ダンジョンが日常になってから出来た非日常系の新製品がイナリの家に置かれていたのは要らない心遣いの一つだが……まあ、なんだかんだ香りは薔薇系で素晴らしいのがクレームの入らない範囲を見極めているのだろうか?

「こっちの緑がすらいむの池で、青いのがるるいえの海、紫が魔女の釜……? 誰が買うんじゃこれ……」

ちなみに結構人気商品ではあるらしい。そういうのを面白がる人は結構多いということなのだろうか? さておいて。

足をのばせる広い湯船につかって……途中危なかったが最終的に気分よく出てきたところで、炊飯器からご飯が炊けたことを知らせる音が聞こえてくる。

「さてさて、米を食うのは何時振りかのー。別にわしは飯食わんでも死なんけど……いや待て。そもそもわし、米食うのも炊き立て食うのも初めてじゃの……?」

お供えされていたことはあるが、あれは別にイナリが食べていたわけでもない。ホカホカと炊けている二合飯を見ながら、イナリは「うーん」と唸って。その少し後には、食卓に今夜のメニューが並ぶ。

たっぷりのどんぶり飯に、おかずは塩にぎり。綺麗に三角に握って海苔を巻いたおにぎりは美味しそうだ。米しか並んでいないが。

「いやあ、美味そうじゃ! まずは白飯をかき込んで……うーむ、美味い! 最高じゃー! 炊き立てとは斯様に、斯様にも……!」

涙ぐみながら、おにぎりをハムッとかじる。口の中に広がるしっかりと効いた塩味はイナリに米の喜びを教えてくれる。ほんのり甘い米としょっぱい塩。何故か不思議とこれが合うのだ。そこに海苔の食感を加えることで、もはや完全食に進化したと言ってもいい。栄養バランスとかの話はとりあえず置いておこう。

「……美味い。温かい白飯と塩、そして海苔の調和がわしに幸せを運んでくる……おお瓊瓊ニニギ杵尊ノミコトよ、貴方のおかげでわしは今、米の喜びを知っておる……まあ、会ったことないんじゃけど!」

自然とテンションも上がりながら、イナリは米をぺろりと平らげる。正直に言って栄養バランスはとんでもなく悪いが、イナリの場合は人ではないので食べたものは全部体内でエネルギーに変換されるので問題はない。ちなみに瓊瓊杵尊とは稲作をこの地上にもたらしたとされる神様だ。本人の言う通り、イナリは別に会ったことはないし存在を確信したこともない。知識として知っているだけだ。さておいて、感謝したくなるくらいお米の味がイナリの好きなものだった……ということである。

食器を洗って、歯を磨いて……まあ歯を磨く必要もやっぱりなかったりするのだが、そこはそれ。現代に溶け込む為の習慣作りであったりする。

あとはもう寝るだけだが、イナリが巫女服をポンッと叩くと服は狐の模様がプリントされたパジャマに変化する。

そう、この服も普通の服などではない。イナリの意のままに変化する神器の類であり、しかし今まで特にその機能を利用する意味もなかったものではある。別に巫女服のままでシワになるわけでもなく、この変化もただのイナリの気分だ。もっと言えば、特に意味のないこと。それでも、そういう利害だのなんだの……そういう実利的なものを超えたところに意味はあった。

「ふふ、ふかふかで綺麗なベッドに寝巻で寝る、か……わしにそんな日がくるとは思わなかったのう」

あのまま、あの朽ちていく廃村と共にいつか消えゆくものと思っていた。しかしそれが、蓋を開けてみれば自分の家で風呂に入って飯を食べ、今まさに寝巻を着て寝ようとしている。

あの頃の自分に「そうなるのじゃよ」と言ったところで、夢物語だと信じはしないだろう。けれどこれは、現実だ。ベッドによじのぼって、布団を被って目を閉じて。イナリは静かに、夢の世界へと旅立っていった。

◇◆◇

翌日の朝。イナリがインターホンに応対してドアを開けると、そこには完全装備の安野が立っていた。金属の兜に鎧、金属を貼り付けたブーツに短槍と、大きな盾まで背負っている。

「……覚醒者じゃってのは昨日聞いたが、その物々しい恰好を見ていると本当だったんじゃなあって思うのう……」

「え、ひょっとして疑われてました?」

「ん、まあ。そんなに強くなさそうじゃったし……?」

昨日会った宅井や丸山、そして青山の方が強いだろう。まあ、マッチングサービスの連中よりは強そうだが。それを加味しても、そんなに強そうではないという評価になってしまう。

