「きゃあぁぁぁ。エド、血が出ているわ!」

横にいたエリザベスが叫んだ。

「だから外さないと申し上げたではありませんか。伯母様も騒ぐようなら同じことをしますので、少し黙っててください」

「お、お前ごときがグランチェスターの次期当主に向かって何てことを!」

エリザベスの発言をサラは鼻先でわらい、そのまま土属性の魔法で小侯爵一家を椅子に拘束する。

「伯母様、本音が漏れてましてよ。淑女としてはいかがなものでしょうね。でも、伯母様のその発言こそ、私が貴族令嬢になどなりたくない理由なのです。〝私ごとき〟がグランチェスター家の当主の養女になったところで、いえ仮に国王の養女になったとしても本質が変わるわけではありません。事実を知る方々は、私のいないところで嘲笑することでしょう」

サラは立ち上がってテーブルの反対側に回り、エドワードの隣に立つ。

「うわぁぁぁぁ。来るな、来るな!」

「やめて、エドに危害を加えないで!!

エリザベスがサラに向かって叫んだ。サラはエリザベスを振り向いて、にこりと微笑んだ。

「どうして危害を加えてはいけないのですか?」

「あなたの伯父でしょう?」

「そうですね。私の伯父様であり、父さんを馬鹿呼ばわりして、母さんを侮辱した人物であることは間違いありません。あまつさえレベッカ先生を、いいえ、新しいお母様にも暴言を吐いたのです」

「だからと言って暴力を振るうというの?」

「言葉の暴力は構わないとでも言うのですか? あぁ、そう言えば伯母様は私に散々言ってましたよね。『これだから平民は』って。まぁ事実の指摘と言えばそれまでですけど」

そして、改めてエドワードに向き直ったサラは、怪我をしている頬にぐりっと指先を沿わせた。

「い、痛いっっ」

エドワードが叫ぶ。

「やめてサラ。私が悪かったわ。罰するなら私だけにして。エドと子供たちは許して!」

エリザベスが涙をボロボロ零しながら叫んだ。

「ですって、エドワード伯父様。良かったですね。奥様からは凄く愛されてるみたいですよ」

サラはエドワードの頬を魔法で治癒していく。傷が完治したところで、テーブルに置かれていたナプキンで血を拭うと、そこには一筋の傷すら残っていなかった。

「えっと、罰は伯母様が受けてくださるんでしたっけ?」

サラはくるりとエリザベスの方を振り向いて、淑女的な微笑みを浮かべた。レベッカの薫陶くんとうの賜物ではあるが、小侯爵一家にとっては恐怖しか感じられない微笑みであった。

「やめろサラ! リズに手を出すな」

エドワードが叫び始めた。

「どうやら、とても愛し合っていらっしゃるのですね」

なお、侯爵、ロバート、レベッカはサラのやることに口を挟もうとはしなかった。もちろん致命的なことになりそうであれば止めるつもりではあるものの、そもそもサラを止められる人物がいるのかは微妙な問題である。

震えあがる小侯爵一家を見つめたサラは、自分が思っていたよりも彼らに怒りを感じていないことに気付いた。グランチェスター領で過ごした日々に癒され、物理的な距離と時間を置いたことで彼らを冷静に観察できるようになったようだ。

怒りや憎しみといった激しい感情は、持っているだけでもエネルギーを必要とする。サラはそれだけのエネルギーを抱き続けるほどの価値を、小侯爵一家に感じることができなかった。怒りがなくなったわけでも許しているわけでもないが、ずっと嫌うほどの存在でもない。そして、サラの本質は商人であり、利があれば厭う相手とも手を組むことができる。ここで関係をある程度修復しておけば、グランチェスター侯爵が世代交代した後も生活基盤を失うことなく自由でいられる可能性も高いとサラは判断した。

「お二人を見ていると、政略結婚でも幸せになれるのかもしれないと思い始めました。もっとも、私は政略結婚するつもりはないのですけどね」

「せ、政略結婚だったとしても、私は好きな人と結婚できたから幸せよ。子供たちも可愛いわ。だからお願いサラ、家族には手を出さないで」

「そこまで子供を愛しているのであれば、何故育児放棄されているのですか?」

サラは首を傾げてエリザベスに問うた。

「育児放棄などしていないわ。家庭教師もガヴァネスもつけているし、欲しい物もできるだけ買い与えているもの」

サラは頭を抱えた。

『この人たちは本当に変わってないなぁ。でも、家族愛はちゃんとあるのね』

「私がグランチェスター領に来ることになった理由は聞いたのですよね?」

「ええ、聞いたわ。子供たちがあなたをイジメたせいだってこともわかってる。その件については本当に申し訳ないと思っているわ。私がきちんと躾けられなかったことが悪かったの。ちゃんと言い聞かせるから、どうか子供たちのことは許してあげて」

エリザベスが力なく答える。ちらりと子供たちに目をやると、アダムは俯いており、クロエはサラを睨みつけ、クリストファーは目が泳いでいる。

『貴族至上主義で、平民は見下して当然って思ってるわよね。だけど、私に対してはもう少し複雑な感情を持っていそうにも見える。グランチェスターの血を引いているせい? というより、私の容姿が気に入らないのかもしれないわね』

「伯母様、アダムたちを見てください。彼らが今、どのようなことを考えているか、伯母様にはわかりますか?」

「みんな申し訳ないと思っているはずよ!」

「いいえ、伯母様。彼らは伯母様が代わりに罰を受けると聞いても、誰一人として私に謝罪を口にしていません」

アダムが口を開いた。

「お、お前がこんな風に僕たちを縛りつけなければ、きちんと謝罪するつもりでいたさ。それにアレは事故だったことくらいお前もわかってるだろ!」

「ええ、確かに事故だったと思います。でも、それならどうしてすぐに助けを呼んでくださらなかったのですか?」

「それは……」

するとサラを睨んでいたクロエが叫んだ。

「怒られるのが怖かったのよ! お父様やお母様に知られてガッカリされたら、どうしようって思ったんだもん」

「それって、私をイジメてたことを知られるのが怖かったってことよね?」

「当たり前でしょ」

「だったら、イジメたりしないでいい子にしてればいいじゃない」

「あなたが生意気だからいけないのよ。私のお下がりのドレスにも感謝しないし、平民の癖に侯爵令嬢の私を敬わないし。ご機嫌窺いくらいしたらどうなのよ」

「えーっと……クロエは構ってほしかったの?」

「あんたのそういうところが生意気なのよ! 王都にいた頃よりもひどくなってない?」

『まぁ、前世の記憶戻ったしねぇ』

「こっちでのびのびしてるのは確かかなぁ」

「き─────っ。ムカつく。こっちは、あんたがきたとき、妹分ができるって思って楽しみにしてたのに、本ばっかり読んでるし、無視するし」

「やっぱり構われたかったんじゃないの」

「そういうんじゃないわよ!! ただ、お母様は社交でいつも忙しいし、アダムとクリスは男だからドレスの話も聞いてくれないんだもん」

『あれ、クロエってツンデレ?』

「一応、クリストファーにも聞いておくけど、本当に私に謝る気あった?」

「アダムとクロエが謝るしかないって言ってたから、僕もしないとダメかなぁって思って」

「じゃぁ、質問を変えるね。クリストファーは私のこと嫌いだからイジメてた?」

「平民で生意気だってアダムとクロエが言ってるから、そうなのかなって思ってる」

「いま、私と話しててどう思う?」

「無茶苦茶コワイ」

「まぁ、それはそうだよね」

サラはクリストファーの拘束を解いた。

「あなたには危害は加えないわ。だから教えて。私のことどう思ってる?」

「平民で生意気?」

「あなたがそう思ってるの?」

「みんながそう言うから、そうなんだなって思う。でもサラが凄く綺麗だってことはわかるよ」

「あら、ありがとう」

サラがにっこり笑うと、クリストファーもぎこちなくサラに笑顔を向けた。

「伯母様、わかりますか? 誰一人本心で謝罪したい子供はいないんです。『大人に言われたから謝らないといけない』って思ってる相手から、中身の伴わない謝罪などされても迷惑なだけです」

