閑話 エルイード様とルクシーダ様について



 私はフレインと申します。現在は主にルクシーダ様のお世話をさせていただいております。その前はエルイード様のお側に仕えておりました。

 私は十五歳でゼークセルン公爵家に侍女として入りまして、その頃二歳だったエルイード様のお世話係になったのです。それから二十年以上、お側で殿下の成長を見守って参りました。

 エルイード様はご幼少時は活発な男の子だったのですよ。お部屋でもお庭でももの凄い勢いで走り回っておられまして、まだ若かった私でも追いつくのが大変なくらいでした。五歳くらいからは軍隊のことに興味を持たれまして、おもちゃの剣を毎日のように振り回していらっしゃいました。ゼークセルン公爵家は軍人家系ですから、これを見て公爵閣下はずいぶんお喜びになりましたね。

 反面、エルイード様のお母上の公妃様はエルイード様が二歳の時にお亡くなりになっていました。実は乳母も、五歳の時に亡くなってしまっていて、エルイード様は早々に身辺から母親の存在がいなくなってしまっていたのです。このせいでエルイード様は母親の愛情を知らずに育ちました。私や他のお世話係の侍女ではエルイード様の母親代わりにはなれません。どうしても一歩引いた接し方をしないわけにはいきませんからね。それで、エルイード様は女性に対して甘えるとか頼るとか、そういうことをしないで育ってしまったのです。

 エルイード様は大きくなるに従い、運動だけでなく頭脳が明晰であるところも見せ始めました。殿下の家庭教師たちが口を揃えて優秀だと讃えるのですから相当なものだったのでしょう。運動神経も抜群で、十歳の頃には一人で馬に乗って走らせることができるようになっていました。

 エルイード様の一番のご友人は同い年の皇太子殿下でした。このお二人は従兄弟だけに綺麗な金髪も緑の瞳も瓜二つでした。ですが、子供の頃は何をやってもエルイード様の方が優秀で、皇太子殿下はエルイード様の後を追いかけて歩くような関係だったのです。この頃から皇太子殿下はエルイード様のことを慕い、頼りにしていましたね。

 さて、貴族の男性、特に次期当主はかなり早くから結婚相手を探します。当家はなにしろ公爵家、王族ですしエルイード様は一人息子です。それはもう、五歳の頃からお嫁様探しは始まっていましたよ。

 公爵家ですから、エルイード様のお相手は王族からというのが普通です。王家、もしくは公爵家からお妃を迎えるのが通例なのです。これは王族の血を薄くしないことと、外戚がいせきの害を防ぐためです。野心ある有力な家臣の家から嫁を迎えると、養父になったその大貴族が公爵家のことに干渉し、ひいては王国の政治にまで強い影響力を及ぼしてしまう可能性がありますからね。

 それを防ぐために王族から結婚相手を探したいところだったのですが、残念ながらこの時、エルイード様と年齢の近い王族の女性がいらっしゃらなかったのです。唯一いらっしゃった方は早々に王太子妃に内定してしまいました。

 そのため、仕方なく貴族から妃を迎えることにしたのですが、公爵家の次期当主が妃を家臣から迎えるという珍しい事態に多くのお家が色めき立ち、エルイード様の元にお妃候補が殺到する事態が起こってしまったのでした。エルイード様と同じ年頃のご令嬢がいる有力貴族は全員がエルイード様への縁談を申し込んできました。いない家は遠縁の娘を養子に迎えてまで縁談を持ち込んできたものです。

 公爵閣下も私たちも貴族たちのあまりの勢いに戸惑いましたが、もっと戸惑い、困惑したのが他ならぬエルイード様です。

 エルイード様は母親がおらず、悪いことに親戚に近い歳の姫君がおられず、あまり女性と関わりなく育ってしまいました。そのため、女性に免疫がなかったのです。

 殺到する令嬢たちにエルイード様は引いてしまい、恐れを抱きました。この頃のエルイード様はまだまだ未熟な若者でした。ご令嬢方を上手くあしらえなかったのです。それで社交に出るのをいとうようになりました。同時にストレスからか過食が始まります。エルイード様はみるみる太りました。

