
五人の人外喪失者──喪失組は、月曜日の午後十一時過ぎに部屋を出て、エレベーターで地下一階に降りた。
戻ってきたのは、日付が変わり、火曜日の午前二時を回ってからだった。
火曜日の飛は頭がぼんやりしていたけれど、朝から全力を尽くして喪失組の動向をうかがった。
残念ながら、頑張った
ウッシーはやっぱり靴を脱いで椅子の上で体育座りをしていたし、
できれば、今晩も午後十一時過ぎまで喪失組に目配りして欲しいと、
『適当にちょこちょこ仮眠しとけば、大丈夫でしょ』
萌日花はそれで平気なのかもしれない。でも、
施設で暮らしていた頃は、消灯時間が決められていたから、基本的に毎日ちゃんと睡眠をとっていた。必然的に規則正しい生活を送っていたのが習慣になったのか。それとも、眠らないと身も心もしゃきっとしない体質なのだろうか。
「……ちょこちょこ仮眠とるって、どうやってやるの……」
飛は発見した。つい眠ってしまう居眠りと違って、少し眠ろう、眠ってやる、という気持ちで仮眠をとろうとすると、どうしてもうまく眠れない。眠りたいし、寝つきはいいほうだと思っていたのに、なぜか眠れないのだ。それで
だったら、もう寝なくたっていい、と開き直っても、眠いものは眠い。眠たいのに眠れないものだから、何もかもいやになってくる。
「……
C教室でパソコンをいじっていたら、ほまりんが近づいてきて、そんなことを言われた。心外だった。
「べつに……」
機嫌は悪くない。ただ、眠いのに眠れないだけだ。
「そお? でも、めっちゃ機嫌悪そうな顔してるしょや」
「そんな顔してないと思うけど……ていうか、僕、どんな顔してるの」
「こういう顔」
ほまりんは口を
してねえし。
──と思ったが、言われてみれば、口をすぼませているような感じがする。頬も、膨らんでいるか、いないか、そのどちらかを選ぶとすると、膨らんでいるだろうか。ついでに、眉間に力が入っているので、飛は眉をしかめているのだろう。まさしく、ほまりんもそうしていた。
「……いつから」
「ずっとだぜ?」
「言えよ……」
「何て言やいいんだよ。おまえ、眠たさのあまりブーたれてんぞってか?」
「いいだろ、そう言えば……」
「なんか面白えからよ。そのまんまにさせといた」
「ちっとも面白くないし……」
昼ご飯は学食にデリバリーを頼んで、
「好きなんだ、カツ丼」
唯虎の実家の近くに
授業が終わって専用フロアの部屋に戻ると、バクに注意された。
「飛。飛ッ。おまえ、白目
「……何言ってるんだよ。そんなわけないだろ。白目とか」
「だったら、確かめてみろ」
バスルームに鏡がある。飛はその鏡の前に立ってみた。
「……ほんとだ」
完全に白目を剥いているわけじゃないが、今にも白目を剥きそうだ。半分、白目を剥いているといっても過言じゃない。
飛はバスルームを出てベッドに座った。
「寝ろよ、飛。寝ちまえ。限界だって。見るからに」
バクはお気に入りの椅子の上でふんぞり返っている。
「……なんでバックぴゃっくにゃんかに、しょんなこと言わりゃにゃきゃにゃりゃ……」
「舌が動いてねえんだよ。頭がろくすっぽ働いてねえだろ」
「うぅ……」
飛はスマホを出して
「……もひもひ」
『え? 飛? もひもひって言った?』
「……言ってにゃあよ……」
『にゃあ? 猫みたいになってるけど?』
「……喪失組は変わりなかった。なかったと思う。なかったはず」
『そう。飛は医務室があやしいと踏んでるんだよね。五人は午後十一時過ぎから午前二時までの間、医務室にいたんじゃないかって』
「かもしれない。かもしれなく……にゃ──ないかもしれにゃい……」
『……大丈夫?』
飛は
「大丈夫」
『医務室に専門のスタッフはいないんでしょ? 必要に応じて、外部のお医者がリモートで診断するようになってる。でも、医務室にいたのが喪失組だけとは限らない。たとえば、
「愛田と木堀……って、このフロアにはいない……けど、どこに住んでるんだろ」
『カワウソが調べたところでは、去年から学園内の職員用宿舎に居住してる』
「食用くくしゃ……食用? くくしゃ……」
『職員用宿舎』
「うん。職員用、しく──宿舎」
