第四話 人形遊び



 人見知りかつ内気なエルイード様との結婚生活に対する不安は最初からマックスだった。

 それはそうよね。婚約期間中、ろくに会話も交わせていないのだから。こんなんでも結婚したらどうにかなるのかしら? と、能天気な私でも思わざるを得なかった。

 エルイード様とお見合いをしたご令嬢が、ゼークセルン公爵家の不興を買うことを承知で軒並み断ってきたのは、この不安が、つまりまともな結婚生活が成立するかどうかを危惧したというのが一番大きいのだと思う。

 結婚は家と家との契約ではあるけども、結婚する女性にとって夫との相性は一生の幸福を左右する問題である。旦那様と夫婦らしい関係が築けるかどうかというのは日々の生活を幸せに送る上で非常に重要だ。たとえ愛し合っていなくても夫婦として尊重し合える関係が築けないと、結婚生活はひたすらつらいだけになるだろう。それが死ぬまで続くことを考えれば、お見合いでまったくコミュニケーションが成立しなかったエルイード様との結婚をお見合い相手が全力で拒否したのも無理はないのである。

 私だってお見合いで実際にエルイード様にお会いして相性が悪いと判断すれば、いかに公爵閣下が激怒しようと婚約を破棄する覚悟だった。お父様が勝手に決めてきた婚約で私が一生不幸な縁に縛られるなんて納得できない。お家が破滅したってそこは譲れなかったのだ。まぁ、私はエルイード様にお会いして、ピンと来たから結婚に踏みきったのだけど。

 しかしながら、婚約期間中に不安は増していった。いい方である、お優しい方であることは間違いないのだけど、ああもコミュニケーションが取れないのは問題だ。

 やっぱり夫婦で理解し合うためには会話が必要だ。なんでもいい。私は婚約期間中を含めて、エルイード様にお会いするたび、様々な話題を振って会話を試みた。

 だけど、これがなかなか難しい。エルイード様はとにかくシャイで、私に人見知りしなくなってからも、私が話しかけると緊張してしまって顔を真っ赤にして俯いてしまうのだ。

 結婚してからは朝食と晩餐を必ずご一緒し、たまに午後のお茶もご一緒するのだが、成立する会話は「いいお天気ですね」「う……、うん」くらいのものだ。これでは楽しい食事など望むべくもない。

 色々話題を振ってみた結果、やはり反応がいいのはエルイード様のお好きな軍隊の話題で、私が以前にこんな軍略の本を読んだ、などという話をすると、身を乗り出して聞いて下さる。

 だけど、それに対してエルイード様が何かを仰ることはほとんどなかった。いや、何かお話ししようとしては下さるのだ。どんな話題でも。特に軍隊のお話ではしきりに何かを言いたそうにするのだけど、結局口から出てこないようなのだ。つまり、気持ちや考えを言葉で表現するのが下手なのだろう。

 別に下手でもいいから言って下さればいいのにと思うのだが、エルイード様にはそれができないようなのだ。

 私とエルイード様の侍女になってくれたフレイン曰く、幼少時にエルイード様につけられた教師が、エルイード様の話し方を矯正しようと「考えを頭の中でまとめてからお話し下さい」と厳しく指導したのだそうな。それ以来上手くしゃべれなくなってしまったらしい。

 言いたいことはあるし、お話ししようという意思はあるようなのだから、もっと仲良くなればなんとかなるとは思うのだけど、困ったことに結婚したというのにエルイード様はなかなか私と仲良くなってくれなかったのだ。どちらかというと遠巻きに警戒されている感じさえする。

 というのは、私たちは夫婦になったのだから、当然だが子供を作らなければならない。いや、当然よね。ゼークセルン公爵家としてはそのために色んなことに目を瞑って、生物学的に女性であることだけは間違いない私を嫁に迎えたようなものなのだ。

 子供を産むためには、夫婦でアレをしなければならない。アレですよ。お分かりですね?

 もちろん、私はシタことはなかったんだけど、一応婚約した後に、お母様だとか公爵家の侍女とかからそのあたりの教育は受けたから、その、何をどうするかは知っている。真面目な話、上手くできないと困るから真剣に教わったわよ。

 で、結婚式が終わったその夜。つまり結婚初夜。

 私は私なりに緊張しながらお風呂で身を清め、ガウンを着て夫婦の寝室のベッドでエルイード様をお待ちしたわけよ。でも、ベッドは大きくて、天蓋も半分下ろされていた。だからベッドに近付くエルイード様から私は見えなかったらしいのね。

