机の上にバクが寝そべっている。とびがそこにバックパックのバクを置いたのだ。

 飛は満腹でもなければ、えてもいなかった。バクも同じだろう。バクが餓えていたら、飛も平気ではいられないはずだ。

 バクは机の上で静かにしている。微動だにしない。

 本当に食事をしたあとなのだろうか。なんだか信じられない。

 バクは体育館でしろごうけんの人外を平らげた。その場面を飛は目撃した。ただ見ただけじゃない。感じた。まるで自分が食べているみたいだった。ある意味、そうなのかもしれない。バクが食べたということは、飛も食べたのだ。

 A教室には十三の机と椅子が置かれている。横に四列、縦に三列、その後ろにもう一つだ。飛はその一番後ろの席に座っている。壁一面の窓みたいな大型ディスプレイには何も映っていない。A教室にいるのは飛とバクだけだ。

 戦抜のあと気分が悪くなって、体育館を出た。その際、飛はバックパックに戻ったバクを担いだのだったか。それとも、バクは飛についてきたのか。曖昧だ。覚えていない。とにかく、廊下を歩いた。ここにいるということは、A教室に入ったのだろう。

 でも、おかしい。飛はカード型の学生証をまだ持っていない。あのカードがなければ、トイレにさえ入れないはずだ。そうか。

 そうだった。ほまりんだ。A教室のドアの前にたたずんでいたら、しゆほまりがやってきて、彼女のカードで開けてくれた。そのほまりんはどこにいるのか。どうやらA教室の中にはいない。出ていったのか。

 だめだ。ひどくぼんやりしている。

「……げぷっ」

 バクがファスナーを少し開けて、げっぷをした。

 飛はかっとなって、思わず拳を振り上げた。バクめがけて振り下ろしはしなかった。こらえて引っこめた。

「……しょうがねえだろ。食うもの食ったら、そりゃあよォ……」

 バクが言い訳をしたものだから、飛はまた手が出そうになった。

「僕は全然、食べた気しないんだけど」

「食ったのはオレだぜ」

「そうだけど……」

「まァ、おまえの言いたいことはわからなくもねえよ。オレも、なんかな……」

 気分は一向によくならない。悪いままだ。

 ドアが開いて、誰か入ってきた。ほまりんと、彼女の人外、ナマケモノみたいな顔をしている鶏のようなデッドオーだった。ほまりんとデッドオーだけじゃない。もう一人、あの選抜生の名前は何だったか。くっきりした目鼻立ちで、しゅっとしている。彼も人外を連れていた。ひように似ていて、けっこう大型だが、ともすると見逃してしまいかねない。不思議なくらい存在感が薄い人外だ。

「あぁ、おとぎり、あのね」

 ほまりんは手に何か持っている。ペットボトルの飲料だ。ほまりんはとびの席に歩み寄ると、それを差しだしてきた。

「これ。よかったら、飲んで」

 見ると、麦茶だ。ラベルの記載によれば、ミネラルがたっぷり入っているらしい。

「こっちのほうがいい?」

 しゅっとした選抜生もペットボトルを持っている。コーラだ。飛は首を横に振った。

「……いや。麦茶のほうが」

「ほいっ」

 ほまりんが飛の鼻先に麦茶のペットボトルを突きつけてきた。気を遣ってくれているのだろう。飛は受けとることにした。

「ありがとう」

 ほまりんは「んっ」とうなずいてから天井を仰いで、「むー……」とうなった。

「なんか違う気がする。おめでとう? 弟切、勝ったし、おめでとう、だよね……」

「すごかったよ」

 しゅっとした選抜生はコーラの蓋を開けて、飛のほうにペットボトルを向けた。

「おめでとう。後援金、四倍だね」

「……ケッ。十年で一億六千万、か」

 つぶやいたのはバクだった。

「地味にでけえな? でけえよな。家くらい建てれんじゃねえの?」

「余裕で建てられるよ」

 しゅっとした選抜生は微笑してコーラを一口飲んだ。飛もほまりんにもらった麦茶の蓋を開けてはみたものの、今はまだどんな飲み物も食べ物も喉を通りそうにない。蓋を閉めて、ほまりんに小声でいた。

