遊戯室でドキドキワクワク
文官やメイドたちと一緒に遊戯室に移動したサラは、遊戯室の雰囲気が今までと異なっていることに気付いた。バーカウンターやカードテーブルなどの類はそのまま残されているのだが、カーテンの色や小物の配置など細かい部分にメイドたちの手が入ったことで、時代がかった
侯爵からは執務メイドたちも一緒に宴会を楽しむようにとのお達しがあり、遠慮しつつもグラスを手にしていた。サラは飲酒するわけにもいかず、執務メイドのトップであるイライザから渡されたエルマの搾り汁を飲みつつ、遊戯室の中をきょろきょろと見て回った。以前には無かった書棚が設置されていることに気付いて近づいてみると、そこにはミステリー小説、ロマンス小説、そして何故かロバートの著作物が置かれていた。
「あら、お父様の本はこんなところに移動したのね」
本棚の近くのテーブルにちょこんと一人で座ると、イライザが近づいて説明してくれた。
「ここには娯楽性の高い本を並べておくことにしたのです。最初はいかがなものかと思いましたが、ロバート卿の本は意外にメイドたちにも人気なんですよ」
「え、そうなんですか?」
「一部に少々過激な描写もございますが、基本はロマンス小説ですので」
『あぁ、TL小説みたいな感じか。それなら女性ウケもしそうだな』
「嫁入り前に
「ぶほっ」
思わずサラはエルマの搾り汁で
「私や
「それは若い娘が読むには過激すぎるということでしょうか?」
「美化されすぎているので、現実に直面したらショックを受けるかと」
「なるほど」
イライザは深いため息を吐いた。
「サラお嬢様、そのお姿で普通にこの会話をやり取りしてはなりません」
「えっ!」
「私の家系は代々こちらの使用人として働いております。父は
「そうだったのですね」
「サラお嬢様が普通のお嬢様ではないことは、執務室に本邸の使用人たちを呼んだ時点で気付きました。おそらく父も同じでしょう。使用人たちは滞りなく業務を遂行するため、さまざまな情報を共有します。ですがサラお嬢様に関しては、一定以上のことを共有しないようにしています」
「それは何故ですか?」
「王都の邸の使用人や他家の密偵に情報が共有されることを避けるためです。使用人たちは、お嬢様が考えている以上に多くの目と耳を持っております。ですからお嬢様が抱えている、いえ侯爵閣下やロバート卿が抱えていらっしゃる秘密の多くは、使用人に把握されていると思った方が良いでしょう。絶対に隠しておかなければならないことは、徹底して隠すようにしなければ、あっという間に多くの人に知られてしまいます」
「そう、ですか」
「サラお嬢様、お嬢様が深夜にお部屋で展開している防音魔法で私たちだけを包めますか?」
サラは自分とイライザの周囲だけを風属性の防音魔法で取り囲んだ。
「これで大丈夫なはず。というか知っていたのね」
「お尋ねになっているのは、お嬢様が防音魔法を使えることでしょうか? それとも夜中にこっそりソフィア様になる練習をされたことでしょうか? あるいは防音魔法を施さずに他家の邸で新たに妖精を友人にされたことでしょうか?」
「う、あ、はい……」
「幸いにもソフィア様とサラお嬢様が同一人物だということもバレてはおりませんし、ウォルト男爵邸の使用人にも知られてはいません」
『え、待って。それじゃぁどうやって知ったの??』
「私どもの家系はグランチェスター家と同じだけの歴史を持っております。私どもの初代はグランチェスターの初代であるカズヤ様にお仕えしておりました。カズヤ様から私共の家系は『シノビ』と呼ばれておりました」
「はぁぁ? つまりあなたたちは忍者なの?」
「やはりサラお嬢様には意味がおわかりになるのですね。私どもは代々グランチェスター家に仕えながらも、カズヤ様と同じくゼンセノキオクをお持ちの方をお待ちしておりました。私どもが真の主として仰ぐ方をお迎えするためでございます」
「真の主って、グランチェスター家の当主じゃないの?」
「サラお嬢様にお許しいただけるのであれば、これからも侯爵閣下にはお仕えいたします。お給料は大切ですから。でも、シノビ一族が忠誠を誓う相手はサラお嬢様ですので、侯爵閣下とサラお嬢様が矛盾した命令を下された際には、サラお嬢様に従います。もちろん、サラお嬢様がグランチェスターを離れるようなことがあれば私どももお供いたします」
『重いっ。っていうかなにその設定!』
「この件はそのうち、ゆっくりご説明いたします。ですが、これ以上は
「わかりました。ありがとうイライザ」
イライザは深々と
『忍びねぇ……。カズヤさんなにやってんのよ。前世は若い男の子だったのかなぁ。それとも時代劇とかが好きなおじさん? ちょっと中二病の匂いがするわ』
サラが会ったこともない先祖に思いを
「これ、サラ。主役がそんな隅で何を
「お父様の本が並んでいたので気になったのです」
それを聞いたロバートが慌てる。
「うわぁぁぁぁ。誰だよあんなところに置いたの」
「ここは本来子供が出入りする場所ではありませんので、自習室よりは良いかと思いまして」
イライザがしれっと答えた。
「なんだロバート。お前は本など書いておったのか?」
「イライザさんいわく、過激な描写のあるロマンス小説だそうです。人気があるようで、ベンさんもファンらしいですよ」
サラは思いっきり暴露した。
「さ、サラ、そういうことは内緒にしておく方が良いと思うんだけどな」
「祖父様が興味をお持ちなのですから答えなければ。まぁ私は読んではダメだとお母様に言われておりますが」
「ほう、ロバートよ。お前は子供の教育に悪そうなモノを書いているようだな」
「まだ私には早いというだけで、悪いというわけではなさそうです。密かにメイドたちにも人気だそうですので」
「え、僕の本が?」
「そういうわけで、後ほど正式に出版して商会から売り出しましょう。なんでしたら過激な描写の部分を編集した『全年齢版』も作りましょうか」
一連のサラの発言に耐えられなくなった侯爵が、腹を抱えて大爆笑した。
「ぶわははははは。ロバート、お前、娘にこんなことを言われるのか。父親の威厳もなにもあったものではないな」
「父上。サラは特別なのだから仕方ないではありませんか!」
「祖父様。大事なのは儲かるか否かです。細かいことはどうでも良いのです」
「そういうところはまったく貴族的ではないな」
「まだ養子の書類にサインしてませんから、私の身分は平民ですね」
