集落の女性たち
「実は、お願いしたいことはまだあるのです。ただ、これはコーデリア先生に向けてと言うより、この集落にお住まいの複数の女性たちへのお願いなのですが」
「私が代表してお話を伺って、後からお返事する形でもよろしいでしょうか?」
「もちろん構いません」
ソフィアはコーデリアが淹れてくれたハーブティを一口飲み、一拍おいてから話し始めた。
「まず、大量の手仕事を内職として受けてくれる方を必要としておりますの。具体的にはサシェと、小さな巾着などを作っていただきたいのです。材料はこちらで用意いたします」
「内職の発注はいつでも歓迎ですわ。そうした縫物が得意な女性も沢山おりますし、簡単なことなら子供たちにも手伝わせられますから」
「実は急ぎで大量に発注したいのです。もちろん、急がせてしまうことになりますので、料金は上乗せいたします」
コーデリアは少々考え込んだ。
「もしかして、狩猟大会に間に合わせる必要があるのでしょうか?」
「はい。狩猟大会の期間中、お茶会に招待した女性のお客様にポプリを詰めたサシェを差し上げたいのです」
「その程度でしたら大量にとは仰せにならないでしょう。同じものを別途販売されるおつもりなのではありませんか? お客様が帰る際のお土産として購入されることを期待していらっしゃるのかと推測いたします」
先ほどからのやり取りで、ソフィアはコーデリアに対し『打てば響く』という印象を受けた。まだ予想の域を出ないが、おそらくコーデリアは商売の経験があるのではないだろうか。
「仰る通りですわ」
「貴族の女性向けということであれば、レースやリボンをあしらった華やかなものや、刺繍が入ったものなどいろいろなデザインを用意しなければならないかもしれませんね」
「他にも薬師がブレンドした美容に良いハーブティ、花やハーブの精油などを販売しようかと思っております」
「なるほど。そういった方面に力を入れるおつもりなのですね」
ソフィアの話を聞いて、コーデリアはフランを呼んだ。
「フラン、やはりこの話はすぐにでも皆に聞かせた方が良さそうだわ。申し訳ないのだけど、ヘレンたちを呼んできてもらえるかしら?」
「わかりました」
フランはパタパタとドアから表に駆け出していった。
「後ほどお返事するより、女性たちに直接聞かせた方が良さそうです。おそらく彼女たちもソフィア様にお伺いしたいことができると思います」
コーデリアはすっと音もなく立ち上がり、隣室の扉を開けた。そこには小さめではあるが、明らかに教室と思われる机の並んだ部屋があった。
「これから十名ほどの女性が参りますので、こちらの部屋を使いましょう」
「ここが教室だったのですね」
「以前、ここは木工職人の工房でした。大工仕事も得意な方でしたので、女性たちが寝起きするための家を自分の敷地の中に建ててくださったのです。それがこの集落の始まりなのです」
「その方はどちらに?」
「もう、十年以上前に老衰で亡くなりました。最期を看取った私にこの家を残してくれたのです」
「そうだったのですね」
しみじみとした会話の後に訪れた沈黙を破るように、隣室のドアが開く音が聞こえ、複数の女性がざわざわと入室してきた。
「リア、来たよ」
先頭にいたのは
「レベッカお嬢様ではありませんか!」
レベッカが振り向くと、声をあげた女性は目を潤ませてレベッカを見つめていた。
「あなた、まさかキャス?」
「然様でございます。お久しゅうございます」
キャスと呼ばれた女性は、かつてレベッカの専属メイドとしてオルソン家に仕えていたらしい。本名はキャサリンだが、幼いレベッカが正確に発音できなかったため、キャスと呼んだことが愛称の
キャサリンはグランチェスター騎士団に連行されて取り調べを受けたが、彼女自身は横領に関与していなかったために無罪放免となった。しかし、実家の両親は既に亡くなっており、彼女は身を寄せる先が無かったのだという。
「どうして私を頼ってくれなかったの?」
「メイド長に再雇用をお願いする手紙は書きましたが、夫の不祥事のせいで外聞が悪く、子爵家で雇うのは無理だと断られました」
「ごめんなさい。知らなかったわ」
話を聞いていたソフィアは、恐ろしいことに気付いた。もしかしてキャサリンのような境遇の人は他にもいるのではないだろうか。
「キャサリンさん、大変失礼なことをお伺いしますが、もしかして横領事件の際に夫や父親に置き去りにされた方は多いのでしょうか?」
「そうですね。私が知る限り三十名ほどの女性や子供が置き去りにされています」
「その方々は?」
「実家を頼れる者もおりましたが、そうでない場合には農家の手伝いや工房の下働きをしております。こちらの集落にいるのは、私を含めて三名。子供も含めれば七名ですね。若い女性の中には娼館や酒場で働いている者もおります。数名の女性が行方知れずになっており、スラムで見かけたという噂を耳にしたことがございますが事実の確認はできておりません」
キャサリンは敢えて語らなかったが、娼館で働き始めた後に心を病んで自ら命を断ってしまった女性もいる。予想以上に悲惨な状況であった。
「なんて酷い……」
