
月曜の朝は早めに寮を出た。飛はまだ選抜生用の学生証を持っていないが、
「……おはよう」
唯虎が声をかけると、ウッシーは飛たちのほうに目を向けた。
この男の顔はこんなにのっぺりしていただろうか。別人なんじゃないか。でも、ウッシーだ。顔立ちは変わっていない。顔立ちだけは。まるで本物そっくりの覆面を
ウッシーはこっちを見ている。何も言わない。無言だ。
「……飛。変だぞ。あからさまに……」
バクが
ウッシーは靴を脱いでいた。大きな体を縮こまらせ、椅子の上で膝を抱えている。かなり窮屈そうだ。なぜよりにもよってあんな座り方をしているのだろう。謎だ。
「おはよう、
唯虎が挨拶すると、ウッシーは口を動かした。声は発していない。口を開けたり閉じたりして、唇と唇がふれあう際に、ぱ、ぱ、ぺ、ぷ、ぱ、ぽ、という感じの音がする。
「ぽ。ぱ。ぱ。ぽ。ぽ。ぱ。ぱ。ぽ……」
そんなことを繰り返したあげく、ウッシーはようやく声らしきものを出した。
「お。は。よ。お。お。は。よ。お。お。は。よ。お。は。よ」
それからウッシーは、唇をまくりあげたまま、上の歯と下の歯を
「……怖ぇよッ」
バクがそっと言った。飛も鳥肌が立っていた。ウッシーはどうしてしまったのか。
+++ + ++++
飛は人外を喪失している選抜生たちをつぶさに観察してみた。ウッシーこと宇代
まず、一見まともというか、それほど奇異な印象を受けない人外喪失者が二人いた。
その二人は、二人組と言っても
柏原と吉居は、頻繁に顔を寄せ合い、耳許で何か
特案の見守り対象者だった
「あ? だからそれはつまりこういうことなんだろ。ようするにカタカナはひらがなだっていうことなんだよな? 漢字からできたからひらがなはカタカナなんだよ。そういうことだろ。わかるよな? わかるよ。わかっちゃったんだよ。漢字が辞典だよな。
津堂は飛に衝撃を与えたという自覚もないようで、何事もなかったかのようにスマホに目を戻した。津堂のスマホを盗み見ると、和英辞典のアプリが表示されていた。せめて国語辞典か漢字辞典だったら、飛もいくらかは、なるほど、と感じたかもしれない。感じないか。どうだろう。わからない。
津堂も
尾賀の事情はあとで
喪失組の全員が、虚心症の患者とは何か違う。
ウッシーはどう見ても以前のウッシーじゃない。他の喪失組の面々も、それはきっと同じだろう。人外を失ったせいなのか。喪失組は人が変わってしまった。
バクに人外を食べられたあと、ウッシーは意識がなかった。虚心症だったと思う。
現在のウッシーはそうじゃない。彼は教室に来た。わざわざ靴を脱いで、椅子の上で体育座りしている。おはよう、という挨拶に対して、一応、おはよう、に近くなくもないような言葉を返した。だからといって、治った、と言えるだろうか。
選抜生たちがA教室に
「……どうかしてるぜ」
バクが
「オトギリ・トビ」
愛田に呼ばれた。飛がじっとしていると、愛田は教卓の上にカードを投げ置いた。
「おまえの学生証だ。とりに来い」
徹底的に無視しつづけたら、どうなるだろう。飛は一瞬考えて、ため息をついた。
「礼儀ってものをミジンコほども知らねえようだな。まあいい。これからじっくり
「理事長からのありがたいお達しだ。我が選抜クラスに新しい規則ができた。今後、選抜生は一人の例外もなく、東棟最上階の専用フロアに居住すること」
「
「終業後、ただちに専用フロアの個室に移動しなさい。部屋番号と専用フロアのルールはのちほど私から通達します。わかりましたか」
飛は黙っていた。
「返事をしなさい」
木堀は冷たく、静かに言った。
「ぶちのめされたい?」
飛は思わず目を開けた。木堀はいつもと変わらない。飛を見てさえいなかった。
「……はい」
飛が答えると、木堀はうなずきもしないで簡潔に応じた。
「よろしい」
+++ + ++++
授業が終わると、
「悪くないよ。寮と比べたら、かなりいいかも」
エレベーターが停止して扉が開く前に、唯虎がそんなことを言った。
扉が開くと、明るかった。電灯の光じゃない。太陽光だ。東棟最上階の天井は、全面というわけではないものの、かなりの部分がガラス張りだった。
