第1章 お狐様、現代社会に足を踏み入れる
「平和じゃのう……」
そんな声が、稲荷神社の境内に響く。そう、確かに平和な光景だろう。木々が青々と生い茂る山中特有の、澄んだ空気は雲一つない空から注ぐ朝の光と合わせ、少し冷たいながらも暖かさを含んだ空気を作り出している。きっとこれから昼に近づくに従い、昼寝でもすれば気持ちよさそうな暖かさになるだろう。ただ、ちょっとした違和感を語るのであれば……この稲荷神社は明らかに廃墟と呼んだ方が正しく、少女の姿に多少目立つ点がある、というところだろうか?
そもそも此処は、とある山の中にある、まだ人が住んでいた頃はそれなりに大きかった集落……の中にある小さな稲荷神社だ。さびれたを通り越して廃墟じみた雰囲気が出ているのは、すでに集落に人が住まなくなってから大分たつからだ。
確か農業が当時は盛んで、地主……まあ、お金持ちも多く住んでいたらしい。大正、昭和と平成を越えて、令和のこの時代。集落から人は居なくなり、この稲荷神社に詣でる者も居なくなった。
では、神社の境内でお茶をすすっている少女は誰なのか?
古めかしい巫女服に狐の耳、そして美しく艶のある白色の髪。明らかに人ではないその容姿。昔からこの神社にいて、今も居続けている……そんな、お狐様である。
稲荷大明神の由来を紐解けば狐じゃないとか神使がどうのとか、そんな話に行きつく。しかしそういう人の語る事情を全部すっ飛ばして彼女は……お狐様は、此処にいる。もういつ「そう」だったかは覚えていないが、結構昔から……まあ、正確には覚えてないのだけれども。こうして顕現するようになったのは、つい最近の話だ。
なんだか風の匂いが変わって。世界の何かが切り替わって。そうして彼女は、大地にその足で立っていた。しかしまあ、身体を得たから何か変わるわけでもなく……特に問題もなく生きている。
世界に「力」が満ちたせいだろうか? 食事など、とる必要もない。口寂しければ、その辺の草と未だ枯れぬ井戸の水で茶を淹れれば事足りる。
「人の世は今はどうなっておるのかのう。てれびは動かんし、らじおも電池が切れて随分たつしのう」
それだけは何となく気になるが、気にしてもどうしようもない。神社を守っていた神主も居なくなって久しい。此処には彼女一人しか居ないのだから。
だからこそ、彼女は知らないのだ。世界に大きな変化があってから、およそ二十年。人間の世界は激しく変化し、彼女の知っていた
彼女がそれを知らないのは、この集落に続く唯一の道が崩落しており、人が長い間来なかったことと。
「……む? 何かが結界を破ろうとしておるのう」
何か、不可思議な力が可視化する程に空を覆って。村を守っていた半円状の透明な壁を、パリンッと音を立てて打ち砕く。パラパラと散って消えていく壁の欠片を見ながら、彼女は小さく溜息をつく。
この場所は、旧い時代の力に未だ守られていたということ。だが、それは今日この時、破壊された。異界の法則が、この地に出現して。ダンジョンゲートと呼ばれるモノが、集落の真ん中で渦巻く。それは中に入れば「ダンジョン」と呼ばれる異界に繋がり、放置すれば中のモンスターが溢れ出る危険なモノ。だが彼女がそれを知るはずもない。
「おやおや。何やら物騒なものが出てきたのう」
彼女の……お狐様の目はダンジョンを見据え、何やらそれが物騒な気配を持っていることに気付いていた。放置すればロクでもない……祟りじみたものをまき散らすモノであることも。
「
溜息をつきながら、お狐様は手をスッとダンジョンゲートへと向ける。
「来い、狐月」
呼び声に応え現れたのは、一張の弓。凄まじい神気を放つ弓がその手に収まると、お狐様はキリキリと、その細腕からでは想像も出来ぬほどに弓を強く引いて。
その手の中に、輝ける光の矢が出現する。
「
放つ。放たれた光の矢は更なる輝きを纏い、一条の閃光と化して……そのままダンジョンゲートに突き刺さり、軽やかな鈴のような音をたてながら霧散させる。
─世界初の業績を達成しました! 【業績:初めてのダンジョン破壊】─
─想定されない業績が達成されました!─
─未登録の力を検知しました!─
─ワールドシステムに統合します─
─ジョブ構築。ステータス計算を行います─
「お、おお? なんじゃあ?」
目の前に高速かつ大量に現れていくウインドウを前に、お狐様は訳も分からずオロオロとする。正直何を言っているのか、全く理解できない。
─名称不明……仮設定、イナリ。ステータスを表示します─
「ええい、分からん! ちぃとも分からん! 何だっていうんじゃ!?」
何も分からないイナリの目の前に「ステータス」が表示される。
名前:イナリ
レベル:1
ジョブ:狐巫女
能力値:攻撃E 魔力A 物防F 魔防B
