明日を夢見て今日は寝る

就寝時間が近づいたため、宴会の席を辞して自室に戻ってきたサラは、寂しさを感じるよりも肩の力が抜けてホッとした。賑やかな席が嫌いなわけではないのだが、さすがに素面しらふであの場に長居するのは少々堪えたらしい。

湯浴みを終えて夜着姿になったサラは、淑女にあるまじき乱暴さでベッドに飛び込んだ。その様子を見たマリアは小さく笑いながらサラの上にそっと布団を掛ける。

「ねぇマリア」

「どうされました? サラお嬢様」

「マリアは執務メイドになりたい?」

「そうですねぇ……やりがいのある仕事ではありますが、私はサラお嬢様の侍女になりたいです。実は私、侍女教育も受け始めたんですよ」

「そうなの!?

「はい。お嬢様がお引越しされるのであれば、私も一緒にお連れください」

マリアはニコリと微笑み、就寝の挨拶をしてからサラの部屋を辞した。

この世界では、侍女とメイドの間に明らかな線引きがある。メイドは主人の身の回りの世話をする仕事であるが、侍女は主人の業務をサポートする立場にある。侍女が主人のサポートをする都合上、主人に代わって複数のメイドを管理することがあるため、あたかも侍女の方は立場が上のように見えるが、実際には職域が違うだけで上下関係はない。

グランチェスター領は使用人の教育に熱心である。しかも上級貴族でありながら、使用人の身分にはあまりこだわりがなく、下働きをしている平民であっても、目端が利いて優秀であれば取り立てて身の回りの世話をさせることもある。そのため平民出身のメイドであっても、侍女教育を受ける機会を与えられることも少なくない。

実は執務メイドの大半は、侍女教育を受けていたおかげで読み書きや計算といった執務スキルが高かった。そう考えればグランチェスター領には、もともと執務メイドを育てる土壌があったと言えるだろう。

いや、そうであったと過去形にすべきかもしれない。何故なら王都に住む小侯爵一家は他家に倣い、侍従や侍女に下級貴族の出身者しか採用しなくなっているからだ。このままいけば、使用人は身分よりも能力を優先するというグランチェスター領の習慣は廃れていくことになるだろう。

『人材育成は大切だけど難しいわね』

そんなことをサラはぐるぐると考え続けていた。

しばらくすると天井近くに小さなドアが浮かんでいるのが見えたため、サラは風属性の魔法で防音の壁を作り、さらにその内側にも光属性の魔法で視界を遮る魔法を展開した。イライザの一族が忍びであるなら、覗かれている可能性も高いと考えたのだ。

『始祖のカズヤっていつの時代から転生したんだろう。この前のメモを見た限りでは、私と同じくらいの時代だと思うのだけど、なんで忍者かなぁ。そもそもこちらの世界の時間と前世の時間の流れって全然違うのは確かよね』

そんなことを考えていたら、小さなドアがノックされた。

「壁を作り終えるのを待っててくれたのね。入って良いわよ」

「一応、ノックしたら誰何すいかしていただけませんかね?」

「セドリックの様式美に付き合うつもりはないもの」

「冷たいっ」

セドリックはわざとらしく白いハンカチを出して目元を拭う仕草を見せた。

「今日は疲れてるから元気ないのよ。面倒だから今度にしてくれるかしら」

「そういうことであれば仕方ありませんね」

セドリックはけろっと泣き止み、背後にあるドアに手を突っ込んで眷属の首根っこを捕まえて引っ張り出した。

「えっと、その子は王都の邸にいるリックであってる?」

「然様でございます。お嬢様」

セドリックに掴まれてぷらーんとしたまま、リックは話し始めた。

「本日は小侯爵が夫人とお子様方の散財を叱りつけたため、大変な騒ぎになりました」

「その話は昨日終わったんじゃないの?」

「実はアダムお坊ちゃまが、新しい馬車を勝手にオーダーしていたのです。なんでも友人の伯爵令息が最新モデルの馬車に乗っていたことが面白くなかったらしく、狩猟大会に新しい馬車で乗りつけて自慢するのが目的だそうです」

