「……なんで座らんのか聞いてもええかのう?」
「「こんなチャンスは中々ないので」」
「よう分からん……」
ハモる辺り本気でそう思っているようだが、イナリにはよく分からない世界だった。
出されたお茶……二人が固辞したので一つしかないが、とにかくお茶を飲んで待っているとドアが軽くノックされる。入ってきた男はイナリの後ろに立っている二人を見て一瞬ビクッとするが、すぐに真面目な表情に戻る。
(随分とガタイが良いのう……それに、全身から力を感じる。相当強いのう)
後ろの二人もマッチングサービスであった連中よりは強いが、この男ほどではない。そう確信できるほどのものをイナリは感じていた。
「初めまして。警備部要人警護課、課長の飯島です」
「イナリじゃ」
「敷島です」
「滝川でございます」
どうやらエリの苗字は敷島であったらしい……さておいて。
「安野から申し送りを受けています。状況は大体理解できているつもりですが、念のためもう一度お話を伺えませんでしょうか?」
「うむ。まずは安野とだんじょんに行ったときの話じゃが……」
そうして一通りの話をすると、飯島はメモを取る手を止め何度か「うーむ」と唸る。
「恐らくですが、質の悪い勧誘であると思われます」
「恐らく、というのは他に何かあるということじゃな?」
「はい。色々あります。ですが今回は考えなくていいでしょう」
「人の世は荒んでおるのう……」
「返す言葉もありません」
言いながら、飯島は片耳についていたイヤホンマイクからの報告を受け取っていた。
「早速ですが、狐神さんのことを探ろうとしていたクランのうち、怪しいものが五つに絞れました」
「む、早いのう」
「どれが今回の犯人かは今調査中ですが、今から言うクランからの交渉については拒否すると良いでしょう」
レッドドラゴン、黒い刃、覚醒者互助会、サンライト、清風。黒い刃とかいうのは覚えがあるな……などとイナリは思い出す。そう、確かぶん投げた男の所属だったか。
「ひとまず狐神さんの家には警備課の者を向かわせ、しばらく交代制で見張らせます。ダンジョン攻略についても、しばらく……は……」
言いかけて飯島はイナリが凄く不機嫌そうなのに気付く。「むー」と唸っている。
まあ、当然だ。そんなのに絡まれてイナリが行動を制限されるというのは、あまりにも理不尽だ。
「こういう場合……うむ。こういう場合じゃが……普通どうするのかのう。駐在さんにでも連絡するのかの?」
「いえ。警察は覚醒者の問題には基本的に関わりません。こういうのは覚醒者同士で解決するのが通常であり、今回は我々が」
「うむうむ。それはそれとして、わしがどうにかしてもいいってことじゃよな?」
「それは、まあ。しかし、一体何を……」
何をするか。決まっている。お話をしに行くのだ。余計なことをするんじゃないと、ちょっと叱ってあげるだけだ。だから、イナリはにっこりと微笑んでそれを正直に伝える。
「うむ、ちいとばかりお話をのう? あ、建物は何処まで壊してええんかのう」
明らかに何かする気満々のイナリを見て飯島は何か言おうとして……諦めたように溜息をつく。
(……まあ、連中が蒔いた種だ。一発痛い目を見せておくのも牽制になるか)
「人死には出ないようにしてくださると助かります。世間からの印象というものは非常に大事です」
「うむ、心得た。まあ、元々そんなつもりはない故安心していいのじゃ」
「で、狙いは『黒い刃』ですか?」
「今のところ一番悪い縁があるでな。わしを探っているともなれば更に……のう?」
他のクランも怪しいには怪しいが、いきなりダメな手段でアプローチしてくるかというと少しばかり疑問がある。逆に言えばイナリにすでに悪印象を抱かれている「黒い刃」であれば、強引な手段を取ろうとしてもおかしくはないし、報復を考えている可能性だってある。それを飯島も察したが故に、部下に連絡して一つの資料を持ってこさせる。
「それは『黒い刃』の登録資料です。持ちだし禁止ですので、ここで必要な分だけ覚えてください」
「うむ、感謝するのじゃ」
住所と電話番号、クランリーダーの名前と顔。その他、幹部の名前と顔。一通りを頭に叩き込むとイナリは「うむ」と頷く。
「さて、と」
スマホを取り出したイナリは早速「黒い刃」の本部に電話をかける。しばらくコールした後に不機嫌な声で「はい、こちら『黒い刃』本部」と聞こえてきて。
「おー、わしじゃよわし。イナリじゃけど」
『ああ? 何だテメエ……いや待て。イナリ? その名前、あの時の狐娘だな!?』
「すでにわしの名前は調べたというわけじゃな、怖い怖い」
