それからしばらく。

 リュシアが落ち着いたのを見計らって、俺は彼女に声をかけた。

「そろそろ行こう、リュシア。ここはきっと……あんまり長居していい場所じゃない」

「…………」

 ちなみに現在、彼女は地面にうずくまっている状態だった。

 さっきまでディスティーダ団長の胸に抱き着いていたのが、その団長がいなくなって──元の姿勢のまま硬直していた形だな。

「リュシア、気持ちはわかるが……」

「……ぐず、すみません。アルフさん」

 そう言いながら、リュシアはゆっくり起き上がる。

「薄々わかってたことではありますけど、やっぱり、気持ちの整理がつかなくて……」

「そうだな。その気持ちはわかるが……」

 とはいえ、ここは《治癒神神聖教団》の施設内。

 さっきまで魔物がうろついていた場所でもあるし、長居するには向かない場所だからな。

 レシアータが倒れたので、もう死者が襲ってくることはないと思うが……任せてきた街の様子も気になるし、できれば早めに退散したい場所だった。

「とりあえず、シャーリーを解放したらもう帝都に戻ろう。今後のことは、宿で……」


「──素晴らしい功績を残してくれたな。アルフ・レイフォートに、《闇夜の黒獅子》の傭兵──リュシア・エムリオットよ」


 と。

 俺たちが立ち上がったその時、聞き覚えのある声が部屋に響き渡った。

 ──当代皇帝、ファグスティス・ギィア・ルズベルト。

 なんとルズベルト帝国を収める要人が、大勢の護衛を引き連れてこの場に姿を現したのである。

「ん…………?」

「ど、どうして……?」

 思わぬ来訪者に、俺もリュシアも当然のように困惑を隠せない。

 いったいなぜ、皇帝本人がこんな危険地帯に足を運ぶ必要がある……?

「いやぁすまぬな二人とも。まずは先日の謁見の非礼、お詫びをさせてもらいたい」

「え、謁見……」

 そうか。

 そういえばそれがあったな。

 俺たちがディスティーダ団長の所在を皇帝に質問した瞬間、皇帝の態度が急転し──何も答えられないままに帰らされた。

 いろいろあったのですっかり忘れていたが、どうして今になってそれを蒸し返すのか。

「実は余のほうでも、《治癒神神聖教団》の動向は掴んでいてな。ただでさえデリケートな話題なのに、さらにヴァルムンド王国の者がこれにまつわる質問をしてくる……。どちらかといえば国内政治向けの話じゃが、どうしてもこればかりは答えらなかったのだよ」

「……なるほど、そうでしたか」

 たしかに、それ自体は一理あるかもな。

 言ってしまえば、帝国にとって《治癒神神聖教団》はテロリスト集団。

 そしてまた、ヴァルムンド王国も皇帝にとって取り扱いがたい危険国家。

 そんなヴァルムンド王国から来訪した俺に、ぬけぬけとテロリストの情報を教えてしまったら……いざ有事が起こった時に責任問題に発展するかもわからない。

 皇帝の立場的に黙らざるをえないのも、まあ理屈では納得できる。

「でも、どうして皇帝陛下御自らがこんな所に……」

「何、簡単な話よ。さっきも言ったように、余も《治癒神神聖教団》の動向は掴んでおってな。先日の帝都襲撃事件に、今朝方の魔物襲撃……。さすがに放っておけなくなったゆえ、兵士を供にして施設を制圧しようと考えたのじゃ」

「…………」

「ふふ、じゃがさすがはフレイヤ神をも退けた英雄といったところか。それも不要な備えだったようじゃな」

 皇帝はそこまで言うと、背後に控えている兵士たちに合図を送る。

「事態の収束を確認。あそこで倒れているレシアータ・バフェムの遺体を回収しつつ、以降の後処理を行いなさい」

「イエス・ユア・マジェスティ」

 兵士たちはそう威勢のいい返事をすると、三々五々に散らばり始めた。

 レシアータの遺体を運び出す者、施設の内観について調査を始める者、教団にまつわる資料がないか探し始める者……。

 磔にされていたシャーリーも丁重に下ろされ、魔法で回復されてから俺たちの前まで運ばれてきた。

 さすがは皇帝の護衛として鍛え抜かれた兵士というだけあって、それぞれの動きがかなり洗練されていた。

「す、すごい……」

 そんな兵士たちを見て、リュシアが感嘆の声をあげる。

 いつもより声の張りがないが、まあ、さすがにそれは仕方のないことか。

「さあ、レイフォートにエムリオットよ。あとは余たちに任せて、貴殿らは帝都に戻るとよい。我が国の危機を救ってくれたのだ。ヴァルムンド王国の者といえど──たっぷりと報酬を弾むことを約束しよう」