「本当にごめんなさい。私の教育が悪かったわ」

サラはエリザベスに向き直った。

「ええ、間違いなく私に対するイジメは伯母様をはじめとする周りの大人の責任です。伯父様や伯母様が繰り返し私を『平民』と罵ったから、彼らは私に危害を加えることに罪悪感を持っていません。むしろ、伯母様の貴族的に躾けられたからこそ、彼らは私をイジメているのだと思います。

『平民だから何をしても構わない』とでも思っているのでしょうね。貴族至上主義がいきすぎるとこうなるということでしょうか」

「それは……」

エドワードは、怯んだように言葉の続きを紡ぐことができなかった。

「わかりますか? 彼らは『人を思いやる』『相手の立場に立って考える』『命を大切にする』など人として基本的な部分に問題があるんです。確かに貴族は人の上に立つ身分ではありますが、平民に対して配慮をする必要がないわけではありません。これらは沢山の人と接して学んでいくものではありますが、最初に教えてくれるのは一緒に暮らす家族です。そういう大切な時間を放棄するほど社交は優先しなければならないものなのですか?」

すると、それまで黙っていた侯爵も口を開いた。

「それを言うのであれば、祖父である私にも責任がある」

「もちろん祖父様にも責任はあります。最近の祖父様は私を頻繁に抱き上げられますが、彼らを最後に抱き上げたのがいつだったか思い出せますか?」

「……赤ん坊の頃だったかもしれないな」

「伯父様や伯母様も同じです。彼らを抱きしめたのがいつだったか憶えていますか? 彼らが面白いと思ったこと、彼らが悔しいと思ったこと、彼らが悲しいと思ったことをゆっくり聞いたのはいつですか? 少なくとも王都邸で過ごす間、そうした時間を持っているところを私は見たことがありません」

小侯爵夫妻はいつも社交に忙しく、頻繁に外出している。家でも子供たちに構う暇はなく、せいぜい夜会の無い日に夕食で顔を合わせた時に会話をする程度であった。その会話ですら子供たちを思いやったやり取りはしていなかったように思う。基本的に子供たちは、乳母うば、侍従や侍女、家庭教師やガヴァネスに任せっきりである。最近はアダムやクロエがお茶会に参加するようになったため、一緒に外出したり、邸に訪問してきた商家から一緒に買い物したりといった機会も増えてはいるが、用事が済めばそれぞれの自室に引き上げる。ゆっくりとした一家団欒いっかだんらんなどは存在しない。

だが、このことで小侯爵夫妻を責めるのはやや酷だと言えるだろう。なにしろこうした子育ては、この世界の貴族家にとっては普通なのだ。どちらかといえば、貴族的に育っていないサラが、前世の常識に縛られて言い掛かりをつけている構図である。

「少しだけ希望があるとすれば、彼らがイジメを『大人に知られたくない』と思っていることでしょうね。少なくとも悪いことをしている自覚はあるということですから。それって、伯父様や伯母様に呆れられたり、嫌われたりするのが怖いってことでしょう?」

「そうね。私たちはこの子たちに愛されているわ」

先ほどまで興奮気味だったエリザベスであったが、子供たちへの教育について諭されたことで冷静さを取り戻していた。子供たちに慕われている母親として、慈愛に満ちたような微笑みを浮かべて従兄姉たちを見つめていた。

その様子を見て、サラは少しだけエリザベスを気の毒に思った。確かに従兄姉たちは両親や家族を愛しているように見える。だが、それは自分を庇護してくれる対象に対する本能的な感情や行動のように見えるのだ。だが、敢えて口にはしなかった。

「そもそも欲しいものを何でも買ってやるって、馬鹿ですか?」

「子供に不自由させたいと思う親はいないでしょう?」

「何事にも限度があります。すっかり我慢のできない子供になっているではありませんか。人の欲望には際限がありません。一つ願いが叶えば、次の願いができるものです。あなたがたはいつまで与え続けるつもりなのでしょう。社交で忙しくしていることを埋め合わせるように物を買い与えているのなら、すぐに止めるべきです。社会性のある人間にとって『忍耐』は不可欠です。それを教えないなど育児放棄以外の何物でもありません。育児放棄は子供に対する虐待の一つだということをご存じですか?」

するとクロエがサラに向かって叫んだ。

「ちょっと、私のお母様に失礼なこと言わないでよね。お母様はドレスも宝石も何でも買ってくださる優しい方よ。勉強でちょっと失敗したって、大丈夫だって撫でてくださるもの!」

サラは深いため息を吐いた。

「その結果、欲しいものを我慢できずに我儘放題になり、アカデミーに入学できないくらい勉強も身に付いていない。欲しいものを手に入れるために努力をすることを知らないせいで、何かを成し遂げたという達成感も持たない」

そこでサラは一呼吸おいてアダムを見つめ、鼻先で嗤った。

「あぁごめんなさい。アダムは欲しいものを手に入れるために努力してたわね。見事な下着コレクションでしたから」

「な! お、お前か。クローゼットの奥から箱を持ち出してベッドの下に置いたのは!」

「欲しいもののために努力を怠らず、きちんと実行に移す行動力はさすがです。コレクションが増えるたびに達成感はあったでしょうね。……変態だけど」

正餐室に重い沈黙が訪れた。アダムは顔を真っ赤にして俯き、小侯爵夫妻は居たたまれないといった表情を浮かべている。

「アダムの盗癖と性癖はともかく、このままいけばクロエは婚家で苦労するでしょう。なにせ散財することに躊躇がないのですから、夫となる方もたまったものではありません。それに、アダムはアカデミーに入学できないくらい勉強ができません。これは間違いなく伯母様の育児放棄の結果ですから、伯母様が私の従兄姉たちを不幸にしているといっても過言ではないのではありませんか?」

「お、お前何で僕の成績を知ってるんだよ!」

だが、これを聞いて驚いたのは侯爵だ。

「なんということだ。アダム、お前は将来のグランチェスター侯爵になるという自覚はあるのか? エドワード、エリザベス、どういうことだ!!

「それが、その……数学などがあまり得意ではないようで……」

「そういう問題ではない! 家庭教師を増やしてでも何とかしろ!」

サラはにっこり笑った。

「伯母様、良かったですね。今のところ、祖父様はエドワード伯父様を廃嫡するつもりはないようですし、アダムのことを諦める気もないみたいですよ。最近は事情があってグランチェスター領に滞在することが多く、私のことばかりを気にかけているように見えるかもしれません。でも、祖父様はちゃんと全員の孫を愛していらっしゃいます」

「サラ、当たり前のことを言うな。孫が可愛くないわけがないだろう!」

「ですが相手に伝わらなきゃ意味がないでしょう?」

「……まったくだ。この歳になって孫から教えられるとは。サラ、お前はノーラにそっくりだ」

侯爵がため息交じりに自嘲する。

「え、祖母様おばあさまも、魔法で相手を脅したんですか?」

「そこじゃない。ただ、相手を叱りつけるときのノーラにそっくりでな」

突然、エリザベスが再びボロボロと涙を流し始めた。

「私はずっと怖かったのです。私が義父上様に好まれていないことには気付いていました。義母上様が……エレオノーラ様が私をエドの嫁にと言ってくださったのに、私のせいでエドが義父上様から疎まれてしまうのではないかと」

「あ、いや……私は別にエリザベスを疎んでなどいないのだが」

侯爵が泣き出したエリザベスを見て焦り始めた。その様子を見たロバートは、父親である侯爵にツッコミを入れた。

「父上、リズが誤解しても仕方ないと思いますよ」

「む、何故だ」

「リズ、父上が疎んじているのはリズじゃなくて、エドなんだよ。正確にはエドが鼻もちならない貴族至上主義の下種野郎げすやろうだからなんだけどね」

「おい、ロブ。お前は僕に喧嘩を売ってるのか!?