「……あの。彼の、その──」

「カレ? えっ。違うよ? ほまり、ただとらと付き合ってないしっ」

「や、そうじゃなくて」

「わわっ。勘違い? 恥ずっ」

 ほまりんは赤くなった顔を手でごしごしこすった。

「そっか。まだ話したことないもんね」

 しゅっとした選抜生は、まだ微笑ほほえんでいる。というか、基本的に笑顔なのか。またその笑顔が彼にはよく似合っている。

「俺はただとら。わりと、唯虎って呼ばれてるかな。あいつは──」

 唯虎は教室の隅でお座りをしているひようのような人外を視線で示した。

「セラ。おとなしいやつだけど、よかったら仲よくしてやって。バク、だったよね?」

「おう」

 バクはファスナーの口を開けて、ペロッと舌を出してみせた。

「……ヘェ。ホントにおとなしいのかァ?」

「どう思う?」

 唯虎はくすくす笑った。

「でも、バクの勇敢さには驚かされたよ。勝って欲しいって、俺は内心、応援してたんだけど、途中、ひやひやしたし。ただ、終わってみれば、大逆転っていうより、順当な勝利だったのかな」

「まァーな! ウッシーのやり口はひきようだったけどよ。タウロは真っ向勝負を挑んできたしな。結局、オレの実力が上だったっつーことだ」

「そう思うよ。つい考えちゃった。俺のセラとバクが戦ったら、どうなるだろうって」

「そんなのオレが勝つに決まってる。せいぜい投票用紙にとびの名前を書かねえことだな」

「書かないって。書く理由がないもん」

 そんなふうにバクと楽しげに会話しているただとらは、戦抜投票で誰の名前を書いていたのだったか。印象に残っていたから、飛は思いだすことができた。

 たつがみれいだ。飛の記憶が正しければ、唯虎は辰神の名を書いていた。

 また教室のドアが開いた。入ってきたのはその辰神だった。むろん、ロードを従えている。あるじも人外も、やたらと偉そうだ。恐竜の獣脚類的なロードの体つきからすると、まえかがみで歩行したほうが楽そうなのに、胸を張れるだけ張っている。主のをしているのだろうか。させられているのか。

 辰神は教室の中央までゆったりと歩くと、顎を上げて下目遣いで飛たちを順々に見た。ロードのはちゆうるいめいた瞳も、飛たちを次々と射すくめていった。

「フッ……」

 辰神は鼻で笑った。

 飛は誰かが舌打ちをする音を聞いた。聞き逃してもおかしくないようなかすかな音だったが、間違いなく聞こえた。

 唯虎がわずかに顔を引きつらせている。今、舌打ちをしたのは、唯虎だ。

 辰神は両手を顔の前まで移動させた。

おとぎり飛」

 一度、手を打った。

 二度目は、強かった。

 さらに間を空けて、三度目はもっと強かった。

「貴様の勝利を祝福する。そして、バクよ。見事だったとは言わん。醜い戦いぶりだったが、つまらなくは決してなかったぞ。よくやった」

「……なんでッ。テメェーにねぎらわれなきゃならねえんだよ!」

 バクが突っこむ前に、飛が言ってやるべきだった。何も言えなかったのは、あつにとられていたせいだ。

「はははっ!」

 辰神が笑いだした。

「貴様はたたえられるべき戦いをした。ゆえに、この俺が讃えてやっただけのことだ。いずれロードと貴様が戦うときが来るだろう。この俺のロードを、タウロごときと一緒にしてもらっては困るぞ。ロードは貴様を引き裂き、骨まで食らう。これまでロードが食った人外どもと違って、貴様はさぞかしかろうな」

「ヘッ! ロードは見るからにまずそうだが、ちゃんと食ってやるから安心しやがれ!」

「ふふふっ……ははははっ……あーっはっはっはっはっはっ……!