電話先の声は、間違いなくあの時投げ飛ばした男だ。イナリはそれが分かったからこそ、端的に用件を言う。
「今日わしを尾行してたのはお主等ということでええんかのう?」
『……だったら何だってんだ』
「お?」
『テメエと一緒に居た奴な。秋葉原で執事とメイドなんざ、調べるまでもねえんだよ。何か事故か起きねえといいなあ……!』
「ふーむ」
『余裕ぶりやがって、不幸はいつ誰にでも起こるんだぜ!』
電話先の男は気付かない。電話だから気付かない。イナリの目が、スッと細められていることに。その場にいる者であれば誰もが理解できる程度には冷たい怒りがその身から流れ出ていることに。電話の先にいるその男だけが、気付かない。
「ほんに、愚かじゃのう人の子よ」
『あ? 何言ってんだ。今更謝ろうったって』
「そうじゃのう。悔いても遅い。気付くのはいつも、その愚かさの報いを受けてからじゃ」
イナリはクスクスと冷たい微笑みを……飯島がゾッとするほどの微笑みを浮かべながら電話先の男へと告げる。
「今から行くからのう。迎える準備でもしておくとよいのじゃ」
電話を切って、イナリは飯島に視線を向ける。その視線に飯島はブルリと震えるが……当然だ。飯島には、目の前のイナリが先程までの何処かぬけた印象のある少女と同一であるように思えなかったのだ。
「早速じゃが、連中の本部まで送ってくれんかのう? それと後ろの二人……む?」
振り返ると、セバスチャンとエリは立ったまま白目をむいていた。どうやら突然のジャパニーズホラーな雰囲気に耐えきれなかったようだが……そんな二人を見てイナリはクスッと笑う。
「それと、この二人の保護を。なあに、此度の件はすぐに解決するのじゃ」
◇◆◇
クラン「黒い刃」本部。東京の一等地からは少しズレたところにあるが、それでも今の東京に本部を所有することはかなりのステータスであり、「黒い刃」はその辺りの見栄には敏感だった。
そういうところから整えることで、立派なクランだと装えることをよく知っていたからだ。
たくさんの金を投入することで小規模とはいえビルを丸ごと所有する彼等ではあるが、その中は今大騒ぎであった。
「いいから寝てる連中も叩き起こして集めろ! 狐女が……『黒い刃』をナメやがって!」
「そうですよ。やっちまいましょうマスター!」
一体どのようにイナリのことを伝えたのか……イナリに投げられ先程電話で宣戦布告を受けた男は、クランの主であるクランマスターの側でペコペコとしていた。だが、それが気に入らなかったのだろうか、クランマスターは男を裏拳で殴って吹っ飛ばす。
「ぶべっ!?」
「大体テメエがそんなガキにナメられたからこんな調子のらせたんだろうがよ!」
「す、すみません」
「クソがっ! 今から乗り込むだあ!? 此処を何処だと思ってやがる! 痛い目見るくらいじゃすまねえからな……!」
この覚醒者が幅を利かせている時代、犯罪組織のようになっているクランも多い。「黒い刃」もその例に漏れず、旧時代であれば確実に違法であった利率の金融業を含む商売に手を出しているクランであった。人の世の常識が一度徹底的に壊れた今だからこそ出てきた連中とも言えるが……そうやって伸び伸びと生きてきた彼等であるがゆえに、余計なところで面子がどうのという「どうでもいいこと」にこだわってしまった。
だからこそ。下の階から響いてくる喧騒の「種類」が変わったことにも気づかなかった。そんなことは有り得ないと、そう思っていたから。
だから、気付かなかったのだ。今まさに、一階の玄関口に覚醒者協会の車に乗ったイナリが乗りつけてきたことに。
クランマスターが気付かないままに一階では、その車の到着にザワついていた。
当然、そこから降りてきたイナリを見てさらに大きくザワつく。まさか先程写真を見せられたばかりの相手が来るとは思わなかったのだ。しかし、そのイナリ本人は薄い笑顔をその顔に浮かべたままだ。
「おお、おお。此処が『黒い刃』とかいう連中の本拠地じゃな?」
「て、てめえ……このクソガキ。協会の車で来やがって、威嚇のつもりか!?」
「いやあ? 彼等は今日これから起こることを何も見ていないことになっとる」
言いながら、イナリは男にクイッと手招きしてみせる。
「じゃからまあ、怖がらずにかかってくるとええ」
「こ、このクソガキィ!」
男が振り下ろしたのは、鞘に入ったままの覚醒者用の剣。腕の一本くらい折っても構わないと、そんな態度が透けて見える一撃で。
「……へ?」
次の瞬間、男は宙を舞っていた。いつ投げられたか、どのように投げられたのかすら分からない。