すると、最初に部屋に入ってきた女性がソフィアに向かってニカッと笑って言い放った。
「あんたがたはお嬢様なんだねぇ。そんな話なんてここらじゃいくらでもあることさ。だからこうして助け合って生きてるんだよ」
キャサリンが慌ててその女性を窘めた。
「だ、だめですよヘレンさん。この方はオルソン子爵家のご令嬢と、そのお連れ様でいらっしゃいます」
「もしかしてヘタレのロバート卿が尻を追いかけているご令嬢かい?」
「ぷふっ」
ヘレンのあまりの鋭い指摘に、ソフィアは思わず噴き出してしまった。
「グランチェスターにはロバート卿のヘタレを知らない人はいないのですか?」
「他の兄弟はとっくに結婚したっていうのに、ロバート卿だけは初恋をこじらせているのは有名な話さ。女遊びはソコソコする割に、本命にはヘタレってのはどうしようもないね」
『どうしよう、お父様の評判がかなりヤバいことになってる。間違ってないから余計にヒドイ!』
「大丈夫ですよ。ロバート卿は無事にオルソン令嬢と婚約しました」
「ようやくかい。こちらのお嬢様は、
さすがにヘレンの発言は貴族女性に対してかなり無礼であった。恐る恐るレベッカの様子を窺うと、レベッカは薄く微笑んだまま固まっており、肩がぷるぷると震えていた。
『どうしよう。さすがにお母様でもこれには怒ったかも?』
「ふふふふふふふ……あはははは。ダメだ我慢できないわ」
堪えきれなくなったレベッカは、淑女の仮面を保つことができずに爆笑し始めた。
「そうなの。あのヘタレは、アーサーの娘に尻を蹴とばされて、ようやくプロポーズしたのよ」
「よく承知したねぇ」
「鼻血が出るまで殴ってから承知したわ」
「ははは。そりゃ自業自得だね。まぁ幸せにしてやっておくれ。なんだかんだ言いながら、みんなロバート卿が好きだからねぇ」
「ええ。そのつもりだし、私もロブに幸せにしてもらうつもりよ」
その様子をハラハラして見ていた周囲の女性たちも、口々にレベッカにお祝いの言葉を述べた。
「ところで、リアがわざわざあたしらを呼んだのは、どういう理由なんだい? 聞いた話を後から教えてもらえるんだとばかり思ってたんだけど」
ソフィアはヘレンにも新しい教育施設を作ることを検討していること、急ぎでサシェや巾着を内職で作ってくれる人を探していることなどを伝えた。
「狩猟大会向けに急ぎで作るのは理解したけど、継続して商品を作るつもりはあるのかい?」
「そのつもりです。他にもいろいろ商品を開発しておりますので、違う商品の製作を依頼することになるかもしれません」
「面白いじゃないか。職人たちの下働きはキツイ仕事だから、あまり体力のない女性にはおすすめできないんだよ。割の良い内職はいつも取り合いでねぇ」
「わかりました。では早急に材料を手配します」
そこでヘレンは暫し考え込んだ。
「その材料なんだが、この近くには織物の工房もあるんだよ。隣は染色工房だ」
『そうか、この辺りは職人が集まってるんだった』
「その二軒の職人は姉妹なんだよ」
「女性の職人なのですね」
「できれば彼女たちの布を使ってやってくれないか?」
ヘレンの発言をコーデリアもフォローする。
「彼女たちの織物や染色の技術は非常に高いです。品質は私も保証いたします」
「男爵令嬢でいらしたコーデリア先生が保証されるのであれば、相当の品質なのですね。まだ仕入先は決めておりませんので、期日までに材料を手配できるのであればそちらで購入しましょう。ところで商品のデザインは、こちらで指示したほうがよろしいでしょうか? もしデザインのセンスに
ここでヘレンとコーデリアが視線を合わせ、どちらともなく頷いた。
「やたらと可愛いものが好きな子供がいるんだが、その子に試作品を作らせてもいいかね?」
「まずは試作品を拝見してから判断させてください。その子が他の人に作り方の指導までできることが条件になります」
「それは問題ないんだが……」
「なにかあるのでしょうか?」
「実は男の子なのです。女性ではないのですが大丈夫でしょうか?」
コーデリアが心配そうに尋ねた。
「能力があれば性別や年齢は問いません。ですが、子供を夜遅くまで働かせるのは禁止いたします。……いえ、違いますね。子供に限らず、作業をする皆様全員が無理をすることはお止めください。特に徹夜は絶対にダメです」
「でも急ぎなんだろう?」
「たとえ販売する商品が少なくなったとしても、皆様の健康には代えられません。昔ある方が仰っていました。『徹夜はするな。睡眠不足はいい仕事の敵だ。それに美容にも良くねぇ』と」
「ははは。わかったよ。やっつけじゃない質の良い商品が欲しいなら、確かにその通りだろうさ」
『まさか豚に言われたとは思わないだろうなぁ……』
ソフィアは久しぶりに前世で見た空飛ぶ豚のアニメを思い出していた。
「それにしても、この辺りにはいろいろな職人の方がいらっしゃるのですね」
「工房だけでも三十軒以上はあるよ」
「もしかして評判の良い工房や逆に評判の悪い工房などもご存じなのですか?」
「もちろんさ!」
『これは良い情報源かも!』
「ガラス製品はシンディさんのいらっしゃる工房に依頼しておりますが、すぐにあちらの工房だけでは手が足りなくなると思っておりますの。高級なお酒を入れる飾り瓶、丈夫で割れにくい酒瓶、ハーブや花の精油を入れる小瓶など作ってもらいたいものがたくさんあるのです」
