第四章 賭けに勝っても、決まっていた敗北


 知代の様子がおかしい。

 都心にあるホテルのホールで、大学教授が朗々と研究成果について説明する中、利央はチラと隣に座る知代を見た。

 知代は熱心に教授の話に耳を傾け、ノートに色々書き込んでいる。

 こういう努力家で真面目なところはなんとも魅力的だ。利央も論文の要点をタブレットにメモしていく。

 商材が実験用機材や試薬などである以上、営業にもそれなりの知識が求められる。

 しかし、セミナーや学会の出席は自由だ。休日が潰れることも多いし、これをサービス出勤と捉えるか否かは人それぞれである。

 ちなみに、知代と利央は会社に案内が来た催しはほぼ全て参加している。

 仕事熱心で結構なことだと他の同僚に嫌みを言われることもあるが、地道に知識を増やすことが、今の成績に繋がっているのも事実である。

 思考がそれたが、ここ最近、知代の様子が変だ。

 具体的に言うと、利央が子供じみた嫉妬を燃やして知代にキスをしてしまった夜からである。

 あの日は本当に後悔した。

 自分は常に冷静な判断ができると思っていたのに、こと知代に関しては途端に普段通りにいられなくなってしまう。行動してから後悔するなんて愚か者のすることだが、今の利央は間違いなくそれだった。

 いや、もしかすると、人は恋をすると愚かになってしまうものなのかもしれない。

 賢く恋がしたいのに、どうしてこうなってしまうのだろう。考える前に身体が勝手に行動してしまう。こんな事態は、もちろん生まれて初めてである。

 きっかけは、つまらない嫉妬だ。

 日本グランツリヒト本部の監査室室長、ランベルト・ルートヴィヒ。

 本部に赴いた時、何度か顔を合わせたことがある。

 一言で言えば、非の打ちどころのない人物だ。会長の孫という立場をひけらかすような真似は一切せず、仕事に誠実で人望も厚い。

 ブロンドの髪に青い瞳、整った相貌は、多くの女性を魅了するらしく、本部での彼の人気は不動のものとなっていた。

 利央としては、知代に関わることではないから無関心に近かったのだが……。

 そんなランベルトが東京支社に監査で来て、あろうことか、知代に興味を示した。

 いや、知代本人はまったく無自覚なのだが、実は彼女は多くの男性社員の人気を集めている。

 だいたい、憧れないわけがないのだ。

 女だてらに飛ぶ鳥を落とす勢いで邁進する営業手腕。明るく前向きな性格で、面倒見もいい。たとえ相手が知代を嫌っていても、彼女は平等に手を差し伸べてフォローする度量もある。

 ――あの日、支社長会議で『賭け勝負』が始まったという前代未聞の話を瀬口課長から聞いた時。

 知代の言葉に、誰もが励まされた。

 彼女の成績をやっかむ同僚まで、その前向きさに救われていた。

 利央にはできない。利央はただ、仕事を任されるだけだ。

 どんなに励ましても、皆で一緒に頑張ろうと言っても。利央が相手になると皆「鹿嶋に任せておけば大丈夫だ」と思ってしまう。共に切磋琢磨しようという気さえ起こしてくれない。

 自分と知代の差は何なのか。これこそが『人徳』なのかもしれない。

 とにかく、憧れが恋心に変わるのはよくある話で、知代に好意を抱く男は決して少なくない。そんな中、ランベルトと知代が出会ってしまった。

 大企業の御曹司というサラブレッドで、器量よし性格よしとなれば、理想的な男性であるのは間違いない。

 そんな彼が自分に好意を持っている……と気づけば、結婚相手として否応なく意識せざるを得ない。だから、先輩から話を聞いた時は気が遠くなってめまいがした。

『鹿嶋の相棒、取られるかもな』

 挑発か。それとも心配か。先輩の真意はわからないが、利央は嫉妬のあまり我を忘れてしまった。最悪な気分で営業先から戻り、会社の前で知代と鉢合わせしたら、もう自分が止められなかった。

(はあ……恰好悪い……)

 利央はため息をつき、壇上で話を続ける教授に目を向ける。

 恋をしたら自分がどうなるのか。恋を知らなかった頃は、想像もできなかった。

 でも、自分はさほど変わらないだろうとも思っていた。きっとこれまでと同じように、器用にこなしていくのだろうと。

 ……そんな風に考えていた過去の自分を殴りたい。

 恋をしてから、うまくいかないことばかりだ。自分自身を制御するという、これまでの人生で当たり前のようにやってきたことが、急にできなくなった。

 子供のような独占欲を露わにしたり、つまらない嫉妬をして相手を困らせたり。

 いつも、ひとりになって後悔する。

 苦悩の毎日に、いっそ恋なんてしなければよかったと思ったこともある。

 だが、恋というのは自分でコントロールできる感情ではない。まるで病だ。いつどこで、何が原因でかかるのか、誰にもわからない。

(この論文発表会が終わったら、駅前で集合……だったか)

 先日、いきなり知代にそう言われたのだ。

 プライベートで誘われるなんて、もちろん初めてである。しかも知代は、利央に了承を得ないまま一方的に約束して走り去ってしまったのだ。

 あの時の真意を問い質そうと何度も思ったのだが、なんとなく聞けないまま当日になってしまった。一体知代は何を企んでいるのだろう。

(知代は時々、予測不可能なことをするからな。後輩が営業先で酷い侮辱を受けた時、ひとりで出向いて相手の上司と直談判してきたようなヤツだから)

 あれは、うり坊カチコミ事件として、営業部全員の記憶に残っている。『謝罪文と、ついでに大口契約貰ってきました!』と、勝利の笑顔で帰ってきたのは、もはや東京支社の伝説だ。

 そんな知代が、利央になんの用があるのだろう……。

(……まさか。とうとう俺にクレームをつけるつもりだろうか)

 背中に冷や汗が流れる。

 最近は、自分でもどうかと思うほど、知代に対して問題行動を起こしている。

 どう罵られても仕方がない。言い訳ひとつできない愚挙の数々。

 今後一切近づくなと言われる可能性は大だ。聖人君子で紳士な利央の顔はハリボテにすぎず、実は根暗でネガティブで無駄に嫉妬深い。しかも非常に面倒臭い性格をしている。

 もし自分が女だったら、利央のような男は願い下げだ。

 しかし、本格的に知代に嫌われたら、正直言って、この先生きていける自信がない。

 知代がずっと利央の背中を追ってくれたから、ここまで頑張ることができたのだ。

 知代の明るい性格とポジティブさが、いつも利央の道を照らしてくれた。

 勉強と仕事しか生きがいのない自分の人生に、彩りを与えてくれた。

 それなのにまだ、何もしていない。告白ひとつ、伝えられずにいる。

 無理矢理にでも肌を重ねたら、何かが変わると思った。

 態度を甘くしたら、自然と向こうが好意を持ってくれると期待した。

 でも実際には何も変わらなかった。

 むしろ事態は悪くなるばかりだ。ホテルで過ごした翌日は口論になるし、甘い態度を取ればむしろ不審がられたし、あげくの果てには、利央と顔を合わせただけで彼女は目をそらし、距離を取り、挙動がおかしくなってしまった。

 しかし、気持ちを伝えられないまま一方的に嫌われるのは、あまりに悲しい。

 いっそ時間を巻き戻して最初からやり直したいが、どこからやり直せば、今と違う未来に繋がるのか。今となっては、何が正解だったかもわからない。

 とりとめのないことを悶々もんもんと考えていたら、論文発表会が終わってしまった。

 とうとう、約束の時だ。

 絞首台に向かう死刑囚はこんな気持ちなのだろうか。利央は絶望的な気分になりながら、隣に座る知代に声をかけた。

「確か、駅に集合だったよな。俺はこのまま行くつもりだけど、君は――」

 横を向くと、すでに知代はいなかった。

「え」

 きょろきょろとあたりを見回すも、知代らしい姿は見当たらない。まさか終わった瞬間、ダッシュで去ったのだろうか。もはやこの時点で、知代の行動は利央の予想を大きく超えていた。

「駅に……行ったのか?」

 よくわからないが、知代がここにいない以上、自分も駅に向かうべきだろう。

 利央はタブレットを肩掛け鞄にしまうと、待ち合わせの場所に小走りで向かった。

 都心の繁華街にある駅は、休日ということもあって多くの人でごったがえしている。

 それでも利央は、明確に知代の姿をその目で捉えた。彼女の姿だけ、やけに目立って見えるのだ。恋をすると視覚もおかしくなるのかもしれない。

「って、知代。まさか着替えたのか?」

 彼女の姿は、論文発表会で見た時と様変わりしていた。先ほどまでの知代は黒いシャツにベージュ色のパンツという、至って地味な――お堅い論文発表会の席に似つかわしい服を着ていた。

 しかし今の知代は、ひらひらしたレース袖の白いブラウスと、空色のペンシルスカートという、非常に可愛らしい姿である。

(……可愛い……え、可愛いな?)

 思わず利央が混乱してしまうほど、知代はドレスアップしていた。

(と、いうか。知代のスカート姿って、初めて見る)

 利央は立ち止まり、口を手で塞ぐ。

 知代は入社時から今までずっとパンツスーツを通していたし、先日スーパー銭湯で出会った時も、普段とあまり変わらない、白い襟シャツにカーキ色のカーゴパンツだったので、あまり気にならなかった。彼女としては、動きやすい服を選んだ結果なのだろうが、そんな知代のスカート姿はなかなかに破壊力がある。

 よろよろしてから、利央は自分に「落ち着け」と言い聞かせた。

 自分自身がエラーを起こしている。思えば、知代に恋をしてから行動に異常をきたしてばかりだ。

 普段の落ち着き払った言動を思い出せと、自分を叱咤しったする。だが、知代のことになるとどうしても頭がおかしくなって、思考はダメな方向へと真っ逆さまに落ちていく。

 問題はそう、問題は、なぜ知代があんなに可愛い姿になっているのかということだ。

 利央にクレームをつけるのではないのか?

 それではなぜ、あんな恰好をして、自分と待ち合わせをしているのだ?

(まるで、デート……みたいじゃないか)

 そう考えた途端、顔に熱が上がった。

(待て待て、デートなわけがない。俺たちはつきあってもいないし、デートをするなんて聞いていないし、知代がまた何かおかしなことを企んでいるに違いない)

 そう、なにせうり坊の知代だ。

 利央の想像以上のことを予告なしに行動するのが知代なのだ。油断してはいけない。

 まるで敵との間合いを詰めるように、利央はじりじりと彼女に近づいた。

 すると――。

「あっ、鹿嶋さーん!」

 利央を見つけた知代が、満面の笑みで手を振るではないか。

(なぜ……そんな可愛い笑顔を見せる!? やはり罠なのか。俺を喜ばせて調子に乗らせてから、叩きのめす算段なのか!)

