第二章



 クラス委員の仕事も、補習もない日の放課後。

 わたしは部活にも入ってないから、そのまま帰ろうとしていた。

「リリカ、気をつけて帰るんだよ?」

 部活があるっていうのにわざわざ玄関まで見送りに来てくれたルルカが、そう言った。

「うん。ルルカ、心配ありがとう。ルルカは調理部のほう頑張ってね」

「もちろん! リリカにしいお菓子を食べてもらうためにも、頑張るよ!」

「ホント? うれしいな。楽しみにしてるね」

「うん。それじゃあ、また明日ね」

「また明日、学校でね」

 見えなくなるところまで手を振って、見えなくなることを残念に思いながらルルカと別れた。

 学校で何時間もずっと一緒なのに、それでも帰りに別れる時は寂しくなっちゃうのって、どうしてなんだろう?

 ……ルルカのことが、大切だからかな。

 改めて考えると恥ずかしいけど、その通りだからなんにもおかしくなんてない。

 ルルカも、同じように思ってくれてたらいいなぁ。

 でも、いつかはルルカにも恋人が出来ちゃったりするのかな……。

 今日聞いたアイちゃんの話を思い出しながら、そんなことを考える。

「恋人かぁ……」

 わたしはまだ、恋人がほしいと思ったり、誰かのことを特別に好きだって思ったことはない。

 けど、周りの子はそうでもないみたいだ。

 誰かが好きだから、頑張ってアプローチしたい……なんて話は、休み時間にもよく耳にする。

 そして誰かが告白するから応援しようって話になって、わけも分からず応援したことも何回かある。

 でも、いざ自分と距離の近い友達に恋人が出来たって聞くと、なんだか不安になってしまう。

 置いていかれてるって、いうんだろうか。そんな気がしてならない。

 もちろん、今の世の中では恋愛する性別どころか恋愛をするかどうかから、自由に自分で決めることが出来る。

 それでも、恋愛している人たちは輝いて見える。

 それはもちろん相手を思ってのことだろうし、魅力的になって振り向いてもらいたいからもあるだろう。

 それが相手にとっていいことかはさておき、輝いている姿っていうのは素敵だ。

 実際、恋人について語るアイちゃんの目はいつもよりずっとキラキラとしていた。

 それを聞いているキョウカちゃんの目も心なしか輝いているように見えたし……。

「……ううん!」

 そこまでの考えを忘れようと、首を大きく横に振る。

 そんなこと、考えてもしかたがない。

 きっと疲れてるんだ。今日はもう、帰ってから色々早く済ませて寝てしまおう。

 そう決めて、帰る道を歩き始める。

「いやっ、なにこれ! やめて! いやぁぁぁああああ!!!」

 突然聞こえてきた悲鳴に、思わず肩が震えた。

 どうしてこんな普通の道で、悲鳴が聞こえてくるんだろう……?

 悲鳴はどうやら、お店のそばにある柱に寄りかかっていた女の人が出しているようだった。

 表情が、明らかに引きつっている。けれど、どうして悲鳴をあげたのかは分からない。

 危ない人かもしれないと思って、その場から離れようとした。

 けれど、離れることが出来なかった。

 女の人のスマホが震えたかと思うと、一瞬にして黒々とした『なにか』が画面から出てきたからだ。

 糸のようになっているそれらは絡み合うと、まるで動物のような、大きなかたまりとなっていく。

 そしてその黒い『なにか』は、地をいずるような低い声のほうこうをあげた。

「なに!?

「え、新作の怪獣映画の撮影?」

「にしてはカメラとかスタッフとか見当たらないけど……ドローンかな?」

 辺りにいた人々が、スマホを手に取ってその光景をカメラに収めている。

 突然現れた『なにか』の存在は、映画かなにかの撮影なんじゃないかと思わせる非現実さがあった。

 けれど『なにか』は体から生えている手のような箇所を動かして、近くにあったお店の看板を破壊した。

 その衝撃にようやく危機が迫っていると分かった人たちは、急いで逃げ出した。

 道には誰かが手元から落としたらしいスマホが転がる。

 手の内から『なにか』を生み出した女性は、その場に倒れてしまった。

「だ、大丈夫ですか……!?

