第二章 敗北の味は恋のように甘やかで


 百の点数が並ぶテストを、無感動な目で見つめる。

 同じクラスの同級生が鹿嶋利央の肩を叩き、すごいすごいと賞賛した。

 これなら有名な国立大学も夢じゃないと、担任教師は喜んだ。

(こんなテスト、やる気を出せば誰でも満点を取れるだろうに。何がすごいんだか)

 利央は冷めきった心で思う。だが、表面は笑顔を作って級友に、教師に、微笑んだ。

「ありがとう。頑張って勉強したかいがあったよ」

 鹿嶋利央は、幼少の頃からそつがなく大人びていた。

 子供らしいワガママは口にしたこともない。むしろ、そんなことを言わなくても両親は様々なものを与えてくれた。要は親の望む『いい子』であり続ければいいのだと、利央は悟っていたのだ。

 可愛げのない性格をしている自覚はあったが、そんなものはいくらでもつくろえる。

 誰に対しても親切で優しく、笑顔を絶やさない。出しゃばらない。利央は年を追うごとに『善人』の擬態がうまくなっていった。

 高校に入る頃には、すっかり聖人君子ぶりが板についていた。両親でさえ、利央の本性を知らない。でも、それでいいと思っていた。

 小さい頃から何にも心動かされなかったから、おそらく自分は人として大切な何かを持たずして生まれてきたのだろう。

 誰もが涙したという話題の映画を観ても、ベストセラーの小説を読んでも、はたまた趣向を変えてお笑い番組を延々眺めていても。

 利央の心はひとつも動かず、凪のように静かだった。

 心にさざ波すら起きないというのは、感情に振り回されない代わりに、毎日が退屈という側面を持っていた。

 勉強も運動も人よりできる優等生。大人の期待は過剰に高まる一方、クラスでは常に中心に立っていて、誰もが利央をたたえて持ち上げる。

 正直に言えば、楽だった。

 だが、時々理由もなく全てをぶち壊したくなるような衝動に襲われた。

 それでも、そうしなかったのは、現状維持が生きやすいと利央自身が理解していたからだ。

秀才であるがゆえ、愚か者になれない利央は、いつまでもこの生き方を変えることはできなかった。

 ――時々、こんな自分に噛みつく人間が現れる。

 利央の存在がざわりだと言って、何かと嫌がらせをしてくる人たちだ。しかし、彼らの対処方法も手慣れたものである。

 挑発に乗らず、相手にせず、冷静かつ理知的に対応する。激しく感情をぶつけてくる人間に対しても理詰めで正論を口にすれば、誰もがすぐに諦め、あるいは気力をなくして去っていく。

 真っ正面から向かってくる骨のある者もたまに現れたが、そんな彼らも実力の差を見せつければ同じように諦め、利央の前から去っていった。

 そういえば、高校の頃に通っていた塾で、ひとりだけ諦めずに何度も利央の成績に食らいついてくる下級生の猛者もさがいた。

 二歳年下で、過去に取った利央の総合成績に最も近いところまで点数を伸ばしたらしい。

 とはいえ、顔も見たことはない。講師にそういう生徒がいるという話を聞いただけで、名前も高校も知らない。

 ただ、歯ごたえのありそうな人だと思った。会ってみたいなと、初めて自分から何かを望んだのを覚えている。まあ、そんな機会は一度として訪れることはなかったのだが。

 ――『鹿嶋はすごいな』

 ドイツに留学して、大学に入っても、利央の評価は変わらない。

 どんな時でも、常に利央は輪の中心にいた。

 でもそれは、利央自身の人徳ではないとわかっていた。

 周りにいる人たちは、単に、便利だから傍にいてほしいだけ。

 中学の頃から告白をされたことも少なくないが、どうしても乗り気になれなくて、断り続けた。いわゆる遊びでもいいと言われたこともあるが、単なる好奇心で女性と触れ合うのは嫌で、利央は経験ひとつないまま大人になってしまった。