『所用で学外に出る以外は、宿舎と東棟を行き来する毎日みたいだけど』
「さようで……」
『さよう?』
「乗用? 所用か……」
『探る価値はありそう。飛は引きつづき、喪失組を監視して』
「ひくつるき、漢詩──」
飛は息を吸って、大きく吐いた。違う。引きつづき、監視、だ。
「了解」
『飛、少しでもいいから寝なさい。すっきりするから』
「……了解」
飛はもう一度そう繰り返すと、通話を終了させた。バクが椅子の上で身をくねらせた。
「寝ろ。いい時間に起こしてやっから」
「寝る」
飛は宣言して横になった。途端に意識が途切れた。
+++ + ++++
なんとなくそんな気がしていた。
あちこちでドアが開く音がした。一斉に、とは言えない。でも、連続的ではあった。
「来やがったな」
バクがひっそりと
選抜生たちが個室から出てきた。ちゃんと数えるまでもない。五人だ。
喪失組がまた動いた。午後十一時。昨日と同じ時間だ。サロンのほうに歩いてくる者もいる。けれども、目的地はサロンじゃない。サロン経由でエレベーターに向かっている。
ウッシーも、
津堂がそろそろエレベーター前に
そのときだった。またドアが開く音がして、うるさい足音がそれに続いた。
「えっ……」
飛はとっさに椅子を持ち上げようとした。部屋から駆けだしてきたあの男めがけて、この椅子を投げつけてやりたい。さすがにやりすぎか。すんでのところで思いとどまった。
「
ましゃっとは一応、声をひそめてはいた。でも、足音だけで十分やかましい。ぴょんぴょん跳ねてましゃっとについてくるルーヴィも
「……何なんだよ」
「何って、行かないの? 行くでしょ? 行くよね? 行こ!」
ましゃっととルーヴィは飛のところでは止まらず、そのままエレベーターに直行した。エレベーターの前には、すでに喪失組が列をなしている。ましゃっととルーヴィはその列の最後尾についた。いったい何を考えているのか。飛に向かって、笑顔で手を振っている。
しょうがなく飛もバクを担いでルーヴィの後ろに並んだ。
喪失組は振り返らない。
ましゃっとは鼻歌を歌っている。ルーヴィは体を上下させ、リズムをとっているのか。
「……なんで来たの?」
飛が小声で
「やっぱ、気になっちゃって!」
エレベーターの扉が開いた。喪失組が乗りこんでゆく。
ましゃっととルーヴィも、あたりまえのように続こうとしている。バクが暴れた。
「オイィッ!?
喪失組の五人がエレベーターに乗って、次はいよいよましゃっとの番だ。いけるのか。ましゃっとがいけるのであれば、飛も乗ってしまったほうがいいのだろうか。
「──ひっ」
ましゃっとがエレベーターの手前で足を止めた。
「ちょっ、えっ……ヨ、ヨッシー? み、未来……ちゃん?」
ましゃっとは吉居に呼びかけながら、右足をのばしてエレベーターの中に下ろそうとした。扉が閉まる前に片足だけでも入ってしまおうという魂胆なのか。足でも何でも挟まる状態なら、エレベーターは動かない。
でも、ましゃっとの右足がエレベーター内に到達する前に、
「──わっ、ごめっ……」
ましゃっとが右足を引っこめると、エレベーターの扉が閉まりはじめた。
「いっやぁ。怖かったぁ……」
ましゃっとが振り向いて、ふう、と息をついた。眉がハの字に曲がっている。喪失組は飛たちのことを気にしていないようで、ついてこられたくはないらしい。
「そういえば──」
飛はあたりを見回した。
「階段ってないの?」
「ん? どっかにあるはずだよ。非常階段」
ましゃっとはきょろきょろした。専用フロアのエレベーターホールには、一台のエレベーターと男子トイレ、女子トイレがある。右にも左にも通路がのびていて、片方はガラス天井のサロンに通じているが、もう片方は通り抜けできない。フェンスが設置され、封鎖されている。
「たぶん、あっちかな?」
ましゃっとはフェンスの向こうを指さした。真っ暗でよく見えないけれど、フェンスの先はかなり奥行きがあって広そうだ。もしかしたら、選抜生たちが利用しているサロンや個室、それを囲む回廊と似た構造になっているのかもしれない。つまり、このフロアには、エレベーターを挟んで同じようなスペースが二つある。
「あっ。エレベーター、地下で