 たつがみは何がそんなに面白くて大笑いしているのか。とびにはさっぱりわからない。こんな男を理解したくはないし、理解できるようになったらおしまいだ。むしろ飛は、辰神の異様な精神構造よりも、ただとらの様子が気になった。

 唯虎は一見、爽やかという言葉が似合うような男子だ。えがするし、清潔感がある。やさしそうでもある。だから、ちょっと意外だった。

 唯虎は辰神をにらみつけている。その睨み方が尋常じゃない。ただ辰神が嫌いだとか、憎たらしく思っているだけで、歯を食いしばってあんな目つきをするものだろうか。まるで殺意でも抱いているかのようだ。

「おい、辰神」

 唯虎は低い声で呼びかけた。辰神は唯虎の不穏なまなしを受け止め、平然としている。

「何だ、唯虎」

 下の名で呼ばれたのが気に食わなかったのか、唯虎は軽く舌打ちをしてから尋ねた。

しろはどうなった?」

 辰神は大仰に肩をすくめてみせた。

「医務室に運ばれていった。あとのことは知らん。いずれにせよ、あれはもうだめだ。敗者に用はない。どうせ使い物にならんだろう」

「よくそんなことが言えるな。宇代とおまえは友だちだったんじゃないのか?」

「友だち、とは……」

 辰神は左手を腰に当て、右手で額を押さえた。

「くだらんことを言う。友だち、だと? 学友という意味なら、そのとおりだがな」

「仲がよかったじゃないか。スパーリングだか何だか知らないけど、おまえのロードと宇代のタウロはいつもじゃれあってただろ」

「だから、この俺とごうけんが仲よしこよしだったとでも? 貴様に──」

 辰神は左手を腰に当てたまま、右手の人差し指を唯虎に向けた。

「そう見えていたという事実を否定しようとは思わん。それは貴様の自由だ。ちっぽけな自由だとしても、な。だが、俺の心の内を見通せるなどとは考えんことだ」

 唯虎は一度、ため息をついた。興奮を静めようとしたのかもしれない。

「おまえの心の内なんて、知りたくもないよ、辰神」

「俺はそうでもないぞ。どうやら、貴様は俺が気になって仕方ないようだが──」

「誰がっ……」

「違うのか? いちいち突っかかってくるのは、ようするにそういうことだろう? 何が貴様をそうさせるのか、興味はなくもない」

「俺は……平気で他人をたたきのめしたり、利用したりできる、おまえみたいなやつが我慢ならないだけだ」

「つまり、正義の味方気どりというわけか」

「そんなつもりはない」

「貴様は俺を悪と見なしているわけだ」

 たつがみは目を細め、唇を変な形にゆがめて、にやにやしている。見る者の神経をさかでする、どこまでも嫌らしい薄笑いだ。

 ほまりんは辰神におびえているのか。デッドオーを抱きしめてうずくまっている。

「……実際、悪役にしか見えねえけどな?」

 バクがぼそっと言うと、ただとらが下を向いて口を手で覆った。つい笑ってしまったようだ。バクのつぶやきは辰神の耳にも届いたらしい。もっとも、辰神はげきこうするでもなく、高笑いしはじめた。

「はっはっはっはっ……くーっわっはっはっはっ……!

「……そういうとこだぞ?」

 バクが指摘すると、ほまりんも「ぷふっ」と噴きだした。

 なんだかみんな笑っている。とび以外は。いや、人外のデッドオーやロードは笑っていないけれど。彼らは笑ったりしないのかもしれないし。そういえば、唯虎のセラは──と思って捜すと、いた。辰神とロードの斜め後ろで、お座りの姿勢ではなく、前脚を少し曲げて頭を下げ、背中を丸めて、しつをゆっくりと動かしている。

 飛は以前、抜き足差し足ではとに近づいてゆく猫を見かけたことがある。セラはあのときの野良猫のようだった。ひそかに死角から接近して、ここぞ、というタイミングで攻めかかり、一発で仕留めてしまう。

