「──ていう感じで……」

 とびは個室にこもってスマホを耳に当てていた。

『うーん……』

 スマホの向こうであさが深々とため息をついた。

『なんか、とりあえず、お疲れさま、としか言いようがないけど。うん。お疲れ』

 あのあと、ただとらは一度、東棟最上階の特別室とやらに行った。待ってて、と言われたので東棟の外にいたら、ダッフルバッグを持った唯虎がセラを連れてすぐに現れた。

 彼らと一緒に寮の部屋に戻るまで、色々なことを忘れていたわけじゃない。

 たとえば、自分がただの中学生じゃないこととか。ただの中学生だったら、かいえいがくえんに編入したりしなかった。何を隠そう、飛は現役の中学生にして、内閣情報調査室特定事案対策室、略して特案という、人には知られていないが公的な機関に所属している。特案の実行部隊、クチナシの一員なのだ。本名とは別にヒタキというコードネームまである。

 ヒタキこと飛は、極秘、というとおおかもしれないが、口外するわけにはいかない任務を帯びている。

 特案は、人外を持っていて、かつ人外が見える人外視者たちを、見守り、と称して監視下に置いていた。監視といっても、必ずしも四六時中見張っているわけじゃないし、基本的には対象者の行動を制限することもない。何かおかしなことをしでかさないか。妙なことに巻きこまれないか。まさしく、見守っている。

 そうした見守りの対象者、それも複数名が、遠方からわざわざかいえいがくえんに入学し、消息がはっきりしない。そんな事件未満の出来事が起きていた。その調査のために、クチナシが魁英学園に送りこんだ人員こそ、ヒタキことおとぎりとび、そして、パイカことあさなのだ。まあ、人員は他にもいるのだが、ひとまずそれはいい。

 消息が明確につかめなかった見守りの対象者たちは全員、選抜クラスにいた。これは、バクを連れている飛が選抜クラスの適格者と見なされ、スカウトされた結果、判明した事実だ。ある意味、運がよかった。

 魁英学園では、人外視者を選抜クラスに集めて何かしている。

 その何かが見えてきた。しつくらいは掴んだ、と言ってもいいだろう。

 戦抜だ。

 どういうわけか、選抜生の人外と人外を戦わせて、食わせる、という──あれを、ゲーム、と呼んでいいのか。ともあれ、選抜クラスではそんなことが行われていた。選抜クラスとは、抜クラスだったのだ。

 事が事だけに、クチナシの指揮官、ハイエナという無精ひげの中年男に報告するのが筋なのだろう。でも正直、おつくうだった。あれもこれも、一刻も早く報告したほうがいい。わかってはいても、だるいものはだるい。飛は疲れていたのだ。ただとらとセラもいるし。彼らの前で、中年男に秘密の連絡をするわけにもいかない。

 しょうがないから、スマホ一つ持ってトイレに入り、便座に座って萌日花にテキストメッセージを送った。萌日花は秒で音声通話を求めてきた。壁の向こうに唯虎とセラがいるのだが、大丈夫なのか。バクがうまい具合に唯虎と無駄話に花を咲かせているみたいだから、小声で話せば平気か。

 ぐずぐずしているのも面倒くさくなって、飛は結局、口頭で萌日花に色々と報告した。色々しゃべったし、何をどう話したか、よく覚えていない。余計なことは言わなかったと思うけれど、おそらく何か言い忘れている。

「……とにかく、そういうことなんで。これから、僕……どうしよう?」

くんって人が部屋にいるんでしょ?』

「いる。バクと話してる。なんか盛り上がってる。笑ってる……」

『下手に動かないほうがいいかな。隊長と相談して、何かあれば指示するから』

「月曜には、特別室……? だったかな。そこに移ることになりそう。今より連絡とりづらくなるかも。わからないけど」

『そうだね。けど、他の選抜生はみんな、特別室なんでしょ?』

「みたい」

人外喪失者も』

 戦抜に負けて人外を失った者を、はそう呼ぶことにしたらしい。

「たぶん」

『様子をうかがう機会が増えそうじゃない? 私も興味があるけど、もっと大きい話につながるかもしれないし。虚心症を治癒できるんだとしたら、大発見』

「うん……」

 とびは何か引っかかるものを感じていた。何が引っかかっているのだろう。疲れて頭が重たいせいなのか、わからない──と眉間のあたりを拳で押したそばから、気がついた。

 萌日花だ。

 人外がいないのに、萌日花は人外が見える。人外視者だ。

 選抜クラスの人外喪失者と何が違うのだろう。同じなんじゃないのか。

「あぁ……」

 飛はこうとしたが、あの、と切りだしかけて、その、あ、までしか言えなかった。どうせ、こみいった事情があるに決まっている。知りたくないわけじゃないけれど、今は聞きたくない。それに、もし萌日花が話したくないことだったら、訊くのも悪い。