 で、一応は頑張ってベッドまで来て下さったエルイード様は、ガウン一枚というそれなりに色っぽい格好をしてベッドに座っていた私を不用意に見てしまった。その結果。

 鼻血を噴いて仰向けにひっくり返ったのよ。それはもう見事に昏倒こんとうしてしまって、私は悲鳴を上げたし、それを聞いた侍女も飛んできて大騒ぎになってしまった。

 エルイード様は寝室から担ぎ出された。もちろん初夜は中止。私は寂しく、大きなベッドで一人で寝たわよ。外聞が悪いからこのことは極秘とされ、次の日に公爵閣下から「頼むから離縁しないでくれ!」と頭を下げて頼まれてしまった。新婚初夜を一人寝するなんて恥をかかされたら、確かにプライドの高い女性なら実家に帰ってしまうでしょうね。

 それはともかく、それ以来エルイード様は私に警戒心を持ってしまったらしかった。手を触れるどころか、彼の二歩以内に近付こうとすると逃げてしまうのだ。アレをするどころではない。初夜以来私たちは別々の部屋で寝ている。

 子作りができないのは頭が痛い問題だったけど、そのはるか以前の話として、近付くことも会話をすることもできないこんな関係では結婚しているとは言えないだろう。なんとかしなければならない。


  ◇◇◇


 エルイード様はお城に引き籠もっているけど、別に毎日遊んでいるわけではない。ちゃんとお仕事をしている。

 お義父様のお手伝いで、公爵領の内政に関わる書類仕事を任されている。税の計算だとか管理だとか、街道の整備や砦の修繕などの手配や費用の計算ね。

 後は王国の軍にお勤めのお義父様の軍業務に関わる書類仕事ね。諸費用の計算や装備品の管理、人事管理も担当しているそうだ。

 結構な仕事量だけど、エルイード様は対人関係が壊滅的なだけで頭脳は明晰で、計算も早く正確。お義父様に適切な進言をすることも多いのだそうで、お義父様はエルイード様を頼りにしているのだ、と仰った。

「あれで普通に人と話せるのなら、軍の将軍にするのだが……」

 とお義父様は何度も嘆いていたわね。それくらい才があるということだ。息子への贔屓目もあるんだろうけど。

 そういうお仕事をしている時以外の時間は、エルイード様は大体ご本を読んでいるか、例の人形遊びをしている。結婚してから知ったのだけど、あの軍隊人形遊びは本当の軍隊でも使われるもので、事前に戦闘をシミュレーションする際に、攻撃側、防御側に分かれて行う実験用のものらしい。軍隊での教育にも使うもので、エルイード様は子供の頃にこれを使った教育を施されてからお気に入りになり、駒を自分で作らせてまで熱中しているらしい。

 この「遊び」には色々ルールが決まっていて、駒の移動速度や攻撃力が兵種によって違い、地形によってそれが増減するなど、より現実に即した戦闘がシミュレーションできるようになっているのだそうだ。

 私は、これをお義父様にお願いして習ったのだった。お義父様が紹介して下さった軍人学校の教官という方が来てくれて教えて下さったので、しっかりとルールを把握した。

 そしてある日私は、エルイード様がこの遊びを始めようとしているタイミングを見計らって、エルイード様のお部屋に乗り込んだのだった。


「勝負しましょう!」

 私はエルイード様の私室のドアを開け放つなり叫んだ。エルイード様は硬直している。緑色の目がまん丸になってしまっていた。私は構わずズカズカとエルイード様の三歩前に出ると、もう一度言い放った。

「この人形遊びのやり方を習いました! ですから勝負しましょうエルイード様!」

「しょ、勝負?」

「そうです。これは戦争遊びでしょう? ならば勝ち負けがあって当たり前ではありませんか!」

 そもそも一人でやる遊戯でもない。

「勝負です勝負! その準備のままで充分です。ふむ、帝国時代の軍備で銃兵や砲兵はない時代なのですね? では私がこちらの黒い駒を。エルイード様は白い駒をお使い下さい。兵力は二万。兵科はその中で振り分けましょう」

 私はサクサクとルールを定め、勝手に駒を取って自軍を配置していった。エルイード様は目を白黒しているけど、習性なのか勝手に手が動いて駒を並べている。よしよし。

 両軍が配置につくと、私はエルイード様に向かって高らかに叫んだ。

「さぁ! 行きますわよ! 全軍、前進!」

 ……と、威勢よく始めたのはいいのだけど、私はなにしろ初心者、それに対してエルイード様はこの遊戯のベテランだ。単に前進するしかできない我が軍は、エルイード様の巧みな戦術によって狭隘地きょうあいちに誘い込まれて挟撃され、川を渡る最中に攻撃され、最終的には完全に包囲されて降伏を余儀なくされた。弱い、というより下手すぎる。私が。