「貴族になったところで、変わるとは思えんが」
「私もそう思います」
このやり取りに周囲も肩を震わせて笑いを堪えている。いや、既にジェフリーも侯爵同様に腹を抱えて笑っていた。さすがに少しロバートが気の毒に思えてきたサラは話を変えることにした。
「そういえば、皆様はエルマブランデーを試されました?」
「まだだ。さすがにサラに無断で開けるわけにもいくまい。だが樽のエルマ酒の方は開けさせてもらった。これは美味いな」
「このエルマ酒からエルマブランデーは造られています。フランさんのお母様がお造りになったお酒だそうです」
「ほうほう。この酒からか。このまま飲むかブランデーにするか迷うほどだな」
侯爵はしみじみとグラスを傾け、文官やメイドたちも同意した。
「そういえば、お嬢様宛の書状を預かっておりました」
マリアはごそごそと書状を取り出してサラに手渡した。それはフランの母親であるトニアからであった。
この度は、私と嫁のエルマ酒を大量にご購入いただき誠にありがとうございます。
また、大変に光栄なことに、エルマブランデーも試飲させていただきました。
新たな領の特産品となる旨も伺っております。
このような貴重な機会を我が農園に与えてくださったサラお嬢様に感謝するとともに、新たな特産品を生み出す一助となれることに大きな喜びを感じております。
つきましては、今後必要となる樽の量をお伺いしつつ、他にも私どもがお力になれることが無いかなどのご指示を謹んでお待ち申し上げます。
無学な私どもがお嬢様のお役に立つかはわかりかねますが、今後ともよろしくお願いいたします。
なお、この度はロバート卿とオルソン子爵令嬢のご婚約、ならびにサラお嬢様との養子縁組が決まったと伺いました。
そこでお祝いの品として、ささやかながらエルマ酒をお贈りいたします。
つまらないものではございますが、ご
トニア・ハーラン
「トニアさんは貴族の血を引いていらっしゃるの?」
「トニアさんのお父様は騎士爵だったそうです。既に亡くなられています」
そこにポルックスが口を挟んだ。
「おお。これはハーラン農園のエルマ酒ですね」
「有名なのですか?」
「グランチェスターで一番のエルマ酒を造りますからね」
「そうなんですか」
「農園主のトニアさんは潰れかけたエルマ農園を購入され、自ら農園主となった方です。
「あれ、何故ご子息のフランさんは鍛冶師に? 曾祖父にあたる方が鍛冶師って言ってましたが」
「御夫君はハーラン農園にも農具を納める鍛冶師です。農園の経営や酒造りには関わっていないはずです」
「凄い人みたいね」
「伝説の女傑ですよ。サラお嬢様でしたら、気が合うんじゃないですかね」
「それはお会いするのが楽しみですね」
なにやらフランの母親は面白そうな人のようだ。
『なんか凄くワクワクしてきた!』
農業担当の文官であるポルックスは、グランチェスター領内にあるエルマ農園なら大抵の農園主を知っていた。もちろん彼がエルマとエルマ酒をこよなく愛する人物であるというだけで、農業担当文官が全員そうだというわけではない。ちなみに、ポルックスはフランの母であるトニアとも親交があった。彼はハーラン農園の超が付くお得意様なのだ。
「ハーラン農園のエルマ酒に目を付けるとは、さすがサラお嬢様ですね。それにフランをご存じであることにも驚きました。だいぶ前に実家は出ているはずなのですが」
「たまたまフランさんが乙女の一人の兄弟子なのです」
「フランが弟子入りした鍛冶師のお嬢さんというと、テレサ嬢ですね」
ポルックスが納得した表情を浮かべた。
「でも、お父様も鍛冶師でいらっしゃるのに、どうしてフランさんはテレサさんのお父様に弟子入りしたのかしら」
「フランは農具よりも武器を作りたかったのだそうです。あの家の鍛冶師たちは変わり者が多くて、親子でも作りたいものがまったく違うのです。フランの父親は農具、祖父は建具や錠前を作るのが得意なんです。亡くなった曾祖父は錬金術師や
「た、確かに変わっていますね」
「フランの兄に至っては、鍛冶にはまったく興味を示しませんでした。母親の仕事を手伝うことを好んでおり、嫁を貰って一緒にハーラン農園で働いています」
「農園の方にも後継ぎがいて良かったです。このエルマとエルマ酒をトニアさんの代で途絶えさせるのは大きな損失ですものね。トニアさんと一緒にエルマ酒を作るお嫁さんで良かったです」
「まったくです」
『そうか、本当はフランさんも武器を作りたい人だったのか。蒸留釜を頼んでよかったのかな?』
サラが少し思い悩んでいると、侯爵が近づいてきた。
「サラ、考え事をしているようだが、そろそろエルマブランデーを飲ませてはくれないか?」
「祖父様たちは昨夜お飲みになったではないですか。今日は他の方が優先です」
「むぅ」
サラはメイドに指示し、執務メイドも含めて全員にワンショットずつエルマブランデーを試飲してもらった。ジト目で見つめられたため、仕方なく侯爵やロバートにも振舞う。
「皆様、エルマブランデーはいかがでしょうか? まだ試作品の段階なので量産は先になりますが、これを新しい領の特産品としたいのです」
最初に反応したのは、当然と言えば当然だがポルックスであった。
「これがエルマ酒から造られた新しい酒なのですね。まったく違う酒なのに、エルマの風味も凝縮されています。これは素晴らしいです」
ジェームズやベンジャミンも頷いている。
「間違いなく新しい特産品として受け入れられるでしょう」
「どれくらい造れるものなのですか?」
「これを言ってしまうと、エルマ酒好きなポルックスさんが嘆かれるかもしれませんが、一樽造るのに五樽から十樽は必要になります。そのまま飲んでも美味しいと評判のハーラン農園のエルマ酒を使っているので、とても贅沢なお酒であることは間違いありません。ちなみに、いま乙女の塔でフランが蒸留しているのは、ハーラン農園のお嫁さんが造ったエルマ酒です」
これを聞いたポルックスは、グラスを見つめて固まっている。それを横目で見ながらベンジャミンが質問した。
「物凄く貴重な酒だということがわかりました。当然価格も高いということですよね?」
「量産できるようになるまでは、販売価格も相応なものになるでしょう。数年は王室への献上品や、グランチェスター家から他家への贈答品にしか使われないかもしれません」
