜めってる日?」

 C教室でパソコンをいじっていたら、ほまりんが近づいてきて、そんなことを言われた。心外だった。

「べつに……」

 機嫌は悪くない。ただ、眠いのに眠れないだけだ。

「そお? でも、めっちゃ機嫌悪そうな顔してるしょや」

「そんな顔してないと思うけど……ていうか、僕、どんな顔してるの」

「こういう顔」

 ほまりんは口をとがらせてほおを少し膨らませてみせた。

 してねえし。

 ──と思ったが、言われてみれば、口をすぼませているような感じがする。頬も、膨らんでいるか、いないか、そのどちらかを選ぶとすると、膨らんでいるだろうか。ついでに、眉間に力が入っているので、飛は眉をしかめているのだろう。まさしく、ほまりんもそうしていた。

「……いつから」

 とびが両手で顔を覆うと、バクがせせら笑った。

「ずっとだぜ?」

「言えよ……」

「何て言やいいんだよ。おまえ、眠たさのあまりブーたれてんぞってか?」

「いいだろ、そう言えば……」

「なんか面白えからよ。そのまんまにさせといた」

「ちっとも面白くないし……」

 昼ご飯は学食にデリバリーを頼んで、ただとらと一緒にA教室で食べた。唯虎がカツ丼にするというので、飛も同じものにした。もっとも、唯虎はカツ丼の他にあじフライと揚げ出し豆腐、麻婆まーぼ豆腐も注文していた。

「好きなんだ、カツ丼」

 唯虎の実家の近くに屋があって、父親のボーナスが出ると家族全員でそこに行くのがお決まりだったらしい。唯虎は蕎麦やうどんじゃなくて、必ずカツ丼を選んだ。年に二回、蕎麦屋でカツ丼を食べるのが楽しみで仕方なかったのだと、唯虎が言っていた。他にも何か話したはずだが、覚えていない。

 授業が終わって専用フロアの部屋に戻ると、バクに注意された。

「飛。飛ッ。おまえ、白目きかけてやがるぞッ」

「……何言ってるんだよ。そんなわけないだろ。白目とか」

「だったら、確かめてみろ」

 バスルームに鏡がある。飛はその鏡の前に立ってみた。

「……ほんとだ」

 完全に白目を剥いているわけじゃないが、今にも白目を剥きそうだ。半分、白目を剥いているといっても過言じゃない。

 飛はバスルームを出てベッドに座った。

「寝ろよ、飛。寝ちまえ。限界だって。見るからに」

 バクはお気に入りの椅子の上でふんぞり返っている。

「……なんでバックぴゃっくにゃんかに、しょんなこと言わりゃにゃきゃにゃりゃ……」

「舌が動いてねえんだよ。頭がろくすっぽ働いてねえだろ」

「うぅ……」

 飛はスマホを出してに電話をかけた。

「……もひもひ」

『え? 飛? もひもひって言った?』

「……言ってにゃあよ……」

『にゃあ? 猫みたいになってるけど?』

 とびは頭をできるだけ激しく振り、三回から五回ほど、力ずくでまばたきをした。

「……喪失組は変わりなかった。なかったと思う。なかったはず」

『そう。飛は医務室があやしいと踏んでるんだよね。五人は午後十一時過ぎから午前二時までの間、医務室にいたんじゃないかって』

「かもしれない。かもしれなく……にゃ──ないかもしれにゃい……」

『……大丈夫?』

 飛はせきばらいをして、胸をたたいた。

「大丈夫」

『医務室に専門のスタッフはいないんでしょ? 必要に応じて、外部のお医者がリモートで診断するようになってる。でも、医務室にいたのが喪失組だけとは限らない。たとえば、あいとかぼりもいたっていう可能性は考えてもよさそう』