 明るかった性格は暗く沈み、あれほど運動がお好きだったのにお部屋に閉じ籠もるようになります。戦略戦術のお勉強の時に使った人形を使ったゲームを一人でしたり、軍事に関してのご本を読み耽ったりと、趣味も変わってしまいました。

 こうなるといけません。貴族が社交に出ないなんてあり得ませんから、引き籠もって社交に出ないエルイード様には病気にでもかかったのではないかという噂が立ちます。病気持ちという噂は貴族にとって致命的です。不健康な貴族に国王陛下が重要な仕事を任せるはずがないからです。エルイード様は将来出世する見込みが薄いと見做されることになります。

 同時に社交での出会いが絶望的になったエルイード様にはお見合いの機会が設定されました。何人ものご令嬢がエルイード様と引き合わされましたが、女性が一層苦手になり、オドオドとしている上にすっかり太ってしまったエルイード様を見て、ご令嬢方は一様に拒絶反応を示しました。いくら次期公爵とはいえ、あんな男とは結婚できないと、泣き喚いて成立しかかった縁談をぶち壊したご令嬢もいたくらいです。

 中には面と向かってエルイード様を嘲笑した方や、裏で私たちに殿下のことを無茶苦茶に言う方もいましたね。そんな女性に嫁に来られては公爵家の方だってたまりません。私たちは逐一公爵閣下に報告しました。温厚な公爵閣下が激怒して相手の家を処罰したことさえありましたよ。

 お見合いが破談になることがたび重なるようになると、エルイード様は一層お部屋に閉じ籠もるようになりました。女性嫌いはさらに酷くなり、同時にご自分に対する自信も失ってしまったからか、男性のご友人にもお会いしたがらなくなります。親友である皇太子殿下にすら会いたがらず、かつての憧れの従兄弟であったエルイード様の凋落ぶりに、皇太子殿下は悲しみ、怒ってすらおられましたね。

 貴族の間には「暗くて気持ち悪いぽっちゃり公爵」というエルイード様の悪評が確定してしまい、縁談もすっかり絶えてしまいました。公爵閣下も国王陛下も公爵家断絶の危機に大いに焦り、貴族女性ならなんでもいい。なんなら私生児でも構うものか、という勢いでお相手女性を探していましたね。

 で、そうやって見つかったのがフィエンツェン伯爵家の四女、ルクシーダ様でした。


 初めてそのお話を聞いた時には、まずフィエンツェン伯爵家の家格の低さに驚き、四女ということに驚きました。もちろん、社交界でルクシーダ様の名前を聞いたことなどございません。そんなお相手を選ぶなんて、いくらなんでもエルイード様に対して酷すぎるのではないかと思いましたよ。

 しかし、エルイード様のお相手に関してすっかり諦めていた公爵閣下はフィエンツェン伯爵家からの了承の返事をもらうと大いに喜び、国王陛下にまで根回しをして縁談を強力に推し進めました。伯爵家に断らせないためでしょうね。

 ですが、以前にもそのようにして決まりかけた縁談を、エルイード様にお会いしたご令嬢が泣いて嫌がり、自害まで仄めかして結局破談になったことがございました。

 果たして、今回もお相手のルクシーダ様がどうしても婚約前にエルイード様とお会いしたいと主張したということで、お見合いが設定されることになりました。この時点で私たちお屋敷の者は、またエルイード様を見るなりご令嬢が嫌がって破談になってしまうのかと、半ば諦め始めていましたね。


 お屋敷にやって来たルクシーダ様は茶色い髪と茶色い瞳をお持ちの、明るいご令嬢でした。容姿に目立つところはない方でしたが、公爵閣下とお話しする態度は堂々としていましたね。