「うん、わかった。じゃ」

『飛とバクが無事でよかった』

 一息で言いきって、萌日花は通話を終了させた。

「……何だよ」

 飛は便座から腰を上げて一応、水を流した。トイレを出ると、ただとらはセラを背もたれにしてベッドに腰かけていた。

「あ、おとぎり。晩飯、どうする?」

「出したぶん入れねえとな!」

 バクが飛のベッドの上で、ゲヘヘッ、と笑った。飛がトイレで何をしていたのか、たぶんバクはわかっているはずだが、そうとは思えないぐさだ。

「飯か……」

 飛は腹をさすってみた。ぐう、と腹の虫が鳴いたので、我ながら少しびっくりした。

「そうだね。そろそろ、夕ご飯の時間か。何か食べようかな」

「学食、行かない?」

 唯虎が立ち上がった。

「東棟じゃなくて、西棟の第一学生食堂。俺、外で食べることもめったにないし、第一のほうは一回も行ったことないんだ」

「いいけど」

 とびはわざとバクを持たずに部屋を出ようとした。当然、バクは怒って跳ね回った。

「オイッ! オレをひとりにするつもりかッ!? 連れてけッ!」

「ごめん。忘れてた」

「相棒のオレを、忘れてた……だとォッ!? それ本気で言ってんのか、飛、おまえッ!?

「本気なわけないだろ」

うそかァーいッ! 嘘なんかァーいッ……!

 飛が暴れるバクを担ぎ上げると、ただとらがセラの頭をでながら目を細めた。

「なんか、いいな」

「……いいって、何が?」

「俺とセラは心が通じあってるけど、話すことはできないからさ」

「たまにうるさいけどね」

「ンだとォ!? オレのどこがうるせえんだッ。言ってみやがれ、飛ッ」

「今とか……」

「オレはうるさくねえ。断じてッ。にぎやかで面白おかしいだけだ!」

「たしかに」

 唯虎は声を上げて笑いだした。

「こんな人外がいるなんて。おとぎりはわりと物静かな感じなのに、バクは真逆だし」

「飛の足りねえ部分を、このオレが補ってやってんだよ。何せ相棒だからな。本当はオレも、ぺちゃくちゃしゃべったりしねえクールガイなんだぜ」

「悪いけど、それは信じられないな」

「何ィッ! 唯虎ッ! おまえのそういうとこ、オレは嫌いじゃねえぞ」

「ありがとう。オレも面白いバクが好きだよ」

 バクと唯虎がすごく仲良くなっている。このままだと、飛まで唯虎と親しくなってしまいかねない。そうなったら、任務に支障を来したりしないだろうか。どうなのだろう。

 寮を出て西棟の第一学生食堂に行くと、が夕食をとっていた。一人じゃない。三人か四人の女子生徒とテーブルを囲んでいる。

「もッ──」

 バクが萌日花の名を口にしようとしたので、飛はストラップをぎゅっと引っぱって止めた。唯虎はべつに不審がっていないようだ。萌日花も飛のほうを一度ちらっと見たきり、こちらに目を向けない。

 萌日花は飛とバクは無視するつもりだったに違いないが、セラを連れた唯虎が視界に入ってさすがに驚いたようだ。食券販売機の前にできている列に並んだ唯虎とセラを、萌日花は何回かチラ見した。

 とびにしてみれば、そんなに見ないほうが、と思わなくもなかったけれど、選抜生の制服を着ている生徒はめずらしいから、そこそこ注目を浴びている。たくさんの視線の中にの分が混じっているだけだ。

 ただとらは、梅おろしハンバーグ、じっくり煮込んだ肉豆腐、ぱりぱり春巻き、アジのさわやかマリネ、特製まぜご飯の大に、名物豚汁を選んだ。飛はチキン竜田丼にした。

 支払いは唯虎が選抜生の学生証ですませてくれた。選抜生の特典で、学食での食事は無料なのだ。

 あいているテーブルが、たまたま萌日花たちのテーブルと近かった。萌日花も気になるだろうが、飛も同じだ。そうはいっても、空席を前にして他の席を探すのは不自然だろう。飛はそしらぬふりを装って座ることにした。