恰好からすると、昨日言っていたタンクのようだが……安野は覚醒者カードを自慢げに見せてくる。

「何を仰いますか。覚醒者協会は上から下まで全員覚醒者なんです! 覚醒者のことを分かっているのは覚醒者だけですから!」

(闇を感じるのう……)

まあ、その辺も色々あったのだろうとイナリは察して何も言わないことにする。とにかく安野は覚醒者であるらしく、薄い青色のカードであった。たぶん初心者ではないという意味なのだろう。


名前:安野果歩

レベル:31

ジョブ:ソルジャー

覚醒者協会日本本部


「む、何やら銀色の線が入っておるのう?」

そう、安野のカードには名前の上に銀色の太い線が入っていた。何か特別な意味があるのかとイナリが聞けば、安野はえっへんと胸を張る。

「これはですね、遠目に見ても覚醒者協会の人間ですよって示すためのものです!」

「ふーむ……」

何故そんなものが必要になるのか? 遠目でそんなものを判断する必要性を考えて、イナリは「ああ」と頷く。

「そうか、結構治安悪いんじゃな? そういうのがないと矢でも射かけられるような場面があるんじゃろ」

「ち、違います! いえ、まあ……そういう犯罪を防ぐためにもですね? こういった示威行為は重要でして」

「やっぱり仲間は要らんのう。背後を気にするのは疲れるのじゃ」

「とにかく行きましょう! ね! ほら、準備をお願いします!」

「準備も何も。この身一つで充分じゃが」

武器は狐月があるし、防具はこの巫女服があればいい。だからイナリはそう言うのだが、安野からしてみればそうではないらしい。

「え? でも杖とか、せめて鎧とか」

「いらんいらん。欲しけりゃ自前でどうにでもなるでの」

「はあ、ではまあ……どうぞ、お乗りください」

昨日散々怒られたのか、妙なおせっかいは焼いてこないが……やはり気にはなるようだ。

ともかく、乗れと言われたからには乗るべきなのだろうが、安野が指し示したのはドアの開いた大型のボックスカーだった。随分とゴツいが、いわゆる装甲車というものなのだろう。

車内に入れば、内装は装備を着けたままでも問題ないようにかなり配慮されたものになっている。

「ドロップ品を加工して作った頑丈な内装になっているんです。覚醒者がトゲトゲな装備を着けて乗っても傷一つつきません!」

「ふうむ。確かに力を感じる……今の時代はこういうものが多いんじゃのう」

「はい!」

事実、覚醒者用の車は非覚醒者でも欲しがる高級車だ。頑丈な装甲に丈夫な内装、多少の環境変化にも耐えうる能力を備えたものもある。動くシェルターとはよく言ったもので、タイヤですら旧時代の地雷程度なら防げる……グレードのものもある。その辺りは財布と応相談だ。

勿論覚醒者協会の車が最高グレードであるのは当然であり、今イナリが乗っているのもそうであった。

「ほー、もうかっとるんじゃのう」

「確かに覚醒者協会そのもので言えば、日本でも最大のお金が集まる場所です。ただそれはこうしたサポート用装備や各種の支援などに使われているんです」

「うむうむ、左様か」

イナリとしてはその辺の事情にはあまり興味はない。浮世を上手く泳ぐのも才能で、その上手く泳いだ覚醒者協会は、どうにもイナリを気にかけている。その事実が分かれば、あとは好きにやってくれて構わないのだ。

「それで? 今から行くだんじょんはどのような場所なのかの?」

「あ、はい。これから行くのは通称『ウルフダンジョン』でして、その名の通り狼型モンスターが現れます。初心者を脱した程度の覚醒者にオススメしているダンジョンですね」

「ふーむ、狼のう……」

「ゴブリンに慣れていると文字通りに足をすくわれる相手です。大抵の覚醒者は此処でパーティーの重要さを学ぶんです」

なるほど、狙いは見えたとイナリは思う。なんだかんだとイナリに「パーティーはいいぞ」と思わせたいのだろう。安野がカッコよく助けて「ほらタンクがこういうときに必要なんですよ」と言うつもりなのかもしれない。

しかしまあ……そう簡単にはいかない。何故なら此処に居るのは、イナリだからだ。

(まあ、百聞は一見に如かずというしの。しっかり見てもらうとするかのう?)