「当たり前だ。お前は僕の嫁と娘、それに弟とその嫁をまとめて侮辱したんだぞ」

「本当のことを言っただけだろうが」

「お前が貴族であることをそれほど誇りに思うなら、次期領主としての義務を果たせよ!」

『あ、お父様が本気で怒ってる』

グランチェスター領の代官として、ロバートは次期侯爵であるエドワードに対して猛烈な怒りを見せた。

「この領で何が起きたのか、お前は正確に把握してるのか? 横領が何故起きたのか、どれくらい横領されたのか、そもそもこの前の暴動の原因や、どうやって対処したのか次期領主としてちゃんと理解してるんだろうな?」

「ちゃんと報告は聞いたし理解してる。弟とはいえ臣下に過ぎない身でありながら、次期領主である僕を下種呼ばわりするとは!」

「僕は父上の臣下ではあるけど、お前の臣下になったことはない。お前のような下種野郎が侯爵になったら、代官職はクリスに譲るさ」

「お前たち、よさぬか」

エドワードとロバートの兄弟が睨みあいを続けていると、侯爵が上座から彼らを一喝した。

「まずエドワード、お前はまだわかっていないのだな。領主一族として、領をどのように支えるべきなのか真剣に考えろと言ったであろう。貴族は血統によってのみ貴族なわけではない」

「しかし、父上も母上も常々『グランチェスターの血を持つ者として、恥ずかしくない生き方をしなさい』と仰っていたではありませんか。私はグランチェスターを継ぐ者として、誰よりも貴族らしくあらねばなりません」

「お前の言う『貴族らしさ』とは、社交界で影響力を持つことだけなのか」

「領民を守ることが領主の義務なのは理解しています。ですが、それは現領主である父上の仕事であり、代官であるロブの役目ではありませんか。小侯爵である私は、王都において他家との繋がりをつくり、王室とも親しく付き合っております。すべてはグランチェスター家の発言力を高めるためです。無論、私が侯爵位を継げば、父上の役割は私が担い、私の役割はアダムが担うことになるでしょう」

「今のお前が領地を治められるわけがなかろう。お前が領の何を知っているというのだ!」

次の瞬間、サラは再び氷の矢を落とした。今度は三人の肉にグッサリと突き刺さっている。

「お父様、私には口がありますから文句は自分で言います。兄弟喧嘩したいだけなら、後にしてください。祖父様も感情的になりすぎです」

唐突にサラは小侯爵一家の拘束を解いた。

「エドワード伯父様。私は伯父様がグランチェスター領を知らないとは思っていません」

「ふん、わかっておるではないか」

「ところで、グランチェスター領の特産品がなにかわかりますか?」

「小麦であろう」

「今年は豊作ですか? 凶作ですか?」

「豊作だったと聞いている」

「収穫量はどれくらいですか? どれほどの量が備蓄にまわっていますか?」

「う、うるさい。そもそもお前はそれを把握しているのか?」

「当然ではありませんか!」

サラはにっこりと笑った。

「エド、サラの言うことは正しいよ。彼女なら答えられる。それは父上もご存じだ」

「もちろんだ」

ロバートと侯爵はサラの発言を肯定した。

「まぁ細かい数字は報告書を見た方が正確ですし、数字をそらんじろという方が無茶かもしれませんね。では小麦以外の特産品は何がありますか?」

「定期的に伐採する木材も需要はあるな。アクラ山脈からは鉱石や魔石も採掘できるが、小麦ほどの産業とは言えないな」

「確かにそうですね。ところでグランチェスターで採掘できる魔石の属性には何があるかご存じですか?」

「火属性だろう」

「それだけですか?」

エドワードは答えに窮する。

「次期領主がその程度ではガッカリですね」

「うるさい!」

「都合が悪くなったら怒鳴るのはどうかと思いますよ? でも、それで構いません。こんなことは文官から報告される情報に過ぎないのですから」

サラはくるりとロバートの方に振り向き、今度はロバートに質問を投げかけた。

「お父様。狩猟大会にお越しになる王室の方がどなたかご存じですか?」

「い、いや。まだこちらに王室からの書状は届いていない」

「王太子殿下の長男でいらっしゃるアンドリュー王子です。ロイセンのゲルハルト王太子と一緒に領に入られるそうですので、貴賓室は二部屋以上必要です。ところで、この貴賓室は同じ建屋で問題ないと思いますか? それとも別の建屋に用意すべきですか? お二方のうち、どちらに一番質の高い部屋を用意すればいいかわかりますか?」

「い、いや……」

「伯父様はご存じでしたか?」

「無論だ。お二方がそれぞれ従えていらっしゃる側近や騎士の人数まで把握済みだ」

「それはこの内容であってますか?」

サラは空中から紙を一枚取り出した。中にはセドリックの眷属たちから聞いた情報がきっちり入っている。

「ぬ……アンドリュー王子の一行の中に三人知らぬ者がいるな」

「どなたですか?」

「この者たちだ」

「あぁ、それはアカデミーの教授です。先日、グランチェスター領にいる者がアカデミーに論文を出したのですが、その内容にいたく興味を示されたらしく急遽決まりました」

「ほう。論文の概要だけでも確認できるか?」

「後ほど写しをお持ちしますが、画期的な発見です。おそらく今後は問い合わせが増えることでしょう」

アリシアの論文にさっそく喰いついたアカデミーの教授が三名、王子にくっついてくることは把握済みであった。

「そうか。だが、サラ、お前はこの情報をどのように手に入れたのだ。それと、お前は今空中から資料を取り出さなかったか?」

「細かいことを気にすると禿げますよ?」

「グランチェスター男子に薄毛はいない」

「そういえば肖像画でもみなさんフサフサでしたねぇ。国王陛下が悔しがりそうです」

「お前、不敬だな。というかだな、陛下のかつらはトップシークレットなんだが」

『いや、みんな薄々気付いてると思うなぁ。薄毛だけに!』

やはりサラの脳内は少々残念である。

「お父様、確かに伯父様は領内のことを詳細に把握されてはいません。ですがその分だけ王都での王室や他家の動きには敏感です。貴族にとって社交が重要であることはお父様もご存じのはずです。伯父様の仕事を軽んじるようなことを口にすべきではありません」

「確かにそうだね」

ロバートは頷いた。

「ですが領主というのは、領の経営と社交のいずれも必要とする過酷な仕事です。だから領主を支えるため、領地には文官や騎士団がおり、侯爵夫人が王都での社交面を補うのです」

「……だが今、母上はいらっしゃらない」

「だからこそ伯母様が可愛い子供たちを置いてでも、グランチェスターのためにやらなければと気負っていらっしゃるのです。少々やりすぎだとは思いますが」

そしてサラは侯爵に向き直った。

「そろそろ祖父様はご自分の問題を悟られたのではありませんか? 実際のところ時期領主の教育をどのようにお考えなのでしょう。まさか何の引継ぎもなく領主が務まるなどと思ってはいらっしゃいませんよね?」

「いや。その……」

「まぁ、『お前ごとき』などと本音を漏らしつつも、空々そらぞらしく伯母様が謝罪を口にするのは、伯父様が祖父様に疎まれて小侯爵の地位を追われるかもしれないと危機感をお持ちだからです」

「それはわかっておる」

「では何故、このような事態になるまで放置したのですか! すべては家長である祖父様に起因していると気付いていらっしゃらないのですか?」

「……すまぬ」

侯爵はしょんぼりと項垂れた。

「ノーラが永い眠りに就いたとき、私は悲しみに溺れて周囲が見えなくなくなっていた。それでも季節は廻り、社交シーズンがあり、領主の仕事は押し寄せてくる。私は淡々と仕事だけに没頭し、息子たちの様子を気遣うこともできていなかった」

侯爵の言葉を受けて、二人の息子は父親のもとに歩み寄った。

「父上の悲しみは存じております。仕方なかったのです」

「だが、私が再び周囲を見渡せるようになった頃、状況は私が知るグランチェスターではなくなっていたのだよ。エドワードは血統を重んじるばかりに貴族至上主義に染まっており、社交ばかりで領地を顧みない男になっていた」

ぴくりと肩を震わせ、エドワードは侯爵から一歩下がった。

「エドワードよ、お前には気の毒なことをしたかもしれぬ。ノーラはアーサーを産んでから身体が弱くなり、領地で過ごす時間の方が長くなっていたからな。長男であるが故に王都邸で教育を受けねばならないお前と過ごす時間は短かっただろう。もっと、私やノーラと過ごせるよう、時間を作る努力をすべきであった」