「愛田と木堀……って、このフロアにはいない……けど、どこに住んでるんだろ」

『カワウソが調べたところでは、去年から学園内の職員用宿舎に居住してる』

「食用くくしゃ……食用? くくしゃ……」

『職員用宿舎』

「うん。職員用、しく──宿舎」

『所用で学外に出る以外は、宿舎と東棟を行き来する毎日みたいだけど』

「さようで……」

『さよう?』

「乗用? 所用か……」

『探る価値はありそう。飛は引きつづき、喪失組を監視して』

「ひき、漢詩──」

 飛は息を吸って、大きく吐いた。違う。引きつづき、監視、だ。

「了解」

『飛、少しでもいいから寝なさい。すっきりするから』

「……了解」

 飛はもう一度そう繰り返すと、通話を終了させた。バクが椅子の上で身をくねらせた。

「寝ろ。いい時間に起こしてやっから」

「寝る」

 飛は宣言して横になった。途端に意識が途切れた。


+++ + ++++


 なんとなくそんな気がしていた。

 とびはサロンにいた。ひとりじゃない。バクを肩に掛けてそこらをうろついていたのだが、午後十一時が近づくにつれて落ちつかなくなってきた。二時間ほど眠ったものの、まだ本調子じゃない。妙にそわそわしてしょうがないので、椅子に座って待つことにした。座っても気持ちは静まらなかったが、動いていると飛んだり跳ねたりしたくなる。共用スペースであまり騒がしくするのもよくない。そして、午後十一時を過ぎた頃だった。

 あちこちでドアが開く音がした。一斉に、とは言えない。でも、連続的ではあった。

「来やがったな」

 バクがひっそりとつぶやいた。

 選抜生たちが個室から出てきた。ちゃんと数えるまでもない。五人だ。

 喪失組がまた動いた。午後十一時。昨日と同じ時間だ。サロンのほうに歩いてくる者もいる。けれども、目的地はサロンじゃない。サロン経由でエレベーターに向かっている。

 ウッシーも、かしわばらよしも、も、どうも、サロンにいる飛にはいちべつもくれない。飛の存在に気づいてさえいないかのようだ。眼中にないのか。風景の一部としてしか認識されていない。

 津堂がそろそろエレベーター前に辿たどりつきそうだ。飛は椅子から立ち上がった。

 そのときだった。またドアが開く音がして、うるさい足音がそれに続いた。

「えっ……」

 飛はとっさに椅子を持ち上げようとした。部屋から駆けだしてきたあの男めがけて、この椅子を投げつけてやりたい。さすがにやりすぎか。すんでのところで思いとどまった。

おとぎり弟切弟切~」

 ましゃっとは一応、声をひそめてはいた。でも、足音だけで十分やかましい。ぴょんぴょん跳ねてましゃっとについてくるルーヴィもざわりだ。

「……何なんだよ」

「何って、行かないの? 行くでしょ? 行くよね? 行こ!」

 ましゃっととルーヴィは飛のところでは止まらず、そのままエレベーターに直行した。エレベーターの前には、すでに喪失組が列をなしている。ましゃっととルーヴィはその列の最後尾についた。いったい何を考えているのか。飛に向かって、笑顔で手を振っている。

 しょうがなく飛もバクを担いでルーヴィの後ろに並んだ。

 喪失組は振り返らない。

 ましゃっとは鼻歌を歌っている。ルーヴィは体を上下させ、リズムをとっているのか。

「……なんで来たの?」

 飛が小声でくと、ましゃっとはパチンと指を鳴らしてウインクしてみせた。

「やっぱ、気になっちゃって!」

 エレベーターの扉が開いた。喪失組が乗りこんでゆく。

 ましゃっととルーヴィも、あたりまえのように続こうとしている。バクが暴れた。

「オイィッ!? とび、一緒に乗るつもりだぞ、アイツらッ!?