 ボロ負けした私はうぬぬぬと悔しがった。

「おかしいですわ! エルイード様! もう一戦! もう一戦やりましょう!」

 私が騒ぐと、エルイード様がクスクスとお笑いになった。見ると、今まで見た中で一番楽しそうなお顔をなさっていた。

「いいよ。ルクシーダ。でも不公平だから君に千五百のハンデをあげよう。私はこれに慣れているからね」

 はっきりとした口調でそう仰った。あら。私の名前を覚えていて下さったとは。私が内心驚いているとも知らずに、エルイード様は嬉しそうに微笑みながら駒を戻していた。

 この日はそれから三回、戦争遊戯をやったのだが、まぁ勝てないわよね。私が下手だというのもあるけど、エルイード様はやっぱり頭がいいのだろう。硬柔自在の戦術で私の軍勢は翻弄され、あえなく壊滅した。最後の一戦では私は五千のハンデをもらっていたのに。

 エルイード様は遊戯の最中は真剣で、戦場を見ながらじっと考え込むお姿は理知的で、そして私に対する緊張よりも戦場への没頭が勝るからか、私と普通に会話が交わせるようになっていた。私が変な駒の動かし方をすると「ルクシーダ、そこはこうした方がいい」などとアドバイスを下さることもあった。

 時間が終わり(私もエルイード様も暇ではない)遊戯を終え、私がエルイード様のお部屋を下がろうとすると、エルイード様が微笑みながら仰った。

「ありがとう。ルクシーダ。楽しかった」

 今まで見た中で一番落ち着いた魅力的な表情で、そしてしっかりしたお声だったわね。私は嬉しくなり、満面の笑みを浮かべて夫に一礼したのだった。


 それから、私は暇さえあればエルイード様とこの戦争遊戯をやった。エルイード様も私との勝負を楽しみにして下さるようになり、食事の時などに「今日は午後から時間がある」なんて伝えて下さるようになった。私もエルイード様のご予定に合わせて時間を取り、彼のお部屋に向かうようになったのだ。

 共通の話題があれば会話も進む。遊戯の最中ほどではないけど、エルイード様も遊戯のことに関してはかなりスラスラと私と会話ができるようになった。晩餐の時などはその日に行った遊戯の感想を「あの時の攻撃はよかった」「どうやったらあの攻撃を凌げますの?」「事前に退路を確保しておくといい」みたいに話し合うこともあった。

 まぁ、フレインからは「ご夫婦の会話とは思えませんね」と呆れられたけどね。だけど、すっかり普通に会話ができるようになった私とエルイード様の様子に公爵閣下は大変に驚かれた。わざわざ遊戯まで覚えた私にお義父様は「息子のためにそこまでしてくれて」と感謝されることしきりだったけど、私もあの戦争遊戯を最初にエルイード様のお部屋で見て以来、ちょっと興味があってやってみたいと思っていたので、ちょうどよかったのだ。これが単に私もやってみたいと希望するのは淑女的じゃないけど、エルイード様と仲良くなるためという理由をくっつければ誰にも文句は言われまいからね。

 頻繁に二人でお部屋の中で楽しく戦争遊戯をするのだもの。エルイード様も私といることに緊張しなくなり、腕を組むくらいなら平気になった。いい感じだ。

 本当はここから一気にさらに仲良くなって、子作りまで行きたいところだったけれど、それでもしもまた鼻血でも出されて、元の木阿弥もくあみになっても困る。だからそこは自重して、寝室を別にしている状況は継続した。


  ◇◇◇


 それよりも、私はエルイード様を社交に引っ張り出したかった。

 私とエルイード様は結婚以来、揃って儀式や社交に出たことが一度もない。というか、エルイード様が社交に出ることがない。

 高位貴族にとって社交は仕事である。主に女性の仕事ではあるけど男性貴族にだって大事な仕事であることは間違いない。

 それに各種夜会に夫婦で出席することは、夫婦円満を強くアピールするためには重要なことなのである。

 ぶっちゃけ、結婚以来一人で社交に出ている私は、常に夫婦仲を疑われている状況だった。それはそうよね。夫がいるのに代理としてお父様かお義父様にエスコートされて夜会に入場するなんて本当は恥ずかしいことなのだ。

 夫婦仲を疑われるだけならともかく、嫁入りの経緯が経緯なものだから「エルイード様を野心のために幽閉している」とか「エルイード様を虐待している」などととんでもない噂を流されてしまうこともあった。

 もちろんお義父様や公爵邸の侍女や侍従(彼ら高位貴族出身なので)が即座に否定してくれているから大きな声にはなっていないものの、そういう噂が原因で私とエルイード様の仲が疑われれば、それが原因で思わぬ事態を招かないとも限らない。

 そういう心配を払拭するにはエルイード様に社交に出席していただくのが一番なんだけど、シャイなエルイード様はとにかく社交がお嫌いで、子供の頃はなんとか出ていたのだけれど、十三歳で成人してから嫁取りの話が出て、貴族令嬢に囲まれるようになっていよいよ苦手になってしまい、ここ何年もまったく出ていないのだという。