東京第三ダンジョン。通称ウルフダンジョン。今となってはたいしたことのないダンジョンだが、発生当時は大きな犠牲を払ったダンジョンだった。丁度日本政府が覚醒者にそっぽを向かれた頃に発生したダンジョンであり、色々と血生臭い歴史を持つ場所でもあった。

まあ、それも今は過去の話。ダンジョンを中心として復興し、それなりに人も戻ってきているのだという。実際、ゲート付近には大きな広場や駐車場が整備され、そこには装甲車の姿も見えた。それだけではない。一般人が入り込まないようにフェンスや壁、ゲートや検問所のようなものも設置され、実に物々しい雰囲気だ。

「ほ、本部の……!? おつかれさまです!」

「はい、おつかれさまです。今日は此方の方の引率です」

「お気をつけて!」

ゲートの入り口の検問所に立っていた人員が全員立って頭を下げているところを見るに、日本本部の地位は相当高いものと思われる、のだが。

「同じ東京じゃよな……?」

「日本本部と東京支部は違うんですよ。ちなみにお給料も違います」

すっごい違います、と強調する安野にイナリは「う、うむ」と頷く。お給料は大切だから仕方ない。

「そもそも本部の仕事は各支部の統括なので、まあ色々と業務内容も違うんですが……お高くとまってると思われるのも良くないということで、通常の支部と同様の業務も一部行っているんですね」

「ぶっちゃけるのう……」

「狐神さんには正確に現状を伝えて良いと指示を受けてまして。伝えても、それでどうこうということはないはずだ……だそうです」

「あー、それは秘書室長の」

「はい。あの人怖いんです」

怖いかはさておいて、なるほどあの短い会話で自分のことをよく理解したものだとイナリは思う。

(まあ、確かに浮世の事情にどうのこうのと口を出すつもりはないが……)

イナリ自身に危害が及ばない限りは、関わるつもりもない。人の世の不平等がどうのこうのなどといった話は、あまりにも手に余る。

さておき、周囲には他の覚醒者も結構な数がいる。順番待ちもいるのだろうし、明らかにそうではないのもいる。休憩所などもある場所だし、スカウトだったり溜まり場にしていたり……そういうのもあるのだろう。イナリがふと視線を向けた先では、名刺を渡している者の姿もある。

「此処、難易度的に即戦力になりそうなのが集まりますからね。スカウトも結構来るみたいなんですよ」

「なるほどのう」

第二ダンジョンと比べて立派なのも、その辺りが関係しているのかもしれないが……そんなことを言いながらダンジョンゲート前に辿り着けば、そこにも警備が立っていて安野に敬礼する。

「ま、その辺りはさておいて。行くとするかのう」

「ええ、行きましょう!」

頷きあいダンジョンに入ると、イナリは驚愕を通り越して呆れてしまう。

「これは……なんともまあ」

そう、そこは草原だったのだ。空には雲が流れ太陽が輝き、地面では草が揺れている。

時折生えている木も、草の香りもリアルで。背後にゲートがなければ、此処が何処だったか現実の認識がズレてしまいそうですらある。

「此処がウルフダンジョンです。見渡す限りの大草原、クリア条件はボスである『グレイウルフ』の討伐です。それが為されない限りは……永遠にウルフが湧きます。しかも時間経過ごとに数も増えます」

「なるほどのう」

「つまりポイントとしては如何に魔法ディーラーを守るかというですね」

「ではまあ、こうしようかの」

イナリが指先から狐火を放てば、早速接近してきていたウルフが吹っ飛び魔石を残して消える。

─レベルアップ! レベル2になりました!─

「お、レベルが上がったのう。前回上がらんかったから心配しとったんじゃが」

「や、やりますね! でもウルフは」

「群れるんじゃろ?」

イナリの指に複数の狐火が浮かび、ウルフ三体を次々と吹っ飛ばしていく。

「え、ええー!? 無詠唱でそんな高速乱射を!?

「ああ、今回はわしが全部出来るってところを見せるんじゃったか。すると……うむ」

イナリの動きが止まった隙を狙い、ウルフの一体が飛び掛かってきて……しかし、イナリの展開した光の壁に弾かれる。

「ギャン!?

「け、結界!? そんな……最低でも中級下位ですよ!?

くぞ、狐月。わしとお主の、これが正式な初陣じゃ」

その刀が軌跡を描くたび、ウルフが真っ二つになり消えていく。ただあの狐月とかいう刀が凄いだけではないと、安野は気付いていた。

あの踊るような不可思議な刀法、アレが強さの秘訣ひけつの一つなのだろう。そしてそこに、あの規格外の力を込めた聖刀があれば……ウルフなど敵ではない。

何よりも先程の火魔法と合わせ、結界に今の刀術。ヒーラーとしての力こそ見ていないが、たぶん出来るんだろうなという信頼すら湧いてくる。安野の前にあるのは、それほどまでに圧倒的な光景だった。

「ハハハ、面白いのう! れべるがどんどん上がっていくぞ!」

まさに敵などいない。まるでイナリの為に用意された舞の舞台であるかのようなこの場所で、何かが飛ぶように走ってきて腕を振るう。

その一撃は飛びのいたイナリには当たらなかったが……そこにいた狼男といった風体の何かにイナリは驚いたような声をあげる。

「おお? なんじゃあ?」

「え!? ワーウルフ!? こんなところに出ないはずじゃ……ま、まさかユニークモンスター!?

