第4章 お狐様、実力を発揮する

翌日の朝。イナリはゆっくりとベッドから身を起こした。

柔らかいベッドとふかふかの布団は、そのまま何十年かは寝ていられそうなくらいに気持ちがいい。

「あー……よく寝たのう。まあ、わしは別に寝なくても問題はないんじゃけども」

寝ても寝なくても、身体機能に特に変化があるわけでもない。ないが……折角ベッドがあるのに寝ないのはベッドに失礼だ。

そんな気持ちで寝たが、想像以上に良かったのだ。だからこそ、今後は可能な限り夜はベッドで寝ようとイナリは考えていた。出来れば、このまま寝ていたい気分ではあるが、まあそういうわけにもいかない。覚醒フォンも手に入れたことだし、ダンジョン攻略をそろそろ本格的に始めなければならない。まずは教えてもらった覚醒者専用ポータルサイトから予約をする必要がある。

「さて、と」

覚醒フォンからのみ繋がる覚醒者専用ポータルサイトは、覚醒者協会が世界的に運営するものだ。オークションに固定ダンジョンの予約機能、マッチングサービスへの登録など、覚醒者に必要な機能が全部揃えられている。

ひとまず必要なのは固定ダンジョンへの予約。

東京にある固定ダンジョンで現在確認されている公式情報としては、十か所が存在している。

東京最大であり未だにクリア者の居ない迷宮型、東京第一ダンジョン。

ゴブリンの出てくる洞窟型、東京第二ダンジョン。

ウルフの出てくる草原型、東京第三ダンジョン。

オークの出てくる集落型、東京第四ダンジョン。

スライムや巨大ネズミの出てくる下水型、東京第五ダンジョン。

リザードマンの出てくる沼地型、東京第六ダンジョン。

アンデッドの出てくる地下監獄型、東京第七ダンジョン。

リビングメイルの出てくる古城型、東京第八ダンジョン。

虫型モンスターの出てくる森林型、東京第九ダンジョン。

獣型モンスターの出てくる草原型、東京第十ダンジョン。

バラエティー豊かであるようには見えるが、実際には第八ダンジョンと第十ダンジョンに人気が集中しているらしい。その理由はドロップ品であるらしいが、まあつまるところ武具や肉などが良い稼ぎになるということのようだ。

そしてイナリがクリアしたのは第二ダンジョンと第三ダンジョンだ。どちらも然程のものではなかったが……他もそうとは限らない。

「まあ、いずれは第一ダンジョンに挑む必要があろうが……まずは順繰りにやってみるとするかのう」

ひとまず第四ダンジョンに空きがある。まずは其処に行くべきだろうと予約ボタンを押そうとした瞬間、電話の着信が響き始める。

「む? なんじゃ……安野か。えーと、通話は……これじゃったな」

通話ボタンを押して「もしもし、わしじゃ」とイナリが言えば、電話の向こうから安野の声が聞こえてくる。

『狐神さんですか!? テレビ! テレビつけてみてください!』

「てれびい? 朝から何を言っとるんじゃ」

仕方なしにイナリがリモコンでテレビをつけると、何やらポップな画面が飛び込んでくる。

─本日の第一位は蟹座の貴方☆ なんだか思わぬ幸運が飛び込んできそう! ラッキーアイテムは青のグロス! 特に恋愛運は二重丸! ドキドキする一日が始まっちゃうかも!─

「……わし、恋愛運とか興味ないんじゃけど……自分の星座も知らんし……」

『へ? 恋愛運?』

「そういうのが知りたいならわしが占った方が良い結果が出ると思うがのう」

『あ、番組違います! えーとですね……』

安野の言う通りに番組を変えてみると、何やら画面にイナリの姿が映っている。どうやら帰りの車に乗り込むところのようだが……。

─このように現場から覚醒者協会のものと思われる車で立ち去る少女の姿が目撃されているんですね。先生、これはどう見るべきなのでしょう?─

─はい。『黒い刃』は色々と噂のあるクランでしたが、それでもそれなりの実力者を揃えていました。現時点で確認できる情報を見る限りですと、この狐耳の少女が深く関わっているのは間違いないでしょう─

─いったい何者なんでしょうか?─

─分かりません。ですが著名な覚醒者のリストに彼女と同じ特徴の人はいません。つまり覚醒者協会の隠し持っていた秘密兵器の可能性が……─

思いっきりイナリの話をしている。というか、昨日の光景がどうやら撮られていたらしい。

「……どういうことじゃ? 昨日の騒ぎは表沙汰にはならんとか言っとらんかったかのう」

『それが、現場にそういう能力に長けた覚醒者のパパラッチがいたようでして。テレビ局の一つに持ち込んだんです。現在対応中ですが二、三日の間外には出ないようにしてください』

「まあ、うむ。仕方ないのう……」

『お願いします。では!』

まあ、そういうことであれば仕方がない。イナリは溜息をつきながら予約を諦める。

二、三日家から出ない程度であればどうということもない。その間、ポータルサイトやテレビを見て色々と現代社会について学習すればいいだけの話だ。

「……ま、勉強の時間がとれたと思うべきかの」

イナリは気を取り直すと、テレビのチャンネルを変える。

─見てください、この素晴らしい切れ味! 覚醒者用の刃物を作っている工房謹製だからこその、この性能!─

─これなら普段のお料理も楽々ですね!─

「ううむ、セットでこんなにオマケがついてこの価格とは……どういうからくりなんじゃ……」

……勉強になりそうにはないが。まあ、楽しければオッケーである。

◇◆◇

そして、三日後の昼。安野からイナリに電話がかかってきた。

『あ、お世話になっております。安野です!』

「おお、ようやくどうにかなったという話かのう?」

『はい。どうにかなりました。ひとまず今回の件はこれで終了という認識で問題ありません』

「うむうむ、これでだんじょんに行けるというものじゃ」

『バリバリやっちゃってください! 何かあれば連絡してくださいね!』

そうして電話を切ると、イナリは「うーむ」と唸る。どうにかなったとは言うが、具体的にどうしたのか。詳細を話さなかったということは、話す気がないか止められているのだろうが……絶妙に何かの圧力をかけたような匂いがプンプンする。覚醒者関連の歴史を考えるに、有り得ない話ではない。