「ガラス製品ならあの親子が一番だろうね。ガラス工房は商家のお抱えが多いんだよ。あぁ、そういえば先代の爺さんの弟子がやってる工房もあったはずだよ」
「この近くにあるんでしょうか?」
「どうだったかねぇ。詳しいことはシンディに聞くといい」
やはりガラス工房は別の商家や商会が抱えていることが多いようだ。しかし、今後の需要を考えれば、一人でも多くの職人を確保しておく必要があるだろう。
「他にも装飾的な木箱を作る職人、
「木工職人も鍛冶師もいるよ。ただ評判となると……、避けた方がいい鍛冶師はいる」
ソフィアは女性たちからさまざまな情報を収集し、最終的にどの職人にどんな仕事を依頼すればよいのかを確認していった。彼女たちは出入りしている商家や商会の情報や、この集落から遠い場所に工房を構える職人たちの情報も把握していた。もちろん、女性に酷い扱いをした職人の情報も聞き出し、たとえ腕が良くてもその工房には依頼しないと明言することも忘れない。
「それと、あまり無理を言うつもりはないのですが、ここから少し離れた場所にある研究施設の使用人になっても良いという方はいらっしゃいますでしょうか?」
「それは住み込みの使用人かい?」
「通いでも構いませんが、使用人部屋の空きはございます」
ヘレンの質問に答えると、それに被せるようにコーデリアもソフィアに問いかけた。
「使用人といってもさまざまですが、どういった役職を求めていらっしゃるのでしょう?」
「実は掃除や洗濯といった下働きをしてくださる女性を複数名募集したいのです。料理人もおりません。できれば料理人の方には食材の買い付けもお任せしたいので、読み書きと簡単な計算ができる人の方が望ましいです。メイドや侍女のような仕事を経験したことがある方は、そういったお仕事もございます」
「何名程度をお考えですか?」
「研究施設に勤務しているのは平民の女性が二名だけなので、洗濯は大変ではありません。ただ、建物全体が大きいので掃除は大変です。最低でも三名は雇用したいと考えております。侍女やメイドの経験がある方は多いほど嬉しいですね。経験次第では、商会での雇用も検討します」
この回答に、女性たちが色めき立った。
「もしかして、女性しかいない施設なのですか?」
「常勤しているのは女性だけですが、資料閲覧のために男性が訪れることはあります。施設の一部は教育施設にもなっておりますので、家庭教師の男性と十代前半の少年が訪れることもあります。そういえば今はフランさんも作業のために通っていらっしゃいますね」
いきなり話を振られたフランは驚いた。
「もしかして、乙女の塔に使用人を雇うのですか!? あそこはグランチェスター城の敷地です。城のメイドの方々がいらっしゃるのではありませんか」
「今は仕方なく城のメイドに頼っていますが、いつまでもそのままにはできません」
『今はなし崩し的に執務室のメイドの人たちが手伝ってくれてるんだよねぇ。そのうち文官たちからクレームきそう』
だが、実際には執務室のメイドたちの間で、密かに乙女の塔の仕事は人気であった。理由は仕事の終わりに入れる蒸し風呂である。しかも大きな湯船を作る計画が進行していると聞きつけ、他のメイドたちも密かに乙女の塔の勤務を狙っている状態であることを、まだサラは知らなかった。
「もしや、その施設はフランが通っているお城の塔のことなのでしょうか?」
「はい。仰る通りです」
「それはグランチェスター城の使用人になるようなものではありませんか! このようなところで気軽に募集するような職種ではございません」
コーデリアが驚いたように声を上げた。
「残念ながら、敷地こそグランチェスター城内にありますが、土地も施設もロバート卿の養女となるサラお嬢様の所有です。そのため雇用主はサラお嬢様になりますし、グランチェスター城の使用人になれるわけではございません」
『うぇ、自分でサラお嬢様って言うの、かなり恥ずかしい』
すると、女性の一人がおずおずと声をあげた。栄養状態があまり良くないのか、痩せ細って髪や肌の艶を失っている。
「あのぉ。夜は完全に女性だけになるのでしょうか?」
「いまのところ夜は女性だけです。不用心なので敷地を騎士団の警備隊が巡回してくれていますが、塔に立ち入ることは許可しておりません」
「私は読み書きができません。料理、洗濯、掃除くらいしかお役に立てないのですが、雇っていただけるでしょうか? 実は手先もあまり器用な方ではないので、内職で稼ぐのも難しいのです。ただ、その、私は男の人が怖くて」
『そうか。男性が怖い女性にとって、乙女の塔は良い職場かも!』
「もちろん構いません。男性と顔を合わせるのがつらいようでしたら、男性の来客中は奥で別の仕事をしてくださっても大丈夫です。ただ、今後は男性の下働きや料理人を雇う可能性を否定することはできません。そうなった場合には、どんな風に仕事を任せればあなたの負担を取り除けるのか一緒に考えましょうね」
ソフィアはにっこりと女性に微笑みかけた。今のソフィアは男装の麗人スタイルなので、女性は顔を赤らめてうっとりとうなずいた。