「少々寂しかったのは確かですが、それでも私はお二人を恨んだことはありません。お二人の息子として恥じない自分でいたいと願い、努力はしたつもりです」

「わかっておる」

だが、エドワードは侯爵に対して憤りを示した。

「いいえ父上、あなたは私のことなど何一つわかってはおられない。『領地を顧みない』と仰いますが、そもそも私が領地経営のことに口を出すことを厭われるのは父上ではありませんか。積むべき経験を積んでいない私に何を望まれるのですか? いっそ私のことになど興味はないと仰ってくださればこれほど苦悩することもなかったでしょう。あるいは小侯爵の地位をロバートに譲ってしまえば良かったのです。私だって望んで小侯爵の地位にいるわけではありません」

珍しく激高したエドワードに対し、侯爵は申し訳なさそうに言葉をかけた。

「すまぬ。エドワード。お前が良くやってくれていることはわかっているのだ」

「またそれですか。先ごろの暴動の際にも『この程度のことを察することすらできんのか』と叱責した直後に同じことを仰いましたよね。そうそう、『平時であれば理想的な領主』とも仰ってましたが、領主に平時などあるわけがないでしょう。貴族家同士は常に牽制し合い、国同士は国益のために水面下で争うものです。暴動の件も、もっと早くにさまざまな情報を私に報せてくれていれば、未然に防げたかもしれません。理解しておられないのは父上の方です」

エドワードは侯爵に叫んだ。これまで両親の言うことには忠実だった彼にしてみれば、非常に珍しいことだと言えるだろう。いや、おそらく彼は初めて父親に反抗したのだ。

だが、その空気をぶち壊すように、サラはエドワードの足下に歩み寄って声を掛けた。

「伯父様、抱っこ!」

実に唐突なリクエストなのだが、三人の子供の父親だけあって、エドワードは反射的にサラを抱き上げた。

「お父様よりも抱っこ上手ですね」

「息子も娘もいるからな」

「攻撃されたり拘束されたりしたのに、よく私を抱き上げますね」

「一応、治療はしてくれただろ? 痛かったけど」

「まぁ痛くしないでも治療はできたんですけどね」

「酷いヤツだな」

「いい性格してるとは思っています。でも、ごめんなさい。そんなに伯父様が追い詰められているとは思ってなかったです」

「自分でもここまでとは思ってなかったよ。いい歳してるのに余裕ないな」

エドワードはふっと笑った。

このとき、サラは初めてエドワードという人物に向き合ったような気持ちになった。間違いなくイヤなヤツではあるのだが、一方でロバートに感じた親しさのようなものをエドワードにも感じ始めていた。

「そうやって笑うと、亡くなった父さんに似てます。やっぱり兄弟なんですね」

「アーサーは顔も頭も良かったが、僕はどっちもそこそこだったな」

「でも、父さんは一番上の兄さんは努力家だって言ってましたよ。すぐ上の兄さんは要領が良いから勉強からすぐ逃げるって」

「ぶはっ。それはあってるな」

「それと『初恋の人と結婚できた運のいい男』って言ってました。多分、父さんの初恋は母さんじゃないってことでしょうね」

「そりゃそうだ。アーサーの初恋の相手はリズだからな」

「えっ。父さん年上好きだったんだ。ウッカリしたら伯母様は私のお母様だったんですね」

「ウッカリしなくて良かったよ」

「私が平民の娘で良かったですね」

「……すまない。あんな心無いことを言うべきじゃなかった」

「私も痛くしてごめんなさい」

サラがエドワードにキュっと抱きつくと、エドワードは自然と微笑みながらサラの背中を軽くぽんぽんと叩いた。

「ありがとう。サラ落ち着いたよ」

「どういたしまして」

その様子を羨ましそうにロバートが見つめていることに気付いたエドワードは、ニヤッと笑いながらサラに言った。

「やっぱり私の養女になるか? ロブより抱っこうまいぞ」

「お父様がそろそろ泣きそうなのでやめておきます。それにクロエが羨ましそうに睨んでます」

するとクロエが憤慨したように叫んだ!

「全然羨ましくなんかないわよ。私はもう十二歳なのよ!」

「そうなのか?」

エドワードがちょっとしょんぼりする。

「え、その……ちょっとは羨ましかったかも?」

サラはエドワードの肩をポンっと叩いて下ろしてもらうと、クロエを手招きした。エドワードは心得たようにクロエを抱え上げる。

「重くなったな」

「お父様! それは淑女に言ってはならない言葉です」

『まったくだよ。どうしてグランチェスター男子は余計な一言を言わずにいられないの?』

内心サラもクロエに同情していると、いきなり背後からロバートがサラを抱え上げた。

「酷いなサラ。なんでエドの方が抱っこ上手とか言うかな」

「事実ですから。やっぱり子育て経験の差じゃないですかね?」

「じゃぁ僕も毎日サラを抱っこする!」

「馬鹿なこと言ってないで、とっととお母様と子供作ってください」

「あ、うん。レヴィが協力してくれれば」

何を考えているのかロバートは口許が緩んでいる。ムッツリである。エドワードもニヤニヤ笑っている。多分こっちもムッツリだと思われる。実によく似た兄弟だと言うべきだろう。だが、サラのおかげで和らいだ雰囲気の中で、侯爵は頭を抱えるように落ち込んでいた。

「本当に私は今まで何をやってきたんだろうな。先代の志を見抜けず、ノーラが大事に育てた後継ぎを追い込み、末の息子を死地に追いやった。横領も見抜けず、暴動の意図にも気付けず……なんと私は足りない男なのだろう」

『あ、思考が負の連鎖にハマってるわ』

「祖父様、そうやって一人で考えに耽るのって、思慮深いというより陰気です」

侯爵は顔を上げてサラを見た。

「サラ、お前に指摘されて気付いたよ。育児放棄をしたのは私なんだな」

「ええ。明らかに伯父様は被害者ですね」

「サラ、そこまで父上を責めないでくれ。私が父上の意図を察せないのが悪いんだ」

エドワードは落ち込む侯爵を守ろうと間に立った。

「祖父様は伯父様のことを『貴族至上主義』と仰いました。多分間違っていません。その通りだと思います。子供たちまで中途半端に真似して、とってもゲスゲスしいイヤな家族になってるって気付いてます?」

「それは……」

傷ついたような顔でエドワードが俯いた。

「でも、それは貴族としての矜持を持つということの裏の面でもあります。伯父様は祖父様と祖母様の息子であることを誇りに思い、グランチェスターの血を継ぐものとしての自覚があるからこそ、理不尽だと思うことにも耐えていらしたのです。私は愚かにも、伯父様が心の内を吐露するまで、その事実に気付くことができませんでした」

「サラ……」

何故かエドワードが目をウルウルさせており、クロエがハンカチで父親の目元を拭っていた。

「あー、ごめん。僕もエドはタダのいけ好かない下種野郎だと思ってた」

ロバートが告白すると、その隣でレベッカもやや恥ずかしげに顔を赤らめていた。どうやらこちらも同じであるらしい。

「酷いですわロブ。エドは自分ができることは社交しかないからって、それはそれは頑張っているのですからね」

エリザベスが夫を健気にフォローする。

「えーっと、伯母様。それ、そろそろ疲れません? 腹黒さを隠しきれてないです。淑女教育をもうちょっと頑張ったほうが良かったかもしれません。今の伯母様はお母様、いえレベッカ先生から赤点付けられそうなレベルです」

「なんですって!」

「ぶはっ」

すぐそばでレベッカが堪えきれずに噴き出した。

「お母様。ガヴァネスとして高く評価した直後に噴かないでください。台無しではありませんか」

「ご、ごめんなさい。あまりにも的確すぎて堪えられなかったのよ」

レベッカは淑女の仮面を被りきれず、ケタケタと笑いが止まらなくなっている。

「まぁ、私も男性陣の前で暴露するのはルール違反だとは思ってるんですけど、ブチ切れちゃったしいいかなぁって」

「いいわけないでしょ!」

「でも伯母様だって色々限界でしょ? っていうかですね、グランチェスター男子ってヘタレばっかりですけど、気持ち悪いくらい女性を観察してるから、とっくにバレてると思いますよ」

『そうなんだよ。無駄にグランチェスター男子って女性を観察してるんだよねぇ。なのになんであんなにヘタレなんだろう?』

「気持ち悪いとはなんだ!」

「まぁバレてるのは確かだね。確かに腹黒い」

「お前なぁ。リズはちょっと腹黒いから可愛いんだ!」

「アレはちょっととかいうレベルじゃないだろ」

兄弟の言い争いに、エリザベスは身の置き所がないといった風情になっている。完全に淑女の仮面は外れている。さすがにエリザベスが気の毒になってきたサラは、話題を変えることにした。