スキル:狐月召喚、神通力Lv8
「……なんじゃあ? わしの名前がイナリ? 狐巫女? まあ、その通りかもしれんが……つーかわし、英語はあんまし読めんぞ? というかれべるだのじょぶだの……訳わからん……」
─今後、ダンジョン破壊は控えてください─
─想定しないエラーを引き起こす可能性があります─
「……ふーむ。言ってる事は分からんが」
言いながら、お狐様は……イナリは、空を見上げる。
「わしの知らん間に何やら、おかしなものが世界に広がっとるようじゃのう……」
何がどうなっているのかは分からないが、さっきのが「ダンジョン」と呼ばれる何かであって、それに関わる何者かが破壊されるのを嫌がっているというのは理解できた。
そしてそれが、イナリに自分のルールを押し付けることが出来る程度には強大な力を持っているということも。
「とはいえ、わしが人の子に今更関わらんでも、上手くやっとるのかもしれんのう」
イナリの顕現がこの状況と関わりがあるのであれば、二十年の時がたっている。ならば、もう人間の力でどうにか出来ているのだろうとイナリは思う。
「ま、わしは何も変わらんか……」
そう呟きイナリは境内に戻っていくが……そうはいかない。
二十年もたてばダンジョンのエネルギーをある程度感知する技術も開発されており……それで感知できる程度には強力なダンジョンが即座に消滅したことを、すでに政府も把握していた。混乱する彼等がこの場所に調査隊を送り込むのは……もう、間もなくのことであった。
◇◆◇
数日後。イナリは、周辺を何かが飛んでいるのに気付く。
(この音は……確かへりこぷたー、だったかのう)
「ふーむ……千里眼、かの? しかし、女子を斯様な
呟くと、イナリは振り向き……向けられている視線を、虫にするかのように軽く払う。
パキンッと何かが壊れる音がして視線が消えるが……ヘリコプターは、何処かに行く気配はない。むしろ、近づいてきて……やがてローター音を響かせながら、境内へと降りてくる。
その中から出てきたのは……二人のファンタジックな装備を纏った男たちだった。
一人は鎧兜に剣と盾、一人はローブと杖。理解の外にある格好に、イナリは思わず頭の上に「?」を浮かべてしまう。しかしながらよく見れば、その装備……何やら妙な力を纏っている。
「この子か?」
「田山の言ってた特徴と合致する。間違いないだろう」
そんな事を言い合っている二人だが……そんな二人を見ながら、イナリは軽く頬を掻く。
「けったいな恰好をして出てきたと思うたら、二人だけでお話か。余所でやってくれんかのう」
「いや……けったいな恰好はお互い様だろ」
「わしのは伝統的衣装じゃろ。お主等のは……なんじゃそれ。妙な力は感じるが、妖物の類でもなさそうじゃ」
そう、イナリから見てみれば二人の纏っているものはどれも奇妙な「力」を感じるものばかりだ。あの男の持っている剣にしたところで、妖刀と呼べる程度の力は持っていそうだ。
そんなものを幾つも所持しているのは、どうにも
「か、鑑定を弾かれた!?」
「おい宅井、お前そんなことを……」
「まーた妖術か。妙じゃのう、今はそんなもんを気軽に使える時代なのかえ?」
「よ、妖術? いや、スキルなんだが……」
「すきるう?」
言われて、イナリは自分の「ステータス」とかいうものを思い出す。確かあそこにも「スキル」とかいうものがあったが……。
「あー、なるほどのう。お主等、あのだんじょんとかいう代物に関わっとるんじゃな?」
アレを破壊したことでイナリは「ステータス」とかいうものを押し付けられた。本来は破壊するものではなかったらしいが……アレをどうにかすると、妖術……スキルを得られるということなのではないだろうかと考えたのだ。
「そう、それだ! この辺りに強力なダンジョンが発生して、すぐに消えた。その原因を調査してるんだ」
「破壊したぞ?」
「破壊……えーと、ボスをか?」
「ぼす? だんじょんのことをそう呼ぶのかの?」
「ん?」
「ん?」
剣士の男とイナリは首を傾げ合い……やがて、剣士の男が「えーと」と言葉を選ぶようにしながら手の動きで丸のようなものを描く。
「こういう……丸くてグルグルしてるダンジョンゲートってものがあるんだが」
「おお、あったのう」
「もしかして、それを破壊したって言ってるのか?」
「そう言っとるのう」
「冗談だろ?」
「まあ、壊すなとは言われたがの」
「は? 誰に?」
「なんかこう……目の前に文字が現れての?」
この辺じゃ、と手で示すイナリに剣士の男は考え込んで。そうすると、イナリを無言でじっと見ていた「宅井」と呼ばれていた男の方が、剣士の男をつつく。
「なあ、丸山」
「なんだ? 今、真面目に考えてるんだ」
「あの狐耳……さっきから動いてねえ?」