 急いでその人に駆け寄って肩をたたいてみるも、反応はない。

 どうやら、気絶しているみたいだ。

 幸いにも化け物は彼女とは反対方面の、人が多くいるほうを向いているために、はなさそうに見える。

 女性が気絶してもなおその手に持っているスマホは、化け物を生み出したせいか画面が無残に割られていた。

 そのことに心を痛めつつも、改めて『なにか』のほうを向く。

 たくさんの悲鳴があがっている。

 どうやら怪我人が出たらしく、それによってさらなる混乱も起きているみたいだ。

 人々の声だけじゃなくて、防犯ブザーのような音も聞こえる。

 もしかして、小さな子も襲われているのかな……?

「なに、これ……」

 ようやく出てきた声は、震えていた。

 だって、怖い。何より、ありえない。

 学校から帰る道でこんなことになるなんて、とても想像出来ない。

 なのに、どうして。

 そもそもあの生き物は、一体何なの?

 どういう意味があって、人を襲っているんだろう……?

 なんにも、分かりそうにない。

「あーあ。あの子が来る前に、覚醒しちゃったノカー☆」

 やや現状に釣り合わない、少年にも少女にも思える声が近くで聞こえた。

「覚醒……?」

「いつもより早いのカナ? それとも、あの子が遅いノ? どっちにしても、困るんだけどナァ……☆

 声が聞こえる辺りを見回すと、かばんの中に入れていたわたしのスマホが光っていることに気が付いた。

 その光り方が普段とはなんだか違っていたから、きっとそうだという確信を持って取り出す。

「一番困るのは、こういう時に限って候補者が周辺にいないことなんだネ☆ 近くの子にも、連絡が出来ないシサ☆」

「……こんなアプリ、ダウンロードしたっけ?」

 見慣れないキャラクターが、画面上で跳ねていた。

「あんまり能力には期待出来ないけど、他に候補も見当たらないシ……仕方ないから、力を貸してヨ☆ リリカ☆」

 突然そのキャラクターがわたしに視線を合わせて名前を呼んだから、思わずスマホを落としてしまいそうになった。

 すんでのところで、なんとか手に収める。

「え、なんの話……?」

「今からボクが、あの怪物を倒す力をキミにあげるからネ☆ その力で、キミはあの怪物を倒すンダ☆ いいカイ?」

「リリカが、倒せるの……?」

「……なんとかギリギリ☆」

『苦虫をみつぶしたような』という表現がこの前の国語の授業で出てきたけど、今のこのキャラクターがしている表情はきっとそれだろう。

 マスコットみたいなキャラクターでかわいいのに、そんな表情をしていいんだろうか。変に心配しちゃう……。

「ギリギリって、そんな……」

 わたしじゃ、ギリギリのところでしか倒せないの……?

 そうやって私が自分に絶望している間にも、巻き込まれる人はどんどん多くなっているみたいだ。

 悲鳴が、絶え間なく聞こえてくる。

 嫌だ。怖い。逃げ出したい。

 そんな後ろ向きな感情が、頭を埋め尽くす。

「けど、キミじゃなきゃ倒せナイ……少なくとも、今のこの状況では☆」

 マスコットの子が、頭に響かせるようにそう言った。

 何も考えられなくなっていたわたしの頭に、その言葉はよく響いた。

 今だけだとしても、わたしにしか倒せないんなら……。

「リリカに、戦う力をちょうだい」

 たとえギリギリだとしても戦える力があるんなら、それを信じてみたかった。

「ふっ」

「え?」

「そうこなくっちゃネ☆」

 マスコットの子は怪しげに笑ったように見えたけれど、すぐに元の無表情に戻った。

 気のせいだったのかな……?