「ま、どうでもええがの。人を見世物にしようって輩は嫌いじゃ」

イナリは覚醒フォンを操作すると東京第四ダンジョンを予約する。ポータルサイトには行き方も載っているので、特に迷う理由もない。

「えーと……ばすで行けるんじゃな。便利じゃのう」

すでにイナリはバスの使い方については覚えた。バス停が東京にはたくさんあって、ダンジョン行きの巡回バスがあることも分かっている。

「よし、行くとするかの」

イナリが必要な荷物は覚醒フォンと家の鍵だけだ。家を出てバス停を探し……そうすると、一人の男が家の近くにとまっていた車から出てくる。

「警備部要人警護課の武井です。お出かけですか?」

「うむ。お主等、まだ居たのかえ」

「はい。終わったというタイミングが一番危険ですので。それで……どちらへ?」

「だんじょんじゃ。その為にばすに乗ろうと思ってのう?」

「ではお送りします」

「有難いが自分で行くからのう。ばす停を教えておくれ」

笑顔で言うイナリに武井は頷くと、何処かにイヤホンで連絡しながら地図を取り出す。

「東京第四ダンジョンですね。それであれば、この道をまっすぐ進んで右に曲がると第四行きのバス停があります」

「あー……そうか。お主等、予約先の組織じゃものなあ……うむ、ありがとうの」

まあ、覚醒者協会の運営するポータルサイトで予約しているのだからその情報を協会側が知っているのは当たり前だしイナリとしては話が早いので助かる。

そうしてイナリはバス停に来たバスに乗り込むが、なんと一人も乗っていない。

「おや?」

「ご利用ありがとうございます。この車は東京第四ダンジョンに向かうものですが……」

「お仕事おつかれさまじゃ。これでええかの?」

「はい、覚醒者カードを確認させていただきました」

バスの運転手が頷くのを確認し、イナリは座席に座って。それを確認するとバスも出発開始する。しかし、どうにもバスの中にはイナリと運転手の二人だけである。

確かに東京第四ダンジョンの予約はほぼ全ての時間が空いていたが、ここまでバスがガラガラだとは思ってもいなかった。確か東京第三ダンジョンはもう少し人が集まっていたはずなのだが……このバスで向かう人がいないというだけだろうか?

「うーむ。そんなに好き嫌いしてええんかのう?」

「オーク相手なら仕方ありませんよ」

バスの運転手がそう話しかけてきて「ひょ?」とイナリは声をあげる。まさか話にのってくるとは思わなかったのもあるし「仕方ない」という言葉も気になった。

「仕方ない、とはどういう意味かのう。人気がないというのは知っとるが」

「そっか。お客さんは白カードですものね。ご存じないのかもですが……オークほど恐ろしい生き物も、そうはいませんよ」

オーク。いわゆる人間型のモンスターではあるが、総じて大柄であることでも知られている。

ゴブリン同様に様々な武器を使いこなすことでも知られているが……特筆すべきはその性質だ。

オーク臭と呼ばれる独特の体臭を持ち、それで縄張りをマーキングする。更には狙った獲物に自分の匂いをつけることで何処までも追ってくる。

更にはずるがしこく、罠を使用する知能も持っている。「集落型」である東京第四ダンジョンではそんなオークの特性が最大限に生かされ、いつも気を張っていなければならないしオークの匂いをつけられてもいけない。

様々な対処法が必要になる上に、オークは肉食だ。彼等にとって人間がどう見えるかなど言うまでもないわけで……オークが人型であるだけに、その嫌悪感も激しいらしい。

「大手クランが定期的にクリアしてるらしいですけどね。そうでなきゃ、好き好んで向かう人もいませんよ」

「ふうむ。まあ、よくある魑魅魍魎ちみもうりょうの類とそう変わらんのう」

餓鬼に限らず、魑魅魍魎は「そういうの」が非常に多い。むしろ、そういうのではないモノを探す方が難しいくらいだ。だから、そんな話はイナリにとっては然程気にする話でもなかったのだ。

「ま、問題ないじゃろ。わしが上手く立ち回ればいいだけの話じゃ」

「それはそれは。なんだか余計心配になってきました」

「え? なんでじゃ?」

自信満々で失敗しそうなフラグに聞こえる、とは失礼すぎるので運転手は言わなかったが。

まあ、狐耳に巫女服、尻尾までつけて武器の一つも持っていないように見える白カードの新人が「オークなんかこわくない」といったところで……バスの運転手としては心配しかないのは、まああまりにも当然すぎる話であったのだ。

「む、そうじゃ。帰ったらしゃけ握りでも作ろうかのう。ふふふ、きっと美味いぞ」

何やら死亡フラグじみたことを言っているので更に運転手はハラハラしてしまうのだが……そんな運転手の心配はさておき、バスは目的地に到着する。

「気をつけてくださいね!」

「うむうむ、ありがとうのう」

バス運転手の心配を余所にイナリがバスを降りると、そこには荒廃した街並みと、その中に新しく出来た施設の混在する光景があった。

固定ダンジョンが……それも不人気の固定ダンジョンがあるからこそ、復興が進まない。

イナリがチラリと視線を向けた先には、覚醒者需要を見込んだものの売り上げが上がらず撤退したのだろう商業施設も幾つか見えていた。

ともかく、イナリはバス停からゲート前へと繋がる門を見上げる。他のダンジョン同様に武装した警備員が立っているが、今まで見た二つのゲートに比べると大分暇そうだ。

「お疲れ様じゃ。予約した狐神じゃが、入って構わんかのう?」

「え? ああ、そういえば予約一件入ってたな」

「ちょっと待ってな。狐神……あー、あるな。どうぞ」

「うむ」

イナリが出したカードも一応確認したといった風だが、やる気の差が見て取れる。

施設内も職員用の建物とゲートしかないようで、気のせいかゲート前の職員もぽけっとしている。

「不人気じゃと、こういう風になるんじゃのう」

平和といえば平和なのだろうが……ダンジョンは放置すればモンスターが溢れ出てくるようになる。そういう意味ではこの状況が健全なのかどうかはイナリには分からない。

「予約した狐神じゃ」

「あ、はいはい。頑張ってくださいねー」

こっちの職員もやる気がない……が、まあイナリがどうこう言う問題でもない。

そのまま青いゲートを潜っていくと、目の前の光景が切り替わる。

何処まで続くのか分からない荒野と、その先に見える丸いテントのような形の簡素な家の数々。

ドンドコドンドコと太鼓らしき音も聞こえてくるのは、宴会でもやっているのだろうか?

晴天の空を照らす太陽は眩しく、イナリの姿をこれ以上ないくらいに照らし出している。隠れて接近する……などということも、此処では不可能だろう。それだけではない。集落らしきものは、どうやら幾つか存在する。

「なるほど、のう。これが集落型……というわけじゃな」

此処からボスを探し倒すのはなるほど、確かに手間だろう。普通に考えて一番守りの厚い場所にいるだろうし、そうなるとオークとの総力戦という話になってしまう。

しかも「どの集落にボスがいるか」が分からないのだ。下手をすれば疲弊しきった状態でボスと戦うことになるのだ。そうなれば最悪だ。そのくせしてドロップ品であまり稼げないというのであれば不人気なのも納得ではある。

「まあ、わしには関係ないがのう」

そう、あれが集落であって、たとえばどれがボスのいる建物なのか分からないとしても。空はこんなに明るくて、見通しはこんなに良いのだ。

「来い、狐月」

呼び声に応え現れたのは、一張の弓。凄まじい神気を放つ弓がその手に収まると、お狐様はキリキリと、その細腕からでは想像も出来ぬほどに弓を強く引いて。

弓を引き切った、その手の中に輝ける光の矢が出現する。

天に向けられたその矢が放たれ、天空で無数の矢に分裂して降り注ぐ。

「ギャ、ギャアアアアアアアア!?