「は?」
言われて剣士の男……丸山はイナリの頭の上を見る。そして、気付く。確かに……動いている。
「え? は? ええ?」
「な? 動いてるだろ?」
信じられないものを見るかのような目をしている二人に、イナリは溜息をつく。
「お主等が仲が良いのは分かったがの。わしを放っておかないでくれるかのう。もしくは帰ってくれんか?」
「え、あ、いや。あー……すまない。ひとまず、仕切り直しをさせてもらえるか?」
丸山はハッとしたような顔をした後、ビシッと姿勢を正す。
「俺は
「
「おー……うむ。お仕事で来とるっちゅーことだけは分かったのじゃ。わしは『イナリ』ってことになっとるらしい。ステータスとやらの表記によると、の」
「イナリ……」
「そのまんまだな……」
「聞こえとるぞぉ?」
丸山と宅井がヒソヒソ言っているのが全部イナリには聞こえているが、睨まれて二人はサッと目を逸らす。
「仕切り直してそれっちゅーのはどうなのかのう」
「いや……申し訳ない」
「ええから本題。わし、そろそろめんどい」
ひらひらと手を振るイナリに、丸山は「では……」と再度仕切り直す。
「先程言ったように、俺達はダンジョン消失の原因を探りに来た。先程の話では、それは君が破壊したのが原因とのことだが」
「うむ、そう言ったのう」
「俺達の常識では、それは不可能なことなんだ」
「人の子の常識で測られてものう?」
イナリは人ではないから、そんなものを当てはめられても困る……のだが。そんなイナリに、丸山は言葉を重ねる。
「君のその耳や尻尾も含め、俺達では判断できない事が多すぎる」
「じゃろうの」
「そこで、だ。日本本部に来てくれないか? 君も覚醒者なんだろう?」
「ふむ……」
イナリは、今の提案を少し真面目に考える。覚醒者とかいう単語については、よく分からない。分からないが……今すぐに解決すべき問題でもない。考えるべきは、この提案に乗るか乗らないか、だ。
この集落は、すでに滅びて久しい。
「それもまた運命、か」
「では……」
「うむ。その本部とやらに行くとするかのう」
人の世はイナリの想像もつかないほどに変わっただろう。かつてテレビに人が集まり、洗濯機の便利さに驚いたように。何やらおかしな能力を持つ人間も増えたようだが……はたして、どのようになったのか?
あのダンジョンとかいうもの……そして「覚醒者」なる単語についても、この後分かるだろう。それが、イナリには少しばかり楽しみでもあった。
「どれ、では行くかの。へりこぷたーに乗るんじゃろ?」
「あ、ああ。その前に本部に連絡するから待ってくれ。宅井!」
「おう」
宅井がヘリコプターに駆け寄るのを見て、丸山は神社に視線を向ける。
「何か荷物があるなら今のうちに纏めておいてくれ」
「いや、そんなものは無いのう」
「無い、のか?」
「うむ」
イナリの服は汚れはしない。どういう理屈かは分からないが、そういうものなのだ。ついでに使っている日用品は全てこの集落のものだから、特にイナリのものというわけでもない。
「……振り返れば、この身のなんと身軽なことよ。わしは長く此処にいたが、そこで何を為したわけでもない……ということかの」
「長くって……君、そんな年でもないだろ。何歳だ? 十四? 十五? 御両親は居ないのか?」
「女子に年を聞くとは……無粋な童じゃのう」
「わ、わらしって……俺の婆ちゃんだってそんな言葉使わないぞ」
「本部と連絡とれたぞ! その子も連れてこいってさ!」
「だそうじゃ。ほれ、行くぞ」
てくてくとヘリコプターに歩き乗り込むイナリを追いかけ、丸山もヘリコプターに乗り込んで。爆音と共に上昇するヘリコプターの機内でイナリは狐耳を押さえ「ぎゃー!」と叫ぶ。
「う、うるさい! なんじゃこの爆音は!」
「こういうもんだ! すぐ慣れる!」
「それは耳が馬鹿になっとるんじゃないかのう!」
「うわっ、尻尾ぼわってなってる! すげえ!」
爆音を立てるヘリコプターはそのまま集落を離れ、山を離れ……そのまま支部へと向けて飛んでいく。
そうして音がようやくある程度マシに聞こえるようになってきた頃、宅井が口を開く。
「そういや、イナリちゃんは名字はないのか?」
「名字」
「ああ。あるだろ?」
あるかないかで言えば、ない。そもそも「イナリ」という名前自体、イナリが決めたものではない。
「ふーむ……まあ、ないのう」
「えっ」
しかし、適当に決めていいものでもない。名前は本人を表す言霊だ。ないものはない。それでとりあえずはいいだろうとイナリは納得して。けれど、丸山と宅井は納得していないようで複雑な視線をぶつけあう。
「……何を悩んどるか知らんが、深い事情はないからの?」
「お、おう」
「分かってる。分かってるよ」