 喪失組の五人がエレベーターに乗って、次はいよいよましゃっとの番だ。いけるのか。ましゃっとがいけるのであれば、飛も乗ってしまったほうがいいのだろうか。

「──ひっ」

 ましゃっとがエレベーターの手前で足を止めた。よしらいだ。喪失組の一人、吉居がましゃっとの前に立ちふさがって、威嚇する犬みたいな表情をした。

「ちょっ、えっ……ヨ、ヨッシー? み、未来……ちゃん?」

 ましゃっとは吉居に呼びかけながら、右足をのばしてエレベーターの中に下ろそうとした。扉が閉まる前に片足だけでも入ってしまおうという魂胆なのか。足でも何でも挟まる状態なら、エレベーターは動かない。

 でも、ましゃっとの右足がエレベーター内に到達する前に、かしわばらそうが吉居を押しのけて拳を振り上げた。ましゃっとに殴りかかろうとしている。そうとしかとれないポーズだ。それでいて無表情なのが、なんとも気味が悪い。

「──わっ、ごめっ……」

 ましゃっとが右足を引っこめると、エレベーターの扉が閉まりはじめた。がボタンを押したようだ。扉は間もなく完全に閉まった。エレベーターが下降しはじめた。

「いっやぁ。怖かったぁ……」

 ましゃっとが振り向いて、ふう、と息をついた。眉がハの字に曲がっている。喪失組は飛たちのことを気にしていないようで、ついてこられたくはないらしい。

「そういえば──」

 飛はあたりを見回した。

「階段ってないの?」

「ん? どっかにあるはずだよ。非常階段」

 ましゃっとはきょろきょろした。専用フロアのエレベーターホールには、一台のエレベーターと男子トイレ、女子トイレがある。右にも左にも通路がのびていて、片方はガラス天井のサロンに通じているが、もう片方は通り抜けできない。フェンスが設置され、封鎖されている。

「たぶん、あっちかな?」

 ましゃっとはフェンスの向こうを指さした。真っ暗でよく見えないけれど、フェンスの先はかなり奥行きがあって広そうだ。もしかしたら、選抜生たちが利用しているサロンや個室、それを囲む回廊と似た構造になっているのかもしれない。つまり、このフロアには、エレベーターを挟んで同じようなスペースが二つある。

「あっ。エレベーター、地下でまったっぽい」

 ましゃっとがエレベーターのボタンを押すと、ルーヴィはなぜか連続宙返りを開始した。

「……うぜえんだってッ」

 バクが吐き捨てるように罵っても、ルーヴィは跳ぶのをやめない。エレベーターが戻ってきて扉が開くまで、やたらと時間がかかったように感じられた。

 エレベーターに乗ると、ましゃっとが鼻歌を歌いだした。さっき喪失組の後ろに並んでいたときも、同じ鼻歌を歌っていた。

 これは、あの曲だ。

 Sという人物が作詞作曲したという、『作品#1』。

「ましゃっと」

「ほい? 何?」

「その曲って」

「あぁ、Sの? ミュージックビデオ、せたやつね。覚えてるんだ。もしかして、あのあと、自分で動画探して観たりした?」

「いや、それはしてない。けど……」

「けど?」

「そのSって人」

「うん」

「……って、誰?」

「S? SはSじゃない?」

「名前が、S?」

「そ。Sが名前。ま、何だろ。ペンネーム? 違うか。ハンドルネーム? まぁ、本名じゃないよね」

 エレベーターが地下一階でまって、扉が開いた。

 とびたちはエレベーターから降りた。喪失組の姿は見あたらない。

「ドア開くか、やってみる?」

 ましゃっとが学生証をひらひらさせてみせた。飛はうなずいた。

 二人で手分けして各部屋の認証機に学生証をかざしてみたが、どこもかしこもロックされていて開かない。

「んんー」

 ましゃっとは医務室のドアの認証機に学生証を押しつけては離し、また押しつけた。

「だめだねぇ。前とおんなじパターンかぁ……」

 飛はため息をつき、見るともなく廊下の突き当たりに目を向けた。あれは何だろう。壁に溝がある。縦に二本。その上端と上端が、もう一本の溝で結ばれている。飛は突き当たりの白い壁をさわってみた。他の壁と材質が違う。金属だ。どうやら防火扉らしい。