「グガアアアアアアアアアアア!」

「ギヒエエエエエエエエエエエ!」

「おーおー、響きよるわ」

地上に降り注ぐ光の矢の雨が無数のオークの悲鳴を生み、それが止んだ頃にオークの怒声が響き始める。まあ、いきなりとんでもない攻撃を叩き込まれたのだ。当然といったところだろうか?

しかしイナリは容赦しない。続けて矢をつがえると、今度は「普通に」光の矢を放つ。

ズバアン、と凄まじい音を立てて飛翔する光の矢は丁度オークの集落の中心辺りに炸裂し大爆発を引き起こす。

「ギエエエエエエエエエエエ!」

消し飛んでいくオークの中で、今まさに突撃命令を下そうとしていたオークリーダーは思う。

なんかよく分からんがヤバい奴がいる、と。

凄まじい光を放ち、オークの戦士たちを殺していく。このままでは皆殺しにされてしまう。そんなことを許すわけにはいかない。だからこそオークリーダーは神からの授かりもの……スキルを使用する。

狂暴化……理性を犠牲に全能力を引き上げる、選ばれた戦士のスキル。だが、これさえ使えばあの光の発射元にいる敵にも届く。だからこそ、オークリーダーは残った戦士たちに突撃命令を下して。自身もスキル「狂暴化」を使用する。消えていく理性と、湧き上がる力。

負けない。これならば負けない。だから敵を殺せ、とオークリーダーは咆哮する。

「ギュオオオオオブエッ」

今度は真っすぐ飛んできた光の矢がオークリーダーの上半身を消し飛ばし、思わずオークたちは振り向き驚愕の声をあげる。

「ブヘエエエ!?

「ブグエエエ!」

一体何が起こったのか。それを理解する暇もなく、次々と飛んでくる光の矢にオークは消し飛ばされていく。そうして、やがて動くオークがその集落の中に一体もいなくなった頃……イナリは入り口付近にたたずんだままオークの集落を目を細めてじっと眺める。

「デカい声じゃったのー。しかしまあ、あそこにはボスはおらんかったようじゃが」

イナリが他の冒険者と違う点は、強さだの何だのとは全く違う、ただ一点。

つまり……ドロップ品なんかどうでもいいと思っていることだ。だからこそ、イナリは「よし、次じゃ」と言いながら別の集落へと弓を向けていた。

そう……イナリによって始まった、とんでもなく一方的な蹂躙が、しばらくオークの悲鳴を轟かせていた。

そうして、オークの集落から何も聞こえなくなった頃……イナリは狐月を下ろして「ふう」と息を吐く。

「随分倒したはずじゃが、まだくりあの表示は出んのう。はて……何処に隠れておるのやら」

ボスを倒せばクリアのメッセージが出てダンジョンから外へ転送される。だというのにそれがないということは「ボスを倒していない」ということに他ならない。ならばどうするべきか? 当然、歩いてボスを探すしかない。

「やれやれ。そう楽はさせてくれんか。とはいえ、丁度いいといえばいいかのう」

そう、イナリの目標のためには魔石の回収も大切だ。ウルフの魔石も自宅に送ってもらっているし、地道に食べているが……オークの魔石も回収しておく必要があるだろう。

イナリは最初に殲滅したオークの集落に入ると、落ちている魔石を拾っていく。

「うるふの魔石よりは大きいかの? 誤差と言えば誤差かもしれんが……」

実際、ほぼ誤差だ。このダンジョンが不人気なのはその辺りにも理由がある。けれどイナリにとってはそんなものはどうでもいい。

魔石をひょいひょいと拾って、魔石を持っていない方の手でくるりと空中に円を描けば、そこに黒くて丸い空間が発生する。

「そーれっと」

そこに魔石を放り込むと、何処かに消えていく。まあ、よく言えば倉庫であり、悪く言えば神隠しである。もっとも、イナリは神隠しの意味で使ったことは無いし、今まで特に必要ともしていなかったので使わなかったが……こうして使ってみると便利なものだ。

─未登録の技を検知しました!─

─ボックススキルとの類似性があります─

─ルーム系スキルとの類似性があります─

─ワールドシステムに統合します─

─スキル【神隠し】を生成しました!─

「まーた『しすてむ』か。よう見とるのう」

とはいえ、便利になるのならイナリとしても特に異論はない。試しに「神隠し」と唱えてみると、イナリの目の前に『現在使用中です! ウインドウを開きますか?』とメッセージが出てくる。

「よく分からんが……うむ」

イナリが「はい」を押せば、目の前に細かく四角で囲まれたウインドウが現れる。

それはRPGなどをやったものには馴染み深い「アイテムウインドウ」と呼ばれるものに似ており、先程イナリが放り込んだ魔石の絵が数と共に表示されていた。

「ほう、便利じゃのう。と、すると……」

ドロップ品と思われる斧を拾いイナリが黒い穴に放り込むと、アイテムウインドウに「オークの斧」が表示される。

「ほうほう! なるほどのう……! ん? すると取り出すには……」

イナリがオークの斧の絵に触れると、取り出すか否かのメッセージが現れ、「はい」を選べば手の中にオークの斧が現れる。

「おお……これはこれは。いやはや、入れたモノを覚えなくていいのは便利じゃのー」

何しろ勝手に分類整理して目録を作ってくれるのだ。おまけに取り出しも簡単。

いわゆる「ボックス」系スキルが激レアなスキルだという一点が大問題ではあるが、イナリは元々そんなものを気にしないので何の問題もない。後でイナリから茶飲み話に聞かされるかもしれない安野の胃が痛くなるだけだ。

「さて! そうなると此処にあるモノも向こうにあるモノも、全部回収してしまうかの。いやあ、便利便利。しすてむも粋なことをしてくれるではないか!」

(とはいえ……わしの神隠しに平気で干渉してくるとはの。相変わらず底が知れぬ……)

何処までやればシステムの正体に迫ることができるのか、現時点では全く見えないが……少なくとも敵であるようには見えない。今は一歩ずつでも強くなっていくしかない。

だからこそ、イナリは片っ端から魔石やドロップ品を回収していって。最後の集落での回収作業を終えたタイミングで「ところで」と何処かに向かって声をかける。

「出て来んのは自由じゃが……お主がくりあの鍵じゃからのう。出て来んなら……諸共吹き飛ばすが、ええんかのう?」

瞬間。テントの残骸から一際大柄のオークが飛び出しイナリへと剣を振るう。

オークジェネラル。このダンジョンのボスモンスターはイナリの隙を突くつもりだったようだが……全く隙が無いので、もうこのタイミングで出るしかなかったのだ。

「狐月、刀じゃ」

イナリの手の中の狐月が弓から刀に代わり、オークジェネラルの剣を切り飛ばす。

「ナ、何者……!」

「わしか? 見ての通り、狐じゃよ。今は狐神イナリと名乗っとる」

そのまま一撃でイナリの刀がオークジェネラルを切り裂いて。それでもオークジェネラルはイナリを直接潰してやろうと腕を振るい、しかしそれもイナリは軽く回避する。それでも振るわれる拳を避けながら、イナリは指先から狐火を連続で放つ。