「おい、ポルックス。固まっている場合じゃないぞ。これを本気で特産品にするなら、エルマ農園を拡張しないと間に合わないかもしれない。今の規模でどれくらいのエルマが収穫できるのか、そこからどれくらいのエルマ酒が造れるのかをちゃんと把握してるのはお前だけだろ」
『ヤバい。ミケだけじゃなくて、ポチにも助けを求めることになるかも!』
「はっ! そうか。王室への納品に
「ポルックスさん、実はこのお酒は狩猟大会でお披露目する予定なのです。本当は三年くらい後に披露するつもりだったのですが、妖精の力を借りたらイイ感じの試作品ができたので前倒しすることにしました。こうした商売は慎重に根回しが重要であることは重々承知しているのですが、グランチェスター領の現状を鑑みると、外貨……つまり領外のお金を稼ぐことが急務ではないかと」
そう、ミケの力を借りることができなければ、熟成に最低でも三年は掛かるはずだったのだ。元々サラはそのくらいの期間を想定しており、最初の数年間はエルマ酒の流通量を増やすことでエルマの収穫量を少しずつ増やすつもりであった。
「私はエルマ酒を蒸留する施設を急いで作っています。ですが、エルマ農園を拡大し、醸造所を沢山作らないと追い付かなくなるのではないかと予想しています」
「つまり、サラお嬢様が求めていらっしゃるのは、エルマの生産量の増大、エルマ酒の醸造所の拡大もしくは新設、蒸留所の新設ということであっていますか?」
「そうですね。生産量を増大するには、職人の育成が不可欠です。それに、樽を寝かせて熟成させる蔵も必要です」
「なるほど」
すでにポルックスはメモを取り始めており、ジェームズやベンジャミンも一気に仕事モードに戻っている。
「最初は私の商会でエルマ酒を購入し、それを蒸留して商品化するしかないでしょうが、将来的にはエルマ酒を醸造する場所で、蒸留までできるようになりたいと考えております。そうすれば、場所ごとに異なる特色を持ったエルマブランデーが生まれるはずです」
「村などで共同の蒸留所を持つという形でも良いですかね?」
「それは素晴らしいですね!」
「エルマ酒の蒸留は難しいのでしょうか?」
「ある程度の専門知識は必要です。それと、樽ごとに味に違いが出るので、本格的にエルマブランデーを造り始めるようになれば、樽ごとの味の特徴を把握し、混ぜ合わせて商品の最終的な味わいを決める専門家も育成すべきでしょう」
「奥が深いのですね」
「とても深いですよ。底なし沼のように」
サラは微妙に黒い微笑みを浮かべた。
「実はこのお酒を『エルマブランデー』と呼ぶ理由があるんです」
「というと?」
「実はブランデーというお酒は他にもあるんですよ」
ポルックスが軽く息を呑んだ。
「もしかして、エルマ酒以外の酒を蒸留するのですか?」
「その通りです。ブランデーの語源は、『焼いたワイン』を意味する言葉だったそうで、一般的にはワインを蒸留して造られるお酒をブランデーと呼んでいます。とはいえ、とても遠い国の古語なので本当に正しいのかは判断しかねますが」
『異世界だしね!』
それを聞いて文官たちは一斉に声を失った。
「遥か遠い国では、ブランデーのためにワインをわざわざ造っているのだそうです。ブランデーに最適なワインは、ワインとして飲むにはクセが強すぎるらしいのですが、蒸留すると素晴らしい香りと味になるのだとか」
「そのような酒は聞いたことがありません」
「アヴァロンでは造られていないようですね」
ポルックスが真剣な顔をしている様子が見えたのか、ロバートと談笑していたカストルがこちらに歩み寄ってきた。
「おい、ポルックス。今日は楽しい打ち上げじゃないのか? どうしてここの文官はみんな仕事の顔してるんだ? 顔がえらく真剣だぞ」
「あ、ごめんなさい。打ち上げでしたよね。うっかり仕事の話ばっかりで」
ところが、サラの発言に、カストルがしょんぼりと肩を落とした。表情も寂しげである。
「サラお嬢様はポルックスが担当してることばっかりですよね。商会が本格的に動けば私ともお話ししてくれると思いますけど、なんか寂しいです」
「おいカストル、お前ちょっと酔ってないか?」
『カストルさんって絡み酒の人?』
「カストルさんも忙しくなると思いますよ。エルマブランデーも、詰める瓶を検討しなければなりません。高価な贈答品になるでしょうから、木製の化粧箱も必要です。職人さんの手配が不可欠なのです」
「それはとても楽しみです」
「乙女たちがいろいろ商会の商品を開発してくれています。職人の手配はもちろんですが、流通の話もしたいのです」
カストルもいつの間にか仕事モードの顔に変わっていた。
『あれ、酔ってたんじゃないの??』
グランチェスター領の文官たちも、サラに負けないほどのワーカホリックであった。
『あ、瓶で思い出した! ジェームズさんの婚約者の方をお呼びしてたんだった!』
「ジェームズさん、後ほど婚約者の方がこちらにお越しになるはずです」
「は?」
「さきほど、祖父様が召喚されていらしたので」
「はぁぁぁ?」
「このブランデーを詰める瓶のお話をしたいと呟いたら、そんな感じになりまして」
「あ、なるほど」
などと話しているうちに、ジェームズの婚約者が到着したことが告げられたため、サラは遊戯室まで案内するよう使用人に指示を出した。
遊戯室に入室してきたジェームズの婚約者は、すらりと背の高い女性であった。おそらくジェームズと身長は変わらないのではないだろうか。激務で痩せて
豊かな巻き毛を無造作に後ろで一本に束ね、あまり化粧をしている様子もない。ドレスもあまり着慣れていない様子が窺えるので、普段はもっと楽な格好をしているのだろう。しかし、目鼻立ちはくっきりしており、笑顔がとても魅力的である。おそらくヘアやメイクを整え、ドレスアップすればかなりの美人になるだろう。
『わー、モデルさんみたいな人きたわ』
さすがに自分が呼び出した自覚があるので、侯爵はロバートとレベッカを従えてジェームズとその婚約者のもとに歩み寄った。
「侯爵閣下、こちらが私の婚約者のシンディです」
「シンディと申します。お召しにより
領主からの召喚を受けたことで、シンディはガチガチに固くなっている。
「わざわざ呼び立ててすまんな。孫のサラに花瓶を贈ってくれたと聞いた。礼を言う」
「畏れ多いことにございます。ジェームズが常日頃からお世話になっているサラお嬢様に、ささやかではございますが魔法発現のお祝いの品を差し上げたく思った次第でございます」