 結局のところ、告白してきた女性も、慕ってくる友達も、相手は利央でなくてもいいのだ。

 自分に優しくしてくれて、親切な人が傍にいたら楽だから、周りにいるにすぎない。

 本性をひた隠しにして、人当たりのよい表面を繕って、誰も鹿嶋利央を理解しようとはしない。

 この世界は空虚で、ただ、自分の周りをからから回っているだけ。

 何も感じなかった。この心はずっと空っぽで、凪のように動くことはなかった。

 そう、猪田知代に出会うまでは。


 ――第一印象として、彼女は小さかった。

 その頃、利央は二十四歳で知代は二十二歳。二歳離れた同期として、同じ日、同じ会社に入社した。

 猪田知代はその小柄な身体に似合わぬほどバイタリティ溢れる女性で、とにかくタフでフットワークが軽い。そして学ぶことに対して貪欲だった。

 先輩のアドバイスは素直に聞き、商品の講習があると聞けば飛んでいく。また、自ら医療研究について勉強したり、営業の傍ら大学の研究所で熱心に話を聞いたりと、とにかく知識を増やすことに労力を惜しまない。

 専門用語の多い講習を面倒臭がり、先輩の助言を鬱陶うっとうしがる営業も多い中、猪田知代はめきめき実力を発揮していった。明るく前向きな性格が人徳に繋がるのか、先輩の覚えはめでたく、上司も猪田には期待した。

 営業の皆は、親愛を込めて猪田を『うり坊』と呼んだ。

 猪突猛進。数字を取ると決めたら何度でもぶつかりに行く。諦めない精神。そして小柄で可愛い。彼女が人望を集めるのは当然といえば当然の話だった。

 しかし、そんな無敵に見える『うり坊』に壁が立ちはだかった。それが鹿嶋利央だ。

 今まで通り、淡々と仕事をして――その月の営業成績で一位を取った。

 しかし僅差だ。二位は猪田知代で、わずか一件の差で利央が一番を取った。

 その時の知代はとても悔しそうな顔をして、ぎりぎりと成績の張り出されたホワイトボードを睨んでいた。

 対して利央は――内心驚いていた。初めて、自分の成績に食らいつく人間を見たのだ。

 思い出すのは、高校の頃に通っていた塾の一幕。名も知らない『誰か』に、人生で初めて会いたいと思ったことがある。あの時と同じ興奮を、知代に感じた。

『来月は負けませんからね!』

 利央のほうが年上とはいえ、同期としてライバル心を燃やしたのだろう。

 知代は利央を見上げると、キッと睨んだ。

 その瞳は爛々らんらんときらめいて、負けず嫌いな意思の強さが見え隠れしている。決して諦めることなく、利央を越えてみせると張り合う姿。

 とくん、と。これまで一度たりとも動かなかった心が、揺れた気がした。

 でも、最初は気の迷いだと思い込んで、あまり知代と関わらないように仕事をしていた。彼女を見ていると、なぜか心がそわそわと疼くのだ。その感覚にどうにも慣れなくて、利央はより一層、一心不乱に仕事に励んだ。

 そのうち諦めるだろう。これまで利央に対抗心を燃やしては諦めていった人たちのように、知代もいつかは見切りをつけるだろう。

 そう思っていたのに、一年経ち、二年経っても、知代は諦めることなく利央の背中を追いかけていた。他の営業が利央を持ち上げ、知代に『諦めたほうがいい』と諭しても、絶対に彼女は首を縦に振らなかった。