 光が、スマホだけじゃなくわたしも照らしていることに気付いて、すぐにそんな細かな表情のことは頭からなくなった。

「なに、この光……?」

「変身に使うエネルギーだと思って構わないヨ☆」

「変……身……?」

 その言葉自体、聞いたことはある。

 いや、幼少期に、誰もが聞いたことのあるフレーズだろう。

 いつもの自分とは違う衣装を身にまとって戦うヒーローやヒロインになるための、魔法の言葉。

 けれど、ある程度大人おとなに近づいた……近づいてしまったわたしたちは知っている。

 そんな言葉で、変わることは出来ないと。

 でもこの子は、確かに言った。

 この光は、変身に使うエネルギーだと。

 これがいつもと何一つ変わらない状況で言われたんだったら、信じやすいと人から言われるわたしでも信じなかっただろう。

 でも、今は普通じゃない。

 実際に怪物が現れて、目の前で人々を傷つけている。

 変身して戦えるんなら、人々を守れるんなら……!

「どうやって、変身するの?」

 わたしは、マスコットの子にそう言った。その子は静かにうなずくと、「その光が教えてくれるからサ☆」と言う。

「光が……?」

 どういう意味だか分からずに首をかしげそうになった瞬間、頭の中に言葉が思い浮かんだ。

「リリカル☆マジカル!」

 その瞬間、光がさらに強くなって、わたしを包み込んだ。

 温かい光に包まれていると、身にまとっている衣装が次々と変わっていく。

「わわっ……!

 ピンク色の、いつか見たアニメ番組でヒロインがまとっていた衣装みたいなものを、私も身にまとっていた。

 さながら、魔法みたいだ。

 いつの間にか光はなくなって、その代わりに体の奥底から力が湧き上がってくる感覚があった。

 それに不思議と怖さはなくなっていて、代わりに高揚感のようなものがある。

「魔法少女リリカ! みんなのユメを奪うなんて、許さないんだから!」

 勢いで名乗ってしまった。

 しかも、決め台詞ぜりふみたいな言葉まで自然と口から出ていた。

 ちょっと、恥ずかしいかも……。

「って、これ……何……!?

 わたしは、全身をまじまじと見つめる。

 一瞬のうちに、衣装が変わった。

 かわいらしくてフリフリした衣装には、自然と心がときめいちゃう。

 それに、なんだか勇気みたいなものも湧いてくるみたいだ。

 さっきまで感じていた不安が、ウソみたいだ。

 手には、魔法使いみたいなステッキがある。

 それにしては重いんだけど……気のせいかな……?

「これ、もしかして魔法が使えるの?」

「……さっきも言ったように、キミにはちょっと難しいネ☆」

 再び苦虫をみつぶされて、ちょっとへこんでしまう。そんなにわたしって戦う才能がないのかな?

「でも、攻撃自体は出来るから……遠くから攻撃を受けないようにして徐々に攻撃してヤロウ。ヒトビトのユメを守るんだ! 早く!」

 マスコットの子は、怪物がいるほうを指差した。

 そちらへ向き直ると同時に、ステッキを構え直す。

「困ったらそのステッキで殴ってもなんとかなるからネ☆」

 ……そうならないように、なんとかうまく立ち回ろう!

 そういえば、いつの間にかマスコットの子が映っている自分のスマホが空中に浮いていた。

 驚いたけれど、現実はそれどころじゃない。

 わたしが変身している間にも、人々は襲われているんだ。

 だから私は、急いで怪物のほうへと走った。

 ……やっぱりこのステッキ、重過ぎる気がする。

 充分な武器かもしれないけど、そもそも困った時に武器として振るえるかな……?

 ちょっと不安になってしまう。

 怪物の真正面に現れるとさすがに向こうも気付いたらしく、わたしに向かってほうこうをあげた。

 耳を押さえたくなるほど大きな音に、思わずひるみそうになる。

「単純な暴力型だから、攻撃を食らわないように気をつけてネ☆」

 けれどそんな音なんて聞こえなかったみたいに、マスコットの子は冷静に言う。

「攻撃を食らわないようにって言われても……!」

 でも、やるしかないんだよ、ね?

「とりあえず一発、全力で力を込めてそのステッキを振ってみるんダ!」

「わ、分かった! やってみる!」

 言われるがままに、全力で力を込めてステッキを振り下ろす。

 するとステッキの先から、ピンク色の光が出された。それは動きの遅い怪物に、見事に当たった。

「うわわっ……」

 けれど光と音にビックリしてしまって、お尻からけてしまった。

 そして一発だけじゃ大したダメージを与えられずに、相手はちょっとよろけただけだった。

「何度もステッキを振るんダ! そうしてパワーをめて、ドデカい一撃をお見舞いシチャエ!」

「パワーを溜める……?」

 よく分からなかったけど、言われた通り必死にステッキを振る。その度に光も音も大きくなっていて、マスコットの子の言う通りのようだ。充分に大きくなったところで、怪物が足のような部分を抱えながら倒れ込んだ。もう少しみたいだ……!