「……つーか、ずいぶん頼みやがったなァ、唯虎」

 バクがあきれている。食券機で次々とボタンを押してゆく唯虎を見て、飛も内心、引いていた。こうやってテーブルに料理が並ぶと、壮観だ。

「つい、ね。たくさん食べたくなっちゃって」

 唯虎は首を傾けて頭をいた。少し恥ずかしそうだ。

「貧乏性っていうのかな。あんまりよくないと思ってるんだけど。俺、弟と妹が二人ずついるって話したよね」

「あぁ。聞いた」

「五人兄弟で、両親と、じいちゃん、ばあちゃんがいて、おばさんと、その子供もいてさ。三人なんだけど。ちょっとした大家族なんだよね」

 飛は思わず数えてしまった。祖父母に、両親、叔母と、子供がぜんぶで八人。合わせて十三人か。ちょっとした、どころか、そうとうな大家族だ。

「……それは──にぎやかそう」

「たまに逃げだしたくなるくらいにはね」

 唯虎は、いだたきます、と目をつぶって合掌してから、箸を手にした。

「どうしても、唐揚げを大量に揚げて、ご飯としる、とか、夏ならそうめんを大量にでて、とか、膨大な量のナポリタン、とか──極端な例だけど、そんなふうになりがちなんだよね。うちのご飯。色んなものが入ってる弁当とか、すごい豪華に見えて。何品も選べるなんて、それだけでテンション上がる。いまだに、だよ?」

 しゃべりながら、唯虎はどんどん料理を平らげてゆく。話しながら食べているのに、くちゃくちゃ音を立てるでもない。んでのみこむまでが、とてつもなく速い。

 飛も負けじとチキン竜田丼を食べはじめた。べつに負けてもいいのだが、早食いには地味に自信がある。でも、唯虎は速度だけじゃなく、食べ方もやけにきれいだ。あそこまで丁寧に、何一つ残さず食べようとしたら、飛だともっと時間がかかるだろう。

「ひとに言うようなことでもないけど、うち、火の車だったから。俺が選抜生で学費とかぜんぶ免除になって、本当に助かったよ。下の弟と妹はまだ小さいし、後援金で大学とか行かせてやれたらいいな。ずっと一緒だと疲れるけど、やっぱりかわいいんだよな、あいつら。ミルクあげて、おむつ換えて、風呂に入れて、寝かしつけて、遊んで。俺に懐いてるしさ。最近だよ。夜、俺が電話しなくても、眠れるようになったの。兄離れしろよって言ったら、しないって即答だもん。ああ、うまかった。ごちそうさま」

 食べ終わったのは、ほとんど同時だった。とびのほうがほんの少し早かっただろうか。

 とはいえ、ただとらはかなりしゃべりまくっていて、飛は聞き役に徹していた。品数も量も違う。互角とは言えないだろう。

「ていうか……」

 唯虎が目を丸くした。

おとぎり、早っ。俺より食べるの早い人と初めて会ったかも」

「こっちの台詞せりふだからな、それ……?」

 バクが飛の気持ちを代弁してくれた。

 勝ち負けにこだわりはない。それでも飛は少々悔しかった。

「唯虎、何か飲む?」

「飲み物? あ、買ってこようか?」

「いや」

 飛は席を立とうとした唯虎を制した。

「何がいい?」

「俺? 飲むなら、オレンジジュースかな。子供の頃からオレンジが一番なんだよね」

「わかった」

 飛はテーブルを離れ、自動販売機で果汁百パーセントのオレンジジュースを二本、買ってきた。

「はい」

「いいの? ありがとう」

 唯虎は微笑ほほえんで缶のプルトップを開け、一気に飲み干した。

「はぁ、うめぇ……」

 顔をくしゃくしゃにして、本当にうまそうな表情だ。

 飛も同じオレンジジュースを飲んでみたが、甘酸っぱくて美味ではあるものの、唯虎ほど純粋にうまいと感じてはいない気がする。

 唯虎はあっという間にバクと仲よくなってしまった。飛との距離も、すでに縮まりつつある。

 もしかして、ものすごくいいやつなんじゃないか。飛はそう思いはじめている。

「ここでするような話でもないけど──」

 ただとらは空っぽになった缶をもてあそびながら言った。

「今日、おとぎりがやった、あれ

 戦抜のことだろう。とびがうなずくと、唯虎は続けた。

「最初は、やらなくていいよねって話になったんだ。みんなで示しあわせれば、回避できるし、そういうルールなんだから。卒業まで回避しつづければ、全員が同じだけ後援金をもらえる。フェアだし、増えなくてもそれなりの額なんだ。四百万って──」