「ゆにーく?」

「気を付けてください! そいつはウルフとは比べ物にならないです!」

「ほー……そいつは気を引き締めてかからねばのう?」

ワーウルフ。文字通りの狼男だが、お伽噺とぎばなしのそれのように人から狼に変わったりするようなものではない。人間のような身体を持つ狼型モンスターであり、人間の器用さと狼の如き身体能力を兼ね備えた強敵だ。鉄の防具にも爪痕が残るほどの攻撃力を持つ爪は、初期の覚醒者を多く葬ったという。

「私が前に出ます!」

「要らぬ」

「え?」

「要らぬ。前に出られてはこちらの打てる手が減るでの」

言いながら、イナリはワーウルフと対峙する。互いに隙を窺うかのような動きに、安野は「おかしい」と気付く。

「警戒している……? ワーウルフが?」

(いくら狐神さんが強くても、ワーウルフよりは動きが遅い。なのに襲ってこないってことは……もしかして、真正面からじゃ勝てないと思ってる?)

それはあまりにも非現実的な考えだった。いくらここまで無双してきたイナリでも、ワーウルフはレベルが違う。そんなワーウルフが、イナリを恐れている? それとも聖刀を恐れているのか? 安野には分からなかった。

「フン、意外にさといのう。正面から来るなら真っ二つにしてやろうと思うたが」

「イナリさん、冗談言ってる場合じゃありませんよ! ワーウルフ相手に時間を与えちゃいけません!」

「何故じゃ?」

「アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「ぎゃー、間に合わなかった!」

ワーウルフが叫ぶと同時に、その周囲に数体のウルフが現れる。どれも通常のウルフより多少大きく、毛皮の色も異なっている。便宜上「取り巻きウルフ」と呼ばれており、何度でも喚び出されるワーウルフの召喚モンスターだ。そしてこれらは……ワーウルフを勝たせるために、その命を惜しまない。

「ガルルル!」

「ガウウウ!」

「ガアアア!」

一斉に襲ってくる取り巻きウルフたちを前に、イナリは刀身に指を這わせ滑らせる。

イナリの指の動きに合わせ火を纏っていく狐月はボウと燃え上がって。

「秘剣・草薙」

振り抜いた刀の軌跡に合わせ地面が草原の草ごと燃え上がり広がっていく。

「ギャン!?

空を飛べない以上、取り巻きウルフたちは襲い来る火に焼かれ消滅していく。それほどの凄まじい火力は扇状に広がっていくが、その上をワーウルフがジャンプして越えようとしてくる。

咆哮ほうこうと共に襲い来るワーウルフの爪を切り裂いて、その身体をもまとめて真っ二つ。断末魔もなく消えていったワーウルフの居た場所には、ベルトのようなものがどさりと落ちる。

狼のマークのバックルのついたベルトに安野は「狼のベルト……」と呟く。着ければ攻撃力が僅かに上がると言われる、レアアイテムである。ワーウルフの珍しさもあって、最低価格で五十万はするような代物だ。

なんだかもう、驚きすぎてぼーっとしていた安野は刀を鞘に仕舞う音にハッとする。

「さてと、ゆにーくもんすたあは倒したが、これでは終わらんのじゃろ?」

「え!? はい! 今のはボスじゃないのでクリア条件にはなりません。あ、でもほら! レアアイテムは出ましたよ! よかったですね!」

「そんな柄の帯はいらんのう……」

「ええ!? これ初心者どころか中級者でも欲しがるようなものですよ!?