ましゃっとがエレベーターのボタンを押すと、ルーヴィはなぜか連続宙返りを開始した。
「……うぜえんだってッ」
バクが吐き捨てるように罵っても、ルーヴィは跳ぶのをやめない。エレベーターが戻ってきて扉が開くまで、やたらと時間がかかったように感じられた。
エレベーターに乗ると、ましゃっとが鼻歌を歌いだした。さっき喪失組の後ろに並んでいたときも、同じ鼻歌を歌っていた。
これは、あの曲だ。
Sという人物が作詞作曲したという、『作品#1』。
「ましゃっと」
「ほい? 何?」
「その曲って」
「あぁ、Sの? ミュージックビデオ、
「いや、それはしてない。けど……」
「けど?」
「そのSって人」
「うん」
「……って、誰?」
「S? SはSじゃない?」
「名前が、S?」
「そ。Sが名前。ま、何だろ。ペンネーム? 違うか。ハンドルネーム? まぁ、本名じゃないよね」
エレベーターが地下一階で
「ドア開くか、やってみる?」
ましゃっとが学生証をひらひらさせてみせた。飛はうなずいた。
二人で手分けして各部屋の認証機に学生証をかざしてみたが、どこもかしこもロックされていて開かない。
「んんー」
ましゃっとは医務室のドアの認証機に学生証を押しつけては離し、また押しつけた。
「だめだねぇ。前とおんなじパターンかぁ……」
飛はため息をつき、見るともなく廊下の突き当たりに目を向けた。あれは何だろう。壁に溝がある。縦に二本。その上端と上端が、もう一本の溝で結ばれている。飛は突き当たりの白い壁をさわってみた。他の壁と材質が違う。金属だ。どうやら防火扉らしい。
「ここ……非常階段?」
「そうだよ」
ましゃっとは防火扉の自分の腰より少し高い位置を探った。すると、そこに手がすっと入った。ぱっと見ではわからないが、その部分を押すと引っこむ仕掛けになっているらしい。防火扉の引き手のようだ。ましゃっとはそれを引っぱってみせた。
「今は開かないけどね。緊急時には開くようなシステム的なのがあるとかないとか。たぶん、あるんじゃない? あるはず」
ということは、そのシステムとやらを操作できる者なら、エレベーターを使わなくても非常階段で地下に下りられる。
「あの人たち、どっかにはいるんだろうけどねぇ……」
ましゃっとは引き手から手を抜いてしゃがみこんだ。ルーヴィが廊下のずっと遠くのほうで楽しそうに飛び跳ねている。
「俺もね? 気になってなかったわけじゃないんだよ? マジの話。最初のうちはね。だんだんよくなるっていうか、状態が? 戻るんかなーとか思ってたけど、あんまりそういう気配もないし。でも、そのうち慣れてきちゃって。慣れって怖いよねえ。とはいえ、やっぱ変っちゃ変だしさ……」
「何か音する?」
ましゃっとも飛と同じことをした。それはまあいいのだが、飛の隣というか、お互いの顔が向かいあう場所でやらないで欲しい。けっこう近いし。
「気が散るんだけど……」
「ん? んんん……?」
ましゃっとは目をつぶった。何か聞こえるのだろうか。飛が
飛も目を伏せて聴覚に神経を集中させた。
何か聞こえる。
──ような気もするし、聞こえないような気もする。
ましゃっとは閉ざされたドアを両手で押して、ぱっと離れた。
「うん! 何も聞こえない!」
「聞こえねえのかよッ」
バクがましゃっとに躍りかからんばかりに身をよじった。ましゃっとは
「帰りますか!」
何なんだよ、こいつ。飛は
「オッ──」
バクが絶句し、ましゃっとは回れ右した。
「はぁっ……!?」
「ちょちょちょっ、
ましゃっとは慌てている。知ったことじゃない。飛は拳を握った。このドアは硬いし、殴ったりはしない。拳を痛める。小指の下の部分をドアに何度か打ちつけた。
「やっ、弟切……弟切ぃっ!?」
ましゃっとを黙らせるために、飛は「しぃっ」と
聞こえる。
音というほどはっきりしてはいない。
振動だ。
このドアの向こうで何かが動いている。
気配がする。
「……いるな?」
バクが飛に
そのまま一分以上待ってみたが、ドアの向こうの気配は消えて、何も起こらなかった。
「も、もう行こ、弟切」
ましゃっとに腕を
喪失組の五人は
医務室にいるのは、喪失組だけなのだろうか。