 唯虎は具体的な金額を口にしたときだけ、さっと周りに目を配った。

「ここだけの話、俺の父さんの年収より多いよ。俺はそれで全然よかった。俺だけじゃない。多数決はとらなかったけど。はっきり反対するやつが何人かいたら、クラスが割れるだろ。それは避けたかったし。でも、完全にその線で行こうって流れになってた」

「反対者が、いた?」

 飛は唯虎の答えを聞く前に、それが誰か、おおよそ見当がついていた。案の定だった。

たつがみが、あからさまにどうを馬鹿にしたり、変ないたずらをしたりするようになったんだ」

「津堂──」

 人外喪失者の一人だ。津堂がいは、特案の見守り対象者の一人でもある。もう一人の見守り対象者はしゆほまりで、彼女にはデッドオーがいる。

「辰神はあれで、小学生みたいなくだらないことをする」

 唯虎のそうぼうがやけに黒く見える。辰神の話をするときの唯虎は、別人のようだ。

「持ち物を隠したりとか、おかしな呼び方をしたりとか。けど、あんなこと実際やられると、頭にくるよ。何を言っても、やめないし。津堂はだいぶ我慢してたけど、とうとうかんにん袋の緒が切れた。やめとけって、俺は説得したけど。津堂は聞いてくれなかった」

「……投票で、辰神の名前を?」

「しかも、津堂は辰神の名を書いたけど、辰神は違った。あいつは俺の名前を書いた」

「どういうこった?」

 バクが尋ねると、唯虎は肩を上下させて大きく呼吸をした。思いだすと腹が立ってしょうがない、とでも言わんばかりだった。

「辰神は津堂をからかったんだ。どうせ自分の名を書く度胸はないだろうから、他のやつの名を書いたんだとか言って。津堂はキレて、辰神を殴った。辰神はどうしたと思う?」

「殴り返した……とか」

 飛は他に思いつかなかった。唯虎は首を横に振って、高い声を出した。

「『先生ぇ、津堂くんがたたくぅ』……そう言って、泣くまでしてみせた。次の週の投票ではお互いに名前を書いて、みんな津堂を応援したけど、勝ったのは辰神だった」

 胸が悪くなる。

 小学生みたいな、とただとらは表現した。たしかに幼稚だ。見え透いた挑発だが、受け流せるだろうか。とびどうでも、逆上してしまうかもしれない。もちろん、たつがみはそれを見越している。受けて立たなければ、それをネタにして、さらにこき下ろすに違いない。

「辰神のせいなんだ」

 唯虎がいきなり缶を握り潰した。やわらかいアルミ缶じゃない。スチール缶だ。けっこう握力が強くないと、あそこまで簡単に潰すことはできないだろう。

「あいつが始めなければ、こんなことにはならなかった──」


+++ + ++++


 向かいのベッドでは、唯虎がいびきをかくでもなく、規則正しい寝息を立てている。唯虎のあしもとで体を丸めているセラはどうだろう。暗がりの中で、セラの瞳は猫や犬と同じように光る。今はたぶん、セラは目をつぶっている。光る目は確認できない。