「ガ、ガガッ……!」

「頑丈じゃのう……となれば、攻め方を変えるも致し方なし、か」

イナリは刀身に指を這わせ滑らせる。

イナリの指の動きに合わせ黒い靄を纏っていく狐月はゆらりと怪しい影を纏って。

忌剣きけん・村正」

それは「秘剣」ではなく「忌剣」。イナリとしても積極的に使おうとは思わない類の力につけられる名称だ。この「忌剣・村正」もまたその一つ。呪いの刀として有名な村正伝説の再解釈により生まれた、むべき一撃は……今、この場に姿を現した。

そして、イナリの刀から放たれた黒い刃が三日月のような形を描き、オークジェネラルを切り裂く。その傷口から黒い靄が溢れ出てオークジェネラルを呑み込んでいく。それは侵食。あるいは感染。あるいは捕食。黒い靄の中に、オークジェネラルは自分の命が消えていくのを確かに感じ取る。

「ゲ、ゲゲ!? ギグゲゲゲゲゲゲ!」

「『呪』じゃ。流石の体力自慢でも効くじゃろ?」

「ゲ、ガ……」

オークジェネラルが倒れ伏し、消えていく。そこに残されたのは、大きな剣。それをイナリが黒い穴に放り込めば、早速クリアメッセージが表示されていく。

─【ボス】オークジェネラル討伐完了!─

─ダンジョンクリア完了!─

─報酬ボックスを手に入れました!─

─ダンジョンリセットの為、生存者を全員排出します─

「うむ。ま……こんなもんじゃろ」

その「こんなもん」がどれほど凄いことかを全く気にしないままに、イナリはダンジョンの外へと転送されていく。

◇◆◇

お昼には、まだまだ時間のある午前中。

予約も一件しかなく、物凄く暇な職員が覚醒フォンでネット掲示板などを見ていた。

通常、集落型のダンジョンは腰を据えて挑むことになるため、かなり時間がかかる。

三日かかることだって珍しくはないし、一週間超えても帰ってこないようならば救助隊が出る。

というか、一般的に固定ダンジョンはボスを倒さないのが普通なのだ。

練習用として使われている東京第二ダンジョンやクリアに然程時間のかからない東京第三ダンジョンはともかく、他の固定ダンジョンは大体一時間おきに他のパーティーが中に入る。ボスを倒すよりも一定時間ごとに再出現するモンスターを皆で倒した方が得だからだ。誰も今の時代、命懸けでボス討伐などやってはいない。そういうのは定期的に大手クランがやればいい話だ。

そして、この東京第四ダンジョンはその性質上、どうしても最終的には殲滅戦になる。つまりボスを倒す命懸けのバトルになるわけだが……それで手に入るのが汚い斧や剣などなので、しかも罠による怪我の危険性もある。そんなダンジョンが人気のはずもない。先程入った覚醒者も適当に現実を知って戻ってくるだろうと、そう職員は気軽に考えていた。

「しかしまあ、可愛い子だったな。怪我とかしてなきゃいいんだが」

狐耳と尻尾までつけていたのはそういう趣味なのか。そんな失礼極まりないことを考えながら、職員は椅子に座り覚醒フォンを取り出す。

「そういや今日から限定ガチャだったな……どれ、さっきの子の無事を祈って十連……」

人気のゲーム「覚醒大戦」のガチャを引き始めた職員は、ゲート側の転移場所がパアッと光り始めたことに気付かない。

「お、確定演出……」

イナリが光と共に転送されてきて……同じタイミングで職員のアカウントに限定星5キャラが現れる。

「き、きたあああああ! よっしゃあああ!」

「なんと……そんなに歓迎してくれるとは嬉しいのう」

「へ? うえっ!? え、もうクリアしたんですか!?

「む? うむ。 え? 今の『よっしゃあ』がわし宛ではないなら一体」

「あ、いえいえいえ! なんかこう、頭で理解するより喜びが勝りまして!」

「おお? そうかそうか。それは嬉しいのう」

イナリが無事にチョロく誤魔化されたのはさておき、誤魔化し切った職員は心の中で驚きで絶叫していた。

(え? えええええ? 有り得ないだろ。もうクリア? え? クラン『閃光』の連中が百人がかりで半日だぞ? それが、まだ昼にもなってないのに? クリア? どうなってんだ……?)

「え、ええと……クリアおめでとうございます。戦利品の確認をさせていただいてもよろしいですか?」

「うむ。これじゃの」

「うげえ、アイテムボックス!?

「ひょえっ!? なんじゃあ!?

「え、いえ。その、思わぬスキルに驚きまして」

神隠しの穴からアイテムをどさどさと出したイナリに再び驚く職員だが、出てきた魔石の数にもドロップ品にも驚いていた。

「うっそだろ……オークの斧や盾はともかく、オークジェネラルの剣……? これってドロップするものだったのか……」

「おお、そうじゃ。あいてむぼっくすを開けね……ば?」

─称えられるべき業績が達成されました! 【業績:オークの高速殲滅者】─

─報酬ボックスを回収し再計算中です─

─報酬ボックスを手に入れました!─

「むう。まーたこれか。随分と業績とやらは簡単じゃのう」

「え、えええ!? なんですか、その絶妙に可愛くない箱は」

「それはわしもそう思う」

デフォルメされたオークの顔がプリントされた紙で包装された手のひらサイズの箱を、イナリは職員の前にスッと差し出す。

「え?」

「写真。撮るんじゃろ?」

「あ、ああ! そうでした! こんなの初めてで……!」

そうして職員が覚醒フォンで慌ただしく写真を撮ると、イナリは包装をバリバリと破いて。

光りながら浮かび上がってきたものは、どうやらオークジェネラルの被っていた兜であるようだった。

「す、すみません。初めて見るアイテムですが、これはどのように取り扱われるご予定でしょうか……?」

驚きすぎて恐縮してしまっている職員に、イナリは「うむ」と言いながらオークジェネラルの兜を差し出す。そう、答えは一つだ。

「わし、こんなもん要らんのじゃ。魔石だけ持って帰るからの。他はおーくしょんに出品しておくれ」

「え、ええ!? 凄いアイテムかもしれないんですよ!」

「凄かろうと何だろうとわし、こんなもんは被らんからのう。欲しい人に渡った方がよかろ」

「う、承りました。すぐに手続きをさせていただきます」

「うむうむ。ではわしは帰るのじゃ」

「あ、待ってください。目録を作りますので!」

そうして出来た目録を受け取り、魔石を神隠しの穴に収納してスタスタと帰っていくイナリを見送ると、職員はゲート専属の鑑定士を呼ぶ。スキル『鑑定』があるがゆえに、そういったサービスもしているのだが……オークションに出品する以上、ここで鑑定をしておく必要がある。