合気道。そんな言葉が男の中に浮かんだときには、もう地面に叩きつけられて「けはっ」と肺の空気が全部出る音を響かせていた。
「すきるとは便利じゃのう。使おうと思った瞬間に出よるわ」
「こ、こいつ格闘家だ!」
「囲んで撃て!」
魔法使いや弓使いといった遠距離ディーラーがイナリに武器を向けて。しかし、イナリがそこに居ないことに気付いて「えっ」と声をあげる。そして一人の弓使いは、気付く。自分の目の前で自分を見上げている、狐耳の美少女を。
「ぐがっ!?」
「いかんのう。お主等近距離に弱いんじゃろー? そんな立ち止まっとっては殴ってくれと言うとるようなもんじゃ」
突きあげるように繰り出された掌で顎を殴られ、弓使いの男が倒れて。その時にはもうイナリは次の遠距離ディーラーを殴り飛ばしている。それだけではない。イナリが普通ではないとようやく悟った近距離ディーラーたちが武器を抜き襲い掛かるが、それも片っ端から投げられ吹っ飛ばされていく。
「何やってんだ! そんなガキにいつまでもげぶえっ!」
偉そうに指示をしていた男がイナリの足払いを受けて背中から地面に叩きつけられる。
「こ、この……げふっ!」
「おうおう、勇ましいのう。しかし悲しいかな、お主は今、そのガキに足蹴にされておるのう?」
丁度胸元辺りを踏みつけられた男は、身体を起こそうとしても起こせないことに気付いて焦りを感じ始める。
(か、勝てねえ……なんだこのガキ。素手で俺たちを……!? 有り得ねえだろ!)
「ち、チクショウ! お前一人で全員倒せるとでも思ってんのか!?」
「うむ。容易いのう」
「なっ……!」
男を踏みつけたまま、イナリは微笑む。目が全く笑っていないままに、冷たい怒りをにじませて。
「わしに狐月を使うまでもないと思わせる時点で、勝負になっとらんのじゃよ」
そう、今回の件に挑むにあたり「人死にが出ないようにしてほしい」と言われているし、イナリはそれを忠実に守るつもりだった。そうでなければ、この場で目の前のビルに弓形態の狐月でビルが粉々になるまで矢を撃ち込んでいる。
「とはいえ、少々仕置きせねばならんからのう? まずは小娘一人に総がかりで負けた
それからは、本当に一方的な戦いが始まった。
近づく者はイナリにポイと投げられ、遠距離攻撃を仕掛けようとする者も全然成功しない。だが、それでも「黒い刃」も実力派を名乗るクランだ。中には非凡な者もいる。
「う、お、らあああああ!」
「お?」
ほぼ一瞬での魔法スキル……それもスキル名の詠唱無しでの発動。放たれた火球はイナリに向かって放たれ、小規模の爆発を起こす。
「ハハッ、ざまあみろ! 粉々だぜ!」
「床がのう?」
「はあっ!?」
自分の隣で粉々になって開いた床の穴を見ていたイナリに男は杖を振り回すが、イナリはヒョイと避ける。
「いやあ、今のは少し驚いたのう。そういうすきるは唱えないと発動せんものじゃと思っとったが」
「ハッ! 俺は無詠唱のスキル持ちなんだ! だから……こうだ!」
「何がこうだ、じゃ。この
イナリにぶん投げられて、何かをしようとしていた男は床に顔面を打ち付けて気絶する。
「まったく、お主等の建物じゃろうが。わしが気を遣っとるのに何をしとるんじゃ」
此処まで会った全員がそうだが、イナリを倒そうとするのに集中するあまりに他の全てに配慮できていない。今出ている怪我人のうち、フレンドリーファイアが物凄く多いのはビルの通路の狭さが原因というだけではない。「黒い刃」のメンバーたちの雑さが大きな原因なのだ。
「あ、見つけたぞ!」
「ナメやがって! ぶっ殺してやる!」
「おお怖い。怖すぎて歩みが早ぅなってしまうのじゃ」
「ぐわー!?」
ポイポポイとぶん投げられていく「黒い刃」メンバーに振り向きもせず上の階へ歩いていくと、どうやら其処が最上階のようだった。
最上階には立派な扉が一つあるのみ。イナリがそれを押し開くと……待っていたといわんばかりに無数の魔法が飛んでくる。大爆発を起こした魔法は扉も壁も吹っ飛ばし、立ち昇る噴煙の中クランマスターは勝利を確信する。
「やったか!?」
「やっとらんのう」
煙が晴れた先にいるのは無傷のイナリと、その前に展開している光の壁だ。あの魔法を全て防ぎきった……そんな防御魔法を新人が使うのは、まあ可能性は低いがないわけではない。
しかし此処まで登ってこれるならば間違いなくディーラー。攻撃に特化したディーラーが防御魔法スキルまで使えるというのは、理屈に合わない。ならばヒーラー? 戦えるヒーラーなど聞いたことがない。ではタンク? 可能性はある。あるが……攻撃力にも長けたタンクなど有り得ない。ならば……目の前にいるイナリは一体何だというのか?