「はい、ありがとうございます」

 後処理を引き受けてくれることと、帝国からの報酬を貰えること。

 これ自体はありがたい話なので、受けない理由はないだろう。

 ────だが俺にはやはり、どうしても不可解な点があった。

「? ア、アルフさん、どうしたんですか?」

 小首をかしげるリュシアに目線だけ送ると、俺は改めて皇帝ファグスティスを見て言った。

「皇帝陛下。もし無礼でしたら報酬は結構ですので……一つだけ、聞かせていただいてもいいですか?」

「ふむ…………?」

 俺の言葉に対し、皇帝がわずかばかり眉をひそめる。

「死の間際、ディスティーダ団長はこう言っておりました。──まさかこんな形でくたばっちまうとは思ってもみませんでしたが……最期の最期に、あいつレシアータの死を確認できただけでも幸せ者だ──と」

「む…………」

「ディスティーダ団長は歴戦の戦士です。もしレシアータに呼び出されたのだとしたら、最初から最大限の警戒を張っていたはず。……いえ、仮にテロ組織に呼び出されたとしても、ディスティーダ団長は最初から受けなかったかもしれませんね」

 そこまでを言い終えて、俺はリュシアに視線を向ける。

「あ、はい、その通りだと思います。私たち《闇夜の黒獅子》は、連日のように依頼がたくさん来てて……。出所が怪しい依頼についてはまったく受ける余裕がないって、パパ──団長も言っておりました」

「うん。やっぱりそうだよな」

 俺はそこで頷くと、再度、皇帝に向けて問いかける。

「さらに言えば、今回は依頼そのものも怪しかったです。リュシアの言葉によれば、出かける間際、団長は『治癒神の力に触れてくる』と言っていたそうですから」

「…………」

「どこにでもいる普通の人間が、いきなり治癒神の話を持ち出しても……それもきっと〝怪しい依頼〟で済まされてしまうでしょう。それこそ、皇帝陛下から公式に届けられた依頼でもなければ」

「あ…………」

 そこまで言ったところで、リュシアも俺の発言の意図を悟ったのだろう。

 困惑半分、警戒半分の表情を皇帝に向ける。

「────あなた、だったんですね? ディスティーダ団長を帝国に呼び出し、そしてレシアータ率いる《治癒神神聖教団》に襲わせたのは」

「…………っ」

 我慢の限界になったんだろう。

 これ以上は聞きたくないとでもいうように、リュシアがぎゅっと目を閉じた。

「おいおまえたち、さすがにこれ以上の無礼は……!」

 話を聞きつけた兵士が武器を構えるも、

「よい。とっとと元の任務に戻れ」

「……はっ。失礼いたしました」

 と皇帝に制され、施設の調査に戻っていく。

 ──当代皇帝、ファグスティス・ギィア・ルズベルト。

 謁見の間ではまるで取りつく島もない人物に思えたが、非公式の場となると、意外とそうでもないのか。

 俺にここまで言われた後でも急に取り乱すこともなく、皇帝は深く息を吐いて言った。


「……その通りじゃ。《闇夜の黒獅子》の団長を帝国に呼び出したのは余自身であり──そしてまた、レシアータに彼を襲わせたのも余自身じゃ」


「そ、そんな…………!」

 なんという予期せぬ結末か。

 リュシアは先ほどよりも深い絶望の表情を浮かべ、その場に崩れ落ちる。

「ど、どうして、ですか……? どうして、私のパパは、殺されないといけなかったんですか……?」

「…………」

 皇帝は一瞬だけ押し黙るが、周囲に兵士たちがいないことを確認し、小声で言葉を紡ぎ始める。

「実際に入ってみないことにはわからんが、政治の世界というのは、民衆が想像するよりも醜悪で汚いものよ。ヴァルムンドの元国王が我が国に宣戦布告をしてきた時──我が国の世論が激しく動いたんじゃ。我が帝国には主に二つの派閥があることを、お主らは知っているかな」

「ええ……存じ上げています」

 ヴァルムンド王国との不仲を取っ払い、新しい関係を築こうとする勢力……穏健派。

 それと反対に、徹底的に王国との関係を排除しようとする勢力……強硬派。

 この二つの派閥の間で争いが繰り広げられていると、かつて父から教わったことがある。

「もともとこの二つの勢力は拮抗しておった。じゃが、フェルドリア元国王が宣戦布告をしたことにより、これが激しく揺れ動いてな……今ではもう、強硬派のほうが圧倒的に優勢なのじゃよ」

