ハイエナは右の拳をとびに向かって差しだした。

「ヒタキがそのつもりなら、これからも頼む」

 飛は右手を握り固めて、第二関節の硬いところをハイエナの右拳にぶつけた。少々強めだったかもしれない。

「……っ」

 ハイエナは一瞬、顔を引きつらせたが、すぐにくちもとをゆるめた。

「頼まれてくれるなら、俺たちのことも頼れ。いざとなったら、俺は強行突破も辞さない。気を遣わなくても、どうなろうと回り回って最後に責任をとるのは課長あたりだ。しきも何かと助けてくれるしな」

「これで、ひとを利用するのがうまいの」

 が顎をしゃくってハイエナを示した。

「そういうとこがなきゃ、曲がりなりにもこの年まで役人なんてやってない」

「否定はしねえよ」

 ハイエナは座席に浅く座って、黒い帽子をぶかかぶった。

「所詮、自分一人でできることなんざ、たかが知れてるからな。人間、くたばるときは誰しも一人だが、それまでは誰かの世話になりつづける。差しのべられた手は、かつこうつけて振り払うより、握っておくもんだ──」


+++ + ++++


 駅前からバスに乗ってかいえいがくえんに帰りつくと、購買部の前でましゃっとが手を振っていた。何か食べている。アイスらしい。でか黄色ウサギのようなルーヴィが、ましゃっとの周りで飛び跳ねまくっている。

 完全に無視するのもおとなげない。飛は目礼だけして購買部を通りすぎた。

「ぶーぶー。ぶーぶー」

 ましゃっとがブーイングしている。知ったことか。

 寮の部屋に戻ると、ただとらが床にあぐらをかいて、セラの背をでていた。

「お帰り。どこ行ってきたの?」

 唯虎はそういておきながら笑いだした。

「ごめん。答えなくていいよ。挨拶ついでに言っちゃっただけだから」

 飛はバクを床に転がしてベッドに腰かけた。

「散歩してきた」

 唯虎は声を上げて笑った。

「散歩って。面白いな、おとぎりは」

「そうかァ?」

 バクは、フンッ、と鼻を鳴らすような音を発した。

「このオレと比べたら、つまんねえヤツだぞ。比べる相手が悪いのかもしんねえけど。比較対象がオレだとな。よっぽど面白くねえと、つまんねえってことになっちまうからよ」

 ただとらはセラをでるのをやめて、向かいのベッドに座った。セラは唯虎のあしもとに身を横たえた。

「これは俺の個人的な見解なんだけど。人外って、あるじとすごく似てると思うんだ。主が変われば、人外も変わったりするし。あのたつがみとロードなんて、まさにそうだよ」

 とびはロードの姿形を思い浮かべた。

「……偉そうだよね。どっちも」

「角があるだろ。三本」

 唯虎は頭の上で右手の人差し指を動かしてみせた。

「あれ、入学したときはなかったんだ。辰神も、初めはもっとおとなしかった。しゃべり方は少し変だったけどね。辰神は戦抜で三勝してる」

「角が、三本──」

 生えた、ということか。辰神が戦抜で勝つたび、ロードが人外を食べるごとに、角が一本ずつ増えた。

「主と人外は、ぱっと見ちぐはぐでも、じつはうりふたつ」

 唯虎はまえかがみになってセラの顎の下をくすぐった。セラは目をつぶって、ずいぶん気持ちよさそうだ。

「だけどおとぎりとバクは、ちょっと違う感じがする。どう言ったらいいんだろうな。人間って、みんな、欠けてたり、過剰だったりする部分があると思うんだけど……弟切の欠けてるところをバクが持ってて、その逆もあって、みたいな」