「もう一度ダ! 地面に着くくらい、ステッキを振りかぶっテ!」

「う、うん……!」

 言われて、とりあえずうなずく。

 自分の力を全部出し切るように、ステッキを振りかぶる。

 すると、そのまま転けそうになってしまった。

 それに、そこを狙って相手が襲いかかってくる。倒れ込んでいたのに、どこにそんな力が残っていたんだろう……!

「うわっ……! わわわっ……!?

 とつけると、勢いよく上に飛び上がってしまった。

 怪物の背丈の半分くらいまで、わたしの目線の位置が上がる。

 普段とは違う地面との距離感がちょっと気持ち悪い……!

 襲いかかられたことよりも、その勢いのほうに思わず驚いてしまった。

 そのせいで着地のタイミングがつかめず、またもお尻から倒れてしまう。

「いたた……」

「なにやってるんだヨ! しっかりしてよネ!」

「そうは言っても……!」

 ただ避けたはずなのに、思っていた以上に飛び上がってしまったらビックリするに決まってる。

 きっと、魔法少女としての力なんだろうけど、こういうことは前もって説明していてほしかったかも……!

「魔法少女が見た目の変身だけして強化されなかったら、おかしいジャン☆」

 わたしが言いたいことなんて全部分かっているのか、マスコットの子はそう言った。

 肩をすくめるようにして、いかにもやれやれとあきれているみたいだ。

「でも、こっちも力がまっているし、相手ももう限界なハズ☆ もう一度、ステッキを振りかぶってネ!」

「わ、分かった!」

 あんまりステッキを振りかぶり過ぎるとバランスが崩れるから、いい感じに調節しないと!

「よーし!」

 改めて立ち上がって、怪物をにらみつける。

「いっくぞーっ!」

 それから大きくステッキを振りかぶって、相手に向けて光を放った。

 狙った通り、相手に大きな光が当たる。

 激しい音がしたかと思ったら、怪物はそのまま苦しそうな声をあげて倒れた。

 倒れた瞬間からさらさらと砂のようになったかと思うと、やがて跡形もなく消えてしまった。

「……終わった、の?」

 肩で息をして問いかけると、マスコットの子は一瞬だけ口元を緩めてニコリと笑った。

 その笑みに、得体の知れない恐怖を感じた。

 たとえるなら、入部させるために大仰に褒めてくる体験入部中の先輩みたいな怖さだ。

 なんだろう、うまく言い表せないけど……バカにされているのとは違う、上から目線……みたいな……?

「オ見事☆」

 無表情になったマスコットの子がそうつぶやいて指を鳴らすと、怪物によって壊されていた建物なんかが元に戻った。

「わっ……!

 継ぎ目みたいな、壊れたのを直した跡も見当たらない。

 まるで最初から、壊れてなんていなかったみたいだ。

「被害は多少出ているけど……ケガ人が出ていないから、間に合わせの変身としては上出来カナ?」

 その声が、やけに辺りに響く。誰もケガを、していない……。

「それなら、良かった、の……?」

 自分で話しながら、気が付いた。

 辺りは、いつの間にか静まりかえっている。

 周りをよく見てみると、通りがかりの人たちがみんな倒れていることに気が付いた。

「こ、この人たちは、みんな大丈夫なの……!?

「あぁ、気を失っているだけダヨ」

 気を失っているだけと言われて、安心してため息が出た。本当に、被害者は出ていないらしい。

「戦ってることが、一般人にバレるといけないからネ☆ こっちで処理して、記憶のかいざんなんかをしてるんダ☆ 気を失っているのはそのショックのせいかもしれないけど……そこはそこってことで、ネ!」

 そんなノリで言うことじゃない!