「はい。それも存じています。そして皇帝陛下ご自身も、その強硬派に属していらっしゃると」

「……そうじゃな。下々の支持を獲得するために、表向きはそうなっておる」

 なるほど。

 ファグスティス皇帝が強硬派となっているのは、別に政治的な思想があるからではなく──。

 貴族や民衆から指示を得るために、あえて強硬派という仮面ペルソナを被っている。

 それが真相だってことか。

 道理で〝謁見の間〟とここでは態度にギャップがあるわけだ。

 皇帝本人は、別に俺たちヴァルムンド王国が憎いわけでもなんでもないんだろう。

「当然、余とて進んで王国と戦争をしたいわけではない。しかし、かといって王国を野放しにしていては──強硬派としての立場が危うくなってしまう。それがひいては支持の低下に繋がり、いずれはルズベルト帝国をまとめきれなくなる恐れがあった」

「なるほど……そういうことでしたか」

 不敬だと知りつつも、俺はそこで腕を組み、鋭い視線を皇帝に向ける。

「つまり強硬派へのアピールのため、レシアータのやろうとした〝国力増強〟に手を貸そうとしたのですね? もちろんこれは民衆には知らせず、一部の有力貴族だけに知らせる形で」

「……左様じゃ。彼奴きゃつが企んでいた陰謀は実に恐ろしく、本当にヴァルムンド王国を一方的に支配しうるだけの力があった。ヴァルムンド王国が憎くてたまらない強硬派にとっては、非道な選択とわかりつつも、手を貸したい話だったわけじゃ」

 本当に、腐りきった話だ。

 レシアータもかなりの狂人ではあったが、そうと知りながら、あいつの陰謀を支持していた貴族もまとめて腐っている。

「そんな折、かのレシアータ・バフェムがこう言ったのじゃ。……最強の魔王ゼルリアド=フェドゼイオンを生み出すには、かなりの実力者を媒介にしなければいけない。誰か適任を呼び出してほしいと」

「…………あ」

 そこでリュシアの視線が皇帝に向けられる。

「もちろん最初は当惑した。帝国内での実力者を犠牲にしようかとも考えたが、それでは本末転倒。……そこで思いついたわけじゃ。これから世界情勢は不安定化し、傭兵団を雇った戦争が本格化する可能性が高い。そこで白羽の矢が立ったのが──」

「や、やめてください……っ!」

 皇帝が最後まで言い終える前に、リュシアがハルバードを構える。

「パパが亡くなった本当の発端は、あのレシアータって人じゃなくて……ファグスティス皇帝。あなただったんですね…………!」

「そうじゃ。許せとは言わん」

 リュシアにハルバードの銃口を向けられてもなお、皇帝はその場から動かない。

 ……おそらく、皇帝は皇帝なりの〝信念〟があるんだろうな。

 もし皇帝が強硬派を抑えることができなかったら、より過激な思想を持つ者が台頭してくる可能性が高い。

 それこそレシアータのような人物が権力を握ってしまったら、まず間違いなく王国と帝国は全面戦争に突入していただろう。

 その意味では、皇帝の狙いは間違っていなかったと言える。

 毒を以て毒を制す──。

 テロリストの逆利用という方法に出ることで、強硬派がより過激な方法に出ないように抑えつけたわけだ。

 ……もちろん、それが正しい選択だったのかどうかは別にしてな。

「リュシア、ハルバードを収めな。ここで皇帝を攻撃することは、誰も──あのディスティーダ団長だって、望んでいないことだろう」

「…………」

「リュシア」

「……はい。そう、ですよね。頭では、そうわかってるんです……」

 リュシアは小声でそう呟くと、ゆっくりとハルバードを下ろした。

「申し訳ないの、リュシア・エムリオット……。納得してくれとは言わん。これが余の……いや、今の帝国の在り方だと思っていただきたい」

「…………」

 それには答えず、リュシアはひたすら俯き続けるのみ。

 ──まあ、それも無理からぬことだろう。

 傭兵といえど彼女はまだ十五歳だ。

 こんな薄汚れた世界なんぞ、見たくもなかっただろう。

「…………アルフ・レイフォートよ。さっきは『報酬は結構』と言っていたが、それについては気にすることはない。後日、使いの者より報酬を届けさせよう。それが余からの、精一杯のつぐないだと思っていただきたい」

「…………」

「それから、今回の話で余が戦争を望んでいないこともわかったはずじゃ。貴国との関係もそのように計らっておくゆえ──どうか安心してもらえればと思う」

 皇帝はそこまでを言い終えると、くるりと身を翻し、地上へと戻っていくのだった。