『次は……絶対、次こそは……っ』

 毎月毎月飽きもせず、張り出された成績表を見て知代は闘志を燃やす。

『いい気になっていられるのも、今のうちですからね!』

 びし、と利央に指をさす。その姿はなんとも健気で愛らしい。

 まっすぐに見つめる知代の瞳は、いつだって曇りがない。キラキラと輝く瞳は、利央の心を捉えて離さない。

 ――その瞳を。君の視線を、独り占めしたい。

 どうしてそんなことを考えたのだろう。自分でもよくわからない。こんな気持ちは初めてだから、利央は自身から湧き出た望みに戸惑った。

 でも、こんなにも何かを欲したのは初めてだったから――。

 理由もわからないまま、利央は本能に従うように動く。常に自分を意識してもらいたくて、これまで以上に仕事に精を出した。寝る間も惜しんで働き、知代の前に立ち続ける。

 知代は幾度もムキになって、利央と張り合い続けた。彼女のまっすぐな瞳がいつも自分を見ていることに、優越感さえ覚えた。

 けれども、成績に差をつけるほど、知代は利央を嫌っていく。顔を合わせるだけで眉間に皺を寄せ、口から出るのは悪態ばかり。

 それは思いのほか、利央の心を傷つけた。そう、こんな風に心が痛むのも、初めてだった。

 どうすればいいのかわからない。自分は知代を独り占めしたいだけなのに。彼女の瞳を、意識の全てを、その唇から紡ぐ言葉を、全部、独占したい。それだけだったのだ。他には何もいらない。欲しいのは、ただ――。

 ……利央はようやく自分の気持ちに気がつく。

 自分は、猪田知代に好意を抱いているのだ。それは遅すぎる恋の自覚。そう、全てが遅かった。利央の好感度は、間違いなく最低まで下がっている。

 今更『愛している』なんて口にしたところで、冗談か悪ふざけと取られるだけだ。誤解を解き、真剣に愛を伝えたとしても、それだけで知代の心が劇的に変わるとは思えない。

 それなら、仕事の手を抜いてわざと成績で負けてみようか。一度でも知代が勝利すれば、溜飲も下がるかもしれない。

 ……いや、そんなことはできない。それは知代を侮辱するのも同然だ。勝利したのではなく勝利させられたのだとわかった途端、知代は利央を軽蔑するだろう。

 けれども、それならどうやったら彼女を自分のものにできる?

 考えてもわからないまま日々は過ぎていき、事態は一向に変わらず。ゆえに利央は、最低な手段を選んでしまった。

 飲み勝負なんて、普通は女性を誘うものではない。だが、利央は知代を挑発してその気にさせた。そして勝負に勝ち、知代と肌を重ねた。

 酔った女性と関係するなんて言語道断だ。男として最低の行為だ。

 すまないと心の中で謝りながら、酩酊でろくな抵抗もできない知代に触れる。

 心の中は、罪悪感でいっぱいだった。

 それでも、利央の愛撫に快感を覚えて喘ぐ知代を見た時は、天にも昇りそうなほどに嬉しくて、幸せを感じた。

 自分だけが知代の全てを知っている。

 男性とつきあった経験がないのだと本人の口から聞いて、不覚にも喜んでしまった。

 こんなにも、自分がエゴイストだったなんて、知らなかった。

 聖人君子を気取ったつもりはないが、それでも自分は清廉潔白だと信じていた。女性に劣情を抱いたことなどこれまで一度もなく、性交への興味も薄い。大学時代はそれなりに周りは盛んだったようだが、自分はいつも一歩後ろに引いていた。

 だから自分は元々そういう人間なのだと、性欲がないのだと思っていた。

 でも、違う。自分も、他の男と変わらない。好きな女性を前にしたら発情し、醜悪しゅうあくな独占欲を露わにする――ただの、雄なのだ。


 ふと、目が醒める。

 知らない天井。知らないベッド。

(ああ――ここは、ラブホテル、か)