「わしはいらんのう。安野が巻けばええんじゃないかの?」

「ダ、ダメです! 職務規定違反です! いらないなら後でオークションに出しましょう!」

「好きにしておくれ」

何が悲しくて狼の柄のものを着けなければならないのか。イナリとしては絶対に嫌であった。

ともかく、イナリとしては好きにしてくれて構わないのだが……魔石を拾っていた安野を見て「おお」と手を叩く。

「そういえば、そういうのを回収するのも仕事じゃったの」

「はい。ですけどまあ、今回は私が回収します。なんかもう、狐神さんが凄すぎて私、要らない子ですし……」

「そう卑下するもんではないのじゃ。此処の予約をやってくれたのは安野じゃろう?」

「え、ええまあ。ですがそれは」

「それに昨日は安野のおかげで上手い飯も炊けたしのう。感謝しとるよ」

私の価値……と呟いて落ち込んでしまった安野だが、イナリとしては本気で感謝してたので「ど、どうかしたかのう?」と心配になってしまったが……さておいて。

ワーウルフをも倒してしまうイナリにとって、ボスであるグレイウルフなど何の問題もない。

「お、いたのう」

「え? 結構遠くですけど……凄いですね」

「目は良いのでのう。さて……狐月、弓じゃ」

イナリの手の中で刀だった狐月が輝きと共に弓へと変化し、安野が「ひゅっ」と息を呑む。

「え? その弓、さっきまで……」

「狙いは……よし。それっ!」

弓を引くイナリの手の中に現れた光の矢が一条の閃光となり、グレイウルフを一瞬で消滅させる。それはダンジョンゲートを消滅させた一撃に比べればずっと弱いものだが、安野にとってみれば精神的な衝撃が凄まじい。

「魔弓? え、でもさっきは刀で聖剣で。ええ? 確か狐神さんのスキルは……え? 召喚って……可変武器の召喚? それも聖剣に魔弓? えええええ?」

混乱した安野がウネウネと変な動きをしているのを余所に、イナリは出てきたメッセージを見ていた。

─【ボス】グレイウルフ討伐完了!─

─ダンジョンクリア完了!─

─報酬ボックスを手に入れました!─

─ダンジョンリセットの為、生存者を全員排出します─

「うむ、この表示はごぶりんの時にも見たのう」

どうにも固定ダンジョンという場所は「そういうもの」であるらしく、イナリもマッチングのときのダンジョンと合わせ二回目ともなれば驚きもない。

─転送開始─

そんなメッセージと共に、イナリと安野はダンジョンの外へと転移していった。

◇◆◇

イナリと安野がダンジョンの外に転移すると、そこはダンジョンの前だった。二人の周囲には誰もいないが、それはどうやら職員による誘導の結果のようだった。ロープやカラーコーンでわざわざ人が入らないように囲っているところを見るに、どうにも転移する前兆はあったのだろう。

その周りではザワザワと他の覚醒者が騒いでおり、イナリはそれを見て現状を悟った。

「ああ、なるほどのう……転移する場所が決まっとるんじゃったな」

ゴブリンのときにはそういうのをあまり気にしていなかったが、どうにもダンジョンをクリアして転移する際の座標はランダムではなく決まっているのだろう。だから、こんなに手慣れているのだと。イナリはそう気付く。

そして実際それは当たっていた。ダンジョンクリア後の転移事故は初期に結構な確率で発生したことであり、ダンジョンクリア後に転移魔法陣が現れることから「魔法陣が現れたら即座に周囲の人を退避させ、ダンジョン前における人員整理を徹底する」といったような管理方法が周知されるに至ったのだ。

そう、そこまではイナリは推測できた。しかし人々がざわめく理由までは気にしていなかった。

「え……? もうクリアしたのか?」

「そんなに時間たってないよな?」

「あっちの冴えない感じのは職員だよな。狐耳の子は誰なんだ?」

「かわいい……」

「明らかに職員はタンクだ。となると狐耳のほうはディーラーか?」

「この時間でクリアとなると、相当の火力ですね」

気にしていなかった……が、聞こえてくる声は自然とイナリの耳に入ってしまう。褒めてくれているのは分かるのだが、どうにも嫌な雰囲気だ。なんというか……視線が妙にギラつき始めている気がするのだ。

(あー……嫌な予感がするのう)

そういえばスカウトもいるんだったか、とイナリは思い出す。

今は職員がロープを張って隔離されているので近づいてこないが、他の職員とダンジョンクリアの報告をしているらしい安野をイナリはチラリと見る。たぶんだが、此処は彼女のサポート力にかかっている。

「あ、狐神さん! 此方へ! ダンジョンクリア後の説明をしますので!」

「うむうむ。何かあるのかの?」

駆け寄っていくと、そこには机に並べられた魔石や狼のベルトなどがあった。

「それと報酬ボックスが手に入ったはずですが」

「ん? そういえば、そんな表示があったのう」

「それは何処に?」

「はて、そういえば……おお?」

─称えられるべき業績が達成されました! 【業績:ウルフの高速殲滅せんめつ者】─

─報酬ボックスを回収し再計算中です─

─報酬ボックスを手に入れました!─

「お、おお!? なんじゃあ!? 視界がうるさいのじゃ!」

メッセージがイナリの前で忙しく展開され、それが消えた時……狼の模様がプリントされた紙で包装された手のひらサイズの箱が出現する。それを見て再びざわめきが起こり、それは職員や安野の声も含まれていた。

「な、なんですかそのボックスは!?