「フム。つまり、アレか? パズルのピースみてえなことか?」

「僕とバクが、パズル? 二ピースのパズル……」

「比喩だよ、比喩ッ。混ぜっ返すんじゃねえよ。ひとがな話してんのに」

「ひとが、ね……」

「オレは人じゃねえけどもッ」

「弟切とバクの話を聞いてると、飽きないな」

 唯虎は笑顔だ。作り笑いには見えない。

「仮にセラがしゃべれたとしても、俺とそんなふうに会話することはないような気がする。言いあいにはならないと思うんだよな。バクは特別な人外なんだろうね」

「ハンッ! オレが特別だっつーことなんか、一目瞭然だろうが」

「それだよ」

 ただとらの顔からふっと笑みが消えた。

「バクは普通の人にも見えてる。人外なのに、どうして?」

「オレが知るかッ。天才に、なんであなたは天才なんすかーっていたって、天才だからだよバカッて答えしか返ってこねえだろ。それと一緒だよッ」

 唯虎はに落ちたらしい。

「天才か。人間の能力は遺伝で半分以上決まるっていうけど、人外も意外とそういうものなのかもね。人外の場合は、遺伝子じゃなくて──たぶん、あるじかな」

「……すごく色々なこと考えてるんだね。唯虎は」

 とびが言うと、唯虎は脚を組んでほおに手をあてがった。

「考えてる……か。だとしても、かいえいがくえんに入学してからだよ。それまでは余裕がなかったし。うちはがちゃがちゃしてたから。そういえば、学食にいた、あの子」

「え?」

 唯虎が何を言いだしたのか、飛はすぐにはわからなかった。あの子。学食。

「髪が、こう──」

 唯虎は頬に当てていた手を頭のほうに持っていって、指を動かしてみせた。

「ちょっと、ぼさぼさっとしてて。あと、首にヘッドホンをかけてたな。あの女子、おとぎりの知り合い?」

「……なんで?」

「いや、なんとなく」

「知り合い──っていうか……まあ……」

「飛ィ……」

 バクがあきれたようにファスナーを開けて、ため息までついた。たしかに、ごまかすつもりなら、他にいい言い方がありそうだ。でも、うそが下手な飛には思いつかない。

「べつに探ってるわけじゃないんだ」

 唯虎は首をひねった。

「いや……探ってるのかな? どうしても、気になってさ」

「気になるって……何が?」

「弟切と、バクのこと」

「純粋な興味だけなのかァ?」

 バクが唯虎に背を向けるように身をよじった。

「用心しろよ、飛。いいヤツっぽくても、ホントにいいヤツとは限らねえ。裏で誰かとつながってるかもしれねえわけだしな」

「……だとしても、堂々と言うなよ、そういうこと」

「しれっとしたツラで腹の探りあいなんかできねえだろ、飛、おまえはッ」

「何だと思ってるんだよ、僕のこと。……できないけど」

「そうだろうが。だったらいっそのこと、正面切っておまえはあやしいって言っちまえばいいんだ」

「俺は誰ともつながってない」

 ただとらは少しだけ顔をしかめ、耳の下あたりに手を添えて首を曲げた。

「──けど、それを証明するのは難しいかな。とりあえず、戦抜投票でおとぎりの名前を書くことだけは絶対にないよ。俺は次もたつがみの名を書くから、弟切は俺の名を書くといい。そうすれば、弟切は確実に戦抜を回避できる」

「あのなァ、唯虎……」

 バクが首を振るように体をくねらせた。

とびはそれで一回、ハメられたんだぜ? テメーが裏切って辰神のヤローじゃなく飛の名前を書いたら、オレとセラがやることになっちまうだろうが」

 唯虎は目をみはって、「ああ、そっか」と腕組みをした。

「そんなつもりはなかったんだけど。参ったな……」

 他人を信じるのは簡単じゃない。飛がバクを信じて、バクが飛を信じるようには、なかなかいかないのだ。何が本音で、何がうそなのか。だまそうとしていないか。傷つけたがっていないか。どうすれば見分けられるのか。

 飛はポケットからスマホを出した。

「次の投票、僕は唯虎の名前を書くよ」

「……飛」

 バクは何か言いかけて、やめた。

「ありがとう」

 唯虎は笑みを浮かべた。

「どっちにしても、俺は辰神と戦抜をして、勝つつもりだし。辰神がまた逃げなければ、だけど。あいつさえ倒せば、俺たちはもう戦抜なんかしなくていい」

 勝算があるのだろうか。唯虎とセラはロードの戦いぶりを見ているはずだ。自信がないわけじゃないだろう。でも、唯虎は闘志をみなぎらせているというより、涼しげなほど落ちつき払っている。とっくに腹をくくっているのか。勝てるかどうか、じゃない。戦って、勝つしかない。必ず勝つんだ、と。

 唯虎は裏切らない。これは飛の直観だ。外れるかもしれない。そのときはそのときだ。

 飛はスマホを持ち上げてみせた。

「電話、したいんだけど」

 唯虎はうなずいて立ち上がった。ほぼ同時にセラも起き上がっていた。唯虎はセラを連れて部屋の出口へと向かった。

「どこ行くの?」

 とびくと、ただとらは振り向いて答えた。

「散歩かな」

「……散歩って」

 飛はちょっとだけ笑ってしまった。唯虎とセラは部屋から出ていった。

「──で? 電話ってのは?」

 バクが飛を見上げている。バックパックの状態だと、どこに目がついているのかわからない。それなのに、バクの視線を感じる。

「あぁ、うん……」

 飛はスマホを両手で握った。

「ちょっと、りゆうこに」

「こないだ連絡したんだろ。電話で話したんだよな? もうかよ」

「また連絡するって、言ったし」

「ヘェー……

「何だよ」

「いいんじゃねえの? しろよ。電話。かけろ、かけろ。そうだな。俺もお龍の声が聞きてえしな。ほら、飛ッ。善は急げっつーだろ。かァーけェーろッ、つーの!」

「かけるよ!」

 飛は勢いで龍子に電話をかけた。しまった。まずSMSで状況を確かめようと思っていたのに。前回と違って昼間だが、だからといって電話で話せる状況とは限らない。取り込み中かもしれないのだ。