 長い夢を見ていた気がするが、腕時計を確認すると眠りについてから三時間も経っていなかった。

 すー、すー。

 ふと、小さな寝息が聞こえて、隣を見る。

 そこには、背中を向けて小さく丸まった知代がいた。

「寝つきが、いいんだな」

 子供みたいだと利央は思った。そんなことを口にしたら途端に怒られるだろうけど。

 ぐっと肩を掴み、くるんと転がしてみる。すると知代はこちらを向いて、可愛い寝顔を見せてくれた。

 すー、すー。

 知代が起きる気配はない。利央の執拗な愛撫に果てたあと、限界が来た彼女は気絶するように寝てしまった。このまま朝まで目覚めることはないだろう。

 思い出すのは、先ほどの行為。この手に、その感触は生々しく残っている。

 知代の身体をまさぐり、穢れのない秘めた口を暴いた指。

 なんとなしに、人差し指を舐めた。少しでも彼女の味が残っていてほしかった。

 知代は傷ついただろうか。目指していた人間が、裏を返せばこんな男だったなんてと落胆したかもしれない。

 でも、後悔はしていない。いや、身体は喜びに満ちている。

 罪悪感はあるのに、申し訳ないという気持ちもあるのに。知代に触れ、唇を重ねることができたのが嬉しくてたまらない。

 ――歪んでいる。

 やはり自分は、生まれた時から何かが欠けていたのかもしれない。

 感情も、心も、なにひとつ、幼少の頃から少しも揺れ動かなかった。

 表面を繕うのが日に日にうまくなって、他人に同調したフリも、的確なタイミングで喜怒哀楽を表現するのも、お手のものだった。

 けれども、心の奥底で自分自身はいつも冷めていて。楽しそうに生きる人たちを遠目で眺めていた。自分がそちら側に行くことはないと、漠然と思っていた。

 そんな利央に変化が訪れたのは、いつだっただろう。

 塾で成績のよい下級生の話を聞いた時? それとも、入社式で初めて知代に出会った時?

 ――いや、違う。きっとあの時だ。

 思い出すのは一年前。知代にとっては些細な出来事だろうから、今頃はすっかり忘れているだろう。だが、利央は忘れられない。忘れてはいけない。

 それは『初めて知代に負けた日』だ。

 月末のミーティングで張り出される営業成績だけを見れば、完全に利央の独走状態なのだが、実はそうではない。

 利央だって人間だ。失敗する時もあるし、調子の悪い時もある。

 だが、利央は優秀である一方、ピンチであっても誰にも助けてもらえないという側面を持っていた。

 ――『鹿嶋なら、ひとりでなんとかできるだろ』

 ――『手を出したら逆に邪魔になるもんな。わかってるよ』

 そんな風に言われて、誰もが救いの手を引っ込める。利央には常に『完璧』のレッテルが貼られていて、それが当然という空気がいつもあった。

 弱音を吐いて落胆されたくない。自分の失敗で、今まで築き上げた信頼を失いたくない。

 利央の周りには、いつも人がいた。でも、何かする時はいつも、ひとりだった。

 予期せぬトラブルも、自分の体調が悪化しても、辛さや苦しさを呑み込み、笑顔を浮かべた。『これくらい大丈夫だよ』と見栄を張って、利央は自ら『完璧』を演じていた。

 そんなある日、利央は痛恨のミスをしてしまう。

 しばらく根を詰めて仕事をしていたせいで寝不足だった。寝不足は身体の不調を引き起こし、酷い頭痛が続いていた。そのせいで、集中を欠いていたのだろう。

 その日は、二社から覚書をいただく予定の大切な日。だが、スケジュール帳に記入していた時間が間違っていて、ダブルブッキングになってしまっていた。

 なんとも初歩的なミスだ。しかし、重大な失敗である。朝に気づいていればどちらかに連絡を入れて時間をずらしてもらうこともできたのに、会社を出る直前で気づいた。

 ずきずきと、頭が痛い。

 バカか俺はと、自分自身を叱りつける。

 その時、声をかけられた。

「どうしたんですか?」

 振り向くと、そこには猪田知代が立っていた。相変わらず背が低くて、眼鏡の奥にある強気な吊り目はまっすぐに利央に向けられている。

 どう言ったものか。利央は困惑する。なんとも言えない表情の利央に違和感を覚えたのか、知代はゆっくりとこちらに近づいて、手に持っているスケジュール帳をヒョイと奪った。