「分かっとらん顔をしとるのう……」
溜息をつくイナリを乗せたヘリコプターは、そのまま飛んでいき……やがて見えてきたビルの屋上ヘリポートに降り立った。ヘリから降りたイナリは……周囲に誰も居ないことに疑問符を浮かべる。
「はて? 誰も迎えにきておらんのう」
「お偉いさんはこんなとこまで迎えに来ないさ」
「そうそう。ま、中に入ろうぜ」
二人に促されて建物の中に入れば、何やら眼鏡の男がそこで待っていた。
「クエストお疲れ様でした。此処からは私が引き継ぎます」
「ええ、どうぞよろしく」
「じゃあな、イナリちゃん」
「おいおい。わしを置いて何処へ行こうというのじゃ」
イナリが丸山の服の裾を引けば、困ったように丸山は頬を掻く。
「あー……俺達の仕事は此処で終わりなんだ」
「そういうこと。ま、縁がありゃまた会えるさ」
「ふむ、そうか。なら仕方ないのう」
ヒラヒラと手を振って見送るイナリを見ていた眼鏡の男の視線に気付き、イナリは「なんじゃ?」と聞いてみる。
「いえ、本物だな……と思いまして」
「よう分からん。もっと具体的に言ってくれんかの」
「その耳と尻尾です。アーティファクトですか?」
「その『あーてはくと』とやらは分からんがまあ、本物じゃのう」
「そうですか。一応ですが、これからの事をご説明いたします。此方へ」
そうして案内された場所は、何処かの会議室であるらしく……幾つかの机と椅子が並んでいる部屋であり……差し出されたのは名刺だ。
「まずは自己紹介を。覚醒者協会日本本部の秘書室長の青山です」
「おお、これはご丁寧に。わしはイナリというらしい」
「らしい、というのは?」
「なにやらすてーたす、とかいうものを押し付けられてのう。そこに表示されとった」
「ふむ……」
青山はそこでいったん考え込む。ダンジョンを破壊したという少女。それが本当であれば凄いことだが……少し……いや、あまりにも。
(不審者が過ぎる……!)
ダンジョン破壊。そんな事が出来る少女が突然発見されたというのは、あまりにも出来過ぎていないだろうか? しかし何かの罠だとして……誰の罠だというのか?
考えて……青山は諦めた。そもそも、それを判断するのは青山の職責ではない。
「ではイナリさん。報告を受けた限りでは何もご存じないとのことですが……それで合っていますか?」
「うむ。しばらく世間から離れとったでのう。なーんもしらん」
「しばらくというのは……」
「からーてれびが出た頃は人が居ったから……どのくらいかのう」
「おお、アナログ……」
冗談にしては中々にキレがいいと青山は謎の対抗心を抱くが、それを振り払うと用意されたスクリーンに映像を映し出す。
「では、最初から始めましょう。初心者講習用の映像で恐縮ですが……ダンジョンの登場と覚醒者協会の成り立ちからご説明します」
「おお、それは嬉しいのう。ところで……」
「はい、なんでしょう」
「そろそろ茶が出てくると嬉しいんじゃが」
「……すぐにご用意しましょう」
やがて出てきたお茶の入った紙コップをイナリは面白そうに突き回していたが……それ以上に面白かったのは、映像の内容だった。
世界に二十年前に出現したダンジョン。その第一号、通称「ファーストゲート」から溢れ出た現代兵器の一切通用しないモンスターが世界を
世界中の覚醒者を結集したファーストゲート攻略作戦は
そう、ダンジョンはクリアすれば消滅する。結果としてそれは正解であり間違いでもあったのだが……とにかく、覚醒者であればモンスターに対抗できる。
その覚醒者の支援の為生まれたのが覚醒者協会であり、各国政府の支援する団体であるらしい。世界基準によって運営されるのが覚醒者協会だが……覚醒者はそれぞれ「クラン」と呼ばれる団体を作り、独自の経営を行っている。これは覚醒者の性質上、独自の裁量で動かなければ手遅れになる事例が頻発したからであり、強硬な統制をしようとした国では覚醒者が動かない……という事態もあったからである。
つまるところ、国がどれだけ強硬手段を振りかざそうと結局は覚醒者に頼るのであり、覚醒者の力なくては安全のみならず、他国に大きく差をつけられる。
事実、覚醒者を法で強く縛った国からは全ての覚醒者が逃げ出し、国外に逃げる力のない覚醒者はダンジョンの中に立てこもった。その国は国土の半分以上をモンスター災害で蹂躙され警察軍隊を含む戦力のほぼ全てを喪失してようやく「新しい世界の現実」を理解したという。
「というわけで、現在存在する国家全てが覚醒者基本条約を結び、それに則り覚醒者協会を設立し運営しているというわけですね」
「なるほどのう」
その中で、ダンジョンには二つの種類がある事も分かってきた。すなわち「固定ダンジョン」と「臨時ダンジョン」である。