 あるじの唯虎は笑っているのに、セラはたんたんと辰神とロードを狙っている。あれはセラが勝手にやっていることなのか。それとも、唯虎がやらせているのか。

 やがて他の選抜生とその人外たちもA教室に戻ってきた。人外を連れていない選抜生は粛々と行進しているようで、へびぶちいぬかいといった女子たちは元気がなかった。

「やぁー。ウッシー、大丈夫かねぇ。ねえ?」

 一人、ましゃっとことひゆうがまさだけは、やたらとほがらかだった。

「あぁっ、おとぎり! まだ言ってなかったよね、おめでと、おめでと、おめでとぉー!」

 ましゃっとは勢いよく走り寄ってきて、ハイタッチを求めてきた。さすがに飛は応じる気になれなかったし、ましゃっとが出してきた両手を払いのけたいくらいだった。でも、そこまでするのはやりすぎだろう。飛はそっぽを向いた。

「……おっとぉ?」

 ましゃっとは身を乗りだして、飛が視線を向けたほうに顔を移動させた。何なの、こいつ。イラッときて、飛は真後ろまではいかないまでも、左斜め後ろを向いた。

「おっとっとぉ……?

 ましゃっとは、あきらめないのか。ぴょんっと跳ねて、とびの左斜め後方に移動すると、目が合った瞬間、変顔をした。顔全体をしかめて、器用に前歯だけきだしている。これは、あれだ。ウサギに似ている。

 ウサギと言えば、黄色いウサギのようなましゃっとの人外ルーヴィが、あるじの後ろでぴょんぴょんジャンプしていて、すごくうざったい。

「……どういうこと?」

 飛はついいてしまった。ましゃっとは、ニカッ、と笑った。

「え? どういうことって? 何が? てか、おめおめおめ! おめでと、おとぎり! いっやあ、弟切が勝つって、俺は信じてたけどね!」

うそつけッ」

 バクがすかさず反論すると、ましゃっとは舌を出してみせた。

「バク、正解! 俺、嘘つきました! いくらなんでもねえ。信じてたってことはないよね。だって、バク、しゃべれるのはすごいけど、他はねえ? 未知数っていうか。まさか変身できるなんてさ。強かったんだね、バク。めっちゃかっこよかった!」

「……ヘッ。あたりまえだッ。オレが強くてかっこいいのなんて、晴れた空が青いのと同じレベルのアレだからなッ」

「どれだよ……」

「飛ィッ。おまえはわかれッ。おまえだけはわかっとけ、そこは。わかんなくても、のみこむんだよ。それが相棒っつーモンだろ?」

「そうなのかな……」

「そうなんだよッ」

「そうだよぉ!」

 調子よく合いの手を入れたましゃっとを、飛は冷たい目で見ずにはいられなかった。ましゃっとも、まったく後ろめたくないわけじゃないようだ。

「うん。わかるよ、弟切? 言いたいことはね。俺が投票で弟切の名前、書いたことだよね? あれはさ。俺としてはね? 弟切と戦抜するつもりなんかなかったよ。ない、ない。そんなのあるわけないって。本当、本当。ゼロだよ、ゼロ」

 ましゃっとは飛とバク、そして、席についたたつがみに忙しくちらちらと目を配りながら、早口でまくしたてた。

「これだけは理解して欲しいんだけど、弟切が俺の名前を書かないってわかってたから、俺は弟切の名前を書いたんだよね。全然、戦いたくないし、戦うつもりなんかないし、敵だなんて、これっぽっちも思ってないしね?」

 飛は辰神をいちべつした。

「でも、辰神やウッシーとグルだったんだろ」

「うん」

 ましゃっとは腕組みをして目をつぶった。すぐに「いや!」と首を横に振る。

「あれはね? ほら、何だろ、俺って平和主義っていうか? みんなと仲よくしたいタイプだしさ。協力しろって頼まれたんだよね。断りづらいじゃん? ここだけの話……」

 ましゃっとは身をかがめて声をひそめた。でも、教室内は騒がしくないし、本人の耳にもしっかり届いていると思う。

たつがみ様だよ? あのタッツーだよ? それで、ウッシーだよ? 二人とも、ガタイがさ。あれで中学生って、反則じゃない? 自然の法則、軽く無視してない? 一発殴られたら、俺、死んじゃうよ? 怖くない? いやいや、怖いって。怖いよね?」