エレベーターの左に男子トイレ、右に女子トイレがあって、右の通路は封鎖されている。左の通路を進むと、そこは広場だ。広間じゃない。その広場には植物が植えられている。鉢植えではなく、土が敷かれ、そこに根を張っているのだ。あれは何の木なのか。一種類じゃない。別の木もある。飛がなんとなくわかったのは、サボテンとゴムの木、バナナの木くらいだった。ちょっとした植物園のようだ。
広場には大きなテーブルが二つ置いてある。椅子もたくさんあった。バクが
「パーティーかなんか、開けちまいそうなスペースだな……」
「そういえば、いつだったかな。女子が誰かの誕生日会をやってたよ。ここはサロンって呼ばれてる。部屋はこっち」
部屋といっても、壁で仕切られているのではなくて、プレハブ小屋をもっとがっちりさせたような、一個の建物だ。いくらか丸みを帯びていて、白くはないが、大きなかまくらのようでもある。
S-13とペイントされたドアのロックは、飛の学生証で解除できた。唯虎とセラは飛の部屋に入らなかった。
「何かあったら言って。俺の部屋はS-3だから」
「……わかった」
「それじゃ、また」
唯虎が外側からドアを閉めると、自動で施錠された。
飛はバクを担いだまま、部屋の真ん中あたりに立ちつくした。
「……天井は──」
バクが見回すように身をよじった。
「低めだな。広さは……七
飛はバクを床に転がして、とりあえずベッドに座ってみた。
特別というほどでもないとバクは言ったが、このベッドはふかふかなのにしっかりと弾力があって、シーツもつやつやしている。それに、枕がなぜか二つもあった。一人用の部屋だから、一人で二つ使っていい、ということだろう。
机と椅子がある。椅子は座面と背もたれがメッシュだ。肘掛けに、ヘッドレストまでついている。
バクがしゃくとり虫みたいに
「オォッ。けっこういいぞ、コレ。座り心地」
「バックパックが座るなよ……」
飛はベッドから立って、バスルームをのぞいてみた。洗面台とトイレがあって、浴槽は大きくないが、そこまで小さくもない。どこもかしこもぴかぴかだ。
部屋に戻ると、飛はまたベッドに座ってスマホを出した。専用フロアはWi-Fiが完備されているだけじゃない。地下と違って、通信回線の電波が
「連絡はとれる……」
意外と動きやすそうだ。授業時間以外は、ほとんどの選抜生がこの専用フロアにいる。寮にいるよりは圧倒的に観察しやすい。その気になれば、接触することだってできる。
「ウッシー。
ただ、喪失組をよくよく観察したところで、何か有意義な情報がえられるのだろうか。いくら話しかけても、きっと奇妙な反応しか返ってこない。
「アイツら、何がどうしてあんなふうになっちまったんだかなァ……」
バクは椅子を右へ左へと回転させながら言った。
「五人とも似たような感じなら、まだな。それぞれ違うよな。個体差っつーかよォ」
「宇宙人みたいな……」
「ハァ? 宇宙ゥ? 何、突拍子もねえこと言ってやがんだ、飛、おまえ」
「や、だから……いいや」
「よくねえよッ。話せよ。なんか考えがあるんだったらよォ」
「喪失組は、なんか……宇宙人みたいだなって」
「知ってんのかよ、宇宙人。会ったことあるのか?」
「あるわけないだろ。そういうことじゃなくて……宇宙人が──べつに宇宙人じゃなくてもいいんだけど、人間じゃない、何かが……人間のふりをしてる……みたいな」
「アァ。そういうことか。なんとなくわかってきたぞ。フムフム……どういうことだ?」
「だから、わかんないって。けどこんなの、とても
「ヘッ。
飛は枕をバクめがけて投げつけた。バクは
「過去一の枕じゃねえか? おかげで痛くも
「……どうだか」
飛は
不意に部屋のドアが鳴った。誰かが外側から
「……インターホン的なの、なかったっけ」
見ると、壁にちゃんとインターホンの装置が据え付けられている。
「……絶対、ましゃっとだよ」
「どうすんだ?」
バクはまだ椅子にふんぞり返っている。ピンポンピンポンピンポンピンポン。インターフォンは鳴りやむ気配がない。飛はため息をついた。
ベッドから立ち上がってインターホンの通話ボタンを押すと、案の定だった。
『
「……何?」
『開けて開けて開けて開けて開けて! お願いお願いお願いお願いお願い!』
「なんでそんなに連呼するの……」
『とくに理由はないけど、しいて言えば、思いかな? 熱い思いを伝えたいのかな? もしかしたら、愛かもしんない。ラヴかも。ラヴを届けたいのかもしんないっ。ラーヴッ』
インターホンの電源を切るなり