 思わず身構えた利央に、知代が駆け寄ってくる。

「あっ、あの……」

「なんだ」

 知代は照れたように下を向き、両手でスカートを押さえて、なんだかもじもじしている。

 可愛い。

 今日の知代は、なぜこんなにも魅力的なのだろう。利央は激しく戸惑う。

「ス、スカート……に、してみましたが、に、似合いますか?」

 利央は真顔になった。

 誰だろうこの人は。いや、知代に間違いないのだが、まるで中身が別人のようだ。可愛いに決まっているが、非常に『らしくない』。

「あ、ああ、似合うよ。少し……かなり……驚いたけど」

「よ、よよ、よかった! ペンシルスカートは、本当は背が高くないとあまり似合わないんですけど、私が普通のフレアスカートを着ると、本当に……子供に見えるので……」

 知代がズーンと落ち込んだ顔を見せる。

 背が低いことと、童顔なところは、彼女にとって本当にコンプレックスらしい。

「ははっ」

 思わず――笑ってしまった。

(あ……俺、久しぶりに笑えた気がする)

 焦ったり、悩んだり、後悔したり。最近はそんなことばかりで、ずっと心から笑えていなかった。ちょっと嬉しいと思ったところで、ハッと目の前の知代を見る。

 彼女はムスッとした表情で、唇を尖らせていた。

「い、いや、違う。今のは君が童顔で背が低いのを笑ったわけではなくて」

「じゃあ何で笑ったというんです?」

 知代のコンプレックスは禁句。笑ったりからかっても当然怒る。だが、その怒り顔も可愛いからつい、口が先に出てしまう。我ながら呆れるほど愛情表現が小学生レベルである。

 だが、今は少しでも嫌われたくない。利央は慌てて弁解する。

「知代は自分で言うより、子供っぽくない。それなのに、君があまりに自分の見た目を気にしているから笑ってしまったんだ。そんなに気にしなくてもいいのに」

「……この前、警察官に補導されかけたんですけど?」

「ぶはっ!」

 必死にフォローしたのに、すかさず知代が言うものだから、我慢できずに笑ってしまった。

「す、すまない」

「ふふ、今のは笑わせようと思って温めていたネタですからいいです」

 知代はにっこり笑って、利央を見上げる。

「さっきの言葉、嬉しかったです。私の見た目は、ちゃんと年相応なんですね。皆してうり坊って呼ぶから、本当に子供に見えているのかなって思っていました」

「俺も呼んでしまうから申し訳ないけど、殆どの人は、そのニックネームに愛着があるんだよ。うり坊は可愛いからね」

 中には嫌みで呼ぶ人もいるが、そんなのはごく一部だ。名古屋支社と勝負をしている今となっては、彼女を嫌う人はほぼいないだろう。

 ……だからこそ、焦りが強くなったとも言えるのだが。

(それにしても……やっぱり、用件はクレームじゃないのか?)

 てっきりそう思い込んでいた利央は緊張していた肩の力を緩める。

 しかし、そうだとしたら、何が目的なのだろう?

 結局、その疑問に舞い戻る。

「とりあえず、お昼ごはん食べません? 私、お腹空いちゃって」

「ああ、そうだな。俺も空腹だ。どこか決めてる店があるのか?」

 利央が尋ねると、知代は「うっ」と言葉に詰まる。

「すみません。このあたりの店は、私には敷居が高すぎてあまり知らな……じゃなくて! えっと、文明の利器! スマホで検索しましょう」

 あたふたと、知代が鞄からスマートフォンを取り出す。

 自分から誘っておいて、そういう段取りはまったく白紙だったらしい。

(いや、知代は自分から男性を誘うこと自体が、もしかしたら初めてなのかもしれない)

 そう思うと、胸が熱くなるようだった。まったく経験がないのに利央を誘ってくれたという事実がとても嬉しい。

「じゃあ、カツレツの店はどうだ? 肉、好きだろ」

 前にこのあたりで、取引先とランチをしたことがある。その時に食べたカツレツの店は評判がよかったと思い出す。

 鹿嶋が提案すると、知代の表情がぱあっと明るくなった。

「カ、カツレツですか! 私、食べたことないです」

「なら、決まりだな」

 フ、と微笑んだ利央は、店に向かって歩き出した。後ろをついてくる知代が、少し複雑そうな表情を浮かべて唇を尖らせた。

「鹿嶋さんって、どんな時でもスマートっていうか、余裕たっぷりなところがすごいですね」

「そうかな」

「そうですよ。パッと店を決められるなんて、私にはできないです」

「ふぅん。営業では常に即断即決なのに、意外だな」

 振り返って笑ってみせると、知代はじろりと利央を見上げる。

「それって皮肉ですか? だって、どの店もおいしそうだから、迷ってしまうんですよ」

 実に知代らしい悩み方だ。微笑ましくて笑ってしまう。

(スマートで、余裕たっぷり……か)

 心の中で呟きつつ、利央は前を向いて歩く。

 本当は、あまりに知代が可愛くて、緊張でまいってしまいそうだ――なんて言ったら、笑うだろうか。

(いや、知代は笑わないだろうな。意外だ、くらいは言いそうだけど)

 三年のつきあいの中、飲み会などで知った知代の数少ないプライベート情報。それは、彼女が肉好きということだった。

 だからこそ、利央は前から肉料理の店をピックアップしていたし、評判のいい店はしっかり覚えていた。今回は、それが功を奏したというだけの話なのだが、これは言わぬが花だろう。

 カツレツの店のランチは、メインのカツレツにたっぷりのキャベツの千切り、そしてほかほかのごはんと、小鉢、味噌汁だった。

「おいしい~!」

 知代が目をキラキラさせて舌鼓したつづみを打つ。

「カツレツって、トンカツの牛バージョンじゃんね、と思ってた私がバカだったと思うくらい、おいしいです! これはトンカツとまったく違う料理ですね!」

「……そんなに喜んでもらえると、紹介したかいがあったな」

 ぱくぱくとカツレツを食べる知代を見て、利央は微笑んだ。

 かりっとした衣は香ばしく、牛肉は驚くほど柔らかくてジューシーだ。噛みしめるたび、口の中でコクのある肉汁が溢れ出す。

「ごはんと合う! 相性最高~!」

 カツレツとごはんを交互に食べている知代を見ていると、心の中がほんわりと温かくなるようだった。

 彼女は本当に幸せそうに食事をする。食事にさほど魅力を感じていなかった利央が感銘を受けるほど。

「知代は肉好きだから、見た目を重視したおシャレな店よりも、ガッツリ食べられる店のほうが好きかなと思っていたんだが、正解のようでよかったよ」

「さっきも思ったんですけど、私が肉好きって、よく知ってましたね?」

 キャベツの千切りを食べながら、知代が尋ねる。

「飲み会で、肉が好きだって言っていたのを聞いてたんだよ」

 利央の言葉に、知代はうぐっと喉を詰まらせる。

「き、聞こえてたんだ。うん、まあ、お肉は……好きです」

「ちなみにステーキ派? 焼き肉派?」

「焼き肉……。そ、そういう鹿嶋さんは?」

「俺はそうだなあ、焼き肉……かな」

 嘘だ。利央は、本当は食べ物に一切興味がない。健康を維持できる栄養が取得できるならなんでもいい。カロリーとビタミンを摂取できるゼリー飲料や、栄養バーでもぜんぜん構わない。

 強いて言うなら、ファストフードと呼ばれるジャンルの料理が苦手だ。何度か食べたが、どれも予想以上にカロリーが高く、栄養価が低いのが、非合理的に感じてしまった。

 そんな利央が焼き肉を好きだと言ったのは、単に知代に話を合わせただけ。

 なのに、知代はぱあっと嬉しそうに表情を綻ばせた。

「本当に!? 意外です。鹿嶋さんってもっとオシャレな店ばかり行ってると思ってたから」

 これには驚く。嘘をついたことに罪悪感を覚えてしまったが、すぐに思い直した。

「前にも言ったけど、君の俺に対するイメージは、絶対間違っているからな。普通に牛丼も食べるし、こういうカツレツの店にも行くし」

 どうやら知代は、相当利央のことを『オシャレな人間』と思っているらしい。

 だが、実際の利央は何もない。無色透明で、好みも嫌いも、何もない。

(でも、これから焼き肉を好きになればいいんだ。焼き肉だけじゃない。なんでも、知代が好きなものを好きになっていけばいい)

 どうせ好きな食べ物はないのだから丁度いい。それに、知代と一緒に食べるものなら、なんでもおいしいと感じるだろう。

「そっか~、鹿嶋さんも焼き肉が好きなのかあ。ふふ、嬉しいな。好きな部位とか、ホルモンは塩かタレかとか、そのうち話せたらいいですね」

「あ、ああ。そうだな」

 部位にホルモン。言葉としてはわかるが、今まで味の違いなど興味がなかったから、どれがどんな味か覚えていない。これは、後々復習しておく必要があるだろう。

「そういえば、鹿嶋さんとこういう風に好みの話をするのって、何気に初めてですよね。会社ではずっと仕事の話をしてましたし、前にスーパー銭湯で会った時は趣味の話になっちゃったし」

「確かにそうだな。知代は俺にいつも張り合っていたし、スーパー銭湯での話は……その、ちょっと、忘れてくれると助かる」

 話しながら、なんだかライバルとして互いに切磋琢磨していた日々がずいぶん懐かしく感じた。そして、自分が無趣味ということに気づき、落ち込んだ日のことは記憶から消してもらいたい。二十八にして、大浴場で湯に浸かることだけが趣味って、改めて考えるとかなり悲惨だ。

(でも、そうか。何も変わっていないと思っていたけれど、違う。やはり俺たちは、あの夜を経て、関係が大きく変わったんだな)

 どう考えても、あれは最低な手段だった。言い逃れができないほどの騙し討ちをした。

 でも、無意味ではなかったということは、ひとつの救いに感じた。

「……私、鹿嶋さんのこと、もっと知りたいです。何も知らないから、教えてほしい……です」

 今日の知代はどうしたんだろう。いや、先日から様子はおかしかった。

 妙にしおらしくて、態度がギクシャクしている。

 不思議に思いながらも利央は頷いた。

「ああ、別にいいよ。何を教えたらいい?」

「そ、そうですね~。じゃあ、そうだ。スーパー銭湯の好きなところを教えてください!」

 利央は戸惑った。自分の唯一の趣味。スーパー銭湯に行くこと。

 今では、知代にばれてしまったのがなかなかに辛い。もう少しマシな趣味を、ひとつくらい持っておけばよかったと心底後悔している。

 悩みに悩んで、利央は銭湯の好きなところを挙げた。

「朝一番の大浴場を独り占めできた瞬間、かな」

「あ、同じです。私も早起きした日は絶対行きます」

 そうなのか? と利央は驚く。ちょっと興が乗ってきた。スーパー銭湯が好きというのは、案外悪い趣味ではないのかもしれない。

「露天風呂エリアに行くと、しばらくは露天風呂とサマーベッドを往復するんだ。とにかく時間を気にせず長湯できるのがいい」

「わかります! サウナも欠かせませんよね。あそこ、ミストサウナもあるから嬉しいんですよ~」

「カーッと限界まで身体を熱くして、水風呂に入るのとか、最高だよな」

「湯上がりのアイスもいいですよね~!」

 ポンポンと、楽しく会話が弾む。利央は珍しく熱中して、必死に話した。

「最近は色々なスーパー銭湯をハシゴしているんだけど、俺は岩盤浴のあるところが気に入ってるんだ」

「私もです! そして存分にお風呂を楽しんでから、幸せのマッサージタイム……!」

「ヘッドマッサージが最高だな。そして仮眠室でゆっくり寝て……起きたら、だいたい昼食の時間になってるんだ」

「ですよね~。そして、刺身盛り合わせと生ビールできゅ~っと!」

 たまらんっという顔をして拳を握る知代は、唐突にハッとした顔をして、コホンと咳払いをした。

「ま、まあ、そ、そういうのが好きですね。刺身盛り合わせとビールは忘れてください」

「別にいいじゃないか。俺も、焼き鳥とビールを頼んでる」

「……昼間っからビール飲むなんて、オジサンみたいって、思わないですか?」

 誰かに言われたことがあるのだろうか。知代が困った顔で唇を尖らせる。

 ふっと利央は微笑んだ。

(なんだ、知代も同じなんだ)