 この時、エルイード様はルクシーダ様との面会を拒否なさり、縁談成立を急ぐ公爵閣下も「会わせない方がよかろう」と無理には同席させなかったのですが、ルクシーダ様は承知せず、粘る公爵閣下を口説き落としてエルイード様との面会許可を得ていました。貴族令嬢としては意思表示がはっきりしているし、弁も立つ方だなと思いましたね。

 しかし、ルクシーダ様をエルイード様にお会いさせるのは私にとって気が重いことでした。なにしろ、殿下にお会いした令嬢は皆、エルイード様のことを悪く言うのです。エルイード様は私たち侍女にとっては大事な大事な坊っちゃまです。それを悪し様に誹謗中傷されてはたまりません。元々は明るくて活発だったエルイード様があんな風になってしまったのは、貴女たちのせいではありませんか!

 そんな気分でいたものですから、私はルクシーダ様が「エルイード様は貴女から見てどんな方ですか?」と尋ねた時に、思わず強い口調でエルイード様を庇ってしまったのでした。侍女風情が次期公爵の婚約者候補に声を荒げるなどあってはならないことで、私は慌てて謝罪いたしましたが、ルクシーダ様はなんだか満足そうなお顔で頷きました。

「そう。フレイン。ありがとう」

 私は驚きましたが、この後ルクシーダ様は一人で奇声を上げながら人形遊びに耽るエルイード様という、これまでのご令嬢が全員引いてしまった光景を目にしながら、なぜか非常に嬉しそうな、楽しそうな笑顔で「気に入りました!」と叫んだのでした。

 見た目からは分からない、ルクシーダ様の器量の大きさを私が知ったのはこの時ですね。


  ◇◇◇


 こうしてご婚約なさったお二人でしたが、エルイード様はご婚約こそ承知なさったものの、女性が苦手なことは変わっておられなくて、しきりに「彼女は私なんかと結婚してよいのか?」と仰っていましたね。本音では結婚などしたくなかったのでしょう。

 引き籠もっているうちに人前に出ることもすっかり苦手になってしまったエルイード様は、結婚式自体もかなり負担に感じていらっしゃるようでしたね。それと、結婚すれば王宮に出仕を求められるだろうことも嫌がっていらっしゃいました。

 ルクシーダ様の方は公爵家に通ってお作法とか儀礼とかのお勉強をしていました。

 なんでも、ルクシーダ様はご自分も社交にほとんど出ずに引き籠もっていたのだと、あけすけに仰いました。こちらは性格の問題ではなく予算の問題だったようですが。なので、ルクシーダ様はエルイード様が引き籠もっていることは一切気にしておらず、むしろ読書趣味がかぶるので、お話も合うはずだなどと話していましたね。

 色々準備をして、ついに結婚式をなさったお二人でしたが、式も非常に大変だったらしく、ルクシーダ様はエルイード様を懸命に引っ張って式を済ませたからか、式が終わる頃には疲労困憊の有様になっていました。

 しかし、式が終わると、エルイード様のご様子に変化が現れておりました。それまではルクシーダ様を恐れ、厭うようなご様子を見せていらっしゃったのですが、式が終わってご休憩なさっている時にポツリとこう漏らされたのです。

「私も、彼女のためにしっかりしなくては」

 私は内心、これは、と思いました。結婚して次期公爵の自覚を思い出して下さったのかもしれません。元々は立派な貴公子だったエルイード様です。自覚さえあればすぐにも元のエルイード様に戻られるでしょう。


 しかしその期待はその夜、新婚初夜に、エルイード様がルクシーダ様の裸を見て鼻血を噴いて倒れてしまったことでついえてしまいました。大騒ぎになってしまい、幸い初夜に独り寝を余儀なくされたルクシーダ様が怒って実家に帰ってしまうことはありませんでしたが、エルイード様の方はまた自信を失ってしまわれたのです。