「ありがとうございます。あの花瓶は私のお気に入りなんです。実はその腕を見込んでお願いがあるのですが……」
シンディは戸惑ってジェームズの方をチラリと見た。すると、シンディに代わってジェームズがサラに応対した。
「サラお嬢様、どうやらシンディは少々緊張しているようです」
「無理もないですよね。いきなり領主に呼ばれたのですから。座って落ち着きましょう」
サラは窓際に置かれたソファにジェームズとシンディを誘導した。もちろん侯爵、ロバート、レベッカ、そして何故かベンジャミン、ポルックス、カストルも一緒に付いてきた。
「あら? 皆さんもご一緒ですか?」
「ご迷惑でなければ同席させてください。おそらくエルマ酒に関わることですよね」
「その通りですが、打ち上げ中にすみません」
「いえ、大丈夫です」
ちょこんとソファに座ったサラは、正面に座ったシンディにニコッと微笑みかけた。
「突然お呼び立てしてしまってごめんなさい。驚きましたよね」
「い、いえ。大丈夫です」
顔は全然大丈夫そうには見えないのだが、ひとまずソファに座ったことで身体の固さはだいぶほぐれたようだ。
「実はお酒の瓶について相談させていただきたいのですが、シンディさんはお酒をお飲みになられますか? 開発したばかりの新しいお酒なのですが、かなり酒精が強いので」
「お酒は好きですから、大丈夫だと思います」
サラはマリアに目配せして、グラスにワンショット注いでもらった。もちろんチェイサーとして水も添えてある。シンディはグラスを受け取り、軽く口を付けた。
「こ、これは。とても素晴らしい香りですね。確かに酒精は強いですが、とても美味しいです」
「気に入っていただけて嬉しいです。実はこのお酒を瓶に入れて販売したいと思っているのですが、その瓶を製作していただけないかと思いまして」
「酒瓶ですか……」
「このお酒はまだ試作品なのです。量産体制をこれからつくる段階なので、一般の市場にこのお酒が流通するのは数年先になるでしょう。しかし、この試作品を諸方面にお披露目して、是非とも
サラの話を聞いているうちに、シンディは再び顔が強張っていった。
「まさかとは思いますが、王室への献上品に私の瓶をお使いになるのですか?」
「はい。そのつもりです。このエルマブランデーの雰囲気を損ねない、繊細なデザインの瓶をシンディさんなら作れるのではないかと」
満面の笑みを浮かべ、サラはシンディを見つめた。
「むむむむ、無理です! 私の瓶などが王室への献上品など」
「そうでしょうか? あの花瓶は非常に美しいと思いますが」
「せめて私の父や兄の作品をお使いいただけないでしょうか?」
「実はあまり時間がないのです」
少し首を傾げたサラを見て、侯爵が助け船を出した。
「ある程度以上の数は揃えねばならん。複数のガラス職人に声を掛け、いろいろ作ってもらうしかないのではないか? そもそも試作品なのだ、いろいろな瓶があるのも一興だろう。その中で秀逸なものを選んで王室へと献上すれば良いだろう」
侯爵の提案にサラも頷いた。
「確かにそれは面白そうですね。それならシンディさんも瓶を作っていただけますか?」
「あ、はい。そういうことでしたら是非」
「化粧箱に詰める都合もあることだし、おおよその大きさは事前に定めておくべきだな。希少性が高い酒でもあるし、小さいが美しさにこだわりたい」
横でカストルはせっせとメモを取っている。
「祖父様、折角ですし領内で活動するすべてのガラス職人に、瓶を作るよう声を掛けるのはいかがでしょう。納品されたガラス瓶をコンテスト形式で審査し、最も美しい瓶を納品した職人には賞金や称号を与えてもいいかもしれません。なんなら毎年開催すれば、ガラス職人たちにも活気が出るのではありませんか?」
「ふむ、面白い案だ」
「今思い付いたので、審査員をどうするかなどもまったく決めていません。
メモを取っていたカストルが顔を上げ、サラと侯爵の意見に追加する形で提案をした。
「化粧箱も必要なら木工職人の手配が必要です。こちらはコンテストの対象外ですか?」
「そのあたりは悩みますね。化粧箱だけならシンプルで良いと思っているのですが……」
「何かあるのでしょうか?」
サラがやや困った顔をしていると、心得たようにレベッカが近くにいたメイドにアリシアが作った音の出る箱を持ってこさせた。商品企画会議で話題になったため、レベッカが遊戯室まで運ぶように命じていたのだ。
「カストルさん、この箱を開けていただけますか?」
「承知しました」
一見、飾り気のないシンプルな箱である。しかし、カストルがそっと蓋を開けた途端、ピアノの音が流れ出し、遊戯室にいた全員の目がこちらに向いた。つまり、雑多な声がする中でも響くほどの音量で再生されているということだ。
「な、なんですかこれは!」
「乙女の塔で開発された商品です。ここにセットされた魔石に、あらかじめ音を記録しておくと、箱を開いた時に記録した音が流れ出す仕組みになっているのです」
カストルは音の出る箱を
「ははぁ。これは素晴らしい商品ですね。これを商会で販売されるのですか?」
「そのつもりです。この音の出る箱は、商会が販売する新商品であり、エルマブランデーの化粧箱の役割も果たしています。もちろん、箱だけを販売することも検討しています」
「この大きさでなければならないのですか?」
「さまざまな大きさにできます。ただし、魔法陣を刻む必要があるので、一定以上の大きさは必要かもしれません。いま乙女の塔のアリシアさんが箱の仕様を書き起こしてくれています」
「では、その仕様を満たす箱を木工職人に依頼するのですね?」
「その通りです。これだけの商品ですから、箱に彫刻をするなどさまざまな装飾を施しても良いかもしれませんね。もちろんシンプルな箱も素敵ですが」
「先ほどのエルマブランデーと一緒でも良いですが、これ単体でも引き合いはきっと多いでしょう」
「そうなることを予想していますし、期待もしています。そしてカストルさんであれば既にお気付きでしょうが、この製品には魔石が必要です。しかも、魔石の質を選ぶのだそうです。一定以上の質でなければ魔法陣が刻印できないため、質の良い魔石を安定して供給できる仕組みを作らなければならなくなりました」
「な、なるほど」
そこまで話すと、サラはニコッとカストルに微笑んだ。
「ね、カストルさんも忙しくなるって言った通りでしょう?」