「弟切弟切ぃ~!」
すかさずましゃっとが部屋に突入してこようとしたので、飛はとっさに足を出した。
「──ゎふっ!?」
ましゃっとが海老反りになって
「やははは……ちょっとぉ、弟切ぃ。冗談きついってぇ。もおぉぉ……」
「冗談とかではないけど」
「本気だったら、もっときついってぇ」
「すごくうるさかった」
「ごめんて。ソーリー!」
ましゃっとは手を合わせて腰を九十度近くまで折った。顔は飛に向けている。
「めっちゃソーリー。謝るから許して! でも大丈夫、俺は知ってるから! 心が広い弟切は許してくれるって、俺、信じてるから!」
「勝手に信じられても……」
「てことで、行こっ!」
ましゃっとは飛の手首を
「え、ちょっ、何……」
「サロンで歓迎会。それで、弟切を呼んでくる役、俺が立候補したってわけ!」
「わけって……」
飛はわりと本気であらがっているのだが、ましゃっとの手を振りほどけずにいた。油断したら引きずられそうだ。意外と力が強い。
「……わかった。行くから。バクを連れてくる。放して。腕、痛い」
「放した瞬間、ドア閉めちゃったりしない!? 約束する!? 信じるよ!? 俺、弟切のこと、信じちゃうよ!? 信じていい!? いいんだよね!? 裏切らないでね!?」
「裏切らないって。しつこい……」
「オッケー、放す!」
ましゃっとは
「──どういうこと……!?」
「ジョークジョークジョーク。やってみただけだって。はい、今度はマジ解放!」
飛の手首がふたたび自由になったが、二度あることは三度あってもおかしくない。ないのか。何もしてこない。
飛がバクをとりに行っている間、ましゃっとはドアが閉まらないよう体を入れてしっかりと押さえていた。ルーヴィもドアとましゃっとに挟まっている。飛を信用していないようだ。飛もましゃっとを信じていない。お互い様か。
バクを担いでサロンに向かうと、二つのテーブルに食べ物、飲み物がびっしりと並べられていた。選抜生とその人外たちが勢ぞろいしている。椅子は端のほうに寄せられていた。みんな座らずに立っている。
「
「何ともはや、全員、
「自分でやれば?」
「この俺が? まっぴらご免だ!
唯虎はテーブルの上に目をやってから、辰神を横目で
「……バッチバチだな」
バクが
「そうなんだよねえ、バッチバチなんだよ、タッツーとトラちゃん。やーもう、おっかなくってさぁ。ピリピリピリピリしまくってて。静電気かって。放電してんのかって」
「えっと、弟切のは、ほまりが!」
ほまりんが何かの瓶とプラスチックのコップを手に取った。瓶からコップに泡立つ液体を注ぎ入れる。でも、瓶を傾けすぎだ。勢いがすごい。やばそうだ。予想どおりだった。液体がコップからあふれた。
「わわわっ……」
「愚かな慌てんぼうめ!」
間髪を
「さっさと誰か後始末を手伝ってやったらどうだ! その慌てんぼうに任せておいたら、せっかくの料理まで台なしにされてしまいかねんぞ! はははははっ……!」
ほまりんがコップを持ってきてくれた。
「はい、
「……どうも」
「ていうか、この飲み物、何……?」
「知らんのか!」
「シャン=ドメリー! 白ワイン用ぶどうの果汁を
「俺も俺も俺もーっ!」
ましゃっとがテーブルに突撃した。女子の誰かがシャンドメだかシャンド・メリーだかシャン=ドメリーだかをコップに注いで、ましゃっとはそれを一気に
「──……あぁっ! ぷはぁっ! 効っくぅ! この一杯のために生きてるわ的な!?」
「ドアホゥッ!」
辰神が怒鳴りつけた。
「まだ乾杯がすんでおらんではないか! あまつさえ、
「ひやぁっ。ごめんちゃい! 喉渇いてたから、つい……弟切、ソーリー、許して!」
「許しても何も……」
飛はコップの中で泡を立てている液体を見つめた。生唾が出てきた。そういえば、飛も喉が渇いている。以前、メロンソーダを飲んだときのことを思いだした。このシャン=ドメリーとやらはどんな味がするのだろう。早く飲みたい。
「じゃ、乾杯」
飛はコップを少し持ち上げて言うなり、一口飲んだ。目をつぶる。メロンソーダほど強烈じゃない。ぶどう。たしかに、ぶどうを感じる。
「……どうよ?」
バクが尋ねた。飛は目を開けて、もう一口飲んだ。
「うん……」
「だから、どうなんだよッ」
「うめぇ」
「えっ……?」
ほまりんが目を白黒させた。
「もしかして、今、乾杯、した?