 耳に当てているスマホからは、呼び出し音が聞こえる。呼び出し音しか聞こえない。

「……お龍のヤツ、出ねえのか?」

 飛はバクの問いかけをスルーした。これが十回目の呼び出し音だ。

 もう十回だ。

 飛はスマホを耳から離して発信を停止した。

「忙しいみたい」

「……オォ。そうか。ウン。まァ、な……」

「何?」

「そのォ……何だ。だから、な? ただ単に、忙しくて電話に出られねえってだけのことだろ? そんなに落ちこむなって、な……?」

「落ちこんでないしっ」

 手の中でスマホが震えた。思わず飛は立ち上がった。

ぁっ──

 危うくスマホを落としてしまうところだった。ディスプレイを確認した。

りゆうこ……」

「何ィッ!? 出ろ、とびッ」

「出るよ、言われなくたって……」

 飛はせきばらいをしてから電話に出た。

「も……しもし」

『あっ、飛? ええと、わたしです、龍子です。もしもし?』

「うん。もしもし」

『もしもし……』

「も、もしもし……」

「何回、言ってんだよッ」

 バクにツッコまれた。

 飛は咳払いをした。二回目だ。この短時間で二回の咳払いは多い。

「えぇ……あぁ……何を……してるかと、思って……?」

 そこまで言ってから気づいた。計画らしきものが、飛には何もなかった。

『じつは、わたし、病院に来ていまして』

「病院」

『はい。それで、先ほどは出られず。申し訳ありませんでした』

「や、べつに、そんな」

『大至急、電話をしても問題ない場所に移動して、かけ直した次第です』

「……急がなくてもよかったのに」

『いいえ!』

 龍子が激しく頭を左右に振る姿が目に浮かぶようだ。

『急ぎたかったので。だから、急いだだけなので。あっ。病院──』

「そっか。病院に……どこの? え、具合でも悪いの……? でも、日曜って──」

『お……見舞いです』

「あぁ」

『あ……さみやくんの』

あさみやの……そっか。で……どう? 浅宮」

『そう……ですね。変わりは、ない……感じですが』

「うん……」

『……ですけど……食事は自分ですることもあったりするようです。いつもでは、ないみたいですが』

「……よくなってるってこと?」

『それは……どうでしょうか。ううん……わかりません。ごめんなさい……』

りゆうこが謝ること──」

「アーッ。アーッ。アァァーッ!

 バクが大声を出した。

「うっさいな……」

 とびはバクを踏みつけたくなったが、かろうじて自制した。

『うるさいとは?』

「あ、や、違うよ? 龍子じゃない。バクが叫んで」

『バク、そこにいるんですか?』

「いるよ」

「オォォーイ……! お龍! オレだァッ!」

 バクがあまりがなり立てるので、飛は床に座ってスマホを近づけてやった。

「聞こえるかァ。お龍! 元気かよ、オオォォーイ! ヤッホォーゥィッ!

「ヤッホーって……」

『……ぅや?』

 龍子が妙な声を発した。

「飛ッ。スピーカーにしろ。スピーカーに。ヤシキに教えてもらったろ」

 バクに言われて、飛はスピーカーモードにした。

「龍子? どうかした?」

『バクがいるんですよね?』

「いるぞォーッ。オレはここだッ。お龍ッ。お龍の声は聞こえてっぞッ」

『……ううん。もしかして、今、バクがしゃべっていますか?』

「しゃべってるね。ていうか、叫んでる……」

『変ですね。何も聞こえなくて』

「なッ、なななッ、何だとォォッ。オレの声が聞こねえだとォーッ!?

「もしかして──」

 飛は手に持って自分とバクの中間あたりの位置に固定しているスマホを見つめた。

「機械だから……とか? ええと、電話だと、機械を通して……電波? か何かになるわけだから。声が。でも、バクは人外だし──」

「オレの声は電波に乗らねえってのかよッ。人外差別もはなはだしいぜッ!」

「……差別とかじゃないだろ。人外視者じゃないと、バクの声は聞こえないんだから。機械は人外視者じゃないし。機械が人外視者かどうかっていうのも変な話だけど」

「根性なしだな、スマホめッ。ハイテクマシンなくせによッ。気合いが足りてねえ!」

「気合いじゃどうにもならないだろ……」

『バクの声は聞こえないですけど』

 りゆうこがくすくす笑った。

『二人がどんなやりとりをしているのか、とびの反応でだいたいわかるから、まるですっかり聞きとれているかのようです』

「オレは話してる気がちっともしねえけどな……?」

『今、バクが何か言った?』

「まァーな。アァ? なんでわかったんだ? 聞こえねえんだろ?」

『聞こえないけど、感じたの。ふわっと、ですけど』

「……フゥム。声は届かなくても、思いは通じたりするのか?」

「声は届かなくても、思いは通じてうれしいって、バクが」

『わたしも嬉しいです!』

「……オ、オレァ、嬉しいとは言ってねえけどな? 一言も……」

「今、バクが照れてる」

「照れてねえわッ。だ、誰がッ……アホォッ! オレはッ! 照れてねえ……ッ!