 言い返したかったけど、なんだか話なんて通じない気がしてやめておいた。

 遠くのほうからは声や音が聞こえてくるけれど、近くにいる人はみんな意識を失っている空間。

 耳に何かが入っているんじゃないかと思ってしまうくらい、静かだ。

 それがとても奇妙で、今回の出来事の中でも特に異常に思えた。

 今まで知らなかったけど、魔法少女や怪物がいる世界だと知ってしまったんだ。

 まるで、異世界に来てしまったみたい。

「お疲れ様☆」

 マスコットの子の声で、わたしの意識は現実に引き戻された。

 そういえば、まだ名前も聞いていない。

「急だったのに、変身してくれてありがとう☆」

 マスコットの子は、丁寧に頭を下げた。

 そして画面には、アンインストールの文字が大きく映る。

「さて、もう危険な戦いに身を投じたくなんてないデショ? キミも記憶のかいざんをして、今日のことはれいさっぱり忘れてヨ☆」

「えっ……」

 思ってもいなかった展開に、わたしはマスコットの子から一歩引いてしまった。

 そんなわたしに、マスコットの子のほうが驚いている。

 てっきりこのまま、怪物たちを倒すまで戦い続けるものだと思っていたから……。

 急に突き放されてしまったようで、少し悲しくなってしまう。

 もちろん、ここで解放されたほうがいいっていうのは分かる。

 だって、危険な目に遭ったのは本当のことだからだ。

 でも……。

 ステッキを握るわたしの手に、力が入った。

「あのっ!」

「うん?」

「魔法少女として、これからも戦っちゃダメですか……?」

 わたしがそんなことを言うなんて、思ってなかったんだろうか。

 マスコットの子は目を見開いて驚いた。アンインストールの文字が、一瞬にして消える。

 しばらく首をひねってから、口を開いた。

「……最初にボク、言ったよネ? キミには戦う力が、あまりにも足りナイって。その状態で戦い続けるのは危険だ。今回だけにしておいたほうがいいヨ☆ 大丈夫。記憶の処理はしてあげるから……」

「だとしても……!」

「……だとしたら逆に聞くけど、どうして戦い続けたいノ?」

 そう返されて、言葉に詰まった。

 変身なんて、特別なことだから。

 そんなめつにないものを、簡単に手放したくなんてないから。

 だからだとは、素直に口に出来なかった。

「だ、誰かを助けられるんなら、助けたいから……」

 だからわたしは、当たり障りのないことを理由にした。

 さっき変身した時には誰かを助けたいと思っていたから、まるっきりうそというわけじゃない。

 ただ、優先順位が変わったってだけだ。

「ふーん。高尚なことダネ……」

 マスコットの子は疑っているようだったが、それ以上何も聞いてこなかった。

あざは大丈夫なノ?」

 そう言われて、マスコットの子の目線が示したほうを見る。

 すると、確かに靴下から見える足には痣があった。

 お尻からけた時に、ついたものかもしれない。

 痣があると分かった瞬間に、不思議と痛くなってくる。

 けど、痛がっていたら魔法少女になんて到底なれない。

 そう確信したわたしは、必死にその痛みに耐えた。

「い、痛くなんてないよ。このくらいの、慣れっこだし」

「……それはそれで、キミのいる環境に問題があるんじゃないかって思っちゃうんだケド?」

「え、いや、そういうのじゃなくて……!」

 思いがけない反応に、慌ててしまう。

 勢い余って言ってしまったことだけど、どうやらあんまりい意味には取られなかったようだ。

 改めて考えると、それはそうかもしれないけど。

 わたしがたっぷり五分はあたふたとしてから、マスコットの子はうなずいた。

「うん。それだけキミに正義感があるんなら、ひとまず考えてみるヨ☆」

「お、お願いします……!」

 わたしはマスコットの子がスマホの画面越しにいると分かっていたはずなのに、思わず手を伸ばしていた。

 伸ばした手が、画面にぶつかる。

 その様子を、マスコットの子は不思議そうに見つめてきていた。


   ○


 髪を乾かし終えて、ふと息をつく。

 今日は、とんでもない出来事に巻き込まれて大変だった……。

 というか、あの数々の出来事は本当に現実だったんだろうか?