 辰神はどういう気分で聞いているのか。見たところ、まんざらでもないというか。辰神はどことなくうれしそうだ。

 ましゃっとは腰を折って手を合わせた。

「悪気はなかったんだって、マジで、ごめん、だから、許して! 俺はみんなと仲よくしたいタイプだし、おとぎりとも仲よくなりたいし! ね? いいよね? あっ、先生、来ちゃったみたい。またあとでね!」

 教室にあいよしぼりが入ってきて、ましゃっとはルーヴィを引き連れてだつのごとく駆け去った。なんだか、どっと疲れた。

 もともと疲れてはいた。実際に戦ったのは主にバクなのだが、とびも何度かウッシーに蹴られた。食事の影響はよくわからないけれど、そうとうな緊張を強いられたし、少なくとも精神的にはかなり疲弊していた。

 戦抜が終わると、飛は誰よりも早く体育館を出た。あれは判断ミスだったんじゃないかと、今さらながらに悔いていた。しろごうけんがどうなったのか。せめて、自分の目で確認するべきだった。

 余裕がなかったのだ。戦抜に勝った喜びなんて、じんもなかった。むしろ、ショックを受けていた。負けるわけにはいかなかったが、バクにタウロを食べさせてしまった。

 木堀がリモコンで操作すると、壁一面のディスプレイに海辺の景色が映しだされた。

「わーお! 海、海ぃー!」

 ましゃっとが無邪気に歓声を上げた。海が何だと飛は思う。でも、ずいぶんきれいな砂浜だ。南のほうだろうか。青い海がきらきらと輝いている。施設にいた頃、海に連れていかれた。暑くて、人がたくさんいて、うんざりした。飛は泳がなかった。海に入りもしなかった。それがどうしたというのか。

 愛田が教卓に手をついた。

「オトギリ・トビ。勝利の味はどうだ? 酔いしれてるか?」

「べつに」

 とびは目を伏せて、言い直した。

「全然」

「そうか」

 あいは、ヘッ、ヘッ、ヘッ……と、下品な笑い方をした。たつがみじゃないが、悪役みたいだ。悪役の中でも、あんなふうに笑うのは下っ端だろう。

「ともあれ、今回の戦抜はおまえの勝利という形で無事、決着がついた。リワードが確定し、おまえの後援金は四倍の年額千六百万円になる。全員、祝ってやれ」

 担任の愛田が拍手すると、副担任のぼりと人外がいない選抜生たちも手をたたいた。他の選抜生たちもばらばらとそれに続いた。

「選抜クラスに入って早々、華々しい活躍だな、オトギリ・トビ」

 愛田が拍手をやめると、A教室はすぐに静かになった。

「俺も担任としてうれしいよ。おまえみたいな生徒を指導できるのは、教師みようりに尽きるってもんだ。なぁ、木堀先生?」

 木堀は無機質な声で「ええ」と応じた。飛を見もしない。

「来週の頭にはおとぎりくんの身分証が発行される予定です。おそらく月曜に渡せるでしょう。また、理事長の裁可が下りたので、今日から東棟特別室の使用を許可します。さっそく学生寮の部屋から移動しなさい」

「しなさいって……」

 なぜ命令口調なのか。飛は反発を覚えただけじゃない。

 特別室。東棟の最上階には、選抜生のためにしつらえられた居室があると、たしか辰神が教えてくれた。選抜生たちは、その最上階の特別室とやらで生活しているらしい。

 選抜クラスの教室がある東棟地下は、選抜生と限られた者しか出入りできない。ネット回線は専用のWi-Fiだけだし、常に監視されていると考えるべきだ。最上階の特別室も似たようなものだろう。