結果として鑑定士も青ざめ、イナリに慌てて電話をかけて再度「要らぬ」と言われ出品されたオークジェネラルの兜は、再び大きな混乱を巻き起こすのだった。

◇◆◇

クラン『閃光』本部。

日本の十大クランに入るそのクランマスター「星崎ほしざき樹里じゅり」は、覚醒者専用オークションに出品された二つのアイテムに驚きと焦燥を隠せずにいた。

「オークジェネラルの兜に剣……? なんだ、このアイテムは……!」

星崎樹里。弱冠二十四にして五本の指に入る近距離ディーラーだと言われる彼女にとって、この二つのアイテムはあまりにも見過ごせないものだった。

まず、オークジェネラルの剣。武器としてはオークサイズの大剣だが「サイズ調整」のスキルがついており、装備者の体格にあった大きさに変化する。それでいて基本性能も覚醒者協会の評価は「下級上位」。一線級とまではいかないが悪くはない。まあ、そこまではいい。

問題はこれが「セット装備」と呼ばれるタイプの剣であるということだ。対応するアイテムと組み合わせた場合の追加効果が攻撃力に恩恵のある「剛力」である。つまり大剣としてこれはかなりのポテンシャルを秘めている。

そして、その「セットアイテム」がオークジェネラルの兜だ。派手な印象のある兜だが、こちらも「サイズ調整」つき。だが……覚醒者協会の評価は「中級下位」。今現在「一線級」と呼ばれる装備が同じ「中級下位」であることを考えると、手に入れる価値は充分以上にある。

ある、というのにだ。この兜にもセット効果が剣のものとは別に存在する。それが「ジェネラルオーラ」。一時的に身体能力を引き上げるという、オークジェネラルが時折使用する凄まじいスキルである。

(あのスキルが、このセット装備があれば使用可能になる……? 『ソードマスター』の私であれば使いこなすのは簡単だ。しかし問題は、そう思うのは私だけではないということ。それに、これが世に出たということは……!)

急がなければならない。これはかなり大きな騒動になる。そう確信した星崎は近くに控えていた秘書の秋川に指示を出し始める。

「秋川!」

「はい、マスター!」

「オークジェネラルの剣と兜……必ずウチが落札するわ! それと東京第四ダンジョンの次回の大規模攻略の件だけど……」

「大変ですマスター!」

言いかけた星崎はノックもせずに飛び込んできたクランメンバーに舌打ちをする。

「何!? 今見ての通り忙しいのよ! 秋川、東京第四ダンジョンの予約をすぐに全部押さえなさい!」

「そのダンジョンの件です! 『黒風』と『ホーリーナイツ』、あと『Dクロウ』に『ガンデード』……色んなクランから大規模攻略の権利移譲に対する申し入れが……!」

「マ、マスター! 東京第四ダンジョン、すでに直近一か月分の予約が全て埋まってます……!」

「ああ、もう! どいつもこいつも金の匂いを嗅ぎつけて集まってきて!」

星崎は思わずデスクを拳で叩くが、今回のオークションの件が知れ渡った時点で分かっていたことだ。ちょっと頑張っている覚醒者であればオークジェネラル装備が東京第四ダンジョンから出たであろうことは想像がつく。

東京第四ダンジョンが不人気なのは利益がリスクに見合わないからであって、そこの天秤てんびんが釣り合う……いや、利益のほうに大きく傾くというのであれば、東京第四ダンジョンは一気に人気の固定ダンジョンへと生まれ変わる。

実際星崎も東京第四ダンジョンの定期的な大規模攻略は覚醒者協会へ恩を売っている意味しかなく、こんな事態になるとは全く想定していなかったのだ。

まあ、当然だ。今まで全くそんなものはドロップする気配すら見せなかったのだ。せめてオークジェネラルの剣だけでもドロップしていれば、星崎はそこから東京第四ダンジョンの価値を見出せたのだ。それがまさかこのようなことになるなど、想定できるはずもない。

悔しい。ムカつく。色んな感情が星崎の中を巡るが、大きく深呼吸すると星崎はこれからどうするべきかを自分の中で組み立てていく。

「秋川」

「はい!」

「さっき言った通り、剣と兜は絶対に落札なさい。四億までなら相談なしで使っていいわ」

「よ、四億……了解しました!」

「それと名堀!」

「はいマスター!」

「各クランにどんな条件だろうと権利は絶対譲らないと叩き返しておきなさい! それと人事部に連絡! 今回の件をやらかしてくれた奴の情報を探るよう伝えなさい!」

テキパキと指示をするその姿は、まさしく大規模クランのリーダーとして頼りになる姿だろう。

東京第四ダンジョンが実は稼げる場所だというのであれば、この利権は絶対に手放すわけにはいかない。それはクランリーダーとして当然のことだ。

チラリと視線を向けたオークションサイトの画面では、オークジェネラルの剣と兜の入札額が目まぐるしく上がっている。

東京第四ダンジョンの予約状況を見た者たちの中で、アイテムそのものを使いたいという面々が入札のほうに舵を切ったのだろう。この話が今現在を大きく超える大騒ぎになるのは、もう間違いない。

「コレを出したのって、どんな奴なのかしら……騒ぎにしてくれちゃって、恨むわよ……」

そんなことを星崎が呟いている、その頃。その騒動の大元であるイナリはそんな騒動のことなど全く気付くこともなく、シャケ握りを楽しそうに握っているのであった。

そう、おにぎり。おにぎりだ。ほっかほかのシャケ握りである。

シャケを焼いてほぐすのもいいが、現代にはシャケフレークがあるのも見逃せない。

お手軽にシャケを好きなだけご飯に詰め込んで、キュッと三角に握る。

海苔はつけてもつけなくてもいい。シャケがあるだけで幸せは保証されているのだから。

そう、イナリは海苔の力を信じているが、同様にシャケの力をも信じていた。

「ふふふ……こうして並んだしゃけ握り。ああ、美味そうじゃあ……いやいや、ダメじゃダメじゃ。台所で食べるのは無粋に過ぎる。キチンと食卓に運ばねば……」

とろけたような表情をキリッと引き締めて、イナリはシャケ握りの乗ったお皿を食卓へと運んでいく。すでに熱いお茶は用意してあるので、あとは食べるだけだ。

ほっかほかのシャケ握り。ふんわりと伝わってくるその香りは、もう美味しいと確定しているかのようだ。

「現代とは実に罪な時代よのう。まさかしゃけふれえくなるものが売っておるとはの。梅干しもええもんじゃが、しゃけの白飯との相性は完璧じゃからのう……それをまさかほっかほかで食える時が来るとは! ああ、もうたまらん! いただきま」