「どうやら長くなりそうなので、一旦座りませんか?」

八歳のサラはともかく、十二歳のクロエを抱えたままではエドワードも辛いだろう。だが、椅子に座るタイミングで娘を下ろすだろうと思った父親たちは、何故か娘を抱えたまま椅子に座った。

『あらま、抱っこセラピーの効果は絶大なのね』

「祖父様、何故ちゃんと伯父様を見ようとなさらないのですか?」

「エドワードは、あまりにも昔の自分に似ているのだよ。兄二人が相次いで亡くなったせいで突然小侯爵となり、右も左もわからず義務に押しつぶされそうになっていた頃の私にな。親族たちは私の能力を疑問視し、社交界ではアカデミーを出たばかりの若造と侮られた。まぁどちらも事実だから否定はできんな。だが、私はひたすらにグランチェスター直系の血を誇り、親族たちにも驕った態度を取ってしまった」

侯爵は自嘲し、そのまま沈黙してしまった。

「伯父様が祖父様に似ていらっしゃるのであれば、将来は安泰ではありませんか?」

「私にはノーラがいたから」

「伯父様にだって伯母様がいらっしゃいます。先ほど、伯母様が仰っていたではありませんか、『エレオノーラ様が私をエドの嫁にと言ってくださった』と。祖母様が選んだ方ではありませんか」

「ノーラと約束をしていたんだ。子供たちは政略結婚ではなく、好いた相手と結婚させると」

この発言にエリザベスが反応した。

「お待ちください。私は父母に言われるままにエドに嫁いでおります。義母様に選ばれたのだと伺いました」

「それは僕がリズを好きだったからだ。それで母上が縁談を纏めてくれて……」

「はぁ? そんなこと一言も仰らなかったではありませんか! 政略結婚だとばかり思ってました。結婚したあとも、一度も私のことを好きだと仰ってませんよね?」

『あ、ダメだ。伯父様もグランチェスター男子だ』

「で、では、私は次期侯爵夫人には足らぬ人間ということでしょうか?」

「それは違うぞ。ノーラはエリザベスのことを『将来の侯爵夫人なら、少々腹黒い方が良いと思うの。でも放置すると増長しそうだから注意してみていてね』と言っていた。だが私はそんなノーラとの約束すら果たさず、ただうしなわれた悲しみにだけ沈んでいたんだ」

「腹黒い、でございますか……」

『ヤバい、祖母様の遺した一言が伯母様にトドメを刺した!』

完全にエリザベスの顔は引き攣っており、その正面に座っているレベッカは肩を震わせて噴き出すのを堪えている。

「そうだ。だが、私が悲しみにようやく向き合えるようになった時には、すでにお前たちは私の知る二人ではなかった。その貴族至上主義が鼻につき、昔のイヤな自分を思い出して遠ざけるようになってしまって……」

サラはズキズキと蟀谷こめかみに痛みを感じていた。

『くだらない……心底くだらない……』

「祖父様! いい加減くだらない言い訳を並べるのはお止めください。祖母様が儚くなられたせいでこの事態を招いたかのように聞こえて不愉快です!」

「父上は本当に悲しまれていたんだ」

「それは義務を放り出しても良い理由にはなりません。それくらいなら、領主という責任ある地位を別の方に譲るべきです。家族をなくして悲しむのは祖父様だけではないのです。領主がまともに仕事をしなければ、今度は領民が家族を失うことになるのがわかりませんか?」

両親をなくしているサラにしてみれば、侯爵の言葉もエドワードの言葉もくだらない言い訳にしか聞こえない。少なくとも彼女の母親であるアデリアは、駆け落ちするくらい愛していた夫を亡くした悲しみの中でも、娘のサラを守るために必死に働いていた。

「伯父様もです。小侯爵になりたくないと仰るなら、自分で辞めれば良かったのです。あなたには弟がいるのですから。でも、そうしなかったのは本心では辞めたくないからですよね。言っておきますが、社交の場でグランチェスター小侯爵の肩書を振りかざして、夫婦でゲスゲスしい態度取ってるのは知ってますからね」

「本当にお前は、失礼なヤツだなぁ」

「だって、まだ爵位も継いでいないのに『次期侯爵に無礼だ』とか言って、派閥の対立煽ってたじゃないですか。でもそれ、まだ伯父様の力じゃないですから。相手は内心鼻で嗤ってると思いますよ? あれです子供がよく言う『お父様に言いつけてやる~』ってのと同じです。いい歳して恥ずかしくないですか?」

「だから、お前その情報を……まぁいい。下手なことを言えば物理的に禿げにされそうだ」

『あらやだ、気付かれてたわ!』

「伯父様、そろそろ自分の実力をお持ちください。領主父親が領の経営に口を挟ませないのであれば、独自に動けば良いのです。本当に領民を心配しているのなら、どうして自分で決断して領地に戻ったり、文官たちを頼ったりしないのですか? 社交では情報を駆使しているはずなのに。そろそろ父親の影から抜け出したらいかがですか?」

「い、いやその……」

「正直、こんな心底くだらないすれ違い親子なんて放っておきたいです。でも、運が悪いことにお二人は領主と次期領主なんですよ。迷惑する人がどれくらいいるか理解されてますか?」

「「……」」

サラはエリザベスにも釘を刺すことを忘れたりはしない。

「そうそう、伯母様も元平民の伯爵夫人に『生まれは隠せない』とか言ってましたよね」

「ちょっと何で知ってるのよ!」

「確か伯母様って伯爵令嬢だけど、それって伯父様が急逝されて滑り込みで伯爵令嬢になっただけですよねぇ。本来なら騎士爵の娘だったわけで、その伯爵夫人と生まれの差はないはずなんですよ。あの伯爵夫人も亡くなられたお父様は騎士爵で、旦那様とは幼馴染でいらしたそうですから」

「だから何故それを知ってるのよ!」

「あ、深く考えると禿げるかもしれないのでご注意ください。伯母様はグランチェスターの血を引いていらっしゃらないので」

咄嗟にエリザベスは髪に手をやった。

「正直なところ、私は伯母様がそこまで腹黒だとは思っていません。可愛らしいとさえ思います」

「そ、そうなの?」

「だって策士としては底が浅すぎますもの。伯母様が侮辱されたくだんの伯爵夫人ですが、彼女の妹さんが嫁がれた商家は、王都でも有力な大店おおだななのです。しかも、グランチェスターの小麦を扱う商家の一つだったことをご存じですか?」

「え?」

「この件については、上手に淑女的な言い回しができないので、平民のように少し乱暴な言葉で申し上げてもよろしいでしょうか?」

「え、ええ」

「くだらない虚栄心でグランチェスターに被害を与えるな。おかげであの商家は速攻で手形を全額換金した上、今後の取引を断ってきたんだよ!」

実際には領の現金が一万五千ダラスほど増えたので、今だけを見れば歓迎できる事態ではあった。だが、今後のことを考えると王都での取引先を一つ失ったのは大きな損害である。

「ははは。サラ、本当に母上そっくりだ」

「いえ、さすがに祖母様はこのように乱暴な言葉は使われなかったと思いますが」

「それは間違いない。でも、相手に反論の余地を残さないその言い方が似すぎ。本気で笑う」

ロバートはサラを抱えたまま大爆笑している。

「そもそもお父様にだって問題はあるんですからね?」

「僕は何をしたの?」

「何もしなかったことが問題なのです。お父様だってグランチェスター家の直系ですし、代官である以上領の文官のトップなんですよ」

「そうだね」

「なのに、どうしてエドワード伯父様と協力関係を築けなかったのですか?」

「いけ好かない下種野郎だから?」

「個人の好き嫌いで領の運営を左右させないでください。兄である前に、次期領主ですよ?」

「うん、僕が間違ってたよ。もっとエドと話をすべきだった」

「じゃぁ、この後私が何を言っても、伯父様の味方をしてくれますか?」

「それは聞かないとわからないなぁ。まだ何か言うつもりかい?」

「うーん。もしかすると、ここからが本番かもしれません」

サラはロバートに頼んで下に下ろしてもらった。ロバートはやや不満そうである。

「さて祖父様、再度確認いたしますが、伯父様が次期領主であることは変わらないと思って問題ありませんか?」

「そのつもりだ」

「では、今後は領主教育もお願いしますね」

「承知した」

「それと……」

「ふっ。『この後私が何を言っても、伯父様の味方をしてくれますか?』であろう?」

「ご理解が早くて大変助かります」

だが、話題にされているエドワード本人は、サラが念を押して回るのがとても怖かった。背筋にゾッと何かが走るのだ。

「まず伯母様に質問しますね。グランチェスター領で横領事件が起きたことはご存じですか?」

「ええ知っているわ。でも、もう二年も前のことでしょう?」

「てっきりご存じではないのかと思っておりました。なにせお金の使い方に遠慮がありませんでしたので。ちなみに、事件が発覚したのは二年前ですが、被害の状況を詳細に確認できたのは今年に入ってからです」