「不意討ちにも程があるではないか!」
「だが、よかろう! 乾杯は乾杯だ! 乾杯……!」
「か、乾杯」「カンパーイ」「乾杯……」
選抜生たちがばらばらと、思い思いに唱和した。もっとも、
その後も飛は、食べたり飲んだりしながら喪失組の動向をうかがいつづけた。喪失組が気になるのに、辰神がやたらと、しかも平然と話しかけてきて、邪魔だった。
ましゃっとはとにかくやかましい。飛がいくら邪険にしても、「またまたー」、「いやいやいやー」とか言ってじゃれついてくる。どういう神経をしているのだろう。
ほまりんが女子たちを連れてきて、ちょっとだけ話した。柏原から離れない吉居を除いた女子四人は、やっぱり団結しているようだ。戦抜投票の話題もちらっと出た。女子たちは戦抜を回避するために投票の仕方を決めているので、たとえば飛が投票用紙にほまりんの名を書いたとしても問題ない。もし戦抜が嫌なら、そんな方法もある。提案というほどはっきりした言い方ではなかったけれど、女子たちはそう
人外がいる選抜生たちと喪失組の間には、ほとんど交流がないようだ。唯一、辰神だけは、ときどき喪失組の選抜生に声をかけていた。でも、喪失組は辰神に視線を向ける程度で、返事をすることはない。辰神もべつに期待していないみたいだ。
喪失組同士も、柏原と吉居がくっついているだけで、あとは目も合わせない。それぞれが好きなように過ごしている。いっそ歓迎会に参加しているのが不思議なくらいだが、ましゃっとにそのあたりを
主に辰神とましゃっとがひっきりなしに絡んできたせいで、
「さて、頃合いだな」
辰神がそう言って手を
「そろそろお開きにするとしよう。
「いよーっし! 片づけ片づけ! やっちゃお!」
ましゃっとが音頭を取って、ほまりんたちと一緒に紙製の取り皿を回収したり、空のコップを集めたりしはじめた。
「いーからいーから! タッツーが言ってたでしょ。弟切は
「見てるの、退屈だしょや」
ほまりんが助け船を出してくれた。
「弟切、でも、ほんとにいいからね。ほまりたちがやるし。いっぱい食べて、おなかいっぱいだったら、散歩でもしてきて。腹へこまし?」
腹ごなし、だと思うのだが、ましゃっとはともかく、てきぱき動く女子たちに交じって、飛は巧みに立ち回れるだろうか。自信がない。
見ると、喪失組はサロンをあとにしようとしていた。五人とも、だ。誰かが合図したのだろうか。それとも、示しあわせていたのか。人外喪失者たちはてんでんばらばらなようで、まとまりがあるらしい。
「ちょっと、じゃあ……」
多少心苦しかったが、飛はいったんサロンを離れてそれとなく喪失組のあとをつけてみた。その
専用フロアは、大まかに言うと、サロンとその周りに配置された個室で構成されている。ゆとりのある造りで、個室と個室の間は通り抜けられるし、建物の内壁と個室とは接していない。個室の向こう、建物の内壁との間は回廊状になっている。ほまりんに、散歩でもしてきて、と言われたが、おそらく彼女はこの回廊をぶらつくことがあるのだろう。幅は学校の廊下くらいで、大きな窓もある。散歩どころかジョギングでもできそうだ。
専用フロアを隅から隅まで知っておきたい。そんな
「終わった? 歓迎会」
「あぁ。うん。ここにいたんだ、唯虎」
「弟切の歓迎会なのに、抜けちゃって悪かったね」
回廊の天井もガラス張りで、蛍光灯のたぐいはない。でも、壁と床の境目から明かりがもれているし、壁のところどこに非常灯が設置されている。明るくはないけれど、唯虎の表情がわからないほど暗くはない。
「どうしてもだめなんだ。
言葉とは裏腹に、
「唯虎は悪くないよ。僕も辰神は好きじゃない。僕を
「変わってる、か。控えめな評価だと思うけど、そうだね。あいつはだいぶ変わってる。
「唯虎、おまえはどうなんだよ?」