イナリがシャケ握りを口に運ぼうとしたその瞬間。

ピンポーン

「キエー!」

何度聞いても慣れないインターホンの音が響き、イナリはシャケ握りを持ったまま椅子から飛びあがる。

「い、いんたーほん……! 毎度のことじゃがあれ、音がでかすぎるんじゃないかのう……!」

名残惜しそうな表情でイナリはシャケ握りを皿に戻すと、カメラ付きインターホンの画面の前へと歩いていく。するとそこには、安野の姿が映っていた。

「むう? 安野か。一体何の用かのう?」

通話ボタンを慣れない手つきで押して「おー、安野。こんにちはじゃ」と声をかける。

「あ、狐神さんこんにちは! 実はちょっとお話がですね」

「後で出直してくれるかのう」

「えっ」

「今わし、ちょいと忙しいんじゃよ」

「ええ!? そ、その! そんなにお時間は取らせませんので! 緊急の話があるんです!」

緊急。そう言われてしまうとイナリとしても無下には追い返せない。チラリとテーブルの上のシャケ握りに目を向けると、小さく溜息をついて玄関まで走っていきドアを開ける。

「こんにちは! 上がってもよろしいですか?」

「まあ、ええがのう」

そうしてリビングまで行った安野はテーブルの上に乗っているシャケ握りとお茶を見て「あ、やっちゃった……?」という顔をする。

「お食事中申し訳ありません……でも本当に緊急なんです……」

「うむ、構わんよ。それで何の用かのう?」

「あ、お食事しながらで構いませんので」

「それは行儀が悪かろう? いいから話すとええ」

シャケ握りとお茶を横に除けるイナリに頷くと、安野は鞄の中から資料を取り出し始める。

「実は先日狐神さんがオークションに出品された兜と剣なんですが、オークション始まって以来の最高額を叩きだしました。おめでとうございます」

「あ、うむ。ありがとうのう」

「は、反応薄いですね……結構凄いことなんですが」

「そんなこと言われてものう」

「合計四億三千二百万……こんな額が出たのは初めてです。やはりセット装備というのが効いたんでしょうね。此処まで高額となると落札者に直接来ていただく形になるんですが……ちょっとその相手がですね、クラン『ジェネシス』のマスターなんですよ」

クラン『ジェネシス』。日本の十大ギルドの一つであり、マスターの「竹中洋一」は優秀な遠距離ディーラーである。つまり、剣も兜も使わないジョブなのだ。そんな竹中が何故オークションでオークジェネラルの剣と兜を競り落としたのか?

「その答えが、つい先程公開されたこの動画にあるんです!」

覚醒者専用ポータルサイトからもリンクしている覚醒者専用の動画投稿サイト「ウィーチューブ」。視聴だけなら一般人でも出来るこのサイトにある『ジェネシスチャンネル』。

安野が再生ボタンを押してイナリに差し出してきた覚醒フォンの中では、竹中が弁舌を振るっている。

─と、このように僕たちジェネシスはこの剣と兜を競り落とした! 勿論適切に使用できる者に貸し出すつもりだが、これは僕たちからのメッセージでもある! このアイテムをドロップした人は、物凄く有望な覚醒者だと考えている─

「ほー……?」

─やったのは剣聖か、それとも黒の魔女か、それとも僕たちの知らない団体か……誰であるにせよ構わない。僕たちジェネシスは君、あるいは君たちを歓迎する! これを競り落としたように、何処よりも良い条件を出せる自信がある! 連絡先は……─

「とまあ、こんな感じです」

「ふむ……」

イナリは真面目な表情で覚醒フォンの画面を見ながら、動画再生後の「関連しているかもしれない動画」の項目を指し示す。

「なんか『東京第四ダンジョンの件の真実をお話しします』ってたいとるが幾つもあるんじゃが……」

「あ、それは気にしなくていいです」

「む?」

「なんかこう、そういうものですので狐神さんはあんまり気にしなくていいと申しますか……まあ問題はそこじゃないと申しますか」

そう、問題は超大手クランの『ジェネシス』がこんな動画を公開したという一点にあるのだ。

「すでに狐神さんを特定しようという動きが広まっています。例のタチの悪い連中の動きも加速すると思いますので……その件で今回、ご相談に来たんです」

タチの悪い連中。以前聞いた五つのクランの名前はイナリも覚えている。

レッドドラゴン、黒い刃、覚醒者互助会、サンライト、清風。

そのうちの黒い刃に関しては、イナリがこの前乗り込んで反省させてきた。

「そんなタチの悪い連中を野放しにしとくのは感心せんのう」

「仰る通りです。ただその、色々としがらみもありまして……」

「ま、ええがのう。で、相談とはなんじゃ?」

イナリがそう促せば、安野は「あ、はい!」と明らかにホッとしたような……実際話題が逸れてホッとしたのだろう。一つの冊子を差し出してくる。それは『使用人被服工房』のパンフレットで……イナリの口から思わず「ひょっ……!」と甲高い声が漏れかける。

そう、あのメイドの店のパンフレットである。いい人たちであったのは事実だが、あまりにも濃すぎて未だにイナリの中で色々理解が及んでいない領域であったりする。

「あ、間違えました! これは私的なものでして……!」

「私的ってお主まさか……めいどの格好を……」

「こ、個人的にですぅー! ていうか狐神さんだって随分と仲が良さそうだと報告を受けましたけど!?

「わし、あの店では何も買っとらんし……」

まあ、安野の趣味においてはさておこうとイナリは想像してしまった安野のメイド姿を頭の中から消し去る。ついでにあの店に今イナリの写真が飾られている事実についても知らんぷりである。

「えーとですね。本当はこっちです」

「おや、ほっくすほんじゃの」

「フォックスフォンですよ?」

「ほっくすほんじゃよな?」

「えっと、はい」

まあいいか、という顔になると安野はフォックスフォンのパンフレットを軽く叩く。

「実はですね、狐神さんの情報がすでに漏れ始めています。この前のパパラッチの件で全国規模で狐神さんの姿が流れましたからね……勘の良い人たちであれば関連付けてくるはずです」

「うーむ……」

「クラン『黒い刃』を一人で叩き潰す無名の新人。オークションに流れた不人気ダンジョンの武具。そしてダンジョンの難易度……合わせれば狐神さんに繋げることは、さほど難しくありません」

つまりクランを一つ潰すような新人であれば東京第四ダンジョンを一人でクリアしてもおかしくはない。そんな新人であれば是非欲しい……ということらしい。

そしてそう考えているのはタチの悪い連中だけではなく、大小様々なクランでも同様なのだ。

先程の動画の「ジェネシス」や東京第四ダンジョンの大規模攻略を請け負っている「閃光」もその一つであり、恐らくはこのどちらかが最初にイナリの情報に辿り着くと思われた。