「確かに。一気に仕事が押し寄せてきそうなので、少し怖くなりました」
「ガラス瓶を作る材料を大量に確保しなければならないかもしれませんね」
「手配します」
「領外から運ぶ必要がある材料が多かったりするのでしょうか?」
「いえ、ほぼ領内で材料は揃いますよ。アクラ山脈は資源の宝庫ですし、そこから流れる川の近くでは
「グランチェスターは豊かな領ですね」
これには他の文官たちも頷いた。
「小麦の栽培で成功しているのは確かですが、天然資源も豊富であることは間違いありません」
「なるほど。ですが、天然資源は有限です。いつか
「サラお嬢様は、グランチェスター家の始祖様と同じことを仰るのですね」
「そう、なのですか?」
ぎくりと身じろぎしたサラに。侯爵が気付いた。
「どうやらサラはまだ始祖の功績をきちんと学習しておらんようだな」
「五百年ほど前、大森林の一部だったグランチェスター領を開拓し、その功績で
『おまけに転生者でラーメンと生姜焼きを食べたがったヤツ!』
「そのお方は、このグランチェスター領を開拓しつつも、山や森を必要以上に切り拓くことを禁止したと伺っております」
「なるほど」
「特に山から木を
「山の神を怒らせるなってことなのかな?」
ロバートが不思議そうに首を傾げた。
『え、そこ?』
「お父様、それは予言ではなく予測です」
「サラお嬢様は何かご存じなのですか?」
サラの発言に興味を抱いたのか、カストルは前のめりになる。
「山の斜面に生息している木々は、山に降り注ぐ雨や雪などを保水するのです。土壌の流出を止める役割もありますので、木を伐採しすぎて土壌がむき出しになってしまうと、洪水や土砂崩れが発生しやすくなります。どんな山でも起こり得る現象なので、神の
「そういう理由があるのですね」
「林業は防災計画にも重要な要素です。この辺りは、ベンさんもよくご存じなのではありませんか? ウォルト男爵家の出身なのですから」
「そうですね。『
ベンジャミンの発言に侯爵も言葉を重ねた。
「確かに自然の力には、領主も王も従うしかない。まさに神の御業よ。せいぜい人がやれることを、やれるだけやっておかねばな」
侯爵は豪快に笑った。酒が入っているせいで、笑いの沸点が下がっているようだ。
「そうそう、カストルさんには他にも依頼しなければならないことがあるんでした」
メモを取っていたカストルが一瞬固まった。
「既にガラス職人の手配、エルマブランデー用の瓶のコンテスト、ガラスの資材の手配、木工職人の手配、魔石の安定供給方法の模索というところまで伺っていますが、まだ続くのですか?」
サラは満面の微笑みを浮かべて残酷に言い放った。
「カストルさんが担当することばっかりで良かったですね。カストルさんのご希望に添えて何よりです。一緒に楽しく仕事をしましょう!」
「は、はい……」
引き攣った笑いを浮かべながら
「良かったなぁ。一緒に楽しく仕事しようなぁ」
「あ、もちろんポルックスさんもですから」
「えっ。ま、まだあったんですか? エルマ農園への根回しでかなり大変そうなんですが」
「もちろんです。狩猟大会が近いというのに、文官の方々が暇になるわけがないじゃないですか」
「狩猟大会の時期というのは、農家が収穫を終えて徴税官たちが動き回る時期でもあります。当然文官たちも一年で一番忙しくなりますので、その前に休みを取ることが多いのですが……」
『でしょうね。大体わかってたよ』
「まぁ素敵。それって今は手が空いている時期ってことですよね!」
「そうきましたか」
ベンジャミンが困った顔を浮かべている。
「サラお嬢様、微笑みながら相手を突き落とすのはお止めください。また倒れたらどうするんですか。今は文官が少ないのですから、もう少しお手柔らかにお願いしますよ」
「新しい帳簿もご用意しましたし、執務メイドもいるのです。去年よりはずっと楽になると思うのですけど。それに……」
「「「それに?」」」
文官たちがそろってサラの発言を傾聴する姿勢を見せた。
「ここで頑張っておかないと、狩猟大会後に王室や他の貴族家からの問い合わせに悲鳴を上げることになると思いません?」
「うっ、それは」
「それくらいインパクトのある商品群だと自負しているのですが」
ジェームズとベンジャミンは諦めたように深いため息を吐き、ポルックスとカストルはがっくりと肩を落とした。
「……承知しました」
「そんなにガッカリなさらないでください。文官が少ないのであれば、他を巻き込めばいいですよ」
「他、ですか?」
「もちろんギルドです。そういえばガラス職人のギルドは無いのですか?」
これにはシンディが答えた。
「ガラス職人はそれほど数が多いわけではありません。それに、ガラス職人といっても、窓ガラスを作る者、ガラス瓶を作る者、ガラス細工を作る者などがおり、得意分野もそれぞれ違います。これは木工職人でも同じはずですが、建築資材を加工する職人であれば土木建築ギルドに所属していることもあります」
「では所属するギルドが無いということでしょうか?」
「はい。自分たちで店舗を持って販売している場合には、商業ギルドに所属することはできるでしょうが、あまりメリットがありません」
「それはなかなか大変ですね。ガラスの資材って安くはないでしょうし、色ガラスを作るのであれば数種類の金属を手配しないといけないですから」
この発言には、シンディが驚いた。
「サラお嬢様は、ガラス細工の技術をご存じなのですか?」
「基礎的なことしかわかりません」
「ですが、色ガラスの作り方などは工房の秘匿技術ですから」
「あぁ、なるほど。そうでしょうね」
ジェームズはシンディの肩にそっと手を添え、目を見つめてそっと首を振った。
『わぁお。さすが婚約者同士ね。イイ雰囲気だわ』
おそらくジェームズは、シンディがサラの知識について深く尋ねるのを止めたのだ。空気の読める良い文官である。が、それよりもサラは、二人の雰囲気にほっこりした。
だが、サラにとってもガラスの着色は専門外で、高校の化学くらいの知識レベルである。実験で材料を入れた
『えーっと……ガラスの素材に金属酸化物を加えればいいんだったよね。
「折角ジェームズさんに気を使っていただいたのに申し訳ないのですが、この件はもう少し話をしなければならないかもしれないです」
「と、申しますと?」
シンディは実家の工房が秘匿している技術に言及されたため、身を乗り出して聞き入っている。