バクが
「俺……? セラがいる時点で、変わってなくはないんだろうけど」
バクは、ヘッ、と短く笑った。
「結局、程度問題か」
「それを言っちゃうとね。度を越してるかどうか、なのかな」
唯虎は窓のロックを外して少し開けた。植物のためか、専用フロアは高めの温度が保たれている。窓からひんやりした夜風が吹きこんできて、心地いい。
「しばらく開けてると警報が鳴るから、すぐ閉めないといけないんだけどね」
「管理されてるってわけか」
バクがあちこちに目を配るように身をよじった。
「カメラなんかもあったりするのか? こうやってても誰かに見られてるんだとしたら、気分はよくねえな」
「どうせ、バクは映らないだろ……」
「飛が映るんだったら、同じことじゃねえか。それに、気分の問題だからな?」
「前に調べたけど、ここにカメラはないみたい」
唯虎がざっと円を描くように指を振ってみせた。
「サロンにはありそうだけど、見つからないな。上手に隠してあるのかもしれない」
「なんでそんなこと調べたの?」
飛は何げなく尋ねただけだ。とくに深い考えはなかった。
唯虎は窓を閉めた。そして窓の外に目をやったまま、少しだけ笑った。
「バクが言ったとおりだよ。知らないうちに見られてるんだとしたら、気分がよくない。あとは……何だろう。用心のため、かな」
+++ + ++++
歓迎会でかなり色々な物を飲み食いした。
ところが、いざ明かりを消してベッドに入ると、目が
バクはお気に入りの椅子に身を預けて、しばらく黙ってくれていた。
だいぶしてから、「ぇんっ……」と
「寝られねえのか、
「……そんなことない。もう少しだったのに……あと少しで眠れそうだったのに……」
「ホントかァ?」
「眠くならない……」
「だと思ったぜ」
「バクのせいだ……」
「八つ当たりかよ」
「八つ当たりだよ」
「八つ当たりなのかよッ」
バクが椅子の上で暴れている。飛は跳ね起きて明かりをつけた。
「無理だ。寝れない。散歩してくる」
「アァ? 散歩ォ? ブームなのか? 散歩──って、オレを置いてくのかよッ」
飛はスマホと学生証だけ持って部屋を出た。
サロンに誰かいる。椅子に腰かけ、テーブルにスタンドでスマホを立てて、動画でも見ているのか。音は聞こえない。イヤホンをしているようだ。パーカーを着て、フードを
飛は椅子を持ってきて、ましゃっとの隣に座った。スマホのディスプレイに映しだされているのは、やはり何かの動画のようだ。アニメーションだろうか。色とりどりで、めまぐるしい。字幕が表示されている。歌詞かもしれない。
「おぉうっ!?」
ましゃっとがビクッとして飛を見た。ましゃっとはイヤホンをしている。飛の声は聞こえないだろう。飛は無言で片手を軽く上げてみせた。
「……おぉぉ
ましゃっとはイヤホンを外した。ワイヤレスらしい。ましゃっとが何かしたようで、スマホの動画は一時停止している。
「え? どしたの? 寝れない夜もある感じ? むらむらしたりして?」
「むらむらって……」
「そういうこともあるかなって。ないかな? あ、俺はショートスリーパーだから。いわゆる、ショッパーね。言わないか。ショッパーとは。あれ? 英単語であるよね。たしか。買い物袋とか。ショッパー。そっちじゃないよ。ショートスリーパーね。俺、長くても、四時間半くらいしか寝れなくて。長い夜を有意義に過ごすのが俺流なわけ」
「たしかに、まだまだ元気そうだね」
「元気、元気。踊れるよ? 踊っちゃうよ?」
「踊らなくていい。ていうか、踊らないで……」
「蹴る? もし踊ったら、蹴られちゃう?」
歓迎会前の件を持ちだされると、
「……あれは、悪……いとは、思ってないけど」
「思ってないんかーい。ははっ。まーね。いいんだけどね。あ、これね?」