 飛は枕元に置いてあったスマホを持って、そっと身を起こした。唯虎の様子に変わりはない。寝息が聞こえる。熟睡しているようだ。

 セラが首をもたげて目を光らせたので、飛は息を詰めた。でも、セラはすぐにまた目をつぶって頭を下げた。

 飛はそろりとベッドから下りた。床に転がっていたバクがぴくっとした。

「……ん?」

「しぃーっ」

 飛が人差し指を立てて唇に当ててみせると、バクは小首をかしげるように身をよじった。

「どっか行くのか?」

 バクは一応、小声でいてきた。唯虎は見たところ大丈夫そうだ。よく眠っている。と思う。おそらく。セラは気づいていて、知らんぷりをしてくれている。

 飛は無言でスマホをバクに見せた。

「……あぁ。そうか」

 バクは仕事の連絡か何かだと解釈したようだ。

「だったらオレも連れてけよ」

 飛は聞こえないふりをして、忍び足で部屋の出口に向かった。

「オイ、飛、コラ、おまえッ。オレを連れてけっつーの。騒ぐぞ。唯虎を起こしてもいいのかよッ。オイッて──」

 文句を並べながらも、バクは声をひそめている。飛はかまわず部屋を出た。

 もう午後十一時近くで、寮の玄関は施錠されているし、監視カメラもある。管理人の寮長は常駐しているようだから、あまりおかしなことはしないほうがいいだろう。

 とびは共用トイレの小窓を解錠し、そこから外に出た。何階だろうと、飛なら外壁伝いに下りられる。

 かいえいがくえんは屋外もカメラだらけだ。映らないようにカメラを避けるにはコツがいる。第一に、舗装された道を通らない。道以外でも、カメラの死角を移動するように心がける。樹木や生け垣、柵といった遮蔽物を利用するのも有効だ。

 カワウソことはいざきいつという男がいる。飛が通っていた中学校で用務員として働いていたのだが、じつは彼はかつて特案に在籍していた。よきよくせつあって、復帰した、ということになるのだろう。用務員を辞め、魁英学園で守衛の職を得て、飛とをひそかにサポートしている。

 その灰崎がカメラに映らない場所を見つけた。弓道場の裏手にある、小さな丘の上だ。

 飛は丘の上でポケットからスマホを出した。

「もう十一時か……」

 本当はもっと早く部屋を抜けだしたかった。けれども、あせって行動を起こしたら、ただとらが目を覚ますかもしれない。そもそも、唯虎がすっかり眠っているのか、なかなか確信が持てなかったのだ。

 迷いもあった。何も唯虎の目を盗むことはないんじゃないか。正直に話せば、唯虎なら理解してくれそうな気もする。

 ただ、正直に話すといっても、何をどこまで話せばいいのか。ある程度までは隠すべきか。ある程度とはどの程度なのか。隠すとなると、うそをつくことになるのか。飛は嘘をつくのが苦手だ。どうせバレる下手な嘘なら、つかないほうがいいんじゃないか。

 だいたい、連絡するべきなのか。

 話したいことはある。伝えたいことが。用事はある。何の用もないのに連絡するよりは、ハードルが低い。

 でも、夜だ。けっこう遅い時間だ。迷っているうちに時間がって、どんどん遅くなる。夜に連絡するというのは、どうなのだろう。午後七時とか八時ならともかく、九時どころか十時を回って、もう十一時になってしまった。

 これは非常識な行為なんじゃないか。

 気がつくと、飛は寝間着代わりに着ているジャージの袖をかじっていた。袖をむのはやめよう。おいしくないし。味の問題でもない。袖は噛むものじゃない。

 非常識だとしたら、まずい。常識がない人だとは思われたくない、というよりも、迷惑をかけたくない。

「……普通、連絡って、くらいにするものなんだろ?」

 飛はがくぜんとした。

「わかんない……まったく……」

 きっと友だち同士なら、連絡くらいとりあったりするものだ。たぶん、日常的に。スマホは便利だ。互いにスマホを持っていて、電波が通じさえすれば、どこでも、いつでも、テキストを送り合える。話すことだってできる。特案にしきという人がいて、あれこれととびの世話を焼いてくれる──というか、飛の未成年後見人にまでなってもらったのだが、彼女が教えてくれた。スマホを使うと、ビデオ通話といって、顔を見て話すこともできる。聞くところよると、友だちとビデオ通話する人もめずらしくないらしい。ヤシキも、たまに親や祖父母とビデオ通話をすると言っていた。

「で、常識的には、くらい……?」

 わからない。飛には見当もつかない。

「そっか、調べれば……?」

 今、手に持っているスマホで検索すればいい。検索窓に文章で質問を入力すると、その回答に該当する情報が即座にネットから収集され、表示されるのだ。これもまたヤシキに教えてもらった。

「……ていうか本当に、便利すぎない? スマホって。こんなのみんな、普通に持ってるとか。考えてみたら不思議だし。なんか、おかしい……ような? 微妙に……そのうち世界、滅んじゃいそう……」

 飛は検索窓に質問を入力しようとしていたのだが、途中で怖くなってきた。

 質問した途端、回答が出る。それは誰の回答なのか。その誰かがうそつきだったら? しかも、飛と違って、ものすごく上手に嘘をつく人かもしれない。あるいは、とても頭がいい、物知りな人かもしれない。どう見分ければいいのか。飛に判別できるのか。