「狼の模様? ということは……間違いなくこのダンジョン固有の特殊報酬ボックスですよ!」

「よう分からんが……凄いものってことじゃな」

その通りである。通常報酬ボックスとはダンジョンクリア時に手に入り「白」「銅」「銀」「金」の順に中身の豪華さが上がっていくものだ。

時折業績を達成した者が特殊なボックスを手に入れるが……少なくともこのダンジョンでは、今までそんなものが出たことはなかった。つまりイナリが初である。

「ほー……それはまた……」

「ちょ、ちょっと待ってください! 写真撮りますので!」

職員がスマホで写真を撮り始めるのを……というかスマホを「なんじゃその小さいの……」とイナリが妖怪を見るような目で見ていたが、最新固定電話を覚えたばっかりのイナリにスマホはまだ未知のなんか小さい板であった。さておいて。

「はい、大丈夫です! ではどうぞ開けてください!」

「うむ」

イナリが適当に包装を破りながら開けていくと、箱の中から何かが光りながらゆっくりと浮かび上がってくる。それはどうやら剣のようで……柄の部分に狼を思わせる意匠のされた長剣であった。

「なんじゃこれは。西洋剣かのう?」

「狼の長剣……!? そんな、このダンジョンで出たなんて報告は今まで……!」

「有名な剣なのかのう?」

「勿論です! 衝撃波を放つ専用スキル【ウルフファング】を秘めた、希少な剣です。最低価格でも三百万は超えますよ」

切れ味そのものでいえば、狼の長剣はそれなり程度でしかない。しかし専用スキルを秘めたアイテムはそれだけで貴重だ。同じシリーズの武具を集めれば更に特殊な効果を発揮するものも多く、イナリの手に入れた狼の長剣もベルトもコレクターが多い品だ。

「勿論、ご自身で使用なさるのも良いと思います。実際良い品ですよこれらは……!」

駆け出し剣士であっても狼の長剣とベルトがあればそれなり以上に戦える。この二つが同時に出るというのは、それだけの凄いことなのだ、が。

「別に要らんのう……わし、刃物はもう自分の持っとるし。帯も要らん……」

「え、ええ……?」

「売れるというなら売りたいんじゃが。必要な者がおるんじゃろ?」

「え、いえ。しかし……」

「いいんです。狐神さんは確かにコレ、要らないと思います」

何かを悟ったような目をする安野に職員は「え、ええ。それならまあ……ではオークションの手続きを進めておきます」と答えるが納得はしていない顔で。しかし安野からしてみれば「確かにあの刀持ってればこんな剣要らないよね。でもむやみやたらに口外できませんよねえ……」と、そんな感じであったのだ。

ちなみにオークションとは覚醒者協会主催のネットオークションであり、毎日巨額の金が動く場所であるらしい。覚醒者であればカード作成時に口座も自動で作成されるので、非常に簡単だ。まあ、イナリにとって簡単かは別の話だが。

「ところで、この後はもう帰るんじゃろ?」

「うっ……そうですね。狐神さんには求められたサポートをするのが一番良さそうです」

「うむうむ。分かってもらえて嬉しいのじゃ」

仲間がどうこうというのは、少なくとも今のイナリには必要ない。イナリの今後の目的を思えば、仲間を育てるよりもイナリが強くなったほうが速いからだ。とはいえ、それは現時点での判断だ。今後どうなるかは分からないが……。

(こうして二度体験して分かるが……どうにもタチの悪い遊戯に見えてならぬ。それとも、そう見せている……? その辺りの判断も早めにつけられると良いのじゃが)

人に力を与え、化け物を倒してサクッと強くなる。いいことにも思えるが……その理由がやはり分からない。ベルトや剣といった報酬もそうだ。一体どういう理屈でそれが発生しているのか?

天叢雲剣アマノムラクモノツルギの話を再現したわけでもあるまいに。どうにものう……」

「え? アマノムラクモがどうかしたんですか?」

「ぬ?」

「あるとは言われてますけど、まだ発見報告はないんですよねえ。マサムネは今のところ一本見つかってるんですが」

「うむ、そうかえ……」

「武本武士団っていうクランに今はあるって聞いてますけども。超有名なとこです」

そうポンポン見つかる品であってたまるかとイナリは思うのだが、別にそんなことを言いはしない。しかし、どうにも実在の名刀と同じ名前の武器がダンジョンでドロップするのは確かであるようだった。

(おお、嫌じゃのう。八岐ヤマタノ大蛇オロチの全部の尾から天叢雲剣が出てくるのを想像してしもうたわ)