ましゃっとはスマホに手をのばして何やら操作した。動画の再生が始まった。最初からのようだ。音量は低いけれど、なんとか聞こえる。
Lyrics/Music:
黒い背景にそんな文字が浮き上がった。
続いて、タイトルらしきものがぼんやりと画面に
作品#1
「──これ……音楽?」
飛が尋ねると、ましゃっとはうなずいてにんまり笑った。
「そそ。ミュージックビデオね。大好きなんだ、俺、これ。けっこう前からハマってて。Sの曲はいくつもあるけど、やっぱりこれが原体験だから──あ、聴いて聴いて」
僕が進む道だ ろくに進めやしないが 所詮、道なき道でしかないか
女性のようでも、男性のようでもある声が歌う。人間の声じゃないのか。抑揚はあるのだが、どこか不自然だ。
八人も僕がいたんじゃ 座る椅子も足りないくらいだ
楽しさも感じられない 喜びに浮き立ちもしない
能がない君だ 特別な音もしないが 今はもう空っぽでしかないか
歌詞の意味はなんだかよくわからない。でも、
人は僕を知らないってさ 口に十字の戸は立てらんないな
花鳥風月を過ぎ去りし君は 脊柱の真芯に真心を隠して
風
目を覆いたくなるような場面もある。それなのに、
「いいでしょ。S。すごいんだよ。この動画、見っけた瞬間、俺、運命感じたもん」
ましゃっとが小声で
「深掘りすれば深掘りするほど、色んなことが出てくるし。誰かが言ってたけど、思想じゃなくて、叙情でもない、現象のパズルなんだよね。パズルって元絵がわかってるじゃん。だから解けるんだけど。Sは違うんだよね。元絵を知ってるのはSだけなんだよ。こっちは想像しながら解き明かしていかなきゃなんない。それがめちゃくちゃ面白くて。ピースの一個一個が単純にモノとしてすぐれてるから、享受するだけでも快感だし──」
結局、作品#1の再生が終了するまで、飛は一言も発しなかった。
もう一度再生、というところをタップしたい。
ましゃっとがくすっと笑った。
「同じの
飛は口を開きかけた。同じの、と言おうとしたのか。もしくは、別のがいい、と頼むつもりだったのか。どっちでもいいから、Sの曲が聴きたい。ミュージックビデオを観たい。案外、それが飛の本音だったのかもしれない。ただ、まんまとましゃっとの術中に
「……S?」
「ん? 作者? まあ、作者っていうか」
ましゃっとは、もう一度再生、を指先でタップした。
「作詞と、作曲と。それだけじゃないんだけど、Sは──」
飛の目の前で、怪物のような姿に変わり果てた
サリヴァン、と。
特案が長らくマークしている男。ハイエナ曰く、七年前から特案はサリヴァンを追っているらしい。何人もの死傷者を出した特定案件への関与が疑われてるという。
兄も特案やハイエナのことを知っているようだった。
『きみは……特案の? 長い間、僕を追いかけ回していた──たしか、そうだ、ハイエナだったかな』
「止めて」
「へ?」
ましゃっとがぽかんとした顔を飛のほうに向けた。
飛はましゃっとのスマホにふれて、動画を一時停止させた。
「このSって人──」
サリヴァンの名を口にしてもいいのだろうか。飛は迷った。
そのときだった。ドアが開く音があちこちから聞こえてきた。
選抜生が個室から出てこようとしているようだ。それも、一人じゃない。もし一人だけなら、そこまで
部屋番号と、どれがどの選抜生の部屋なのかは、すでに把握している。S-2とS-7、S-8、S-9、それから、S-12だ。それぞれの個室から選抜生が出てきた。
全員、人外を連れていない。あたりまえだ。この五人には連れ歩ける人外がいない。
飛との選抜で敗れた、
そして、特案の見守り対象者だった、
皆、人外喪失者だ。喪失組がこぞって、しかも、ほとんど同じタイミングで、部屋から出てきた。こっちに来る。サロンに集まろうとしているのか。ましゃっとが手を振った。