 利央も、自分の唯一の趣味は『中年男のようだ』と思っていた。だから、知代にばれて恥ずかしいと思った。それしか趣味がないのが情けないと落ち込んだ。だが、それでいいじゃないか。飾る必要なんてない。何よりも利央は、そのままの知代が好きなのだから。

「俺は……嬉しい。知代が俺と同じ趣味を持っていたことが」

 そう言うと、知代は顔を真っ赤にさせて俯いた。

(今日の知代はよく照れているけど、この顔はたまらないな)

 こう、ドキドキしてしまう。いや、もっといえばムラムラしている。

 明らかに知代に欲情しているのだと気づき、利央は自分をたしなめた。盛りのついた犬じゃあるまいし、少しは落ち着いてほしい。

 だが同時に、知代の照れ顔は誰にも見せたくないと強く思った。

 ランチを食べ終わって、食後の紅茶が運ばれる。

 知代は窓からの景色を眺めながら、ゆっくりとアイスティーを飲んでいた。

 季節は八月に入ったばかり。窓から見える並木通りの街路樹は青々とした葉が生い茂っていて、その下を歩く人々は、夏真っ盛りといった涼しげな装いだ。

(ここを出たら、次はどうするのだろう)

 違う店でも行くのだろうか。それともここで解散だろうか。

 結局、知代の用件はわからずじまいだったし、このまま「さようなら」と別れるのも寂しい。

 これはそろそろ言わなければならないだろうか。彼女に、夜を過ごしたあの日でさえ言えなかったあの言葉を、今度こそ言う必要があるのだろうか。

 ドッドッと、利央の心臓が早鐘を打つ。

 そうだ、チャンスは今しかない。怖れを捨てて、勇気を出して。

 あの夜、知代に触れた――その、本当の理由を。

「知代、話が――」

「鹿嶋さん! すみませんが、先に私の話を聞いてください」

 空になったアイスティーをテーブルに置いて、知代は言う。

 その表情はいつになく真剣で、利央は戸惑いながらも「先にどうぞ」と頷いた。

「ありがとう。あ、あのですね、ここで言うのもなんですけど、今しかチャンスがないと思ったので聞いてください」

 知代はゴクリと固唾を呑む。そしてまっすぐに利央を見つめた。

「好き、です」

 目を見開いた。

 今、彼女は何を言ったのか。全ての思考が飛んで、真っ白になった。

「本当は、ずっと前から……いつの間にか、好きになっていたんだと思います。それが恋と気づくきっかけになったのは、多分、あの夜……です」

 知代が顔を赤らめて告白する。

 外回りでほんのり焼けた知代の二の腕。ペンシルスカートから伸びる柔らかそうな白い足。そして、直視しては失礼だと思いつつも見てしまう豊満な胸。舌を這わせたくなる首筋。知代の赤くなった顔が極上のごちそうに見えて、利央は必死に理性を奮い立たせた。

 でも、どうしても思い出してしまう。

 自分でも最低だと思った行為。触れることができて嬉しかったけれど、同時に情けなかった。できる限り考えないようにしていた。思い出したら切なくなって辛かった。

 蓋をしていた思いが頭の中に流れ込む。まるでき止めていた川の水が溢れ出すように。

(知代の中で、あの出来事は……嫌なものではなかったのか)

 じわじわと温かい感情が湧き出てくる。嫌われていなくてよかったという安堵や、愚劣な期待が心の中を占めていく。

「私……鈍いのもあって、なかなかそれを自覚できませんでした。でも、多分それ、鈍いだけじゃなかったんだと思います」

「どういうことだ?」

 思わず尋ねると、知代は恐縮したように小さな身体を更に縮こませた。

「呆れられるかもしれないけど……悔しかったんですよ」

 知代の言葉に、利央は不思議そうに首を傾げた。何が悔しいのかわからなかったのだ。

「だから! その……、好きって自覚したら、鹿嶋さんに負けたみたいじゃないですか。だから悔しくて、なかなか自分の気持ちを認めたくなかったんです」

 利央はぼんやりと今の言葉を吟味した。そして――思わずぷっと噴き出してしまう。気づけば、「はははっ」と、お腹を抱えて笑ってしまっていた。

「な、なんですか! 人の一世一代の告白を笑うなんて!」

「ごめんごめん。だって、負けたなんて、ははっ」

 まったく、どこまで負けず嫌いなんだろう。でも、とても知代らしい。

 利央は目にたまった涙を拭きながら、首を横に振った。

「ほんと、俺はバカだな」

「え……?」

「勝ち負けで言うなら、俺のほうが負けていたよ。お手上げ状態で白旗を振っていたんだ。だって、俺は君と出会った時からずっと、好きだったんだから」

 知代の丸く大きな瞳が、ぱちくりと瞬きした。

(ああ、本当に。何が優秀だ、何が成績一位なんだか。世界中を探しても、俺ほどのバカはいないかもしれない)

 ふがいない。情けない。知代にやることやっておいて、肝心なところは怖くて言えなかった。愛情表現は小学生並みで、こんな男に魅力なんてひとつもない。

(でも……知代は、こんな俺を好きになってくれた)

 幼い頃から培ってきた、表面を繕うだけの自分じゃない。

 知代には、弱いところも情けないところもさらけ出してしまった。それでも知代は、利央に心を開いてくれたのだ。

「君はすごいんだ。恐れず、逃げず、自分の気持ちをはっきり口に出せる勇気を持っている。臆病者の俺には、まぶしすぎるくらいだ」

 呆れてもいい。バカだなあと笑ってもいい。

 ただ、離れないで。ずっと傍にいて。嫌わないでほしい。愛してほしい。

 利央はゆっくりと手を伸ばし、知代の頬に触れた。

「俺で、いいのか?」

 我ながら、もっと気の利いたことは言えないのかと思う。でもこれが利央の本当の気持ちだった。嫌だと言われたら泣いてしまいそうだけど、もう一度確認したい。

 知代は瞳を緩ませ、利央の手に触れた。

「はい。私は鹿嶋さんの隣に立って、一緒に支え合いたいんです」

「知ってると思うが、会社の俺は上っ面にすぎなくて、実はすごく嫉妬深いし、正直、面倒臭い男だと思う。……それでも?」

 すると、知代はクスッとおかしそうに笑う。

「なんだ、鹿嶋さんはちゃんと自覚してるんですね、よかった」

 そう言って、彼女はまっすぐに利央を見つめる。

「大丈夫。全部ひっくるめて、好きだから」

 頭の中に祝福のベルが鳴り響く。知代の言葉が心に染み入る。

「俺も、好きだ。愛している。……本当はあの夜に言うべき言葉が、こんなにも遅くなってしまって、すまない」

 やっと知代と向き合えた気がした。もう絶対に目をそらしたりしない。

 彼女の穢れない純粋な瞳を、まっすぐに信じてくれる気持ちを、決して裏切らない。

 利央は静かに、しかし強く決意した。


 思いを伝え合ったあと、知代と利央はつかの間のデートを楽しむ。

 まずは、ずっとお預けになっていたお笑いライブに行った。以前利央が用意した人気のライブではなかったが、当日のチケット購入で観られるところを探した。残念なことに利央はいまいちお笑いネタの笑いどころがわからなかったのだが、隣で笑い転げる知代を見ていたら、いつの間にか自分も釣られて笑っていた。

「めちゃくちゃ面白かったでしょ? 今日のライブもキレッキレだった! は~やっぱり、思いっきり笑うとスッキリできていいな。利央さん、一緒に観てくれて、本当にありがとう! やっぱり生で見る迫力は、ネット配信で見るのとはぜんぜん違ったよ!」

「俺も楽しかったよ。また行こう」

 木陰のあるオープンカフェで、知代は熱心にファンである漫才コンビについて語っている。

 目をキラキラさせて。それはもう楽しそうに、利央に語り聞かせている。

 それがなんて嬉しいことか。知代はわかるだろうか。

「は~、今日は最高の日だね」

 まだ興奮が冷めやらぬ知代は、しみじみと目を瞑ってアイスコーヒーを飲んでいる。

 ようやく、利央は知代と念願の恋人同士になれた。

 だから思いきって、ふたつのお願い事を言った。

『これを機に、敬語はやめてほしい。それと、できれば利央と名前を呼んでほしい』

 知代は少し考えたあと、『わかった!』と元気よく返事してくれた。

 前から気になっていたのだ。

 知代と利央は会社の同期。同じ日に入社した。だが、知代と利央は二歳分の年齢差があったので、知代はずっと利央には敬語を使っていた。

 礼儀正しい性格をしている彼女は、利央に限らず、誰に対しても基本的には敬語を使っている。だが、利央はどうしても彼女の敬語に壁を感じていた。

 それが、ようやく対等の立場になれるのだ。嬉しくてたまらない。

「それにしても、利央さんが私に恋をしたきっかけが、仕事のフォローだったなんてびっくりしたよ」

 知代はワッフル生地のクレープをパクパク食べながら言う。

 そういえば、知代は身体は小さい割によく食べる。その栄養はどこに行っているのだろう……。利央は、思わず彼女の立派な胸に注目してしまった。

(いや、自制しろ。恋人だからってセクハラはよくない)

 べしべしと自分の頬を叩いて、コホンと咳払いをする。

「本当に覚えてないのか? まあ、一年くらい前の話だけど」

 知代に『一体いつ、私のことが好きだって自覚したの?』と尋ねられたので、利央は恋心に気づいたきっかけを説明したのだ。

 アポイントをダブルブッキングしてしまって困っていたところ、知代が助け船を出してくれたという出来事。あれが決定打となって、利央は知代に恋をしていると気づいた。

 知代はしばらく腕を組んで悩み、やがて真面目な表情で利央を見る。

「覚えてない!」

「はあ……そうだろうと思っていたよ。つくづく、君は大物だ」

 利央は呆れ口調ながらも顔は綻んでしまう。

 あそこまで鮮やかに利央を助けておきながら、知代はそのことを覚えていないのだ。

 人によってはしつこく覚えていて、何度も蒸し返されそうな貸しである。つまりは利央の弱みを握ったも同然なのに、知代にとっては覚えるほどでもない些細なことだった。

 それは、彼女にとって『誰かを助ける』ということが、当然のことだからだ。

 理由なんてない。知代は目の前の困っている人に手を差し伸べることをためらわない。

 ――たとえ、相手が憎たらしいライバルであっても、自分の成績を妬み、嫌う者であっても。

 そういうところが、知代のまっすぐな生き方が、時々、とてもまぶしい。

「そうは言うけど、利央さんだってそうじゃない」

「え?」

 クレープを頬張りながら、知代が言う。

「利央さんはいっぱい私を助けてくれたよ。私だけじゃない、いつも営業部全体を見て、先輩も後輩も同僚も、課長や部長だって、いつもフォローを入れてた。それに比べたら私がフォローした数なんてたいしたことない。大物なのは利央さんのほうだよ」