 素早く回答が出る、というのも、何やらあやしい。それが技術なのか。ハイテクだ。でも、仕組みがわからないだけに、だまされているんじゃないか、という思いが拭えない。

 もっと単純な恐れもある。午後十一時は非常識だ、という答えが出てしまったら、どうしたらいいのか。そのときはもちろん、連絡はしない。するべきじゃない。

「……やぁ、でもな……」

 またジャージの袖をかじりそうになっていた。

 飛は頭を振った。その結果、脳に何らかの刺激が送られて、ひらめいたのか。

「SMSなら、大丈夫でしょ? 大丈夫……じゃない? もう寝てるかもだけど、あとで読んでくれたらいいし。そうだよ。いきなり電話しなきゃいけないってこともないし。何、迷ってたんだろ。そんな、迷うようなことでもないし。友だちに、連絡するだけだし……部屋でもできたし。わざわざ外に出なくても、よかったし……」

 飛はせきばらいをした。カメラの死角で、周りに誰もいないとはいえ、ぶつぶつつぶやくのはもうやめよう。どうも平静を失っていたらしい。落ちつこう。

 今度、話したいことがあります。飛です。今度、話せますか。

 入力してみたはいいものの、おかしな文章になってしまった。直したほうがいいだろうか。迷っているうちに、また感情が乱れそうな予感があった。

 思いきって送信すると、間もなくスマホが震えだした。

「うゎっ……

 とびのスマホはマナーモードに設定してある。着信だ。この振動はその通知だ。

 電話だ。相手の名がスマホのディスプレイに表示されている。

「──りゅ、りゆうこ……」

 飛はほとんど反射的に、応答、をタップしてスマホを耳に当てた。

「……も、もしもし……?」

『飛っ』

 大声じゃない。やや籠もっている。でも、間違いない。

「龍子」

『はいっ……』

「えー……と……その……こんばんは?」

『こ、こんばんは、です。……夜ですものね?』

「あ……うっ……よ、夜だね。……夜、なんだよね」

『夜です』

「や、だから、何だろ、いいのかなって……」

『夜……なのに? といったことでしょうか?』

「うん。そう。遅いと……うーん……寝てるかも?」

『起きていました。よかったです。起きていて』

「そっか。……そうだね。よかった。起こしちゃったりするのは、あんまり……」

『平気ですけど。飛からの連絡だったら、わたし、平気です』

「……そう? まあ……え? 全然、寝てなかった?」

『ベッドの中にはいます。あっ。正確には、お布団の中ですね。ベッドの上で、お布団にくるまっています』

「それで? 声が、なんか──」

『聞きとりづらいですか?』

「や、大丈夫、ちゃんと聞こえる」

『飛は……今、どこに?』

「外、なんだけど……どう説明したらいいかな。部屋じゃなくて。部屋には……人がいて。僕じゃない。あたりまえか。同室の……?」

『ルームメイト? でしょうか?』

「あぁ……そんな感じ? かな。今日からなんだけど。その前は、一人だったんだけど」

『……何やら複雑な事情が?』

「なくも、ない……かな。複雑……うん。ごちゃごちゃしてて、一口ではちょっと」

『そうですよね。お仕事だもの。バクは元気ですか?』

「元気。だよ。元気……」

 片言のような言い方になってしまった。

 タウロと激闘を繰り広げたわりに、バクはけろりとしている。戦って、勝っただけじゃない。バクはタウロを食べた。そのせいなのか。バクはわりと元気だ。とはいえ、そのあたりの経緯を話すわけにはいかない。りゆうこの言うとおり、仕事が絡んでいる。