「おそらくコンテストを開催するとなれば、色ガラスを使う工房が増えることになると思います。珪砂、ソーダ灰、石灰だけでなく、金、銀、銅、鉄、クロムなどが必要になりますよね」
「私よりもサラお嬢様の方が色の出し方をご存じかもしれないと思い始めたのですが……」
「そんなことは無いでしょうが、私が提示した金属の中にシンディさんたちの秘匿技術では使わない素材があるのであれば、有料で開示してもいいですよ?」
サラはにっこりと微笑んだ。
「それはさておき、これから大量のガラス製品が作られることを考えれば、原材料が不足します。特に色ガラス用の金属については、採掘量の少ないものは取り合いになるでしょう」
「そんな!」
「しかも、採掘するものがなんであれ鉱山は領の所有物ですから、勝手に鉱石を採掘することは法律違反です。さて、カストルさん、珪砂の持ち出しは、この法律に抵触するのでしょうか?」
「法律違反です。とはいえ鉱山のように管理しきれるわけではないので、現実には目こぼしをされているのではないですかね」
シンディの方に目を
『ははん。これは無断で珪砂を持ち去ってるな』
サラは侯爵の方に顔を向けて話し始めた。
「祖父様、きちんと珪砂も領で管理していただけませんか? エルマブランデーやエルマ酒を特産品にするのであれば、瓶は不可欠です。ガラス職人を増やす必要もあります。ですが、珪砂をはじめとする原材料を管理しないまま放置すれば、絶対に職人たちの間で揉め事が起きます。んん、もしかして鉛やホウ砂も使ってるのかしら?」
「サラお嬢様、有料でもいいのでお嬢様の知識をゆっくり聴かせていただけますか?」
「その反応は、使っていない素材だったようですね。ですが、私は専門家じゃないので正確な知識とは言い難いのですがそれでも構いませんか?」
「それを言ってしまうと、私はサラお嬢様の前で専門家だと名乗れなくなってしまいます」
この会話に侯爵が反応した。酔ってはいても、領主としての自覚は無事らしい。
「ふむ。安定して高品質のガラス製品を作り続けてもらうためにも、素材管理はきちんとせねばならんだろうな。さすがに採り放題のままにはできん」
「お、お待ちください。つまり珪砂を勝手に持ち出すと、法律違反で捕まるということですか?」
『シンディさん、そこで声をあげたら勝手に使ってることがバレバレだよ』
「その通りです」
カストルはやや黒い微笑みを浮かべてシンディに説明を続ける。
「グランチェスター領の所有物を勝手に持ち出した窃盗の罪に問われます。罰金で済めば良いですが、最悪の場合は……」
「ひっ!」
シンディが小さく悲鳴を上げた。
『嘘が
「ジェームズさん、シンディさんは嘘の吐けない素直な方ですね」
「あまりイジメないでやってください」
ジェームズは、婚約者の手を撫でて落ち着かせた。
「これまで珪砂を管理できていなかったこちらの落ち度ですから、過去に遡って罪を問うようなことはいたしません。ですが、これまでタダで使っていた材料は、今後有料になってしまうことだけはご承知おきください。管理しなければ、おそらく同業者との取り合いが発生します」
「……はい」
「原材料費が高くなることで価格が高騰してしまうことは承知していますので、無理のない価格設定をすべきでしょうね。ところで、文官の数がこれだけ減少しているのですから、鉱物の管理が甘くなっていることは容易に想像できますね。現状についてカストルさんにはきちんとご説明いただきたいところではありますが……」
カストルはゴクリと唾を飲んだ。
「それは私の仕事じゃないので、続きは祖父様かお父様が頑張ってくださいね」
その場にいた全員がズッコケた。まるで新喜劇のような見事さである。
「サラ、そのようにいきなり
「私は文官じゃありませんもの。グランチェスター家の人間として特産品を狩猟大会で無事にお披露目すること、そして商会が売るべき商品を開発することが私の役目です」
「しかしなぁ。サラが起点になっているモノが多すぎて、他の人間に任せるのはなかなかに骨が折れそうだ」
侯爵も困り顔である。
「カストルさんに部下の方を育てていただく必要がありますね」
「仰る通りではありますが、いきなりは無理です」
サラはため息を吐いた。
「仕方ありません。どうやら、もう少しお付き合いするしかなさそうですね。もちろん有料です。ところで私の報酬は誰が出すのでしょう?」
「わかったわかった。サラの報酬は私の私財から支出しよう」
『やったぁ』
「どうにも最近はサラに財産を
「それは妖精と一緒に盗み飲みをしたことが原因ですよね? まだまだエルマブランデーは貴重品なのですから、勝手に飲まれたら困ります」
「むぅ」
さすがにこれには侯爵も反論はできなかった。
「ぷっ」
しかし、このやり取りになれていないシンディは、こみあげてくる笑いを堪えることができなかった。当主に呼び出されてガチガチに緊張し、その後に珪砂の窃盗で捕まるかもしれないという恐怖を味わうなど、普段では滅多に起こらない激しい感情の揺れ幅を経験したことで、感情を上手く制御できなくなっていたのである。
「あははは。す、すみません、笑いが止まらなくなってしまって」
「無理もないですね。
「畏れ多くも侯爵閣下の表情が、盗み飲みを祖母に見つかった祖父とそっくりで、つい」
「ふっ……、それは」
謝罪を口にしながらもシンディは笑いが止められなくなっており、シンディにつられてサラも何故か笑いが堪えられなくなってしまった。文官たちも肩をプルプル震わせている。
「シンディ嬢、酒飲みというのは、そうした愚かさを持つ者なのだ。存分に笑ってくれて構わん」
真面目な顔で答えた侯爵を見て、周囲は一斉に噴き出した。シンディとサラはともかく、文官たちは既に酒が入っているので、気を抜くと一気にグダグダになる。
「まぁこれ以上はお酒の席で言うべきことではありませんね。実はシンディさんをお呼び立てしたタイミングでは、このような飲み会になる予定はなかったのです」
「そうなのですか?」
「守秘義務があるのでジェームズさんも話さなかったと思いますが、ここ数年ジェームズさんをはじめとする多くの文官たちを悩ませていた案件が先ほど解決したのです」
「まぁ!」
シンディがジェームズの方を振り向くと、ジェームズもシンディを見つめて頷いた。
「そうだシンディ。やっと結婚式を挙げられそうだ!」