「ここ……非常階段?」

「そうだよ」

 ましゃっとは防火扉の自分の腰より少し高い位置を探った。すると、そこに手がすっと入った。ぱっと見ではわからないが、その部分を押すと引っこむ仕掛けになっているらしい。防火扉の引き手のようだ。ましゃっとはそれを引っぱってみせた。

「今は開かないけどね。緊急時には開くようなシステム的なのがあるとかないとか。たぶん、あるんじゃない? あるはず」

 ということは、そのシステムとやらを操作できる者なら、エレベーターを使わなくても非常階段で地下に下りられる。

「あの人たち、どっかにはいるんだろうけどねぇ……」

 ましゃっとは引き手から手を抜いてしゃがみこんだ。ルーヴィが廊下のずっと遠くのほうで楽しそうに飛び跳ねている。

「俺もね? 気になってなかったわけじゃないんだよ? マジの話。最初のうちはね。だんだんよくなるっていうか、状態が? 戻るんかなーとか思ってたけど、あんまりそういう気配もないし。でも、そのうち慣れてきちゃって。慣れって怖いよねえ。とはいえ、やっぱ変っちゃ変だしさ……」

 とびは医務室のドアに耳をくっつけてみた。バクもドアに身を寄せている。

「何か音する?」

 ましゃっとも飛と同じことをした。それはまあいいのだが、飛の隣というか、お互いの顔が向かいあう場所でやらないで欲しい。けっこう近いし。

「気が散るんだけど……」

「ん? んんん……?」

 ましゃっとは目をつぶった。何か聞こえるのだろうか。飛がこうとして口を開きかけたら、ましゃっとは、黙って、と言わんばかりに人差し指を唇に当てた。

 飛も目を伏せて聴覚に神経を集中させた。

 何か聞こえる。

 ──ような気もするし、聞こえないような気もする。

 ましゃっとは閉ざされたドアを両手で押して、ぱっと離れた。

「うん! 何も聞こえない!」

「聞こえねえのかよッ」

 バクがましゃっとに躍りかからんばかりに身をよじった。ましゃっとはきびすを返した。

「帰りますか!」

 何なんだよ、こいつ。飛はあきれた。逆上したわけじゃないけれど、思わず少々唐突な行動をとってしまった。医務室のドアをたたいたのだ。平手でかなり強くぶっ叩いた。

「オッ──」

 バクが絶句し、ましゃっとは回れ右した。

「はぁっ……!?

 とびはあくまでも冷静なつもりだった。喪失組はどうも医務室にいそうだ。でも、ドアは開かない。とりあえず反応を見てみよう。そう考えたのだ。かといって、これこれこういうわけでと説明するのは面倒くさい。飛は都合五回、ドアをたたいた。

「ちょちょちょっ、おとぎりっ……」

 ましゃっとは慌てている。知ったことじゃない。飛は拳を握った。このドアは硬いし、殴ったりはしない。拳を痛める。小指の下の部分をドアに何度か打ちつけた。

「やっ、弟切……弟切ぃっ!?

 ましゃっとを黙らせるために、飛は「しぃっ」とひとにらみした。それから、ドアに耳を押しつけた。バクもドアに体をくっつける。今度はどうだろう。

 聞こえる。

 音というほどはっきりしてはいない。

 振動だ。

 このドアの向こうで何かが動いている。

 気配がする。

「……いるな?」

 バクが飛にささやいた。飛はうなずいた。

 そのまま一分以上待ってみたが、ドアの向こうの気配は消えて、何も起こらなかった。

「も、もう行こ、弟切」

 ましゃっとに腕をつかまれて引っぱられた。飛は逆らわなかった。反応は間違いなくあったものの、医務室から誰かが出てくる様子はない。これ以上ここにいても、おそらく無駄だろう。

 喪失組の五人はそろって午後十一時に医務室に行く。中で何をしているのか。

 医務室にいるのは、喪失組だけなのだろうか。