 その言葉には驚いてしまう。まさかそんな風に言われるなんて思わなかったから。

「ち、違う。あれは、外面を取り繕うためにやっていたんだ。昔からいつも誰かに頼られていたから、なんとなく助け船を出すクセがついてしまったんだよ」

 利央は慌てて言い訳をした。自分は知代のように純粋な気持ちで他人をフォローしているわけじゃない。本当は、人間関係を円滑にするための手段にすぎないのだ。

 すると、知代は「あははっ」と楽しそうに笑う。

「キョドってる利央さん可愛い!」

「な! キョドってるって言い方はないだろう」

「いやいや、新鮮っていうか。会社での利央さんならすまし顔で『それくらい当然ですよ』くらいは言うでしょ。どんな理由でも誰かを助けてる利央さんは素敵だよ。だから皆、利央さんを慕っているのに、ごちゃごちゃ理由をつけておかしい!」

 笑い足りないのか、知代がクスクス笑っている。

 憤然としながら利央はアイスコーヒーを飲み、ふと思った。

(そうか。俺は外面だけの人間だと思っていたけれど、それでも救われている人がいるんだ。『いい人』を演じることは、そう悪いことではないのかもしれない)

 善人を気取るのは、下手に他人とぶつかる人生よりも、世の中を渡るのに楽だからだ。そして、要領のいい利央に人が集まるのは、自分が利用価値のある人間だからなのだと思っていた。

 でも、利央をうまく利用してやろうという人間は確かにいるだろうが、それだけじゃない。

 グランツリヒト東京支社という、小さな組織の中でも様々な人がいる。

 働きすぎだよと、気の弱そうな声で体調を心配する瀬口課長。からかい好きなところはあるけれど、面倒見のいい先輩。自分に憧れてくれる後輩。時々妬まれるけど、頼りになると礼を言う同僚たち。

 腹に何も隠さず、利央を慕ってくれる人はいる。そして、たとえ取り繕った外面であろうと、それも利央という人間の一部なのだ。……誇る必要はないが、卑下する必要もない。そういうことなんだろう。

「それでもやっぱり、君のほうがすごいよ」

 だって敵わない。誰も知代に勝てる者なんていない。知代の飾らない言葉は、暗澹あんたんとした人生の道程だって、明るく照らしてくれる。

 だから、そう。

「俺は、頑張ってよかった。時々罵られたり、噛みつかれたり、異常に張り合ったりされたけど、仕事をひたむきに頑張ったからこそ、君は俺を見てくれたんだから」

 ずいぶんと回り道をした気もするけれど、こうして知代が利央を好きになってくれたのなら、それは間違った道ではなかったのだろう。

 利央がニコニコして言うと、知代は顔を真っ赤にして「そ、その節はすみませんでした……」と小声でボソボソと謝ったのだった。


 夕食のレストランは、ふたりで選ぶことにした。

 駅前のベンチに座り、お互いにスマートフォンでレストランを検索しつつ、利央はチラと隣に座る知代を見る。

「……あの、さ」

「ん?」

 ぼんやり雑踏を眺めていた知代が、こちらに顔を向けた。

 さすがに急ぎすぎているだろうか。露骨だろうか。盛りのついた中学生かと呆れられてしまうだろうか。

 それでも、――それでも。

 どうしても耐えきれそうになかった。利央は目を伏せて、彼女に問いかける。

「夕食のあと、あの夜の続きを……しても、いいか?」

 知代が驚いたように目を見開いた。

 あの夜とは、ふたりにとって忘れられない日のことだ。無理矢理賭けに誘い、知代を酔い潰して、無理矢理その身体に触れた。

 何かが変わりますようにと祈って、最低な手段を取った、あの夜。

 その続きを――今夜、共にしたい。

「一方的でもなく無理矢理でもない。君の心も身体も欲しいし、俺の心と身体をあげたい。愛し合いたい」

 もし断られたら仕方がない。潔く諦めよう。心ははやり出しているけれど、知代のことは大切にしたいから。

 そんな気持ちで尋ねると、知代はほんのり照れながらも、優しく笑った。

「いいですよ。えっと……また、その……ら、らぶほてるで?」

 恥ずかしそうに小声で問いかけるので、利央はかしかしと頭を掻いてしまった。なんだろう。やけに身体が熱い。理由は夏だからというだけではないと思う。

「いや、俺のマンションで。ラブホテルはちょっと、緊張しそうだから」

「そっ、そっか。うん、大丈夫。わ、私もラブホテルは気構えそうだから、そのほうが助かるよ」

 お互いにどきまぎしながら話をして、利央は改めてレストランの検索に戻った。

(俺、マジでメンタル中学生か……)

 思春期の青春かというほど、ドキドキしている。ラブホテルを避けた理由は、なんというかあの施設は露骨すぎるのだ。いかにも『これからセックスしてください』と部屋全体が主張している感じがどうにも駄目だった。賭け勝負をした日は、酔った知代が警戒心を抱く前にどこかへ駆け込む必要があり、近くのラブホテルしかないと思って、仕方なく選んだ。ちなみに事前にインターネットで予習したので、部屋を選ぶのも独自のシステムも滞りなくクリアできた。やはり何事においても予習は大切なのである。

「よし。じゃあ、俺が勧めたいのはワインバーだ。目玉になる商材はフランス料理。A5ランクのサーロインや、キャビア、エスカルゴなどを使用した本格料理を比較的安価で楽しめることで人気がある。そして、ワインの揃えがよく、ワインに通じていない客にも丁寧に教えてくれる親切なソムリエが在籍しているとのこと。ここからの道のりは電車で二駅で、その駅は俺のマンションにもアクセスがいい。距離的にも問題はないと思うが、どうかな」

 まるで営業のプレゼンのように朗々と提案する利央に、知代は真面目な顔で何度も頷く。

「うん、いいね。私のニーズをとても掴んでいるし、これからのことを考えると、多少のアルコールは摂取しておきたい。しかも私がそこまでワインに詳しくないところまでフォローしているなんて、さすが利央さん。悔しいけど完璧な提言です。でも、ちょっとツメが甘いね」

 最後にキラリと眼鏡のフチを光らせた知代は、すばやくスマートフォンで検索をかけた。

「ほら! ワインバーでフランス料理がお得に食べられるところなんて絶対に人気だし、話題になってるはず。案の定、グルメサイトで取り上げられてる。そして期間限定のクーポン券がついてる! アンケートに答えたらいいみたいだよ」

 さっそくスマートフォンを操作してアンケートに答えている知代に、利央はおずおずと尋ねた。

「あのさ、クーポン券って、いいのか?」

「いいに決まってるじゃない。なんでそんなこと聞くの?」

「いやその、俺もネットで調べている時にたまたま見かけただけなんだが、どうもクーポン券を使う男はダメなんだそうだ」

「どうして?」

 知代が心底不思議そうに首を傾げた。だが、利央も実はよくわからない。便利なものがあるのだから、有効活用するべきだと思うのだが。

「どうしてだろう……?」

「店が大損するわけじゃないのにね」

「割引がある分、通常よりもリスクは負っているだろうが、さすがに赤字設定にはしていないだろう。おいしいと思ったならまたリピートしたらいい。それで店は儲かるんだ」

 そんな会話をしていると、知代が「よしっ」と満足げな顔をする。

「クーポン取れたよ。ついでに予約しておいたから、行こう!」

 シュタッとベンチから立って、それ行けーと走ろうとする知代を、利央は慌てて止めた。

「待て待て、そんなに急ぐな。……それよりも」

 ごしごしと手の平をズボンで擦って、照れくさくなって俯く。

「手、……繋がないか」

「……手」

「つっ、つきあったんだし」

 少し声が裏返ってしまった。知代はジッと利央の手を見たあと、おずおずと片手を差し出す。

 指が触れあうと、ビリッと電気のような衝撃が背中に走った。ドキドキする胸を押さえながら、ゆっくりと知代の手を握りしめる。

「こ、この状態で歩くの?」

「そ、そうだ。恋人なんだから」

 ぎくしゃくしながら言うと、知代は遠慮がちに利央を見上げる。

「あのね、ちょっと気になったから聞いてもいい?」

「なんだ」

「もしかして、利央さんって……彼女いない歴……」

「ほっといてくれ! そういう知代はどうなんだ!」

 ぎゅっと手を握りながら、利央は恥ずかしさのあまり大きな声を出す。

 そうなのだ。わざわざ自分からする話でもないので誰にも言えずにいたのだが、利央は彼女いない歴イコール年齢である。

 中学の頃からやたらと女の子に告白されていたが、他人とつきあうことに楽しさを見いだせなかったため、全て断っていた。そうして断り続けて、二十八年だ。

 ひとりくらい、試しにつきあってみようかと思うこともなかったわけではないが、とにかく勉強に部活、そして仕事が忙しかった。

 知代は駅に向かって歩きながら、困ったような顔をする。

「実は私も、彼氏いない歴イコール年齢です」

「そ、そうか」

 以前、男性経験はないと聞いていたが、改めてホッとした。いや、別にあったとしてもとがめるつもりは毛頭ないが、とにかくなぜか安堵したのだ。

 知代はぎゅっと利央の手を握りしめて、少し照れくさそうに微笑む。

「利央さんって、こういうつきあいに手慣れてそうなのに意外だね。でも、初めてが一緒で嬉しい。手、繋ぐの……なんか、恥ずかしいけど、幸せだなって思う」

 まっすぐに。

 何のためらいもなく、そんな言葉をあっさり口にするものだから、利央は思わずよろめいてしまった。

(今の発言は、破壊力抜群だな……)

 ある意味、知代は人たらしなところがあるのだろう。利央は照れを隠すようにコホンと咳払いをして、ぶっきらぼうに言った。

「俺も意外だったよ。好奇心の強い知代なら、学生時代にひとりやふたり、つきあったことがあってもおかしくないと思っていたからな」

 すると、知代はねたように唇を尖らせる。

「だって、勉強……忙しかったんですよ。高校の頃は生徒会にも所属してましたし」

 実に知代らしい理由である。利央は「なるほど」と頷いた。

「やっぱり知代も生徒会入りしていたんだな」

「『も』ってことは、利央さんも?」

「アタリ。生徒会長をしていた。君は?」

「私は副会長。でも、生徒会長が仕事しない人だったから、殆ど私がやってたの。ほんと、やたら顔と愛想のいい人でね。人気だけは高かったけど、遊んでばっかりで」

「はは、なんとなく想像がつくよ」

 利央はむしろ、なんでも自分でやるタイプの会長だった。他のメンバーも手伝ってくれはしたが、基本的に利央の言いなりで、自分から案を出すようなことはなかった。

 頼りになるとか、てきぱき仕事ができてすごいとか。

 色々言われはしたが、裏では『便利なヤツ』と思われていたんだろうと思っていた。

(……俺は、人をダメにするタイプなんだろうな)