「いらない」

 飛は愛田の潰れたひしがたの目を見すえて、きっぱりと言った。

「僕は寮にいる。寮でいい」

 愛田はしばらく黙って飛を見返していた。理由をかれたら、どう答えよう。飛はそんなことを考えていたが、愛田は予想以上に強硬だった。

「却下だ」

「……僕がどこに寝泊まりしようと、僕の自由だろ。それとも、選抜生はその特別室に住まなきゃいけないっていう規則でもあるの?」

「規則」

 愛田は「規則か」と繰り返した。嫌みったらしく、「規則、ねぇ」と。

「いいだろう。このあと理事長に掛け合って、そいつを規則にしてやる。理事長もお忙しい人だし、今すぐってわけにはいかねぇが、来週からはおまえも特別室だ。規則になったらちゃんと守れよ、オトギリ・トビ。おまえが言いだしたんだからな」

「……ケッ」

 バクが吐き捨てるように言った。

おとぎりくんは二人部屋を一人で使っていますね」

 ぼりとびのことを話しても、相変わらず飛のほうに目を向けようとはしない。

「誰か付き添いなさい。一人では寂しいでしょう」

 何が、一人では寂しい、だ。どこまでも冷淡な木堀の口から出てくる言葉とは思えないし、飛にはバクがいる。寂しいわけがない。見張りでもつけるつもりなのか。

「はいはーい!」

「んゃっ」

 ましゃっととほまりんが同時に挙手した。半分演技だろうが、ましゃっとがぎょっとしたような顔をしてみせた。

「えぇっ。ほまりん、弟切と同じ屋根の下どころか同じ部屋で週末過ごしたいの!? 一応、男子と女子だけど!? 一応じゃないや、めっちゃ男子と女子だけど!」

 ほまりんは赤面した。

「ほゎっ。そっか。間違った。てゆうか、ど忘れしてた。弟切、男子だしょや……」

 飛を女子だと勘違いしていたのだろうか。それはそれで衝撃的というか、どうかと思う。バクがぼやいた。

「……つーことは、ましゃっとかァ? ルーヴィもかよ……」

 ましゃっとはいまいち信用できない。いまいち、どころか、信用したら絶対、馬鹿を見ることになりそうだ。ルーヴィはルーヴィで、ひっきりなしにぴょんぴょんぴょんぴょん跳ねるから、落ちつかない。同じ部屋にいたら、ものすごくストレスがたまりそうだ。

「じゃあ」

 ただとらが手を挙げた。

「えっ」

 ましゃっとは挙げた手をもっと高く挙げようとして、跳び上がった。

「俺、俺! 俺のほうが先に立候補したんだから! 俺だよ、俺! ね、弟切? 俺でいいっていうか、俺がいいでしょ? 俺で決まりだよね?」

 なぜそこまでして飛と同じ部屋で過ごしたいのか。よくわからないし、気持ち悪い。疑わしくもある。ましゃっとには何か変な魂胆があるんじゃないか。たつがみ、ウッシーとぐるになっていたように、今度はあいや木堀の手下になっている。勘ぐりすぎかもしれないが、そんな可能性すら飛の脳裏をよぎった。

ただとら

 とびは軽く頭を下げた。

「お願い」

「うん」

 唯虎は笑顔でうなずいた。

うそぉぉん! そんなあぁぁ。おとぎりとの歴史は、俺のほうがずぅぅぅーっと長いのにぃぃ。何だよぉぉぉ。ひどいよぉぉ……

 ましゃっとは泣きべそをかいている。わざとらしいにも程があるし、やかましい。

 ぼりあいと目配せを交わした。

「まぁ、いいだろう」

 愛田は教卓に手をついて、じっとりした目で飛と唯虎を見た。

「せいぜい荷物をまとめておけ。は、オトギリが妙なをしないか、しっかりと見張れよ。何かあったら、俺か木堀先生にしらせろ。報せるべきことを報せなかったせいで何か問題が発生したら、おまえに責任をとらせる。わかったな」

「はい、先生」

 唯虎は礼儀を守った言い方をしたが、はい、というより、はぁい、という感じで、先生、の発音は、せんせ、に近かった。飛にはそう聞こえた。


+++ + ++++


 飛とバクは唯虎、セラと一緒にA教室を出た。愛田や木堀、他の選抜生たちも帰ったあとで、東棟地下一階の廊下にはひとけがなかった。

「そういえば、医務室って──」

 飛は廊下の先に目をやった。飛たちが出てきたA教室の隣はB教室で、C教室、準備室、と書かれた室名札が並んでいる。医務室は準備室の向こうだ。戦抜後、しろごうけんはあの部屋に運ばれたらしい。

