『商会の名前がやっとわかったよ。まぁ設立者の名前を付けるのは普通か』
建物の中に入ると、既にある程度の内装工事は終わっていた。一階部分は店舗になっているがショーウィンドウのように外から見て中がわかるような作りにはなっておらず、カウンターや打ち合わせスペースや休憩スペース以外の部分はガランとしている。
「どんな商品を並べるかわからないから、敢えて広いスペースをそのままにしてあるようですね」
「そのようね。訪れたお客様がゆったりと座って商品を見られるように工夫されているみたい」
『
二階に上がるといくつかの空き部屋があり、一番奥にある大きな部屋が執務室となっていた。既に机や椅子、書棚や金庫といった必要な
「もう少しこぢんまりした雰囲気を想像していたのですが、予想以上に大きくて立派な建物で少し焦りますね」
「それくらい侯爵閣下がソフィアさんに期待しているのでしょうね」
「プレッシャーを感じます。掃除も行き届いてますわ。まだ誰も働いていないのに」
「建物を管理する使用人は既に雇用されているそうよ」
「なるほど。すでに賃金の支払いが発生している状況なのですか。それは色々急がなければ」
まだ人がおらず、商品も陳列されていないため空虚な雰囲気ではあるが、どの部屋も内装は終えているようだ。人々が働き始めれば活気も出るだろう。
「素敵な建物ですし、店舗もしっかりしていますね。本店としてはこれで良いのでしょうけど、アメリアさんの開発する商品を販売する店舗は別にした方が良さそうです。庶民でもちょっと頑張れば手が届くような感じにしたいと考えています」
「どちらかと言えば女性向きの可愛いらしい店舗ってことかしら?」
「そうですね。そういうイメージで概ね正しいかと」
実際に本店の建物を見て商会運営の実感が湧いてきたソフィアは、次々と浮かんでくるアイデアを細かくメモしていった。
一通り店内を見て回ったソフィアとレベッカは、ここで一旦別行動することとなった。商業ギルドへの加入を申請するため、ソフィアはギルド本部に赴かなければならないのだ。事前に連絡してあったため、建物の敷地内にある車寄せにはロバートが手配した馬車と
レベッカはサラと別行動することに不安を覚えたが、レベッカの顔は知られすぎているため付き添ってもらうのはかなり厳しい。
「私がグランチェスターの関係者であることは気付かれてる可能性が高いとは思いますが、レベッカ様と一緒に行けばソフィア商会がグランチェスターの商会という印象が強く残ってしまいます。近い関係ではあっても、グランチェスター家とは別の組織として振舞わなければ」
「ソフィアさんはアデリアによく似ているから、そちらから気付かれるかもしれないわ」
「そんなに母と似ていますか?」
「よく似てるけど、アデリアはもう少し柔らかい雰囲気だったわ。アーサーにも似てるから、アデリアよりもソフィアさんの方が凛々しい感じね。服装のせいかもしれないけど」
確かに今のサラは男装の麗人スタイルである。
「じゃぁドレスに着替えて行こうかしら。その方がギルド関係者も油断しそう」
「ソフィアさんでも、そんなことを考えるのね。女性の武器は否定するタイプかと思ってたわ」
「私は使える武器はすべて使うタイプです。相手を舐めてかかって痛い思いをする人を見るのは嫌いではないので」
「ちょっとだけソフィアさんが怖くなったわ」
ソフィアは空き部屋でドレスに着替えた。もちろん魔法を使った着替えである。部屋を出るとレベッカはバッグから化粧品を取り出していた。ソフィアの化粧をササッと直し、先ほどよりも柔らかい雰囲気に仕上げた。
「改めて見ると、ソフィアさんは本当に綺麗よね。やっぱり一人で行かせるのは不安だわ」
「お褒めいただきありがとうございます。ですが私に襲い掛かっても、返り討ちに遭うだけですから、心配はご無用かと思うのですけど」
「だからよ。やりすぎないように注意してね」
「相手の心配ですか。それなら納得です。商業ギルドに行ったらすぐに戻ります。心配しなくても大丈夫ですよ」
ソフィアは馬車に乗り込み、レベッカに笑顔で手を振ってから商業ギルドへと向かった。商業ギルドは商会の本店から徒歩で十分くらいの距離なのだが、『商会長が徒歩や馬で訪問するのは威厳がない』という侯爵の一言で馬車に揺られることになった。だが、実際に侯爵が心配したのは、ソフィアの威厳ではなく目立つ容姿である。