 知代は、周りの人と協力し合って物事を進めるのがうまい。逆に利央は、ひとりで効率よく行動するのが得意だ。誰も利央を助けようとしなかったのは、利央自身が、他人を必要としなかったからだろう。

「それにしても、俺たちは揃って勉強部活の青春だったんだなあ」

「通ってた塾にどうしても勝てない人がいて、対抗意識燃やしまくってたからねえ」

「え?」

 どこかで聞いたような話に、利央は目を見開く。

「あ、駅に着いたよ。どのホームに行けばいいの?」

 気づけば、駅の中に入っていた。利央は慌てて目的のホームに先導する。自分のマンションにほど近い最寄り駅で降りると、まっすぐワインバーに向かった。

 ジュワッと香ばしく肉の焼ける音。

 カウンター席に座る利央と知代の目の前で、コックが見事な手並みで高ランクのステーキを焼いてくれる。

 ブランデーをかけて、ボワッと立ち上る炎。フランベを目の前で見た知代は「おお~っ」と歓声を上げてパチパチ拍手をしていた。

「すごい。パフォーマンス見てるみたい!」

「はは。確かに派手だな」

 コックは焼き上がったステーキを一口サイズにカットして、ふたりの皿に美しく盛りつけた。

「じゃあ、乾杯」

 ソムリエに選んでもらった、牛肉に合うワインを一口飲む。

「う~ん、おいしい。ワインなんて久しぶりに飲むよ」

「そういえば、知代はザルだったな。ワインはあまり飲まないのか?」

「うん……なんか、お酒飲んだ気にならなくて……つい、カパカパ飲んじゃうんだよね」

「あ、それ、ちょっと気持ちわかるな」

 知代がザルなら、利央はワクだ。まるで枠のように、どれだけ酒を身体に入れても酔えない。酔う前に酒で腹が膨れる、という言い方のほうが正しいかもしれない。だからワインは、それこそジュースのように飲んでしまうのだ。

「あ、でも、お肉と合うのはわかる! おいしい~!」

 知代がフォークでステーキを口にして、幸せそうに頬に触れた。釣られたように利央もステーキを口にしてから、軽くワインを飲んでみる。

「……うん。確かに。肉の脂の旨みに、この渋味がちょうどいいバランスになっているな」

「バターも入ってるのに、赤ワインでサラッと口の中がリセットされる感じ。お肉も柔らかくて、ふ~! 噛むのが幸せ!」

 知代は心底幸せそうだ。肉が好きと言っていたが、これは相当の肉派なのだろう。

 利央は、一口ずつステーキを食べながら、幸せを噛みしめた。

 何もかもが味気ないと思っていた頃が嘘のように、今は、知代と食べる食事がおいしい。

(ああ、俺が欲しかったものって、こういうものだったのかもしれない)

 自分は人として欠陥品だったのだと思っている。

 色々なことが器用にできる代わりに、大切な心を持っていなかった。

 でも、知代に出会って、ひとつひとつ、人として大切な気持ちを知って、怒ったり悲しんだり怒ったり喜んだりして、彼女と一緒に感情を育てていけたら……。

 それはなんて幸せなことだろうと、利央は思った。

 おいしい料理と酒で腹ごしらえが済み、いよいよ利央のマンションに向かう。

「あ」

 大事なことを思い出した利央は唐突に足を止めた。すると知代がビクッとして足を止める。

「どっ、ど、どうしたの」

 繋いだ手から、知代の緊張が伝わってきた。今も顔が強張っているし、動作もカクカクしている。

 だが、それは利央も同じだ。前に知代に触れた時は必死だったので、殆ど緊張はしなかったが、改めて冷静になると、今から自分たちはすごいことをするのだ。

 色々想像すると、身体が反応して前かがみになってしまう。だから利央は努めて冷静さを保ちつつ、知代に言った。

「ドラッグストアに寄りたいんだ。アレを、買わなければいけないだろ」

「アレ……というと」

「アレだ。ヤる時に、男がつけるやつだ」

 商品名を口にするのはどうにも抵抗がある。顔を熱くしながら言うと、知代はようやく気づいて「おうっ……」とうめき声を上げた。

「そ、そうだった。必需品かつ、さほど家に置いておくものでもないヤツだ」

「というか、あんなの家に置いたことなんかない」

 必要ないものを買い置きする趣味はない。だが、必要になったなら買わなければならない。あれはそういうものだと利央は思う。

「まあ、予習はしていないが、どれもたいした違いはないだろう。さっと買ってくるよ」

「利央さんって予習好きだね。私もそうだけど……」

 そんな話をしながら、共にドラッグストアに入る。そして利央は、恐ろしい問題に直面するのだ。

「サ、サイズだと……」

 利央は避妊具のパッケージを睨み、震え声を出す。

 なんと避妊具はサイズ別になっていた。S・M・Lから選べるようだ。

 隣で知代が不安そうに利央を見上げている。

(そういえば、ラブホテルの時は各部屋に避妊具が置いてあると予習していたから、買わなかった。そうか、確かに、サイズは大事だ……)

 自分のサイズに対して避妊具が大きいと、精液が漏れる可能性がある。逆に小さいと、物理的に装着できない。パッケージ裏を読み込むと、勃起した性器のサイズに合った避妊具を選ぶ必要があるという。

「俺の、サイズ」

 思わず、勃起したサイズを想定し、両手で形作ってしまう。

「このくらい、だったかな」

「えっ……そ、そんなに大きいの?」

 知代が軽く引いた声を出す。

「い、いや、標準だと思うが」

 だいたい、性器のサイズなど他人と比べたこともない。だが、別に特別大きいわけでも小さいわけでもない、気がする。

「まぁ、Mサイズで大丈夫だろう」

 見たところ、装着サイズの幅が一番無難そうなのがMサイズだった。これならそうそう失敗しないだろう。

「あの、その、利央さん、わ、私、自分で言うのも情けないんだけど、結構身体が小さくて、その」

 知代がぼそぼそ言って、くいくい利央の袖を引っ張る。

「さ、裂けないよね……!?

 悲壮な顔で尋ねてきた途端、後ろで作業していた店員がたまらなくなったようにブフォと噴いた。


◇◇◇


 カチャンと冷たい金属音がして、鹿嶋がマンションの扉を開ける。

 いよいよだ。知代は鹿嶋の背中を見つめながら後に続く。

「ここが、俺の家だ。何もないけど、どうぞ」

「お、お邪魔します」

 知代は緊張の面持ちで靴を脱いだ。

「悪い。今まで客なんて入れたことがなかったから、スリッパもないんだ」

「そんなのいいよ。お構いなく」

 どきどき、どきどき。

 正直なところ、知代はスリッパどころではない。動悸が激しい。廊下を一歩進むたび、口から心臓が飛び出そうになる。

 ある意味、勢いというのは大事なのだな、と思った。

 ラブホテルで鹿嶋に触れられた時は、知代など完全に酔っ払っていたし、賭けのこともあったからなし崩し的に愛撫されてしまったけれど……。素の状態だと、緊張のあまり手さえ震える。

「ここが、リビングで、ここが、洗面所で……」

 鹿嶋は手前からひとつひとつ、部屋を案内してくれた。そして廊下の奥にある扉をカチャリと開ける。

「ここが寝室だ」

「…………」

 知代はじっと鹿嶋の寝室を見つめた。

(これから、ここで、大変なことを、する)

 鹿嶋はゴホンと咳払いをした。

「か、軽く何かつまむか。それとも、お風呂にするか。そ、それとも……」

 どこか焦った様子で、妙なことを口走っている。知代は思わず笑ってしまった。

「それ、よくある新妻のセリフっぽいよ」

「確かに、聞いたことがあるな」

「えっと……シャ、シャワーを借りてもいいかな。やっぱり汗は流しておきたいし……」

「ああ、俺も使いたいから交代にしよう。タオルを用意するから、先に入るといい」

 鹿嶋は浴室に移動すると、新品のバスタオルとフェイスタオルを渡してくれた。

「じゃあ、お言葉に甘えて……先に入らせてもらうね」

 パタンと扉を閉めた知代は、そのままずるずるとへたり込む。

「はあ……」

 身体が熱い。鹿嶋の一挙一動にドキドキしている。

 思えば、ひとり暮らしの男性の家に上がるなんて初めてのことだ。服を脱ぐのさえ緊張するし、見慣れない浴室でシャワーを使うのもドキドキする。

 思えば、恋なんて一度もしたことがなかった。小さい頃からしっかり者だった知代は、いつも誰かの世話を焼いていた気がするし、勉強に部活、生徒会と、恋にうつつを抜かすよりも頑張らなければならないことが多かった。

 でも、鹿嶋に出会って、初めて恋をした。彼はいつも自分より一歩前にいて、知代は何度も悔しがって、それでも憧れることはやめられなかった、二歳年上の同僚。

 これはきっと、最初で最後の恋なのだろう。

 だから大切にしたい。この運命を、最後まで守りたい。

 知代は「よし」と気合いを入れて、身体を隅々まで洗った。

 寝間着代わりにと、鹿嶋が用意してくれたのは、どうやら彼が普段着ているシャツのようだ。身長差がある分、知代が鹿嶋のボートネックのシャツを着ると、ダボダボになってしまう。肩が半分ずり落ちてしまうし、裾は腿あたりまですっぽりと隠すことができた。

 まるでワンピースである。

 やがてほかほかと湯気を立ち上らせた知代が寝室に入ると、鹿嶋はベッドに座ってノートらしきものを真剣に読んでいた。

「お風呂終わったよ。……何読んでるの?」

「何も! 読んでいない!」

 バサッとノートをたたんだ鹿嶋は、慌てたようにそれを机の引き出しに入れる。

「ええと、シャワーが終わったんだな……うっ!?

「う、うん。先に洗わせてくれてありがとう。どうしたの?」

 知代が首を傾げると、鹿嶋は目のやり場に困ったようにあたりをきょろきょろした。

 そして、ベチッと自分の額を叩く。

「我ながら狙いすぎだ……!」

「利央さん?」

 少し前かがみになって肩をかっくりと落とす鹿嶋。心配になった知代が声をかけると、彼はぷるぷると首を横に振った。

「な、なんでもない。それじゃ、俺も入ってくる」

 そう言って、鹿嶋はそそくさと寝室を出ていった。

(どうしたんだろう。私を見た途端、挙動不審になったみたいだけど……)

 鹿嶋に渡された通りのシャツを着ているのだが、特におかしな点はないと思う。肩がずれるのが困りものだが。

 それよりも、目下気になることがある。

 ……あそこまであからさまに隠されては、気にならないほうがおかしいだろう。

(さっきのノート、なんだろう)

 人のプライバシーに踏み込んではいけない。そう常識人の知代が頭の中で訴えるのだが、一方、興味津々な知代が『ちょっとだけなら』と囁いてくる。

「さ、さすがに……あからさまだよね」

 ほんの一ページだけ。例えば日記なら、すぐに閉じよう。

 好奇心に負けた知代は、そっと引き出しからノートを取り出し、ぺらりと開いてみる。

「…………!?

 すると、そこにビッシリと書かれていたのは。

(こ、これ、セックスの……やり方……?)

 鹿嶋らしい綺麗な筆跡で、彼が独自に調べたらしきセックスのハウツーがそこに記されてあった。

(もしかして、私とするために予習していて、今、もう一度ノートを見直して復習していたってこと?)