「もしかしてジェームズさん、この案件が片付くまで結婚式を延期していらっしゃったのですか?」
「はい。それどころではなかったですから」
言われてみれば、サラが来るまでの執務室は酷いものだった。ポルックスやカストルをはじめ多くの文官が過労でダウンしており、そうでない文官たちの目の下にもくっきりと隈が浮かんでいたことを思い出した。
「確かにそうでしたね。でも結婚式の打ち合わせをされていませんでした?」
「はい。この案件が終わったらどうするかを定期的に話していました。そうでもしないとシンディが別の男と結婚するかもしれないと不安で」
「な、なるほど。お父様に聞かせてやりたい良いお話でした」
「まったくだ。それにしても、ジェームズにはすまないことをしたな」
侯爵がジェームズに謝罪をする。
「謝罪していただくには及びません。私はグランチェスターの
「そうか。では領主として深く感謝するに留めよう」
「有難きお言葉にございます」
「それにしても、思っていたよりも協力を仰げそうなギルドが少ないのが気になりますね。ガラス職人のギルドが無いとは思いませんでした。鍛冶師のギルドはあるのに」
シンディは不思議そうな顔をした。
「そもそも、うちのように独立したガラス工房はそれほど多くないんです。ほとんどのガラス職人が商家のお抱えですから」
「ということは、もしかして宝飾品などの職人も?」
「宝飾品の職人といっても得意とする技術で細かく分かれます。魔石や宝石のカットや研磨が得意な職人、金属加工が得意な職人などですね。すべてを自分で行うこだわりの強い職人もいますが、大抵は分業制です。うちのガラス製品を使ってカフリンクスなどを作る職人もいるんですよ」
「つまり、一つの工房だけで商品は作れないということですね?」
「仰る通りです。こうした工房はいずれかの商家のお抱えとなり、注文通りに部品を作って納品するのです」
『なるほど。既にエコシステムというか、サプライチェーンができているってことね』
「理解できましたが、同時に不安にもなりました」
「不安ですか?」
「もしかして、契約できる商家は一つだけなどの縛りもあるのではありませんか?」
「はい。大抵は専属契約です」
「もし、商家から値下げを言い渡されたら、工房は従わざるを得ないのでしょうか?」
「そうですね。基本は商家の言い値です。うちが独立した工房を構えているのは、商家の横暴に祖父が反発したことが原因ですから。幸いうちはお得意様に支えられておりますが、台所事情が苦しい工房は多いと思います」
「やはりそうなのですね」
横でメモを取りつつ聞いていたカストルが、ふと顔をあげた。
「サラお嬢様、もしかして、これが以前にお話ししていた『競争原理』が効いていない状況ということでしょうか?」
「まさにその通りです」
サラはカストルに大きく頷いた。
「商家は優位な立場を利用し、職人たちを不利な条件で働かせています。こうした状況を是正するには、同業者が集まって結成されるギルドのような仕組みが有効です。職人が手間暇をかけて作り上げたものを、商家の勝手な思惑で買い叩くなど許されることではありません。商家が無理を通そうとした際、職人たちはギルドとして団結して対抗していくことができます。構成員が少なく、特定のギルドを持たない分野については、総合職人ギルドを結成することをお勧めします」
「しかし、サラお嬢様は本来商家の立場の方ですよね。そのようなギルドを結成することは、ご自身を不利な立場に追い込むのではありませんか?」
このカストルの問いに対して、サラはキッパリと否定した。
「いいえ。長い目で見れば商家にとっても良いことなのです」
「どういうことでしょう?」
「もちろん商家とは利益を追求する組織ですから、可能な限り仕入れ価格を下げ、販売価格を上げたいと考えます。しかし、商家の横暴も度が過ぎれば、仕事を請け負う職人は廃業せざるを得なくなります。自分の技術を正当に評価されない状況で、どれだけの職人が情熱をもって技術を磨き続けることができるというのでしょう。私には次世代の職人を育成することすら困難になる未来しか想像できません。親から子に、あるいは師匠から弟子に技術は継承されます。可愛い子供や弟子に苦しい思いをさせたくないと思うのは、人として当たり前の感情ではありませんか。一度失われてしまった技術は、元には戻りません。それは商家にとっても、質の高い商品の入手経路を失うことでもあるのです」
「なるほど。商工業を担当する文官としては得心するほかないですね」
侯爵と文官たちは納得の表情を浮かべて頷いた。そして、シンディは泣いていた。
「私なにかヒドイこと言いました? それとも、どこかお加減でも悪いのでしょうか?」
目の前で女性が大粒の涙を流している状況に、サラは大いに焦った。
「いえ大丈夫です。ただ、ちょっと感動してしまって」
シンディはハンカチで涙を拭きつつ、鼻声で答えた。
「先ほどもお話ししましたが、祖父は商家の横暴に耐えかねて独立しました。独立当初は大きな仕事の依頼もなく、祖父は他の工房から下請け仕事を引き受け、祖母は農家へ出稼ぎに行くしかありませんでした。祖父は何度も職人を辞めようとしましたが、その度に祖母が止めたそうです。父の代になって、やっと細工物の注文をいただけるようになったのですが、それでも商家に買い叩かれてしまうことが多くて……。そんな私たちの立場を理解してくださる方が、領主のご一族にいらっしゃることが本当に嬉しくてつい」
ジェームズは婚約者の肩を抱いて慰めた。どうやら事情は知っていたらしく、驚く様子はない。しかし、サラの胸には釈然としない気持ちが湧きあがってきた。
「祖父様、そして文官の皆様にどうしても申し上げたいことがございます」
「ほう、サラがそのように訴えるというのは、何やら恐ろしいが」
ほろ酔いではあるが、侯爵は酷くまじめな顔つきになった。
「こうした問題はすべての職人に起こり得ます。いえ、職人に限った話ではなく、すべての労働者に起こり得る話なのです」
サラの発言に侯爵は顔を
「人は労働によって対価を得ることで、自身や自身の家族を養います。人の営みとは、言い換えれば人々の労働によって作られるものだと言えるでしょう」
「仰る通りですね」
ジェームズは当然のことを聞かされていると言わんばかりに頷いた。