 私もエルイード様の意思は尊重したいところなんだけど、将来の公爵閣下である彼がこれから先も永遠に社交に出ないなんて無理であることは確かである。公爵に不適格だとして身分を他に譲れという意見が貴族たちの間から出てもおかしくない。

 そんなわけで、彼との関係が戦争遊戯のおかげで大分改善し、お茶の時間などで遊戯以外のお話も少しはできる状況になった頃、私は恐る恐るこう切り出したのだ。

「エルイード様はやっぱり社交はお嫌いですか?」

 するとエルイード様は少し考えた後、小さなお声で言った。

「好きではない」

 そうよね。私は心の中で頷く。そのお好きではない社交に、一体どうやってこの方を引っ張り出せばいいのかしら。私はお茶を飲みながら思案した。

 しかしその時、エルイード様が思いがけないことを言った。

「しかし、君と一緒なら、出てもいい」

 私は思わぬ言葉に目を瞬いてしまう。じっと見つめてしまって、エルイード様は顔を赤くして俯いてしまった。いけないいけない。

 しかし、エルイード様は俯きながらもボソボソと、しかし、しっかりとこう仰った。

「君は私に合わせようと頑張ってくれている。私も君のために頑張りたい」

 ……! エルイード様!

 私は思わず胸がいっぱいになった。この方は私のことをちゃんと見ていて下さったのだ。私がエルイード様に寄り添おうと試行錯誤していることを理解して下さっていた。

 優しく思いやりがある方だということは侍女たちに聞いて知っていたけれど、こうして実際に私にそういう部分を向けられると、彼がどうしてお義父様や王太子様、使用人の皆に認められているかがよく分かる。

 いざとなれば他人のために頑張れる人は慕われる。エルイード様は私のために頑張ると言って下さった。私はもうそれだけですべてが報われた気になったものだ。この方に嫁いでよかったわ。


 もっとも、社交にいい思い出をお持ちでないエルイード様を社交に連れていくのだ。ここでまた嫌な思いを抱かせてしまったら、今度こそ彼は社交に出たがらなくなるだろう。私は事前にエルイード様のために様々な手配をした。

 まず、エルイード様にとって慣れない顔ばかりだと不安になるだろうと思い、我が家の侍女や侍従に着飾って社交に出てもらった。元々高位貴族の者たちばかりである。別に不自然ではない。彼らにエルイード様の周りを固めてもらうことにする。

 エルイード様との縁談を断った女性は一人も出席させないように手配をした。エルイード様が特に社交を嫌うようになったのは、女性に馬鹿にされたりあざけられたりしたことが原因らしい。二度とそんなことをさせないように、性格に問題があるご婦人は慎重に排除する。

 そして王太子殿下ご夫妻をご招待した。殿下はエルイード様が社交に復帰されると聞き大変に喜び、協力を快諾して下さった。

 そして公爵家主催の、公爵邸での夜会で、私とエルイード様は手を取り合って初めて二人揃って社交に出席したのである。エルイード様は紺色のスーツ、私はマリンブルーのドレスだ。

 エルイード様は少し震えて、緊張しているご様子ではあったけど、しっかりと笑顔を作られ、私を抱き寄せて皆様のご挨拶を受けられた。やっぱりいざとなれば勇気を出して行動できる方なのだ。

 もちろん、厳選した出席者の方々はエルイード様を温かく迎えて下さった。特に王太子殿下のお喜びようは相当なもので、エルイード様の肩を叩いてしきりに激励のお言葉を下さっていた。そして私にも「よくやった! 其方こそ公妃に相応しい!」とお褒めのお言葉を下さったわね。

 二人で息の合ったダンスも披露し(エルイード様は本当に運動神経もいいようで、ダンスも上手かったわね)エルイード様の社交復帰は大成功に終わった。もっとも、自室に下がられてからエルイード様は、緊張と疲労でひっくり返ってしまって二日ほど寝込んでしまったのだけどね。

 看病する私のことを見ながらエルイード様は言った。

「ちゃんとできたかな。ルクシーダ」

「ええ。立派なお姿でしたよ。さすがは次期公爵閣下だと皆褒めて下さいました」

 私が言うと、エルイード様は安心したように微笑んだ。

「君に、恥ずかしくないように、頑張ったのだ」

 あらあら。私は思わず目に浮かんでしまった涙を慌てて拭った。こんな貧乏伯爵の娘に恥ずかしいも何もないですよ。でも、お気持ちは凄く嬉しい。

 私のためにエルイード様が頑張って下さるなら、私もエルイード様のために頑張らないとね。私とエルイード様は見つめ合ってフフフ、と微笑んだのだった。