 怪物が現れたことも、自分が魔法少女に変身したことも……同じくらい夢だったのかもと思えるくらいに、現実味がない。

 けれど、いまだに痛みを感じる右手を見つめる。

 そこには確かに、今日あの怪物からつけられた傷があった。

 そして、スマホを開くと画面に出てくるのは見知らぬアプリ。

 これがスマホに残っていることが、今日あった出来事がうそではないことの証明だろう。

 思わず手が触れて起動すると、マスコットの子もまた髪を乾かしていた。

 マスコットの子は丸々とした目で、キッとこちらをにらんでくる。

「今はプライベートな時間なんだから、放っておいてヨネ!」

 そのまま有無を言わせずに、アプリは終了した。

 どうやら、起動も終了も勝手に出来るようになっているらしい。こんなに挙動がアプリ本位なもの、見たことない。

 ウイルスソフトが反応しなかったから、大丈夫だと思いたいけど……本当のウイルスを入れられたらどうしようと、ちょっと不安になる。

 今日の女の人のように、スマホが突然割れてしまう事態を想像する……きっと怒られるだろうし、しばらくないままで生活しなきゃいけなくなるだろう。もしすぐに買ってもらえたとしても、今度のお年玉かなにかから引かれてしまうかもしれない。どちらでも、ちょっと困ることに変わりはない。

 ……そもそも画面上に存在するマスコットが髪の毛を乾かしているって、かなり不思議だ。

 世の中って、わたしが思ってる以上に不思議なんだなぁ……。

「何か用だったノ?」

 ボーッとしていると、マスコットの子から声がかけられる。

 そういえば、名前すら聞いてないことを思い出した。

「な……名前を、聞いてないと思って。なんて名前なの?」

「ボクはハピポン☆」

「そうなんだ。分かったよ。よろしくね」

「……よろしくしていいノ?」

 信じられないといった表情で、ハピポンは言う。どうしてそんな表情になるのか分からなくて、わたしは首をかしげてしまった。

「だって毎回、大した理由もなく暴れ回る怪人や怪物……ディジェネレーターっていうんだケド……のせいで、あんな危険な目に遭うんだヨ? 今日ははじめての戦いだったのもあって、あざも出来ただろうしネ☆」

 それは魔法少女を続けたいと言った時に返された忠告よりも詳しいものだった。

 ディ……理由もなく暴れ回っているというのも気になったけど、それ以上に思うことがあった。

「心配してくれてるの?」

 心配という感情と目の前のマスコットキャラクターがなんとなく結びつかなくて、そう言った。

「それくらいするヨ☆ だって、戦える人間がいなくなるのは困るからネ☆」

「そう、そうだよね」

 わたしの心に、その言葉はすごく優しく響いた。

「そんなに、戦える人間なんていないだろうしね☆」

「それはそうだネ。地球というくくりで考えても、魔法少女の適性を持った人間は極わずかダカラ」

 そう言われて、わたしはうれしくなった。

 めつにいない、魔法少女に選ばれただなんて。なんて『特別』なことなんだろう。

 しかも、頑張れば人を守ることも出来るんだ。目の前で怪物に襲われそうになっている人を助けられる……特別な力。

 もちろんこの子の言うように、危険な目に遭うことは避けられないんだろう。わたしの命も、危なくなるかもしれない。

 それでも、こんなに特別になったことなんてないから嬉しさのほうが上回っていた。

『特別』なことは、なんて素敵なんだろう。

「えへ、えへへ……」

「え……もしかして、ドM?」

「な、なんでそうなるの!? 違うよ!」

「だって危険な目に遭うって忠告されて、エヘエヘ言ってたカラ☆」

「そんな風には言ってないもん……!」

 悪意のあるモノマネに、思わずほおを膨らませて言い返す。

 けれどハピポンは、ケラケラ笑うばかりだった。

 こんなに見た目はかわいいのに、少し……いや、かなり癖があるマスコットキャラクターだ。

「とにかく、これから頑張るからよろしくね!」

 不安はあるけど、わたしが頑張りたいって思ったことだ。絶対に、人々のユメを守らないと。

「頑張ってくれるとうれしいヨ、うん。ヨロシクネー☆」

 ハピポンは軽薄な口調でそう言うと、またも勝手にアプリを終了させて画面からいなくなった。