「あら、そうだったのね」

「この話を従兄姉たちは知っていますか?」

「いいえ。わざわざ子供に教えることでもないでしょう?」

「なるほど」

サラはまたもや何もない空間から紙を取り出して読み上げた。

「リンツ宝石店七百ダラス、ジャスミンドレス店二百八十ダラス、これは伯父様の名前で発行された手形で購入されています」

「狩猟大会用のアクセサリーとドレスね」

「そうですね。伯母様とクロエの二人分でした。しかも、その後に別の宝飾店からも五百ダラスほど購入されていますね」

「小侯爵夫人としての品位を保つためよ」

『おっと、品位ときたか』

「ちなみに王妃様の年間の品位維持費は、だいたい一万ダラスだそうです。さすがに王妃様ともなると違いますね。もっとも、この金額がすべて服飾費になるわけではありません。品位の維持は着飾ることだけではないということでしょう」

「女性でありながら露骨にお金の話をするとは。本当に下品ね」

「まぁ商家で生まれていますしね」

エリザベスの嫌味などどこ吹く風である。

「その後、アダムが馬車を購入していますね。七百ダラスだそうですが、こちらに到着する前に何度も故障したとか」

「アレは不良品だったのだ。すぐに車輪が壊れるなどロクなものではないわ」

「あの馬車は『舗装された道でなければ走れない』と事前に説明してあったそうですよ。馬車にも適材適所があるようですね。私はそんな華奢な馬車はごめんですけど」

「なんだと。あれはそんな馬車だったのか」

「購入前に調べましょうよ。それに購入後でも気付けたと思いますよ。実際、使用人たちの制止を振り切って走り出したそうですね」

「使用人の言うことになど、いちいち耳を傾けていられるか!」

アダムは不機嫌そうに言い捨てた。

「家臣の忠言に耳を貸さぬ領主など迷惑なだけです。熱心なのは下着集めだけですか?」

「いつまでそのことをあげつらう気だ!」

「だって、それ変態以外に取り立てて言うことがありませんもの。他に何を言えと?」

「いろいろあるだろ! 麗しい容姿だとか、剣の腕前が素晴らしいとか、洗練された服装だとか、会話運びが素敵だとか」

「アダム……あなた、ご令嬢方の発言を本気で受け取ってるの?」

「だって事実だろう?」

「えーっと……容姿はまぁグランチェスターだからソコソコ良いのは認める。でも、スコットの方がカッコよくない? 向こうの方が年下だけど、彼に剣で勝つ自信ある?」

「うっ」

「服装については好みの分かれるところだけど、今の装いは好きじゃない。やたらとキラキラしてて装飾過多だもん。それと会話だっけ? 頭が悪い人と会話してると疲れるだけなんだよね。どうせくだらない自慢話ばっかりなんでしょ? ご令嬢方はアダムがグランチェスターの将来の領主だから近づいてきてるんだと思うよ」

横でクロエがこくこく頷いていた。

『あ、やっぱり気付いてたんだ』

「まぁアダムのことはどうでもいいんですが」

「どうでもいいってなんだよ!」

「うるさいなぁ、グランチェスター男子で初めての禿げになりたい?」

アダムはピタリと口をつぐんだ。

「話を戻しますけど、伯母様とクロエの服飾費は約千五百ダラス、男性陣の服飾関連でも二百ダラス程度かかっています。ちなみに今回参加されるゲストの方々の平均的な服飾費は五百ダラス以下です。ホストであることを差し引いても多すぎですね。加えてアダムの馬車で七百ダラスが追加で支払われています」

「そこまで使っていたのか!」

侯爵が驚きの声を上げた。

「まぁそのせいで夫婦の間で揉め事があったようですね」

「どうして寝室でのやり取りまで知ってるのよ!」

「乙女の秘密です」

情報収集の手段を知っているレベッカとしては、サラがどこまで明らかにするつもりなのか内心ヒヤヒヤであった。

「実は先ほどの横領の余波もあり、小侯爵一家に割り当てられている予算は削減されています」

「え、予算の削減理由はそのせいなの?」

「そうです。伯父様は理由をお話にならなかったようですね。伯母様にお金の苦労をさせたくないと思われたのでしょうが、伯父様は自分用の予算や個人資産を切り崩していらっしゃいます」

「ええっ?」

「サラ、わざわざこのような場で、女性に言うべきことではないだろう」

エドワードが割って入った。

「私、常々疑問なんですよ。女性にお金の話をしないし、させないってヤツ。一緒に家を支えているパートナーに情報遮断してなんのメリットがあるんですか? 貴族の習慣とかマナーなのは理解していますが、危機の真っ只中で悠長なこと言ってる暇ないんですよ」

「危機?」

「伯父様、既に債務超過してますよね。鉱山を抵当にシルト商会から融資をうけられていますが、このまま伯母様の散財が止まらなければ債務不履行になってしまいます」

「鉱山を抵当に入れただと!? まさか、ノーラの持参金としてエイムズベリー家から譲り受けたあの炭鉱か?」

「……はい」

「いったい、いくら借りたのだ!?

「一万ダラスですよね? 既に二千ダラス不足していて、社交シーズン前にも現金が必要になると思われたのでしょうが、いくらなんでも祖父様に黙ってやるにはコトが大きすぎませんか?」

「だが、それしか方法が無かったのだ」

「伯母様を止めれば良いだけではありませんか」

「苦労をかけたくないのだ。妻の贅沢を許容するのは夫の度量というものだろう?」

「祖父様から割り当てられた予算で夫の度量もなにもありません。そういうことは自分で稼いでから言ってください」

「貴族は自分で金を稼いだりなどしない!」

「馬鹿じゃないの? そのお金は領民が働いた結果なのよ。だからあなたたちは領民のために働く義務があるのでしょう? それすらできない立場に甘んじている癖に、偉そうに夫の度量とか言わないでくれるかしら」

「サラ。今度こそ本気で謝るわ。散財したのは私よ。エドは悪くない。責めないであげて」

『あ、珍しく伯母様が本気で謝ってる。ほほう』

「その『今度こそ本気』っていうところ、本音が漏れてて良いですね。そういう方が伯母様は可愛いですよ?」

「そ、そう?」

「あの、ちょっと気持ち悪いので身悶みもだえないでください」

「失礼ねぇ。可愛いなんてあんまり言われないんだから良いじゃないの!」

「さっき伯父様言ってましたよ。『リズはちょっと腹黒いから可愛いんだ!』って」

「それは、あまり嬉しくないわね」

「言ってることは私の方が酷いと思うんですけどね。まぁ細かいことをグランチェスター男子に期待する方が間違ってます」

「「確かに!」」

エリザベスとレベッカは同時に納得した。

「それでですね、伯父様が融資を受けたシルト商会ですが、他にもグランチェスター家に関連する手形を買い漁っています。既にあの商会には一万八千ダラス分の手形が集まっています。これに伯父様の融資分を加えるとなかなかの数字ですね」

「サラ、お前、自分が何を言っているかわかっているのか?」

「もちろんです。ちなみに、シルト商会の本店は沿岸連合のロンバルにあるそうなのですが、不思議なことに亡くなったロイセンの第三王子妃はロンバル出身なんですよねぇ。第三王子妃の忘れ形見を擁立する動きと、この前の暴動……全部偶然だと良いですね」