臨時ダンジョンはクリアすると消えるダンジョンで、突如現れる渦のようなゲートが特徴だ。
そして固定ダンジョンはクリアしても消えないダンジョンであり、クリアから一定期間で全てがリセットされたように復活する性質を持っている。洞窟や塔など、何かしらの形を持っているのも特徴である。どちらも「一定期間攻略されないとモンスターが溢れ出す」性質を持っている為、厄介である事に変わりはない。
だが、入ってみるまで分からない臨時ダンジョンと比べれば内容の分かっていて対策の立てやすい固定ダンジョンは「しっかりと準備をした覚醒者」さえ居ればどうにでもなる。
「故に固定ダンジョンから持ち帰る様々な物品が特産品となり、様々な場面に役立てられているのです」
言いながら青山は一本のナイフを取り出してみせる。一見すれば飾り気も何もない普通のナイフだが……鞘に納められたそれは、イナリの目には不可思議な力を纏っているように感じられた。あの二人の持っていたものと同種の力に見えるが、微妙に違う気もする。
「……おかしな力を感じるのう。それも『あーてはくと』とかいうものかえ」
「ええ、アーティファクトです。正確には『そういう意味』の単語ではないのですが……誰かがそう呼び始めてしまいましてね。おかげで人造アーティファクトなどという単語も生まれるくらいです」
「よう分からんがまあ、分かった。そういうモノを今は作れるわけじゃな?」
「ダンジョンから出てくるアイテムがあってこそ、ですがね」
しかし何故かは分からないが、矢に加工すれば効果はあるが弾に加工すると効果がない。しかも同じ弓でもボウガンにすると効果がない……と、制限も多いようだ。
「と、此処までお話しすればご理解いただけると思うのですが……ダンジョンとは現代における新たな鉱山とも称すべきものです」
「その考えはどうじゃろうのう……」
「仰りたいことは分かります。しかし現在、ダンジョンを中心に回るものも多いのです」
覚醒者用の武器に防具、その他新素材を使用した各種の物品、新薬などなど。ダンジョンを攻略することで得られる経済的利益は計り知れず、何よりダンジョンを攻略しないという選択肢はない。それでどうなるかは充分すぎる程分かっているからだ。
「ま、社会がそうで回っとるならわしもそれに合わせるべきなのじゃろうて」
「ご理解いただけて幸いです。さて、イナリさん、貴方もステータスを持つ覚醒者です。ですので、日本本部で覚醒者登録をさせていただきたいと思いますが宜しいでしょうか?」
「……一応聞くが、断ったらどうなるのかの?」
「どうもなりません。ただ、登録者でなければ出来ない事は多数ありますし……覚醒者に交付されるカードは国際基準の身分証明書です。何かと便利かと」
まあ、作って損はない。イナリは身分証明どころか戸籍すらない身だ。それが出来るというなら、断る理由もない。
「ちなみにイナリさんの場合は何と言いますか……色々と事情があるのが透けて見えますが、お伺いしても構いませんか?」
「事情と言われてものう。わしは神社に自然発生した
「はあ、神様……」
「信じとらんなー? まあ、すてえたすにも狐巫女呼ばわりされちゃおるが」
そういう意味では扱いが妖に近いが、まあ霊力だろうと妖力だろうと使い方次第ではあるとイナリは思っている。
祟りでも神になるのは日本の伝統だ。さておいて。能力計測ということで連れていかれた部屋では、何人かの職員がザワついていた。
イナリとしては何やら四角い部屋の中に入っただけなのだが……部屋の隅で計測しているらしい職員達がああでもないこうでもないと騒がしい。
「やっぱり何度測っても同じだ。魔法関連の能力値が物凄く高い。レベル1でこれって……期待の新人ってレベルじゃないぞ」
「それより召喚スキル持ちな上にレベル8のスキル? 神通力って……」
「課長、これ外に漏れたら
「全部聞こえとるんじゃよなあ……」
何やらイナリの能力は凄い、らしいのだが。職員達が駆け寄ってきて説明したところによると、こうであるらしい。
S=規格外、A=事実上のトップクラス、B=超上級クラス、C=上級クラス、D=中級クラス、E=普通、F以下=戦力外。
レベルが上がることで能力も上がっていくらしく、また同じランクでも差はあるらしいのだが……レベル1で魔力A、魔防Bは魔法系の覚醒者としては有り得ないくらいに破格であるらしい。
「なるほどのう……」
「たとえ此処から伸びないとしても全く問題のないレベルです。ジョブも初めて見るものですし……凄いですよ!」
「他が分からんから何とものう」
「普通はEかFが並んで、Dが一つでもあれば期待の新人なんですよ。Cがあろうもんなら大騒ぎです」
なるほど。確かにそれではイナリの能力値は大騒ぎを超える騒ぎになりかねないということだろう。