すると、女性は先ほどよりも小さな声で囁くようにソフィアに尋ねた。
「子持ちでも構わないでしょうか?」
この問いに、サラはやや考えた。使用人が必要なのは乙女の塔、つまり研究施設である。小さな子供が塔を駆け回る姿は可愛いかもしれないが、薬品などの中には危険なものがあるかもしれず、研究の邪魔になることも考えられる。母親が仕事をしている間、子供は誰が面倒を見るのかなどを考えると、おいそれと答えられることではなかった。
「難しそうかい?」
ヘレンが心配そうな表情を浮かべる。
「お子さんをお連れになることそのものを厭うわけではありません。安心して親子で働いていただける場所になるべきだとも思うのですが、乙女の塔は研究施設なので、小さいお子さんが知らずに触ると危険なものがあるかもしれません。近くの庭園では植物を栽培しているのですが、中には毒性のある植物もあったはずです」
「なるほど。確かにそれは子供が小さいうちはムリだねぇ」
するとキャサリンも声をあげた。
「私には七歳の娘がおりますが、言い聞かせれば危険なことはしません」
このやり取りにレベッカが割り込んだ。
「ダメよ。キャスは私の新しい邸で働いてくれないと。ねぇ、ソフィアさん構わないでしょう?」
「お決めになるのはキャサリンさんご自身ですわ。それに、ご結婚されてからでなければ、新しい邸には引っ越せないのではありませんか? それまで乙女の塔にいてもらうこともできるのかと」
レベッカは
「ねぇ、キャス。私があなたを雇用してもいいかしら。私の侍女になってほしいの。まだ結婚前ではあるけど、私はガヴァネスとしてグランチェスター家に滞在しているし、自分の使用人を連れてくるガヴァネスは珍しくないわ」
「大変ありがたいお話ではございますが、私は横領の罪を犯したグランチェスター領の文官の妻でございます。グランチェスター家にお輿入れされるお嬢様の使用人にはふさわしくございません」
「横領で家族が連座させられることはないはずよ。ロブだってわかってくれるわ」
「ご結婚を控えたお嬢様には、些細な
確かに普通の貴族令嬢であれば、これから嫁ぐ家に損害を与えた者の家族を使用人として連れて行くというのは極めて非常識であることは間違いない。だが、その程度のワガママなら、ロバートは目尻を下げたまま快諾しそうである。
「キャサリンさん。おそらくご夫君の罪について問われることはないはずです。グランチェスター領にとっても、横領事件を表沙汰にすることはできないのです」
「それでも、罪は罪ですわ」
「そうですね。あくまでもご夫君の罪であって、キャサリンさんの罪ではありません。ましてや、お子様には何の罪もないのです。お嬢さんのためにも、生活を安定させてください。すぐには納得できないかもしれませんので、ゆっくり考えてみてくださいませ」
ソフィアの発言に、キャサリンはビクリと肩を震わせた。
「そうね。急ぐ必要はないわよね。それより、キャス以外にも子供がいる女性はいるはずよ。どうせなら乙女の塔専用に使用人向けの託児施設を用意しましょう。グランチェスター城にもあるけれど、乙女の塔だけは別にあっても良いのではなくて?」
「それほど大勢を雇用するつもりはありません。グランチェスター城内ではあっても、貴族の邸宅ではないのですから。それに、子供を預かるのであれば、責任をもって子供たちの面倒を見る大人も雇用しなければならないではありませんか」
「子守ができるくらい大きな子供が一緒にいればいいのではなくて?」
「皆様の大切なお子様に、そんな無責任なことはできません。大人の目の届くところで、きちんとお世話されるべきです」
サラはまだ気付いていないのだが、ここにも更紗時代とのギャップがある。基本的にこの世界の託児施設とは、乳幼児をまとめて預かる場所でしかない。乳や離乳食を与えたり、おしめを交換したりといったことも必要最小限しかしないため、空腹で赤子が泣いていてもすぐに乳をもらえたりするわけではないのだ。おむつが濡れていても、長時間放置されるのは当たり前、下手をすれば預けた時から迎えに行くまで同じおむつのままということさえある。
「確かに小さいうちはお世話する人も必要かもしれませんね。でも、ある程度大きくなれば、子供たちは勝手に遊びまわるものだわ」
「当然そうなりますよね。だからこそ、大人の目の届くところにいるべきです。少なくとも、秘密の花園は立ち入り禁止にしないとダメでしょうね」
だが、立ち入り禁止にすると、冒険したくなるのが子供という生き物である。数か月後、グランチェスター城で働く使用人の子供たちと乙女の塔で下働きをする女性の子供が、揃って秘密の花園に
この日、ソフィアとレベッカが女性たちの集落を訪れたことで、商会の従業員候補、初等教育の教師、内職してくれる人材、そして乙女の塔の使用人問題は一気に解決した。しかも、工房関連情報のオマケ付きである。なかなかの収穫であったことは間違いないだろう。
女性たちの集落を後にしたソフィアとレベッカは、近くにあるシンディのガラス工房へと足を向けた。〝シンディの〟とは呼んでいるが、工房の主は彼女の父親であるマットで、工房の名前はマットの父の名前をそのまま使い続けているため『ティム工房』というらしい。