  ◇◇◇


 ルクシーダ様は大変だったと思いますよ。なにしろ彼女は伯爵家の四女で、社交界では無名でした。次期公妃になってから改めて人間関係を作らなければならなかったのです。

 しかも社交で紹介をして下さるべき公妃様もいらっしゃらない。実家は家格が低くて実母も頼りにはできなかったのです。

 ですがルクシーダ様は明るく、へこたれない性格でした。いきなり次期公妃になったルクシーダ様に対して、高位の貴族婦人は何かと嫌味を言ったり意地悪なことを言ったりしましたが、それを受けてもルクシーダ様は笑って受け流すことができていましたね。

 そういう、明るくて器の大きなところを見て、貴族夫人の中にはルクシーダ様に好感を覚え、熱心な支持者になって下さる方も現れました。人見知りをしない方ですからすぐにご友人も増えて、ルクシーダ様はだんだんと社交界で足場を築いていったのです。ご本人は涼しい顔をしていましたけど、気難しい貴族婦人に上位の存在として受け入れられるのは、並大抵のご苦労ではなかったと思いますよ。

 しかしやっぱり一番ルクシーダ様がご苦労なさったのは、エルイード様に受け入れていただくことだったでしょうね。

 エルイード様は初夜の件でルクシーダ様への苦手意識を悪化させてしまいまして、一時は近寄ることすら難しかったのです。それなのにルクシーダ様は根気強く、ろくに話もできないエルイード様との関係を築こうとしていらっしゃいました。

 あまりのご苦労に私はある時、ルクシーダ様に謝ってしまったことがあります。

「私たちが不甲斐ないばかりに、ルクシーダ様に負担をおかけして申しわけございません」

 私たち侍女も、エルイード様には何度も何度もルクシーダ様のお人柄を伝え、心を開いて下さるようお願いしていたのです。しかしそれが上手くいかなかったことへのお詫びでした。

 しかしルクシーダ様は微笑んで言いました。

「エルイード様が素敵な方であることは、侍女のみんなに慕われているのを見れば分かります。後は私が受け入れていただけばいいだけです。私は何も心配してはおりませんよ」

 その微笑みには貫禄すら漂っていました。私は思わず頭が下がってしまいましたよ。

 ほどなく、ルクシーダ様は例の人形での戦争遊戯を覚えて、それをエルイード様と一緒に遊ぶという方法で、ついにエルイード様のお心を溶かしてしまわれました。ぎこちなくも次第に仲睦まじくなっていくお二人に、侍女一同大喜びでしたよ。

 同時に、エルイード様のご様子に変化が生まれました。お食事の量が減り、過食が急激に収まったのです。そして、お部屋を出てお庭を散歩するようになります。

「ルクシーダのためには、このままではダメだ」

 と仰り、体操や剣の素振りをして身体を動かすようになったのです。公爵家の者たちは驚き、それは喜びました。元々は活発で運動神経もよかった坊っちゃまですもの。すぐに勘を取り戻されることでしょう。

 そして、ついにはルクシーダ様のお求めに応じて、あれほど苦手にしていた夜会への出席にも応じました。夜会の前には侍女を練習台に、ダンスの練習もしきりになさっていましたよ。

「頑張っているルクシーダに恥はかかせられない」

 と仰って。

 ルクシーダ様の方もエルイード様にご負担をかけないようにと様々な手配をしていらっしゃいました。ルクシーダ様はそれはそれは緊張して、そして張りきっていらっしゃいました。

「エルイード様が頑張って下さるのだから、私も頑張らないと」

 お互いを気遣い合い、お互いのために頑張るお二人の姿は本当に素晴らしく、そのお二人が夜会に身を寄せ合って登場し、素晴らしいダンスを披露し、そして来賓の万雷の拍手を浴びた時には、私はもう耐えられなくて大粒の涙を流したものでした。

 この時点ではまだ、お二人はベッドを別にしていらっしゃいましたが、私はもうこのお二人なら大丈夫だと、もう時間の問題だと確信しましたね。

 このお二人ならもう何があっても、ずっとずっとご一緒に、仲睦まじくお過ごしになることでしょう。ゼークセルン公爵家の将来は安泰です。

 きっとすぐに可愛いお子にも恵まれることでしょう。そのお子を抱き上げる日が、私は今から楽しみでなりません。