シードルの泡

商会の主力商品の一つとして、いよいよエルマ酒でシードルを造る日がやってきた。最初の百本だけはミケに作らせるつもりだが、製造過程をフランの母であるトニアに開示し、ハーラン農園でもシードルを造ってもらう手筈になっている。ゆくゆくはトニアを中心に、シードルの造り手を育成してほしいという気持ちもあった。そのため、トニアとは機密保持契約を締結するつもりはなく、彼女には好きな時に他の人に製造方法を教えても構わないと言ってある。だが、今回はミケの力を見せることにもなるため、ある意味では大きな賭けでもあった。

なお、シードル造りには、ハーラン農園にある酒蔵の一部を開放してもらうことにした。というより、そこに置かれていたエルマ酒からシードルを造ると言った方が正しいだろう。

ハーラン農園に到着すると、フランとその母が出迎えてくれた。

「フラン、あなたにはいつもお手数をおかけしている気がするわ」

「気になさらないでください。私の方こそ感謝しなければなりません」

フランの横に立つ女性がトニアだろう。彼女のお酒には何度もお世話になっているが、実際に会うのはこれが初めてである。

「初めまして。サラ・グランチェスターと申します」

「トニア・ハーランと申します。何度も繰り返しお話を聞いておりましたので、あまり初めましてという感じはしませんが」

「実は私もそうです」

女性二人は気心の知れた仲間のようにニヤリと笑い合った。サラとトニアは境遇が少しだけ似ている。どちらも騎士爵の娘であり、貴族ではないが普通の平民とも違う立場として生まれた。そして両親亡き後、どちらも自分の力で立つべく努力を重ねる女性たちであった。

「素晴らしい農園ですね。こちらのエルマは何度もいただいたことがあります。甘さと酸味のバランスが素晴らしいと思います。もちろんエルマ酒も素晴らしいのでしょうが、残念ながらまだ私は試飲できません。あ、ジュースは凄く美味しかったです」

「ではサラお嬢様が成人する際には、最上級のエルマ酒やエルマブランデーを用意しなければなりませんね。今から仕込んで熟成しなければ」

「私の成人まであと八年ですから、エルマブランデーとしては若い方ですね」

「サラお嬢様がご結婚されるときにはもっと熟成も進んでいることでしょう」

ハーラン農園の酒蔵は、サラが予想した以上の大きさであった。煉瓦造りの大きな建屋が三棟も並んでおり、独特の芳醇な香りが漂っていた。

一番端にあった建屋に入ると、整然と並んだ樽の奥に、広い空きスペースが用意されていた。サラの指示で『ピュピートル』と呼ばれるラックも設置してある。このピュピートルは、ボトルを下向きに差し込んで、ルミアージュ(動瓶)するための重要なアイテムである。サラが魔法で作ったものをフランに搬入してもらったのだ。

エルマ酒は樽によって熟成度合いも味も異なるため、本来であれば丁度良い具合にブレンドするものなのだが、試飲すらできないサラに適切なブレンドができるわけではない。この辺りは、トニアに頼るしかない。

最初の行程は、煮沸消毒した瓶の中にエルマ酒を注ぎ入れ、酵母こうぼ蔗糖しょとうを混ぜた汁を入れてしっかり栓をする。酵母をどうするかは非常に悩んだのだが、ひとまずはエルマ酒と同じ酵母を使うことにした。もちろん、サラは指示するだけで実際の作業はフランとトニア、そして護衛としてついてきたダニエルである。何故かダニエルは瓶に栓をするのが非常に上手であった。

そしていよいよ瓶内二次発酵と熟成の過程に入る。

「まずは瓶を水平に寝かせ、そのまま静かに発酵と熟成をすすめます」

「エルマ酒を瓶の中でさらに発酵させるんですね?」

「その通りです。熟成期間は最低でも一年半は欲しいです。理想は三年くらいだと思いますが、条件によっていろいろ異なるので試行錯誤するしかないでしょうね。ひとまず今回は妖精の力を借りて一気に発酵と熟成をすすめます」

前世の料理番組のように『三年間、発酵と熟成をすすめたものがこちらです』的な説明をしつつミケに指示を出していると、自分の魔力が勢いよくどんどん吸い上げられていく感覚を味わった。少しずつ肩のあたりが重くなっていく。

一方、妖精が発酵と熟成を進めている光景を目の前で見ている側は、冷静ではいられなかった。妖精の力で発酵を進めることはトニアもフランを通じて知らされていたが、実際に目の前で行われるとなかなかインパクトのある光景である。言葉を発することなく、ただ食い入るように瓶の上を飛び回る猫の姿をした妖精を見つめていた。

なんとか百本分の発酵と熟成を終えると、いよいよルミアージュの工程である。

「ここからとても面倒な工程に入ります。毎日瓶を少しずつ回転させながら角度を下向きにしてください。このラックはピュピートルというのですが、瓶の角度を変えられるよう工夫されています。そうすると瓶の口の方に澱が溜まっていくんです。八日間かけて一回転させるくらいが丁度いいので、瓶に印をつけておくとわかりやすいです。実際にどれくらいで澱を引けるかは試行錯誤しないとわかりません。ひとまずやってみましょう」