「おっすー」
誰も反応しなかった。ましゃっとは肩をすくめた。違うのか。
サロンじゃない。喪失組はサロンを素通りしていった。
エレベーターだ。
部屋の位置が近かった関係で、最初に津堂がエレベーター前に到着した。ボタンを押して、エレベーターが来るのを待っている。他の人外喪失者たちも、一人の例外もなくエレベーターの周りで足を止めた。
エレベーターの扉が開いた。喪失組が次々と乗りこんでゆく。
「あの人たち……どこに?」
「さあ?」
ましゃっとはスマホを手にとった。
「気になるの?」
「……ちょっとね」
「なら、追っかけてみる?」
「追いかける──」
飛は足早にエレーベーターへ向かった。ましゃっとがついてくる。今までひとりでかくれんぼでもしていたのか、ルーヴィもましゃっとを追いかけてきた。
エレベーターの階数表示を見ると地下で止まっている。ましゃっとがボタンを押した。
「えいっ」
「……一緒に行くの?」
「だめ?」
「だめっていうか……」
やがてエレベーターが戻ってきた。飛はましゃっと、ルーヴィとエレベーターに乗った。ましゃっとが認証機に学生証をかざして、B1Fのボタンを押した。扉が閉まった。エレベーターが動きだすと、素朴な疑問が浮かんできた。
「夜なのに、入れるの? 地下」
「んー……今、十一時過ぎ?」
ましゃっとはスマホを見て時刻を確かめた。
「どうだろ? どっちにしても、ロックされちゃってたら、入れないし。されてなかったら、普通に入れるし。エレベーター動いてるってことは、行けるんじゃない?」
ルーヴィが控えめにぴょんぴょん跳ねている。一見、小さくジャンプしているかのようだが、実際は膝の曲げ伸ばしを繰り返しているだけだった。
エレベーターは無事、地下一階に着いて、扉もすんなりと開いた。向かって左の水槽の中で小型のエイやサメが泳いでいる。照明も点灯しているので、地階ということもあって、昼間と何ら変わらない。喪失組の姿はなかった。でも、この階のどこかにいるはずだ。
「あー、でも、これ……」
ましゃっとは男子トイレのドアを開けようとした。地下一階は、トイレでさえ学生証による認証が必須だ。
「開かないね。ロックされてるっぽい」
女子トイレ、男子トイレの先は、サーバールーム、機材ルームと続く。サーバールームと機材ルームは、普段から生徒は入れないようだ。
「……無理か」
「せっかくだし、一通り試してみる?」
ましゃっとは片っ端からドアを開けにかかった。エレベーターのほうに戻って、体育館、また引き返して、女子トイレ、サーバールーム、機材ルーム、念のため、再度A教室、それから、B教室、C教室、準備室、そして、医務室まで、結果は同じだった。
「──んん! 全滅かぁ! 俺たちは招かれざる客ってことかねえ。ショックだなあ。なんか。そうでもないか。うん。そうでもないね」
ましゃっとは何か勝手に納得しているし、ルーヴィは廊下で楽しそうに飛んだり跳ねたり回転したりしている。
飛はドアをノックしようとして、やめた。
そのドアには、医務室、と書かれた室名札がついている。
今までとくに意識していなかったが、地下のドアはどれも頑丈だ。思いきり体当たりしても、きっとびくともしないだろう。
「帰る?」
ましゃっとに肩を
「えー……」
ましゃっとは口を
「ひょっとして、まだ怒ってる? 怒りんぼだなぁ、
ルーヴィとましゃっとはいきなり全力疾走して、あっという間に見えなくなった。
飛はもう一度、医務室に目をやってから歩きだした。
やはり医務室があやしい気がする。でも、証拠はないし、教室かもしれない。
とにかく、飛とましゃっとはロックされていてトイレにすら立ち入れないのに、喪失組は地下のどこかにいるのだ。
これはどういうことなのだろう。何を意味しているのか。