「そうなれば、始まるのは激烈なスカウト合戦です。今は警護課がこの近辺に居ますが、遠からず抑えきれなくなります。そこで、コレなんです」

そう、イナリが秋葉原のフォックスフォンで覚醒者フォンを買った話は当日いなかったフォックスフォンの社長に伝わっていた。当然その容姿についても伝わっていたどころか、イラストが妙に上手い店員による渾身の似顔絵が渡されていた。結果として、フォックスフォンの代表取締役はとある決断をして覚醒者協会に問い合わせをしていたのだ。

「フォックスフォンは、狐神さんをイメージキャラとして起用したいと考えています。そこで協会としてもこれを隠れみのにしようと考えています」

「うむ? 隠れ蓑とはいうが、わしが表に出るだけの話にしか聞こえんのじゃが」

「いいえ。フォックスフォンのイメージキャラとしての姿が先行することで、狐神さんが一人でどうこうという話ではなく、フォックスフォンの強力なサポートがあったと思わせることが可能ですから」

そう、フォックスフォンは覚醒者の立ち上げた企業の中でもかなり力がある企業だ。当然社員も全員覚醒者であるからこそ、そちらのサポートも充実。フォックスフォンの社員はそこら辺の覚醒者よりも強い者が多い精鋭集団に仕上がっているのだ。

そこに「実は狐神イナリはフォックスフォンのイメージキャラでした」という情報をぶち込んだらどうなるか?

「そうなれば当然、『狐神イナリはフォックスフォンが大事に育てた覚醒者』というイメージがつきます。これだけで、それなりの抑制効果があると協会では試算しています」

「ふうむ、なるほどのう。わしが客寄せになることで、あちらさんを盾に出来るというわけじゃな」

「そういうことです。フォックスフォンとしてはイメージキャラとしての広報に協力してもらえれば、特に活動に制限は設けないとのことでした」

悪くはない。確かに悪くはない話だとイナリは思う。あの店でも色々と世話になったし、これは別に受けても構わない話だ。特に活動に制限がないというのは良い。とても大切なことだ。

クランがどうのというのはイナリを仲間にしたいという話なのだろうが……今のところ、そういう一員になる気は全くないのだから。他に合わせてイナリが力を制限するのは、正直時間の無駄でしかない。

「うむ。ではその話、受けようではないか。その広報とやらで誰かと組んでだんじょんに行け、というのは無しじゃぞ?」

「あ、そういうのじゃないと思います。もっと可愛いと思うので」

イナリはその言葉に首を傾げてしまうが……まあ、これは最近の覚醒者ビジネスを知らないイナリの痛恨のミスではあっただろう。

まあ、通販番組や野球ばっかり見ているイナリが知るはずもないだろう。覚醒者ビジネスにおいてイメージキャラとは……すなわちアイドル的存在である、ということを。

◇◆◇

三日後の秋葉原。イナリとしては二度目になるが、朝の秋葉原はすでに人が多い。眠らない街となった秋葉原は、この時間でも様々な目的で人がやってきている。

工房での武具の受け取り、あるいは注文に修理依頼、消耗品の補充……誰もが真剣に、あるいは楽しげに歩いているのが良く分かる。

「メロンアックスは……あっちみたいだな」

「剛鉄匠の作品の委託販売ってマジネタなのか?」

「有り得ない話じゃないぞ。全国からの委託品があるのは事実だしな……」

何やら何処かから仕入れた情報を元にお店へ向かっている者もいるし「腹減った」などと言いながら食事処を探している者もいる。前回来た時と違うのは、呼び込みの人間がちょっと少なくなっているくらいだろうか?

「この前のジェネシスの動画見たか?」

「オークジェネラルの剣と兜のだろ。今東京第四ダンジョン凄いことになってるもんな」

凄いことになっているらしい。まあ、そうであればイナリはしばらく近づかないが……相変わらずチラチラと飛んでくる視線がどういう意味かについては、イナリとしてはなんとも判断しがたい。ただ、悪意のある視線は存在しないのでイナリとして全く気にせず歩いていく。

ちなみにイナリの手には、合計二つの紙袋に入った羊羹ようかんがある。ちょっとした手土産というやつだ。そして幸いにもフォックスフォンの場所は覚えている。大通りをまっすぐ進むだけなので非常に簡単だ。そうして歩いて、歩いて。『使用人被服工房』の看板が見えて、ちょっと立ち止まる。

「さて、と。まずはこっちじゃな」

まだ朝のせいか店の前にメイドは立っていないが、一歩店の中に入ればメイドがいる。

というか、エリがいた。

「お帰りなさいませお嬢さ……あ、イナリさん! どうされたんですか!? おはようございます!」

「う、うむ。おはようじゃ。ほれ、この前世話になったからのう。手土産を一つ……最上屋の羊羹じゃ」

「え? わあ、ありがとうございます! 皆で頂きますね!」

「うむうむ、そうしておくれ」

近くにいた別のメイドに羊羹の袋を手渡すエリだが、物凄く慣れた……こういうのを貰い慣れた動きである。

「……もしかしてよく贈り物をされたりするのかのう?」

「此処だけの話、すっごい貰います。怪しげなものも混ざってたりするので、鑑定スキルが大活躍です!」

「おおう……」

「それよりイナリさん! 執事長がイナリさんなら上級メイド(正社員)で雇いたいって言ってたんですけどどうですかね!?

「遠慮しとくのじゃ……」

先約もあるが、流石にイナリとしてはメイドになるつもりは一切ない。なんだか、あのヒラヒラしすぎた服は落ち着かないのだ。

まあ、そんなわけでメイドたちに「いってらっしゃいませー」と謎の挨拶で見送られながら『使用人被服工房』を後にしたイナリは、フォックスフォンの店の近くへ辿り着く。

(……そういえば、あっちのらいおん通信に行ったことはなかったのう)

道を挟んだ反対側のライオン通信は多機能らしいが、どうせイナリにはそんな機能が多くても使いこなせはしない。どのみち縁は無かったか……などと考えながらフォックスフォンの店に入ると、店内が一斉にざわつく。店員たちの視線が一気にイナリに集まったのだ。

「ようこそお待ちしてました狐神さん!」

「ひょえっ!」

そうして一斉に礼をするフォックスフォンの店員たちにイナリは思わず気圧されるが、進み出てきた一人の女に僅かな関心を覚える。出来る女といった風体の、スーツのよく似合う「カッコいい女」と呼ばれるタイプの人物だ。しかしイナリが興味をもったのはそこではない。

(……ほう。今まで会った中では一番強い気配がするのう。もしや……)