「あっ」

「ふむふむ。あ~、なるほど。ダブルブッキングか。鹿嶋さんらしからぬポカミスですね~?」

 知代は意地悪そうに利央を見上げてニンマリ笑う。

 さすがにムッとした。バカにするためにわざわざ来たのかと嫌みのひとつでも言いたくなる。

 だが、知代はすばやくポケットから自前のスマートフォンを取り出すと、スケジュール帳を利央の胸に押しつけた。

「ほら、呆けてる場合じゃないですよ。まずは電話で謝罪でしょう? 距離を考えて、製薬会社のほうを先に片づけてください。研究センターは今から私が行って時間を稼ぎます」

「えっ……」

 猪田知代は、入社当時から利央をライバル視していた。常に成績で張り合い、負けては悔しがり、さながら仔犬が威嚇するように、利央を敵視していた。

 だから、そんな彼女が助け船を出してくれるなんて、思ってもみなかったのだ。

(もしかして、何か裏がある? これを貸しにして、俺に無理難題を押しつけるつもりだとか、あるいは俺のミスを営業部に触れ回るつもりとか)

 勉学の成績に対する妬みそねみが原因で、学校や塾で昔から幾度となく陰湿な嫌がらせを受けていた利央は、知代の行動に疑問を覚える。

 すると、知代はビシッと利央を指さして「ボサッとしない!」と怒り出した。

「研究センターのほうは任せて。私も何度か営業で行ったことあるし、所長さんとも顔なじみなんです。こういう時は変にごまかさないで、先にきちんと謝罪したら大丈夫ですよ」

「し、しかし、それだと猪田の仕事に支障が出るんじゃないか?」

「私のことは心配しないでください。鹿嶋さんのほうが急ぎなんだから、こっちはなんとかします。――こういう時は、遠慮したらダメですよ。なんでも利用するつもりで行かないと、取れる契約も取れないじゃないですか」

 ぐうの音も出ないほどの正論に、利央は言葉を失う。

 そんな風に言ってくれる人なんて、今までいなかった。

 助けてと言わなくても助けてくれる人なんて、いなかった。

 鹿嶋利央は完璧だから、なんでもひとりでできるから、そうしないといけなかった。

 でも、本当は。本当の……自分の、心は。もしかして――ずっと、助けを。

「こういうミスは誰でも一度はすることだし、契約はちゃんと取れますよ。だって、これまでの関係をきっちり築いてきたはずでしょう? 『完璧』な鹿嶋さんならね」

 ニコッと笑う。勝ち気で、明るくて、利央が失敗するなんてひとつも考えていない、まっすぐな信頼。

 心が、動いた。間違いなく揺れ動いた。そして――鮮やかに、奪われた。

(ああ、これが、負けたということなんだ)

 それは衝撃にも似ていた。あんなに酷かった頭痛は、強いインパクトによってどこかに飛んでいってしまった。

 敗北の味は、甘やかで、くすぐったくて、涙が出そうなほど切ない。

「営業部には、課長にだけ事情を話さないといけないけど、いいですか?」

「うん。僕も行くよ」

「ちゃんと内緒話にしないとですね。鹿嶋さんを蹴落としたい営業はいっぱいいるんですから! もちろん私も含めて!」

「はは……そうだね」

 なんて綺麗な生き方をするのだろう。太陽のようにキラキラ輝いて、彗星すいせいのようにまっすぐで、初夏に吹く風のように爽やかな人。

 自分よりも頭ひとつ分以上背の低い彼女は、颯爽と身をひるがえして歩いていく。

 ふわふわと揺れる髪に触れたい。

 柔らかそうなその手と、手を繋ぎたい。

 君がたくさんの人に向ける笑顔を、視線を、意識を、できれば、愛を。全て――自分だけで独占したい。

 それは間違いのない、敗北の自覚。

 利央が初めての恋に落ちた瞬間だった。