サラはにっこりと微笑んだが、目がまったく笑っていなかった。

『ぐうぅぅぅぅぅ~』

沈黙が落ちた正餐室に、突如鳴り響いたのは……腹の虫であった。

「あ、やだ。どうしよう! 違うんです!」

クロエが本気で動揺している。どうやら音の発生源は彼女のようだ。まぁ食事中にいきなりコレが始まったのだから、仕方ないといえば仕方ない。

「ごめんねクロエ。お腹すいちゃたよね」

「違うってば!」

クロエは髪の毛を逆立てそうな勢いで抗議しているが、サラも空腹だった。二人はそれぞれ自分の席に着いた。

「少し冷めちゃったけど、食べましょうか」

「ちょっとサラ、そんなに魔法が得意なら食事を温められないの?」

「どうかな。やったことないから肉の焼き具合がちょっと変わるかも」

「冷めてるより良いでしょ」

「まぁ確かに」

試しにサラは自分の肉の温めにチャレンジしてみることにした。

『火属性の魔法を熱だけ照射するのは……表面だけ焦げて終わりそうよね。電子レンジはこの世界にないし……あれって水分子を振動させて温めるんだっけ?』

なんとなくイメージが固まったので、水属性の魔法で試してみることにした。

「あ、上手くいったかも」

正餐室に肉の焼けた匂いが漂った。切り分けて食べてみると、中まで熱々であった。それほど焦げてもいない。サラはクロエの肉にも同じ魔法を施す。

「どう?」

「あ、美味しい。火の通り加減もバッチリよ」

「うーん。新しい魔法を創造しちゃった気がする」

「そんな大層な魔法なの?」

「だって、それ水属性の魔法で温めたんだもん」

「火属性じゃないの? 全然意味がわからないんだけど!」

「だよねぇ」

サラとクロエが肉を食べ始めると、アダムとクリストファーも肉の温めを要求してきたので快く温めてやった。子供は大変順応性が高い。

『折角のいい肉だもん。美味しく食べなきゃ!』

だが、大人たちはサラが落とした爆弾のせいで完全に固まっていた。

「あ、先ほどの話に追加情報はありません。伯父様が融資を受けたのが一昨日で、私がそれを把握したのは昨日ですから、調べる時間が少なすぎます。続報はもう少し後になるでしょう。ただ、手形を一気に持ち込まれることを懸念するのであれば、現金は手元に持っておくべきですね」

サラは肉をもぎゅもぎゅする合間に説明した。

「さすがにその金額の現金をすぐに動かすのは難しい。宝物を売ればなんとかなるかもしれんが、グランチェスターが経済的に困窮しているように見られかねん」

侯爵が懸念事項を話している間にも、サラは晩餐に出された肉をせっせと温めなおしていた。全員が席に着いて晩餐が再開される。

「現金は私が作りましょう」

「どうやって? エドワードの融資分を含めれば三万ダラス近いぞ」

「コレを売ります」

サラは咀嚼していた肉を飲み込むと、どこからともなく無色透明な魔石を取り出した。高純度の光属性の魔石である。もちろん、サラがチートで作ったので純度百パーセントの光属性である。

「このサイズだと国宝クラスになっちゃいそうですね。さすがにちょっとやりすぎかしら?」

「国家の威信にかけても王室が買い取りそうだが、出処を問われるぞ?」

「まぁそうですよね。それじゃ小さくしましょうか」

サラは目の前で魔石を魔法で細かく砕いた。

「うおぉぉぉぉぉい! 何やってるんだぁぁぁ。国宝級の魔石がぁぁぁぁ」

エドワードが叫ぶ。他の大人たちも動揺を隠せていない。

「あ、大丈夫です。まだいっぱいあるんで」

サラはにっこりと微笑んで、追加で同じくらいのサイズの魔石を三つ取り出した。

「ま、まさか偽物か?」

「そう思うなら、試してみたらいかがですか?」

再びサラはスパッと、エドワードの頬を切った。

「きゃぁぁぁぁぁ」

同じようにエリザベスが悲鳴を上げる。このくだりはちょっと飽きた。

「綺麗に切ったのでそれほど痛みは無いはずです。伯母様、その小さい石に魔力を流して伯父様の傷を癒してもらえますか?」

「わ、私は治癒魔法なんて使えないわよ?」

サラは小さな魔法陣が描かれた羊皮紙を取り出して、エリザベスの前に置いた。

「その魔石には光属性の魔力が蓄えられています。魔法陣の中央に魔石を置いて、魔力を流すと周囲に光属性の治癒魔法が発動します。もし一定の方向だけに魔法を発生させたいなら、魔石に触れているのとは反対の手を傷の近くに添えてください」

エリザベスは魔法陣の上に一番小さな魔石を置き、右手で魔石に触れて魔力を流しつつ、左手で夫の頬に触れた。カッと魔石が眩く輝き、エドワードの傷があっという間に塞がっていく。

「治ったわ!」

「当然です。これさえあれば誰でも聖女ですね。あれ、男性だと聖人になるのかな?」

エドワードはナプキンで血を拭い、頬に傷が無いことを撫でて確認した後に叫んだ。

「もう禿げても構わん! サラ、お前はいったい何者なんだ!!

「サラはカズヤの英知を紐解ける娘だ。お前もグランチェスターの直系として、その意味を理解できるだろう?」

「な!」

侯爵の説明に、エドワードは今度こそ絶句した。

「気持ちはわかるよ。僕も同じだったからね。だからこそ言わなきゃいけないことがあるんだ」

ロバートは微笑みを浮かべながら穏やかに話しかけた。と、思った次の瞬間、エドワードに向かって大声で命令した。

「エドワード・ディ・グランチェスター、お前が真にグランチェスターの血を引く者であるなら、今すぐゼンセノキオクを使いこなす者に跪け!」

すると、侯爵、エドワード、ロバート、そして何故かアダムとクリストファーが一斉に立ち上がり、サラの前に歩み寄ってその前に跪いた。

『え、え、え、どういうこと??

「始祖の英知を紐解ける方に大変ご無礼をいたしました」

エドワードが口を開いた。その後ろにいたアダムとクリストファーも顔を上げてサラを真剣な眼差しで見つめ、揃って謝罪の言葉を口にした。

「サラ様、これまで大変申し訳ございませんでした」

「本当にごめんなさい」

どうやら彼らはかなり本気で謝罪しているようだ。

「何故いきなり私に跪いて謝罪を口にされるのですか! どうかお立ちください。祖父様やお父様まで跪かなくてもいいではありませんか!」

「お望みであれば!」

次の瞬間、男性陣は一気に立ち上がった。

驚きのあまり、サラは挙動不審気味にきょろきょろと部屋を見回す。どうやら他の女性陣も、ポカーンとこの光景を見守っている。どうやら意味がわからないのは彼女たちも同じらしい。

「えっと、どなたでも構いませんので、事情をご説明いただけますか?」

ロバートはサラにニヤリと笑いかけた。

「グランチェスターの直系男子は、物心ついたら必ず教わるんだ。『ゼンセノキオクで始祖の英知を紐解く者を敬い、仕えろ』って」

「何故男子だけなのですか?」

「女子は嫁に行くからじゃないかなぁ。他家に知られたくないしね」

『でも、英知ってラーメンと生姜焼きだよねぇ?』

微妙にサラはしょっぱい顔になる。

「まさか本当にゼンセノキオクを使いこなす者が現れるとは!」

エドワードが潤んだ瞳でこちらを見ている。先ほどまでの態度を思うと、ちょっと気持ち悪い。

「別に敬ってほしいわけでもありませんし、仕えてほしいわけでもないんで普通にしてください」

「どうせサラはそんな風に言うと思ったから、僕も父上も跪いたことはなかったんだけどね。いい加減、力関係は明確にした方がスムーズかなと思って」

「ご覧ください。女性陣が置いてけぼりにされて呆然としています」

「そうだね。レヴィは知ってる話だけど、リズとクロエはビックリするよね」

ロバートが女性陣にフォローを入れる。

「サラさんが普通の子供じゃないことくらい、ずっとわかってますよ。育児放棄とか言われましたけど、これでも三人の子供の母親ですからね。こんな八歳の子供がいるわけがないでしょう?」