「ごめんください」
ソフィアが熱気に満ちた工房で声を張り上げると、シンディによく似た男性が振り向いた。おそらく彼がマットだろう。どうやらガラスを吹いている最中だったらしく、マットはジェスチャーで少し待つよう合図した。
しばらく待っていると、マットがソフィアたちの元まで歩み寄った。
「貴族のお嬢様がこんなところまでどうなさった?」
「シンディさんにお会いできないかと。私はソフィアと申します。残念ながら、私は貴族ではございません。ですが、こちらはオルソン子爵家のレベッカ嬢です」
「レベッカ・オルソンと申します」
「はっ! いや、これはご丁寧にどうも」
あまり大袈裟にならないよう、軽い会釈だけで挨拶したソフィアとレベッカであったが、それすら職人であるマットには衝撃を与えてしまったらしい。
「シンディさんから何か聞いていらっしゃいませんか? 私は瓶を大量に発注したのですが」
「もしや、急ぎで分厚いボトルを百本注文された方ですか?」
「仰る通りです。急な依頼で申し訳ございません」
そのとき、シンディが慌てて駆け寄ってきた。どうやら彼女は外出していたらしい。
「遅れてすみません」
「気にしないでいいわ。急に来たのはこちらですもの」
レベッカはシンディに微笑みかけた。
「初めましてシンディさん。私はソフィアと申します」
「は、初めましてシンディと申します。エルマブランデーを販売する商会の会長さんでいらっしゃいますよね?」
「ええ。その通りよ。まだ登記したばかりの赤子のような商会ですけれども」
「驚くほどサラお嬢様に似ていらっしゃいますね」
「よく言われるわ」
指摘されることは事前に予想できていたため、ソフィアは慌てることなく頷いた。
「実は今朝から知り合いのガラス工房をいくつか回ってきたんです」
「飾り瓶の発注を伝えるためかしら?」
「それもありますが、珪砂を勝手に持ち去ると罪に問われることを伝えなければと思いまして」
「ガラス工房にとっては死活問題ですもの仕方ありませんわ」
『ふふっ。シンディさんはいい仕事するわね。珪砂をタダで採取できなくなれば、必然的にガラス製品の値段を上げざるを得ない。さて、ガラス工房を抱えている商家はどう動くかしら』
商家がガラス製品の買い取り価格を据え置いた場合、ガラス工房の被る損失は少なくない。取引を考え直す可能性もある。そのときサラの商会がガラス製品を大量に、しかも適正価格で発注したがっているという情報を流したらどうなるだろうか。しかも、エルマブランデーやエルマ酒の瓶の代金は侯爵の私財から支払われるので、資金が不足する心配もない。
もちろん技術力の高い工房ばかりではないだろう。しかし、高い技術力を持っていることだけがすべてではない。すべての工房に飾り瓶を作ってほしいわけではないのだ。規格品を作る最低限の技術があれば、シンプルな酒瓶は作れるはずだ。
「それなのですが……」
シンディが申し訳なさそうな声を出した。
「どうかされました?」
「私だけでは説得力に欠けると言われまして」
「あぁなるほど。そういう事もあるでしょうね」
いきなり工房主でもない職人がやってきて、『珪砂を持ち去ると罪に問われる』だの『大量にガラス製品を発注したい商会がある』だの騒いだところで信じる職人は多くないだろう。しかし最初の通達としては悪い方法ではない。それが真実であるということを、周知すれば良いだけだ。
「ではグランチェスター城で、ガラス職人の会合を開くことにしましょう。必要であれば取引している商家や商会の関係者も参加していただいて構いません」
「え、お城で会議ですか?」
「これは領主が主導する事業なのですから当然でしょう。製作いただいたガラス製品は、最終的にグランチェスター領かグランチェスター家が買い取ります。文官が参加すれば説得力が増すと思われませんか?」
「そうかもしれませんが、グランチェスター城というのは……」
『わかるよ。職人さんたちが全員ビビっちゃうってことだよね? でも、それが狙いだから!』
サラは会合のついでに、複数のガラス工房に正式に大量発注をかけるつもりでいた。『領の文官すら動かす力を持った商会』として強く印象を残しつつ、資金力を見せつける気満々である。
実際のところ、グランチェスター領の権威と侯爵の私財は商会の力ではない。たまたま文官が珪砂の情報を職人に伝える必要があり、たまたま侯爵が盗み飲みのペナルティを支払う羽目に陥っているに過ぎないのだ。しかし、こうしたタイミングを利用することをサラは一切躊躇うつもりはなかった。
おそらく工房からは前払い金を要求されるだろう。そして支払に使った手形は、すぐに商会に持ち込まれて現金化せざるを得なくなることも予想していた。もちろん、サラは商会の金庫に大量の現金を用意して、こうしたお客様を出迎えるつもりでいる。それくらい強いインパクトを与えなければ、しばらくは独占販売となるエルマブランデーやエルマ酒、そして乙女の塔から生み出される多くの商品をスムーズに販売できようはずもない。