 そう思った途端、ぶわっと顔が熱くなった。そして、思わず読み込んでしまう。

「な、なるほど。いきなりアソコを弄るのはダメで、ちゃんと愛撫して、濡らしてからでないと、痛い……なるほど……勉強になる……。挿入時のコンドームのつけ方は……精液だまりを摘まんで……ふむふむ……」

 さすが鹿嶋だ。驚くほどわかりやすく、綺麗なノートである。勉強ができる人のノートは、読むだけでも非常に参考になるのだ。

 だが、知代が読み込んでいるところで、浴室の扉が開く音がした。ハッと我に返った知代はノートを何度かお手玉したあと、慌てて引き出しに戻した。


 照明は、ベッドの近くにある間接照明のみを残して、消す。

 シンと静寂の落ちた寝室。締め切ったカーテンは月明かりすら通さない。

 余計なものはなにひとつなく、あるものは、互いに好きな気持ちだけ。

 それは、あの夜のラブホテルの光景とはまるで違っていた。

「なんか、静かだね」

 ベッドの上に座る知代は、小さく呟いた。向かいに座った鹿嶋が静かに問いかける。

「うるさいほうが好きなのか?」

「ううん。……こっちのほうが、落ち着くから……好き」

 鹿嶋はふっと笑った。きっと、知代と同じ気持ちになってくれたのだろう。

「今度こそ、ちゃんと優しくする。絶対に嫌な気分にはさせない……」

 一方的じゃなくて。無理矢理でもなくて。互いの気持ちを確かめ合うような触れ合いがしたい。そんな鹿嶋の気持ちが伝わって、知代はコクンと頷いた。

「知代……愛してる」

 鹿嶋は優しく、知代の小さな肩を掴んだ。

 そして静かに口づける。始まりの合図のように。

「ん……っ」

 薄くて硬い、鹿嶋の唇。一ヵ月ぶりかもしれない。彼の唇は不思議と甘くて、何度でもキスが欲しくなってしまう。鹿嶋は何度も知代の唇を啄み、知代の唇を柔らかく舐めた。

 ちゅっ、ちゅ。

 静寂に満ちた寝室に、控えめな水音。

 知代の肩がふるふると震え出す。鹿嶋は頬をそっと両手で挟み、顎の角度を変えて深く口づけた。

 今度は食べるように――唇をぴったりと合わせる、濃厚なキス。

 知代の震えが一層強くなる。鹿嶋はまるで安心させるように抱きしめると、ゆっくりと知代の口腔に舌を挿し入れた。

「ふっ……んんっ」

 思わず、知代は鹿嶋の腕を掴む。身体が勝手に、ふるふると怖がるように震えている。

 でも、鹿嶋はその動きを止めなかった。

 くちりと音を立てて、知代の舌を舐め取る。生暖かい舌同士をみだらに合わせて、はしたなく絡める。

「……ん、ふ、ぁ」

 息がしづらい。知代は口の隙間から呼吸を繰り返した。まだキスしかしていないのに、頭の中はいっぱいいっぱいになってしまっている。

「はあ……。懸命に感じている知代が、すごく可愛い」

 熱のある息を吐いて、鹿嶋は知代の後頭部を手で支えた。ぎゅっと身体を抱きしめ身動きを取れなくして、深く――深く、口づける。

「~~っ!」

 息も、できない。それくらい、深く。

 ちろちろと舌を舐められて、歯列をなぞられ、舌の裏を探られる。

 知代の震えは強くなる一方で、ぎゅっと鹿嶋の腕を握りしめた。

「ぁ……」

 存分に知代の唇を味わった鹿嶋はゆっくりと唇を外す。舌先から伝う唾液が、間接照明を反射してぬたりと光った。

「りお、さん」

 キスの余韻が残っているのか、知代の声は情けなく、舌っ足らずに彼の名を呼ぶ。

「知代は唇を重ねると、こんなにも可愛い顔をするんだな」

 そっと頬に触れ、うっとりと鹿嶋が呟く。

「会社の人も、本部のいけすかない男も、君の親ですら知らない。今の君は、恋人である俺だけが独占できるものだ。今も、そしてこれからも、俺だけのもの。それが、嬉しい」

 しみじみと幸せを噛みしめるように言って、鹿嶋は知代を見つめる。

「なあ、知代。あの時、俺がどれほどの気持ちで君に触れたか。少しは思い知ることができたか?」

 ふいに尋ねられた。

 あの夜、これしかないんだと追い詰められた様子で、鹿嶋は知代に触れた。

 あの時の切ない表情。焦り、苦悩する言葉。そして、感じている知代を嬉しそうに見つめ、はかない笑みを浮かべた鹿嶋。きっと知代は一生忘れることはないだろう。

 ゆっくりと鹿嶋の頬に触れて、微笑む。

「全部とは言えないけれど、なんとなくわかった。だって、私も気持ちをこじらせていたからね」

 憧れていただけならよかった。届かないものを羨むだけなら、ここまで複雑な感情は持たなかった。

 全て、隣に立ちたいという望みの裏返しだった。憧れの存在と対等の立場となり、支え合いたいと思ったから、知代は鹿嶋に反発し、張り合った。負けたくないという気持ちばかりが強くなって、それを『嫌い』だからなのだと思い込んでしまった。

 つまり、どちらもこじらせていた、ということだ。

「でも、もうわかったから、いいの」

 知代は鹿嶋の頬を両手で擦り、軽く口づけた。彼のキスに対して、まるで小鳥が啄むような軽いキスだ。それでも、ありったけの勇気を出して口づけた。

 鹿嶋の目が大きく開く。

「本当は嫉妬深くて、怖がりで、面倒な性格。でも、あなたはずっと、私が憧れた利央さんだったよ。優しくて、いつも当たり前のように助けてくれて、誰よりも恰好いい。それが、私の好きになった利央さんだよ。私が恋をした、利央さん」

「知代……ああ、俺は本当に、幸せだ」

 利央は感極まった掠れ声で、そう呟いた。

「悩み苦しみ、後悔すらしそうになったけれど、やっぱり俺は、知代に会えてよかった。君と出会わなければ、自分は一生恋を知ることもないまま、心を動かされることもなかっただろう」

「なにそれ。ちょっとオーバーだよ?」

 まるで知代と知り合う前は、鹿嶋には心がなかったみたいに言う。知代が軽く笑うと、鹿嶋は優しく微笑んだ。

「俺は生涯をかけて、君を幸せにしてみせるよ」

 決意したような誓いを口にするので、知代は慌てて鹿嶋の唇に人差し指を当てた。

「それ、違う! 私だって人生をかけて利央さんを幸せにしたいんだよ。……一緒に、幸せになる努力をしよう。私は、あなたに手を引いてもらいたいわけじゃないんだからね」

 そう言って、鹿嶋の鼻先を軽く突いた。

 手を引かれて歩くのではなく、手を繋いで一緒に歩きたい。

 知代がはっきり自分の意志を伝えると、鹿嶋はふっと笑った。

「そうだ。君はそういう女性だったな」

 こくりと頷く。守られるなんて柄じゃないのだ。鹿嶋の隣に立って、様々な難関を一緒に突破してみせたい。この、強くて弱い大切な人を守りたい。

 身体は小さくて、コンプレックスなほどに童顔だけど。

 知代は、鹿嶋のためならどこまでも強くなれると思った。

「ああ、そうだな。一緒に幸せになろう」

 鹿嶋はたまらなくなったように、知代にキスをして、抱きしめた。

「まだまだ足りない。圧倒的に知代が足りない。もっともっと、触れ合いたい。愛したい」

 うわごとのように呟いて、鹿嶋は、ゆっくりと身じろぎをした。シャツの裾から手を挿し込んで、柔らかく太ももを撫でる。そして腰のラインを辿るように上へと上がり、それに伴ってシャツも下からめくれていく。

「あっ……」

 知代は思わず恥ずかしくなって、小さく声を出した。しかし、そんな声で鹿嶋の手が止まるわけがない。

「ふわふわで、柔らかいな。たまらなく手触りがいいけど、壊れ物みたいで、怖くなる」

 はあ、と鹿嶋は熱いため息をついた。

 やがてその手は、知代の胸を掴む。ブラのついていない胸に直接触られて、知代の身体はピクンと反応した。

 鹿嶋は知代に覆い被ると、両手で強く乳房を揉みしだく。

「あっ、あぁ」

 知代は甘く声を出した。目をきゅっと瞑り、唇を噛みしめる。

 気持ちいい。――でも声を出すのは、酷く恥ずかしい。

「は……っ、知代……」

 鹿嶋は首のところまでシャツをまくると、身体を上げて知代の裸体をつぶさに見た。

 豊満な胸を外側からすくい上げるように持ち上げて、やわやわと指先だけで揉む。

「ふっ……ン!」

 知代は顔を熱くして、横を向き、たまらない快感に声が漏れる。

 こんなにも胸が気持ちいいなんて、鹿嶋に愛撫されるまで知らなかった。彼が指を動かすたび、とても敏感に身体が感じ取って、気持ちがどんどん昂ぶっていく。もっともっと、欲しくなってしまう。

「ほんと、胸が弱いな」

「う、うぅ……自分で触ってもぜんぜん感じないのに、どうして……?」

「それはさ、きっと」

 そう言って、鹿嶋は知代の乳首に舌を伸ばした。ちろ、と舌先が乳首に当たって、知代はビクンと身体を震わせた。

「俺に愛されるのが……好きだからだよ」

 ちゅく、と。優しく乳首を吸い、撫でるようにゆっくりと舐める。

「はっ、あぅ、んんっ」

 ねっとりした舌の感触が、とろけそうなほどに気持ちがいい。

「――そうだと、嬉しい」

「利央……さん」

 かあっと知代の顔は熱くなった。知代の照れがうつったように、鹿嶋の顔も赤くなる。

 誰でもいい、というわけではないのだ。

 好きな人に触れられているから気持ちいい。きっとこの快感は、そういうものなのだろう。

 両手で胸を包み、乳首を舌で舐め、ちゅっと甘く吸う。

「は……っ、ん!」

 鹿嶋の愛撫に、知代は痺れたような感覚を覚えた。首元までめくられたシャツを噛みしめ、懸命に快感に耐えようとする。

「もっと声を出して。もっと気持ちよくなって」

 うわごとのように呟いた鹿嶋は、ちゅるりと知代の乳首を吸い取り、口腔でしゃぶり始めた。じゅくじゅくとみだらな水音。知代の快感は限界近くまで高められて、時々大きく肩を揺らしながら、必死に息継ぎをした。