「子供からのオーダーを親に確認しなかったのなら、販売した側にも問題があるでしょう?」

サラは身を起こし、リックを離すようセドリックにジェスチャーで指示した。解放されたリックはサラに一礼して話し始めた。

「小侯爵には確認せず、夫人が勝手に許可したようです」

更紗だった頃も車好きで頻繁に買い替える人はいた。しかし、中学生くらいの男子が勝手に高級馬車を購入してしまうというのは、侯爵家でも行きすぎではないだろうか。

「それで今度はいくらなの?」

「七百ダラスです」

「はぁ!? あの人たちは、お金が勝手に湧いてくるとでも思ってるのかしら! まぁ別に自分たちの資産で遣り繰りできるなら文句を言うようなことじゃないけど」

サラはイラっとして、近くに重ねてあった枕をポスポス殴り始めた。その乱暴な振舞いをたしなめるようセドリックはサラの手を取って元の位置に戻した。

「王都を生活の中心としている貴族には、『働いてお金を稼ぐ』という行為を卑しむ気風があります。彼らにとってお金とは、領地から湧いてくるものなのですよ」

「え? 領主って国から統治を任されているのでしょう?」

サラはセドリックの発言に愕然とした。

「実務は代官をはじめとする領の文官たちが担っています。彼らは代官や代理人から送られてくる書類にサインすることを仕事だと思ってるんじゃないですかね」

「自分たちの領地を豊かにして収入を増やすとか、新しい事業を起こしてもっとお金を儲けるとかって考える貴族はいないの?」

「グランチェスター侯爵のように自身で積極的に領地を経営する領主は少数派ですね」

「ええっ!?

「貴族が体面を保つには多額の金銭が必要です。収入が少なくなればなんらかの対処をしますが、慌てる様子を他家に知られないよう振舞うのです」

「それはなんとなくわかるわ」

「私たちは妖精なので本当には人間を理解できていないのかもしれません。しかしながら、代官から届いた書類を見て一喜一憂し、収入が減ってから慌てて事情を聞くだけの貴族は、領地経営に熱心な貴族とは言えないのではありませんか?」

「う───ん」

サラが唸りながら考え込んでしまった様子を見て、リックも言葉を重ねる。

「そもそも貴族が商売で荒稼ぎすると、社交の場であまり良い顔をされないのです。もちろん懐事情が厳しければ商売で稼ぐしかないわけですが、貴族はそのように収入を得ていることを堂々とアピールはしません」

「コソコソ裏で商売をするってこと?」

「どこかの商家に出資して、配当を得ることが多いですかね。自ら商売を始めようという貴族はあまりいません」

「そう考えると、私って絶対社交の場に出したらダメな子よねぇ」

この国では貴族女性が政治、領地経営、事業経営などを言葉にすることは、あまり褒められない。それらは男性がすべき仕事であり、女性が口を挟むことは、その女性を養うべき男性の能力に問題があることを意味するのだという。こうした風潮を馬鹿げているとは思っていても、今のサラに貴族社会の価値観を変えるほどの影響力があるわけではない。内心は何を考えていたとしても沈黙を守っておくほうが得策だということくらいは理解している。

「貴族女性がお金のことに口出しをすべきじゃないってことはわかるけど、いくらなんでもルーズすぎない? 伯父様がまだ把握してない出費がありそうで怖いわ」

「お嬢様スルドイですね。実はまだ小侯爵の手元に届いていない宝飾店からの請求書があります」

「あ、とってもヤバい予感がするけど金額は?」

「五百ダラスです」

これにはさすがにサラも頭を抱えるしかなかった。狩猟大会に向けて既に千ダラス近い金額を散財しているというのに、追加で千二百ダラスを支払わねばならないのだ。

『貴族家の面子めんつにかけて返品はできないわね。財政事情が苦しいと思われるのは、グランチェスター家にとって屈辱でしょうから』

「それにしても、どうしてそんなに狩猟大会に気合いを入れるのかしら。グランチェスター家にとって、大事な行事だってことはわかっているけど」

これにはセドリックが答えた。

「おそらくオルソン令嬢が原因です」

「お母様が?」

「彼女はサラお嬢様のガヴァネスですから、今回は間違いなくホスト側に立ちます。クロエお嬢様を連れた自分と比べられてしまうと思っているのでしょう」

「なにそれ面倒くさい!」