『商業ギルドの登記ひとつとってもスムーズにできてはいない。おそらく他の商家や商会との摩擦は避けられないでしょうね。新しい商品ばかりだから市場競争にはならないはずだけど、ウチの真似をしようとするところはいくらでも出てくるはずよ。あれ? そういえば登記してもらった商会の名前を聞き損ねた。後で祖父様に聞かないと!』
商会の立ち回りについて腹黒いことを考える割に、基本的なことを聞き忘れていたようだ。
「シンディさん、声を掛けなければならないガラス工房のリストを作成していただくことは可能でしょうか? 可能であれば工房と専属契約を締結している商家や商会の名前もあると大変助かるのですか」
「問題ありません。明日までに作成しておきます」
「ありがとうございます。では、グランチェスター領の執務室にいるカストルさん宛に送ってくださいませ」
「承知しました」
ここでシンディは重大なことに気が付いた。それは貴族とその関係者と思われる重要人物たちと、工房の入り口付近で〝立ち話〟していたという事実である。
「すみません、こんなところで長々と立ち話をさせてしまって。どうか中にお入りください」
シンディは工房の隣にある二階建ての建物にソフィアとレベッカを案内した。どうやらこちらが住居のようだ。頑健な雰囲気の工房とは異なり、柔らかい色合いの布を多く使った可愛らしい雰囲気を漂わせていた。
「高貴な方をお招きできるようなところではございませんが、どうぞお掛けください」
ソフィアとレベッカが腰を下ろすと、奥から中年の女性が顔を出し、軽く会釈してからテーブルにお茶を置いていった。顔立ちからすると、おそらくシンディの母親だろう。
「ソフィア様、製作する瓶のサンプルをいくつか見ていただけますか?」
シンディは部屋を後にすると、四本の瓶を持って戻ってきた。そこには、更紗時代のワインボトルとほぼ同じ形状のガラス瓶が並んでいる。
『この色やデザインも前世持ちの人が広めたのかなぁ?』
そんな風にサラが思ってしまうほど、普通にワインボトルであった。
「この中に、ご希望の形状の瓶はありますでしょうか?」
ソフィアは示された複数の瓶の中から、なで肩で緑色のボトルを指さした。
「この形が良さそうです。もう少し底の窪みを高くして、ガラスの厚みも増やせますか?」
「可能です。大きさや色は大丈夫でしょうか?」
「はい。問題ありません」
「ではこんな感じでいかがでしょうか?」
シンディはテーブルの上で器用に木炭のような筆記用具でボトルのデザイン画を描いた。断面図を描いてガラスの厚みを記載し、底面の部分は四種類のイメージを描いている。
「そうですね。厚みはこれくらいで良さそうです。底面については、一番右に描かれているものにしてください」
「承知しました。これでしたら、金型は既にあるものを利用できそうです」
こうしてソフィアとシンディは瓶のデザインを決め、納期と料金を取り決めた。なんと百本もあるのに、七日で作れるという。ちなみに一本あたり約八百ダルだが、特急料金として一本あたり五十ダルを上乗せすることにした。
『一つ一つ手作りのガラス瓶って考えると破格のお値段ね。とはいえ、エルマ酒のシードルは庶民的なお値段にはなりそうにないな。上手くリサイクルできれば良いんだけど』
ちなみに、この価格は珪砂が有料になる前提の価格なので、珪砂を勝手に持ってきて良ければもう少し下がるらしい。
「珪砂を有料にした場合の価格をあっさりお決めになったようですが、まだ会合前ですし珪砂の価格は決まっていませんよね?」
「実は珪砂を販売している商家もあるにはあるのです」
どうやら珪砂の流通網は既にあるらしい。
「販売している珪砂は土属性の魔法で
「なるほど。つまり質の高い珪砂で作るとこの価格になるのですね。少なくとも川の近くで採集できる珪砂については、石英を砕いて作るものよりも安い値段で販売しなければなりません。良い指標ができましたわ」
ソフィアは手元の紙に『質の高い珪砂は石英を粉砕して作る』や『流通網を確認する』などとメモしつつ、シンディとの会話を続けていく。
「ただ、少しばかり気がかりなこともございます」
「と、仰いますと?」
「珪砂が有料になれば製品の価格を上げざるを得ません。ですが、取引先の商家は値上げに納得するでしょうか?」
「商家によるとは思いますが、難しいかもしれませんね」
「原材料の費用が高くなったにもかかわらず、商家が提示する買い取り価格が以前と同じであれば、専属の契約を解除したいと考える工房も現れるかもしれません。ですが、商家との契約を解消するにあたって、工房側になんらかの不利益が生じることはないのでしょうか」
シンディは顎に手を当てて考え込んだ。
「契約ごとに条件は異なるとは思いますが、契約期間が設けられている場合には違約金の支払いが発生するかもしれません。それに、工房側の都合で契約を解除すると、その商家で製品を売ってもらえなくなることもあります」
『やっぱり職人のギルドは必要よ! 職人や工房が協力し合って、商家や商会の都合で不利益を被ることが無いようにしないと!』