「……人の世、めんどくさすぎんかのう」
「世捨て人でもやってたんですか?」
「世を捨てたというか世に捨てられたというか……」
「あー……最近そういうニュース聞きますもんね。ネグレクトとか……」
「よく分からんが違う気がするのう……」
ともかくカードは発行されたのだが、真っ白なカードに写真入りで情報の載っているソレを手の平で遊ばせながら、イナリは「うーむ」と唸る。
覚醒者カード。そう呼ばれるカードにはイナリの名前が……「
……が、それはさておいて覚醒者カードも中々に素晴らしいものだ。個人情報保護とやらでカードに記載されているのは名前と顔写真、それとレベルと職業だけだ。
詳しいステータスは権限と端末が必要であるらしく、勝手には見られないことになっている。そして真っ白なカードは新人の証であるらしい。
「立派なもんじゃのう……」
「現時点での最新技術が投入されていますから偽造も出来ません」
「うむうむ」
光の具合で見えるキラキラしたホログラムが、イナリとしては実にお気に入りだ。
「それでイナリさん。今後のことなのですが……」
「む?」
「ひとまずの住居は手配しておきました。半年は無料となっておりますので、どうぞご活用ください」
「うむ、助かる」
青山の差し出した住所の書かれた紙を受け取り、イナリは頷く。確かに住んでいた神社も今は遠い。こうしたものを用意してもらえるのは非常に助かる話だ。
「で、他にあるかの?」
「イナリさんの能力は素晴らしいものです。積極的にダンジョン攻略をしていただけると助かります」
「だんじょん、のう……わしも見たが、アレはあまり良くないもんじゃぞ。まあ、先程も似たような話をしたかもしれんが」
「だとしても、対抗できる力もまたダンジョンにしかないのです」
「ふむ……」
ダンジョンを破壊した時、それをやめろといった類の警告じみたメッセージが表示されたことをイナリは思い出す。アレが何かは分からないが、仮にも超常の存在であるイナリに自分のルールを押し付けることが出来る何かであることは確実だった。
(天津神……ではないじゃろうのう。とすると異国の神……? いや、それも違う気がするのう)
「ま、ええ。すてえたすとやらを管理しとるのが如何様な存在かはまだ分からぬが。ひとまずは踊らされてみるもまた一興か」
「我々はシステムと呼んでいます」
「しすてむ」
「誰かによって与えられる力ではありますが、何処か自動的でもある……そういった皮肉も込めた呼称ですね」
「なるほどの、中々に洒落が効いておる」
青山と話しながら辿り着いた場所は、エレベーターホール。それを見てイナリは嫌そうな顔になる。
「……これ、先刻も乗ったが何か嫌なんじゃよなあ……」
「そういった方もいらっしゃいますね」
青山はそうは言うが、全く気にせずエレベーターのボタンを押し……やがて高速で降下していくエレベーターの中で「ああああああ……」というイナリの悲鳴が響いた。
「え、えれべいたは……嫌いじゃ」
「残念です。慣れると楽しいものなのですが」
「そうかのう……」
エレベーターからよろよろと出て壁に手をついていたイナリだが、やがて気持ちを立て直す。そんなイナリを見て青山も頷くと、
「それでは、イナリさんの今後の活躍をお祈りしております」
「うむ、壮健での」
ひとまず「今の時代」がどうなっているか確かめてみなければ。あとは……資金の調達もだ。今のイナリは一文無しだ。稼げる手段がすぐそこにあるのなら、自力で生活できる基盤を整えて……その後は。
「だんじょん、すてえたす。世界に何が起こったのか、何者による仕業なのか……探ってみるのも悪くはない、か」
青山に見送られエレベーターから降りてエレベーターホールに出ると、その先はイナリの常識からでは驚くほどに広い空間だった。
高い天井、広い床と無数のカウンター、かつて最盛期だった頃の村全部を合わせたよりも多い人の数。行き交う人々は皆、丸山や宅井のように鎧やらローブやらを纏って腰に剣やらを差して盾を背負っている。
「うーむ……冗談みたいな光景じゃのう」
エレベーターホールを出れば広いホールに出るが……ザワザワと
「狐耳……」
「え、尻尾?」
「何あの子。かわいい……」
聞こえてくる声が自分のことを言っていると分かるせいで、イナリの耳は自然とピクピクと動いて、それが更に周囲のざわめきを加速してしまう。
「動いてる!」
「え、そういうアーティファクトって……こと……?」
「欲しい……」
(聞こえとるんじゃよなあ……それにしてもまた、あーてはくと、か。まるで何があってもおかしくないように語られとる。こりゃあ……一種の信仰じゃのう)