「ようこそ、狐神さん。弊社代表の赤井です。幸いにも今はお客様はいらっしゃいませんが……壁に耳あり障子に目ありと申します。此方へどうぞ」

「うむ、よろしくのう」

比較的大きなビルであるフォックスフォンの最上階丸々一つが代表室であるらしく、その一番手前の応接室にイナリは通される。秘書らしき人物の用意した茶を飲みながらイナリは、自分をじっと見ている赤井の視線に気付く。値踏みでもされているのだろうか……まあ、悪意のある視線ではない。そんなイナリに気付くと、軽く赤井は咳払いをする。

「では、改めまして。代表の赤井です。今回は弊社からの提案を受けていただき感謝します」

「狐神イナリじゃ。何処まで話を聞いとるか分からんが、此方としても渡りに船じゃったからのう」

「覚醒者協会から大体の事情は聞いています。完全に安全だ……などとは言いませんが、有象無象からの勧誘ははねのけられるでしょう」

「うむ、頼もしいのう」

覚醒会社フォックスフォン代表 赤井里奈、と書かれた名刺を受け取り……イナリはふと首を傾げる。

「覚醒会社……?」

「覚醒者が立ち上げた企業の場合はそうなります。税金とか……色々有利なんですよね」

「ほお、そんなもんがあるんじゃのう」

「ええ。クラン運営にもお金がかかりますので。余程戦闘で稼ぐ自信がなければ、何かしらの商売をするのが普通なんです。勿論、それにも相応の手腕は必要ですが……実のところ、この二つである一定のレベルまでいくと共通して必要になるもの。それが『イメージキャラ』なんです」

イメージキャラ。その起こりは、とあるクランのイケメン覚醒者がテレビに映ることで非覚醒者用のネットで拡散し大人気になったのが原因だとされている。

爽やか系のイケメンであったその覚醒者は雑誌の取材なども複数受け、そうやって彼自身のイメージが上がっていく中で、やがてクラン自体も彼のイメージで評価がグンと上がったのだという。

そう、まさに「たった一人の覚醒者のイメージ」がクラン全体のイメージを決定づけたのだ。

スポンサーやコマーシャル、その他グッズなど……信じられないくらいの金がそのクランに舞い込むことで、他のクランも「イメージキャラ」の重要性をこれ以上ないくらいに良く理解した。

立ち上げたばかりで資金の足りないクランでも、そうして金が舞い込めばステップアップは簡単だ。

つまりどうなるかというと……どのクランも、そして覚醒者の運営する企業も皆イメージキャラを出し始めたのだ。それは商業的には成功したりしなかったりしたが……自分たちの看板はこの人ですよ、と示す目的自体は成功したと言えるだろう。

実際、人気のイメージキャラは一般企業とのコラボなど、様々な仕事を得ていたりする。当然クランとしてもイメージキャラは自分たちの看板なので徹底的に支援するし、そうした様々な思惑が絡むものなのだ。

「言ってみれば、現代におけるアイドルとも言えるでしょう」

「あいどる」

「はい」

「あいどるっつーと、なんかこう、歌ったりしとるあれじゃよな?」

「ご安心ください。一目見てイケると判断しました」

「はぇー……」

なんかよく分からんがイケると判断されたらしい。イナリにはついていけない領域の話だが、本気でイナリを看板に据えようとしているらしいことだけは理解できた。

「あー、つまりなんじゃな? わしに演歌だのじゃずだのを歌ってほしいというのかのう」

「いえ。ひとまずは写真を撮ろうかと。公式ページやパンフなどの広報用ですね」

「写真、のう……今さらじゃがわしの写真を撮ったところで誰が喜ぶのかのう」

「少なくとも私が喜びます」

「ん?」

「はい?」

聞き間違いかとイナリが首を傾げるが、目の前の赤井は非常に真面目な顔だ。冗談を言っているようには見えない。聞き間違いだろうか……?

「えーと、今お主が喜ぶと」

「はい。喜びます」

「……えーと」

「言ったではないですか、イケると判断したと。大丈夫です、老若男女のハートを撃ち抜きましょう。私はもう撃ち抜かれてます」

「う、うむ……」

頷きながらイナリは思う。なんかこう、とんでもないのと手を組んでしまったのではないか、と。しかしまあ、一度受けた以上は全うするのが責任というものではある。

赤井が思ったよりなんかこう、『使用人被服工房』と凄いよく似た感じがするのはたぶん気のせいではないのだろうけども。

「狐神さんの装備は一級品だと伺っています。なら、写真もそれを活かす形で撮っていこうと思います」

「う、うむ」

「事前にお伝えした通り行動を縛るつもりはございませんが、こうした宣材の作成にだけ協力していただければ」

「まあ、それはやらせていただくとするかのう」

「ありがとうございます。それと当社のイメージソングも狐神さんが歌うものに差し替えたいと思うのですが、今のものが往年のロボットアニメ風になっているのでもう少し可愛さを活かしていきたいと考えてはいますがまずは現行の歌を」

「いやいやいや。ちょっと待つのじゃわしついていけてないのじゃ!」

─フォックスフォン、フォックスフォンー♪ 質実剛健頑強無比、タフなボディに未来が宿る♪ 強い味方だフォックスフォンー♪─

「待てと言うとるに何故流したんじゃ!?

「ここまで来たらもう全部提案内容を勢いで押し切ろうかと」

「お主、お主……っ!」

思ったよりずっと無茶をやる。そんな風にイナリが思い始めたところで「まあ、冗談です」と赤井が音楽を止める。

「歌の刷新に協力していただきたいのは山々ですが、それについてはお時間に余裕がある時で構いません。我々はライオン通信と違って、常に誠実な対応を心がけていますので」

「う、うむ。よっぽど嫌いなんじゃなあ、お向かいの店が」

「ええ、嫌いです。連中は多機能とかいう言葉で覚醒フォンの本来の姿を失わせるゴミです。いずれ業界シェア九十パーセントをとって奴等を駆逐したいと思っています。あ、新曲は『倒せ悪のライオン帝国』とかどうでしょう」

「誠実は何処に消えたんじゃ……」

「これも冗談です」

「ホントかのう……」

まあ、嫌いなのは本当なのだろう。さっきは凄くイキイキしていた。ともかく、イナリの最初の印象よりは余程勢いのある人物であるということだけは確かだ。

「ちなみにこのビルには商品撮影などにも使っているスタジオがありまして」

「ん? ああ、さっきの写真の話じゃな?」

「はい。狐神さんの事情も考えますと、こういったものは素早い動き出しが大切です。ご協力いただけますか?」

なるほど、イメージキャラとして早々に公開してしまえば、そちらの印象で固定される……ということだろう。それは確かに大事なことだ。だからイナリは強く頷く。

「うむ。わしの益にもなることじゃ。く動くとしようかの」

「ありがとうございます。私たちと組んだこと、後悔はさせません」

そうして差し出された手をイナリが握って握手すると、赤井は素早く何処かに電話をかけ始める。

「許諾は取れたわ! カメラマンはすぐに準備! ウェブ更新班の準備も出来てるわね!? 順次始めていくわよ!」