商業ギルドは、煉瓦造りの威風堂々とした建物の中にあった。護衛にエスコートされて馬車を降り、商業ギルドの受付へと向かう。受付窓口の職員は、ソフィアに名前と用件を確認した。
「ソフィア商会代表のソフィアと申します。本日は商業ギルドへの加入申請に参りました」
「承知しました。ただいま係の者が参りますので、お掛けになってお待ちください」
言われた通りソフィアは近くのソファに腰かけたが、商業ギルドの受付という人が大勢いる場所で、堂々とした
『どうしよう。なんか凄い目立ってる』
どうしようもない。係の職員が迎えに来るまでの数分間、ソフィアに胸を撃ち抜かれた被害者が両手で数えきれないほどできあがっていた。侯爵の懸念は正しかったようだ。
職員に案内された応接室には、恰幅の良い男性と部下と思われる二名の男性が待っていた。
「ようこそ商業ギルドへ。私がギルド長のコジモです」
「お初にお目にかかります。ソフィア商会のソフィアと申します」
「ようやくお会いできましたか。なんとも麗しい商会長ですな」
コジモは柔らかな微笑みを浮かべてはいるが、視線は明らかにソフィアを値踏みしている。それは部下の二人も同様であった。
「商業ギルドへの加入申請が、差し戻しになったと伺いました。申請書類などに不備はなかったと思っていたのですが事情を説明いただけますでしょうか」
「不備があったわけではございません。ギルドを代表する我々が実際に商会長にお会いし、どのような商会なのか確認しなければと思った次第です」
通常、商業ギルドへの加盟には、商業ギルド長による面接の必要はない。手数料さえ払えばギルドへの加入申請はあっさり通る。
「実際にこうしてお伺いしたことですし、許可いただけますでしょうか」
ソフィアはにこりと微笑みながらコジモに訴えた。
「どういった
部下の一人がソフィアに問いかけた。
「商品は多岐に渡る予定ですが、今のところはハーブティやエルマ酒などを予定しておりますわ。それとポプリを詰めたサシェなどでしょうか」
「それは何とも女性らしく可愛らしい商売ですな」
問いかけた男性はやや小馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
「まだまだこれからの商会なのです。あぁ、でもサシェを内職してくださる女性の方々は見つけましたわ。ところで取り扱い品目について届出が必要なのでしょうか?」
「いえ、塩などの専売品を取り扱うのでなければ、届出は必要ありません」
実はこの答えは既にソフィアも知っていた。にもかかわらず、職員たちはこちらが何を売るのか探りを入れてきたのである。
『面倒だなぁ。ここは適当なところで切り上げるか』
「ところでソフィアさんはグランチェスター領のご出身なのでしょうか?」
「いいえ。私は王都から参りました」
王都からグランチェスター領に来たのは事実である。実際に王都に住んでいたのは半年ちょっとだが嘘ではない。
「どうしてグランチェスター領にいらしたのですか?」
「こちらには知り合いを頼って参りましたの。グランチェスターのエルマ酒にも興味がございましたので」
「なるほど。確かにエルマ酒は美味いですからな。女性にも人気の酒です」
「本当に素晴らしいですよね」
ソフィアは微笑みを絶やさず、愛想のよい態度を保ち続けた。
「それにしても、このように麗しい方がわざわざ王都から移り住まれるほどに頼られるとは、よほどお知り合いの方とは深いご関係のようですね」
「どうでしょう。私は末永くそうありたいと願っておりますが、先方のお気持ちを計り知ることはできません。ですが困っていた私を助けてくださり、こちらに移り住む手助けをしてもらった御恩のある方でございます」
コジモとその部下は、もっと深く聞きたそうにはしていたが、領主一族が関わっている可能性が高いことには気付いていたため、踏み込んだ質問はしにくいようである。取り扱う予定の商品については、他の商家や商会を圧倒するようなものとは思えない。むしろ、この程度の商売のために、わざわざ領主一族の息がかかった人物が登記の手続きをしたことが不審なくらいだ。
だが、領主一族の愛人や庶子が絡んでいるのであればそういうこともあるだろうと、コジモたちは考えた。こうした短絡的な発想に至るには、ソフィアの容姿が大きく影響したことは間違いないだろう。商売人として長年の経験をもってしても、人は自分の尺度でしか物を測ることはできないという良い例である。
こうしてソフィア商会は、無事に商業ギルドへの加入を果たすことになった。