そんなことになれば流石の須佐之男命スサノオノミコトも腰を抜かしたかもしれない。さておいて。

「ところで、狐神さん……」

「む?」

「なんかさっきから凄い写真撮られてますけど。いいんですか?」

「あー……あれ、やはりかめらなんじゃのう」

「スマホなんですけど。まあ、カメラですけど」

何か機械を向けられているのはイナリも気付いてはいたが、特に害もなさそうだったので放っておいたのだ。どうにもこの外見が好まれやすいことも、覚醒者協会日本本部でよく知っていることもあった。

「まあ、害がないならええじゃろ」

「そうですかねえ……」

(面倒なことになる気がするけどなあ。課長に相談しとこうかな)

安野の見たところ、アレはたぶん所属のクランに報告している。有望な新人アリ……まあ、こんなところだろう。SNSに上げているものもいるかもしれないが。

今のところは安野たち職員といるので近づいてくるのは余程のアホだけだ。そういう意味では、さっさとイナリを自宅に送り返すべきで。

「よう、ガキ。結構強いみたいじゃねえか。どうだ、うちのクランに入らないか?」

「いやちょっと。何処のクランですか貴方。この人は協会がエスコート中なんですよ」

余程のアホがいた、と喉元まで出そうになりながらも安野はそう警告する。

たまにいるのだ、こういう余程のアホが。まさか今のタイミングで本当に出てくるとは思わなかったが。そして大抵の場合、こういうのには話が通じない。

「はあ? 協会は引っ込んでろよ。勧誘すんのは自由だろ」

「貴方ね……ダメに決まってるでしょう」

「あー、よいよい」

話をそこまで黙って聞いていたイナリが、二人の間に入りぐいっと押しのける。

安野は今更驚きはしないが、アホの方は「俺を動かした?」と驚いていた。

「そこの。用向きは勧誘じゃったか?」

「おう、話が早えな。俺たち『黒い刃』は」

「断る」

「ん?」

「そもそも先程から礼儀がなっとらん。悪ガキでもあるまいに、言葉遣いには気を付けい」

帰れ、と獣を追い払うように振るイナリの手をアホは思い切り掴む。先程自分が動かされた理由は分からないが、どう見ても魔法系のディーラー。物理系ディーラーの自分が少しばかり脅かしてやれば一発だと。そんな妄想は、手を簡単に振り払われたことで消える。

「……へ?」

「女子の手を勝手に掴むでないわ、れ者が」

しっかり掴んだはずなのに、何故。混乱しながらも「お前……!」と再度手を伸ばして。その身体が今度は大きく宙を舞う。何が起こったかも分からないままに……自分が投げられたのだと知らないままにアホは地面に叩きつけられて意識を失う。

「い、今のってまさか合気道……ですか?」

「んー? 昔の住人にそういう達人が居てのう? 見取り稽古しかしとらんかったが、中々堂に入っておったろう?」

─未登録の技を検知しました!─

─ワールドシステムに統合します─

─スキル【狐神流合気術】を生成しました!─

「いや、別にわしの技では……まあ、言っても無駄なんじゃろうがのう」

「何がですか?」

「いやあ、うん。まあ……なんでもないのじゃ」

弟子入りしたわけでもないしそういうこともあるか……などとイナリは軽く考えていたが。

スキルを新しく覚えるならともかく新しく「生成」されるなどということが、どれだけとんでもないことかは……まだ、気付いてはいない。気付くかどうかも、今のところは不明である。

その後、アホを職員が拘束して何処かに運んでいき、その後どうなるのかはイナリは全く興味がなかったのだが。

「先程の暴漢ですが、新覚醒者基本法に基づき処罰が行われます。安心してくださいね」

帰りの車の中でそう言う安野にイナリは「はあ」と適当に頷く。

「まあ、どうでもいいんじゃが。それよりその基本法とかいうのは」

「改正、ですね。天下の悪法であった覚醒者基本法を『かつてこんなバカなことしたんですよ』という事実を忘れない為に最初に『新』ってついたんですね」

「悪法、のう」

「ほんっと酷い法律だったんですよ」

日本はかつて覚醒者を強力に法で縛った国であったが、それで滅びかけた後に「覚醒者規制」から「覚醒者優遇」に視点をおいた法律に……まあ、中身を総とっかえしたわけである。ちなみに似たような事例は様々な国で存在して、滅びなかった国は大体似たような感じになっている。更に言えば、実はこの「新覚醒者基本法」、国家が制定したものではなく覚醒者協会の制定した覚醒者用のものであったりする。