そう、まるで「アーティファクトであれば何が出来てもおかしくない、そんなものがあってもおかしくない」と、そんな雰囲気をイナリは感じていた。
イナリ自身はアーティファクトを見せられたナイフ一本しか知らないので、そんな万能感を感じてはいないが……まるで神の奇跡の如き万能を信じているのだろうと、そんなことを思う。そしてそれは、まさに信仰そのものであった。
(いずれその辺りも探らにゃならんかもしれんが……今のところは放置じゃの)
少なくともシステムとかいうモノに関しては、イナリに自分の法則を押し付けられる……神格が上の存在であることは間違いない。そしてそれはどうにも、ダンジョンに対抗する力を人間に与えている。アーティファクトとかいうものも、その一環であるだろうとイナリは考えていた。
だがどうであるにせよ、イナリに出来る事は無い。それで世界が回っているのであれば、そこに今何か余計なことをするのは世界を壊すことになりかねないからだ。
「さて、と……確か、だんじょん攻略を頼まれておったの」
そのダンジョンが何処にあるのか分からないので聞かなければならないが……さて、何処で聞けばいいのか? 幸いにも注目は集めているようだが、話しかけていいものかどうか? しかし、やるしかない。
「もし、ちょっといいかの?」
「キャー!」
「かわいいー!」
「……は?」
「ねえ、触っていい!?」
「ちっちゃい、可愛い! え!? 何歳なの!?」
「ま、まあ。ええが……」
「やったー!」
「うわ何この耳。気持ちいい……!」
しばらくモフモフされていたが……二人の覚醒者が満足して何処かに行った後、何も聞きだせていないことにイナリは気付く。
「ダメじゃ……これはダメじゃ! もっと何かこう、冷静さを保っとる人間に……!」
周囲を見回せば、このロビーにいる人間は二種類いることに気付く。すなわち、統一された服装をしている人間と、それ以外の人間だ。確かアレは制服というものだ、とイナリは思い出す。何かの組織に属している者の服装……つまり此処の場合は覚醒者協会の人間だろう。
「もし、そこの方。覚醒者協会の職員さん、でよいかのう?」
「え? あ、はい! どのようなご用件でしょうか?」
「うむ。だんじょんの場所について聞きたいのじゃが」
イナリがそう言えば、職員は驚いたように「えっ」と声をあげる。
「もしかして、攻略に行かれるのですか?」
「うむ。何か問題でもあるかの?」
「そういうわけではありませんが、白カードの方の場合は複数人でパーティーを組むことを推奨しております。やはり、ダンジョンとは危険な場所ですので」
「ぱーてー、のう」
複数人で組むとはいうが、そんな初めて会うような者同士で上手く連携できるのかとイナリは
「初心者用、と言われるダンジョンもございますしギルドで適切なバランスで組めるように紹介もしております。私たちにお任せください!」
「うーむ……」
明らかに善意で言っているし、イナリ自身初心者ではある。それに……「覚醒者」とやらの実力をイナリは知らない。
もしかしたら凄いのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
まあ、測定時の反応を見るにイナリは自分が「凄い」部類に入ることはなんとなく分かっている。しかし、それだけで全てが判断できるとも思えない。
(すてえたすについては、まだ分からんことも多い。此処は覚醒者事情について詳しくなるためにも、話を受けるのが吉、じゃな)
そう結論付けると、イナリは職員に頭を下げる。
「ご厚意痛み入る。ぱーてーの仲介、是非お願いしたい」
「え、あ、はい! お任せください、張り切っちゃいますね!」
「うむうむ。期待させていただく」
「では、こちらの七番の番号札をお持ちになって、あちらのマッチングサービス待合室にてお待ちください!」
「う、む。まっちんぐさあびすじゃな」
どうにも横文字に慣れなくて困るが、いつかは慣れなければいけないと思いつつもイナリは示された場所へと移動していく。
どうやら専用の広間になっているその場所には自分でパーティーメンバーを探すためのパソコンや呼び出し番号を表示するためのモニター、休憩用の椅子などが完備されていた。
しかし……何よりイナリの目を惹きつけたのは、おまけのように置かれたテレビだった。
イナリの知るそれよりもずっと大きく、薄く……そして何より美しい映像。
ダイヤルもないのにどうやって番組選択をしているのかは謎だが……思わず耳をピーンとたててにじり寄ってしまう。
「おお……おお、おお! てれびは此処まで進化しておったのか。しかしだいやるも無しに、如何様にして番組を変更しておるのか。もしやこんなところにまで覚醒者の技術が……?」
となると、番組を変えるのは如何なる力か?