「医務室? ああ……」

 唯虎は表情を曇らせた。この選抜生は人当たりがいいし、誰にでも好感を持たれそうな外見の持ち主だ。平気で他人をたたきのめしたり、利用したりするから、たつがみのことが我慢ならない。唯虎はそう言っていた。きっと唯虎は、平然と他人を攻撃したりしないし、利用することもないのだろう。

 でも、何かかげがある。常に、ではないけれど、重たい暗さがときどき漂う。

「宇代のこと、気にしてる? あいつは辰神と同類のだし、心配することないよ」

 バクが、ヒヒッ、と笑った。

とはなかなか言うじゃねえか。見た目は優男風なのに、じつはヤンチャかァ?」

「ヤンチャなのかな。育ちはよくないけど」

 そんなふうに笑みを浮かべると、育ちがよくないどころか、良家の子息にしか見えない。そうじゃないのか。

「俺、五人兄弟の長男なんだ。弟と妹が二人ずついて。裕福な家じゃないし、大変でさ」

「……苦労人?」

 とびが言うと、ただとらは否定しなかった。

「まあね。上辺を取り繕って、それなりになんとかやっていくのは、わりと得意かな」

「そのわりに、たつがみのヤローにはやたらと当たりがきつくなかったか?」

 バクがくと、唯虎の瞳が急にどんよりと暗く濁った。

「あいつは──相性がよくないとか、そういうことじゃないんだよな。恵まれてそうなのに、なんであんなふうに……」

 辰神との間に、何かよっぽどの確執があったのだろうか。

 いずれロードとバクが戦うときが来る。辰神はそんなことを言っていた。

 ロードはあのタウロより強いようだ。飛としては、できればバクをロードとは戦わせたくない。かといって、辰神と仲よくできるのか。ましゃっとのようにびを売ったり、要求に従ったりするのは、ちょっと無理かもしれない。

 きっと、唯虎も同じなのだろう。辰神とはどうしてもそりが合わない。飛はバクを戦わせたくはないが、唯虎はその点が違っている。唯虎はやる気だ。

 自信があるのだろうか。今も唯虎に寄り添っているセラの体格は、ロードやタウロと比べても見劣りしない。ひようにそっくりだが、豹としても大型だ。アメリカ大陸にせいそくしているジャガーくらいの大きさがある。それでいて、どうかすると見失ってしまうほど存在感がないのだ。考えてみると、そこが不気味でもある。

「唯虎は行ったことある? 医務室」

「何回かね。養護教諭みたいな人はいない。必要があれば、リモートで外部の医者が診断してくれるんだ」

「リモート……」

「ネット経由で、医者が体温とか心拍数とかをモニターできるようになってる」

「飛はローテクだからな!」

 バックパックには言われたくないが、実際、飛はハイテク機器に詳しくない。

「……で、今までの、その──戦抜で負けた人も、医務室に?」

 唯虎は斜め下に目線を落として、「ああ」とうなずいた。

「医務室に運ばれる。俺も運ぶのを手伝ったことがあるし。だけど、そのあとのことはわからない。あい先生とぼり先生は知ってると思うけど」

「人外は……戻らないよね」

「戻らない」

「けど、負けた選抜生は戻ってくる──」

しろも、月曜日には教室に姿を見せると思うよ。今までそうだったから」

「フゥーム……」

 バクがうなった。

 人外を失ったあるじは虚心症になる。宇代ごうけんは失神しているようだった。あれは虚心症だ。虚心症の患者を、養護教諭のような専門のスタッフすらいない医務室に運んで、どんな処置を施しているのか。

 そして、人外が復活することこそないものの、たった数日で虚心症の患者が選抜クラスに復帰する。普通に考えれば、それはもう患者じゃない。虚心症から回復している。

 何らかの方法で、誰かが虚心症を治療したのだ。