「もっと、乱れて。俺だけに見せて」

 君を、君だけを。

 ――独占したい。

 鹿嶋は甘く囁き、片方の乳首を舐めながら、もう片方の手で大きく乳房を揉みしだく。そして、その乳首に人差し指で触れた。

 すでに愛撫によって硬く尖る乳首を、人差し指でさするように擦り出す。

「あっ、あ……、そんな……っ!」

 びくびくと知代の身体が震えた。

 片方は舌で、片方は指で弄られて、知代の快感がどんどん高まっていく。

「いや、二ヵ所同時なんて……っ、や、あン!」

 知代はイヤイヤと首を横に振る。だが、その仕草は拒否ではない。単に怖いのだ。快感が最高潮まで昂ぶって達するのが怖い。

「……知代、イッてくれ。俺の指で、舌で、気持ちよくなってほしい」

 くりくりと人差し指で乳首を擦り、もう片方は、舌でくるくると乳輪を舐め回して、ちゅっと吸い取る。

「知代……ン」

 乳房から顔を上げた鹿嶋は、知代の唇に口づけた。そして胸の乳首を両手で摘まむ。

 唇の隙間から舌を挿し込み、ぬらりと舌同士を濃厚に絡ませながら、乳首を柔らかく擦り始めた。

「んーっ! ん、んんっ」

 声も出せず、鹿嶋の舌が知代の口腔を蹂躙じゅうりんし、きゅっと乳首を摘まみ上げる。

「ふっ、んんっ、あ……っ」

 乳首を濡らした唾液が潤滑油代わりとなって、にゅるにゅると指で擦られる。それはたまらないほどの快感で、知代の身体は限界が近いことを示すようにビクビクと痙攣けいれんし始めた。

「や! 胸……ばっかり、やだあ」

 懸命に唇をずらして、知代は非難を口にする。

「だって、とても気持ちよさそうだから」

「うっ……そ、それはそうだけど!」

「こんなに硬くさせてるから、触り心地が楽しいというのもあるかもしれない」

 そう言って、鹿嶋はぴんと知代の乳首を指で軽くはじく。

「あンっ!」

 知代の身体がビクッと反応した。

「それともやっぱり、舐められるほうが好き?」

 唇で頬を滑り、耳の中に舌を伸ばす。

「やっ、耳も、ダメ……っ!」

「そうそう、知代は耳も弱かったな。こことか?」

 ちゅく、と耳のふちを甘噛みされ、知代は「ひゃん!」と悲鳴を上げた。

「ねえ、胸と耳、どっちが好き?」

「ど、どっち……なんて、わからな……っ!」

 言葉の途中で、乳首をきゅっと摘ままれた。

「――愛しているよ、知代」

「あ、ぁ、んんっ!」

 耳元で囁かれて、知代の身体は大きく震える。頭の中で小さくぜる、白い閃光のようなスパーク。目がちかちかして、頭はくらくらしてしまう。

 鹿嶋がくすくす笑った。

「なあ、今のって」

「言わないでっ!」

「もしかして、俺の声で軽くイッた?」

「言ーわーなーいーで!」

 そう言って、知代はぷいと横を向く。

「耳元で囁くなんて……反則よ」

 すると、鹿嶋は一瞬真顔になって、自分を戒めるように首を横に振った。

「今の反則。理性が飛びそうになった。気をつけて」

「ど、どのあたりで理性が飛びそうになったのか、ぜんぜんわからないんだけど!?

「知代は意外と罪作りだな。キレて無茶苦茶しそうになってしまったよ。危ない」

 困ったように鹿嶋は笑って、優しく目を細めた。

「夜は――まだまだ、これからだからね。たくさん愛してあげるよ、知代」

 妖艶で、甘やかな言葉。ドキッと知代の胸が高鳴る。

「利央さんだって、充分……罪作りだよ」

「そう?」

 首を傾げられたので、知代はムスッとしながら説明する。

「利央さんって、誰に対しても親切だけど、どこか態度は淡泊じゃない。それなのに、私には愛してあげるだのなんだの……よくそんな恥ずかしいセリフがポンポン言えるよね」

 知代の言葉に、鹿嶋は意外そうに目を丸くした。

「それは当然だ。だって知代は俺にとって特別だ。他はどうでもいい……と、そこまで言うつもりはないけど、態度が淡泊になるのは仕方ない。『誰にでも親切』ということは『誰にでも平等に接する』ということだからね」

 そう言って、鹿嶋は優しく知代の髪に触れ、ゆっくりと手櫛を入れる。

「君に、もっと俺を好きになってもらいたいから必死なんだよ。何度でも愛してると言いたいし、甘い言葉も、恥ずかしい言葉も臆さず口にしたい。それで君が手に入るなら、なんでもするよ」

 その決意を聞いて、知代は固唾を呑む。

 彼が抱く愛の重さを、今やっと、少しだけ理解できた気がしたのだ。

 鹿嶋は、乳房からゆっくりと両手を下ろし、腰に触れた。そして更に下へと進んでいき、ゆっくりと身を起こす。

「ほら、知代の一番恥ずかしいところを、見るからね」

「あ……っ」

 かっと知代の顔が熱くなった。

「すぐ赤くなって、可愛いな」

 鹿嶋は知代のショーツを脱がせると、太ももを両手で開き、そっと秘所に触れる。

「開くよ」

 一言断って、鹿嶋は知代の秘所をくちりと開いた。

 そこはぬらぬらと、知代の身体の中で最もいやらしく、間接照明に照らされている。

「濡れているな」

 そう言って、鹿嶋は秘所に指を伸ばした。ツツと、下から上に向かってなぞられる。

「ひゃああっ!」

「おまけに敏感だ」

 鹿嶋は気をよくしたように微笑んだ。

「ここ、いいな。人間って感じがして、好きだよ」

「に、人間って感じって……どういう」

「一番生々しくて、いやらしい。知代の性器なんだなぁって、嬉しくなる」

 ぬるりと人差し指で秘裂を辿られて、知代は目をぎゅっと閉じてビクビク震えた。

「んっ……!」

「ここも、舐めるほうが好き?」

「そ、そんなの、聞かないでよぉ……」

 知代が涙目になって呻いた。

「ああ、もう、限界だ。俺のタガって、思った以上にもろいみたいだ」

 鹿嶋は、たまらなくなったように、知代の秘所に顔を近づけた。

 くんくんと匂いを嗅がれて、知代は恥ずかしさに倒れてしまいそうになる。

「石けんの匂い。さっきのシャワーで一生懸命に洗ったんだな。……俺に、弄られるために」

「~~っ」

 耐えられない。羞恥が極まって、目じりに涙が浮かんだ。

 秘所に、はあっと熱い息がかかってびくりと身体が震える。ツツ、と舌先で秘裂を辿られた途端、知代は大きく口を開けて嬌声を上げてしまった。

「――ひ、ンッ!」

 びくびくと、もはや身体はちっとも言うことをきかない。

 鹿嶋は秘裂をめくり、生々しい肉色をした内襞をちろちろと舐めてくる。

「は、ハ、ぁ、ヤ……っ」

 知代は震えながら、抵抗するように鹿嶋の頭を掴んだ。でも、彼の動きは止まる気配がない。

 ちゅくっ、チュ。

 柔らかな襞を食み、じゅくじゅくと舐める。はあ、と熱い吐息をかけて、大きく舐める。

「ヤッ! あぁああ!」

 きっと、身体の中で一番弱いところ。知代は敏感に感じ取って嬌声を上げ続ける。もはや、喘ぎ声を上げる羞恥を気にしていられないほど、快感が高まっていく。

 とろとろと自分の蜜口から液が零れ始めた。

 すると、鹿嶋はあますことなく自分のものにするように、蜜口に舌を挿し込み、じゅるじゅるとはしたない音を立てて蜜を舐め取る。

「いや、あ、そんなとこ……ダメ!」

「いっぱい濡れてるよ。舐めても舐めてもきりがないくらいだ。知代がすごく感じているとわかって、すごく嬉しい」

 フフ、と笑った鹿嶋は、顔に唾液や蜜がつくのも気にせず、犬のように蜜口を舐め続ける。

「ふ、ぁ、……やだ……おかしく……なる……っ!」

「前も言ったけど、俺は知代に、おかしくなってほしいんだよ」

 じゅるっと蜜を吸ったあと、鹿嶋は知代の秘所の小さな突起に舌を伸ばした。

「俺と同じくらい恋に狂って。俺を好きになって。俺とこうするのが、大好きになってほしい」

 熱に浮かされたように呟いて、彼は知代の足を大きく広げ、片足を小脇に挟む。

 そして秘所にある、その小さな突起をゆっくりと舐めて、舌先で転がした。

「はっ! あ、あぁあああっ!」

 ビクビクッと知代の身体が跳ねる。

 暴れ出しそうな足はしっかり腕で固定されて、鹿嶋は尚も舐め続ける。

 舌でコリコリとその硬さを味わい、柔らかく食み、ちゅくっと吸い取った。

 執拗な愛撫に、知代の息も絶え絶えで、声はすでに掠れている。

 鹿嶋は舌で秘芽を攻めながら、同時に人差し指と中指をにゅぷりと膣内に埋め込んだ。

 蜜で濡れたそこは、難なく鹿嶋の指を呑み込む。

「あっ、だめえ、ああっ!」

 知代の身体が一層震え出す。鹿嶋は黙ったまま、まるでケモノか何かになったように荒く息を吐き、舌の愛撫を続けた。

 そして、知代の膣内で、人差し指と中指を交互に動かし始める。

「ひ、あ……お腹で……っ、動いてるっ! んん、あン!」

 お腹に力を入れるたび、鹿嶋の指がぎゅっぎゅっと膣内に吸いつくよう。彼が軽く指を引くと、蜜が一緒に零れ出た。

 じゅぷっ、じゅく。いやらしい水音がひっきりなしに響く。

 知代は悲鳴も忘れて、口を開いてはっはっと息をするのみになってしまった。

 ――限界が、近い。

 頭の隅でそう思った瞬間、鹿嶋は唐突に指を膣内から引き抜いた。

 くちゅっといやらしい水音がして、とろりと蜜がシーツを汚す。

「ここでイくまで愛してもいいけど……やっぱり、俺のこれで、イッてほしいからね」

 鹿嶋はゆっくりと身を起こした。

 そして、自分のシャツをグイと脱く。間接照明に照らされた彼の身体は硬く引き締まっていて、少し割れた腹筋がドキドキするほど男性らしい。

「ふ、ぇ……?」

 まさにイキかけていた知代は、彼の裸体に見とれつつも、「どうして?」と目で訴えてしまう。

 鹿嶋はそんな知代を愛おしげに見つめて、自分のスウェットをずらした。下着から勢いよく飛び出したのは、今までにないほど硬くなった、彼のモノ。

 散々待たされたからか、それは赤黒く充血しており、先端からは先走りが零れ出ている。脈打つ血管が浮き出ており、あまりの生々しさとサイズの大きさに知代はびっくりしてしまった。

(そ、想像以上に太いし、長いし、大きいんだけど……ほ、本当に大丈夫なの?)

 内心焦るも、今更ここで終わりというわけにはいかない。ドキドキが最高潮に達している知代に、鹿嶋が笑いかける。

「知代には、俺とのセックスをもっと好きになってもらいたいからね」

 そう言いながら、彼はくさびに避妊具をめる。

「君と繋いだこの絆を固くするために。知代がこれからも俺しか見ないようにするために」

 ぱちんと、避妊具が装着される。そして、知代に覆い被さった。

「これで、君を永遠に俺のものにする」

 甘くねっとりとキスされて、知代はそれを気持ちよく感じながらも、やはり緊張は隠せない。

「あ、あの、利央さん。そ、そそ、それが、私の……えっと……入るんでしょ? 物理的に、どうなのかな」

 知代が怖々と尋ねると、鹿嶋はそんな知代のシャツを脱がせて抱きしめ、「大丈夫」と背中を撫でてくれた。

「ちゃんと予習したから。入るものらしい」

「そ、そう。なんだ。……なら、いい……のかな」

 知代が顔を赤くしてボソボソ呟く。予習とは、あのノートのことだろう。

「でも、あんまり躊躇ちゅうちょしていると、せっかく潤滑油代わりになってる知代の蜜が乾いて、最初からやり直しだな」

「やり直し!?