エルマ酒の瓶のデザインの打ち合わせが終わったところに、シンディの父親であるマットが入ってきた。マットは大きな籠を抱えており、中にはさまざまな形の飾り瓶が入っていた。
「飾り瓶も要り用と伺ったので、過去に作ったものをいくつか持ってきました」
マットは籠から次々と綺麗な瓶を取り出し、テーブルの上に並べ始めた。大小さまざま、色とりどりの瓶は見ているだけでも飽きないほどに美しい。
「素晴らしいですね。これを一つ作るのにどれくらいの時間が必要になるのでしょうか?」
「大きさや細工の細かさにもよりますが、一日に一つか二つが限界でしょうな」
狩猟大会までひと月を切っている今の状況では、参加している貴族家全部の飾り瓶は間に合いそうにない。狩猟大会には四つの公爵家を筆頭に、五十以上の貴族家が参加する。しかも、直系だけでなく傍系の一族も一緒に訪れるため、配らなければならないエルマブランデーのボトルが百本を下回ることは無いだろう。
「複数のガラス工房にお願いしても、飾り瓶を必要な個数製作してもらうのは難しそうですわね」
ソフィアが絶望的な声をあげると、シンディは立ち上がって部屋の隅に置かれていた小さな籠を持ってきた。中にはリボンや端切れ布、手作りのレースなどが収められていた。おそらく誰かの手作業の残りだろう。
「こういったリボンやレース、あるいはドライフラワーなどで瓶を飾ってはいかがでしょう? ちょっとしたお土産であれば、面白いと思うのですが」
シンディはシンプルなデザインの小瓶を手に取り、リボンやレースで飾り立てる。
「確かに面白いですね」
『ここでも、リボンやレースを提案されるのね。私が女性だからだろうけど。とはいえ確かにシンプルなボトルを装飾するのは悪くないかも。飾り方次第では、かなり華やかな雰囲気になるわ』
「だが女性的すぎないだろうか。酒精の強い酒と聞いているのだが」
マットがリボンで飾られたボトルを見て感想を述べた。
「そういえば、サラさんが私にくれたエルマブランデーのボトルには、彫刻が施されていたわ」
「「え?」」
これにはシンディとマットが同時に驚いた。
「サラお嬢様はどちらの工房に依頼されたんでしょう。ガラスへのエッチングは劇薬を使用するため、できる工房は限られているはずなのです。グランチェスター領にエッチングできる工房はないと思っていたのですが……」
『そうだよね。サンドブラストなんて知ってるわけなかった』
「いえ、ガラスの表面に手彫りしているだけなので、薬品で腐食させているわけではありません。急ぎで加工する必要があったため、あれはサラお嬢様自身が魔法で彫られたのです」
「なんと! その瓶を拝見することはできますでしょうか?」
マットが食い気味でサラに詰め寄った。
「あれはロバート卿とオルソン令嬢の婚約記念に贈られたものですので、違う瓶でしたらご用意可能かと」
さすがに目の前でサンドブラストを見せるわけにもいかないので、後から送ることにした。
「いずれにしても、エルマブランデー用にもシンプルなボトルが必要そうですね。まだ希少なお酒ですから小さめのボトルにしてもらって、あとは装飾の方法を検討することにしましょう」
「デザインについては、ガラスへの彫刻のサンプルを見てから決めても構いませんか? 何かアイデアが生まれるかもしれません」
『え、なんかちょっとプレッシャー感じてきた。そんな凄い加工できないよ!』
「では明日までにこちらに届けさせるよう手配いたします」
そしてソフィアは再びテーブルの上に並べられたガラス瓶に目を遣った。
「ですが、やはり王家への献上品は美しい飾り瓶にしたいと思います。このように美しい瓶に琥珀色のエルマブランデーを満たしたいですわ」
レベッカも同意するように横で頷いたが、製作者であるマットは大慌てである。
「お、王室への献上品とは伺っておりません! まさか、本当にうちの工房に注文なさるおつもりなのですか?」
「はい。そのつもりです。最終的には百本は欲しいところですが、ひとまず狩猟大会までに間に合う分だけでも大丈夫です。他の工房を紹介してくださっても良いですよ?」
サラはにっこりと笑ってマットの動揺を受け流した。
「さすがにそれだけの量となると、他の工房に声を掛けざるを得ないでしょうな」
「実は近いうちに飾り瓶のコンテストを開催する予定なのです。もうじき領主からの通達がすべてのガラス工房に届くはずです。一位になった職人には、賞金や称号を与える予定です」
「領主がコンテストを主催されるのですか!?」
「ガラス工芸をグランチェスター領にも根付かせたいというのが領主の意向です。可能であれば毎年開催したいそうですが、何か問題がございますでしょうか?」
「はぁ。そうですか……」
マットは驚きすぎて、口をぽかんと開けたままになった。
『ごめんなさい。祖父様の意向ではなく私の意向です』
「シンディさんの花瓶も綺麗だと思いましたが、こちらにある品々も美しいですね」
「私がサラお嬢様に贈った花瓶をご覧になったのですか?」
『しまった、今はソフィアだった!』
「拝見しました。青と緑が混ざり合った色合いがとても美しい作品でした」