『一緒じゃないの?』

「……部屋。にいる。置いてきた」

 また片言気味になってしまった。

『そうなんですね。じゃ、バクにはあとで、よろしくお伝えください』

「……うん。伝えとく」

 なんだか会話が終わりそうな流れだ。龍子が何も言わない。このは、気まずい。

「あ、龍子」

『あ、はい』

「えぇ……あぁ……そうだ、あさみやの病院とか、行ってたりする?」

『えっ、浅宮くん……?』

 龍子は意表をかれたようだ。

『病院には……はい、何度か。お見舞いに行かせてもらって』

「僕は……行けてないんだけど。浅宮……どう?」

『……悪くはなっていないと思います。とくに変わりない、というか』

「そっか……だよね。でも……もしかしたら、だけど……」

『もしかしたら?』

「可能性でしかないんだけど。治せる……かも。虚心症」

『……本当ですか?』

「かも、だよ。あくまでも。かも、でしかないんだけど……」

『わたし、試してみたんです』

 龍子の声音が急に変わった。変わった、とは感じたけれど、具体的にどんなふうに変わったのか。とびにはよくわからなかった。

『チヌに頼んで。チヌの力で、わたしの声を浅宮くんに届けてもらえないかと』

「声を。……龍子の」

『できるような気がしたんです。だけど、うまくいかなくて……全然、だめで……』

「……そうだったんだ。そんなことを」

『治る……かもしれない?』

「何がどうしてとか、そういう話はできないんだけど」

『ですが、あさみやくんを、治してあげられる……かもしれないんですね?』

 とびはだんだん胸が苦しくなってきた。りゆうこにこの件を話そうとは思っていた。龍子には伝えておくべきだ。本当に話してよかったのか。

「……すごく期待されちゃうと、あれだけど。可能性は、ゼロじゃないっていう……」

『もちろんです。でも、希望がないわけじゃない……そうですよね?』

「だと、いいなって」

『そうだと、いいです』

「うん」

 龍子はおそらく理解してくれている。望みがなさそうだったのに、ひょっとしたら、そうじゃないかもしれない。飛が言っているのは、そういうことだ。進める道が見つかったわけじゃない。どうも道がありそうだ。ただそれだけのことでしかない。

 飛は伝えるべきことを伝え終えた。用件がすんでしまった。

「……あぁ、そ──なんっ……」

 言葉が出てこない。

『っ……』

 龍子は笑いかけたのかもしれない。

 二人して、たっぷり五秒間は黙りこくっていた。ひょっとしたら、十秒を超えている。

「……また」

『はい』

「また、連絡するよ」

『遅い……ですものね。もう』

「うん。だから……また」

『はい』

「切っ──……

 なぜ、切るね、というだけのことが、ちゃんと言えないのか。喉が詰まっている。何が詰まっているのだろう。

『……切りづらい、ですよね。どうしてなんでしょう……?』

「どうしてだろう……」

『わたしから、切ったほうが……?』

「え、なんで?」

『連絡してくれたのは、飛ですし。代わりばんこというか。だとしたら、切るのは、わたし、ということに……ならない?』

「なる……の、かな」

『なる、ような……気もするので、ここはわたしが、切っ──……

 とびは息をのんだ。言うのか。切る、と。りゆうこがそのつもりなら、飛は待つことにした。

 予想以上に待った。

『ふぃっ……

 龍子が変な声を発した。どうやら、言おうとして、言えずにいる間、呼吸をしていなかったようだ。龍子にしては荒々しい息遣いが聞こえる。

「大丈夫……?」

『……だ、だ、だいじょう……ふぅーっ……くしゅんっ』

「くしゃみ……」

『だ、だいじょうべす』

「べすって……」

『いにゃぁ』

 これは絶対、大丈夫じゃない。飛は意を決した。

「切るよ、僕が」

『飛がっ……ですか……?』

「うん。また連絡するから。切るね」

『は、はい、きゅ、急ですね……』

「……おやすみ、龍子」

『お、おやすみなさいです、飛』

 飛はさらに、おやすみ、と言いそうになって、ぐっとのみこんだ。きりがない。ループしそうだ。最後だ。次が最後にしよう。そして、切る。飛はもう決めたのだ。

「おやすみ。じゃ」

 飛は最大限の速さでスマホを耳から離し、通話を終了させた。やった。やりきった。

 直後、後悔が襲ってきた。じゃ、という一言でしめくくったのは、どうだったのだろう。少し冷たい印象を龍子に与えたんじゃないか。そういう意図はまったくなかった、ということを、龍子に伝えたほうがいいだろうか。

 電話はさすがにやりすぎだ。今、切ったばかりなのだ。テキストメッセージならさっと読める。でも、飛が何か送ったら、龍子は返信しようとするかもしれない。龍子はベッドの上で布団にくるまっている、と言っていた。もともと寝る準備をしていたのだ。半分寝ていたかもしれない。メッセージのやりとりで時間をとらせるのはどうなのか。

「……やめとこ」

 飛はスマホをポケットにしまった。寮に戻ろう。そう思っているのに、丘の上から動けなかった。