「しかしながら、労働者に対価を支払う側、つまり職人から品物を買い取る商家、あるいは労働者に仕事を依頼している雇用主から不当に扱われるという問題がしばしば起こるのです。具体的には労働に対して正当な報酬が支払われない、正当な理由のない解雇、あるいは雇用主や上司からの不当なイヤガラセなどですね」
「報酬の支払いや解雇は理解できますが、三つ目のイヤガラセというのはどういうことでしょう」
ベンジャミンが不思議そうにサラに尋ねた。
「いろいろあるとは思いますが、立場の強さを利用して相手を貶める発言をする、暴力を振るう、性的な関係を強要するなどでしょうか。こうしたイヤガラセをする側の人間は『イヤなら他から買う』や『イヤなら辞めればいい』などということを平気で口にします。しかし、こうした行為を取り締まる法律はおそらく存在しないでしょう」
「どうしてそのようなことをするのか理解できないのですが……」
「ベンさんはとても良い方ですね。権力を持つ者の醜悪な振舞いなど、数え上げればキリがないということです。もちろん、権力にも大小はありますから、小さな権力を振りかざす者は、それよりも大きな権力に虐げられているかもしれません」
「それは貴族の世界でよくある話だ。権力ある上級貴族に虐げられた下級貴族が、自分の領民には理不尽な行いをすることも多いと聞く」
侯爵がサラの話を補完すると、ベンジャミンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「そうした状況が続けば労働者は疲弊し、心身に影響が出ます。その結果、仕事の質が悪くなったり、家族との仲が上手くいかなくなったり、最悪の場合は犯罪者になってしまったりするのです」
「本当にそのようなことが起こるのでしょうか。私は商工業を担当する文官になって三年ほどですが、これまでそのような視点に立ったことがありません」
カストルは商工業の担当者として、今まできちんと目を向けていなかった問題を指摘されてやや
「カストルさんだって、仕事が片付かずに過労で倒れたじゃありませんか。これはそのような労働をさせた上司のお父様の責任であり、さらに言えば祖父様の責任です」
「仕方のない状況であった。私とて文官をそんな風に働かせたかったわけではない」
侯爵が慌てて言い繕う。
「もちろん仕方がない状況だったことは承知しています。肉体的な疲労はともかく、精神的にカストルさんが傷つけられることはなかったでしょう。ですが、これを日常的に押し付けるような職場だったらどうしますか?」
「それは許されざる暴挙と言えるだろうな」
「雇用主や上司から『イヤなら辞めてもらって構わない。他にも労働者はいる』と言われたら?」
「……」
サラは真面目な表情で文官たちを見つめた。
「皆様はアカデミー出身のエリートですから、職場を自分で選ぶことのできる立場にいらっしゃったと思います。祖父様をはじめ私どもの一族は『他領ではなくグランチェスター領の文官になってくださりありがとうございます』と、皆様に感謝しなければなりません。しかし、そうではない労働者の方が圧倒的に多いことを、ご理解いただきたいのです。労働者は自身の労働を正当に評価されるべきです。労働者の権利をなんらかの権力が阻害するのであれば、それに対抗できる手段を用意しなければなりません。すべての労働者の権利が保障され、健全な職場環境が守られれば、人々は意欲を持って働き、受け取った対価を市場に還元してくれます。そうやって領全体が潤い、結果として国が富むのです」
「労働者を守ることは、領を富ませることだと言いたいのか?」
「正確には労働者〝も〟ですね。領民を守らない領主に誰が従うんですか?」
もっと正確に言えば「領民」ではなく「国民」と言うべきなのだろうが、さすがに不敬と言われかねないのでサラは自重した。本来は侯爵に対しても自重すべきなのだが、自分も領主一族なのでこれくらいは言っても問題ないと判断した。
なお、この発言に対して文官たちは雷に打たれたような表情を浮かべ、泣いていたシンディは泣き止んでいた。……というより全員固まっていた。
「私はこれまで、『領民を守る』ということは外敵から彼らの生活を守り、日々の糧を保障することだと思ってきたのだが」
「外敵からはもちろん、日々の糧を正当な労働によって得るためにも労働者をお守りください」
「なるほど」
これには侯爵も文官も納得するしかなかった。
「話が壮大になってしまった気もしますが、そうした理由により私はギルドの設立をすべきではないかと考えます。ガラス職人だけではなく、多くの職人を守る総合職人ギルドは重要かなと思います。それと、商業ギルドがどのような運営をされているかはわかりませんが、商家側に有利なギルドなのであれば労働者のギルドを別に立てるか、商業ギルドの中に労働者寄りの部署を作るよう求めるべきでしょうね」
「ギルド運営には領主も口を出せぬのだ」
「それはとても重要なポイントです。権力は分散されるべきですから。そうでなければ、領主の横暴に対抗できません」
「私はそのようなことはせん」
「祖父様はそうでも、後代の領主はわかりませんよね?」
「そうだな」
農業担当のポルックスは、サラの言葉に感銘を受けつつも、他人事のような顔をしていた。どうやら自分の仕事の範囲には関係ないと思っていたようだが、サラはそんな彼を見逃さなかった。
「ところでポルックスさん、農業系のギルドってないんですか?」
「ご、ございません」
『なるほど農協は無いわけね』
「農家の多くは家族で労働ですが、大きな農場では雇用関係も発生しますよね?」
「そうですね」
「小作農の方々もいらっしゃるのではありませんか?」
「はい。おります」
「そうした小作農の方々も、グランチェスターの領民です。領の文官である皆様が守るべき対象ですよね?」
「さ、然様でございますね」
にっこりと微笑んだサラに見つめられ、ポルックスは口ごもった。
「あまり口を出しすぎると領政改革のようになってしまうので、私はこれ以上の差し出口は控えさせていただきますね」
「サラ、それは……」
「領政改革は領主、次期領主、そして文官たちが相談して決めるべきことです。もちろん領民の声を拾うことも重要ですね。多くの意見を聞いて判断し、最終的な責任を取るのは領主である祖父様です。私のように商会に近い立場の人間が必要以上に口を挟めば、公平性が失われかねません」
「相わかった」
一気に酔いがさめた侯爵は、苦い表情を浮かべるしかなかった。