念力ではないだろう、するともっと感応系の力だろうか?
テレビに意思を伝え、番組の変更を為す。そういうことが可能なのであれば……なるほど、なんたる極楽か。早速試さねばならぬと、やったことはないがイナリはテレビに思念を送り始めた。
(番組よ変われー、野球が見たいのじゃ。野球ー)
やったこともない技だが、覚醒者にできるならできるかもしれない。
そんな根拠のない自信と共にイナリは思念を送り……かくして、テレビの画面が砂嵐になり始めた。それ自体はイナリには何の問題もないのだが、アナログ放送など知らぬ世代はガタッと立ち上がる。とどめはテレビから聞こえる音だ。
『や、きゅ、み……』
「う、うわあああああ! テレビが変になったぞ!」
「故障か!?」
瞬間イナリはハッとしたように思念を送るのをやめ……途端にテレビの画面は元に戻る。
やってきた職員たちがテレビを囲むのを見て「すまん……」とイナリは謝りにいくが、逆に「え?」と困惑されてしまう。
「いや、番組を変更しようと思うてのう。しかし、上手く思念が送れなんだ」
「え? いえ、え?」
しかしそんな謝り方をされても、職員としてもわけがわからない。
「えーと……申し訳ありませんが、故障していないか調べますので失礼します」
「あ、いや……」
職員がリモコンで番組を変え始めるとイナリは「あれで操作するんじゃったのか……」と納得するが、「問題なし」と判断した職員たちは首を傾げながらも去っていく。
なんだかこれ以上問題を蒸し返しても仕方なしとイナリは判断するが、申し訳なさそうに耳をぺたんと伏せてテレビから離れていく。
(いかんのう、足らぬが実力なら一人で
世の中が、イナリが居た頃と変わりすぎている。テレビ一つにしたところでこの有様だ。他にどんなものが変わっているかイナリには想像もつかないし、それでやらかした際に「それが常識だと知らなかった」などと言ったが最後、どうしようもない奴扱いされても文句すら言えない。そうなる前にどうにかしなければならないが……こうなると、覚醒者のイロハを先程学んだことが活きてくる。
一般生活の常識を知らずとも、覚醒者の常識をある程度知っていればダンジョン攻略に関してはそれなりに立ち回れる。後はゆっくりと他人の振る舞いを見て学べばいい。そうしたことに関してはイナリは得意な「つもり」だった。
勿論「つもり」であって、先程テレビをホラーなことにしたばかりなのだが。ひとまずは情報からと思い置かれた雑誌を手に取ってみるが、何やらサッパリ分からない。
(なになに、株取引の落とし穴。覚醒者関連びじねすの熱狂に便乗した悪質べんちゃあモドキの乱立、未公開株の裏取引と詐欺……)
「……かぶ、とはなんじゃったかの。聞き覚えはあるんじゃが……」
まさか野菜のカブではあるまい、とイナリは首を傾げる。しかしまあよく分からないが世の中には悪の種は尽きまじ、ということではあるようだ。
「株に興味があるのかい? なら俺の先輩が良い勉強会を開いてるんだけど」
「去ね。さもなくば尻を蹴とばしてくれようぞ」
寄ってきた軽薄そうな男に振りむきもしないままにイナリは吐き捨てる。たった今、そういうのに騙されないための記事を読んでいる人間を、どうして騙せると思うのか。
「もしかして怪しい誘いだと思ってる? ただの勉強会だよ、勉強会。怪しい勧誘なんかないし、むしろお得な情報があーっ!」
思い切り回転したイナリが回し蹴りを食らわせると、男はよろめくが「何すんだ!」と振り向き……しかしその隙にイナリは騒ぎを見てこっちに近寄ろうとして来ていた職員の後ろに隠れて男を指さす。