「そう。またキスをして、君の好きな乳首をたくさん弄って、ココも舐めて、指を入れていっぱいほぐして……。知代、頑張れる?」

 自分はいくらでもやりたいけど、とどこか意地悪そうに鹿嶋が尋ねる。知代は慌ててぷるぷると首を横に振った。

「いやその、絶対私、もたないですので、い、今……」

 ぎゅっと鹿嶋の袖を握りしめ、知代は涙目で訴える。

「今……れて……っ」

「…………」

 鹿嶋は目を丸くしたあと、パッと自分の口を手で塞ぐ。

「ほんと、知代って罪作りだ。破壊力抜群」

「は、破壊力?」

 自分はそこまで力が強いわけではないのだが……と知代が戸惑っていると、鹿嶋はくすりと笑って、知代の頬を撫でる。

「わかった。今、挿れてあげよう」

 掠れた声で呟き、鹿嶋は知代の足の間に割って入った。

「ああ――やっと、ひとつになれるんだな」

 感慨深いような、そんな声で鹿嶋は呟いた。

「君の身体も心も、髪も視覚も聴覚も。俺だけに向けてほしい、俺だけに声をかけてほしい。本当は知代の全てを独占したい。なにもかも奪ってしまいたい。そのくらい、俺はこじらせていて、つまらない嫉妬も妬くけれど」

 ひたりと秘所に楔をあてがい、鹿嶋は知代の頬に触れる。

「知代、愛しているよ」

 ありったけの思いを込めたように、彼は言葉を口にした。知代の濡れた唇にキスをして、舌を探って舐める。

「ん……っ」

 つぷり、と先端が蜜口に滑り込む。

 びくんと知代の身体が大きく跳ねた。

「俺はもう、知代が傍にいなくなったら、どうしたらいいかわからない。君がいなくなることを考えるのは、世界が崩壊するよりも怖い」

 鹿嶋が必死に訴える。知代を失ったら、間違いなく自分は空っぽになるんだと言うように。

「俺はすでに……狂っているのかもしれない。壊れているのかもしれない。君への愛情が、もはや子供っぽい独占欲なのか単なる支配欲なのか、自分でもわからないほど、君に執着している」

 ぐり、ぐり。

 狭いあいは、彼の楔によって蹂躙されていく。

 無視できない圧迫感。どくどくと脈打つ、性器の質感。

「あ、ぁ、ああ、あ」

 知代は何かにすがりたくなって、その手が空を舞った。鹿嶋は、そんな知代を掻き抱く。

「知代。こんなにも君なしでは生きられなくなった俺が、君に勝てるわけがないだろう?」

 そっと頬に触れ、深く口づける。たけり立つ楔が、ずずっと奥まで入り込んだ。

 知代が顔を真っ赤に染め上げ、きゅっと唇を引き結んだ。

「……バカっ。大げさ、よ!」

 知代が涙目で訴えた。

 ぐりぐりと腰を沈み込ませた鹿嶋は、一度大きく楔を引いて、もう一度ゆっくりと腰を押し込んでいく。

 ビクッと知代の身体は震え、下半身が浮き上がりそうになった。その身体をしっかりと押さえ込んで、まるで無理矢理味わわせるように、彼は時間をかけて侵入していく。

「んっ、ン、あ……っ」

 小柄な知代に、鹿嶋のそれは大きすぎる。苦しくて、息が詰まって、目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばった。

(……それでも)

 知代はぎゅっと鹿嶋を抱きしめる。

(それでも、受け入れたい)

 心の中で決意して、知代は鹿嶋の背中で足を交差させた。

「止まらないで……っ、大好き、だから……っ」

「知代……」

 鹿嶋がうわずった声を出す。そしてぎりっと下唇を噛むと、ぐりぐりと腰を揺らした。

「ふっ、……ァ……、はっ」

 鹿嶋が、掠れた喘ぎ声を上げる。

 狭く、道のない道をえぐり進む。そのたび、膣内の襞という襞が鹿嶋の楔にまとわりつくのがたまらないのだろう。甘くとろけるような声で、彼は熱いため息をつく。

「んっ、ぁ、い……っ」

 痛い。お腹の奥で、鈍い痛みが走っている。それはきっと、破瓜はかの痛みだ。

 でもそれ以上に、恐ろしいほどの快感があった。

 油断すれば頭がおかしくなってしまいそう。理性を保つのがこんなにも大変だなんてと、知代は驚く。それくらい――たまらなく、気持ちがいい。

 はあっと熱く息を吐いた鹿嶋は、ゆっくりと抽挿をし始めた。

 痛くしたくない、苦しませたくないと訴えるように、腰を引いては膣奥に押し込む。

「っ、は、あ……っ、く」

 甘美な官能は、真綿で首を締めるような緩やかな拷問に近かった。

 嬉しさと苦しみと、喜びと忍耐とが掻き混ぜられて、おかしくなりそうな感覚の中、鹿嶋の性器の付け根が、知代の秘所にひたりと当たった。

「は、ぁっ……」

 奥まで到達して、ぐりりと大きく擦られる。

「は、っん、利央、さん……っ」

 奥まで嵌まった鹿嶋のものはやはり大きくて、彼のものを意識すればするほど、きゅうっと強く締めつけてしまう。

「く、……これは、試練だな」

 鹿嶋はそっと知代の唇に口づけて、ふっと笑った。

「痛い? 初めては、血が出るほどだと聞いたことがあるけれど……」

 知代の様子を確かめるように、鹿嶋が尋ねる。

「痛かった……けど、今は、もう、大丈夫……」

「そうなのか?」

「うん。私たち、勉強しまくって、仕事しまくって、なんでも、そつなくできるって思ってたけど……」

 知代は鹿嶋を抱きしめたまま、にこりと笑った。

「知らないことや、うまくできないこと。まだまだあったね。こんなにもドキドキしてるよ」

 すると、鹿嶋も釣られたように微笑んだ。

「ああ。俺も……そう思う」

 勉強して、大人になって、仕事をして……世の中を知った気になっていたけれど、まだまだ知らないことはたくさんある。

「これから、一緒に知っていこう」

 愛し合う喜びも、共に何かする楽しさも。これからふたりで分かち合えたら。

 きっと、どんなことでも挑戦できる気がする。

 再び口づけを交わして、鹿嶋は知代の唇を何度も柔らかく食む。

「速く、動くよ」

 一呼吸おいて、鹿嶋はゆっくりと腰を引いた。

 ずるずると、彼の先端が隘路を削る。耐えきれないほどの快感は絶え間なく、知代は再び甘い嬌声を上げた。

「っん、あぁっ」

 こんなの、我慢できるものじゃない。

 知代があまりの気持ちよさにぎゅっと鹿嶋を抱きしめると、彼もまた、知代の身体を強く抱きしめた。

 引いた楔が勢いよく穿たれる。

 ぐちゅっと水音がして、知代はきつく目を閉じた。

「あっ、ああ! イッ、これ、すごくっ」

 シーツを握りしめ、声を上げる。

(どうしよう。こんなに気持ちいいなんて、知らなかった)

 涙目になって、激しく揺さぶられながら、知代は思う。

 思えば最初の時――賭けに負けてラブホテルで鹿嶋に触れられて、何が何だかわからないまま達してしまって。その時も強い快感を覚えたが、今のこれは、ぜんぜん違う。

(幸せ……。そう、だ。私、幸せ、なんだ)

 いっそむさぼるような激しい抽挿。彼の力強い楔は容赦なく知代の身体を貫く。

 狭い隘路をえぐるそれは時々苦しくて、息が詰まりそうになる。

 それでも――あの時と、違っていた。

 きっと、鹿嶋と心が繋がったからこその官能なのだろう。

 初めての性交に、知代はいっぱいいっぱいだ。正直、性感だけで脳みそはキャパシティをオーバーしている。

 しかし鹿嶋は、初めてと口にしていながらも、知代を気遣ってくれていた。

 スムーズにセックスできるように、丁寧に愛撫して、優しく愛を囁いて……。

 知代は思わず、先ほどの予習ノートを思い出す。

(どんなことでもスマートで、なんでもそつなくこなす。……でも、裏でこんなにも一生懸命努力している。それが、利央さんなのかもしれない)

 そう思うと、たまらなくなった。

 人前では完璧であろうと努力している鹿嶋。彼を……守りたい。傍にいて、支えたい。

 知代は鹿嶋の手を握りしめる。すると、彼は知代の気持ちに応えるように、ぎゅっと握り返してくれた。

 そして身を起こし、腰の力をふんだんに使って勢いよく抽挿を続ける。

「はっ、は」

 マラソンを全速力でしているような息切れを起こしながら、それでも彼の腰の動きは止まることがない。

 いや、きっと、止められないのだろう。

 きっと、知代が「止めて」と言っても、もう無理だ。

 ぜんまいを巻いて動き出した機械が何をやっても止まらないみたいに、利央は腰を振り続ける。

 何度も何度も楔を引き、知代の膣奥に向かって突き上げる。

 快感は高まる一方、知代も鹿嶋もわずかに残していた理性をかなぐり捨てて。

 そこには、ただ、愛し合いたいというだけの、ケモノがいた。

 鹿嶋は知代の手を握りしめ、楔をずるりと引き、力強く最奥に向かって打つ。快感は、更なる快感を呼び、知代は大きな乳房を揺らして甘く――甘く、メスのような嬌声を上げる。

 もはやそこに羞恥もない。

 気持ちがよくて幸せでたまらなくて。大好きな人が自分を愛してくれる――その気持ちが嬉しくて、涙が零れそう。

「……っ、く、っ」

 ぐぐっと膣奥まで突き上げた鹿嶋が、くぐもった呻きを上げる。

「っ、く、ア……知代……」

 鹿嶋が、喘ぐように知代の名を呼んだ。その声がまるですがるようで、知代は唇を尖らせ、鹿嶋の薄い唇に口づける。

「ンっ、は、……ぁ……っ、あ、利央、さん、好き」

 知代は鹿嶋の名を口にして、自分の嘘偽りのない愛を口にした。

 その途端、鹿嶋はびくびくっと身体を大きく震わせる。

「ァ……っ、俺も、好きだ。おかしくなって、しまいそうなほど」

 結局、知代も鹿嶋も、口に出せるのは、単純な感情の言葉。

 だって、それしかないのだ。それ以上の言葉は思いつかないし、それ以外の言葉は全て陳腐に思えてしまう。

 人が持つ感情なんて、突き詰めるとシンプルなものなのかもしれない。

 知代と鹿嶋は互いに手と手を握り合い、プライドは投げ捨てて、情けなさは承知の上で、互いに互いを貪り合った。再び激しくなる楔の抽挿。知代の豊満な乳房は上下に揺れ、鹿嶋はその胸の頂きにしゃぶりつく。