「法を、協会が……? 独立でもしとるんか?」

「覚醒者の諸々には国家は関与せず。ただ全く関わらないというのも同じ場所に住んでる以上は無理なので、いわゆる自治的な感じですね」

「あー……うむ」

要はイナリの知っている日本とは全てが違う。まあ、そういうことなのだろうとイナリは再度認識する。その辺についてはひとまず置いといても問題は無さそうだ。大事なのは「覚醒者は優遇されている」という事実だ。

「今じゃ憧れの職業ナンバーワンは『覚醒者』ですからね! 職業かって言われるとまた疑問はあるんですけど、それよりも……」

「うむうむ」

適当に聞き流しながら、イナリは大事なところだけを頭に入れていく。

つまるところ、覚醒者というだけでデカい面をする連中が結構いるので、覚醒者協会はそれをどうにか統率するための強い権限を持っている……ということらしい。

「強い覚醒者は、それだけで誰もが欲しがります。狐神さんにもこれから様々な誘惑が提示されるはずです」

「誘惑というと」

「お金ですとか、貴重なアーティファクトですとか、地位ですとか。あとはイケメンとか……」

「どれも興味ないのう」

あえて言うならお金は現代社会を生きる上で必要だが、たくさんあったところで使い道に困るものでしかない。イナリの目的には、今のところお金というものはあまり重要度が高くないのだ。

「出来ればですけど、狐神さんには是非覚醒者協会日本本部に所属してほしいんですが」

「そういう話はいずれのう」

「いずれならしてくれるんですか!?

「その手の言質を取ろうとする奴はわし、嫌いじゃのう……」

「うっ、申し訳ありません」

言いながら安野は「ですが」と続けてくる。中々にメンタルが強い。

「さっきの暴漢も言ってましたけど、覚醒者組織には覚醒者協会だけではなく『クラン』も存在します。日本だと『富士』『天道』『ブレイカーズ』などの十大クランが有名ですけど、他にも大小様々なクランが毎日しのぎを削っているんです。覚醒者協会は公的組織なのであれですけども、今の世界は巨大クランが実質経済を握っているんです。彼等は狐神さんを放っておかないはずです」

「面倒じゃのう」

ダンジョンを中心とした経済が成立している以上、覚醒者を多く抱える組織……つまりクランが大きな力を持つのは当然の流れであったのだろう。

当然大きなクランはその力を手放したくないし、中小のクランはそれを覆すチャンスを狙っている。イナリのことが広まれば、熱烈な勧誘合戦になるのは必至であった。

(とはいえ……大きな力を持つ組織の後援を受けるのは悪いことばかりではないがの)

生きる上で面倒な諸々を丸投げできるのであれば、イナリは今の世界の謎の究明に集中できるということではある。まあ、そんな美味い話があるはずもないが。やはり当面は一人でやっていったほうがいいだろう、とイナリは頷いて。

「……というわけで、狐神さんもスマホを持った方がいいと思うんですよ」

「む? すまん。聞いとらんかった」

「スマホです、スマホ」

安野がスマホを取り出すのを見て、イナリは「あー」と頷く。

「うむ。電話にもかめらにもなる機械じゃったな」

「えーとまあ、その認識でいいです。持ちましょう、スマホ。便利ですから」

「うーむ……」

「スマホがあれば私のサポートもはかどりますし!」

『念話じゃダメかのう?』

「えっ、何これ頭の中に直接声が!?

結局「なんかダメ」と言われたのでイナリは後日スマホを買いに行くことにしたのだが……やる気はあんまり、ない。さておいて家まで送ってもらうと、安野はイナリに頭を下げる。

「今日はありがとうございました。色々言いましたが、覚醒者協会に所属してほしいというのは本気です。是非ご検討ください」

「あまり期待はせんでほしいがのう」

「それでも構いません。では今後、何かありましたら私の番号までお気軽にどうぞ!」

そう言って安野は車に乗って去っていくが……まあ、なんとも慌ただしい一日だったとイナリは思う。思うが……。

「色々収穫があったといえばあったのう」

現代における覚醒者の、そして覚醒者協会の立ち位置。そうしたものが明確に見えてきた。

クランだの協会だのに所属すれば、間違いなく権力争いに巻き込まれる。どうにもそういう雰囲気が見え隠れしていた。安野は語らなかったが、イナリが大手クランに所属するのを歓迎していないのは見え見えだったからだ。

「んー……いっそ自分でくらんとやらを作ってみるのもよいが……まあ、追々じゃの」

テレビをつけてみると大手コンビニ「ブラザーマート」が有名らしい覚醒者とコラボした商品のCMを流していたが……まあ、イナリにとっては本当にどうでもよかったので記憶には一切残らなかったのだった。