「お前……お前、なんなんだ」
「何、と言われてものう? 一応『狐巫女』らしいのじゃが」
「ふ、ふざけんな! そんなおかしな名前のジョブで、俺のクランをこんな……!」
「おお、それじゃよそれ!」
「はあ!?」
イナリはようやく思い出した、とでも言いたげな表情でクランマスターを指さす。
「お主のくらんはのう、今日からわし一人に総がかりで負けた木偶の坊の群れになるんじゃ」
「なっ、ななっ……」
「お主等のような悪党でも殺さんでくれと頼まれとるゆえ、そうするがの? その代わり……たぁーっぷり、恥を掻いてもらおうと思っとるんじゃよ」
にひひひひ、と笑うイナリにクランマスターの中で元々あったかどうかも不明な堪忍袋の緒が切れる。元々ナメられたらダメな商売だ。此処でイナリを無事に帰す選択肢も元々ない。
「ブッ殺せええええ!」
「ファイアボール!」
「アイスニードル!」
「サンダーボール!」
魔法使いたちが思い思いの魔法を一斉に放つが、イナリはそれをヒョイと避けながら一瞬後には魔法使いの一人の眼前に立つ。そしてその服を引っ張ると無理矢理頭を下げさせ、その頬をビンタする。
「!?」
「お主等もじゃぞ……あんなもんを建物内でポンポンと!」
「痛ぁ!?」
「ぎゃー!」
イナリにスパーンと尻を蹴られて悶絶する男たちはそのまま立てなくなるが……振り向いたイナリの視界に、巨大なウォーハンマーを持って走ってくるクランリーダーの姿が見える。
「見えたぜテメエの底! やはり遠距離ディーラー! なら近接に持ち込めば俺が勝あああああつ!」
「さよか」
「う、うおおおお!?」
イナリがクランマスターをポイとぶん投げると、ウォーハンマーは床に凄まじい音を立てて落ちる。そして背中を強打したクランマスターが立ち上がろうとすると、その胸元にイナリが「よいしょっ」とまたがる。
「ぐっ、テ、テメエ……!」
「おうおう、力が強いのう。吹っ飛ばされそうじゃあ」
言いながら、イナリはクランマスターの頬にぺちぺちと触れて。
「ほいっ」
その顔を思いっきりビンタする。
「ほいっほいっ、ほい!」
ビンタ、ビンタ、往復ビンタ。クランマスターにまたがったままの怒涛の往復ビンタにクランリーダーは立ち上がることも忘れるほどに頭の中に星が飛ぶ。
リズミカルに響くビンタ音に魔法ディーラーたちはガクガクと震えて立てない。
「悪い子じゃ、ほんに悪い子じゃのー。わしが躾け直してくれようぞ」
「ふ、ふざけっ」
「口が悪いのう。良い子になぁれ!」
響くビンタの音が止む頃には、イナリは満足げな顔をしていて。
「ご、ごめんなさい……二度と手を出しましぇん……」
「うむ、よろしい」
クラン「黒い刃」はこの日以降……白カードの新人一人に壊滅させられたクランとして知れ渡り、自然とその勢力を減らしていくことになる。そしてそれは残念なことに、イナリの知名度を更に上げるきっかけにもなったのだった。