「お褒めいただきありがとうございます。でも、まだまだ父や祖父の域には達しておらず、未熟な作品です。実はジェームズに託すときも、贈り物であることは言わないようにしてもらったんです。たとえ聞かれても、婚約者がガラス職人とは言わないようにと」
言われてみれば、ジェームズは魔法発現の祝いに花束は渡したが、花瓶はマリアに預けていた。マリアが教えなければ、サラは贈り物であることにすら気付かなかっただろう。
「経験年数が違うのですから、今のシンディさんがお父様に及ばないのは致し方ないことではありませんか。隠すようなことではないと思いますが」
するとシンディは苦笑し、マットは困ったような表情を浮かべた。
「実は職人を続けていくべきなのか悩んでいるのです。今やジェームズは領の上級文官として代官であるロバート卿の近くで働いております。そんなジェームズの妻となるのに、いつまでも職人のままでいいのかと……」
今は文官のトップである代官にロバートが就任しているため、会計官であるジェームズと補佐官であるベンジャミンは文官のツートップである。
「ですがジェームズさんは、シンディさんが職人であり続けることを願っていらっしゃるのではないのですか? シンディさんのお父様には、結婚してもシンディさんには職人を続けてもらうことをお約束したと伺いましたが」
「はい。父も私もそのつもりでおりました。ですが婚約して早々にジェームズは会計官になり、家に戻ってくるのも難しいほどの激務に追われるようになりました。社会的な地位も以前とは比べ物にならないほど高くなっております。前任者はグランチェスター家の傍系貴族出身で、領都の中心地に大きなお屋敷を構えていらっしゃいました。奥様も文官たちの妻や娘で構成されている婦人会の取りまとめをされていらっしゃいました。私に同じことができるとは思えませんが、それでも夫を支えるべきなのではないかと考えるようになったのです。あれほど仕事に忙殺されている夫を放り出してしまう妻で良いのかと……」
シンディは俯いた姿勢で冷めてしまったお茶を一口飲んだ。ソフィアはシンディの隣に座ったマットに質問する。
「マットさんはどう思われますか?」
いきなり話を振られたマットは、
「私はジェームズとシンディの結婚には反対でした。シンディは弟子の誰かと結婚させて、この工房を継いでもらおうと思っていたんです」
マットは目の前に並べた瓶の一つを手に取った。
「これはシンディが作った瓶です。繊細で美しい仕上がりです。私や父ではこのようなデザインは思いつかなかったでしょう。女性のシンディだからこそ作れた作品なのかもしれません。私はこの才能を捨てて文官の妻として生きていくことは、シンディのためにはならないと考えたのです」
コトリとマットは手に取っていた瓶をテーブルの上に戻した。
「ジェームズは昔から頭のいい子供でした。だからと言ってそれを鼻にかけたりもせず、周りの子供たちに進んで勉強を教えるような子でした。アカデミーを卒業して領の文官になったときは、みんなで盛大に祝ったものです」
『そっかジェームズさんはコーデリアさんの教え子だもんね。この辺の人たちはみんなジェームズさんの子供の頃を知ってるはずだわ』
「そんなジェームズがシンディと結婚したいと言い出しました。親としては反対しますよね。文官の嫁ともなれば、貴族とも付き合わなきゃいけない立場になるんです。ずっと職人として生きてきたシンディに務まるわけがない。なのに、ジェームズは職人としてのシンディを愛してるなどと言いだしましてね。シンディと結婚できないなら一生独身でいるとまで言う始末で。毎日のように訪ねてきて熱心に頼み込むもんだから、さすがに私も根負けしました。アレには本当に参りました」
マットは困ったような顔のまま、それでも少し嬉しそうな曖昧な微笑みを浮かべる。
「まさか文官の頂点に近いところまで出世するとは思っていませんでした。それまで領の文官で出世するのは領主一族の傍系親族か、下級貴族の令息ばかりでしたので、平民のジェームズがそこまで出世するとは想像もしていなかったんです」
『あれれ? グランチェスター領も実力主義じゃなかったってことかしら。これは祖父様とお父様に確認しないと』
突然レベッカが横から口を挟んだ。
「つまり、ジェームズさんが予想外に出世してしまったから、シンディさんに職人の道を諦めさせるべきだと仰るのですか? ジェームズさんは会計官になってから、シンディさんに職人を辞めてほしいと申し出ましたか?」
「いえ、ジェームズは一度もそんなことは言っていません」
シンディが慌てて答えた。
「でしたらジェームズさんの能力を信じて差し上げるべきですわ。シンディさんが職人を辞めることを、ジェームズさんは喜ばない気がいたします。きちんとお話をしてみてはいかがでしょうか」
『ううむ。さすがに結婚を控えた女性は言うことが違う。ジェームズさんとシンディさんを不幸にしたくないってことだよね』
「シンディさん。私は才能あるガラス職人を失いたくありません。どうかガラス職人を続けていただけませんか?」
『うん。貴重なガラス職人を失ったら損失大きすぎるよ!』
いいことを言っているはずなのだが、ソフィアの……というよりサラの腹が微妙に黒い気がするのは何故だろうか。