「王都にいた頃と全然違うもの。サラが普通じゃないことくらいわかるわ!」

何度も『普通じゃない』と言われ、サラは微妙な気持ちになっていた。

『ラーメンと生姜焼きが読めるくらいでそこまで言われたくない』

「アダムとクリストファーにも教育されてたんですね」

「まぁ物心ついた頃から繰り返し教えるからね」

サラはますます頭が痛くなった。

「その教え要ります? 誰ですかそんな無茶なこと決めたのは」

「カズヤの孫で二代目のグランチェスター侯爵だよ。よほど祖父を尊敬していたんだろうね」

「はぁ」

「でもサラには都合が良くない? 僕たちは、サラに従わないといけないんだよ?」

「教えられたからって従う保証はないですよね?」

「そうだね。魔法的な縛りがあるわけじゃない。今日だってエドたちが跪くかどうかも半信半疑だったよ。子供の頃に教えられるおとぎ話みたいなもんだからね。正直、鼻で嗤われて終わる可能性の方が高いって思ってたよ。貴族至上主義の下種野郎が平民の女の子に跪くとは思わないだろ?」

するとエドワードがいい笑顔で語り始めた。

「まぁ確かにおとぎ話だよな。『馬のない馬車が走り、鉄でできた船が空を飛ぶ』って聞かされるんだから。まぁ子供の頃はワクワクして聞いたよ」

『転生直前、その空飛ぶ鉄の船から降りて、馬のない馬車で家に帰る途中で事故ったんだよねぇ。さすがに言えないわ』

「言っておきますが、ゼンセノキオクを使いこなす者はグランチェスター家にだけ生まれるわけではないと思いますよ。とても危険なので、その教えはやめた方がいいです」

「え、そうなのか?」

エドワードがサラに聞き返す。

「はい。そうです」

「それなら、『ただし、グランチェスター家に生まれた人間に限る』ってのを付け足しておけばいいんじゃないか?」

「そこまでして、その教え守る必要あります?」

「グランチェスター男子のロマンなんだよ」

「うん間違いなくロマンだ」

見ればアダムとクリストファーもこくこく頷いていた。

『三十路のオッサンが目をキラキラさせながら言うな!』

こういう時だけ妙にそっくりな目をするエドワードとロバートを見ると、ふとサラの中で亡くなった父の顔が浮かんだ。

「父さんが亡くなる前に私の記憶が戻ってたら、父さんも同じ顔したのかなぁ」

ボソリと呟いたサラの一言を、大人たちは少しだけ悲しげな瞳で見つめた。

「ところで皆様、もう私に跪かないでくださいね。居心地が悪すぎます。ただ、私に従ってくれる気があるなら、私の秘密を守ってください」

グランチェスター家の男子が全員頷いた。

「伯母様とクロエもお願いしますね」

二人とも頷いた。

「もし、エドワードたちが秘密を守る気にならなかったらどうするつもりだったんだ?」

「債務超過の人を黙らせるなんて簡単ではありませんか。お金の詰まった袋でぶん殴ればいいんですよ。この魔石を一つ売るだけで、タコ殴りできそうですよね?」

青ざめた顔のエドワードが絞り出すように言った。

「サラ、お前本当にいい性格してるな」

「私もそう思います。でも可哀そうなので、今回だけは助けてあげます」

するとエリザベスが腹黒いのを隠さない微笑みでサラに尋ねた。

「私やクロエが黙っていないとは思わないの?」

するとサラは非常にいい笑顔で、空中から可愛らしい巾着袋を取り出した。中にはごちゃごちゃと色々な物が入っているようだ。

「これらはソフィア商会が売り出す化粧品のサンプルです。巾着ごと差し上げます。このハンドクリームは、狩猟大会にお越しになる女性の方々全員にお土産としてお渡しする予定です」

「あら、素敵ね」

サラが指し示したシンプルな入れ物には、アメリアお手製のハンドクリームが入っている。

「ですが……」

「ですが?」

「こちらのフェイスケアシリーズは、本当に限られた方にしかお譲りいたしません。肌に潤いを与え、ハリと艶を蘇らせます。生産が大変なので少量しか作れないのです。入浴後に使われるのがおすすめなので、後でお試しください。肌質によって合わない方もいらっしゃいますので、まずは肘の内側など目立たない場所で試してからお使いください」

「ハリと艶!?

サラは先ほどよりも深い微笑みを浮かべた。

「次にこの箱を開けてください」

エリザベスが小箱を開けると音楽が流れ始めた。曲は『ロンドカプリチオーソ』だ。ヴァイオリンをサラが、ピアノをジュリエットが担当している。これは商会で販売する一番小さな音のなる箱である。実はまだ商品名を付けていない。オルゴールと呼ぶには音の再現性が高すぎるとサラは感じていた。

「これは何?」

「新しい魔道具です。楽団や演奏家がいなくても音楽を楽しめるのって素敵でしょう?」

「確かに素敵ね」

「では、その箱の中に入っている革袋を開けていただけます?」

エリザベスがそっと革袋の紐を解くと、袋の中からラウンドブリリアントカットが施された光属性の魔石、ペアシェイプカットされた水属性の魔石、スクエアカットされた風属性の魔石が無造作に放り込まれていた。

「全部魔石です。こうやってカットすると綺麗ですよね。いろいろなカットパターンを試した見本なので、バラバラですが。これでアクセサリー作ったら素敵だと思いませんか。もちろん魔石ですから、魔法陣さえあれば魔法を発動することもできますよ。ただ、魔力を使い切ってしまうと輝きは失われますが」

「あ、あなたこれをどうしたの?」

「企業秘密です。少なくともアヴァロンでこのような魔石を供給できるのは、私の息がかかったソフィア商会だけです」

エリザベスはゴクリと唾を飲んだ。

「凄くお高いのよね?」

「その光属性の魔石ですが、カット前は先ほど私が砕いた魔石と同じくらいのサイズでしたね」

「ひっ!」

「まぁ他の属性の魔石はもう少し値段も低いと思いますが、純度が高いのでそれなりのお値段になるんじゃないかと」

「そ、そうなのね」

『さて、仕上げだ』

「事と次第によっては、伯母様にも融通してもいいかなと思ってます。他では入手できない化粧品も含め、伯母様を通じてしか手に入れることのできない宝石の輝きを持つ魔石です。さぞかし社交界では影響力を発揮できることでしょう」

「事と次第というのは……」

「もちろん秘密の厳守ですね。それと、広告塔お願いしますね。商売ですから」

「もし守れなかったら?」

「大したことはありません。ただ伯母様と伯母様の派閥の方々にソフィア商会の商品が届くことが無くなるというだけのことです」

「サラ! 私も欲しい!」

横でクロエが騒ぎ始めた。当然と言えば当然である。クロエの反応は事前に予想していたので、サラはプリンセスカットされた小さな光属性の魔石と、先ほどの魔法陣が書かれた羊皮紙をクロエに手渡した。

「後でアクセサリーに加工してもらうと良いと思う。誰かが怪我をしたら、この魔法陣に魔石を置いて治癒魔法を発動してね」

これらの商品を開発した当初、サラは小侯爵一家を積極的に広告塔にしようとは考えなかった。グランチェスター侯爵から品物を王室に献上し、王妃や王太子妃など王室の女性から社交界に向けてお披露目をしてもらえば良いと思っていた。グランチェスター領の産業である以上、こちらが依頼しなくても小侯爵一家はそのうち勝手にソフィア商会の広告塔になりたがることは自明である。だとすれば、商品提供を条件にすることで、サラやソフィア商会の自由を勝ち取ればいいだけだ。

しかし、久しぶりに再会した小侯爵一家との晩餐会が思わぬ方向に転んだことで、サラはエドワードを金袋で殴りつけ、自分に従わせることに成功した。さらに、ソフィア商会の新しい商品の前にエリザベスとクロエも陥落し、ほぼサラの言いなりになる便利な存在となることが確定した。

なお、サラが砕いた魔石は、ソフィア商会の従業員の手によって、翌々日には王都の複数の商家に持ち込まれた。小指の爪よりも小さいサイズの魔石が六つだったのだが、どの商家も持ち込んだ当日に買い上げた。合計で八万ダラスとなり、そのうち三万ダラスの現金をグランチェスター家に融資している。

ここで波乱の晩餐会もひとまずはお開きとなった。だが、これからリビングでイベントの第二弾が待っていた。